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本校では、年に2回(1学期と3学期)に全校で漢字コンクールを実施しています。対象は、全校生徒と教員。全員に常用漢字すべてを網羅したテキストが配布され、HRでの小テストや、毎日の自習時間に学習し、漢字コンクール当日に備えます。漢字コンクールの日が近づいてくると、だんだんと生徒同士の会話にも変化があらわれます。
「何級まで勉強した?」
「ウルトラCの対策した?」
「あとで問題出して」
など明らかに漢字コンクールを意識した話題です。こうした生徒が1人、2人、3人…と増えていき、学校全体の雰囲気も少しずつ変わっていきます。
今回、高校3年生にとっては最後の漢字コンクールとなりました。そのため、今回こそはと意気込んで勉強に励み、当日の夜に発表される速報に名前が載って喜んでいる生徒が数多くいました。毎年、先輩が努力している姿や話を聞いて、多くの後輩が刺激されているようです。本校の生徒にとって漢字コンクールは正に「チーム戦」です。

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5月13日は気持ちの良い青空となりました。高校一年生として初めてのアウティング。
行き先は造船所として歴史あるイギリス南部の港、ポーツマスです。
一時間バスに揺られ、かつて世界を席巻したイギリス船がいくつも展示されたナショナルヒストリックドックヤードに到着。
まずはその中でもっとも有名なHMSビクトリー号に乗船します。
この船は、1805年のフランス・スペインとの戦い「トラファルガーの海戦」でネルソン提督を乗せた旗艦として活躍したもの。
なお、ネルソン提督はその戦いの中で敵に撃たれ、命を落としています。甲板には現在もその跡が残されていました。
ビクトリー号の後は、昼食もかねて自由行動。新入生は初めて自分たちだけでイギリスの街を歩くことになります。
しかしそこは高校生。臆することなく現地の人々と話し、楽しんでいました。

午後は3時に全員集合。フェリーに乗船してハーバーツアーです。港をぐるっと一周しながら現在も海軍が現役で活用している様子を観ていきます。話も面白いですが、それよりも風がさわやかで気持ち良いこと。心もリフレッシュした40分となりました。
最後はポーツマスの中心街で買い物と夕食。時間ギリギリまで、あちこち駆け巡っていました。
学びと自由を満喫した一日となりました。

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“私は臆病者である”
今回の代表キャプテンもそうだが、私は生徒会とかバスケットボール部の部長とか、何かと人をまとめることが多かった。沢山悩み事もあったが、誰にも話すことはなく、自分の弱いところなんて人に見せなかった。全て溜め込んでいた。これが強い人間… 今までそう思っていた。だが、この球技大会でそれはむしろ弱い人間であると気付いた。

今回の球技大会、練習を含めて私は3回泣いた。(普段は、そんなに泣くタイプじゃないのだが…)
まずは1回目、それは私たち、代表キャプテンのミスによるものだった。毎年、球技大会では各チームごとに大きな旗が渡され、それに皆でコメントを書くのが恒例だった。しかし、今回は私たち代表キャプテンが、先生に頼むのを忘れてしまい、旗を用意することができなかった。私は自分がみんなに迷惑をかけてしまったと心の底から反省した。そしてまず高校3年生のメンバーを集めて泣いて謝った。その時、みんなに責められる覚悟をしていたのだが、チームのメンバーは違った。
「和歌子のせいじゃないよ。」
「和歌子、泣かないで。」
「旗なんてなくても気にしないよ。」
などとみんなが慰めてくれたのだ。ものすごく嬉しかった。私の涙はいつしか嬉し涙に変わっていた。

2回目。それは1回目に関係する。球技大会の前日の夜、前夜祭としてチームごとに高校3年生から手作りのTシャツが配られたり、明日の球技大会への喝を入れるイベントがある。そこで一通りTシャツを配った後にチーム全員で円陣を組み、その時に、旗について全員の前で謝る…と言う流れのはずだった。私は、予定通り、みんなに、
「本当にごめん。」
と繰り返し謝った。その時、高校3年の一部の女子が突然、円陣の中に入ってきて、
「和歌子、はい!」
と言って、後ろに隠していた何かを出してきた。暗くて最初は何が何だか分からなかったが、目を凝らして見るとそれは手作りの旗だった。突然のサプライズで涙が止まらなかった。詳しく聞いたところ、持ち手に使えそうな枝を森まで探しに行ってくれたそうだ。それを聞いたとき、私は尚更、涙が止まらなかった。みんなの前で泣くという自分にとって弱音を吐くようなことをしたのにも関わらず、私のミスを受け止めてくれて、それをカバーしてくれる… 本当にこのチームのメンバーが大好きになった。絶対、明日は勝つ。そう心に決めた。

3回目、球技大会の結果発表後のことである。私たちチームは総合優勝することができた。やっぱり団結力があれば乗り越えられないものはないと思った。これはみんなで取った優勝である。ここまで辛いことも沢山あったけれど、そんなものは一気に吹き飛んでいった。結果発表後、沢山の人たちが、
「和歌子が代表キャプテンで良かった。」
と言ってくれた。相手チームのメンバーにも、
「和歌子の代表キャプテンが良かった。」
とまで言ってくれる人がいた。
さらに、あるメンバーの手紙の中には、
「優勝できてよかった。和歌子と丸山くんのおかげです。旗もそうだけど、いろんな場面で和歌子を喜ばせたいって聞いたよ。和歌子の努力を知っているからこそ勝ちたいって思った。」
と書いてあった。私は手紙を読んだとき、声を上げて泣いてしまった。ここまで頑張ってきたことは無駄じゃない。私には沢山の仲間、そして支えてくれる人がいる。そう知った。今までの自分は、一人が一番楽だと思っていた。今考えるとそれは逃げていただけだ。でも、今は違う。今回のチームには、沢山、私にとって大切な人がいることがわかった。私の努力を見て恩返ししてくれ、影で支えてくれる優しい人たちがいた。本当に本当にこのチームの代表キャプテンで良かった。皆のおかげで優勝できました。私に幸せな時間をありがとう。今までで一番幸せな日々でした。

高校生最後の行事は、私にとって大きなターニングポイントかもしれない。私にとって大切なことを気づかせてくれた。私は球技大会を通して、一回り大きな人間になれた気がする。
今、この瞬間、これからも何事にも全力投球で残りの立教生活を楽しむ、そう決意した。

(高等部3年生 女子)

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小学校6年間の運動会と中学高校の球技大会で私は団体で一度も勝ったことがなかった。個人競技で勝ったことはあったが、私は人生で一度でいいから団体で勝ちたかった。全体で喜びを分かちあってみたかった。

今まで私は人に、
「私は人生でスポーツ大会で一度も団体で勝ったことないんだよね。」
と言えなかった。絶対それを聞いたらみんなが嫌がったり、チームの人がやる気を落とすと思ったからだ。しかし今年は違った。自分のチームである水色の女子の代表キャプテンに打ち明けた。そのとき彼女から出た言葉は意外だった。それは、
「マジか。でも今年は勝つよ。大丈夫。」
だった。私はこの言葉がすごく嬉しかった。だから何が何でも絶対勝ちたいと思った。私は彼女に、「団体競技は得点高いよ。特に綱引き。今まで見てきて綱引きに勝って総合で負けたチーム見たことないし、同点はあっても負ける事はなかった。」と助言した。彼女は私の意見を聞いてくれたのか、元々そうするつもりだったのか分からないが、団体競技に全力を出した。綱引きの順番を紙にコピーして考えたり、綱引きの勝ち方をネットで探したりしていた。代表キャプテンのおかげで私たちは団体競技をすべて勝つことができた。

当日の2日前の夜、彼女は、
「毎年あったチームの旗、今年は無いんだ、ごめんね。」と高校3年の水色の女子に泣きながら謝った。私と友達はこんな姿を見て、居た堪らない気持ちになり2人で旗を作ろうと決心した。だが2人だと時間がかかるためもう4人呼んだ。そして前夜祭の時に彼女にサプライズをした。作ったメンバーで、「今度はうれし涙を流してもらおうね。」と話していた。彼女は私たちの期待以上に泣いて喜んでくれた。

今年の球技大会は私にとって特別だった。もちろん15年間も続いていた「私=悪魔」と言うジンクスがなくなったことも大きい。しかし私にとってはそれ以上にもっと特別なことがあった。それは自分の為だけに勝つのではなく、自分の大切な人のために勝つ努力をすることができたことだ。そして水色チームのメンバー全員の気持ちが一つになったから勝てたと思う。私たちがこの人たちを支えたい、ついていきたいと思える最高の代表キャプテンだったと私は思う。今回で球技大会は終わりだ。寂しい気持ちはあるが、こんな最高の球技大会で幕を閉じることができて本当にうれしい。本当にありがとう。

(高等部3年生 女子)

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正直に言うと、私の球技大会は勝つことにあった。楽しむことと勝つことは同義であった。負けるという概念すら持っていなかった。なぜなら全力で頑張れば結果が必ずついてくるものだと思っていたからだ。だからであろうか。試合が終わったとき、私の頭は呆然と宙に浮いていた。キャプテンとしてみんなに声をかけたくても体が動かず、応援してくれた人へのお礼の言葉も出ない。しばらくしてやっと体が動いたのは、いち早く我に返った後輩たちが泣き出してからだった。

ソフトボールを初めて経験したのは高校1年だ。なんとなく選んだ種目だったが、ミットに収まるボールの感触やら、フライをとったときの満足感に満たされて、ひたすら楽しいと感じていた。だから後輩にも同じように喜びや楽しさを知ってほしいと思った。この気持ちは決して偽りではない。だが、相手チームとの戦力差に圧倒される度、また真剣に勝利を求める度に、私は独裁者になっていってしまった。1週間という短い練習期間でひたすらバッティング、守備、バッティング…。自分に大した腕もないくせに、失敗すれば何度も注意してまた同じことを繰り返す。完全に悪循環だった。もちろん成功すれば激励したが、それはどれだけ皆の心に届いていただろうか。

結局蓋を開けてみると、私たちは負けていた。泣きじゃくる後輩を前に、一瞬冷静になるのを感じた。先輩として笑って慰めなければならないという使命感があったからだ。何とか必死に笑顔を作った。
それなのに。
「先輩たちに勝たせてあげたかった。」
それはずるいだろう。泣くしかないだろう。今までの努力や思い出が涙となってこみ上げる。止められるはずもなかった。けれど、負けたことが悔しくて悔しくて心が悲鳴をあげながらも、楽しかったという確かな満足がそこにあって、泣きながら笑った。他に、こんなにも複雑で強烈な感情を表す術がなかったのだ。

私は最後の球技大会を経て、また新たに学んだことがある。一つに、全力で頑張ったから必ず報われるわけではないということだ。しかしこれは悪い意味ではない。全力で頑張ったのは自分たちだけではないということだ。そしてもう一つは、負けることは情けないことではないということだ。声を掛け合い、励ましあい、常に真剣に努力してきた私たちは決して情けなくなかった。むしろ最高にかっこ良かったと私は思っている。だから胸を張って断言できる。私はこのチームで本当に良かった。

(高等部3年生 女子)

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学校から10分くらいのところにElmbridge Villageという老人達が暮らす村があります。毎年12月になると全校でここを訪れてクリスマスキャロルを住人達の前で歌います。またここの卓球クラブが本校を訪れて親善試合をする機会もこれまでに何度かありました。今日はそんなご老人達との懇談会。英会話のシャープ先生がアレンジしてくれました。

村のホールに着くと、早速幾つかのグループに分かれて話を始めます。1セッションが約8分。この間に色々な情報交換をしつつたくさん英語を話します。実は今日ご老人達と懇談しているのは高校3年生で今学期ケンブリッジ英検のFirst Certificate を受験する生徒達。4技能が試される本格的な英語資格試験ですが、そのスピーキングの練習を兼ねた懇談会でした。

でも会話が進むうちに、生徒達はスピーキング試験の事などすっかり忘れて夢中で話し続けていました。セッションが終わるたびに話す相手が変わるので、同じ話題を何度も話すことが出来ます。さっき上手く伝わらなかった内容をもう一度違う言い方で試してみたり、同じ質問に今度の人はどんな風に答えてくれるのか楽しみにしたり… とにかく、話しているうちにいつの間にか英語で話している事を忘れてしまうような、そんななかなか良い懇談会でした。
本番のテストもこのくらいリラックスして話せるといいですね。

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夕食が終わってしばらくすると高校3年生が2人、もう職員室の前で待っていた。
この日はReigate & Redhill Music Festivalの引率、イギリスにしては暑いくらいの1日だったが、流石に夕刻になると風も涼しい。
片道約30分をかけて夕暮れ時のイギリスの田園をゆったりと車で走った。
草を食む牛や斜めに差す光が絶妙な演出をするレンガ作りの町並みを見ながら、その素晴らしさを後部座席の2人と共有しようとバックミラー越しに話しかけるタイミングをうかがっていたが、うつむきながら目を閉じている2人に話しかけるタイミングは結局最後まで訪れず、いつのまにかフェスティバル会場のReigateの教会に到着していた。

外見は古い教会だが中に入るとモダンなガラス張りの大きなしきりがあり、その向こう側で大きなグランドピアノの前に立って審査員の紳士が前のクラスの演奏について一人一人丁寧に解説しているのが見えた。
コメントが終わると3人でガラスの向こうへ移動、ピアノに近い席に一緒に座った。男子生徒の方はハンカチを出してしきりに手を拭いている。女子生徒の方はこのクラス最初の演奏とあって、既に中央の大きなピアノをじっと見つめながら順番を待っていた。

スクールコンサートで何度もこの女子生徒の演奏は聴いたことがあったが、今日の曲は初めて。教会の雰囲気もあってちょっと神秘的な気分に浸れるいい演奏だった。この演奏ならまたカップがもらえるかも知れない… でもそんな思いは2人目の中国系の女の子の演奏で断ち切られた。音楽学校で朝から晩まで練習しているような隙のない完璧な演奏。呆気にとられた。隣の男子はさっきより頻繁に手の汗を拭き始めた。この後の演奏はちょっと可哀想だとおもったが、数分後には彼も大きな黒いピアノに向かってしっかり演奏していた。開き直って演奏した2曲目も立派に弾き終わり、ちょっと安心した表情で席に戻ってきた。

そして十数分後、僕達は再び車に乗って帰路についていた。まだ西の空はほんのりと明るくて、静かで不思議な田舎の雰囲気を演出してくれていた。優勝した子の演奏があまりにも素晴らしすぎて賞が取れなかった悔しさもなく、「自分の演奏」がしっかり出来たねという話になり、立教のスクールコンサートで初めて演奏した時のこと、中学に入学した時のこと、中学部を卒業して日本に帰った友達のこと… 等々、他愛のない昔話で帰路はずっと3人で盛り上がった。中学1年で初めてこの子達の英語を受け持った時、毎週のように村に連れて行って地元の英人達に英語でインタビューをさせていた時の事を思い出した。その時もこうして学校の車でイギリスの田舎道を毎週のように走っていた。あれから6年が経つ。彼らももう立派な高校3年生だ。音楽フェスティバルに参加するのも多分これが最後。これからは本格的に受験勉強が始まる。

思い出を語り尽くす時間は到底なく、気が付いたらもう学校に着いていた。行きの車中の沈黙が嘘のようだった。緊張していたんだ、きっと。高校3年生になっても初めてのスクールコンサートの時のように緊張するものなのかも知れない。
駐車場に車をとめて職員室に戻る頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
あの子達も一生懸命勉強して希望する大学に受かってくれるといいなぁ、そう思った。

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1学期のアウティングが終了し学期も中盤に差し掛かった日曜日、午後3時からギター部のコンサートが開かれました。
例年は高校2年生バンドのみで行われるギター部のコンサートですが、今年は高校1年生が中心となる異例のコンサート。
中学部の時から熱心に練習に取り組んできた生徒達が、高校から入学した新入生とこの1ヶ月ほどの間に見事に意気投合して素晴らしい演奏を披露してくれました。真剣な演奏の合間に入る和やかなトークや、高校2年生バンドの雰囲気作りも手伝って、通常と構成は違っていても盛り上がり方はいつもの通り。入学してから間もない中学部1年の新入生から受験勉強で忙しい高校3年生まで、たくさんの生徒達がホールに集まって思い思いに演奏を楽しみ、穏やかな日曜日の午後を満喫していました。

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閉めきったカーテンの下からわき出てくる陽の光は、うす暗い部屋を照らす。段々と家具が現れ色が足されていくのを見ていると、昨日とは別の世界で目覚めてしまったような、知らない人になったような気持ちになる。
僕は春のこの時間が好きだ。夏でも秋でも冬でもいけない。春の朝が好きだ。

よくマラソンは人生に例えられたり、自分との戦いだ、と言われたりする。コースは平坦な道だったり、登り坂が続けば今度は急に下り坂になったりと、標高差の多いものだったりする。そんな事を思いつつ初挑戦の58kmを走っているのだが、走っても走っても次の給水所は見えずキリキリと音をたてている体の節々やすっかり乾燥してガサガサののどのせいで頭が真っ白になりかけている。周りを見渡せば、堂々としている木しかなくどこからかテレビでしか聞いたことのない鳥の鳴き声が聞こえる。いつかは終わるのだろう。まともに大自然を感じられない僕はこう考えるしかなかった。そう、いつかは何事も終わらせないといけない。例えばそれは楽しかった中学二年生だったり、がんばってきた部活だったり、そしてこのマラソンだったり。どんなに遠い所でも、いきたくない所でも、進んでいれば必ず着いてしまう。これがマラソンが人生とたとえられる理由のひとつだろう。

ゴールもスタートも全員決められている。コースが長い人、短い人。山ばかりの人、陸上トラックの人。走るのが好きな人、嫌いな人、速い人、遅い人。けれども走る事に精一杯だから人生というこのコースを楽しめと言われても楽しんだつもりになる事しか出来ないだろう。だから少しペースを下げてみると色々な物が目に入る。だから僕はゆっくりとしたあの春の訪れが好きなのだ。夏でも秋でも冬でもいけないなんともいえないちょっとしたスタートが。

給水所で水を飲むと水が食道を伝わり胃に流れていくのが分かった。ここからあと5km近く、つりっぱなしの足でこの冷えきった体を動かすのは僕が生きてきた中で一番きつい事だった。走った。歩いているのか走っているのか分からないスピードで走った。この5kmだけはどんなに足がつってもなぜか走れた。最後というものはあっけなく来てしまう。あと4km、あと3kmと数えているうちに突然あと500mでゴールなどというふざけた看板が目に入るのだ。

閉じたまぶたを無理矢理こじ開けて入ってくる陽の光は僕の目をこがすように照りつける。まぶしさのあまり寝返りをうちたいのだが体が痛くて思いのままに動かせずじれったくなる。初の58km挑戦の次の日、僕は筋肉痛のため、一日中動けずにいた。

(中学部2年生 男子)

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球技大会。僕たちの青春が終わる嫌な行事。
この球技大会が終われば僕たちはもう完全に受験生だ。後輩たちが頑張って1つのものを作り上げようとしている最中も、後輩たちが一生懸命歌っている最中も、僕たちはただひたすら夢に向かって全力疾走する。目標の大きさに脅えながら、少しでも近い道を手探りで探しながら、見えない敵とぶつかりあいながら、ひたすら目標に向かって突っ走る。そうやって夢をつかみに行く。それが高校3年生だ。

めちゃくちゃかっこいいだろ!
倒れても這いつくばって、もがいて、死ぬ気で欲しいものを手に入れる。それは球技大会で僕らが実際にやったことだ。僕はそういうのが大好きだ。
慢心せず、本気で挑んで、真正面からぶつかり、全力で負けて散り、最大級の悔し涙を流す。これも僕らが球技大会で実際にやった事だ。僕はそういうのが大好きだ。

誰かに言われたとかじゃない。自分がしたいことを全力でするのが球技大会だ。
球技大会。開催するために生徒と教員が協力し合う最高の行事。
球技大会。新入生と在校生の仲を簡単に作れる最高の行事。
球技大会。1つの目標に向かって全員が汗を流して練習する最高の行事。
球技大会。みんなが全力で楽しくぶつかり合う最高の行事。
球技大会。あいつらの笑顔が見れる最高の行事。
そして僕たちはスタートラインに立つ。後輩たちに情けない背中を見せやしない。来年の4月、またみんなの最高の笑顔が揃う瞬間を僕は見たい。

(高等部3年生 男子)

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