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私は、卒業式の日、卒業することとは別の不安でいっぱいでした。
現地の学校に行って、人生で初めてのホームステイをするからです。
私は人見知りで、英語もまあまあ得意なだけで上手ではないし、心配なことだらけでした。
そんな私を励ましてくれたのは、ステイ先の子供でした。まだ5歳なのに、清々しいくらいのドヤ顔で、
「言葉なんて簡単だよ、だって私はあなた達と話せてるもの!」
簡単かどうかはわかりませんが、確かにな、と納得しました。5歳の女の子と話せてるんだから、同い年と話せないわけがないと自信が持てました。

ミレースクール1日目。久しぶりに会った4人のミレー生と挨拶をして、学校を見て回りました。授業の始まりと終わりを知らせるサイレンが非常ベルみたいだったり、パソコンが全部アップル社の良いやつだったりと、立教とは違うところがたくさんあって驚きました。
一番驚いたのは、カフェテリアでの購入の仕方です。生徒全員の指紋を登録してあり、食べ物を選んだら指紋で清算。近代的な感じがしてかっこよかったです。
ミレースクールでは、私が心配していたことは何一つ起こらず、楽しく過ごすことができました。
2日目、3日目と過ぎるうちに、バディー以外のクラスメートとも話すようになり、昼休みにはみんなでスプラットゲームもしました。

一週間で一番多かった日本語の授業で、私たち中学3年生は日本と立教についてのクイズと早口言葉を紹介しました。
5人それぞれ得意な早口言葉を紹介しましたが、本郷さんが紹介したものが一番難しく、みんな驚いて笑ったり、目を見開いたりしていて面白かったです。英語の早口言葉も練習しましたが、意味も難しくて大変でした。

立教でもやってほしいなと思った授業は、ズンバです。
音楽に合わせてダンスをするのですが、体育とは別の授業ですごく楽しかったです。ダンスは苦手ですが、ノリでできるので良いなと思いました。

そして最終日、ハグをして写真を撮りました。バディーの4人は泣いていて、それほど楽しかったんだなぁと思いました。私たち中学3年生は1人を除いてバディーがいなかったので、放課後遊ぶことはできませんでしたが、外国人の友達ができてうれしかったです。

またこういった機会があれば、参加したいです。

(中学部3年生 女子)

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6月26日(日)に立教大学〈予定〉で本校単独説明会を開催します。

場所:東京(立教大学 〈予定〉 )

日時:6月26日(日) 15:00 – 17:00

予約は不要です。イギリスから担当教員が参ります。スライド・ビデオによる説明があります。説明会の後、個別相談も受け付けます。

2013年8月に立教大学で開かれた本校学校説明会の様子はこちらからムービーでご覧いただけます

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1月に立教英国学院で、エリー・エミリー・モリー・サバンナとの交換留学が始まりました。私のパートナーはエリーといって小柄で元気な女の子でした。初めての体験がたくさんありました。
1月の交換留学では、この4人が立教英国学院に来て日本の伝統に触れてもらいました。茶道や剣道、日本語や習字をしました。その時、私はエリーのサポートをしましたが、思いのほか大変でした。
茶道の体験授業では茶道部の先輩方がお茶をたてていて、日本人の私でも感動しました。そこで気づきました。おもてなしをするにはまず、自分が日本をもっと知る必要があるのだと思いました。

1回目の交換留学で心に残った出来事は一緒にスポーツをしたことです。2日目、ミレーの友達とバレーボールをしました。それまでは私もエリーもまだ緊張が解けておらず、日常会話をあまりしていませんでした。しかしバレーボールを一緒にやった時、自然と声を掛けあったりハイタッチをしたりと、言葉の壁がなくなっていました。そこで距離が縮まり会話も弾み、良い交換留学にすることができました。

3月の2回目の交換留学では、私たち立教英国学院生がバディの子の家にホームステイし、一緒にミレースクールに通いました。約千百人の女子生徒がミレースクールに通っていました。私たちは日本語、体育、理科、音楽の授業を受けました。全てが英語だったので新しい感覚でした。また、ミレースクールの生徒達が明るくてフレンドリーで私たちのことを温かくむかえてくれました。休み時間もみんなで遊び、本当に楽しく、快く出迎えてくれたミレーの子達に感謝しています。エリーの家族も温かくむかえてくれました。夜は家族で映画を見たり、ゲームをしながら色々な話をしました。私たちにちゃんと向き合ってくださったのでとても嬉しかったです。この一週間は貴重な時間でした。

このプログラムに参加することができ、本当によかったです。英語での会話の楽しさや英国人の日本に対する熱い思いを改めて感じました。更に英語に興味がわき、もっと勉強したいと強く思いました。この体験をこれからの勉強に生かしていきたいと思いました。最高の体験をすることができました!

(中学部3年生 女子)

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去年の三学期、私はこの学校に来た。学校生活に少しずつ慣れてきたころ、私の教室に同い年くらいの英人の女の子がやってきた。周りの生徒に聞いてみると’近くの現地校との交換留学’ということだった。もともと、現地校への留学に興味があった私には交換留学というのは、とても魅力的で絶対に逃したくないチャンスだった。しかし、今学期に入って、いざ明日’ミレースクールの生徒が来る’ と言われると、今まで実感が無かっただけにとても緊張した。
当日、私は土曜日の靴磨きを素早く終わらせ、教員室へ走った。どんな子が来るのかと、楽しみな気持ちと緊張が入り混じった。実際にバディの生徒たちが来てみると、そこまで緊張はしなくなった。バディのほうが緊張しているように感じたからだ。それはそうだと思った。日本人ばかりの学校に来て、緊張しないわけが無い。それどころか、初めて学校生活を寮で過ごすというのは緊張だけではなく不安も感じているはず。と私は思い、どうすればこの一週間楽しく過ごしてもらえるかと必死に考えた。そんな風に、頭の中がバディの事でいっぱいになっているうちに自分の緊張の事などすっかり忘れていた。
毎日が忙しかった。普段、普通に立教生活を送るだけでも忙しかったはずなのに、自分の事以上に常にバディのことで頭がいっぱいで、いつもの忙しさとはまた違った忙しさだった。忙しくて忙しくてバディには申し訳ないが、交換留学を希望したことを後悔しそうになる事もあった。
一週間、風のように過ぎてしまった。最後の週末、みんなでげらげら笑いながら話をした。最初の夜の交流時間に映画を観た事さえ無駄な時間だったんじゃないかと思うくらいに盛り上がった。これが最後のホームルーム、これが最後の食事、刻一刻と迫ってくるバディの帰宅の時間に、どんどん’最後’が増えるのが寂しかった。みんな、帰る時間が近づくに連れて時計をちらちら見ていた。教員室に行き、両親の迎えを待つみんなの目には涙が浮かんでいた。笑顔で見送るつもりだった私もつられて泣いてしまった。最後には駐車場まで追いかけて、お互いに泣きながらハグをした。
一週間、いろいろなことがあった。大変だった事も、楽しかった事も、今考えれば一瞬の出来事だった。一言で言えば、楽しかった、という言葉しか思いつかない。交換留学をして本当に良かったと思った。
一ヶ月すればまた会える。そう思っても、一ヶ月はいつもの一ヶ月より長い気がする。次は、私たちがミレースクールを訪れる番だ。1000人以上の英人の生徒がいる学校に飛び込むと思うと、やっぱり緊張する。でも、次の一週間は、本当に最後の一週間になると思うともっと寂しい。だからこそ、今回の何倍も有意義な時間をすごしたいと思う。

(高等部1年生 女子)

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私はこの交換留学でコミュニケーションをとることを一番に考えて生活しました。
私のバディはエリーという14歳の小柄な子でした。14歳でこんなに自分をもっているんだと、会ってまずすぐに感じました。なおさらエリーに興味を持って、コミュニケーションをとりたくなりました。最初は自己紹介程度の英語を話していたので良かったのですが、交流が深まるにつれて会話も難しくなっていきました。私は話せないなりに一生懸命伝えたいことをアピールしました。エリーはそれを受け止めて真剣に話してくれました。とても嬉しいことであったと同時に自分はもっと勉強しなければ使えるようにはならないのだということを改めて身に沁みて感じました。
交流していて一番気持ちが通じ合えたと思ったのは映画を見た後に内容や登場人物について良さを語り合えたことです。このときは胸が一杯になりました。生まれも育ったところも言語も違うのに気持ちが通じ合えるというのはこんなにも嬉しいことなんだと強く強く思いました。またこの交流は大切にいていかなければいけないと思いました。それから私達の距離は一気に縮まり、バレーやバトミントン、ゲームをして沢山英語を使って楽しみました。
また、日本文化体験、習字、茶道も楽しんでくれていました。私も久しぶりに日本の文化に触れて自分の国の良さを感じました。
バディ以外のモリー、エミリー、サバンナとも交流することができました。食事の席では3人とも積極的に会話に入ってくれたので、楽しく食事を取ることができました。
3月は私達がミレースクールに行って交流します。それまでには少しでも会話がスムーズにできるように努力していきたいです。今回の交換留学は、英語の勉強でもあり、大切なことに気づかされる機会でもありました。参加できて本当に良かったと思いました。

(中学部3年生 女子)

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ケンブリッジのワークショップが始まるまでの短い間、一緒にワークショップに参加する東北の高校生たちが私達の学校に滞在した。皆で観光名所や近くの町、博物館などに行った。知り合い以外の日本の高校生と接する機会はなかなか無い。部屋が同じだった人と将来の夢や志望校などを話したり、充実した時間を過ごすことができた。

就寝前に話していて、東日本大震災の話題になった。そこで聞いた話に、私は衝撃を受けた。東日本大震災で沢山の方が被災したことはニュースなどを通して知っていたが、実際に経験している人に話を聞いたのは初めてだった。家が津波で流されてしまった人や、家が原子力発電所の近くだから住めない人などから、直接話を聞いた。当たり前だが、テレビや新聞などを通して聞くのとは違う、もっと迫って来るものがあった。日常が急に壊れるなど想像も出来ないようなことが、起きたのだと改めて認識させられた。

東北の高校生のプレゼンテーションを聞く機会もあった。そこには、震災や原子力発電所によって起こったことだけではなく、復興のためのプロジェクトも紹介されていた。驚いたことに、高校生が外国と協力して行っているプロジェクトもあったのだ。復興に向けて大人も子供も頑張っているのに、私はそのことさえ、あまり知らなかった。自分が、いかに無関心だったのか、認識させられ、今までの自分が恥ずかしく感じた。

震災から5年が経ち、前ほどは話を聞かなくなった。しかし、今でも苦しんでいる人がいて、復興しようと頑張っている人達がいる。私達はそのことを、忘れてはいけないと思う。

(高等部2年生 女子)

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昨日行って来た王立研究所には、今学期の授業で習ったばかりのファラデーや、その他の科学者たちの様々な実験器具や、失敗作などがあった。それらを見て、思い出した言葉がある。それは、「1から増やすことはそれほど難しくないが、0を1にするのが難しい。」という化学の先生が言っていた言葉だ。確かにそのとおりだと思う。1から増やすことも大変だが、0が1にならないと、何も始まらない。王立研究所にあったそれぞれの実験はつながっていた。ボルタは、自分が作った電池をファラデーに送り、ファラデーの電気分解の実験に貢献した。ボルタが世界で最初につくった電池は、今の電池よりはずっと性能が劣っている。しかし、それがあったからこそ、今の電池があるし、他の実験も進歩したのだ。ボルタがいなかったら、iPhoneなども、無かったかもしれない。

今の科学は、何人もの科学者たちが、一生をかけてつくり、積み上げていった、努力の結晶なのだと、今更ながらに知った。一人だけでは絶対に出来ない。前の人たちが発見したことを、次の人たちが使って、また新たな発見をする。それを繰り返して、今の科学があるのだ。私たちは、それに続かなければならない。自分たちのためにも、未来の人のためにも。

(高等部2年生 女子)

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昨年の夏休み頃から生じていた腰と膝の痛みが悪化、二学期準備会中に立ち上がりが困難になり、約3週間の自宅療養を余儀なくされました。MRI診断は腰椎椎間板ヘルニアでした。専門医からは立ち上がりも歩行も可能となったので特別な治療は無いと言われたのですが、念のため、学期中は学院の職員より紹介して頂いた鍼灸師の治療を受けていました。学期末頃には痛みもかなり改善され、冬期休暇も日本で過ごすことが出来たのですが、一月に入り、痛みが再発、再び歩行困難な状態となりました。約一ヶ月間、鎮痛剤や鍼治療、整体等の治療を行なってきましたが、痛みは改善されず、復帰の目処が全くたたないこともあり、日本で治療を受ける為に早期帰国することになりました。任期は今年三月末をもって終了予定でありましたが、最後まで務めを全うすることが出来ず、申し訳ない気持ちでいます。現在、日本で治療を受けながら過ごしており、この原稿を書いています。

小さな頃から始めたテニスの影響で十六歳の頃に腰を痛めて以来、長い間腰痛とは付き合ってきましたが、長く寝込むようなことはなく、リハビリ、トレーニング等で何とかその状態をしのいできました。今回、思うように動けず自宅で一人横になっている自分を受け入れることに時間がかかりました。自己管理が足りなかったのだ!と自分を責め、とにかく早く復帰しなければならない!と自分を追い立てれば追い立てるほど思うように痛みが消えず、動けない自分の状況が腹立たしくて仕方がありませんでした。学院で生徒たちには「ありのままでいい」、「弱さを持っている自分を受け入れよう」と語っていながら今の状態に苛立つ自分、自宅療養中、色々な方々からの支えに励まされてきましたが、同時に他者に迷惑をかけてしまっていることを情けなく思い、素直に他者からの支えを受け入れられない自分がいました。ありのままでいる、無力さ、弱さを受け入れることの難しさを感じました。しかし、時が経つと共に少しずつ自分の心に変化が訪れました。帰国の際には先生方からの暖かい言葉と支え、一人ひとりの生徒たちからのメッセージを頂きました。とても励まされました。学院のご配慮により、帰国便の車椅子等のサポートを受け、英国から神戸に無事に戻ることが出来ましたが、帰路においても空港の係員や添乗員の方々からの暖かい支えがありました。改めて自分一人では何も出来ないことに気づかされ、そして他者からの支えに素直に感謝して受け取ることの大切さを知りました。

聖書の中に登場する人物の中に聖パウロという人がいます。情熱的で学識、行動力があり、教会が誕生して間もない頃にキリスト教の宣教に大きく貢献した人ですが、聖書に収集されている聖パウロの手紙(コリント二)に、彼には「一つのとげ」が与えられたと記されています。肉体的な病であったのか、或は生きる上での何かの困難であったかは定かではありませんがパウロにとっては痛みを伴うものでありました。
パウロはそれを「思い上がることのないように」与えられたものと語っており、そのことを受け入れているように見えますが、その後すぐに三度、神様にそのとげが消え去るように願ったとあります。受け入れようとする心と可能ならばそれが離れ去り自由に楽になりたいという心がぶつかり合っています。分かっているけど辛いんだ、もっとより良くなりたいんだと願う気持ちがあります。そう願う聖パウロに神様はこう答えます。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と。

厳しい言葉のように聞こえますが、今の私には大きな慰めです。思うようにならない現実の中でジタバタとしているときには周りが見えず、何も気づかずにいるけども、ゆっくりと自分を見つめ、そして、周りを見渡すとき、そこにはそのときに必要な支えが与えられていることに気づきます。自分の思い描いた通りにいかず、無力感を感じることがあってもそこに支えがある。何の問題もなく満ち足りているときには見えないものが見えてきます。これまでの自分の生きてきた道を振り返るとそこには多くの支え、助けがあったこと、そして、今も種々の支え、助けを受けている事に気づかされます。自分の思い通りにいかず、足止めを食うこと、遠回りしなければならない状況に置かれることがあっても、きっとそこには何か意味があり、そして、そこで必要な支えがあることを信じて歩んでいくことを大事にしたいと思いますし、そのことを本学院の生徒たちにお伝えしたいと思います。感謝の心があるところには必ず新たな道が示され、開かれていく。そして、同じような痛みを持つ人々の気持ちに寄り添うことができる。

三年間本当に有り難う御座いました。立教英国学院での三年間の経験はこれからの自分の人生においても大きな糧となりました。本学院を今春卒業する卒業生、そして、在学する生徒、教員の方々、関係者一人一人の上に神様の祝福がありますように心よりお祈りしています。

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私は、立教英国学院に入学するのが嫌でした。なぜなら、家族と離れて暮らしたり、会ったことがない人たちと過ごしたりするのが、不安だったからです。どうしたら行かなくてすむだろう、そう思う毎日でした。そんな自分に、たくさんの出会いが待っているんだ、と言い聞かせて、少しでも前向きな気持ちでイギリスへ来ることができるように努力しました。
そして、とうとう入学式の日が来てしまいました。私は、立教生になるんだ、頑張ろうと考えてここへ来ましたが、親と離れたときは、不安で、さびしくなりました。でも、そんな私が無事に立教での生活を始めることができたのは、同じドミトリーの先輩たちのおかげでした。優しく迎えてくれたので、とても安心することができました。

毎週金曜日の午後に行われるフライデースポーツは、私の好きな時間でした。立教に入学する前に頑張って取り組んでいたバドミントンで、体を動かすとすっきりしました。フライデースポーツは、いろいろな学年の人たちと対戦できるところも楽しかったです。今まで話したことのない人とも関わることができたのでとてもよかったです。

私は、五年生の初めから、六年生の一学期まで、ずっと学年一人で生活してきました。でも、今年の二学期、同級生が初めてできました。小学生の女子も三人に増えて、とても嬉しかったです。毎日が楽しくなりました。
私が過ごした立教の二年間で一番楽しかった思い出は、今年のオープンデーです。私たちは、クリスマスツリーについて調べて発表しました。新しく増えた仲間も一緒に、クラスのみんなが協力して、お客様賞がもらえたときは本当に嬉しかったです。表彰式に、みんなで舞台の上に立てたことが、とてもいい思い出になりました。

今日まで続けてきた立教での生活の中で、私には今までずっと好きになれなかったことがあります。それは、ロッカーの整理整頓とドミトリー替えです。自分の荷物は自分で整理しないと、毎日の学習にも生活にも困ったことが起きます。せっかく慣れてきた部屋を離れて、学期の途中に大きな荷物を持って移動することも、大変なことでした。でも、二年間それを続けてきて、どうしたらきれいになるか、使いやすくなるかを考えること、自分のことは自分で責任をもつことができるようになりました。
その他にも、この立教に来てできるようになったことはたくさんあります。
ECや英語の授業、フィールドワーク、プライベートレッスンなどで、前よりも英語ができるようになりました。トランペットも吹けるようになりました。ナイフとフォークが使えるようになりました。敬語も使えるようになりました。

私にとって、立教英国学院に来て、一番心強かったのは、一緒に立教に来た姉がいつも近くにいてくれたことです。家族と離れてさびしかったとき、なぐさめてくれました。よく私に会いに来てくれたり、話しに来てくれたりもしました。わたしの大切な味方でした。
そしてそんな姉のような心強い味方が、立教にはたくさんいました。食事のマナーを教えてくれたり、立教での生活のことだけでなく、他にもたくさんの話をしてくれたり、一緒に笑ったり、励ましてくれたりした、立教の先輩たちです。

私は、立教で生活したことは忘れないと思います。日本に行っても、立教で学んで、生活したことを思い出して、これからの生活に生かしていきたいと思います。
最後に、優しく仲良くしてくださった先輩、毎日見守ってくださった先生方、学校で仕事をしてくださっていた全ての皆さん、いつも応援してくれた家族に感謝の気持ちを伝えたいです。今までありがとうございました。

(小学部6年生 女子)

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私が今回のプロジェクトに参加した理由は、バディーとたくさん話して、自分のコミュニケーション能力と英語力を伸ばしたかったからです。 しかし、相手側の都合で私達中学3年生にはバディーがつきませんでした。それでも絶対楽しめるだろうと信じてプログラムに臨みました。

ミレースクールの子達が来て、緊張しながら挨拶。しばらく話す機会はなく、ただ高校生の先輩についていくことしか出来ませんでした。得意なはずの英語も、頭が真っ白になってしまって上手く話せず、すごく悔しかったです。交流も高校生に比べて少なく、関わる回数はそれほど多かったわけではありませんでしたが、その分中学3年生だけで遊んだときにたくさん話しました。

中3だけで遊んだのは3回。1回目は書道で、彼女達の名前を漢字で書いたり、好きな言葉を日本語で書いたりしました。そのときに、自然と英語が出てきてコミュニケーションをとることができました。クラスの男子が漢字を使って一発芸をして、場を和ませてくれて、とても助かりました。ミレーの子も楽しんでくれたようでよかったです。

2回目、3回目はいろいろな遊びをしました。教室でスプラットゲームをしたり、椅子取りゲームをしたり。私達が知らないゲームをするときに、一生懸命説明をしてくれて、私達も理解しようと必死でした。逆に私達が説明しているとき、真剣に聞いて分かろうとしているのが伝わってきて、遊びを計画してよかったなぁと思いました。彼女達がちゃんと私達とコミュニケーションをとろうとしてくれたから、私も頑張って英語で伝えようとできたし、彼女達といっぱい話そうと思えました。共通の話題で笑い合えたこともあって、少しずつ打ち解けることが出来たと思います。

結局中3の交流以外で話したことはあまり無かったけれど、廊下で会ったら少し声をかけたり、笑いかけたり、私なりに成長できたと思います。ミレースクールに行くときは、今回の体験をもとに、もっと積極的に活動したいです。外国人ばかりのなかで自分がどれだけコミュニケーションをとれるのか、頑張ろうと思います。

(中学部3年生 女子)

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