この春休み、私は父の勤めている会社でアルバイトをしました。朝早く起きて会社へ行き、いくつかの雑務をこなして夕方に帰る。そんな生活を二週間、過ごしました。

父が勤めているのは車の部品会社なので、いくつかの工場が隣接しています。アルバイト初日には工場見学もあり、様々な機械がせわしなく動いて部品を加工している様子も見せてくれました。コンピューターが自動で機械をコントロールして、精密にすばやく一つのものを作り上げる。一体どうすればこんなシステムを生み出すことができるのだろうか、と目を輝かせながら見てまわりました。

その途中で、案内してくれている人がふと一つの扉の前で立ち止まりました。そしてこちらを振り返って、顔をしかめながら何かを言ったのです。工場内の音でうまく聞き取ることができませんでしたが、何か良くない事を言ったのだということは伝わってきました。その人が扉を開けると、中からものすごい悪臭がしてきました。聴けば、工場内のゴミを処理する場所だと言うのです。私は一秒でも早くここから出たいと思いました。正直、息もしたくない程でした。

しかし、悪魔はやはりいたのです。私は毎朝、そこの手伝いをしろと命じられました。もうこのまま抜け出して帰ろうかとも思いましたが、命令は命令です。私は重い足どりでその場所へ向かいました。
そこではおじさんが数人働いていました。その内の一人に、何をすればいい?と尋ねました。彼はマイクといい、まっ黒に汚れた作業着を着ていました。そこでの初めての仕事は、工場中にある捨てられたダンボールを回収することとなりました。集めたものはプレス機で一つの塊にして、リサイクルをしやすくするのだと教えられました。そしてこれからは毎日、ダンボールの回収をお前に手伝ってもらうと言われました。

始めの内はまだ、こんな所で働きたくないとか、早く帰りたいとか思っていました。が、毎日マイクの顔や、周りの人達の接し方を見るに連れて、私の考えは変わっていきました。彼は自分の仕事に誇りをもっている。そして様々な人から信頼されている、ということに気付いたのです。普通であれば誰もが嫌がる仕事。ただし、全員のために誰かがやらなければならない。マイク達はそんな仕事を任されていたのです。

私は今までにこういう裏で支えている人達の作文を何枚も書いてきました。しかし、今回の体験でそんな人達の重要性を身をもって感じました。全員が心地よく生活するために、全員が楽しむことができるために、全員が笑うことができるために…。私はその全員のための誰かになりたいと思いました。

(高等部2年生 男子)

クリスマスが終わり、新年を迎える前のなんとなくソワソワした気分のある一日。オランダのデン・ハーグにあるマウリッツハイス美術館へ行きました。この美術館にはフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」という絵があり、たくさんの人がこの絵を見にここへやって来ます。

以前私がアムステルダム日本人学校の校外学習でデン・ハーグを訪れたときには、マウリッツハイス美術館が改修工事のため閉館していたので、「真珠の耳飾りの少女」とは今回が初対面でした。
フェルメールは17世紀オランダの画家で、11人の子供をかかえ、貧しさの中、四十五歳で亡くなっており、生涯で描いた絵画はわずか四十五点です。そのうち現存しているのは三十五点です。彼の絵の特徴は青と黄色の使い方だと言われており、窓から差し込む光を反射して輝く明るさを表現し、「オランダの光の巨匠」とも呼ばれています。
そのフェルメールの代表作の一つが「真珠の耳飾りの少女」です。これは「青いターバンの少女」「北のモナ・リザ」とも呼ばれています。

この絵はかすかに微笑んだ少女の上半身が描かれているだけの作品ですが、少女が頭に巻いているターバンの鮮やかな青色が印象的で、誰かに呼ばれてふりむいたような少女の表情は、見る者を引きつけ、思わず足を止めてしまいます。そしてフェルメールが光の画家と言われているのがわかる耳元の真珠の輝きや、全体を包むやさしい光に目をうばわれます。

「時間があるし、天気もいいから美術館にでも」とふらりとでかけた私でしたが、身近にこんなすばらしい作品があり、気軽に見ることができる環境にいることに初めて気づきました。ヨーロッパにいる間に、いろいろな体験をしたいと思いました。

(高等部2年生 男子)

卒業式の後、交換留学先のトーマス ハーディ スクールまでミニバスで約3時間の距離を送ってもらった。昨年の11月に5人の生徒が日本の学校生活や文化を学びにやって来たが、今回は僕たちが現地校の学校生活や文化を勉強させてもらう目的のために交換留学生として行った。僕は現地校で彼らの授業に参加し、自分の英語力を試したかった。正直に言えば、英語だけの授業や交換留学生としてのプレッシャーでとても緊張していた。

しかしバディに再会した時、彼とご両親が暖かく迎えてくれたので嬉しくてほっとした。バディとは音楽の趣味が合って、彼の家に着くまでの間、車の中で2人で歌いまくっていた。彼らと一緒にステイ期間中も楽しく過ごせると予感できた。僕たちは毎晩テレビドラマを観たり沢山の事を本音で話し合った。もちろんバディとの友情が深まった。ホストファミリーはとても親切に僕をサポートしてくれた。彼のお母さんは毎朝お弁当を作って持たせてくれ、学校まで車で送ってくれた。おかげでステイ中は実家に居るようにリラックスする事ができた。ステイ最後の夕飯はお礼の気持ちを込めて、お寿司を作り家族で楽しく食べた。お父さんは「美味しいよ。」と言ってくれた割にほとんど箸が進んでいなかったが、僕が一生懸命作った気持ちを解ってもらえていると感じた。日本とイギリスには食文化の違いがあることがよく分かった。次回はお父さんにも沢山食べてもらえる日本食を作ってあげたいと思った。バディとの手作り寿司夕食は今回のステイ中の忘れられない思い出になった。

学校では沢山の事を学んだ。僕はバディと一緒にドイツ語や数学、放課後の日本語クラブに参加した。特にドイツ語が面白かった。とにかく会話が全く解らなかった。僕は数の数え方に挑戦した。バディに数え方と挨拶の言葉を習い、暗記した。やっと1,000まで覚えることができた。ドイツ語は発音が英語やフランス語と違っていて面白かった。ヨーロッパの国々は国境を接しているような近隣国同士だが、それぞれの言語が全く違うというのは興味深く、印象深いものだった。体育の授業ではホッケーを経験した。年下の生徒たちと一緒にプレーしたが、とても上手い生徒もいた。僕もワンゴール決められたのですごく楽しかった。

僕は日本と英国の学校生活の違うところをいくつか見つけた。この学校では、授業中に先生と生徒の間の会話がとても多い。ほとんどの生徒は授業中に気が付いたことを確認することができ、満足のいく理解を得るためにはとてもいいやり方だと思った。また、生徒たちには授業の無い時間に自習したり遊んだりできるフリータイムがある。日本の学校では普通、学校の時間帯に自由時間はほとんど無いので、いつも忙しい。僕はバディと一緒にフリータイムには話したり、スナックタイムを楽しんだ。そのお陰で気持ちにも余裕ができたと思う。

水曜日にはドーチェスターへ市長さんに会うために行った。僕たちは市庁舎で歓迎された。ミーティングルームでは18世紀に使われていた伝統的な衣装を身に付けさせてもらった。市長用を着た友人は市長になりきっていて面白かった。とても貴重な体験をさせてもらったと思う。僕は市長さんに政策について質問した。市長さんは若者の人口を増やすため、若者がこの街で生活するための仕事がもっと必要であると説明してくれた。僕はこの政策は良いと思った。しかし、市長の任期はたった1年しかないので、政策を実行するには全く時間が足りない。僕は市長の任期を延長して政策を実行して欲しいと思った。僕は彼を市長として尊敬できると思った。

最後の日、僕はクラスメートが英国文化について説明してくれるという授業を受けた。そこで僕は質疑応答の機会を得た。説明を理解して、質問することはかなり大変だったけれど、僕にとっては英会話実戦のまたとない場となった。自分の英語力を試す良い機会が得られて嬉しかった。この経験で僕の英語力も少しは上がったと思うけれど、まだまだ未熟であることを思い知った。この機会にトーマスハーディ校の先生や生徒たちから学んだことを忘れないで、皆さんに深く感謝し、もっと頑張って英語力を伸ばしたい。

最後にバディとジムでお世話になった友人と一緒に写真を撮った。彼らはいろんな時に親切に助けてくれて、すっかり仲良くなれた。また会えるだろうか?僕はメールやフェイスブックで連絡を取り続けたいと思っている。僕にとっては、彼らとの友情も今回の交換留学の重要な成果である。

最後にこの機会を作ってくださった先生方にお礼を申し上げます。特に僕に交換留学のスケジュールを立ててくれた月見先生、トーマスハーディ校に付き添って指導してくださった市川先生、立教とトーマスハーディ校の長い道のりを送ってくれた高橋先生には大変お世話になりました。

(高等部1年生 男子)

私は高2の1学期のハーフターム後からこの立教英国学院に入って、初めて寮生活が始まった。私は中途半端な時期に入ったから、同じタイミングに入った生徒もいなくて、始めは不安だったり、ドミトリーでなぜ知らない子と同じ部屋で寝ているのだろうと思ったこともあった。
しかし食事の席やフライデースポーツなど、今までいた日本の学校とは異なって、他学年とのかかわりも多く、全校生徒の顔と名前が覚えられるというような、さまざまな面がわかった。
そして、寮生活だとずっと友達と一緒にいるので、家族のように、もっともっと仲良くなれるし、後輩や先輩と部活動などで学年関係なく仲良くなれる。それから先生とも。
長い休暇が来る前には、「家に帰れるのはうれしいけれど、もうちょっとみんなといたい。」と思ってしまう。立教寮生活の魔法にかけられたのかもしれない。

(高等部2年生 女子)

少し肌寒いながらも晴天に恵まれた三月七日、本年度の卒業式が行なわれまました。43名の高校三年生が本学院を旅立ちました。今回で二度目の卒業式礼拝の司式をさせて頂きましたが、その中で印象に残ったのは本学院理事である今井理事(伊藤忠欧州会社社長)の祝辞でした。学生時代にフランス留学をし、長年、仕事を通して世界中を旅し、現在はロンドンを拠点にして仕事しておられる今井理事は、今でも海外での生活における苦しみや日本への望郷の念があるという体験を語りながら、今の苦しみの先にある喜びについて語って下さいました。

遠藤周作の「留学」という三本の短篇が収められた小説があります。カトリック教徒の遠藤氏自身のフランス留学体験が反映されているようですが、理想や希望を胸に抱いて、ヨーロッパに留学した三人の日本人が、言葉の壁、文化・慣習の違いからくる葛藤、その他様々なことに直面し、理想と現実の狭間で苦しみ、挫折していく姿が描かれています。海外で生活する機会を通して何度かこの小説を読み、自分の体験と重ね合わせていました。

私はこれまでに二度留学の機会を頂きました。一度目は大学二年の頃の米国短期留学、二度目は七年前の英国留学です。最初の留学は大学での前期の単位取得のためでしたが、日本からの同級生も多く、さほど寂しさや苦しさを感じることはありませんでした。しかし、二度目の英国留学は聖職志願し、司祭(牧師)になるための準備としての英国留学でした。歴史のある修道会によって創設されたアカデミックな神学校でしたが、周りは英国人ばかりで日本人は自分だけの修道院内にある寮生活、厳しい規律と学問生活は挫折の連続でした。神学用語の嵐に翻弄される日々であり、食事の席でも授業の続きで盛り上がる神学生達の英語やその他、彼らの話すジョークもわからず、溜息を漏らす日々でありました。最初の学期に「はっきり言って、今のあなたにはここでの学問は無理だ」と言われたことは今でも覚えています。留学前に聞いた色々な留学生の成功談とはまったくかけ離れた自分がそこにいて、自分のこの英国での時間は何なのだろうか、意味があるのだろうか、と思い悩みました。日本が恋しいと毎日思っていました。海外に憧れる日本人から見れば、英国留学をする、英国で生活することは、非常に恵まれているように映るでしょう。しかし、留学後、しばらくの間は敗北感しか残っていませんでした。

しかし、今となっては、自分は何に対して敗北感を感じていたのだろうか、と思います。勉強すること、学ぶこととは、自分自身を研鑽させていくためであり、他の人と比べるためではない。親のためでもない。他者の期待に答えるためでもない。これまでの自分から新しい自分に変えられて成熟していくためであり、敗北感を感じる必要など全くない、そう思うようになりました。
自分の挫折を通して自分自身を知りました。自分の脆さや弱さを知りました。素直にありのままの自分を認めて、背伸びして生きることから自由になる機会を得ました。苦しみや挫折の中身は異なっても、それによって失望している人の思いを知ることができるようになりました。また、絶えず学び続けることの大切さを知りました。留学中に読んでいた本を開くと単語の意味の書き込みで真っ黒だらけになっている。でも、今、改めて読みながら知っている単語を消しゴムで消していくとどんどん白くなる。他の人にとっては大したレベルではないかもしれない。だけど、以前よりも少しずつ知っている単語が増えてきている。自分のペースで焦らずにコツコツと学んでいけばいい、そう思えるようになりました。学習は生涯をかけてするものであり、学院の生徒達も今の結果、成績に一喜一憂せず、目的を持って学び続けて欲しいと思います。わたしたちの人生はいつ、どこで本当の花が咲くかはわからないからです。

教会のカレンダーでは今の時期はレント(大斎節)という時期です。十字架の道行きの前に苦悩するイエス・キリストに目を留めます。また、十字架の死によって、イエスという大切な存在を失い、これまでの人生は何だったのだろうかと挫折し、苦悩する弟子たちの姿に目を留めます。そして、その先にあったキリストの復活の恵みを祝い、その恵みに喜ぶ弟子達の姿に目を向けます。

レント(Lent)とはアングロサクソン語の「レンクテン(lencten)」という語から派生したものと言われていますが、その意味は「春」であり、「(草花の芽が)伸びる」という語と同じ語根を持つそうです。わたしたちが体験する様々な苦しみ、挫折の中でも神様は恵みの水、光を注いでいる。人生の中にある苦しみ、挫折には隠された意味があり、苦しみや挫折を通して豊かにされ、成長し、その先にある喜びに与れることを聖書は伝えてくれます。

皆様の上に神様の豊かな恵みと慈しみが注がれますようにお祈りしております。
チャプレン 司祭 林 和広

2010年度から始まった短期交換留学。 現在、男子の留学提携校はDorsetのThomas Hardye Schoolで高校1,2年生を対象に、 女子はHorshamのMillais Schoolで中学3年生と高校1年生を対象に実施しています。

この交換留学では、相手校生徒1名につき立教生が1名つき、 バディ(パートナー)を務めます。 バディの生徒は一緒に授業を受けたり、 放課後の時間を過ごしたりし、交流の中心となります。 最初にまず相手校の生徒たちが本校に1週間滞在し、その後春休みに入った最初の週に本校生徒が相手校に行きバディの生徒宅にそれぞれホームステイをしながら、 バディの通う学校の授業や学校生活を体験します。

立教でもECの授業やプライベートレッスン、 ハーフタームや長期休暇のホームステイなど、 英語を使う機会はたくさんありますが、 この短期交換留学では、 同じ世代のイギリスの若者達と交流することができます。 文化や言葉の壁を越えて心が通じ合ったときの感動は、 言葉では言い表せないものです。

このページでは同世代のイギリス人と寝食を共にし貴重な異文化体験をした生徒たちのエッセイをまとめました。立教生と過ごしたイギリス人生徒たちのエッセイも掲載していきますのでどうぞご覧下さい。

★★★ ホームページに掲載された短期交換留学関係の記事、作文はこちらから★★★

〈2003〜2013年度〉 〈2014年度〉卒業者数43名
大 学 名       合格者数 大 学 名       合格者数
国公立 東京工業大学 4 国公立 一橋大学 1
国公立 東京外国語大学 4 国公立 東北大学 1
国公立 筑波大学(うち医学部1) 4 国公立 筑波大学 1
国公立 横浜国立大学 3 国公立 東京農工大学 1
国公立 一橋大学 2 国公立 横浜市立大学 1
国公立 埼玉大学 2 私立 立教大学 19
国公立 大阪府立大学 2 私立 上智大学 6
国公立 横浜市立大学 2 (1は医) 私立 慶応大学 5
国公立 東京大学 1 私立 法政大学 4
国公立 東京医科歯科大学(医学部) 1 私立 早稲田大学 3
国公立 山形大学(医学部) 1 私立 明治大学 3
国公立 東京海洋大学 1 私立 青山学院大学 3
国公立 国際教養大学 1 私立 千葉工業大学 3
国公立 首都大学東京 1 私立 津田塾大学 2
国公立 山口大学 1 私立 関西学院大学 2
国公立 広島市立大学 1 私立 中央大学 1
国公立 愛媛大学 1 私立 国際基督教大学 1
国公立 富山大学 1 私立 東京薬科大学 1
国公立 金沢大学(薬学部) 1 私立 明治薬科大学 1
国公立 北見工業大学 1 私立 聖心女子大学 1
防衛医科大学校 1 私立 フェリス女学院大学 1
私立 立教大学 139 私立 東海大学 1
私立 早稲田大学 53 私立 東邦大学 1
私立 慶應義塾大学 24 私立 桜美林大学 1
私立 青山学院大学 24 イギリス LIVERPOOL UNIVERSITY 1
私立 東京理科大学 20 イギリス SURREY UNIVERSITY 1
私立 明治大学 19 イギリス MANCHESTER UNIVERSITY 1
私立 上智大学 16 イギリス UNIVERSITY OF BIRMINGHAM 1
私立 中央大学 16 イギリス CITY UNIVERSITY LONDON 1
私立 日本大学 11 イギリス UNIVERSITY OF EAST ANGLIA 1
私立 成蹊大学 7 アメリカ MASSACHUSSETTS LOWEL 1
私立 法政大学 7  その他
私立 東京農業大学 7
私立 北里大学 6
私立 南山大学 6
私立 明治学院大学 6
私立 学習院大学 5
私立 立命館大学 5
私立 東京薬科大学 5
私立 フェリス女学院大学 5
私立 関西大学 4
私立 関西学院大学 4
私立 立教女学院短期大学 4
私立 日本女子大学 4
私立 武蔵工業大学 4
私立 津田塾大学 3
私立 国際基督教大学 3
私立 成城大学 3
私立 東洋大学 3
私立 立命館アジア太平洋大学 2
私立 玉川大学 1
私立 獨協大学 1
私立 東京慈恵会医科大学 1
私立 日本医科大学 1
私立 日本歯科大学 1
私立 同志社大学 1
私立 聖心女子大学 1
私立 東京家政大学 1
私立 京都女子大学 1
私立 近畿大学(薬学部) 1
私立 聖隷クリストファー大学 1
私立 LEHIGH UNIVERSITY 1
その他

Thomas Hardye Schoolに交換留学した4名の生徒たちが、地元DorchesterのPeter Mann市長を訪問しました。

交換留学の生徒達は、立教から車で3時間ほど離れたDorchesterにあるThomas Hardye Schoolの生徒の家庭にホームステイしながら、自分のパートナーと一緒に授業に参加し、様々な課目を英語で勉強しました。一週間という短い間ですが、ホストファミリーやクラスの生徒達とも打ち解けることができ、前向きに勉強に取り組みました。

今日のプログラムは校外活動です。Thomas Hardye SchoolがあるDorchesterの市長との会談をセッティングしてくれました。
4人は、選挙で選ばれたDorchesterの長に会う、またとないチャンスと意気込む一方、失敗や失礼がないかと緊張気味の様子でした。コミュニケーションに日本語が全く使えないので、不安になるのも無理がありません。

しかし、約束の時間にホールに着くと、迎えてくれたのは市長のあたたかい歓迎の握手でした。わざわざ入り口のところで待っていてくれた市長に、感激しきりの4人。市長は、日本からイギリスに来て学んでいる生徒はどのような子たちだろうかと、
楽しみにしてくださっていたそうです。

生徒達が簡単に自己紹介をすると、「英語が上手だね」とお褒めの言葉をいただき、生徒達の心配はすっかり消えました。市長は昔教員をなさっていたそうで、ホールの中を案内しながら、Dorchesterの歴史や普段の仕事について、とてもわかりやすく説明してくださいました。

議会に使われている部屋を見せてもらった後、さらに光栄なことに、議員さんたちが議会の際に着用しているコスチュームを、市長自らが生徒1人1人に着せてくださいました。コスチュームは見かけによらずとても重く、生徒達は責任と伝統の重さも感じているように見えました。

最後は質問コーナー。自分たちが培ってきた英語力を駆使してあれこれと質問すると、
「良い質問だね」といって答えてくださいました。市長との会談の時間は、市長の心のあたたかさが伝わり、生徒達の心が動かされるという、単なる英語のやりとりを超えたコミュニケーションでした。

この経験は生徒達にとって、とても大きなものになったに違いありません。「会話ができた」ことが自信になった一方、「自分のことをもっと上手に伝えたい」という気持ちが芽生えていました。それは、彼らがさらに英語を勉強していくモチベーションに繋がります。

別れ際に市長がくださったDorchesterのバッジを誇らしげに付けた4人は、残りの留学期間、さらに気合いを入れて臨んだことでしょう。

私がここ立教英国学院に入学したのは、中学二年生の時でした。一学期のハーフターム後という中途半端な時期に入ってきた私は、元からの人見知りがたたって、自分から生徒の輪に入ることができませんでした。そんな私を、生徒の輪の中に引っ張ってくれたのは、先輩方と四人の同級生でした。そのお陰で、私はだんだん他学年の生徒とも接することに慣れていき、自分から輪の中に入れるようになっていきました。中学三年に進学して、同級生の人数が一気に増え、一日に笑う回数も増えていき、毎日がキラキラ輝いていました。

けれど、外部進学を選択した同級生と、高三生との別れの悲しみから、私の日々は色あせていきました。そんな私を変えてくれたのは、新入生を迎えて、よりパワフルになった同級生たちでした。いい意味で、何をやらかすか分からない同級生と過ごす生活は目まぐるしく、あっというまに二年が過ぎ、私は高校三年生になりました。皆と過ごす生活の、別れのカウントダウンが始まりました。

いつまでもこの生活が続いていくと勘違いしていたせいか、皆との別れを自覚した頃には、もう終業式当日でした。自分の気持ちを整理できぬまま皆とお別れしたせいか、家に戻ってからふとした時に同級生のこと、後輩のこと、先生方のことを考えるようになり、止まらなくて眠れない日が何日も続きました。在学中、先生方に不満を言って反抗したり、後輩をないがしろにしていたのに、思い出すことは楽しかった日々ばかりで、自分が後輩のことが好きだったこと、先生方に見守られて、大切にされてきたことをやっと自覚しました。お別れしてから気付くなんて、私は馬鹿だなあと思いました。だから、「立教生活はつまらない。はやく家にかえりたい」と思っている子たちには、ここでの生活は決して窮屈でつまらないことばかりじゃないことを知っておいて欲しい。つまらないと思うなら、何をしても無駄だと最初から諦めないで、楽しいと思えるようになるにはどうしたら良いのかを周りをよくみて考えてみて。自分ひとりで駄目なら、周りの友達や先生方を頼って一緒に考えてみて。それだけの信頼関係を、皆は築いているでしょう。たとえ今はまだ築けていなくても、これからの時間を無駄にせずにいけば大丈夫。そして、限られた時間の中でめいっぱいここでの生活を楽しんで欲しい。どんな小さなことでも、それまでと違っていることなら、それは大切な思い出になると、私は思っています。現に、いまの私にとって、ここでのちょっとした楽しかったことも辛かったことも、大切な思い出です。

そろそろ、私のスピーチも、終わりが近づいてきました。先生方。反抗ばかりして、口では中々伝えることができませんでしたが、私は、先生方のことが大好きでした。迷惑ばかり掛けていましたが、今まで本当にありがとうございました。後輩たち。私に「先輩」として何が大切なのかを教えてくれてありがとう。皆には、さっきも言ったとおり、ここでの生活をつまらないものだと思わず、何事も最初から諦めないで、互いに思いやりながら、最後まで笑って過ごしていってほしいです。これからも続く皆の立教生活が、実りのあるものになるよう、祈っています。そして、今日私と一緒にこの学校を卒業する同級生たち。私は今日まで皆に支えられてきました。皆は私のことを「優しい」というけど、私が皆に優しくすることができたのは、皆が私にそうしてくれたからなんだよ。皆には、感謝の言葉をどんなにならべても伝えきれないくらい感謝しています。今まで、本当にありがとう。皆と一緒にこの学校で過ごせて、私は幸せでした。

これからも皆が笑って過ごせることを、私は祈っています。今日をもって、私たちはこの学校を卒業します。今日まで、私たちを支えてくださった、先生方、後輩たち、ありがとうございました。皆と過ごした日々を胸に、私たちはこれからも前に進んでいきます。それでは、さようなら。

(高等部3年生 女子)

二〇一二年四月私はここ立教英国学院に来ました。ここへ来るまで私は、ただ「立教」という学校が好きで立教英国学院のDVDを見たりしていました。
そんな私は、勉強が嫌いで地理なんかの宿題は一つも出していないくらいだったので、イギリスがどんなところかも分からないまま、ここ立教英国学院へ飛び込んできました。
入学式の日は、冷たい風で灰色の雲、どうもここは私を快くは迎え入れてはくれないようだと思いました。しかしそんな天候とはうって変わってやさしく迎え入れてくれた先輩や同級生、嬉しくてたまらなかったです。しかし私は、自分のことを語ることや表すことが苦手で、立教にすぐには打ち解けられませんでした。そんな私がここに立って自分のことを語っている理由は、この中学三年間で私は変わったと思ったからです。ここ立教でいくつもの私に出された課題を乗り越えてきたからそう思いました。また、今ここでこうしてスピーチをすること自体も私への課題であり、挑戦だと思ったからでもあります。
突然ですが、皆さんは大きな目標を持っていますか。私は持っています。他の人にとっては小さいことに感じられるかもしれないですが私にとっては大きな望みです。それは、人から求められる人になりたいということです。ここ立教では、先生と生徒、みんなが互いを求め合い、支え合って生活していると思います。ここへ来る前の私は、自己中心的で求めるばかりの人、求められることがあまり無かった人でした。でもここへ来て、私は変わることができました。一番のきっかけは、中学二年の時のオープン・デイでした。絵を書くのが得意な私は、背景・看板という仕事を任されました。迫ってくる締切に苦戦している学級委員、私はクラスメイトから助けを求められました。
そこまで大したことだとは最初は思っていませんでした。でも小さなことでもクラスの役に立つ、人の役に立つというのは私の心をきれいにしてくれるのだと思いました。

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