このイギリスに来てからというもの、日本の今について知ることが少なくなった。かつては日本の首相だけでなく大臣の名前も全て覚えていたが、今となっては日本の有名人の名を聞く機会ですらゼロに等しい。それほど日本という国とイギリスが遠いということを実感した。

思えば、日本に住んでいるときにイギリスの情報が頻繁に入ってくるわけではなかった。王室の歴史やロンドンという都市について知るようになったのもイギリスに住んでからだった。

春休みに日本に住む友人と会った際、こんな質問を受けた。「イギリスって食事が美味しくないの?」彼曰く、イギリスのイメージは、ご飯が不味い、お茶ばかり飲んでいる、といったものだった。あながち間違っているわけではないが、もっと知ってほしいイギリスの一面が沢山ある。日本に住む人々はそれを全く知らないのだ。

将来、大学やその他の人生において、イギリスという日本から遠く離れた国を知っていることは大きなアドバンテージになるだろう。イギリスが素晴らしいということを皆に教えられるようになるべく、残り少ないイギリスでの生活を充実したものにして、今後の人生への糧にしていければ幸いである。

(高等部3年生 男子)

立教に入学したとき毎学期スクールコンサートがあると知って、よっしゃ、と思ったことを今でもよく覚えている。音楽学校でもないのにコンサートをする学校なんて、日本ではなかなかないからだ。ピアノを13年間続けてきている私は、自分の音楽を聴いてもらう機会が毎学期あることが、本当に嬉しかった。

そしてそんな大好きなコンサートも今回が最後。ラストに間違いなく最高のものをつくることができたと感じている。私が小6からいつか弾きたいと思い続けてきた “ベートーベン月光ソナタ” をソロで。小野さんのフルートとのデュエットの実現。ブラスグループの初ステージ。そして人生初の4人でのピアノ。私がやりたいと思っていたことを全て叶えたスクールコンサートとなった。特にピアノカルテットは一生忘れない。

高3の4人で最後だから何か一緒に弾こうとポップスなどを想像しながら軽い気持ちでサットン先生に言ったら、渡されたのは、?”サンサーンス 死の舞踏”。

「本気のクラッシックじゃん!!」
と思った始まりから4ヶ月。練習も本番も最高に楽しかった。タイプの違う4人で1曲を作り上げることは難しいけれど、それぞれの持ち味を活かした曲にできたと思う。同学年に、それなりのレベルでピアノを弾く人が4人もいるのは、上にも下にもこの学年だけだ。そのことを誇りに思っているし、私達だからできたと自信になった。またお客さんが、本当に感動した、良かったよ、と言ってくださり、弾いて良かったと心から思った。

スクールコンサートは改めてピアノの楽しさ、音楽の素晴らしさを教えてくれた。これからも一生音楽を続けていこうと思っている。

(高等部3年生 女子)

今年は終戦70年目という節目の年を迎えましたが、終戦から数年後、英国でひとつの名作が誕生しました。それはC.S.ルイス(1898-1963)による「ナルニア国物語」です。第二次世界対戦中、オックスフォード大学モードリン・カレッジの特別研究員として活動していたルイスの家には数名の疎開児童たちが住んでいましたが、子供たちがあまり読書をしないのを見て、本を読む喜びを伝えたいという願いから「ナルニア国物語」の執筆を始めたと言われております。ルイスは聖職であった母方の祖父の影響もあり、クリスチャンとして少年期を過していましたが、宗教に疑問を抱き、無神論者となります。しかし、再び、信仰を取り戻し、キリスト教に関する著作を著し始めた後にこの作品が執筆されます。「ナルニア国物語」は七部に及ぶ大作ですが、これらの中の三部は映画化され、多くの子供達に愛されるファンタジー映画として人気を博しています。この作品には聖書的な思想が多く含まれており、聖書の授業の視覚的教材として用いています。ルイス研究家によれば、この作品にはルイス自身の人生における様々な悲しみ、痛みの体験の中でルイスを支えた目には見えない神様の眼差しというものが反映されていると言います。ルイスは神秘の国「ナルニア国」を描きながら、わたしたち人間が回復しなければならないもの、抱くべき心、生き方というものを示していると言います。
「ナルニア国物語」の第一部「ライオンと魔女」は第二次大戦中の英国で空襲に遭うペペンシー家の四人の兄弟―ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーが、疎開先の屋敷の空き部屋で大きな衣装だんすを発見するところから始まります。そして、その扉を開けた時、神秘の国「ナルニア」に招かれます。「ナルニア」はライオンの姿をした偉大な平和の王アスランが創造した世界でしたが、兄弟たちがナルニアへ入った時、そこは白い魔女の支配によりクリスマスのない百年の冬に閉ざされていました。しかし、ナルニアで言葉を話す不思議な生き物たちからこの国の運命を変えるのは自分たちであると知らされます。四人の兄弟はそれぞれ異なる性格を持っていました。責任感が強く他人にも厳しい長男ピーター、慎重過ぎて臆病になりがちな長女スーザン、自信過剰で、狡猾な次男エドマンド、あどけない純真な末っ子のルーシー。ナルニアでの様々な出来事の中でそれらの性格がますます浮き彫りにされます。弱さ、未熟さを持った兄弟たちのありのままの姿がナルニアで露にされます。トラブルになればお互いに責任をなすりつけ合い喧嘩ばかり……。しかし、こうした経験を通して次第に彼らは自分たちの心の中を見つめ、自分の誤りに気づき始めます。そして、これまでに見たことのない世界を見て、視野が広げられて行きます。一人ひとりに変化が訪れつつある、そんな時に偉大な平和の王アスランとの出会いがあります。
アスランはシンプルでありながらもわたしたちにとって忘れてはならない言葉を語ります。兄弟を裏切る狡猾なエドモンドの振る舞いを断罪しようとする側近に「何か理由があるかもしれない。」と理由を聴くようにと促します。自分は何も出来ないと自分を信じることができない長男ピーターに「自分を信じる」ことの大切さを伝え、励まします。そして、アスラン自身が彼を信じて、支えることを伝えます。第三作では大きくなったルーシーが姉のスーザンの真似事ばかりをして自分を見失う姿を見て、「自分の価値を信じる」ことを伝えます。映画の中でのアスランの言葉に私は何度も心を打たれます。
自分の子供や他者との関わりを通して、しばしばしてしまうことは相手の思い、声を聴かずに一方的に怒ったり、裁いたりしてしまうことです。やってしまったことに対しては注意しなければならないのですが、「何か理由があるかもしれない」と聴く必要があるように思います。それによってその本人が抱えていることに少しでも触れることが出来るかもしれない、その人に変化が生まれるかもしれない、と思うようになりました。これは時間がかかることですし、苛立つこともあるかもしれないですが、「聴く」ことはやはり人間にとって大切なことなのだと思います。「聴く」ことは忍耐がいることですが、このことが「信じる」ということに繋がっていくのだと感じます。
今日の社会において難しいことは「信じる」ことです。利用価値、商品価値で人を査定する現代社会では人間関係のモラルも大きく変容しています。「何が出来るか」「役に立つかどうか」が重要となっていますが、何も出来ない、役に立たなくなれば捨てられる社会です。成績、成果ばかりが重視される社会。他人からの評価に恐れを抱きながら生きている人が溢れている社会です。
中学二年から親元を離れ、今日で言うアスリートコースに進学した私は文武両道を義務付けられていましたが、「結果が全て」の生活を送ってきました。寮生活から脱走したり、辞める人は後を絶ちませんでした。辞めずに残れたものの、テニスも勉強も中途半端に終わったように思っていた私は結果を出せなかった自分を責めました。しかし、幸いにも自分のこうした思いを聴き、アスランのような言葉をかけてくれる人々に助けられ、自分を信じることができるようになりました。その後、「神学」という学問をする喜びが与えられました。そこでは出来ない自分が責められることはなく、学問が持つ楽しさ、学ぶことの喜び、生きていることの素晴らしさを教えてくれるチューターたちとの出会いがありました。学問が苦手であった私の学習法や思考法がどのようなものかをゆっくりと見て、聴き、適切なアドバイスを与えてくれました。出来ないお前が悪いと頭ごなしに言われたことはありませんでした。「聴いてくれた」ことで私は救われたのです。これは勉強だけでなく人を育てること、人間関係を構築することに通ずることです。人は「聴く」ことで心が開かれます。他者に「聴く」ことで自分自身の視野が広げられます。お互いに「聴く」心を大切にすることでよりよい空間へと変容されていくのです。

久々の立教、懐かしかったです!
変化した部分もありましたが、昔のままでした。
タイムスリップしたような感覚になってしまいました。
学生時代も今回の訪問の際も、先生方に親切にしていただき大変に感謝しております。
次にいつ来られるか分かりませんが、また来ます!
息子を入学させましょうか…?
(嶋本さん)
卒業後2度目の訪問となりました。
お忙しい中、先生の皆様にお時間を頂きありがとうございます。
前回は、井上、平野と、そして今回は嶋本と来ることが出来て、思い出話に盛り上がりました。
いつ来ても自分の原点がここにあると感じることが出来、ありがたいと感じております。
また来ます!
(石山さん)

THE CLOSING SERVICE OF THE FIRST TERM
RIKKYO SCHOOL IN ENGLAND
AND THE BLESSING OF NEW DOMITORY

77日間におよぶ1学期が本日終了し、1学期の終業礼拝が厳粛に執り行われました。学期中の通常礼拝は日本語で行われていますが、今回の礼拝は進行を含め、すべてが英語で行われました。地元のHorshamよりMark Sowerby主教、またRudgwickよりMartin King牧師をお招き致しました。
礼拝の最後には、英語科よりReading Marathon(学期中にどれだけの英字新聞を読んだたかというもの)、国語科より第71回漢字書取コンクールの最優秀賞の表彰が行われ、受賞した生徒に賞状と記念品が贈呈されました。

続けて行われた新女子寮の聖別式は、本校教員と生徒によるAmazing Graceの音楽とともに幕開けし、全校生徒、教職員、来校された保護者とお客様でお祈りを捧げ、主教様からの祝福を受けました。女子寮は学期途中の完成となったため、既に生徒が入寮し、生活を始めていましたが、本日無事に聖別式が終了致しました。

その後の昼食はNEWHALLに移動し、ランチョンをいただきましたが、舞台からは生徒、教員による様々な音楽が奏でられ、優雅なひと時を過ごしました。そして、食事の後半には、新女子寮を写したケーキが一人ひとりに配られ、その場で感動しながら食べた生徒、家族のために持ち帰った生徒、あちこちで笑顔のあふれる学期の最終日にふさわしい日となりました。

放課後、芸術同好会のメンバーが美術室へ集まった。
「今週は皆でデッサンをしてみよう」
会長の動きを見ながら、見よう見まねで木炭デッサンをしてみる。もちろんほとんど初心者だ。

芸術同好会には、個性豊かなメンバーがそろっている。大きくは美術班と写真班に分かれるのだが、同じ美術でも、水彩画が得意な生徒、デザインが好きな生徒。写真では、風景や自然を撮りたい生徒、人を撮るのが好きな生徒。こだわりのカメラを持っている生徒もいる。デッサンは会長の得意分野。会長のアドバイスを受けながら、有名な彫刻「ダビデ像」の写真をゆっくりと模写していく。和気あいあいと進めながら、時にぐっと静かになる場面があり、真剣に取り組んでいることが伝わってくる。

私はこのような時間を過ごすのがとても楽しい。立教生の学校生活はとても忙しく、放課後もあっという間に夕食の時間となり、あとは夜の授業と就寝前までの自習。試験前になると、ドミトリーと教室棟を往復するだけに終わってしまうこともある。しかしふと一瞬、辺りを見回してみると、美しい花があったり、空がきれいだったり、中庭で楽しそうに話す生徒達の笑顔があったりする。私は忙しい立教生に、そのような素敵な一瞬に触れることをいつも大切にして欲しいと思っている。

芸術活動は、写真でも絵画でも、美しいものに目を向け、切り取り、分かちあうものだと思う。だから私は彼らと芸術活動をすることが好きだし、新しいことに挑戦してすばらしい瞬間を発見させたい。

彼らのキャラクターがそのまま出たような、個性的な作品が完成した。皆すばらしい成果をもって、誇らしげに記念撮影。

同好会のメンバーには夏休みの自由課題として、「夏」をテーマに作品を作ってもらうことに決めた。私も砂絵に挑戦しようと思う。休み明け、どのような個性的な作品が集まるか、今からとても楽しみである。

大学3年生の時お邪魔してから7年振り、2回目の訪問です。
時が経つのは早いものですが、教室やドミトリーの匂いは変わらず、懐かしさでいっぱいになりました。
今回は新婚旅行の途中で寄らせていただきました。
またイギリスに来る際や人生の節目に帰ってきたいと思います。
どうもありがとうございました。

高校を卒業して以来、11年振りに訪問しました。
新しい女子寮の美しさと、使い心地のよさそうなことにジェラシーを感じております。
とは言え、変わっていないものも多く、とても安心しました。
また機会があれば訪問させてください。

7月2日、期末テストを終え、1学期も終わりに近づいた日の夜、いつもの食堂がコンサートホールに変わりました。
毎年1学期の最後に行われるスクールコンサートです。
このコンサートは、音楽の授業で学習・練習したものを発表する場となるとともに、生徒のなかには音楽のプライベートレッスンを受講し、様々な楽器や歌に挑戦している生徒も多くおり、そんな生徒たちの発表の場にもなっています。

期末テストの直後ではありましたが、出演者たちはこのコンサートのために気持ちを切り替え、すばらしい演奏を披露してくれました。
出演者のなかには、小さい頃から楽器を練習していて、立教でも技を磨き続けている者もいれば、立教に来てから楽器や歌をはじめた者もいます。
300人近い人々の前で舞台に立つということは、出演者たちにとって大きな挑戦となったことでしょう。
出演しない生徒も、共に学ぶ仲間が普段とは違う様子で堂々と舞台に立つ姿に心を打たれたようで、集中して演奏を聴いていました。
この経験が、それぞれの生徒に、音楽だけでなく、新しいことに挑戦する勇気を与えるものとなってくれればと思います。

今年のスクールコンサートは、クワイヤーによる”Thank you for the Music”の合唱で幕を閉じました。
出演者だけでなく、ステージの裏方、証明係、応援する仲間たち、そして地元の方々、その場にいる全員で素晴らしいひとときを過ごし、音楽がつくりだす一つの空間を共有することの喜びを改めて感じることのできる夜となりました。

6月29日、期末考査が終わり、待ちに待ったウィンブルドンテニス観戦に行ってきました。朝一番で出発するため4時半に起床でしたが、前日にしっかり準備したので定刻通り5時頃出発。快晴のウィンブルドンは例年通り長蛇の列です。陽ざしが強い中、チケットを買うために約5時間列に並んで待つのはなかなか大変ですが、生徒たちはおしゃべりしながら楽しそうに待っている様子でした。この列に並んでいる間にqueue cardという整理券をもらって、それを係員に見せて番号順に入ることになっていますが、このqueueという言葉からもイギリス英語を学ぶことができます。

長い待ち時間の後に、空港で行うようなセキュリティチェックを受けてやっと、入場チケットを購入。生徒たちは自分でチケットを買うことになっていますが、習った英語を実践で使う機会があるのは立教生ならではだと思います。

いざ会場に入ると、すでに会場内は盛り上がっているようで、どのコートも観客でいっぱいです。会場内はコートだけでなく、お土産売り場もカフェもレストランも超満員で非常に混雑していましたが、立教生は積極的に試合を観に行っていたようです。中にはこのウィンブルドン外出が一年で一番楽しみだという生徒もいるくらいで、有名選手の試合を観戦し、サインをもらったり、写真を撮ったりと、大忙しだったという話も聞きました。なによりも錦織選手が出場するということで、日本人の観客も多かったようですが、錦織選手も勝ち進み、とても嬉しい結果となりました。楽しい時間はあっという間で、「まだ帰りたくない」という声もあちこちで聞こえましたが、午後5時半頃にはコーチに乗り込み会場を後にしました。

帰校後の夕食の席ではさすがに生徒も少し疲れていた様子でしたが、友人と楽しく今日の1日を振り返りながらおいしくうどんをいただきました。
うっすら日焼けした顔には良い表情を浮かべていました。

ページ
TOP