winter-essay_sakurazawa

彼らがパスポートとお金だけを持って向かう場所はヨーロッパがほとんど。私は、この冬休みに、とても21世紀とは思えない映像を見た。それは、国々を渡り歩く難民の姿だ。

難民の多くは、シリア人であり、彼らはISによる攻撃や空爆で家や家族を失い、もう住める環境ではなくなってしまったふるさとから死にものぐるいで歩き、泳ぎ、安全な場所を求めて旅に出る。もう2度と戻れない覚悟とともに。さらに彼らは、シリア人というだけで、教育を受けられず、働けず、不平等な扱いを受けることが多い。
私が今回見た映像によると、難民はまず、ギリシャのコス島に夜中渡り、そこからマケドニア、セルビア、ハンガリー、そしてやっとオーストリアに入ることができる。その後は、ドイツやイギリスなど、彼らが選んだ場所にそれぞれ行くそうだ。

しかし、そんな簡単に国を渡ることはできない。まず、渡るためのボートを購入し、着いた場所では難民申請に10日前後、フェリーのチケットを購入するのに10日前後、そして国境まで何日も歩き続ける。
食べるものもなく、寝る場所もなく、路上にテントを張っていると、休暇を楽しむ旅行客がすぐ横を通る。何とも言えぬ不思議で奇妙な光景である。

ハンガリーでは、刑務所のような所に入れられ、3日間食事が抜きだったそうだ。誰もがスムーズに目的地に行けるとは限らない。それでも、彼らは快適・安全を求め歩き続ける。もちろん、途中で亡くなってしまう人も少なくない。たとえ女性でも、子供でも、ケガをしていても、身体が不自由でも、助けて支えてくれる人はいない。全員が自分に精一杯で、助け合うどころか、人を押しのけ、まるで心がすっかり消え去り、ロボットの競争を観ているようだった。

しかし、そんな中で頑張って無邪気に笑っている子供達を観て、私はとても辛くなり、また、私が今までどれだけ小さな事に怖じ気づいていたのかと思った。こんな恐怖と不安の中で、あれだけ小さい子供が頑張っているのに、私がこんなに恵まれている環境で、頑張れない訳がない。いや、頑張らなくてはいけない。そしてもっと沢山のことにチャレンジしてみよう、そう思えた。

そんな小さな子供達の中には、普通の飛行機と戦闘機の見分けがつく子もいた。それだけではない。自分のふるさとで、交差点に金属の棒が刺されて並べられている首を見た子も少なくない。
焼け野原のひどい映像や写真を見る度に、私は今現在この同じ地球にいるのが信じられなかった。そして、この映像や写真を見て、誰が21世紀の世界だと思うか。きっと、こんな21世紀を想像した人はいないだろう。彼らの多くはヨーロッパに来ており、同じ地球どころか、同じ大陸にいるのだ。

私が今書いた事は難民が経験したほんの一部の話だが、私はこれ以上聞きたくないくらい苦しく、辛く、胸がいっぱいになった。
彼らの旅は今も続き、数は増えていく一方だが、私が思うことは、この状況を早く終わらせなくてはいけないということ。難民の受け入れに対し、賛成の人、反対の人、たくさんの意見があると思うが、まずは私たち一人ひとりが関心を持ち、そのことについてじっくりと考える事が必要なのではないか。

このできごとに対し、世界はどう動くのか。誰もが理想としているような、平和で素敵な21世紀になって欲しい。

(高等部1年生 女子)

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昨年の12月、高校3年生の先輩方は、立教を私たちに託して旅立った。先輩がいなくなると同時に私たち高校1年生は上から数えて2番目の学年に上がり、立教を支えていく学年になる。だが、私にはまだ立教を支えていく自信が無い。もう少しで生徒会メンバーや当直、部長などが決まっていく。自分たちの代が中心になる。楽しみで少し怖い。本当に私は後輩に慕われるような先輩になれるのか。ひとつ上の先輩のように、しっかりできるのか。私たちの失敗で行事が変な方向に向いていかないか。

不安はいっぱいある。けれども、楽しみだってたくさんある。ギターコンサートで楽しくやってみたい。朝は弱いけれど、当直をしてみたい。いろんな賞をゲットしたい。いろんな気持ちが私の中で出てきたり、消えたり、大きくなったり小さくなったりしている。

私は、今は不安だが、この立教を支えていってみんなが楽しく過ごせる立教にしたいという気持ちを強く持って、その気持ちを共有できれば、私たちの学年の不思議な団結力でどうにかできるような気がする。次の合唱コンクールで後輩に良いところを見せて、最初の一歩を踏み出したい。さて、みんなに連絡しよう。

(高等部1年生 女子)

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今回の冬休みは三回目のイタリア旅行に行った。特に楽しみにしていたのは、ミラノの最後の晩餐とピサの斜塔とアオスタのスキー場だった。

ミラノの最後の晩餐の飾ってある場所は意外と小さく、美術館ではなく、教会で驚いた、自分の中で、絵は美術館というイメージしかなく、美術館ではない所で絵を見るのは初めてだった。最後の晩餐は教科書で見ただけだったので見て感動した。

次にピサの斜塔に行った。斜塔は北側と南側で高さが70センチ違って、見るだけで、いまにも倒れそうなぐらい傾いていた。斜塔を登ってみると、上に登っているのに下っているような感覚と、登っているのに、どの方向に転ぶのかも分からないような感じたことのない不思議な感覚だった。

最後にスキーをしにアオスタに行った。車で走っていたトンネルを抜けると、渓谷に着いた。360度見回しても、山しかなかった。スキーをしに、スキー場に行くと、雪のかかったマッターホルンとモンブランが見えた。感動した。滑るのをやめてしまうぐらい壮大だった。これを見るとフランスに来たくないと言っていた数年前の自分が馬鹿みたいに思えた。もし、日本にそのままいたら、と考えた。きっと後悔していた。きっとこの景色をテレビの画面だけで満足していた。きっとこんなに世界が楽しいものだったなんて思いもしてなかった。そう強く思った。そう考えながらイタリアという世界に圧倒されていた。

(中学部2年生 男子)

hatdjan161

昨年本校を卒業した畑田さんから、クリスマスカードと一緒にメッセージが届きました。現在慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスで学んでいる畑田さん。立教で培った英語力とバイタリティーを活かして多方面に渡ってご活躍の様子です。以下に頂いたお手紙をご紹介します。

*   *   *   *

主の平安
クリスマスのご挨拶には少し早いですが、学校が開いているうちにお届けしたく、近況の報告も兼ねてお便りしています。
日本も本格的な冬が近づいてきていますが、この時期の英国はもっと寒いでしょうね。先生方におかれましてはお変わりありませんでしょうか?後輩たちも元気で過ごしていますでしょうか?
わたしのFreshman生活も2/3を過ぎようとしていますが、こちらはお陰様で元気にやっております。進学先の慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)での生活は、毎日が新しい発見の連続で、自分の小ささを日々実感しています。同級生も先輩方も皆フットワークが軽く、行動力にあふれている人たちばかりで良い刺激を受けています。思えば中3の夏、立教英国学院への進学を決めたとき、あの決断が無ければ、今こうやってSFCでの生活を充実したものに出来なかったでしょう。初めて海外に一人で渡航する勇気、自立・自律しなければならないこと(SFCにもチャイムはありません。自分の好みに合わせ授業を履修するので、知り合いが一人もいない中課題をこなすことも多々あります)、様々なバックグラウンドを持つ同輩たちとの交わりやそれによって広がる視野……。どれも立教での生活で得たものです。今はそれに加えて、世界で活躍する方々に直接自分のプロジェクトをプレゼンできるような機会などもたくさん頂いています。また、在学中には当直や聖歌指導など務めさせて頂き、表彰もしていただきましたが、学校の中心軸になって働くことは、今でも続けています。SFCには2つのお祭りがありますが、その内の一つ、周辺地域の皆様と一緒に作る七夕祭の実行委員をやらせて頂いています。これらも立教で頑張って活動し、それを先生方に認めて頂けた経験があったからこそです。
このように、今のわたしが主体的に活動していけるのは、立教の環境と、たくさん相談に乗って下さり応援して下さった先生方のお蔭です。これからの世の中で “本当の意味での”グローバルな人材の需要は高まってきます。そして立教は、そういう人たちを輩出する教育機関として、先頭を切ってゆけると思います。ここには素晴らしい力と心を持つ後輩たちがたくさんいます。彼らがのびのびと、活き活きと、世界で活躍できる人材へと成長してゆけるよう、先生方には温かく見守り、導いて下さればと思います。
だらだらと中身の薄いことを書いてしまいました。来年の秋を目処に、英国に、また立教に伺えればと思います。先生方や後輩たちに会えるのを楽しみにしております。それまでどうぞ、お元気で。

Merry Christmas & Happy New Year.

02.12.2015
37期生 畑田

centereng2015jan

立教では毎年恒例になっているセンター英語試験ですが、今回も本番同様80分、時間を計り全校で取り組みました。

小学生から高校生、さらには教員も問題を解きましたが、集中して問題を解いていると80分はあっという間。試験終了を告げると生徒からは
「時間が足りなかった。」
という声がちらほら。
「今回受験している先輩は大変だな。」
と先輩のことを考える生徒もいれば、
「次は自分の番かと思うと緊張するな。」
と、自分自身の受験を意識している生徒も多く見られました。前年度の点数と今年度分の点数が結果に記載されているので、一年間でどれだけ点数が伸びたかがわかります。成績優秀者は点数と順位が掲示されるので生徒は結果が知らされるまでそわそわしている様子。今年の生徒の最高得点は195点となりましたが、それぞれが今回の結果を踏まえて、さらなる英語力アップのために努めてほしいと思います。

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今日は一月二日。私は初詣に出かけた。人が混み合っている中での参拝は大変だが、神前で二礼二拍手一礼して気分一新するのは悪くない。毎年お賽銭もつい多めに放り込んでしまう。

「お賽銭」この言葉を聞いて私は一つ疑問に思ったことがある。それは何故お賽銭は投げるのか、ということだ。誰でも小さい頃からお金の扱いにはきびしく注意されてきたはずだ。私はそう思い、「なぜ日本人は賽銭を投げるのか一民俗信仰を読み解く」という少し宗教的だが、私たちの身の回りの慣習を民俗学という学問を通して考察してあるという本を読んでみた。

この本によると、お金が人の身代わりとして「ケガレ」を引き取る風習が残っているという。お金はケガレの吸引装置という事になり、神社は「ケガレ」の浄化装置であるという。賽銭を投げ入れる行為は、「ケガレ」がまとわりついた貨幣を投げ捨て、それを祓い清めるという意味があるらしい。

自分達が教えられたお金教育の次元とは全く違う儀式的行為の世界。貨幣の本質的部分に死の「ケガレ」を内在させているから、これがお賽銭を何故投げて入れるのかという理由だとこの本の作者は言う。意味を知ってやるのと意味を知らないでやるのはずいぶん違うだろう。特に宗教という物にはあまり興味の無かった私だが、ふと自分が感じた小さな疑問がその「宗教」という物とつながっていて、皆が皆、同じ考えをしているのではなく、その宗教ではこの考え方、というように一つの物事に関して色々な考え方があるということに私は少し面白いなと感じた。

(中学部2年生 女子)

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冬休みの思い出は初めてバスツアーに3回も行ったことです。最初はサンタトレインに乗った後にウィンチェスターに行くツアーでした。サンタトレインに乗る駅までバスで移動しながら「どうなるのかな。」と楽しみにしていました。そしたらガイドさんが私たちのところにサンタトレインのサンタさんが来ると言うのです。ぼくはますますドキドキわくわくしました。でも少し不安になる所がありました。名前と年齢を言わないといけないらしいのです。緊張してガチガチにならないか不安でした。そうしたらいつのまにかサンタトレインに乗る駅に着いていました。そしてバスから降りて、トイレに行った後汽車に乗りました。そしてドキドキしながら待っていると前の車両から「メリークリスマス。」という声が聞こえました。気がつけばいつのまにかサンタさんが目の前に現れました。無事に質問に答えられプレゼントをもらいました。とてもうれしかったです。

その後バスでウィンチェスターへ向かいました。ウィンチェスターは立教でも一回行ったことがあるので、お母さんを案内してあげました。そこでぼくのおすすめでお母さんはチョコクレープを食べました。お母さんもおいしいと言ってくれました。サンタさんに会えたすてきなクリスマスでした。次はストーンヘンジとバースに行くバスツアーでした。ストーンヘンジまでものすごく時間がかかりました。とても長くてたいくつでした。そしていよいよ着きました。しかも外に出るととても寒かったです。凍りそうな天気でした。ストーンヘンジは紀元前に廃墟になっていたという話を聞いたことがあります。風は強く雨ははげしかったです。そのせいで歩くのが大変でした。でもストーンヘンジを見られてとてもよかったです。ものすごい雨だったので次に行く場所、バースもちゃんと見られるか心配でした。

私たちはバースミュージアムに行きました。とても有名な大浴場がありました。なんとその水が飲める場所があって、飲んでみたら血の味がしておいしいのかおいしくないのか全くわかりませんでした。ぼくにはあんまり口に合わなかったです。そして2回目のバスツアーも無事に終わりました。

最後のバスツアーは、バーフォード・バイブリー・ボートソオンザウォーター・ブロードウェイという小さな所です。全てコッツウォルズに入っていてとても自然ゆたかな場所です。ぼくも見た時ものすごく感動しました。一番感動したところは「バイブリー」でした。ものすごく気持ちよくて空気もおいしかったです。昔の感じがしました。

初めてイギリスでのツアー。とても楽しかったです。ツアーを通してイギリスってこんな広いんだと感じました。また行きたいです。

(小学部5年生 男子)

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1月10日(日)、立教英国学院では3学期の始業礼拝がおこなわれました。

立教英国学院では高校3年生は受験のため3学期初めには学校に帰ってきません。そのため、高校2年生が最高学年として学校を引っ張っていくことになります。始業礼拝の際に、十字架とトーチをもって教員たちを先導するのも、新しく任命された高校2年生の生徒たちです。
また、今学期は生徒会選挙も行われ、高校1年生のなかからも生徒の代表としての責任を担う者たちが現れ始めます。
学校が、来年度、どのような姿で新入生を迎えていくのかを決める大切な学期ともいえるでしょう。

そんな3学期の始業礼拝には、立教大学の吉岡知哉総長が参列してくださいました。
吉岡総長は式辞のなかで、
「勝つことを目指して生きることは、他の人と出会うときに、その人をどう負けさせるかという目で見ることであり、それは他人を手段として扱うことである。そのような生き方をするものは自分自身をも手段として扱うようになってしまう。」
と、勝つことにこだわる生き方に対する批判的な視点を示してくださいました。
そして、
「現代社会で大切なのは、人を手段として扱う生き方ではなく、自己と他者を尊重して生きる生き方であり、毎日仲間達と生活を共にする立教英国学院で求められているのは、そのような生き方である。だからこそ、立教英国学院の生徒であることに誇りをもって、毎日を送ってほしい。」
と、生徒たちにメッセージを送ってくださいました。
立教英国学院での生活をまた新たな気持ちではじめるための、とても大切な言葉をいただいたと思います。

今学期は短い期間ですが、かるた大会や合唱コンクールといった行事も盛りだくさんです。
健康に気をつけながら、充実した学期を過ごしていきたいと思います

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冬休みというと年越しを挟んだ休みとなる。正月は毎年親戚が家に集まって過ごすのだが今年はそれだけではなかった。近所の神社のご奉仕に参加したのである。

三箇日の三日間、私は御礼場といって御礼や御守り、縁起物などを頒布するご奉仕をした。一言で言うと疲れるし忙しい。初日である一月一日なんかは、慣れていないこともあって、やめたくて仕方なかった。

たくさんの人とふれあうというのは私の想像以上に大変だった。初日は余裕がなくて気にしていなかったが、訪れて来る人はあたりまえだが様々な人がいた。ほとんど話さず、早く帰りたがる人、楽しそうに御守りを見ている人、笑顔であいさつしてくれる人、なぜだか偉そうな態度の人など、それは様々であった。やはり相手が笑顔だとうれしくなるものである。威張っている人だと、なんだこの人はと思っていた。お客様でも神様じゃないのだぞ。神様はここ(神社)にいるんだぞ。と、どこかで聞いたことを心の中で言っていたのだった。

そんなこんなでご奉仕を終え、普段の生活に戻った私はすぐに本屋に行った。買う本は予め決めていたのでレジカウンターへすぐに向かった。
「ブックカバーをお付けしますか。」
「こちらの本はキャンペーンの対象ですが・・・。」
とか何とか色々店員が聞いてくるのをうっとうしく感じながら首を縦や横に振ってお金を払い、さっさと店から出て家に帰った。

本屋からの帰り道に思った。私の態度はひどいものだった。私が店員をやっていて、私のような客が来たら、確実に嫌に思うだろうな、と考えた。なぜ今まで身近で働いている人に気を配れなかったのだろう。ああ、これは後悔というやつだ。いくら嘆いてもしかたない。これからは、気を配れるようにしよう。忘れてしまってはいけない。だからここに書いておく。

(高等部1年生 男子)

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時間、それは、人間が人間らしく、豊かに生きることを可能にしてくれる、人生というものの、原料であると思いました。

私が、今回読んだ「モモ」は、年齢もどこからやって来たのかもわからない、不思議な才能を持った女の子が、人々から時間を盗んで生きている集団、灰色の男たちから、大人たちの盗まれた時間を、愛と勇気の力で取り戻すお話でした。

私が、この本を読んで感動したのは、女の子が時間をつかさどる人物に会い、時間そのものについて考え、出した答でした。「さわることはできない。つかまえられもしない。時間とは、一種の音楽でいつもひびいているものなのよ。とおくから聞こえてくるけれど、心のふかいところでひびきあっているものなのよ。」

私はこの四文で、今まで心の中で靄の様に漂っていた時間というものの答が、明確になったような気がしました。と同時に、現代の時間と戦いながら生きる社会に生まれた私たちは、本当の意味での時間というものがどれだけ素晴らしいか、気づかないで過ごしている人が、実はとても多いのではないかと思いました。

立教は、確かに朝の準備は二十分しかなくて、夜は遅いときもあり、時間があまりないと思っていたけれど、自然豊かな英国という地に囲まれて生きることができるのは、同じ時間の中で、とても良い人生の一部と将来なるのだろうと思いました。また、人生で大事なことは、なにかで成功することでも、たくさんのものや、権利を握りしめることでもなく、生きることのほんとうの素晴らしさを考え、素直な心で人生という道を見て、真っすぐに歩んでいくことだと、本書を通じて、学ぶことができました。そして、本というものは、人生を豊かにしてくれるスパイスだと思いました。

(中学部1年生 女子)

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