「え?球技大会にテニスないの?」
私は中3で編入してきました。できるスポーツといえば、テニスくらい。しかし、球技大会にテニスなんてありませんでした。ならば、打つものをと思い、ソフトボールを選択しました。

中3の頃はルールも全く分からず、ボールもなかなか取れない。まさに「戦力外」という状態。ボールも怖くて、「自分のほうに飛んでこない」ことを祈っていました。自分のあまりのできなさに泣いたこともありました。それが、私の初めてのソフトボールでした。

毎年、球技大会の時期になり、どの球技にするかの希望用紙を目の前にし、他の種目にしようかと迷うものの、リベンジしたいという気持ちからか、いつもソフトボールの欄に○をつけていました。

この学校には女子ソフトボール部というものがないので、ソフトをするのはこの球技大会の時期だけでしたが、毎年確実に自分が上達していくのが実感できました。やはりできると楽しいもので、どんどんソフトが好きになりました。

そして高3。最後の球技大会。立教でいうとソフト4回目はかなり経験者のほうで、自然とベテラン枠でした。最後だからか、今年は気合いが全く違いました。練習期間は10日。たった10日。そしてたまたま集まった9人のメンバー。たった一瞬。たった一回。寄せ集めのメンバー。だからこそ全力でやってみたい。全力で勝利をつかみ取りたい。このチームに入ってよかったと思わせたい。最高の思い出を残したい。そういう強い思いがありました。

「全力じゃないとつまらない。」なんて言葉をよく耳にするとおり、練習は毎日できる限りまでやり、キャプテンだった私はとにかく声を出すことと、構えの体勢を完璧にすることの2つを徹底しました。敵チームも皆初心者ばかりでスタートは同じ。ならばどれだけチームのメンバー9人が、一つのまとまりとしての役割を果たせるか。私が4年ソフトをやって、1番ソフトに必要だと強く感じたのはやはり、「気合い」でした。技術でもなく、気合いと言うのは簡単そうで、一番難しいのです。自分のミスで失点したり、足を引っ張ると、つい自分を責めて悲観的になったり、投げやりになったり、そこでチーム全員が声を出し合うと、力強く、やる気が出ます。

いざ本番。もともと普段からうるさい性格なので、私はチームのムードメーカーの役割もありました。「っしゃ、取るぞー!」「おーっ!」女子とは思えない位の声で守備の体勢に入りました。「一点も取らせないぞ」という気持ちがなければ勝てないと思いました。ボールが自分のところに来るのを待つのではなくて、自分でがつがつと取りに行こうと思いました。メンバー全員の目は真剣そのものでした。構えも完璧。やる気が皆の目と体勢からみなぎっていました。そのおかげで失点0で、スリーアウトをとれるまでになりました。

結果は午前も午後も勝ち。感無量でした。9人の顔には笑顔がありました。抱き合ったり、とにかくうれしかったです。今年の球技大会は今までで一番のものとなりました。キャプテンをやってよかったと思い、最高の思い出ができました。ありがとう、と言いたいです。

(高等部3年生 女子)

僕はこの立教英国学院にとうとう入学することができた。3年前にロンドンに来て、僕は日本人学校に入学、姉は立教英国学院に入学した。まだ中1だった僕には高等学校という場所は至極敷居の高い、「大人の来る場所」であった。3年間オープンデイには来続けてはいたが、ただただ凄いなあと思うだけであった。しかし、僕が中3になり、進路について考え始めた頃に、父から信じられない言葉が発せられた。
「あと2、3年、コッチ残るから。」
「コッチ」とはもちろんロンドンのことである。普通の中学3年生ならば、嫌がることだって十分にあるだろう。しかし僕は違った。今まで憧れ、心の奥底では行きたいと願っていたのだろう。僕は歓喜した。オープンデイを2年見て、それを見る限りでは自分と同学年とは思えないほど落ち着いていて、マナーもきちんとしていた同い年の人達と一緒に学校生活を送ることができる。今内部からの進学者を見ると、大方そういうワケではない様子だが、当時はそう思えたのだ。

そんなこんなで嬉々として受験勉強に励んだ。それはそれは頑張ったので息抜きにオープンデイに行った。サボった訳ではない。あくまで息抜きだ。当時は前述の通り同学年の立教生を自分たちより落ち着きがある人達と思っていたため、出し物もさぞ凄いものであろうと思っていた。凄かった。きっと日本人学校の生徒達でアレを作り上げることもできなかったろうし、東日本大震災という重たいテーマを扱うこともできなかっただろう。僕は当時、尊敬の念を深めたことを今でも覚えている。受験勉強の励みになったことは言うまでも無いだろう。

そして、試験に合格し、今、確かに立教英国学院の生徒になった僕がいる。クラスのT君やU君などは、僕の想像とは確実に違っていたけれど、良い人で面白くてなんだかんだ頼りになる。ちょっと考えていたのとは違うがここで過ごす3年間、案外楽しいかも知れない。

(高等部1年生 男子)

「うーん。なんか立教の味と違う。」

私は、この春に今までイギリスで食べたことがあっても日本ではあまり食べたことのない、いろいろな料理を作ってみたり、食べてみたりしていました。料理をあまりしない私がなぜこんなことをしていたのかというと理由があるのです。なぜかというと、ホームステイ先で食べたラザニアの味と立教で食べたラザニアの味が全然違っていたからです。今年の春休みに初めてホームステイをしました。それまでイギリスの料理イコール立教の食事でした。なのでホームステイ先の料理を食べたとき、少し驚きました。おいしかったのですが、いつもの味とこれほど違いがあるのかと驚きました。そこで私は、日本に帰った時にイギリスで食べたいろいろなものを作ったり食べたりしたのでした。

日本に帰って一番最初に作ったのは、アップルクランブルです。アップルクランブルといえばザ・立教食の、毎週木曜日のデザートとして出る、イギリスの伝統的なスイーツです。作ってみてわかったのですが、立教のようにきれいに表面を黄金色にすることができず、黄金色にするとリンゴが焦げてしまうという結果になりました。味もなんだか違う。でもおいしかったです。そのあともいろいろ作って食べてみました。キッシュ、ラザニアなどなど。しかし、全て立教の味とは違い、立教の方がおいしかったです。同じクラスの友達も「立教のラザニアは立教でしか食べられない味でおいしい!!」と言っていました。

いつものように過ごしていたらわからなかったことも発見することができました。これから3年間、食べて味を覚えて、日本で作れるぐらいになりたいです。キッチンスタッフの皆さん、いつも直接言うことができなくてごめんなさい。毎日おいしい食事をありがとうございます。

(高等部1年生 女子)

私はいつものように春休みを迎え日本に帰った。3学期は1年の中で一番短い学期なので、日本に帰っても頭に残っている冬休みの景色のまま何も変わっておらず、気温も低かったのでまるで冬休みの続きのようだった。

いつものようにソファーに座り、リモコンでテレビを付ける。ニュースをやっていた。内容は、東日本大震災から4年を迎えた今、日本の状況、そして復興について。安倍内閣総理大臣が話していた。私の周りの人たちは普通に見たり聞いたりしていたが、私は普通には聞いていられなかった。その時、安倍内閣総理大臣は経済について話していたが、その中に出てくる言葉は私が3学期に公民で勉強した内容そのもの。私は強い衝撃を受けた。なぜかははっきりとはわからないが、きっと今まで理解できなかった言葉がポンポン自分の頭の中で解決されていくことと、今まで自分は何を見て、聞いていたのか、ということからくるものだろう。

今までも毎日ニュースを見ていた。しっかり全部見ていると思っていた。しかし、それは私の勘違いであったことが今やっとわかった。今まで私はニュースの3割ほどしか理解していなくて、頭に入っていなかったのだ。そのため、毎日ニュースを見ていても楽しく無かったし、何を言っているのかもわからなかった。それが当たり前だと思っていた。きっと大人もそうなんだろう、と思っていた。

でもよくよく考えてみたらそんなはずがない。何て言ったってテレビで話しているのは大人なんだから。話している本人がわからなくては話にならない。私の頭の中でひとつ、謎が解決した。それは、大人が真剣にニュースを見ているのは、内容に興味があるだけではなく理解しているからだということ。私も春休みになってニュースを見ることが楽しくなった。いつもならすぐに飽きてしまうのに今はもう飽きない。それどころかもっと興味を持ち、耳を傾けてしまう。

こんな経験を通し、私は学ぶことに対しても関心を持つようになった。もともと勉強は嫌いで、今も自信を持って好きとは言えないが、いつか公民だけでなく、そして勉強だけでなく、もっと大きな物事に関心を持ち、学び、経験したいと思う。

この春休みは高校に入る前の最後の休み。この高校に入る前の準備期間に私に学ぶ楽しさを気づかせてくれた公民の高野先生、そしてその他の先生方に感謝します。

(高等部1年生 女子)

今日の英会話の授業は少し特別だった。高校3年生のうち20名が外出。地元の村、クランレーにあるご老人たちのコミュニティーで懇談会をすることになっていた。

1時間目終了後、出発直前に風邪気味の生徒が数名外出を断念、代わりの生徒を探しに教室に行くと、「僕行きたい!」「私も行かせてください!」 あっと言う間に定員の20名にもどった。流石高3。英語を使いたい!という気持ちがダイレクトに伝わってくる。

レセプションに着くと、早速奥のホールに案内されてご老人たちとご対面。年末のクリスマスキャロルの時や卓球の親善試合で交流した方々も何人かいた。皆最上の笑顔で迎えてくれて、自然気持ちが和んでくる。2〜3人ずつが一組になって早速ご老人達と話を始める。自己紹介から始まっていろいろな話題を語り合う。授業で用意しておいた質問を使ったのは自己紹介の後だけ。思いもよらない展開でどんどん話は進んで行く。そして丁度盛り上がったところで英会話の先生の指示。
「ハイ、そこまで。では皆さん立って!横にずれて下さーい。次の方と話を始めましょう!」

そう、全員のご老人たちと次々に話をしていくというのがこの日の英会話タスク。新しい相手と再び最初から自己紹介。そして用意した質問で会話がスタート。でも展開は全く違う。流石年の功。皆さん話の進め方がうまい。若い生徒たちを相手に次々と話題を変えて逆にどんどん質問をしてくる。10分ごとの新しい会話は雰囲気も調子もそれぞれで、途切れることなく会話が続く。いつの間にか英語で話していることさえ忘れて興味の赴くままに話している。生徒達の楽しそうな顔からそんな気さえしてきた。

約1時間に及ぶ若者とご老人達との会話セッションはあっという間に幕を閉じ、名残惜しむ暇もなくバスに乗り込んだ。そして生徒達は15分後にはいつもの教室で次の授業に参加していた。夢見心地の英会話は改めて彼らに英語を勉強する意義を確認させてくれた。

5月8日(金)、立教では毎年恒例になっているJapanese Eveningが行なわれました。7時半の開場前には、すでに多くのお客様が入口で待っている状態で、過去最多となる約150名の方々が会場に足を運んでくださいました。

地域のみなさんに日本の文化、伝統を紹介して、日英の文化交流に貢献したいという思いから始まったJapanese Eveningも今年で11年目。毎年この日を楽しみに来場してくださる方もいるそうです。

今年は地域交流委員の生徒たちによるプレゼンテーションから始まり、あやとり、折り紙、書道、昔遊び、そろばん、箸、茶道、ジブリ作品紹介、独楽、けん玉、射的、剣道と多岐にわたる展示、企画が行われました。

英語でちゃんとコミュニケーションがとれるか不安だと吐露していた生徒たちも、いざお客様を前にすると、楽しそうに英語で会話している姿が多く見られました。来場した英国人たちも非常に楽しんでくださったようで、生徒も一生懸命準備した甲斐があったのではないでしょうか。

英国で触れる本場の英国文化が私たちにとって新鮮なように、本日来場してくださった方々も生の日本文化を肌で感じて、記憶に残る経験になったはずです。「おもてなし」の心をもって、日本の文化を英語で海外に発信できたことを誇りに思ってほしいと思います。

近年日本では英語のspeaking skillsが重要視されていますが、言語はあくまでコミュニケーションツールです。肝心なことは英語で何を話せるか、伝えられるかではないでしょうか。今回の行事を通して、生徒達は自国の文化を英語で伝える、真の異文化コミュニケーションをとることができました。この経験はきっと今後にも生きてくるはずです。

まばゆい太陽の中から、まるで皆既日食のように、かたや隕石のように、それはスローモーションで降ってきた。

土曜日は雨が降るらしい。礼拝で校長先生の口から出た言葉に、私は何も感じなかった。普通球技大会当日に雨が降るとなると、気落ちするところだろう。特に種目はソフトボールだったので、そう思っても何ら不思議はない。それにも関わらず無関心だった理由は、ただ「出たくない」という気持ちからだった。それというのも、私のチームは練習試合で一度も勝ったことがなかったからだ。凡ミスが多く、飛距離はなく、ミスをすればするほど気力が削がれていく。そんな悪循環の中で、私はただやるせなさを感じていた。

金曜日、前日練習の日、私はこの日を良く覚えている。一人ひとりの弱点と、バッティングの強化。その日、初めてしっかりと、お互いに改善点を言い合うことができたのだ。普段接点がない者同士は、お互いに思っていても口には出せない。だから、端から見れば大したことでなくとも、私達にとっては、とても凄い進歩だったのだと思う。

球技大会当日は曇天模様からのスタートだった。しかし、前日に生まれた士気のおかげで、天候など取るに足らないものだった。もう無関心などではなく、勝ちたいという思いで、外野にどっしりと構えた。

声を張り上げながらも、私はどこか冷静だったのだと思う。ダブルプレー。それは人生で初じめての出来事だった。外野で構えていると、薄汚れたはずのものが、太陽の光を反射して、私の目をくらませながら、流れ星の様に、しかしゆっくりと、手の中に降ってきた。フライ、ワンアウトだ。まだ二塁ランナーは戻っていない。私の頭はこれまでになく冷静に、貪欲に勝利を求めた。

試合が終わった瞬間、半信半疑だった私たちは、勝利を確かめ合うように円陣を組んで叫びまくった。全員で連絡を取って、気迫負けしないように常に声を張って士気を高め合い、手に入れた勝利。ただただ嬉しかった。

今回の球技大会は、今までになく、大切な経験を与えてくれた。まず一つに、高2という立場の難しさだ。先輩だけに任せるわけにはいかず、下級生へのアドバイスに気を遣ったりと、大変だった。しかし今回、本気でぶつかれば、相手も本気で答えてくれることを学んだ。遠慮や気遣いばかりするのではなく、本気を見せつければいいのだ。二つ目に、私たちは叱咤激励を繰り返し、お互いの役割や士気を再確認していく中で成長するということだ。正直私たちが勝つことができた大きな要因は、チームワークと声によるものだと思う。何よりも自分を、仲間を鼓舞することで一体感が高まったのだと思う。これらは綺麗事と思われがちだが、球技大会は、これらの言葉が本当のものであることを、本気で取り組んだ者にだけ教えてくれるのだ。

それは実は、私たちが自ら掴みに行ったものなのかもしれない。

(高等部2年生 女子)

今年も、毎年恒例のブルーベル見学に行ってきました。ブルーベルは、日本における桜のように、イギリスの春を代表する花といわれています。ということは、ブルーベル見学は、いわば全校で行くお花見のようなもの。幸いなことに、立教は敷地の奥にブルーベルが多く咲いており、徒歩でその姿を見に行くことができます。昼食を食べ、エネルギーを蓄えてから、動きやすい服装に着替えて、みんなで学校の奥へと出発です。

今年は、前日に降った雨で、足元も少し滑りやすくなっている様子。そのなかで、友達同士支えあったり、道端に落ちている枝を杖代わりにしたりと、普段生活している環境とは少し違う自然のなかでの活動は、生徒たちに新たな学びを与えてくれるようでした。そして、道の途中で少しずつ目に入ってくるブルーベルに、生徒たちは立ち止まり、その美しい色を楽しんでいました。昨年もブルーベル見学をした生徒たちは、「これでは終わらない」とばかりに、4月から加わった新しい仲間を、先に広がる美しい景色へと導いていきます。そしてたどり着いた目的地では、一面に広がるブルーベルを背景に各クラスで写真撮影を行いました。
はじめてブルーベル見学をする生徒は、学校の敷地のなかにある自然の深さに驚きつつも、一面に広がるブルーベルの美しさに感動していました。また、ブルーベル見学を何度も経験している生徒も、自然が見せる変化を感じ取り、去年とは違う新たな見方で自然を感じ、楽しんでいる様子でした。

今年は5月に入ってからのブルーベル見学となりましたが、1学期も1カ月が過ぎ、日々の生活も落ち着いてきた時期に、自然のなかで仲間と穏やかな時間を過ごせたことは、新たな気持ちで日々の生活を送る良いきっかけになったことでしょう。

今まで、学校の運動会や体育祭といったスポーツ関連の行事に参加したことは何度もあったが、立教英国学院の球技大会ほど積極的になったことはなかった。

運動部に所属したことがなく、特にスポーツが好きでない自分にとって、放課後に球技の練習を何時間もすることは、練習シーズンが始まった頃、とてもきつく感じた。しかし、学期がはじまって一週間が経とうとした頃、一日の流れが急に加速していくように感じることにあわせて、球技大会の練習が自分の一日のサイクルの中の一つとなって、それが当たり前のことになっていった。気づけば、練習を楽しんでいたくらいだ。

自分が参加する球技大会はバレーボールだった。過去に経験がある球技は野球しかなかった(といっても小学校の頃に三年程度だが)ので、第一希望はソフトボールだった。しかし、抽選か何かで落ちたのか、第二希望のバレーボールをやることになった。嫌だった訳ではないのだが、経験の無いスポーツを二週間程で試合ができるまでに上達させられるのか、という不安を抱えてのスタートだった。最初は、アンダーボールでボールを返すときに、腕がとても痛かった。ところが数日もすると、そんな不安や痛みはどうでもよくなっていた。先輩やバレーボール部員とやっていくうちに、バレーボールという球技が自分の中に浸透していた。

当日、男子バレーボールでは、各々が好きな背番号をつけたTシャツを着て本番に臨んだ。色んな人にTシャツにメッセージを書いてもらった。敵味方関係なく、だ。立教英国学院の球技大会は、試合の勝敗はもちろん大事だが、それよりも皆で放課後の時間を費やした成果を敵味方なく共有し、互いを理解するためのものだと、ふと自習時間中に振り返りながら考えている自分がいる。
(高等部2年生 男子)

「来年のパーカーどんなのにする?」
ドミトリーや教室でこんな話題が多く飛び交った。こんな言葉を聞いても来年自分が最上級生だという意識は持てなかった。
中1からいる私にとって大キャプテンはすごく頼れる存在で、自分たちはその人たちに引っ張られている感じだった。そんな素晴らしい存在に、自分が、また同学年が来年なるなんて想像もつかなかった。けれども同学年の体育委員などが全校を仕切っているところを見て、私も後輩からみて頼れる存在なのかなと思った。「高校2年生」という意識を十分に感じた球技大会。来年は頼れる存在がいないと思うと、涙が出そうだった。

高2といえば部長や生徒会などで学校を引っ張る。私たちがどう過ごすかで、後輩の礼儀の良さなどが決まる。私は中学生の頃、こんな先輩になりたいという憧れがあった。今度は自分がそう思われなければならない立場だ。私たちが先輩を見ていたのと同じように、後輩も私たちを見ている。見られているという意識を持つ、これが先輩と後輩との違いだろう。

高2になって改めて先輩の大変さ、大切さを知った。そしてかつて私が憧れた先輩になりたいと思う。礼儀、マナー、厳しさの内にある優しい心。これは、上下関係が厳しくないこの学校で、とても大切なことだ。私は長い間この学校にいて感じたことがある。それは一番良い先輩は、マナーや礼儀に厳しい先輩であるということだ。後輩のことを思っての行動だからである。これが厳しさの内にある優しさだと私は思う。その時は「嫌な先輩」「めんどくさい先輩」と思われるかもしれない。けれど後から考えてみれば良い先輩だと思う。しかし、今はそんな先輩が少ないように思う。だからこそ私たちがそんな先輩になり、後輩たちもそれを引き継いでくれたら、立教はもっと良くなる。「よりよい学校生活」、これはきっと生徒会選挙で立候補者のいう「公約」という手を使うのが良いのかもしれない。しかし私は、まずは自分たち一人ひとりが少し変わることも一つの手だと思っている。伝統を残しつつ、学校をbetterにする。これが私の高2、高3の目標だ。

(高等部2年生 女子)

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