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1月23日の土曜日に全校百人一首大会が行われた。私は、百人一首など少しも興味がなく3学期になってクラスの自習の時間で練習を始めた時は正直、面倒くさかった。

でも1〜10の札を覚えて百枚の札を並べて練習を始めると目をつけていた1〜10の札だけでもとれて、だんだん楽しくなってきた。

「あしびきの」–「長々し夜を」、「田子の浦に」–「富士の高嶺に」、「奥山に」–「声聞く時ぞ」、「かささぎの」–「白きを見れば」、「天つ風」–「乙女の姿」の5句を覚えて残りは軽く覚えて大会にのぞんだ。メンバーは、高等部2年の1組二人、高等部1年の1組二人、中学部3年生が二人と中学部一年の私で計七人だった。

私は、自分が完全に覚えていた5句の場所を探して、自分なりの集中をした。

そして、40枚の札が読み終わった時。私が持っていた札は5枚だった。「あしびきの」はとられてしまい、「かささぎの」は出なかったが、軽く覚えていた2枚を取って計5枚を取った。

練習する前は面倒くさくて何も覚えていなかった自分がこの場で5枚も取れたことに、少しうれしかった。来年は10枚くらいを目指して覚えていきたい。

(中学部1年生 女子)

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3学期ギター部コンサート〜感動の高2引退コンサート〜

3学期が始まって、早3週間が経ち、立教英国学院は1月30日(土)からブレイク期間に入りました。
2月2日(火)までは、いつもの授業はお休み。
その代わり、アウティング(遠足)があったり生徒会選挙があったり、ちょっぴり特別な期間の幕開けです。

そんなブレイク初日の30日、いつもより1時間ゆっくり起きて、ゆったり過ごす午前中……かと思いきや、何やらホールがにぎやかです。
それもそのはず、今日は学期に1度のギター部コンサートの日だからです。
出演者は朝からリハーサルを行っていました。

開演は午後3時半。
いつも通り軽快なギターの音で始まります。
今回のコンサートは中学3年生と高校1年生の部員にとってはデビューコンサートであり、高校2年生にとっては引退コンサートということもあり、開演時間にはホールにたくさんの生徒が集まっていました。

今日は楽しむぞ!と、気合十分な高校2年生たち。
先学期転入してきたために最初で最後の舞台だった生徒もいれば、中学3年の頃から一心に技術を磨いてきた生徒もいます。
それぞれが思い思いに、好きな音楽を、苦楽を共にした仲間とともに奏でます。

先学期、「来学期は最後だけど、いろいろ忙しいし、出ないでおこうかな…」なんてつぶやいていた生徒も、やっぱり最後は出たいと決意を固めたようで、舞台上では楽しそうに歌っていました。
そんな気持ちの生徒が多かったからでしょうか、今日のコンサートはいつもより出演者が多く、約1時間半続きました。

コンサート終盤、最後のドラムの音が響くとコンサート終了。
「今日は、最後の音を出したくなかった。最後の音を聞きたくなかった。終わってしまうのが寂しかったからです。」
1年間部長を務めた男子の言葉です。

「ここにいる仲間と見てくれている人たち、みんなのおかげでやってこれました。ありがとう。」
部長による最後の挨拶には、この1年間の部活動への思いが詰まっていました。
次のコンサートからは新しい部長が作っていきます。どんなギター部になっていくのか、今から楽しみです。

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冬休みにおばあちゃんの家に行って気づいたことがある。猫の寿命が近い。僕ら家族の予想では、冬は越せないくらいだ。
小さい頃はよくしっぽを引っ張って引っかかれたりしていたが、今ではしっぽを踏んでも怒らない。昔は台所にも飛び乗っていたのに今では椅子にも乗れない。昔は追いかけると走って逃げていったやつが今ではむしろすり寄ってくる。そんな姿を見ていると悲しくなってくる。
ひいおばあちゃんも去年の5月3日に亡くなったのだが、安らかな死に方だったそうだ。自分もいずれそうなることを考えると、今現在やっていることの意味がよく分からなくなってくる。今積み上げているものが全て崩れる瞬間が死のように思えてならない。
死んだあとって何が残るのだろう?と半分冗談で友達と話したことがある。
その時は、家族とか、功績じゃん?と軽く流したのだが、実は違うように思えてきた。と言うよりは、死の定義するものが分からない。
脳死、部位的な壊死、他にも色々な死があると思うが、根本的に死が意味するものは何だろう。僕の持つひとつのイメージとしては機能の停止なのだが、それだけでは説明しきれない特別な意味合いが含まれているような気がする。
例えば、僕は色々なスポーツが好きで、調子が悪いときなどに、これは死んでるわ、などと言ったりする。スポーツをやっている人なら分かるだろう。しかし、この時の死んでいる、というのは、ダメだという意味で、決してどこかの機能が停止している訳ではない。

冬休みや夏休み、色々なことを考えていて考えても分からないことが意外と身近に多いことを知った。辞書的な意味や、一般論はあっても、それがしっくり来るとは限らないといった感じだ。それが分かる日は来るのだろうか。

(高等部1年生 男子)

▪️中学部/高等部 入学試験(日本在住でも受験可)

中学部1年 2016年4月入学〈B日程〉

出願期間:2016年1月29日~2月9日(必着)
選考期日:2016年2月14日
試験会場:立教池袋中学校・高等学校

高等部1年 2016年4月入学〈B日程〉
出願期間:2016年1月29日~2月5日(必着)
選考期日:2016年2月14日
試験会場:立教池袋中学校・高等学校

※募集要項等詳細は当校ウェブサイトの入学入試情報(http://www.rikkyo.co.uk/info/admission.html)をご確認ください。

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いよいよ今学期から私たちは、最高学年となる。はっきり言って想像さえできない。中学2年に立教に入学した時からずっと先輩方にいろいろなことを教えてもらってきた。厳しい時もあり、泣きそうにもなったが、今では感謝している。

先学期の終業式で先輩方が「卒業」することに対し、さびしいと感じた。加えて、今までの先輩方のような、立派な先輩になれるのだろうかという不安があった。その不安は今でもある。後輩に物事を教えたり、注意したりすることは、意外にも疲れるし、大変なものだと学年が上がっていくにつれて分かってきた。見て見ぬふりをする方が楽だったり、自分でやった方が早い場合もたくさんある。それでも、今までの先輩方は指導して下さった。私が後輩の時は、何も分かってはいなかったから、なんでこんなに注意されるのだろうと思ったこともある。しかし、今では先輩からの指導や注意が大切だと分かってきた。もちろん、むやみやたらに注意したりするのはよくないけれど、間違っている場合は注意してもらわないと気づくことさえできなかったと思う。

今までの先輩方のような先輩になれるかどうか分からない。たぶん、最初の方は、無理だと思う。しかし、良い先輩を目指してこれからの立教生活を送っていきたい。

(高等部2年生 女子)

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全校合唱コンクールの準備が本格的にスタートしたのは、3学期が始まってからです。実質2週間ほどの練習期間で各クラスの曲を仕上げなければなりません。生徒会が定めた今年の合唱コンクールの審査基準は、「歌声」「完成度」「表情」「クラスのまとまり」などが総合的に判断されるため、各クラスが知恵を出し合い、工夫をします。
今回、特に高等部2年の両クラスは、間奏にバイオリンやサックスの音色を響かせたり、ソロパートを設けるなど、多くの工夫がなされていました。曲の完成度も非常に高かったように思えました。舞台に上がった時の生徒一人ひとりの表情は真剣そのものであり、中には、本当に笑顔でその時間を楽しんでいるように思えた生徒もいました。
各クラスそれぞれの発表が生徒、教員のこころに響く、とても素晴らしい合唱コンクールになりました。

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大会当日を迎えるにあたり、各クラスでは百人一首の暗唱テストを実施したり、オリジナルシートで実戦形式の練習をしたり、さらに、実際に札を持ってきて本番を想定した練習も行っていました。本校のかるた大会は、全校が縦割りで対戦相手が決まるため、小学部、中学部、高等部の児童・生徒が混ざり合って対戦することも度々あります。特に今回の大会では、小学生が高校生に善戦するという活躍も見られ、健闘している生徒が多かったように思えました。

高校2年生は、過去に何度もかるた大会を経験している生徒もおり、決まり字による素早い反応を見せ、下級生を圧倒している場面も数多くありました。大会が終わった後の表情や、感想はそれぞれでした。努力の結果が獲得枚数に表れた生徒、練習でうまくいっていたのに記録が伸びなかった生徒、自分の想像以上に獲得できて喜んでいた生徒。最も喜ばしかったのは、来年の大会に向け目標を持った生徒がいたことです。今から、着実に努力をしていけばたくさんの句が覚えられるし、きっと目標も達成することができるでしょう。来年の大会も楽しみです。

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目を奪われた。
幼い頃に憧れていたような、キラキラしていて、回ると花が咲いたような衣装に身を包み、しなやかに、華麗に。視線のすぐ下で奏でられている音に合わせて踊るように。

待ち続けた、暖かで、光に包まれていたクリスマスが終わり、少しだけ寂しさを感じていた、そんな時に、イギリスに住んでいて初めてロイヤルバレエ団のくるみ割り人形を観に行った。ちゃんとしたバレエなど見たことがなかったため、どんなものかも正直分かっていなかった。楽しみにしていた、といったら大げさだと言えるくらいだった。姉が大好きなミュージカルは、付き添って何度も観に行っていたので、そんな感じかなと思っていた。しかし、「バレエはミュージカルと違って歌もないし、セリフもないのよ」と言われた時は「それって面白いのかな」なんて思った。要は無知ゆえに、あまり期待はしていなかったのだ。

ロイヤルオペラハウスに入ると、まずは荷物チェックをされた。目に入るのは、ホールに入る前から続く綺麗な装飾。世界屈指のバレエ団ということは知っていたから、きっとすごいんだろう、そんなペラペラな紙みたいな感情だけど、期待は高まった。
ホールが開場した。母と姉と口を合わせるように「わぁ。」とその綺麗な内装に声がもれ、重厚さを肌で受け取った。歴史の重みだろうか。さらに期待が高まり、ワクワクして席に着くと、金の装飾がなされた、大きな、重そうな赤いカーテンが揚がった。
何層にも降りていた幕が、物語に合わせて揚がる度引き込まれていった。体も気づいたら少しずつ前のめりになっていた。夢に見たようなクリスマスの景色が広がる舞台に、次から次へ出てくるバレリーナ達。一人ひとりが、お姫様のようだった。

物語が、ヒロイン、クララの夢の世界へと入っていった。クララの夢の中のお菓子の国でいろいろなお菓子の踊りが始まり、その一つ一つが終わる度に起こる拍手。自然と私も大きく手を叩いていた。めくるめく繰り広げられる、その美しい物語の虜となっていた。物語に一度も言葉はなかったけれど、私はすっかり物語の中に入り込んでいた。

最後の金平糖の踊りの舞は、バレエをよく知らない私の目にも格別に思えた。大きな舞台に一人のバレリーナ。存在感も格別だった。キラキラと輝く舞台にキラキラと輝く衣装に身を包み、華麗に踊る、優雅な姿。綺麗だった。

やがてクララは目を覚まし、私もゆっくり現実へ戻っていく感じがした。大きな赤いカーテンが下りた。

「もう行くよ、ほら、早く。」そう母に言われるまで立つことを忘れていた。そこに言葉はなかったけれど、夢を見ているようだった。

(高等部2年生 女子)

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彼らがパスポートとお金だけを持って向かう場所はヨーロッパがほとんど。私は、この冬休みに、とても21世紀とは思えない映像を見た。それは、国々を渡り歩く難民の姿だ。

難民の多くは、シリア人であり、彼らはISによる攻撃や空爆で家や家族を失い、もう住める環境ではなくなってしまったふるさとから死にものぐるいで歩き、泳ぎ、安全な場所を求めて旅に出る。もう2度と戻れない覚悟とともに。さらに彼らは、シリア人というだけで、教育を受けられず、働けず、不平等な扱いを受けることが多い。
私が今回見た映像によると、難民はまず、ギリシャのコス島に夜中渡り、そこからマケドニア、セルビア、ハンガリー、そしてやっとオーストリアに入ることができる。その後は、ドイツやイギリスなど、彼らが選んだ場所にそれぞれ行くそうだ。

しかし、そんな簡単に国を渡ることはできない。まず、渡るためのボートを購入し、着いた場所では難民申請に10日前後、フェリーのチケットを購入するのに10日前後、そして国境まで何日も歩き続ける。
食べるものもなく、寝る場所もなく、路上にテントを張っていると、休暇を楽しむ旅行客がすぐ横を通る。何とも言えぬ不思議で奇妙な光景である。

ハンガリーでは、刑務所のような所に入れられ、3日間食事が抜きだったそうだ。誰もがスムーズに目的地に行けるとは限らない。それでも、彼らは快適・安全を求め歩き続ける。もちろん、途中で亡くなってしまう人も少なくない。たとえ女性でも、子供でも、ケガをしていても、身体が不自由でも、助けて支えてくれる人はいない。全員が自分に精一杯で、助け合うどころか、人を押しのけ、まるで心がすっかり消え去り、ロボットの競争を観ているようだった。

しかし、そんな中で頑張って無邪気に笑っている子供達を観て、私はとても辛くなり、また、私が今までどれだけ小さな事に怖じ気づいていたのかと思った。こんな恐怖と不安の中で、あれだけ小さい子供が頑張っているのに、私がこんなに恵まれている環境で、頑張れない訳がない。いや、頑張らなくてはいけない。そしてもっと沢山のことにチャレンジしてみよう、そう思えた。

そんな小さな子供達の中には、普通の飛行機と戦闘機の見分けがつく子もいた。それだけではない。自分のふるさとで、交差点に金属の棒が刺されて並べられている首を見た子も少なくない。
焼け野原のひどい映像や写真を見る度に、私は今現在この同じ地球にいるのが信じられなかった。そして、この映像や写真を見て、誰が21世紀の世界だと思うか。きっと、こんな21世紀を想像した人はいないだろう。彼らの多くはヨーロッパに来ており、同じ地球どころか、同じ大陸にいるのだ。

私が今書いた事は難民が経験したほんの一部の話だが、私はこれ以上聞きたくないくらい苦しく、辛く、胸がいっぱいになった。
彼らの旅は今も続き、数は増えていく一方だが、私が思うことは、この状況を早く終わらせなくてはいけないということ。難民の受け入れに対し、賛成の人、反対の人、たくさんの意見があると思うが、まずは私たち一人ひとりが関心を持ち、そのことについてじっくりと考える事が必要なのではないか。

このできごとに対し、世界はどう動くのか。誰もが理想としているような、平和で素敵な21世紀になって欲しい。

(高等部1年生 女子)

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昨年の12月、高校3年生の先輩方は、立教を私たちに託して旅立った。先輩がいなくなると同時に私たち高校1年生は上から数えて2番目の学年に上がり、立教を支えていく学年になる。だが、私にはまだ立教を支えていく自信が無い。もう少しで生徒会メンバーや当直、部長などが決まっていく。自分たちの代が中心になる。楽しみで少し怖い。本当に私は後輩に慕われるような先輩になれるのか。ひとつ上の先輩のように、しっかりできるのか。私たちの失敗で行事が変な方向に向いていかないか。

不安はいっぱいある。けれども、楽しみだってたくさんある。ギターコンサートで楽しくやってみたい。朝は弱いけれど、当直をしてみたい。いろんな賞をゲットしたい。いろんな気持ちが私の中で出てきたり、消えたり、大きくなったり小さくなったりしている。

私は、今は不安だが、この立教を支えていってみんなが楽しく過ごせる立教にしたいという気持ちを強く持って、その気持ちを共有できれば、私たちの学年の不思議な団結力でどうにかできるような気がする。次の合唱コンクールで後輩に良いところを見せて、最初の一歩を踏み出したい。さて、みんなに連絡しよう。

(高等部1年生 女子)

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