■大学合格状況

〈2003〜2013年度〉 〈2014年度〉卒業者数 43名
大 学 名       合格者数 大 学 名       合格者数
国公立 東京工業大学 4 国公立 一橋大学 1
国公立 東京外国語大学 4 国公立 東北大学 1
国公立 筑波大学(うち医学部1) 4 国公立 筑波大学 1
国公立 横浜国立大学 3 国公立 東京農工大学 1
国公立 一橋大学 2 国公立 横浜市立大学 1
国公立 埼玉大学 2 私立 立教大学 19
国公立 大阪府立大学 2 私立 上智大学 6
国公立 横浜市立大学 2 (1は医) 私立 慶応大学 5
国公立 東京大学 1 私立 法政大学 4
国公立 東京医科歯科大学(医学部) 1 私立 早稲田大学 3
国公立 山形大学(医学部) 1 私立 明治大学 3
国公立 東京海洋大学 1 私立 青山学院大学 3
国公立 国際教養大学 1 私立 千葉工業大学 3
国公立 首都大学東京 1 私立 津田塾大学 2
国公立 山口大学 1 私立 関西学院大学 2
国公立 広島市立大学 1 私立 中央大学 1
国公立 愛媛大学 1 私立 国際基督教大学 1
国公立 富山大学 1 私立 東京薬科大学 1
国公立 金沢大学(薬学部) 1 私立 明治薬科大学 1
国公立 北見工業大学 1 私立 聖心女子大学 1
防衛医科大学校 1 私立 フェリス女学院大学 1
私立 立教大学 139 私立 東海大学 1
私立 早稲田大学 53 私立 東邦大学 1
私立 慶應義塾大学 24 私立 桜美林大学 1
私立 青山学院大学 24 イギリス LIVERPOOL UNIVERSITY 1
私立 東京理科大学 20 イギリス SURREY UNIVERSITY 1
私立 明治大学 19 イギリス MANCHESTER UNIVERSITY 1
私立 上智大学 16 イギリス UNIVERSITY OF BIRMINGHAM 1
私立 中央大学 16 イギリス UNIVERSITY OF East Anglia 1
私立 日本大学 11 イギリス CITY UNIVERSITY LONDON 1
私立 成蹊大学 7 イギリス UNIVERSITY OF ST.ANDREWS 1
私立 法政大学 7 イギリス KING’S COLLEGE LONDON 1
私立 東京農業大学 7 アメリカ MASSACHUSSETTS LOWEL 1
私立 北里大学 6 その他
私立 南山大学 6
私立 明治学院大学 6
私立 学習院大学 5
私立 立命館大学 5
私立 東京薬科大学 5
私立 フェリス女学院大学 5
私立 関西大学 4
私立 関西学院大学 4
私立 立教女学院短期大学 4
私立 日本女子大学 4
私立 武蔵工業大学 4
私立 津田塾大学 3
私立 国際基督教大学 3
私立 成城大学 3
私立 東洋大学 3
私立 立命館アジア太平洋大学 2
私立 玉川大学 1
私立 獨協大学 1
私立 東京慈恵会医科大学 1
私立 日本医科大学 1
私立 日本歯科大学 1
私立 同志社大学 1
私立 聖心女子大学 1
私立 東京家政大学 1
私立 京都女子大学 1
私立 近畿大学(薬学部) 1
私立 聖隷クリストファー大学 1
私立 LEHIGH UNIVERSITY 1
その他

「こんにちは。鈴木です。宜しくお願いします。」
私は4年半前、緊張しながら、ヒースロー空港に到着して、高橋先生にそう言った記憶がある。あの頃は、すべてが新しくて、怖い事、知らない事、不安な事が心の中にいっぱいあった反面、新しい世界に対しての期待、良い緊張感によって胸が躍っていた。それが立教英国学院という学校に通い始めた私だった。

それから、私の学年は7人から40人以上まで増え、自分も成長し、知らぬ間に高2になって、イベント、部活、委員会の中心に立つようになり、皆に時間を知らせたり朝起こす仕事まで任された。何よりも、気付けば私は多くの先輩を見送り、先輩だらけだった学校が今では同学年と後輩しかいなくなり、次に卒業するのは私たちだ。

長かったと言えば長かったが、一瞬だったと言えば一瞬でもあった。私はついに高3になろうとしている。そして、永遠に続くような気がしていた立教生活も残り2学期。そう思うと妙な気持ちに襲われる。大学を楽しみにしている自分、日本に行って先輩に会えると思うと嬉しくてたまらない自分、受験を失敗するのが怖くて隠れて震えている自分、文句を言いながらも第2の家と家族みたいな立教にそろそろ別れが近づいて来ている事を悲しんでいる自分。

このような気持ちを心に刻んで、私はついにラストスパートを迎えようとしている。悔いのないように、最後まで笑顔で過ごしたい。そして、3学期大学合格を無事伝えられるように全力で頑張りたいと思う。

(高等部3年生 女子)

この春休み。今回は何かが違う。僕は今高等部2年生、いや、3年生になろうとしている。つまり、受験生に向けてのスタートラインに立たされている。

他の学年が春休みに入った頃、僕たち受験生は「遊び」ではなく、「学習」の1週間に突入した。僕は理系なので補習授業をフルで受けさせてもらった。そして、授業が入っていないコマは自習。学期末に定期テストがあったばかりで、長時間の自習には既に慣れていたので難なく集中できた。

補習が終了し、他学年より1週間遅れをとって突入した春休み。久々の、丁度2年ぶりの日本へ本帰国して心浮かれてしまった。学校にいる間は「よし!家に帰っても、この勢いで勉強するぞ!」とやる気満々だったが、家に帰ると、どうしても勉強する気力が湧かない。学校にいる間は、周りに一生懸命勉強している友達、いわば競争相手がいた。家には…。周りに競争相手が誰一人いない。そんな中で学習に取り掛かるにはとても時間がかかった。

休みに入って、1、2週間した頃のある日。僕は家族と一緒に立教大学、そして早稲田大学に行き、下見をしてきた。その日は丁度どちらの大学も卒業式の日で、校内は学生で溢れていた。僕の中で印象に強く残っているのは、立教大学の校風だ。煉瓦造りの校舎、そして手入れのされた芝生。いつか自分もこんな場所で勉強ができたらなと、思った。それから、僕は少し勉強をする気力が増し、今までのだらけた日々とは絶交した。

このように、僕は少し遅かったが、受験生と自覚できるようになったのだ。休み明け、勝負だ!一度きりの人生なので悔いの残らないよう努力を積み重ねていきたい。

(高等部3年生 男子)

春休みにスカイツリーに行った。スカイツリーは日本一高い電波塔で、その高さはなんと634メートルもある。私は今まで東京に住んでいながら、そこを訪れたのは初めてだった。スカイツリーの完成からまだ数年しか経っていないが、そこは東京で一位、二位を争う観光地になっていたと感じる。展望台のチケットを買う行列は予想していたよりもはるかに長く、待ち時間は1時間ほどだった。

チケットを買い、いよいよ展望台へ向かった。展望台まではモダンなエレベーターに乗った。これが振動もなく数十秒で上まで着いてしまうのが驚きだ。展望台に着くと、そこには今までに見たことがない景色が広がっていた。車や人は蟻のように動き、東京の町はビルや住宅、工場でびっしりと埋まり、少しの隙間も許さないという、ゆとりがなく忙しい雰囲気が漂っていた。しかし、空を見ると、空は澄み渡り、どこまでも広がっていた。私はそれを見た時なんだかほっとした。

東京は時代を経て様々な形にせわしなく変化してきた。大火事や大空襲などで町が焼け野原になっても東京の町は幾度も再生を繰り返した。また時代に応じて人やモノも変化してきた。車、ファッション、電子機器はここ数十年で急速に発達し、人々に暮らしの豊かさをもたらした。そんな東京で唯一、変化していないのが空であると感じる。空だけが私たちの心のゆとりを許してくれている。そんな気がするのだ。しかし、近年は工場の煙や車の排気ガスで大気汚染が発生しているそうだ。

東京の澄んだ空が見られなくなったその時、私たちの心にはゆとりなどあるのだろうか。

(高等部3年生 女子)

新入生の皆さん、入学おめでとうございます。そして在校生諸君、進学おめでとう。
今日はちょうど桜が満開で、日本の春を代表する桜と、イギリスの春を代表するダフォディル、黄色い水仙のことですが、その両方が咲いているという、いかにも立教の入学式にふさわしい日となりました。

この学校は1972年、初代校長をつとめた縣康(あがたやすし)先生によって創設されました。世界で最初に海外にできた私立の全寮制日本人学校です。
このあと新入生の皆さんにお渡しする胸のバッジには、この1972の数字が記されています。今年は2015年、この4月で創立43年を迎えました。

今から43年前というと、日本がまだバブルの時代を迎えるはるか前、日本人が海外に出て活躍を始めたばかり、そういう時代に、創設者の縣先生の言葉によれば、「これからの日本の若い人達に、真の国際的教養を身につけさせたい、日英の親善のために何かしたい」という目的でこの学校が創られました。今、日本では教育のグローバル化が叫ばれ、国際的に活躍できる人材の育成とか、世界の人たちと共に生きる力をつける、などといったことがあちこちの学校で教育目標として掲げられています。すべて立教では43年前から当たり前にやってきたことです。今年度からはUCLロンドン大学との提携を踏まえて、イギリスの大学への進学も視野に入れた、Critical Thinking などの授業も始まります。

創立当時、わずか19名の小学生でスタートしたときの学校は、今、本館と呼んでいる古いお屋敷だけ、この本館の中で全員が暮らし、食事をし、授業もしていました。第4代校長の宇宿昌洋先生の時代に、在英の各企業をはじめとする多くの方々のご支援を得て、食堂ホールや教室棟、体育館や図書館などが完成し、今ある学校の形ができあがりました。
昨年には男子寮3階の改築工事が無事終了し、現在建設中の新しい女子寮も、もうあとほんの少しで完成します。女子の皆さんはしばらくの間、窮屈な寮で我慢しなければなりませんが、ハーフタームからは快適な生活を送れるはずです。今回の寮の建設にあたっても、多くの方々から沢山のご支援を賜りました。この場を借りて有難くお礼を申し上げます。特に今回、初めて君たちの先輩たち、卒業生の皆様からも多くのご協力をいただきました。生徒諸君は是非このことを心に留めて、この学校がたくさんの先輩たちによって支えられていることを覚えておいてください。

実は新しい女子寮は先月完成の予定で、この4月から使用を開始するはずでした。工事が遅れたのはコウモリのせいです。昨年まで倉庫として使っていた旧いガーデンハウスを取り壊すにあたって、事前調査でコウモリの糞が屋根裏から見つかりました。イギリスではコウモリは保護動物である、ということで、建築の認可を受けるにあたっては、コウモリの保護を最優先させることが義務付けられました。そのため取り壊しの際には、工作機械を使って一気に壊すのではなく、動物保護団体のコウモリ専門家の立会いのもとで、屋根の瓦を一枚ずつ手作業ではがし、もし瓦と瓦の間でコウモリが冬眠していたら、直ちに工事は中止、冬眠中のコウモリが自然に目を覚ますまでそっとしておかなければならない、という厳しい条件付の工事となりました。幸いにして、冬眠中のコウモリは発見されず、以後、工事は順調に進みましたが、その時の遅れが最後まで響いて竣工が遅れることになりました。今、既に外観は完成していますが、こちら側から見上げると屋根の上の方に2箇所の穴が開いているのが見えると思います。何とあれはコウモリ専用の出入り口です。屋根裏の一部を完全に仕切って、コウモリ専用のスペースが作られています。新しい寮には、これからコウモリの新入生も加わることになるかもしれません。

コウモリとの共同生活、なんてことを考えていて、ミトコンドリアの共生の話を思い出しました。ちょっと脱線しますが、3年前、日本で立教大学理学部の講義室を借りて学校説明会を開いたことがあります。その時に理学部の建物の入口に、当時立教大学教授の黒岩常祥(つねよし)先生のミトコンドリアについての講演会のポスターが貼ってありました。講演会当日はイギリスにいて参加できなかったのですが、ちょうどバイオロジーの授業でミトコンドリアが出てきたところだったので、ちょっと気になって、この先生の書いた本をアマゾンで捜して買いました。これがものすごく面白かった。何しろこの本をミセス今多に貸したら2年間戻ってこなかったぐらいです。何の話かというと、ミトコンドリアは細胞のパーツの一つです。私たちの体を作っている細胞の中に入っている。ミトコンドリアの役割は、食物を酸素を使って分解してエネルギーを取り出すこと、このお陰で私たちは生きている。ところが、なんとこの本によると、ミトコンドリアはもともとバクテリアだったというのです。

バイオロジーの授業で、食物は、酸素を使って分解したほうが、酸素なしで分解するよりずっと効率よくエネルギーを取り出せる、と習います。さて、昔々、20億年前の地球にはバクテリアしか住んでいなかった。酸素を使えるバクテリアと酸素を使えないバクテリアが住んでいたのですが、20億年前のあるときに、この2人が共同生活を始めた。酸素を使えるバクテリアが、酸素を使えないバクテリアの中に入って、一緒に暮らすことにした。それがミトコンドリアだというのです。そうやって酸素を使えるバクテリアの方はミトコンドリアになって体の中でエネルギーを取り出す仕事を専門にやる。酸素を使えなかったバクテリアは、食物さがしに専念できる。この結果、それまでバクテリアしかいなかったこの地球上で、生物の大進化が始まった。

脱線ついでにいうと、ここまでが動物の話。実はもうひとつ別の種類の、光合成をできるバクテリアというのもいて、これも一緒に共同生活を始めたのが植物だそうです。このバクテリアは植物の体の中で葉緑体になった。これを細胞内共生説というそうです。面白いでしょ。私が高校生の頃にはミトコンドリアも葉緑体もただの細胞のパーツでした。最近の研究では、ミトコンドリアも葉緑体も、ちゃんと自分のDNAを持っていて、細胞の中で自己分裂して増殖しているらしい。さすがもとバクテリアです。そしてすごいところは、君たち風邪をひいて熱が出て、体が風邪菌と戦わなきゃならない、そういうときには、エネルギーがたくさん必要だから、細胞の中でミトコンドリアが一生懸命増殖する。ちゃんと助け合っているのです。つくづくヒトの体ってすごいなあと思います。

さて、今日から君たちの立教での生活がスタートします。朝7時の起床から夜寝るまで、皆で生活を共にして、一日3度の食事を共にして、泣いたり笑ったり歌を歌ったり、助け合ったり喧嘩したり、そうして何か学校行事があれば皆で力を合わせて取り組んでいく、球技大会、ジャパニーズ・イブニング、スクールコンサート、オープンデイ、合唱コンクール、様々な行事やイベントを通して、勉強だけでなく、スポーツが得意な人、絵がうまい人、歌や楽器が上手な人、模型作りがうまい人、人の話を聞いてくれる人、一緒に泣いてくれる人、黙って手伝ってくれる人、一緒に生活しているからこそ、他人の良いところ、他者の存在の有り難味が分かる、互いを認め合うことができる、それが立教の良さだと思います。そしてそれこそが、これからの国際社会の中で、環境も考え方も異なる色々な国の人たちと、共に生きていく、そのための第一歩につながっていく、と思っています。

本校の教育理念として、「キリスト教に基づき他者を思いやることのできる人間を育成する」ということを掲げています。
他者への思いやりの心は、43年という歴史の中で、君たちの先輩たち、生徒一人一人、教員一人一人が、力を合わせて実現してきたことです。先輩から優しくしてもらった、あのとき上級生が面倒を見てくれた、だから自分が上級生になったら今度は自分が下級生に優しくしてあげる、後輩の面倒を見てあげる、この良い連鎖を断ち切らず、守り続けていってください。

高等部3年生の赤ネクタイは、最上級生としての責任の証です。今日は早速、受付や案内係で大活躍してくれました。今年はどんな高3になるのか、後輩たちにどんな背中を見せてくれるのか、楽しみにしています。高校2年生はこれから学校の中心になります。生徒会、委員会、部活動、係本部、これからの1年間、どうしたら皆がいきいきと楽しく生活していけるか、それを考えていくのが君たちの責任です。そして下級生は、先輩が優しいからといってそれに甘えすぎないように。ちゃんと礼儀を守る、けじめをつける、言葉遣いに気をつける、そういうことがきちんとできなければいけない。それができる下級生の上に、優しい上級生という存在が成り立っていくのです。

昨年、高校3年生を送る会の最後に、立教を去っていく高校3年生を代表して山本さんが君たちに贈った言葉を覚えているでしょうか。
「私たちは、みんなを立教に残していくのではない、立教をみんなに残していきます。」
「みんなを立教に残していくのではない、立教をみんなに残していきます。」

ここにいる君たち一人ひとりが、これからの立教を作っていく。
友達のために何をしてあげられるか、先輩のため、後輩のため、一緒に生活している人のために自分は何ができるのか、いつもそういうことを考えながら、これからの生活を送っていってほしいと思います。
君たちの成長を祈って、本日の入学・始業礼拝式の式辞といたします。

4月12日(日)、立教英国学院では入学始業礼拝が執り行われ、2015年度が始まりました。
青空が広がる中、41名の新入生を迎えることができました。さらに今年は桜の開花が遅く、当日はちょうど満開。春らしい始まりの一日となりました。

当日到着した新入生を迎えるのは、高等部3年生の生徒たち。この日から高3生の証である赤ネクタイをつけて、受付や校内案内を行いました。
「赤ネクタイは責任の重さの証」。毎年、校長先生が入学始業礼拝で高3生に送る言葉です。
笑顔で新入生を迎え、案内を行う姿は頼もしく、まずは一日目、きちんと責任を全うしてくれました。

新入生と保護者を交えて昼食をとった後、午後三時より入学始業礼拝がチャペルで行われました。新入生はこれからどんな生活が始まるのか、在校生はどんな一年が始まるのか、ドキドキしながらの出席となったことでしょう。
礼拝の中では新入生一人一人に校長先生から校章のワッペンが手渡されました。名前を呼ばれるとそれぞれ緊張した面持ちで前へ出てワッペンを受け取りました。

学期が始まってしばらくは慌ただしい日々が続きますが、新入生には一日も早く寮生活に慣れて立教生活を楽しんでほしいものです。
立教英国学院で生活するみんなにとって、この一年が実り多きものでありますように。

今回私はドーチェスターにあるトーマス・ハーディーという学校に交換留学で一週間お世話になった。英人とのコミュニケーションはしたことはあるが、ホームステイやECの授業ぐらいのものなので、今回のように海外の学校に行き、たくさんの同年代の外国人に囲まれるというのは初めてだった。
そんな交換留学で二つ印象に残ったことについて書こうと思う。

一つ目は様々な科目だ。日本ならば高校で基本的なことを学び、理系文系に分かれる程度で、専門的な科目については大学で学ぶというのが一般的だと思う。しかし私が行ったトーマス・ハーディーでは違っていた。例えば私のバディは政治学、経済学、歴史などの授業をとっていたが、他の生徒は数学、ドイツ語、音楽、心理学など違った科目を受けていた。ここも日本とは違い、すべての授業で全員が同じということがなかった。私はこの教育システムがいいと思った。なぜなら早い段階から自分の興味のあることについて学べるので、モチベーションが上がると思う。しかしやりたいことがなかなか決まらない人は大変かもしれないとも思った。

二つ目は授業だ。日本の一般的な授業では先生が黒板に書き、話をして、生徒は黒板に書いてあることや先生の発言などをノートに書き留める、こんな感じだと思う。トーマス・ハーディーでも、もちろん先生が前に立ち同じようにするが、生徒たちに意見を出させていた。もしかしたら私のバディの授業だけかもしれないが、生徒たちが、各々の意見をだしあい、ある事柄について話していた。ある授業では相手の発言が終わるとすぐ発言するなど、すごく白熱していた。私はこれを見て日本にはない光景だと思った。少なくとも私は今まで日本でこのように生徒同士で熱く意見を交わしたこと、またそのような光景を見たことがなかった。このような授業は生徒の想像力を鍛え自分で考える力が身につきやすくなりそうだなと感じた。日本の生徒であそこまで自分の考えや考える力を持っている生徒は、そこまで多くないと思う。

最後に、今回私は初めて海外の学校に行ったが日本にいたら絶対知らなかった海外の生徒や授業などを見ることができて、とても良い経験になった。そんな良い経験をさせてくれたトーマス・ハーディーの先生、生徒、バディ、ホストファミリーにとても感謝している。もし来年参加を迷っている生徒は是非参加してみて欲しい。
今までになかったことを発見できると思う。

(高等部2年生 男子)

この春休み、僕はバディの家にホーム ステイをしながら1週間イギリスの現地校に通った。それはとても有意義な時間であり、普段できない経験をたくさんしたと思う。何よりも、慣れない環境で得た経験は僕を人間的に大きく成長させてくれる、はずだ。
トーマスはとても大きな学校だった。生徒数は約2000。敷地もとても広く、何度も迷いそうになった。僕の記憶力の悪さのせいでもあるのだろうが、未だに食堂から数学棟までの道を覚えていない。
そんな学校で僕が驚かされたことがいくつかある。
まず一つ目は、授業の時間を知らせるチャイムだ。ベルの音が短く2回。最初は何の違和感もおぼえなかったが、なんとそのチャイムは火災報知器だった。授業の度に火災報知器が鳴るのである。きっと欧米ではこれが普通なのだろう。よく考えるとなるほどだが、なんだか意外だった。
二つ目は、授業制度だ。月曜の2時間目が終わってから気づいたことなのだが、僕のバディは授業を3教科しか受けていなかったのだ。なんでもトーマスでは受けたい授業以外は受けなくていいらしい。そのため3時間目、昼休み、4時間目は全て休みだった。しかもその休み時間の間、生徒たちは食堂でカップ麺を食べたりカードゲームをしたりと自由にしてよかった。うらやましい限りである。
他にもいくつか面白いことはあったが、これらは全てこの交換留学に参加しなければ見ることのないものだった。今思えば、この一週間はとても充実していたと思う。毎日新しい発見があり、新しい出会いがあった。友達も増えた。これからもこのような交流の機会があれば積極的に参加していきたいと思う。

(高等部1年生 男子)

私は、立教に来て初めてイギリスの家にホームステイしました。
最初は、とても不安でした。イギリスの家での生活と日本の家での生活で大きな違いがあるのか、はたまた自分の英語力でちゃんと伝えたいことを伝えられるか。現地の学校で皆と心を打ち解けられるか。私は、不安でいっぱいでした。

ホームステイ初日、私たちは一週間お世話になる学校、ミレー・スクールでホストファミリーの人たちを待っていました。このとき、わたしはどんな家族でどんな人たちなのか分からないし、自分のことをちゃんと受け入れてくれるのか、すごく不安でした。
そして、わたしのホストファミリーの人たちが来ました。すごく笑顔で、「Hello!!」と言われ、わたしも笑顔で返しました。「不安がらず何でも言って。私たちは、あなたを歓迎するわ。」と言ってくれました。わたしは、そこで不安だった気持ちも和らぎました。

そして、いよいよ学校生活が始まりました。現地の学校なので、周りはイギリス人ばかり、立教よりはるかに生徒数も多く、最初は驚き圧倒されてしまいました。
授業も全て英語で、友達と会話する時も英語で、立教では味わったことがない生活でした。
しかし、そんな中私のバディーやバディーの友達が積極的に私に話しかけて来てくれました。だから、私も頑張って英語で返すようにしていきました。
そうしていくうちに、ミレーの人たちと仲良くなっていきどんどん友達も増えていきました。気づいた時にはたくさんの友達が出来、学校への不安は無くなっていました。

英語ばかり話しているのではなく、今度はミレーの人たちに日本語を教えてあげました。グループに分かれて日本語でのコミュニケーションを行い、そして日本の和菓子や文房具について英語でプレゼンテーションを行いました。それは、日本のことをもっとイギリスの生徒たちに伝えていき、日本のことを分かってもらいたいと思ったからです。

そして、とうとう交換留学も終わりに近づいてきました。
この一週間をとても短く感じました。私は、この一週間で多くのことを学びました。
自信を持って、自分なりに積極的に話すとちゃんと相手も理解してくれます。私は、最初不安で自信もなくうまくいくのか心配でした。しかし、今思うととてもいい経験が出来たと思います。
英語に直に触れ、たくさんの人と話をしたりなどこんないい経験はなかなかできません。だから、私は今回の交換留学ができて本当に嬉しく思います。
これから、この経験を生かし英語をもっと伸ばしていきたいと思います。

(高等部1年生 女子)

今回のミレースクールとの短期留学を一言で表すとなったら、他の人は何と表すだろうか。私は、「新しい」と表すだろう。
立教での1週間の交換留学を終えた後、早く春休みになって、バディに会いたい、ミレースクールに行きたいという気持ちで、残りの3学期を過ごした。卒業礼拝が終わり、先輩方や、友達との別れを悲しんだ後、私達はミレースクールに向かう車に乗り込んだ。みんな緊張しているのか、車の中はテンションが高かった。ミレースクールに近付いていくに連れ、鼓動が速くなっていく。これから1週間、問題なく過ごすことが出来るのか、学校での授業は大丈夫なのだろうか。そんな考えで頭は一杯だった。
ミレースクールに着き、バディの迎えを待つ。ここに戻ってくるのは、1週間後。その時には、このプログラムに参加して良かったと思えるように、これからを過ごそうと、まっている間に誓った。バディが迎えに来てくれた時、私は嬉しくて抱き着いた。自分でもここまで嬉しくなるとは、予想していなかったのでかなり驚いた。
次の日に、ハンプトンコート宮殿に観光に連れて行ってもらった。宮殿は、美しい装飾がたくさん施されていて、厳かな雰囲気を醸し出していた。
そしていよいよ、ミレースクールに通う日がきた。その日だけは、バディの家の人が、学校まで送ってくれた。私は車の中で緊張していたが、それよりも期待で胸が一杯だった。
まず私達を迎えてくれたのは、自動ドアだった。ミレースクールの生徒は、当たり前のように通っていく中、私達立教生は驚いていた。立教にはもちろん、自動ドアなど1つもない。日本の高校でも、自動ドアがある学校など、数少ないのではないだろうか。そのあとの校舎案内でも、日本の高校にはないものがたくさんあった。例えば、ジムにあるようなマシーンがあったり、電子白板が各クラスに設置されていたり。授業も日本の授業とは、違う部分が多かった。授業は基本的に電子白板を使うため、先生はパソコンを使いながら、授業を進めるなど。また、購買のお会計も指紋認証という、日本では珍しいスタイルだった。
授業は、ずっとバディと一緒に受けるわけではなく、立教生だけの授業や、他の学年の授業にお邪魔したりした。日本語のレッスンにお邪魔した時は、日本の文化についてのプレゼンテーションを行ったり、スピーキングの練習のお手伝いをしたりもした。やはり日本人への日本語の教え方と、イギリス人への日本語の教え方は、方法が違う。当たり前のことだが、強く実感した。
放課後は、このプログラムに参加している他の子の家に遊びに行ったり、町に行ったりもした。自分のバディ以外の子とも、かなり関わりを持つことができたと思う。
ミレースクールで過ごした1週間は、私にとって「新しい」1週間だった。初めて経験することばかりで、戸惑ったりもした。しかし、バディの子を始め、沢山の人に助けてもらい、とても貴重で楽しい1週間を過ごせた。私は、先生方や、ミレースクールの生徒達、バディの家族、そしてなによりバディに、「有難うございました。」と伝えたい。

(高等部1年生 女子)

ページ
TOP