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ケンブリッジのワークショップが始まるまでの短い間、一緒にワークショップに参加する東北の高校生たちが私達の学校に滞在した。皆で観光名所や近くの町、博物館などに行った。知り合い以外の日本の高校生と接する機会はなかなか無い。部屋が同じだった人と将来の夢や志望校などを話したり、充実した時間を過ごすことができた。

就寝前に話していて、東日本大震災の話題になった。そこで聞いた話に、私は衝撃を受けた。東日本大震災で沢山の方が被災したことはニュースなどを通して知っていたが、実際に経験している人に話を聞いたのは初めてだった。家が津波で流されてしまった人や、家が原子力発電所の近くだから住めない人などから、直接話を聞いた。当たり前だが、テレビや新聞などを通して聞くのとは違う、もっと迫って来るものがあった。日常が急に壊れるなど想像も出来ないようなことが、起きたのだと改めて認識させられた。

東北の高校生のプレゼンテーションを聞く機会もあった。そこには、震災や原子力発電所によって起こったことだけではなく、復興のためのプロジェクトも紹介されていた。驚いたことに、高校生が外国と協力して行っているプロジェクトもあったのだ。復興に向けて大人も子供も頑張っているのに、私はそのことさえ、あまり知らなかった。自分が、いかに無関心だったのか、認識させられ、今までの自分が恥ずかしく感じた。

震災から5年が経ち、前ほどは話を聞かなくなった。しかし、今でも苦しんでいる人がいて、復興しようと頑張っている人達がいる。私達はそのことを、忘れてはいけないと思う。

(高等部2年生 女子)

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昨日行って来た王立研究所には、今学期の授業で習ったばかりのファラデーや、その他の科学者たちの様々な実験器具や、失敗作などがあった。それらを見て、思い出した言葉がある。それは、「1から増やすことはそれほど難しくないが、0を1にするのが難しい。」という化学の先生が言っていた言葉だ。確かにそのとおりだと思う。1から増やすことも大変だが、0が1にならないと、何も始まらない。王立研究所にあったそれぞれの実験はつながっていた。ボルタは、自分が作った電池をファラデーに送り、ファラデーの電気分解の実験に貢献した。ボルタが世界で最初につくった電池は、今の電池よりはずっと性能が劣っている。しかし、それがあったからこそ、今の電池があるし、他の実験も進歩したのだ。ボルタがいなかったら、iPhoneなども、無かったかもしれない。

今の科学は、何人もの科学者たちが、一生をかけてつくり、積み上げていった、努力の結晶なのだと、今更ながらに知った。一人だけでは絶対に出来ない。前の人たちが発見したことを、次の人たちが使って、また新たな発見をする。それを繰り返して、今の科学があるのだ。私たちは、それに続かなければならない。自分たちのためにも、未来の人のためにも。

(高等部2年生 女子)

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昨年の夏休み頃から生じていた腰と膝の痛みが悪化、二学期準備会中に立ち上がりが困難になり、約3週間の自宅療養を余儀なくされました。MRI診断は腰椎椎間板ヘルニアでした。専門医からは立ち上がりも歩行も可能となったので特別な治療は無いと言われたのですが、念のため、学期中は学院の職員より紹介して頂いた鍼灸師の治療を受けていました。学期末頃には痛みもかなり改善され、冬期休暇も日本で過ごすことが出来たのですが、一月に入り、痛みが再発、再び歩行困難な状態となりました。約一ヶ月間、鎮痛剤や鍼治療、整体等の治療を行なってきましたが、痛みは改善されず、復帰の目処が全くたたないこともあり、日本で治療を受ける為に早期帰国することになりました。任期は今年三月末をもって終了予定でありましたが、最後まで務めを全うすることが出来ず、申し訳ない気持ちでいます。現在、日本で治療を受けながら過ごしており、この原稿を書いています。

小さな頃から始めたテニスの影響で十六歳の頃に腰を痛めて以来、長い間腰痛とは付き合ってきましたが、長く寝込むようなことはなく、リハビリ、トレーニング等で何とかその状態をしのいできました。今回、思うように動けず自宅で一人横になっている自分を受け入れることに時間がかかりました。自己管理が足りなかったのだ!と自分を責め、とにかく早く復帰しなければならない!と自分を追い立てれば追い立てるほど思うように痛みが消えず、動けない自分の状況が腹立たしくて仕方がありませんでした。学院で生徒たちには「ありのままでいい」、「弱さを持っている自分を受け入れよう」と語っていながら今の状態に苛立つ自分、自宅療養中、色々な方々からの支えに励まされてきましたが、同時に他者に迷惑をかけてしまっていることを情けなく思い、素直に他者からの支えを受け入れられない自分がいました。ありのままでいる、無力さ、弱さを受け入れることの難しさを感じました。しかし、時が経つと共に少しずつ自分の心に変化が訪れました。帰国の際には先生方からの暖かい言葉と支え、一人ひとりの生徒たちからのメッセージを頂きました。とても励まされました。学院のご配慮により、帰国便の車椅子等のサポートを受け、英国から神戸に無事に戻ることが出来ましたが、帰路においても空港の係員や添乗員の方々からの暖かい支えがありました。改めて自分一人では何も出来ないことに気づかされ、そして他者からの支えに素直に感謝して受け取ることの大切さを知りました。

聖書の中に登場する人物の中に聖パウロという人がいます。情熱的で学識、行動力があり、教会が誕生して間もない頃にキリスト教の宣教に大きく貢献した人ですが、聖書に収集されている聖パウロの手紙(コリント二)に、彼には「一つのとげ」が与えられたと記されています。肉体的な病であったのか、或は生きる上での何かの困難であったかは定かではありませんがパウロにとっては痛みを伴うものでありました。
パウロはそれを「思い上がることのないように」与えられたものと語っており、そのことを受け入れているように見えますが、その後すぐに三度、神様にそのとげが消え去るように願ったとあります。受け入れようとする心と可能ならばそれが離れ去り自由に楽になりたいという心がぶつかり合っています。分かっているけど辛いんだ、もっとより良くなりたいんだと願う気持ちがあります。そう願う聖パウロに神様はこう答えます。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と。

厳しい言葉のように聞こえますが、今の私には大きな慰めです。思うようにならない現実の中でジタバタとしているときには周りが見えず、何も気づかずにいるけども、ゆっくりと自分を見つめ、そして、周りを見渡すとき、そこにはそのときに必要な支えが与えられていることに気づきます。自分の思い描いた通りにいかず、無力感を感じることがあってもそこに支えがある。何の問題もなく満ち足りているときには見えないものが見えてきます。これまでの自分の生きてきた道を振り返るとそこには多くの支え、助けがあったこと、そして、今も種々の支え、助けを受けている事に気づかされます。自分の思い通りにいかず、足止めを食うこと、遠回りしなければならない状況に置かれることがあっても、きっとそこには何か意味があり、そして、そこで必要な支えがあることを信じて歩んでいくことを大事にしたいと思いますし、そのことを本学院の生徒たちにお伝えしたいと思います。感謝の心があるところには必ず新たな道が示され、開かれていく。そして、同じような痛みを持つ人々の気持ちに寄り添うことができる。

三年間本当に有り難う御座いました。立教英国学院での三年間の経験はこれからの自分の人生においても大きな糧となりました。本学院を今春卒業する卒業生、そして、在学する生徒、教員の方々、関係者一人一人の上に神様の祝福がありますように心よりお祈りしています。

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私は、立教英国学院に入学するのが嫌でした。なぜなら、家族と離れて暮らしたり、会ったことがない人たちと過ごしたりするのが、不安だったからです。どうしたら行かなくてすむだろう、そう思う毎日でした。そんな自分に、たくさんの出会いが待っているんだ、と言い聞かせて、少しでも前向きな気持ちでイギリスへ来ることができるように努力しました。
そして、とうとう入学式の日が来てしまいました。私は、立教生になるんだ、頑張ろうと考えてここへ来ましたが、親と離れたときは、不安で、さびしくなりました。でも、そんな私が無事に立教での生活を始めることができたのは、同じドミトリーの先輩たちのおかげでした。優しく迎えてくれたので、とても安心することができました。

毎週金曜日の午後に行われるフライデースポーツは、私の好きな時間でした。立教に入学する前に頑張って取り組んでいたバドミントンで、体を動かすとすっきりしました。フライデースポーツは、いろいろな学年の人たちと対戦できるところも楽しかったです。今まで話したことのない人とも関わることができたのでとてもよかったです。

私は、五年生の初めから、六年生の一学期まで、ずっと学年一人で生活してきました。でも、今年の二学期、同級生が初めてできました。小学生の女子も三人に増えて、とても嬉しかったです。毎日が楽しくなりました。
私が過ごした立教の二年間で一番楽しかった思い出は、今年のオープンデーです。私たちは、クリスマスツリーについて調べて発表しました。新しく増えた仲間も一緒に、クラスのみんなが協力して、お客様賞がもらえたときは本当に嬉しかったです。表彰式に、みんなで舞台の上に立てたことが、とてもいい思い出になりました。

今日まで続けてきた立教での生活の中で、私には今までずっと好きになれなかったことがあります。それは、ロッカーの整理整頓とドミトリー替えです。自分の荷物は自分で整理しないと、毎日の学習にも生活にも困ったことが起きます。せっかく慣れてきた部屋を離れて、学期の途中に大きな荷物を持って移動することも、大変なことでした。でも、二年間それを続けてきて、どうしたらきれいになるか、使いやすくなるかを考えること、自分のことは自分で責任をもつことができるようになりました。
その他にも、この立教に来てできるようになったことはたくさんあります。
ECや英語の授業、フィールドワーク、プライベートレッスンなどで、前よりも英語ができるようになりました。トランペットも吹けるようになりました。ナイフとフォークが使えるようになりました。敬語も使えるようになりました。

私にとって、立教英国学院に来て、一番心強かったのは、一緒に立教に来た姉がいつも近くにいてくれたことです。家族と離れてさびしかったとき、なぐさめてくれました。よく私に会いに来てくれたり、話しに来てくれたりもしました。わたしの大切な味方でした。
そしてそんな姉のような心強い味方が、立教にはたくさんいました。食事のマナーを教えてくれたり、立教での生活のことだけでなく、他にもたくさんの話をしてくれたり、一緒に笑ったり、励ましてくれたりした、立教の先輩たちです。

私は、立教で生活したことは忘れないと思います。日本に行っても、立教で学んで、生活したことを思い出して、これからの生活に生かしていきたいと思います。
最後に、優しく仲良くしてくださった先輩、毎日見守ってくださった先生方、学校で仕事をしてくださっていた全ての皆さん、いつも応援してくれた家族に感謝の気持ちを伝えたいです。今までありがとうございました。

(小学部6年生 女子)

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私が今回のプロジェクトに参加した理由は、バディーとたくさん話して、自分のコミュニケーション能力と英語力を伸ばしたかったからです。 しかし、相手側の都合で私達中学3年生にはバディーがつきませんでした。それでも絶対楽しめるだろうと信じてプログラムに臨みました。

ミレースクールの子達が来て、緊張しながら挨拶。しばらく話す機会はなく、ただ高校生の先輩についていくことしか出来ませんでした。得意なはずの英語も、頭が真っ白になってしまって上手く話せず、すごく悔しかったです。交流も高校生に比べて少なく、関わる回数はそれほど多かったわけではありませんでしたが、その分中学3年生だけで遊んだときにたくさん話しました。

中3だけで遊んだのは3回。1回目は書道で、彼女達の名前を漢字で書いたり、好きな言葉を日本語で書いたりしました。そのときに、自然と英語が出てきてコミュニケーションをとることができました。クラスの男子が漢字を使って一発芸をして、場を和ませてくれて、とても助かりました。ミレーの子も楽しんでくれたようでよかったです。

2回目、3回目はいろいろな遊びをしました。教室でスプラットゲームをしたり、椅子取りゲームをしたり。私達が知らないゲームをするときに、一生懸命説明をしてくれて、私達も理解しようと必死でした。逆に私達が説明しているとき、真剣に聞いて分かろうとしているのが伝わってきて、遊びを計画してよかったなぁと思いました。彼女達がちゃんと私達とコミュニケーションをとろうとしてくれたから、私も頑張って英語で伝えようとできたし、彼女達といっぱい話そうと思えました。共通の話題で笑い合えたこともあって、少しずつ打ち解けることが出来たと思います。

結局中3の交流以外で話したことはあまり無かったけれど、廊下で会ったら少し声をかけたり、笑いかけたり、私なりに成長できたと思います。ミレースクールに行くときは、今回の体験をもとに、もっと積極的に活動したいです。外国人ばかりのなかで自分がどれだけコミュニケーションをとれるのか、頑張ろうと思います。

(中学部3年生 女子)

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この交換留学に参加してよかったと思う。
最初に食事の席で隣だったエミリーと少しだけ話した。何言ってるか分からなくて、回りを見渡してたらスルーされた。英語の出来ない部分がここで改めて分かり悔しかった。
ガーデンハウスから出るとき、個人で少し話した。呼び名の話で、私が「ホンゴー」って呼んでというと「ホンゴポンゴー!」って明るく返してくれて、嬉しかった。
中学3年生全員とミレーの子だけの時間、ゲームをした。ミレーで流行っているスプラッドというゲーム。椅子取りゲーム。最後に腹筋を使うもの、言葉に出来ないやつ。全員で楽しめた。ミレーの子も習字の時より楽しそうだった。
夜、参加している高校1年の先輩と中学3年とミレーの子との交流の時間。ハイスクールミュージカルの映画を見たり、体育館でバレーやバドミントンをした。映画では特に交流はなかったが、質問タイムをつくってくれて、エミリーとモリーの好きな事や家族などを知ることができた。体育館ではチームなどを組んだり、かかわる時間が多かったため、たくさん話せた。その時少しはエリーと仲良くなれたと思う。
着付けの時間。着物を着たことのない私は、ほぼ何も出来なかったが、笑顔でかわいいと言ってあげられた。自分よりも着物の似合うミレーの子に感動した。コモンルームで楽しそうにしているミレーの子達を見て、中学3年の仲間と今年の夏、みんなで着物を着て夏祭りに行く約束をした。
最後の交流である金曜日の夜。高校1年生は模試で中学3年生に任された。最後というのもあり、私達は、参加している生徒だけでなく、他の中学3年生も含め全員で盛り上がれるように考え、体育館でドッヂボールをした。夕飯でモリーが体調不良との事で、他の事も考えたが、みんなで楽しめる方にしてよかったと今は思う。
ちゃんとミレーの子と関わることができるか不安だったが、いろんな交流の時間で少しずつ話せて、とても楽しむ事が出来た。3月、ミレーの学校に通うときは、さらに交流ができるようになりたい。

(中学部3年生 女子)

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私が今回のミレーとのプログラムに参加した理由は英語力の向上が目的でした。
しかしいざ会ってみるとそんな気持ちよりも仲良くなりたいと言う気持ちのほうが上回りました。

今回ミレー側の希望者が四人しかいなかったため私にはバディーはつきませんでした。
最初は不服な私でしたが、しかし接して思ったことはバディーがいないほうがかえっていろんな子としゃべれるということでした。
だから少し物足りない気持ちはあったものの、これはこれで良いのかなとも思いました。

一人の子はすごく明るくて日本のアニメが大好きで、私の持っている進撃の巨人のパーカーを見せるとそのアニメのTシャツを着てきてくれました。
笑顔でおそろいだねといってくれて、言葉が違ってもこんなに嬉しいこともあるんだなと思いました。

正直今までの私の中での英語に対する印象は最悪でした。
それというのも、苦手な英単語は覚えなければならない、英検落ちると悲しいというおもいがあったからです。
そんな印象を少しでも変えることができて良かったと思っています。

(中学部3年生 女子)

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今回の冬休み、僕はいつものように近所の公園でバスケをしていた。しばらくして、友達も来て、全員合わせて4人になった。そして2対2を始めようとしたところで声をかけられた。振り返ると大きい男と、それと同じくらいの身長の男が立っていて、不慣れな日本語で混ぜてくれと言ってきた。3対3が始まった。

楽しかった時間が終わろうという時に、LINEのIDを教えてもらった。次の日、少し話していると、今日は、体育館でバスケをするから来ないかと誘われた。もちろんすぐにオーケーした。

行ってみると、その日は個人開放ではなく団体開放の日だった。おそらく誰でも参加できるタイプのものだったろうが、僕は帰ってしまった。びびってしまったのだ。自分より体の大きい人ばかりで、自分よりうまい人ばかり、そんな輪の中に入って足を引っ張るのが怖くなってしまった。

帰り道の途中、とても悔しかった。冬休み毎日のようにバスケをして、うまくなった感覚をつかんでいた僕は、一般人くらいなら勝てるだろうとタカをくくっていた。

実は、2学期の期末試験も似たような感じだった。タカをくくった挙げ句、ボロボロだった。これらに限らず僕は、先入観や予想だけでなめてかかる傾向にある。2度続けてショックを受けた僕が、どこまで自分を変えられるかこれから挑戦していきたい。

(高等部1年生 男子)

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「チャーリーとチョコレート工場」のミュージカルを中学3年生で観に行きました。英語の劇を観るのは3回目でした。1回目はアラジン、2回目はレ・ミゼラブル、そして3回目が今回でした。イギリスに来て、私はもうすぐ1年になります。最初は英語で注文をすることもできなくて、早く日本に帰りたいという思いでいっぱいでしたが、最近は違います。もっと英語に触れたい、自分の力を伸ばしたいと思うようになりました。気持ちがマイナス思考からプラス思考に変わっているなと思います。だからと言ったら変かもしれませんが、劇の楽しみ方や入り込み方全てが変わってきている気がします。1回目や2回目の時は「どうせ英語で表現されているから私には理解できない。寝よう」と思っていましたが、今回は「自分なりに楽しもう」と思って劇を観ました。そうすると、世界が180度変わったように思えました。気持ちが変わるだけでこんなに違うのかという喜びと、役者さんたちが何と言ったかが以前よりも多く理解できた喜びを、今回のアウティングで発見することができました。この喜びをもっともっと増やしていきたいと思います。他のみんなに比べたらまだまだ天と地くらいに差がありますが、追いつけるように、負けないように、自分のペースで頑張っていこうと思います。ECの授業や英国人との交流の機会を有効に使っていこうと思います。

今回のアウティングは約1年での成長を感じることができました。これから3年間もこの気持ちを忘れずに成長したいと思います。

(中学部3年 女子)

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本番はやはりすごかった。一番最初のオーヴァチュアから鳥肌が止まらなかった。
以前にも、自分はミュージカルが大好きであるという内容の作文を書いたことがある。高校一年の一学期に「ウィキッド」を見た後に書いた作文だ。なかなか興奮したことを今でも覚えている。だが今回のそれは、ウィキッドには申し訳ないが、前回をはるかに上回るものであった。自分がオペラ座の怪人が大好きだということもあるかもしれない。僕はアウティングの前から、この時をずっと楽しみにしていた。劇団四季のオペラ座の怪人CDで鍛えられた、僕の完全脳内和訳能力。そして百円均一ショップで買った、二セット百円の格安持ち運び用オペラグラス。準備は万端だ。

僕がオペラ座の怪人を知って、一番最初にファントムに抱いた印象は「とてつもなく大きな怪物で、人間らしさはどこにもなく、しかも一人の好きな女性を得るためには手段を選ばず、人をも殺してしまえるような異常さも秘めた怪物。」こんなものだった。ところが僕がロンドンで見たファントムには少し違った感情を抱いた。「かわいそう。」という気持ちだった。生まれてから醜い姿で、誰からも相手にされず気持ち悪がられてきた彼の人生。そんな中突如現れた美しいコーラスガール、クリスティーヌ。彼女に歌を教えて主役級の人間にすることが唯一の光だった。そしてあわよくば彼女と恋人関係になれたら、と願っていた彼の前に現れたクリスティーヌの幼なじみ、ラウル。彼はラウルに嫉妬する。何かをしてあげたから見返りがほしい、という感情が少しでも湧くのは仕方のないことだ。本当は自分のほうを向いてほしかった、ただそれだけだったのに。それを急に他人が横取りをして、クリスティーヌも歌がうまくなるだけうまくなって、遠い場所へ行こうとしている。自分の顔が醜いから、みんな自分から離れていく。クリスティーヌも含めて。そんな、どこにぶつけたらいいのかわからない怒りの感情が彼にはあったはずである。ファントムは、僕がいままで抱いてきたイメージの、大きな、誰もが勝つことができない怪物ではなく、実は小さく、弱い心をもった一人の人間だった。

正直、今までの僕の観劇ライフの中においても、今回ほど感動したことはなかった。いつか、家族や友達ともう一度見に行ってこの感動を共有できたらうれしいと思った。

(高等部2年生 男子)

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