光陰矢の如し。高校一年で入学した私も、もう高校三年である。来る受験に向けての受験勉強の合間、一瞬勉強から距離を置けるのがオープンデイ準備期間である。

補習後、準備ができたのは僅か二日間。その間、如何に高校三年生として良いものを創るかという事が重要であった。私は古本を販売する事になった。自ら望んだ役職では無かったが、自分なりの最善を尽くす事を目標に、本の分類、内装の飾りつけ、掃除、模型製作など、前年までとほとんど変わらない事を、前年よりもより熱意を持って行った。高校三年ともなると、生徒同士の関わりは三年にも及び、互いの主張や意見、考え方も理解できるようになり、協調性が生まれ、また対立する意見の表面化を、中庸の考え方を出す事により、防ぐことが出来るようになっていた。この事には皆気付いていただろうと思う。

なんの障壁も無く、無事にオープンデイを迎える事の出来た私達だが、本番になると流石に皆緊張を隠し切れない様子であった。客が来ないと、二日間の努力は、完全にとは言わないが、水の泡となってしまう。今年は霧という生憎の天候故に、客は少ないだろうと考えている私を、私は見出した。

ところが、私の予想は良い方向に裏切られた。客足は途絶える事は無かった。それは閉店時間を三十分延長せざるを得なかった事にも表れている。何とも形容し難い、達成感のようなものを感じた。

高校三年生はオープンデイにおいては、あまりアクティヴに活動する事もなく、しばしば「縁の下の力持ち」と形容される。それは確かに事実であるが、今回のオープンデイは私がその言葉に持っていた印象を変える事となった。たとえ脇役であっても満足感と達成感は、主役と同程度、いやもっと大きいものであると思った。そういった意味でも、今回のオープンデイはとても有意義であった。

(高等部3年生 男子)

六日間という長いようで短かった補習を終え、高校三年生は我々にとって、最後のオープンデイの準備を開始した。お互いがお互いのことをよく分かっているためか、準備は手際よく進み、特に大きな問題もなく、完成へと向かっていった。ここでいう完成、高校一年生、二年生のころは、自分のクラスの展示が出来上がることを完成と呼んでいた。だが、お客さまが喜んでくれる顔を見ることが、今年の完成なのだ。

当日、昨年とは違い、天気にも恵まれた最後のオープンデイ。今までとは違い、今年は一日中働きっぱなしだった。私は食べものをつくる仕事だった。自分たちがつくったものを食べてくれる喜び、そしておいしいと笑顔になってくれるお客さまを見ているとき、私たちの作品が完成したんだなと感じる。

今年、高校三年生として我々ができることは、一人でも多くのお客さまに笑顔になっていただくことや、立教生は親切で礼儀正しいと思ってもらうこと、そしてまた来年も来たいと思ってもらうことだと思う。我々にとってのラスト・オープンデイ。お客さまも楽しんでくれたし、我々も楽しめたと思う。今までで、一番短い一日だった。

(高等部3年生 男子)

2015T5essay_okusako

あの日もこんな朝だったのだろうか。
晴れ渡る空の下、そこは静けさに包まれていた。

今年の八月六日の広島。「70年は草木も生えない」と言われながら復興を遂げた街に、平和な世界を願う老若男女、すべての人々の祈りが広がった。

あの閃光、惨状は70年経った今でも体験した人々の中に深く刻み込まれている。忘れたことなど一度もない。

「広島をまどうてくれ。」

これは広島弁で「広島を元通りにしてほしい」という意味だ。あの日からずっと被爆者が訴え続けている悲痛な心の叫び。
あの時失われたのは人間だけではない。建物、自然、動物、人々の思い出や夢までも奪った。
70年前の広島は廃墟と化していた。人々は深い悲しみや絶望、苦しみの渦中にいた。

そんな街を、人々を勇気付けたのは一体何だったのだろうか。
それは、戦前から市民の足となっていた広島電鉄の路面電車、通称「ひろでん」だった。
当時、男性が戦地へ赴いていたため運転士をしていたのは女学校の生徒達だった。原爆投下の朝も通常運行していた。しかし、一瞬にして電車諸共消えてしまった。だが、爆心地に近いところを通っていたはずの三両が残っていた。奇跡だった。
三日後の八月九日。女学生らは考え、悩んだ末に電車を復旧、運行させたのだ。自分たちも被爆し、包帯をまいた体で、ただただ市民に勇気を与え、復興へと歩んでいくために。
その思いに胸を打たれた人々は一日でも早い復興を目指し、後遺症や偏見、差別に苦しみながらも生き抜いたのだ。

そんな街は1980年、全国10番目の政令指定都市となり、五年後の戦後40年の時には人口が100万人を突破した。今や日本の主要工業都市となり、全国10番目の人口を抱える程の大都市となったのだ。
南は美しい瀬戸内海に、北部・西部・東部は丘陵地帯に囲まれた自然豊かな広島を取り戻したのだ。
この場所で育った戦争を知らない世代は、「命と平和」について多くの事を学んできた。

だから私達は誓う。

被爆者の願いを未来へと繋ぎ、命を、今を大切に精一杯生きる。同じ思いを私達の子どもが味わうことのない世界を造ることを。

(高等部3年生 女子)

openday_fujiwara

今年のオープンデイにも、父と母は来てくれた。両親が立教に来るのは年一回で、その時がオープンデイだ。

今回は、妹に
「ママ来てるよ。」
と言われ、会いに行くと、母は涙目だった。私まで目がジワジワして鼻がツンとした。その母の涙はうれし泣きなのか、悲し泣きなのか、感動した涙なのか分からない。妹を小学生のうちから寮にいれて後悔したが、妹が元気にしている姿を見たり、私が日本でしてきたことを捨てて、この学校に来たという決断に、不安があったが私を見て安心したのかな、と思う。それとも、いつも父が仕事の時は家で一人で寂しいから、私たちに会えて嬉しかったのかなと思う。

母を見て、私はこのまま一緒に帰りたいと思ったが、愛してくれているんだと思ってうれしかったし、今以上に妹の面倒を見たり、勉強も生活も人づきあいも頑張らなくてはと思った。

父は、恥ずかしいのをよく隠すので、会った時は「元気か?」としか聞いてこなかったけれど、すっごい笑顔だった。私が食堂でお客様を接待しているのにもかかわらず、私のチーズケーキを買うわけでもなく、会いに来てくれた。毎回長時間居座っていて、少し迷惑だったけれど、嬉しかった。

私も父に性格が似ていて、言葉で伝えるのは苦手だけれど、父のおかげでこの学校で充実した日々を過ごせているので、感謝しなくてはいけないと思う。だから私も人を大切にして愛したり、もっとこの学校で習得したり、結果を残したりしたいと思う。

(高等部3年生 女子)

2015T2_end

長い長い2学期が終わった。
立教最大のイベントであるオープンデイが終了したと思った途端に期末試験モードに入り、勉強に集中していたらあっという間に12月、いつの間にか期末試験も終了、クリスマスコンサートやキャロリングも既に夢のような思い出になり、この日は第2学期終業礼拝。

立教の第2学期終業礼拝は他の学校とは少し違う。高校3年生はよくこの終業礼拝を「卒業式」と呼ぶ。年明けの大学受験に向けて3学期は日本で過ごす為、もうイギリスには戻ってこない高3生にとってはまさに今日が「最後」の日だ。

部活動の後輩、食事の席で隣になった後輩、委員会や係の後輩、色々なところで高校3年生にお世話になった生徒たちが赤ネクタイの高校3年生を見送る。来学期はもうもどってこない先輩たちのことを思うと自然涙が溢れる。
学校を去る高校3年生たちも、人生の大きな岐路を目前に控えて緊張の日々をこれから日本で迎えるわけだが、兄弟のような仲間と毎日を過ごした立教生活もこの日で終わり。明日からはたった一人の受験勉強が始まる。これまでここで鍛えた根性と集中力、そして先生方や後輩たちとの沢山の思い出を胸に頑張って欲しい。

終業礼拝ではこれまで3年間お世話になった担任の先生方からはなむけの言葉があった。走馬灯のように次々と蘇る思い出に、「今日は絶対泣かない!」と宣言していた男子生徒達だって涙をじっと堪えていた。
高校3年生の為に用意されたスペシャルディナー、ランチョンが終わるといよいよ帰宅が始まる。1年で一番ドラマチックな帰宅日だ。インターネットでいつでも連絡が取れる時代にはなったが、目の前で微笑んでくれる友達との別れはやはり辛い。先輩達を見送る後輩達は勿論、一足先に帰宅する高3生同士でも涙のお別れになる。ヒースロー空港行きの3台の大型コーチが出発する頃には雨を含んだ強い風が吹くあいにくの天気となったが、出発の時間が15分も遅れるほど別れを惜しんだ。何度も何度も握手をして、声を掛け合って、また会おうねと約束してコーチに乗り込んだ。思い切り手を振って見送る小学生、頑張れよ!と優しい笑顔で見送る先生方、それぞれの車でこの後帰宅する国内生徒、みんなが見送る中、3台のコーチが次々と校門を出て行った。
急にひっそりと静まり返ったキャンパスには高校3年生が飾り付けをしたクリスマスツリーが静かに輝いていた。

立教に入学して一年と一学期が経った。きっと、去年の今日は、テストが終わり、赤点が無いことに安心して早速着替えてスポーツをしていたと思う。そしてこれから迎える夏休みに心を弾ませていたと思う。テスト後も勉強を続けている先輩はすごいなぁと思っていた。

一年経った今でも、正直、先生に今日はスポーツをしてもいいよ、なんて言われたら、真っ先にしていると思う。下級生が遊んだ水風船のゴミが、ゴミ箱に入っているのを見て、いいなと思ってしまった。そんな私でも、教室に戻ると、危機感を感じる。私もやらなきゃ!

この学校への入学が決まった頃、私は立教英国学院のホームページを暇さえあれば見ていた。立教の一日の生活を見た時のあの驚きを今でも覚えている。
「勉強ばっかやん!」
と母に私はうったえた。その時私はそのスケジュールが、間違っていてほしいと願っていた。

しかし、この学校に来てみると、間違っていなかった。去年は、他の高校2年生はGCSEの本試験に向けて必死で、みんなの集中力は高かった。そんなみんなに比べて、部活一筋で、高校にも推薦で入って、こんな毎日毎日夜中まで勉強したことが無かった私は、全く集中力が低かった。机に向かって長時間座ってイライラしていた。

でも今では、12時まで続けるのが当たり前になった。こんなふうになったのは、まわりの仲間の影響があったからだと思う。仲間がいなかったら、絶対に勉強できていない。自慢ではないけれど、休み中が良い例だ。これからは、休み中でも一人でできるようにしたい。これができるようになれば、また成長すると思う。毎回の休み前に、「休みに入ったら勉強するぞ!」と意気込むけれど、ダメだった。でも今回は、こんなに勉強するのは一生で最後だといえるくらい頑張りたい。

特に、英語の能力を上げたい。この学校に入った当時はKETのボーダーラインにさえもとどかなかった能力が、一年で二級の一次合格までいけた。みんなと比べれば、富士山の頂上と麓並みの差があるけれど、この夏休みに走って登るくらいの勢いで頑張りたい。

(高等部3年生 女子)

今日はあんまり暑いからブレイク開始を一人徒競走の合図にして誰と競ったのかはよくわからず、チャペルの鍵を借りてそこのグランドピアノで練習したが、全然気が入らない。チャペルの窓の木枠にほおづえついて、ぼーっとしていた。
「今日も夕日はキレイだなぁ。」なんて。
イギリスは今は日が落ちるのが遅いから、もう出番は終わりだと言って遠慮してる空の色に、夕日の柔らかな光がゆっくりと滲んでいた。

窓から下を覗くと、いつもより小さくなった、顔も名前もみんな知ってる人たちが歩いていた。クスクス笑いあったり駆け回ったりして。私も毎日その中を歩いていて悩んだり、泣いたり、笑ったり。ちょっと今日は見ている目線が違うからなのか、そのいつも何往復もしている道に、今までの私の姿が見えるようだった。泣いて、怒って、笑って。たくさんの顔をした私、ここで過ごしてきた私。きっとその時々は前しか、今しか見えてなかったのだろうけど。急にそのたくさんの思いを抱えて歩いているその時その時の私一人一人が愛おしく大事に思えた。私、頑張ってきたんだなぁ。

その中の一人がふと空を見上げたような気がして、私もまた空を見上げた。もうあの空の色はいよいよ「また明日ね。」って消えようとしている。代わりに一日の終わりを皆が寂しくないように優しい夕日の光が広がっていた。
いつか思い出に変わるこの今日はいつ思い出されるのだろう。その時私は何を思うのだろう。その時、どこの窓から覗いているかはまだわからないけれど、今日みたいにきれいな夕日の空があるといい。

チャペルの窓からの景色を目に焼き付けて、私もまたその中の一人へ戻っていった。

(高等部3年生 女子)

高校3年生の1学期が終わろうとしている今、私は大学受験に対する恐怖とあせり、友達に恵まれ毎日が楽しい日々に対する幸せ、このままずっとこのような平和な日々が続けばいいのにという思い、また逆に未来への期待と色々な気持ちで心がいっぱいだ。

大学。それこそが私の今の目標であり夢だ。しかし、夢という響きは良くても、たとえどれだけ自分に自信があっても、時が過ぎていき入試が近づき、目標も明確になっていくほど恐怖は増していくものだ。夢が風船のように一瞬で割れたらどうしよう。やはりこう思ってしまう弱気な瞬間はある。そのせいで正直精神状態も安定していないので、ピリピリと少しの事にも気を取られ、一人涙を流す事もたまにある。

友達。その存在によって、こんなに精神不安定な状態の私は支えられている。私がつらい時にはそっと側に来てくれて「大丈夫」と抱きしめてくれる。私の話を聞いてくれる。私を笑顔にしてくれる。そんな存在だ。だからこそ立教を去るのが怖いのかもしれない。皆と作り上げたこの落ち着く空間が消えるのを想像もしたくないのだ。

未来への期待。これは私にとってどのような事なのであろうか。多分日本に帰っても今の幸せを保ち、新しい幸せ、学びを得ることだ。
これが私の心にある高校3年生1学期終わりの気持だ。

(高等部3年生 女子)

約20年ぶりに訪問しました。今回は初めて家族を連れての訪問です。娘が小5で、ちょうど彼女くらいの年齢の時にここで過ごしたことを想うと感無量です。あれから40年近くが経ちましたが、ここで過ごした想い出は今でも懐かしく思い出します。
あまりに立派になっていてびっくりしましたが、本館やロッジが昔のままでうれしかったです。

私は今学期のハーフタームに初めてホームステイをしました。ステイ先のホストファミリーはおばあさん1人でした。息子さんが日本人の女性と結婚されたことで、日本に興味を持ってくださったようです。

おばあさんはまず家を案内してくれました。綺麗に手入れされた庭のある素敵なお家でした。家には犬もいて、私たちは何度か追いかけっこやボール遊びを一緒にしました。

ホームステイの初日に、夕食で使った食器を私たちが洗うと申し出ると、おばあさんはとても喜んでくださいました。それが嬉しくて私たちはそれから皿洗いをほぼ毎日続けました。

おばあさんは不慣れな私たちの英語を根気づよく理解しようとしてくださいました。また、私たちに色々な話をしてくださいました。息子さんが日本人の女性と結婚することになったきっかけや、亡くなられた旦那さんのこと、娘さんとお孫さんのことなどです。私たちが聞き取れなかったところや、理解できなかったところなどは、何度も繰り返し噛み砕いてわかりやすい言い方に変えるなどして、私たちの手助けをしてくださいました。おばあさんとたくさんお話をしたことで、英語を話す力や聴く力が少しは向上したのではないかと思います。

日本に興味を持ってくださっていたので、私たちは自分の出身地や日本の風習についておばあさんによく知ってもらおうと努力しました。日本地図の絵を描いて地名を紹介したり日本語の言葉や意味を教えたりするのはとても楽しかったです。

中でも印象に残っているのは、買ってきた折り紙でおばあさんと一緒に様々な動物を折ったことです。犬、きつね、猫、鶴などの折り方を教えるのは難しかったですが、できあがったとき感動してもらえたのでよかったです。

学校へ帰る日、私たちはおばあさんへ感謝の手紙とプレゼントのフォトスタンドを用意しました。フォトスタンドには、遊びに行った海岸で拾った貝殻とステンドグラスを貼り付け、この世に一つしかない特別なものを作りました。
手紙とプレゼントを渡すと、おばあさんは驚きながらも、こちらこそ来てくれてありがとう、と言ってくださいました。

とても貴重な体験ができたとともに、嬉しくて楽しかった大事な思い出がたくさんできたホームステイでした。

(高等部3年生 女子)

ページ
TOP