約20年ぶりに訪問しました。今回は初めて家族を連れての訪問です。娘が小5で、ちょうど彼女くらいの年齢の時にここで過ごしたことを想うと感無量です。あれから40年近くが経ちましたが、ここで過ごした想い出は今でも懐かしく思い出します。
あまりに立派になっていてびっくりしましたが、本館やロッジが昔のままでうれしかったです。

私は今学期のハーフタームに初めてホームステイをしました。ステイ先のホストファミリーはおばあさん1人でした。息子さんが日本人の女性と結婚されたことで、日本に興味を持ってくださったようです。

おばあさんはまず家を案内してくれました。綺麗に手入れされた庭のある素敵なお家でした。家には犬もいて、私たちは何度か追いかけっこやボール遊びを一緒にしました。

ホームステイの初日に、夕食で使った食器を私たちが洗うと申し出ると、おばあさんはとても喜んでくださいました。それが嬉しくて私たちはそれから皿洗いをほぼ毎日続けました。

おばあさんは不慣れな私たちの英語を根気づよく理解しようとしてくださいました。また、私たちに色々な話をしてくださいました。息子さんが日本人の女性と結婚することになったきっかけや、亡くなられた旦那さんのこと、娘さんとお孫さんのことなどです。私たちが聞き取れなかったところや、理解できなかったところなどは、何度も繰り返し噛み砕いてわかりやすい言い方に変えるなどして、私たちの手助けをしてくださいました。おばあさんとたくさんお話をしたことで、英語を話す力や聴く力が少しは向上したのではないかと思います。

日本に興味を持ってくださっていたので、私たちは自分の出身地や日本の風習についておばあさんによく知ってもらおうと努力しました。日本地図の絵を描いて地名を紹介したり日本語の言葉や意味を教えたりするのはとても楽しかったです。

中でも印象に残っているのは、買ってきた折り紙でおばあさんと一緒に様々な動物を折ったことです。犬、きつね、猫、鶴などの折り方を教えるのは難しかったですが、できあがったとき感動してもらえたのでよかったです。

学校へ帰る日、私たちはおばあさんへ感謝の手紙とプレゼントのフォトスタンドを用意しました。フォトスタンドには、遊びに行った海岸で拾った貝殻とステンドグラスを貼り付け、この世に一つしかない特別なものを作りました。
手紙とプレゼントを渡すと、おばあさんは驚きながらも、こちらこそ来てくれてありがとう、と言ってくださいました。

とても貴重な体験ができたとともに、嬉しくて楽しかった大事な思い出がたくさんできたホームステイでした。

(高等部3年生 女子)

私は団体競技が好きです。というのは、チームの皆で士気を高め合い、一人のミスは皆でカバーし、ファインプレーは喜び合い、皆で支え合う一体感が好きだからです。それに比べて個人競技はミスをしてもファインプレーをしてもコートの中には自分だけ。支えてくれる人も周りにいない、完全に自分だけの闘いです。そのピリピリとしただだっ広いコートの張りつめた空気が好きになれず、あまり興味を持てずにいました。

私がウィンブルドンで見た試合は女性のシングルスでした。「サーブの時は喋らずに」「ほかの場所でも騒がない」散々言われたルールがその空気を更に緊張するものへと変えていました。私たちの席からコートは近くて、選手の息づかいや表情も、しっかりと見ることができました。選手の片方は緊張に飲まれていて、全力の実力を出せていないように感じました。それに比べてもう片方の選手は、緊張などしていないような凛とした姿をしていました。それはまさに私の思う「個人競技」の姿でした。一人でさびしく、勇ましくプレーする姿も、自分自身の誇りをかけて緊張に打ち勝つように独りもがく姿も、緊張などものともせず、一人で攻め続ける姿も。私にはなぜ、そこまで一人で頑張れるのか理解不能でした。そして強く惹かれました。私にはとうていできないことを、ずっと極めて世界レベルにまで行く人達は、プレーだけではなく、精神も他のスポーツ選手よりずっと強い人だと感じました。

続けられるとは思わないけれど、個人競技も良いかもしれない、とふと思いました。このふにゃふにゃの一人じゃ何もできない自分を少しだけ変えられるかもしれない、とも。そんなことを思えた、素敵なウィンブルドン観戦でした。

(高等部3年生 女子)

「今日も夕日がキレイだなぁ」
最近そう自分に確かめるようにつぶやいて夕暮れの空をよく眺めるようになった。思い返せばここで過ごした時間は「3年間」というピリオドを打つその日に刻一刻と近づいている。きっと今までと同じ煉瓦造りの建物と生い茂った木々からのぞく空だけれど。

元気な声で何がおかしいのかわからず笑いあっている高校1年生を見ていると、あんな時もあったなぁ、なんてまるで一気に何十歳も歳をとってしまったように思う。あの頃私はこの「立教」の毎日の忙しなくてきちっとしたサイクルに溶け込むのに必死だった。ここでの一人前の証で、力強い赤ネクタイをした人たちがかっこ良くて仕方なかった。家を離れた寂しさをどうにか握りつぶそうとして、日々蘇る母の味を奥にしまって。いつかあのネクタイを自分がするだなんて考えられなかった。空を見上げてキレイだなんて思う余裕はなかったんだろう。

そんな私も、あの時は思いもしなかった「赤ネクタイ」をしてこの文を書いている。何を学んだのだろう。もちろん日々勉強をしてまた日本へと帰る準備をしている。私はここで何を学んだのか。

確か入学したての頃にここでの生活への期待と目標について作文を書き、ちょっと先生に褒められちゃったりなんかして嬉しかった記憶がある。広い視野を持った国際人になりたいとか、大人になった気がしてしまうような覚えたての言葉を少しドキドキして並べたような気がする。思ってもいない事を書いたって訳ではないけれど、あの頃の私はあと1年と半分くらいすれば「自分って、自分にできることって、結局何がしたいんだ?」というどうも先の見えない小道でウロウロすることなんて知らなかったのだ。ここでの毎日の同じ生活に慣れて学年も上がると、自分が何なのかわからなくなった。皆似たような制服をまとい、同じことを繰り返して…。自分を表現したい、だなんて自分の中の葛藤を鎮めるのに手を焼いたりした。窮屈で仕方なく思い、悩んだこともあった。しかし目の前の「絶対にやることリスト」が埋まっていくうちにそんな葛藤の落とし所なんて考えてあげている暇はなくなった。

何ができるか、なんて考えたところでどうしようもないのかも知れない。この世界をまだほんの一部しか見ていなくてまだまだ知らないこと、それこそ果てしなく。そんな考えに行き着くのに手を差し伸べてくれた人たちの顔を思い浮かべると、何か一所懸命、頑張っていれば見てくれている人がいる、ということ。そして物事には「時期」があるということ。良いことも、悪いことも。焦らずに自分と向き合い、磨いていること。何となくわかるようなことだけれど、やはり難しい。
ある先生が「立教は社会の縮図だ。」なんておっしゃっていた。小さな社会かもしれないけどいろいろな人がいて皆良くも悪くも知り合っていて、今多先生の「ここでやっていける人はどこでも通用する。」という言葉は嘘なんかじゃないんだ。

振り返れば思うことはそれこそ山のようだけれど、前を向いて、大きな世界へ飛び出していく準備をしなくちゃ。
ここでの「思い出」を余すことなく過去から拾い上げてこられるように。そしてあと1学期。高校生活がそろそろ幕を閉じようとしている。やっとこの「赤ネクタイ」が馴染んできたのになぁ。

(高等部3年生 女子)

イギリスで横断歩道を渡る時、車が通りかかろうとしているので過ぎるのを待っていると、向こうが気付いてくれて、ライトを一瞬点滅させてくれる。これは、どうぞ先に渡って下さい、というサインだ。そして渡る私は軽く手をあげて感謝の気持ちを示す。

この日常的な出来事が、日本だとまるで起こらない。横断歩道は歩行者優先、という決まり事を自動車教習所で習っただろうに。運転の手本を見せるべきである警察車両までもが横断歩道を渡ろうとしている私を無視して通り過ぎて行ったのには、流石に憤りを覚えた。

日本人は交通マナーは良く守る方だし、横断歩道を歩行者が渡るのを見た事が無い訳がないのだが、どうして皆が皆、停まってくれないのだろう。大通りの横断歩道に出てみて、初めて分かった。日本の大抵の横断歩道には信号が付いているからである。

赤信号の時は停まれ、青は進め、そう教え込まれたドライバーにとって赤信号の無い所はすべて「進め」を意味するのだと思う。義務的な決まり事はきちんと守るかわりに、そうでないものは無視する。義務でないからだ。

一方イギリスでは自動車は赤信号を一応守るが、制限速度は全く気にしないし、歩行者は赤信号を律儀に守る日本人と違い、平気な顔で渡っていく。だが、道は譲ってくれるのだ。義務は必ずしも守らない。自分の判断と責任でするべきこと、しても良いこと、駄目なことを決めるのである。日英両国の国民性の違いが理解できた瞬間であった。

どちらの国民性が良いとも言えない。そのような物に優劣などつけられないのだ。けれども日本人はこれまでの「決められたことしかしない」主義をそろそろ見直すべきだと思う。優先席というものは、その主義の代表たるものだ。個人の判断責任で物事を行ってこそ、日本人はより良い日本を作れると思う。

(高等部3年生 男子)

私が、初めてホームステイを経験したのは、中学3年の春休みだった。ミレースクールの交換留学で、一週間ステイをした。泊めてもらった部屋の広さに驚いたり、いつお風呂に入ったら良いかと悩んだり、朝ご飯を断り切れずに食べすぎたことなどを覚えている。

そのときは、また同じ家庭にお世話になるなど考えもしなかったのだが、今回で三回目のステイとなった。土曜日の午後、見慣れた車が学校に着き、ステイ先の人とトランクをつめたあと、それに乗り込んだ。初めて乗ったときは、ただただ受け答えすることしかできなかったが、今回は自分から話しかけることができた。

私は人とコミュニケーションを取るのがあまり上手くはないが、三回目にもなれば、さすがに自分も成長したと思う。食事のときにも、自分から質問することができるようになり、なにより”Do you want more?”と聞かれたときに、”No. Thank you, I’m full.”としっかり断れるようになった。自分がどうしたいか、何を思っているかを相手にはっきり伝えることの大事さに気づけた。三年前に比べ、笑ったりすることも増え、初めはずっと英語を使わなければならないことがつらかったが、次第に英語を使うことを楽しむことができるようになった。

正直、今回のホームステイをするまで、英語は得意ではあってもあまり好きではなかったので、自分で自分に驚いた。そのような気持ちの変化が起きたのも、毎回温かく迎えいれてくれたホストファミリーのおかげだ。家族全員で日本語を習ったり、不便がないかと気にかけてくれた。私が来年は立教にいないという話になると、
「あなたがいないと来年ホストファミリーをするか迷うよ」
と言ってくれた。それが私にはとても嬉しかった。

「イギリスに来たときは、ただで泊まりなさいよ」
とも彼らは言ってくれた。いつかまたイギリスに来て、ホームステイをしたい。

(高等部3年生 女子)

夏休みの最初の1週間、私は学校が提供してくれるホームステイを希望した。今回は私にとっての最後のホームステイとなるので、きちんと英国の文化に触れることをベースとし、楽しもうという思いが強くあった。メンバーが全員で3人という事であったので日本語が必然的に出てこないようにして過ごす事を意識した。

初日は燦々と輝く太陽と心地よい風に恵まれ、過ごしやすい天気となった。しかし、翌日は朝から雨が降りピクニックの予定が潰れてしまったのだ。少々悲しく思ったが、ホストファミリーと話せる良い機会だと思い積極的に話す事を心がけた。それ以降も、食事前にはホストファミリーとの会話を独り占めしようとキッチンに向かい、英語をなるべく使うようにした。今回は、電子辞書を使わないで会話する事を目標としていたので、日本語でなら言えるのに英語だと分からない単語を頑張って言い換えて意思を伝える様な事も多かった。しかし、この目標はホストファミリーが親切な方でないと立てられない目標であった。それは会話中に入ってくる分からない英単語を言い換えて説明してもらわなければならないからだ。まだまだ、ボキャブラリーを増やさなくてはならないと痛感した時が多くあった。

ホストファミリーとの会話では、ホストファミリーの娘さんの話やフェスティバルの話、将来の夢の話など沢山した。専業主婦であるホストファミリーのお母さんに「あなたはいつもキッチンで話し相手になってくれるのね」と言われた時は、「あぁ、私もきちんと意思疎通が出来て、会話できているのだな」と感じられて嬉しかった。

立教に戻る前日に、ブライトンに連れて行ってもらった。海の街であるブライトンはここから少し距離があるのでホームステイの度に訪れるような場所ではなく、行けたとしても雨だったり天候が悪い事が多い場所だ。今回は晴れていた事もあり、そこでの風景が本当に綺麗で皆で感動したのを覚えている。東京に住む私にとって、絶対に経験できない場所である。太陽によってキラキラと輝く水面に浮かぶ自分の写った影を見て、海の色から深浅を想像した。なんという幻想的な世界であろう。しばし時を忘れてしまいそうになった。海を見ながら、これが最後のホームステイになるのかと考えると寂しい気持ちが大きくなった。今まで行ってきた10回弱のホームステイと今回のホームステイが走馬灯のように頭に流れてきた。そのどれをとっても楽しい思い出ばかり。自分は幸せだとふと感じた。イギリスの食文化や人々、異文化に触れイギリスの素晴らしさを全身で経験した。今まで行ってきた沢山のホームステイは私に最高の思い出をくれて、よりイギリスが好きになってしまった。

(高等部3年生 女子)

昨日、ウィンブルドンへ行った。テニスやおしゃれにあまり興味のない私は、この行事に行くことに価値を見出せず、前日に服装を考えてうきうきする皆の中で正直憂鬱な気分だった。

朝、コーチに揺られて会場に着くと、長蛇の列が並んでいた。時間が経つにつれ日も高くなり、やっとの思いでチケットを買った時の私には、最早テニスを観戦する気力は残っていなかった。

昼食を食べ、日本人選手の試合が見たいと張り切る友人に連れられるまま、あるコートへ行くと、ちょうど添田豪選手のプレーが始まるところだった。相手選手のランクと背の高さに圧倒されていたが、勝負は思ったよりも互角だった。添田選手は惜しくも負けてしまったけれど、私は楽しんで見ることができた。また、その後に大きなスクリーンで見たシャラポワ選手の試合も、ルールはわからなかったが面白かった。

今回のウィンブルドンでしたことはこれぐらいだったけれど、私は自分の好きではないものへの偏見や先入観を持ち過ぎることの愚かさに気付けた気がする。いつもはつまらないと思っていたテニスも気付けば夢中になって見ていたし、来年のウィンブルドンも今から少し楽しみだ。これから先も自分のやりたくないことに挑戦しなければならない機会が少なからずあると思うけれど、やる前から楽しむことを諦めるのはやめることにしよう。

(中学部3年生 女子)

イギリスの冬ってこんなに長いのかな。

新学期が始まって、イギリスの4月がこんなにも寒いとは思わなかった。沢山の友人から「イギリスの春や夏は暮らしやすいよ。」と聞いていたのにもかかわらず、3学期と同じ格好をしていた。なんだ、全然暖かくないじゃん。ヒートテックを持って来ればよかったとひどく後悔した。

5月。日差しが暖かくなってきた頃に、体育館の近くに植えてある桜が満開になった。日本でも満開の桜を見てきたが、イギリスの桜もまた良かった。高校3年生だけが放課後の時間に桜の前で写真を撮った。少し見慣れてきた赤ネクタイと初めて写真を撮った。

球技大会の日は見事に晴れ。雨が降るだろうと言われていたがその心配は全くいらなかった。

ウィンブルドン当日も信じられないほど暑くなり、前日があんなにも寒かったことが信じられなかった。日焼け止めを塗ったにも関わらず、みんなこんがり肌が焼けた。

期末期間に入るとまた少し涼しくなった。勉強しやすいというのはこういうことか、と思った。暑くなった日もあったが窓を開ければ気持ち良い風が吹いた。

帰宅日。暑すぎず、寒すぎず、気持ち良い風が吹いている。きれいな青空の下、1学期が終わった。
卒業まであと1学期間。

(高等部3年生 女子)

このイギリスに来てからというもの、日本の今について知ることが少なくなった。かつては日本の首相だけでなく大臣の名前も全て覚えていたが、今となっては日本の有名人の名を聞く機会ですらゼロに等しい。それほど日本という国とイギリスが遠いということを実感した。

思えば、日本に住んでいるときにイギリスの情報が頻繁に入ってくるわけではなかった。王室の歴史やロンドンという都市について知るようになったのもイギリスに住んでからだった。

春休みに日本に住む友人と会った際、こんな質問を受けた。「イギリスって食事が美味しくないの?」彼曰く、イギリスのイメージは、ご飯が不味い、お茶ばかり飲んでいる、といったものだった。あながち間違っているわけではないが、もっと知ってほしいイギリスの一面が沢山ある。日本に住む人々はそれを全く知らないのだ。

将来、大学やその他の人生において、イギリスという日本から遠く離れた国を知っていることは大きなアドバンテージになるだろう。イギリスが素晴らしいということを皆に教えられるようになるべく、残り少ないイギリスでの生活を充実したものにして、今後の人生への糧にしていければ幸いである。

(高等部3年生 男子)

ページ
TOP