2015T2_end

長い長い2学期が終わった。
立教最大のイベントであるオープンデイが終了したと思った途端に期末試験モードに入り、勉強に集中していたらあっという間に12月、いつの間にか期末試験も終了、クリスマスコンサートやキャロリングも既に夢のような思い出になり、この日は第2学期終業礼拝。

立教の第2学期終業礼拝は他の学校とは少し違う。高校3年生はよくこの終業礼拝を「卒業式」と呼ぶ。年明けの大学受験に向けて3学期は日本で過ごす為、もうイギリスには戻ってこない高3生にとってはまさに今日が「最後」の日だ。

部活動の後輩、食事の席で隣になった後輩、委員会や係の後輩、色々なところで高校3年生にお世話になった生徒たちが赤ネクタイの高校3年生を見送る。来学期はもうもどってこない先輩たちのことを思うと自然涙が溢れる。
学校を去る高校3年生たちも、人生の大きな岐路を目前に控えて緊張の日々をこれから日本で迎えるわけだが、兄弟のような仲間と毎日を過ごした立教生活もこの日で終わり。明日からはたった一人の受験勉強が始まる。これまでここで鍛えた根性と集中力、そして先生方や後輩たちとの沢山の思い出を胸に頑張って欲しい。

終業礼拝ではこれまで3年間お世話になった担任の先生方からはなむけの言葉があった。走馬灯のように次々と蘇る思い出に、「今日は絶対泣かない!」と宣言していた男子生徒達だって涙をじっと堪えていた。
高校3年生の為に用意されたスペシャルディナー、ランチョンが終わるといよいよ帰宅が始まる。1年で一番ドラマチックな帰宅日だ。インターネットでいつでも連絡が取れる時代にはなったが、目の前で微笑んでくれる友達との別れはやはり辛い。先輩達を見送る後輩達は勿論、一足先に帰宅する高3生同士でも涙のお別れになる。ヒースロー空港行きの3台の大型コーチが出発する頃には雨を含んだ強い風が吹くあいにくの天気となったが、出発の時間が15分も遅れるほど別れを惜しんだ。何度も何度も握手をして、声を掛け合って、また会おうねと約束してコーチに乗り込んだ。思い切り手を振って見送る小学生、頑張れよ!と優しい笑顔で見送る先生方、それぞれの車でこの後帰宅する国内生徒、みんなが見送る中、3台のコーチが次々と校門を出て行った。
急にひっそりと静まり返ったキャンパスには高校3年生が飾り付けをしたクリスマスツリーが静かに輝いていた。

立教に入学して一年と一学期が経った。きっと、去年の今日は、テストが終わり、赤点が無いことに安心して早速着替えてスポーツをしていたと思う。そしてこれから迎える夏休みに心を弾ませていたと思う。テスト後も勉強を続けている先輩はすごいなぁと思っていた。

一年経った今でも、正直、先生に今日はスポーツをしてもいいよ、なんて言われたら、真っ先にしていると思う。下級生が遊んだ水風船のゴミが、ゴミ箱に入っているのを見て、いいなと思ってしまった。そんな私でも、教室に戻ると、危機感を感じる。私もやらなきゃ!

この学校への入学が決まった頃、私は立教英国学院のホームページを暇さえあれば見ていた。立教の一日の生活を見た時のあの驚きを今でも覚えている。
「勉強ばっかやん!」
と母に私はうったえた。その時私はそのスケジュールが、間違っていてほしいと願っていた。

しかし、この学校に来てみると、間違っていなかった。去年は、他の高校2年生はGCSEの本試験に向けて必死で、みんなの集中力は高かった。そんなみんなに比べて、部活一筋で、高校にも推薦で入って、こんな毎日毎日夜中まで勉強したことが無かった私は、全く集中力が低かった。机に向かって長時間座ってイライラしていた。

でも今では、12時まで続けるのが当たり前になった。こんなふうになったのは、まわりの仲間の影響があったからだと思う。仲間がいなかったら、絶対に勉強できていない。自慢ではないけれど、休み中が良い例だ。これからは、休み中でも一人でできるようにしたい。これができるようになれば、また成長すると思う。毎回の休み前に、「休みに入ったら勉強するぞ!」と意気込むけれど、ダメだった。でも今回は、こんなに勉強するのは一生で最後だといえるくらい頑張りたい。

特に、英語の能力を上げたい。この学校に入った当時はKETのボーダーラインにさえもとどかなかった能力が、一年で二級の一次合格までいけた。みんなと比べれば、富士山の頂上と麓並みの差があるけれど、この夏休みに走って登るくらいの勢いで頑張りたい。

(高等部3年生 女子)

今日はあんまり暑いからブレイク開始を一人徒競走の合図にして誰と競ったのかはよくわからず、チャペルの鍵を借りてそこのグランドピアノで練習したが、全然気が入らない。チャペルの窓の木枠にほおづえついて、ぼーっとしていた。
「今日も夕日はキレイだなぁ。」なんて。
イギリスは今は日が落ちるのが遅いから、もう出番は終わりだと言って遠慮してる空の色に、夕日の柔らかな光がゆっくりと滲んでいた。

窓から下を覗くと、いつもより小さくなった、顔も名前もみんな知ってる人たちが歩いていた。クスクス笑いあったり駆け回ったりして。私も毎日その中を歩いていて悩んだり、泣いたり、笑ったり。ちょっと今日は見ている目線が違うからなのか、そのいつも何往復もしている道に、今までの私の姿が見えるようだった。泣いて、怒って、笑って。たくさんの顔をした私、ここで過ごしてきた私。きっとその時々は前しか、今しか見えてなかったのだろうけど。急にそのたくさんの思いを抱えて歩いているその時その時の私一人一人が愛おしく大事に思えた。私、頑張ってきたんだなぁ。

その中の一人がふと空を見上げたような気がして、私もまた空を見上げた。もうあの空の色はいよいよ「また明日ね。」って消えようとしている。代わりに一日の終わりを皆が寂しくないように優しい夕日の光が広がっていた。
いつか思い出に変わるこの今日はいつ思い出されるのだろう。その時私は何を思うのだろう。その時、どこの窓から覗いているかはまだわからないけれど、今日みたいにきれいな夕日の空があるといい。

チャペルの窓からの景色を目に焼き付けて、私もまたその中の一人へ戻っていった。

(高等部3年生 女子)

高校3年生の1学期が終わろうとしている今、私は大学受験に対する恐怖とあせり、友達に恵まれ毎日が楽しい日々に対する幸せ、このままずっとこのような平和な日々が続けばいいのにという思い、また逆に未来への期待と色々な気持ちで心がいっぱいだ。

大学。それこそが私の今の目標であり夢だ。しかし、夢という響きは良くても、たとえどれだけ自分に自信があっても、時が過ぎていき入試が近づき、目標も明確になっていくほど恐怖は増していくものだ。夢が風船のように一瞬で割れたらどうしよう。やはりこう思ってしまう弱気な瞬間はある。そのせいで正直精神状態も安定していないので、ピリピリと少しの事にも気を取られ、一人涙を流す事もたまにある。

友達。その存在によって、こんなに精神不安定な状態の私は支えられている。私がつらい時にはそっと側に来てくれて「大丈夫」と抱きしめてくれる。私の話を聞いてくれる。私を笑顔にしてくれる。そんな存在だ。だからこそ立教を去るのが怖いのかもしれない。皆と作り上げたこの落ち着く空間が消えるのを想像もしたくないのだ。

未来への期待。これは私にとってどのような事なのであろうか。多分日本に帰っても今の幸せを保ち、新しい幸せ、学びを得ることだ。
これが私の心にある高校3年生1学期終わりの気持だ。

(高等部3年生 女子)

約20年ぶりに訪問しました。今回は初めて家族を連れての訪問です。娘が小5で、ちょうど彼女くらいの年齢の時にここで過ごしたことを想うと感無量です。あれから40年近くが経ちましたが、ここで過ごした想い出は今でも懐かしく思い出します。
あまりに立派になっていてびっくりしましたが、本館やロッジが昔のままでうれしかったです。

私は今学期のハーフタームに初めてホームステイをしました。ステイ先のホストファミリーはおばあさん1人でした。息子さんが日本人の女性と結婚されたことで、日本に興味を持ってくださったようです。

おばあさんはまず家を案内してくれました。綺麗に手入れされた庭のある素敵なお家でした。家には犬もいて、私たちは何度か追いかけっこやボール遊びを一緒にしました。

ホームステイの初日に、夕食で使った食器を私たちが洗うと申し出ると、おばあさんはとても喜んでくださいました。それが嬉しくて私たちはそれから皿洗いをほぼ毎日続けました。

おばあさんは不慣れな私たちの英語を根気づよく理解しようとしてくださいました。また、私たちに色々な話をしてくださいました。息子さんが日本人の女性と結婚することになったきっかけや、亡くなられた旦那さんのこと、娘さんとお孫さんのことなどです。私たちが聞き取れなかったところや、理解できなかったところなどは、何度も繰り返し噛み砕いてわかりやすい言い方に変えるなどして、私たちの手助けをしてくださいました。おばあさんとたくさんお話をしたことで、英語を話す力や聴く力が少しは向上したのではないかと思います。

日本に興味を持ってくださっていたので、私たちは自分の出身地や日本の風習についておばあさんによく知ってもらおうと努力しました。日本地図の絵を描いて地名を紹介したり日本語の言葉や意味を教えたりするのはとても楽しかったです。

中でも印象に残っているのは、買ってきた折り紙でおばあさんと一緒に様々な動物を折ったことです。犬、きつね、猫、鶴などの折り方を教えるのは難しかったですが、できあがったとき感動してもらえたのでよかったです。

学校へ帰る日、私たちはおばあさんへ感謝の手紙とプレゼントのフォトスタンドを用意しました。フォトスタンドには、遊びに行った海岸で拾った貝殻とステンドグラスを貼り付け、この世に一つしかない特別なものを作りました。
手紙とプレゼントを渡すと、おばあさんは驚きながらも、こちらこそ来てくれてありがとう、と言ってくださいました。

とても貴重な体験ができたとともに、嬉しくて楽しかった大事な思い出がたくさんできたホームステイでした。

(高等部3年生 女子)

私は団体競技が好きです。というのは、チームの皆で士気を高め合い、一人のミスは皆でカバーし、ファインプレーは喜び合い、皆で支え合う一体感が好きだからです。それに比べて個人競技はミスをしてもファインプレーをしてもコートの中には自分だけ。支えてくれる人も周りにいない、完全に自分だけの闘いです。そのピリピリとしただだっ広いコートの張りつめた空気が好きになれず、あまり興味を持てずにいました。

私がウィンブルドンで見た試合は女性のシングルスでした。「サーブの時は喋らずに」「ほかの場所でも騒がない」散々言われたルールがその空気を更に緊張するものへと変えていました。私たちの席からコートは近くて、選手の息づかいや表情も、しっかりと見ることができました。選手の片方は緊張に飲まれていて、全力の実力を出せていないように感じました。それに比べてもう片方の選手は、緊張などしていないような凛とした姿をしていました。それはまさに私の思う「個人競技」の姿でした。一人でさびしく、勇ましくプレーする姿も、自分自身の誇りをかけて緊張に打ち勝つように独りもがく姿も、緊張などものともせず、一人で攻め続ける姿も。私にはなぜ、そこまで一人で頑張れるのか理解不能でした。そして強く惹かれました。私にはとうていできないことを、ずっと極めて世界レベルにまで行く人達は、プレーだけではなく、精神も他のスポーツ選手よりずっと強い人だと感じました。

続けられるとは思わないけれど、個人競技も良いかもしれない、とふと思いました。このふにゃふにゃの一人じゃ何もできない自分を少しだけ変えられるかもしれない、とも。そんなことを思えた、素敵なウィンブルドン観戦でした。

(高等部3年生 女子)

「今日も夕日がキレイだなぁ」
最近そう自分に確かめるようにつぶやいて夕暮れの空をよく眺めるようになった。思い返せばここで過ごした時間は「3年間」というピリオドを打つその日に刻一刻と近づいている。きっと今までと同じ煉瓦造りの建物と生い茂った木々からのぞく空だけれど。

元気な声で何がおかしいのかわからず笑いあっている高校1年生を見ていると、あんな時もあったなぁ、なんてまるで一気に何十歳も歳をとってしまったように思う。あの頃私はこの「立教」の毎日の忙しなくてきちっとしたサイクルに溶け込むのに必死だった。ここでの一人前の証で、力強い赤ネクタイをした人たちがかっこ良くて仕方なかった。家を離れた寂しさをどうにか握りつぶそうとして、日々蘇る母の味を奥にしまって。いつかあのネクタイを自分がするだなんて考えられなかった。空を見上げてキレイだなんて思う余裕はなかったんだろう。

そんな私も、あの時は思いもしなかった「赤ネクタイ」をしてこの文を書いている。何を学んだのだろう。もちろん日々勉強をしてまた日本へと帰る準備をしている。私はここで何を学んだのか。

確か入学したての頃にここでの生活への期待と目標について作文を書き、ちょっと先生に褒められちゃったりなんかして嬉しかった記憶がある。広い視野を持った国際人になりたいとか、大人になった気がしてしまうような覚えたての言葉を少しドキドキして並べたような気がする。思ってもいない事を書いたって訳ではないけれど、あの頃の私はあと1年と半分くらいすれば「自分って、自分にできることって、結局何がしたいんだ?」というどうも先の見えない小道でウロウロすることなんて知らなかったのだ。ここでの毎日の同じ生活に慣れて学年も上がると、自分が何なのかわからなくなった。皆似たような制服をまとい、同じことを繰り返して…。自分を表現したい、だなんて自分の中の葛藤を鎮めるのに手を焼いたりした。窮屈で仕方なく思い、悩んだこともあった。しかし目の前の「絶対にやることリスト」が埋まっていくうちにそんな葛藤の落とし所なんて考えてあげている暇はなくなった。

何ができるか、なんて考えたところでどうしようもないのかも知れない。この世界をまだほんの一部しか見ていなくてまだまだ知らないこと、それこそ果てしなく。そんな考えに行き着くのに手を差し伸べてくれた人たちの顔を思い浮かべると、何か一所懸命、頑張っていれば見てくれている人がいる、ということ。そして物事には「時期」があるということ。良いことも、悪いことも。焦らずに自分と向き合い、磨いていること。何となくわかるようなことだけれど、やはり難しい。
ある先生が「立教は社会の縮図だ。」なんておっしゃっていた。小さな社会かもしれないけどいろいろな人がいて皆良くも悪くも知り合っていて、今多先生の「ここでやっていける人はどこでも通用する。」という言葉は嘘なんかじゃないんだ。

振り返れば思うことはそれこそ山のようだけれど、前を向いて、大きな世界へ飛び出していく準備をしなくちゃ。
ここでの「思い出」を余すことなく過去から拾い上げてこられるように。そしてあと1学期。高校生活がそろそろ幕を閉じようとしている。やっとこの「赤ネクタイ」が馴染んできたのになぁ。

(高等部3年生 女子)

イギリスで横断歩道を渡る時、車が通りかかろうとしているので過ぎるのを待っていると、向こうが気付いてくれて、ライトを一瞬点滅させてくれる。これは、どうぞ先に渡って下さい、というサインだ。そして渡る私は軽く手をあげて感謝の気持ちを示す。

この日常的な出来事が、日本だとまるで起こらない。横断歩道は歩行者優先、という決まり事を自動車教習所で習っただろうに。運転の手本を見せるべきである警察車両までもが横断歩道を渡ろうとしている私を無視して通り過ぎて行ったのには、流石に憤りを覚えた。

日本人は交通マナーは良く守る方だし、横断歩道を歩行者が渡るのを見た事が無い訳がないのだが、どうして皆が皆、停まってくれないのだろう。大通りの横断歩道に出てみて、初めて分かった。日本の大抵の横断歩道には信号が付いているからである。

赤信号の時は停まれ、青は進め、そう教え込まれたドライバーにとって赤信号の無い所はすべて「進め」を意味するのだと思う。義務的な決まり事はきちんと守るかわりに、そうでないものは無視する。義務でないからだ。

一方イギリスでは自動車は赤信号を一応守るが、制限速度は全く気にしないし、歩行者は赤信号を律儀に守る日本人と違い、平気な顔で渡っていく。だが、道は譲ってくれるのだ。義務は必ずしも守らない。自分の判断と責任でするべきこと、しても良いこと、駄目なことを決めるのである。日英両国の国民性の違いが理解できた瞬間であった。

どちらの国民性が良いとも言えない。そのような物に優劣などつけられないのだ。けれども日本人はこれまでの「決められたことしかしない」主義をそろそろ見直すべきだと思う。優先席というものは、その主義の代表たるものだ。個人の判断責任で物事を行ってこそ、日本人はより良い日本を作れると思う。

(高等部3年生 男子)

私が、初めてホームステイを経験したのは、中学3年の春休みだった。ミレースクールの交換留学で、一週間ステイをした。泊めてもらった部屋の広さに驚いたり、いつお風呂に入ったら良いかと悩んだり、朝ご飯を断り切れずに食べすぎたことなどを覚えている。

そのときは、また同じ家庭にお世話になるなど考えもしなかったのだが、今回で三回目のステイとなった。土曜日の午後、見慣れた車が学校に着き、ステイ先の人とトランクをつめたあと、それに乗り込んだ。初めて乗ったときは、ただただ受け答えすることしかできなかったが、今回は自分から話しかけることができた。

私は人とコミュニケーションを取るのがあまり上手くはないが、三回目にもなれば、さすがに自分も成長したと思う。食事のときにも、自分から質問することができるようになり、なにより”Do you want more?”と聞かれたときに、”No. Thank you, I’m full.”としっかり断れるようになった。自分がどうしたいか、何を思っているかを相手にはっきり伝えることの大事さに気づけた。三年前に比べ、笑ったりすることも増え、初めはずっと英語を使わなければならないことがつらかったが、次第に英語を使うことを楽しむことができるようになった。

正直、今回のホームステイをするまで、英語は得意ではあってもあまり好きではなかったので、自分で自分に驚いた。そのような気持ちの変化が起きたのも、毎回温かく迎えいれてくれたホストファミリーのおかげだ。家族全員で日本語を習ったり、不便がないかと気にかけてくれた。私が来年は立教にいないという話になると、
「あなたがいないと来年ホストファミリーをするか迷うよ」
と言ってくれた。それが私にはとても嬉しかった。

「イギリスに来たときは、ただで泊まりなさいよ」
とも彼らは言ってくれた。いつかまたイギリスに来て、ホームステイをしたい。

(高等部3年生 女子)

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