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もう、気づいたら高3の6月。そろそろ、受験も近づいてきて、意識を変える時期だ。世の受験生は、必死で夢に向かっている。
その時、自分はどうなのかと考えた時、まだ本気を出せていなかった。自分の悪いところを考えると、まだ余裕というものが心にあった。まだ勉強は、と言って逃げている自分がいた。このままだと、後悔すると考えることもあった。しかし、自分は勝てない。弱い人間だと思ってしまう。そんな自分が嫌いで仕方なかった。

そんな事を考えていたある日、私の父から突然言われた。「今、お前は後悔していたら今すぐその後悔をなくす努力をしろ。人間、頑張ったら、どこまでも行ける。」
私は、このことを聞いた瞬間、心の中にある全ての闇が無くなった気がした。そして迎えたハーフターム。自分は、出来る限り勉強に励んだ。自分が、今一番やるべきことを一生懸命行なった。
私にとって、この1週間のハーフタームはとても充実していた。
自分を変えてくれた父に感謝です。

(高等部3年生 女子)

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理系。理系は、数学や理科などの科目を特に重点的に学ぶコースで、立教では高校2年で文系・理系に分かれて勉強する。
私は理系に進んだ。

理系に進んでから、ふと思ったことがある。
「なぜ私は理系科目が好きなのだろう。」
周りの理系の子は、親がそういう仕事に就いていたりする子が大半だ。私の両親は特にそういうのではないし、兄や弟に関しては理系科目は苦手らしい。私も理系科目がとび抜けて出来るわけではない。それでも理系科目がとても好きなのだ。

考えているうちに、私がまだ小学校に入るか入らないかの時のことを思い出した。
私の両親は忙しく、兄や弟のこともあって、私はよく母方の祖父母の家に預けられていた。祖父母は、その辺り一帯に農地を持つ農家で、私は時間があるとそこで一人で遊んでいた。種蒔きの手伝いや季節のものの収穫を手伝い、夏はぶどうの葉のカーテンの下でよく昼寝をした。祖父母は優しく、手伝った後はいつもご褒美にアイスやお芋を食べさせてくれた。今でも覚えているのは、ふかふかに耕した畑に裸足ではいって感じる冷たく涼しい感触。

私は今時の子よりも多くの体験を肌で感じてきたから、今、私は理系科目、特に生物が好きなんだなと思う。周りから見れば、数学や化学には関係ないと思うかもしれないけれど、私は身近にこういうことがあったから理系科目にもしっかり取り組むことができたのかなと思っている。
今はまだ理系の端くれだが、いつか大人になった時、自分のなりたい者になるため、これから頑張っていこうと思う。すく近くに迫っているケンブリッジ大学でのサイエンスワークショップが楽しみだ。

(高等部2年 女子)

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起きたのは午前6時45分。ぼうっとする意識の中、鏡の前に立って初めて今日が何の日かを悟る。負けられない戦いが今日ある。幾度も挑んだ闘いに今日ついに終止符が打てるかもしれない。そう思いながら朝の仕度を始めた。

この闘いに挑むようになったのはいつからだろう。そうだ。中3からだ。僕は挑戦状を出す度にその高すぎる壁を越えることができず挫折した。でも今回は違う。それなりの準備もしてきた。何より自信もついていた。何度も挑戦してきたのだ。そこらの人とは違う。確かに少し不安はあった。だが、僕の挑む心意気によってそんなものはもう頭の隅に追いやられている。それくらい本気でもあった。

戦場とも言える場所に着く。
「また来たよ、こいつ。」
そんな風にそこの空気や物が僕に笑っている気がした。今からまたこの闘いに挑むということを思うと、少し気分が重くなった。やはり無理。不安。負ける。そんな言葉が僕を襲う。そこで2人の仲間が目に入った。僕と同じように何度も挑んできた仲間。大丈夫、大丈夫。彼らも同じ。そう思えるようになった。

僕の番がきた。僕は挑戦状とパスポートのコピーを出す。そして放った言葉。
「準一級です。」

(高等部3年生 男子)

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毎学期末に開かれるスクールコンサート。保護者の方々は勿論、地元イギリス人の方々も毎回たくさんいらっしゃいます。
今回も大盛会のうちに終わったスクールコンサートでしたが、早速地元の方々からお礼の手紙が届いています。
その中から2通をご紹介します。

*   *   *   *

Dear Headmaster

I would like to take this opportunity to thank you for inviting the public to attend your Concerts.

I have been attending them for many years and would like to congratulate your pupils and staff for a truly outstanding Summer Concert.

The standard and variety improves with each concert and over the past 2 years it has become really apparent how much the pupils enjoy participating.
Never more than in this last concert where your pupils organised the choir, the musical accompaniment and arrangement of the two Japanese songs. It was delightful!
To be encouraged to use their own initiative and talent and given a degree of freedom in this way shows a true understanding and respect between teachers and pupils.

Please express our thanks to the Director of Music for these wonderful concerts and her ability to bring the “musical best “out of your pupils.

Many congratulations!!

Kind regards
C.H.

*   *   *   *

Dear Music-makers!

We would like to thank all the pupils who entertained us so splendidly on Thursday evening.
The music was varied, interesting and very well performed.
The whole evening was well-organaized and brought credit to the school.
Thank you again,

N. & D. M

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ゴージャスと聞いたら、何を思い浮かべるだろうか。私たち日本人は、きらびやかなものや、金ぴかのもの、高価なものをイメージするのではないだろうか。しかし、ホームステイ先の人は、私の思うゴージャスとは全く違うものに、ゴージャスと言っていた。

一緒に歩いていた時、古い家ばかりが並んでいる通りがあった。400年以上も前に建てられた家らしい。その中に1軒、一際古そうな家があった。家の前の空いているスペースには、雑草が生えているし、建物自体も綺麗ではない。その上、周りの家に比べたら大きいが、高さもないし、そこまで大きくない。私だったら、あまり住みたくないと思うような家だった。しかし、ホームステイ先の人は、その家をゴージャスと言った。どこを見たらゴージャスになるのだろうと思った私は、辞書で調べてみた。そこには、「すばらしい」とか「豪華な」という意味が書いてある。しかし、英語でのgorgeousは、日本語での「豪華」よりも幅広く用いられるらしい。それにしても、結局は良い意味で使われているはずだ。ホームステイ先の人は、皮肉っぽくは言っていなかった。きっと、本心から言ったのだろう。なぜ、同じ家に対しての感想が、ここまで違うのだろう。

もちろん、個人によって異なるが、全体的に見て、イギリス人は古いものを大事にするらしい。家の値段も、古いほど高くなる。それに比べ、日本人は、新しいものが好きだと思う。家も新しいほど高い。さっきの家への意見の相違は、ここから出てきたのではないかと思う。
家に限らず、育った環境などで、考え方は変わってくるだろう。しかし、自分たちの考え方が優れているとか、劣っているなどと思わず、それぞれの意見を理解し、認め合う必要が、あると思う。

(高等部3年生 女子)

 

 

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今回のウィンブルドンは、待ち時間に雨が降ったり止んだりで、初めはそんなに楽しみにしていなかった。私が知っているような有名な選手は全部センターコートで試合が行われていて、ウィンブルドンまで行っても結局モニターで見るのか……と思って、全然期待できなかった。

だから、端の方の小さなコートではなくて、選手の練習コートなら有名な選手を見ることができる!と期待し、サインをもらう用の少し大きめのボールを買って、強い日差しの中、選手村のフェンスに張り付いていた。途中、いろいろと食べたり、お土産を買いに行ったりしたが、たぶん入場待ちの列に並んだ時間の次に、フェンスに張り付いていた時間が長かったと思う。結局サインは8人ぐらいの選手からもらえた。よく知らない選手ばかりだったが、周りの人のざわめき具合に、どさくさに紛れてボールを差し出した。

選手村への通路は人通りが激しいわけでもなく、選手が通ることさえ稀なのに、あまり有名でない選手の時は誰も何も言わない。私は少し心が痛くなった。テニスにそんなに詳しいわけではないが、ウィンブルドンで試合ができるなんで、山ほどいるテニスプレーヤーの中でほんの一握りしかいないと思う。その中に入ることができたって、お客さんには名前も呼ばれず、私の後ろの方にいた親子が、あの人誰?などと言ってるのが聞こえてくるほどだ。みんなが見たいのは錦織やジョコビッチなんだ…と私なら、モチベーションを高く持ち続けられない。スポーツ選手は、スポーツのスキル以上に強い精神力が必要だ。昔、誰かが言っていたその言葉を、私は今日肌で痛感した。

(高等部2年 女子)

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人生5度目のウィンブルドン。中学1年生の時は、どんな選手がいるんだろうか、選手のサインもらえるかなぁなどと、いろいろなことを考えていた。今思えば、随分簡単に考えていたなぁと思う。選手にとっても年に1度のウィンブルドン。そう易々と選手がサインをくれるわけがないじゃないかと、5度目にして初めて気づいた。だから今年はこうした。

サインはもらえなくてもいいから、試合をたくさん見まくる。ウィンブルドンはたくさんのコートがあるので、いろいろな選手を観察した。そこで気付いたことがある。男性選手と女性選手で、ストロークの際の手を置く場所が違うのだ。男性選手はストロークの際、片手で打つけれど、女性選手は両手で打つのだ。必ずしも全員ではなかったけれど、僕が見た多くの選手、約70%はそうだった。5度目にしてしてようやく気付いた箇所であった。また今回のウィンブルドンでは、陰で支えている人たちも観察した。ボールボーイ、審判、副審判、カメラマン、いろいろな人たちの支えがあって開催できると思うと、人間の支え合う力はすごいなと改めて感動した。

5度目のウィンブルドン。今まで大雑把にしか見てこなかったものを細かいところまで見てみると、支えている人たちの努力や選手の仕草や特徴までわかることができた。この観察眼を培っていこうと思う。

(高等部2年 男子)

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前回に引き続き、中学1年生の詩の授業で創作した詩をご紹介します。
今はもう期末テストは終わり、夏休みに向けて楽しみな気持ちが勝っている生徒たちですが、この詩を作った時にはテストの直前。そういう一瞬の気持ちの揺れを表現できるのが詩の良さでもあります。

No.7

僕は走るよ
どんどん近づく
テスト地点

No.8

とても晴れた平和な日々も
あっという間に過ぎ去って
降ってくるのは何だろう
天気予報も聞いていない
雨なのにかさも持たずに
出かけてく
家をでたときもうおそい
今日も赤点テストの
雨かぶる

No.9  衣替え

すずしさに
もみじの山も
着物きる

No.10 忘れ物

一つ忘れ物をした
記憶をよみがえらせる物を

一つ忘れ物をした
自分の気持ちを分かち合う物を

この忘れ物を見つけることが
できるだろうか

No.11
テストが早く過ぎてほしい
勉強は自転車
テストは飛行機
テストが終わっても無事には着陸できないかもしれない
地獄に着いたらどうしよう
テストが早く過ぎてほしい

No.12 なくしもの

なにかをなくした
なくしたぶん 別の何かを
手に入れた
なくしたものよりも
今自分のもっているものを
かぞえるほうが好きだ

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国語科では、思考力やコミュニケーション能力と同時に、創造性と豊かな表現力をもった生徒を育てたいと思っています。
中学1年生の授業では、詩の鑑賞と創作に取り組みました。
一つ一つの言葉の意味や、その言葉を選んだ作者の意図を考え、読み味わった後、いよいよ創作です。「かっこいい言葉を選ぼう」「比喩や繰り返しなどを使って、読む人の想像力をかきたてよう」と声をかけると、1人1作品では留まらず、いくつもの詩や短歌を次々に作ってくる生徒たち。そして、クラス全体で作品を読み合って、どこに工夫が感じられるか、どういうところがかっこいいと思ったかを発表し合いました。友達の新たな一面を発見したりもして、楽しい鑑賞会になりました。
生徒の作品を2回に分けてご紹介します。

No.1 夕陽

子供のころから何気なく見ていた
黄金の大円
誰のものでもない
誰のためでもない
陽が昇り
そして沈みゆく
明日の命を陽と共に
歩んでゆく

No.2 怒り

ぼくの心の中に何かがわきあがってきた
ぼくをあつくし
動かずにはいられないような
そしてその何かをわきあがらせた
その相手を
なぐってやりたくなるような
たぶんそれは怒りだ
と思った
そのしゅんかん
ひゅるひゅると
その何かはしぼんでいった

No.3 勉強

中学生になった。
ついこの間まで
遊んでいられたのに。
今は勉強で地獄のようだ。
だから期末テストの大変さを知った。

No.4 私はリスの心になりたい

一生懸命走る
リスになりたい
興味を持ったら
のぼったり
かじったり
生きるために
研究している
リスになりたい
心が自由で
生きることに一生懸命な
リスの輝く心に
なりたい

No.5 人生

人生とはつらいもの
人生とはくるしいこと
人生とはたいへんなこと
人生とはたいくつなことばかり

それをのりこえれば
いつかは楽しいことがまっている
どんなにつらいことがあっても
のりこえていける

No.6 暗い夜

まぶしい月に
照らされて
その光には
君がいて

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私にとってこの春休みは、けじめをつける休みになった。自分の描く将来、そしてその為に進むべき進路、普段は話さない真面目な話を、母と何度もした。また、こんなに真面目な話を母としたのは立教への入学を考えた時以来だった。

「大学生になったら何したい?」母が、まだ来年受験生になるという自覚を持っていない私にかけた言葉。この言葉が、私に受験生になるということへの意識を一気に持たせたのだと思う。そして、今まで「自分のしたいようにしなさい」としか言わなかった母が、初めて私に進路のことについて深く掘り下げてきたことに驚いた。

母は、私が立教に通い始めてから「自分のしたいことをすればいい」としか言わなかった。私は、母が私のしたいことを応援してくれていると思う傍ら、他人事のように言っていると感じていた。それまでとても心配症でおせっかいだと感じていたからなのか、母が心配してくれなくなったことで、母はきっと私がどういう道を選び進もうと、何も考えてくれないし、どうでもいいんだろうなと思っていた。しかし、今回の休みで分かった。母は、私が立教に(イギリスに)行くと自分自身で決意し歩んでいく姿を見て、自分が心配しなくてもやっていけると思うようにし、自立させるために、心を鬼にしてただ見守り続けていたという。私の母はいつでも私の母であり、いつでも私を心配する気持ちは変わらないというのだった。

進路について話し合う中で、母はいつでも味方でいてくれるとわかった途端に、私は、挑戦したいという気持ちを強く持てるようになった。これから始まる高2の一年間を私は自分の強い意志を持って頑張りたいと思う。

(高等部2年 女子)

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