ロンドンアウティングを通じて
ロンドンに行ったのはこれで何回目だろうか?僕は、ロンドンから学校へと向かう帰りのコーチの中で、そんな事を考えていた。この季節の夜のイギリスは寒いため、僕はマフラーを首に巻き、窓から外を眺めていた。
学校に着き、シャワーを浴びて寝た。ドミトリーの仲間はすぐ寝てしまったので、皆疲れたんだなと思った。僕は、就寝後、夜一人、ある事を思い驚いた。
中学の頃は日本の高校に入学するか、この学校に来るか迷った。僕はここに来るまで、こんなに海外の都市を行き来するなんて、夢にも思っていなかったからである。しかも、そんな事がまるで、普通のように思えてくる。普通ではない。日本の学校では絶対に経験できないし、日本にいたら、海外にすら出ようと思わない。
僕はそんな事を考えて、前に自分が決めた高校の進路が正しかった、少しそんな感じがした。そう思えた時、うれしかった。これから僕ら高二は受験生。どれが一番正しいのかはわからないけれど、進みつづけようと思う。

(高等部2年生 男子)

「ミレーの生徒が一週間、立教に来る」
それは紛れもなく私にとって大きなことであり、緊張、不安、楽しさが入り混じっていた。私はペラペラ英語が話せるわけではないが小学校のころから習っていて心から英語が大好きだ。だからこそ今回のミレー交換留学も応募した。
私のバディーの子の名前はエロイス。来る前から名前でそれなりにいじられ注目を浴びていた。どんな子なのかと思っていたらエロイスは私より年下なのを忘れるくらい大人っぽかった。

今回の交換留学ではたくさんの思い出が作れたが、多すぎるので一部を紹介しようと思う。まず会って一日目。お互い緊張していた。なにを話せばいいのかわからず、とりあえず趣味などを聞くことから始まった。そうこうするうちにすぐ仲良くなることができ、二日目には恋バナで盛り上がり、女子が恋バナを好きなのは世界共通なんだなと思った。そのあと交換留学のプログラムの一貫でバディーの子とフラワーアレンジメントをするという企画があった。私はフラワーアレンジメントを体験するのが始めてでエロイスも同じく初だった。お互い初心者なのでどう作ればいいのかわからず試行錯誤した。まずフラワーアレンジメントなのにオアシスに茎だけを刺したり、臨場感を出すためとか言って花びらを散らしたりした。ついには茎でちゃんばらをしたりした。先生やフラワーアレンジメントの先輩にはあきれられたがこれが涙が出るほど楽しかった。お互いふざけあって、心の底から笑い、国籍という壁を乗り越えた気がした。

だがこんな楽しい思い出があるなか、唯一心残りがある。あまり放課後や授業の休み時間にエロイスといられなかったことだ。ミレーの交換留学の直後に生徒会選挙を控えていた私は台本作りに追われていた。さらにギターコンサートの練習もしなくてはならずエロイスと話す時間があまりなかった。この心残りを思い切って最後にエロイスに伝えてみた。あまり一緒にいられなくてごめんね、と。エロイスはそんなことないよと笑顔で答えてくれたが、あと一週間後に迫っている私たちがミレーに行くときは心残りのないようにしようと思う。

どんなことも全力で楽しむ。
これが私のモットーだ。一週間後が私は楽しみだ。私はまた貴重な体験ができるだろう。

(高等部1年生 女子)

長かったようで短かった合唱コンクールは、幕を閉じた。今年は、昨年以上にクラス全員が団結して時間が許す限り、一人一人が全力を尽くした。この合唱コンクールで私たちができるイベントは最後だと思うと、少し切ない。
クラスで揉めることもなく、合唱コンクール当日までの練習期間中、日数が経つごとに、クラスの誰かが私たちの合唱曲「青いベンチ」を休憩時間に口遊むと、その歌声にみんなが乗っかり、だんだんボリュームを上げ、教室にたくさんの音符が舞った。練習の初日は、あまり元気のない音符が飛び交っていたが、4、5日目からは、大きくて太い、他の誰も持っていない、自分だけの音がみんな出ていて、楽しんで歌った。
私たちの良いところは、練習中、全員が指揮者のようであった所だと、私は思う。音がずれていたり、テンポが違ったりすると一旦止めて指摘したり、不満があるとちゃんと言ったり、全員が主役だった。声出しのために外で歌うと、全然声が響かなくて、お腹から思いっきり音を出して練習した。毎日、試行錯誤しながら楽しく歌い、培った私たちの歌声は、本番、一人一人の力強い思いと、やわらかで強弱がはっきりしている繊細な声がホールで一つとなり、素晴らしいハーモニーを響かせた。賞をとることよりもみんなで楽しく良い歌声を見せることが大切ということがみんなの雰囲気であったから、「総合優勝」という良い結果が形として出来た。
この合唱コンクールで、さらにクラスの仲が深まり、来年、高3として歩む道の一本のレールが見えた気がした。
クラスのみんなに感謝の気持ちを伝えたい。「本当にこのクラスの一員で良かった。ありがとう。」と。

(高等部2年生 女子)

合唱コンクール。クラスメイトと試行錯誤しながら、自分達なりの世界を作り上げる。男子と女子が共に奏でるそのハーモニーは、とても美しい。

今回、私のクラスは「青いベンチ」という曲に挑戦することにした。この曲を一言で表すと「悲恋」だ。
「この声がかれるくらいに君に好きと言えばよかった。会いたくてしかたなかった。どこに居ても、何をしてても。」
この歌詞をただ単に歌い上げるのは簡単だ。しかし、聴き手に伝わらなければ、そんなに良い曲を歌っても意味が無いのだ。まだ十六、七年しか人生を歩いてきていない私達に、こんなにも熱い恋心でいて悲しい恋愛ソングに感情移入し、歌えるとは思っていなかった。その場のノリで選曲してしまったものの、後々から不安が募っていたのは、私一人だけではなかっただろう。
しかし「合唱」というものは「歌」だけでは成り立たない。伴奏者と指揮者が必要不可欠だ。
今回も伴奏で皆を支えようと決めていた。もちろん歌を歌うことは大好きだ。しかし、どうしても伴奏がしたかったのだ。学生生活の合唱コンを全て伴奏で終わらせたかった部分もある。でも本当の理由は全く違う。

冬休み、私は知り合いの方の演奏会に行った。その方は、私が「音楽」を嫌いになっていた時期に、もう一度、音楽の楽しさや素晴らしさを教えて下さった方だ。その方の演奏会で感じたものを、今度は私自身が聴いている人に伝えたいと思ったのだ。また、今年は私のピアノ人生十五年目突入の年であり、一つの節目の年でもある。今のピアノの先生に習って十年以上が経った。しかし、将来、ピアノに頼って生きていくことはないだろう。今回が人前で弾ける最後のチャンスだ。今まで支えてくれた方々に感謝と、そして、私の今できる全てを注いで弾きたいと思ったのだ。

学校に帰ってきて指揮者と歌を合わせる。だが、何かがずれていた。強弱だ。たった一小節だが、違えば全体図が変わってしまう。指揮者と話し合って一件落着、といきたいが、そう単純にいかないのが現実で、何度も何度も口論になったのは、今では良い想い出だ。
一週間という短い練習期間を終え、迎えた当日。発表は全校で最後だ。「トリだからこそ、今年の合唱コン自体が良い物で終われるようにしよう。」「総合優勝しよう。」そう意気込み過ぎていたのか、少しばかりテンポが速く、表情も硬くなっている気がした。
しかし毎日、聴き手側だったからか、直感で分かった。「あ、これは優勝だな。」と。良い意味でいつもと違っていたのだ。このクラスの長所である「何時でも声が大きいこと」と「想像力が豊か過ぎること」が全開だったからかもしれない。
伴奏も悔いが無くはないが、それでいて観客を魅了し、場面を想像させる最高の手助けができたのではないかと自負している。私らしい伴奏ができた。
こうして終えた合唱コンクールは、歌声ダイヤモンド賞、校長特別賞、そして総合優勝の三冠を成し遂げた。あの結果発表の時の皆の驚きと、弾けるような笑顔を私は忘れることがないだろう。
このクラスの一員で本当に良かった、と思えた一日となった。

(高等部2年生 女子)

■小学部/中学部/高等部 編入学試験

2015年度 9月編入(日本在住でも受験可)
出願期間:2015年6月1日~6月19日(必着)
募集人数:小学部5/6年、中学部1/2/3年、高等部1/2年それぞれ若干名
選考期日:日本受験:2015年6月28日 (日)於 立教大学
英国受験:日程は1次試験合格後相談

 

◆◆募集要項等、詳細は当校HPよりご確認ください◆◆

「青いベンチがいい。」「よくない?」「良い人?」「はーい。」そんな感じで平和に決まった2組の曲。私達のクラスは何か決めることがある時に、もめたりぶつかり合うことが少なく、今回もそのような感じでした。
三学期になり、いざ練習が始まると、今まで経験したことのない問題が! 女子の声より男子の声のほうが圧倒的に力強く、女子パートが聞こえませんでした。どちらかというと、合唱は女子がよく「男子ちゃんと歌って!」などと言っているイメージが強いものです。今回はそんなことは一度もなく、一回一回の練習を全員が集中して、本番に向けて努力していました。

なんだか、三学期のクラスの雰囲気は今までと比べてものすごく良かったです。誰かが口ずさむと、だんだん人が増えていってサビになるといつのまにか合唱が始まっていたり、とても寒い日何故か、中庭で歌ったり、クラスに笑顔が増えていきました。一つのまとまりとしての団結力というか、パワーを感じました。そして更に、このクラスが大好きになりました。

当日、本番の直前まで練習をしました。皆、「楽しもう楽しもう!」と言っていて、焦りなどの表情は誰も見せませんでした。今までの練習があったからこそ皆自信を持って臨めました。私の頭の中では、「優勝」の2文字よりも「皆で楽しみたい。全力をぶつけたい。」というものが強くありました。きっと他のクラスメイト達も同じだったと思います。誰も、「優勝するぞ!」と言いませんでした。

本番は、今までのように笑顔で楽しく歌うことができました。歌った後は皆輝くような表情でとても気持ちよかったです。とにかくこのメンバーでこの行事を笑顔で気持ちよく成し遂げられたことが一番の幸せでした。

結果は、総合優勝。オープンデイと引き続いての二連覇でした。全く予想していなかったので正直本当に驚きました。この優勝はきっと、目標「優勝すること」ではなく、そもそもの「自分達が楽しむ」ということにしたことにあると思います。クラスの一つのまとまりとしての力を、ホール全体に響き渡らせることができたので、それが伝わったのではないかと思っています。
この2組のクラスメイト全員一人一人にありがとうと伝えたいです。そして心からこのクラスにいられて幸せだと思います。

(高等部2年生 女子)

今年多くある、最後の行事の一つの合唱コンクールがあった。今年はみんな最後ということで、とても張り切っていた。
昨年、私は合唱コンクールの練習よりも、部活動の練習を優先してしまったため、なかなか練習に出られず、クラスの雰囲気をすこし乱してしまった。しかし今回はバスケットボール部の部長が合唱コンクールの練習を優先させたので、ほとんどの練習に参加することができ、クラスの団結力が強いものになったと思う。

しかし、みんなが全力でやるとやはり、意見のぶつかり合いもあった。声をもう少し出して欲しい、ピアノを少しゆっくりにしてほしい、などだ。このことにより、一時は険悪なムードになったが、より良いものをつくるにはこのようなことがあった方がよかったのかなと、終わってから思った。

当日、私達高二の発表は最後なので、他の学年の発表をすべてみることができた。私達は練習をみんなでしっかりやってきたので、少しではあるが、自信があった。しかし高一の発表を聞き、私はとても焦った。おそらく私だけでなく、他のクラスメイトも焦ったと思う。休み時間に入ると、その不安を消すために教室でみなで練習をした。歌声、口の開き具合、笑顔、すべてを確認して私達は発表に向かった。ステージに立つとライトの光、生徒先生の目、カメラ、とても落ち着かなかった。歌い慣れているからか緊張からか、発表はとても短く思えた。

結果発表の日、私は最後なのだから一つぐらい賞が欲しいなと思いつつ聞いていくと、最後に総合優勝として私達のクラスが呼ばれ、とても驚いた。
今回で最後かもしれないこのクラスで、優勝できて私はとてもうれしかった。できることなら次もこのクラスのまま学年を上がりたいと思った。

(高等部2年生 男子)

「はぁ…。」夜ブレイク直前の高一の合唱を聴き終わり、思わず溜め息がもれた。どちらのクラスも完成度が高い上に、とても楽しそうな笑顔で歌っていた。高一の合唱を初めて聴いて、それまでの余裕は一瞬にして消え、これ以上ない程の焦りを感じていた。
ブレイクに入りクラスに戻ってみると、みんなも同じ気持ちだったようだ。誰も笑っていなかった。それでも、そんな張りつめた空気を変えてくれたのは、やっぱり指揮者だった。常に私達を励まし続け、クラスを一つにまとめてくれた。一番辛い役だったはずなのに。弱音を一切吐かず笑顔で支えてくれた彼女を、心からすごいと思った。そんな彼女のお陰で、ブレイクが終わる頃にはクラスの雰囲気が少し変わっていた。表情はまだ若干硬かったが、「最後の合唱、楽しもう!」「高二の意地を見せよう!」といった前向きな声が聞こえた。
そしていよいよ高二の二の出番。控え室でみんなで手を合わせ、かけ声とともにステージへ飛び出した。その後の記憶は正直言ってあまり覚えていない。ただ、三分半ある曲がたった三十秒程度に感じられた。『あっという間』というのが素直な感想だった。それでも、演奏が終わった後は自然と笑顔がこぼれ、このクラスで合唱をすることができて本当に良かったと心から思った。
結果は翌日の夜に発表された。目指していた歌声賞と、予想していなかった校長先生特別賞を頂いた。クラスで喜びを分かち合いながらも、総合優勝はおそらく高一だろうと誰もが思っていたに違いない。そんな中でいよいよ総合優勝の発表。呼ばれた名前は…高二の二組だった。一瞬何が起こったのか分からなかった。二年二組はオープンデイとの二冠を見事達成できたのだ。
新たな三枚の賞状と思い出が、教室に追加された。

(高等部2年生 女子)

私は昔からあまりミュージカルとは縁がなかった。なぜ普通に喋らずに歌うのだろうと思ったことすらある。今回のアウティングで、その考えが180度変わった。

私達はレ・ミゼラブルを観に行った。少し前に映画を観たことはあったが、途中で断念していた。前日に友人ともう一度見た時、私はエポニーヌと出会った。彼女はとても切ない役で、自分が好きな人が一目惚れをした相手の家をさがしたり、彼のためなら男に扮して革命にまで参加したのだ。私はエポニーヌが大好きになった。エポニーヌのそのひたむきな愛とそれでも彼のために想いを伝えず、支えていく信念。死に際に彼がこうしてそばにいてくれるだけでいいわ、という姿…。映画でも心を打たれたが、ミュージカルだったらなおさらだった。

死に際のシーンを見ている時、エポニーヌの辛さや彼に対する愛が私の中にまで入り込んでいて、気が付いたら涙があふれていた。私はこのとき、歌だからこそ彼女の気持ちを感じられたのかなと思った。きっと、言葉だけでは伝えきれない気持ちの高ぶりをあらわすために、ミュージカルはあるのだろう。レ・ミゼラブルの主役はエポニーヌではない。あくまでもエポニーヌが脇役なのは知っているが、私の中では絶対にエポニーヌが主役だ。エポニーヌのように、信念をまっすぐに持った、すてきな女性になりたい、と思った。

(高等部2年生 女子)

毎学期、期末試験期間を利用して 行う小学部外出、3学期末は、2月27 日(金)に世界遺産のStonehenge と、中世の修道院跡・Lacock Abbey に出かけました。

好天に恵まれて、大草原の真ん中 に立つStonehengeの迫力に圧倒さ れ、大昔の人々が眺めた風景に思いを馳せました。
“最初に、今度の外出でStonehenge に行くと聞いたときは、ただ石が 立っているだけだと思ってそこまで 嬉しくありませんでしたが、行って みたらとても感動しました。”
“小学一年の時に家族旅行で見に行ったが、六年たった今では、また 違う感じに見えた。僕は薄着をしていて寒かったが、目の前に Stonehengeが現れると、寒さを忘 れて、つい石の模様や置き位置に集 中してしまった。”
“一番感動したことは、三つある同じ大きさの高い石の上に、また、同じ 大きさの石がのっていたことです。 何で落ちそうなのに落ちないのかなと思いました。”
“太い長い大きな石が二本立ってい て、その上に横向きの石がのっていました。とても重そうなのに、どうやってのせたのかが不思議でした。”

昼食後に訪れたLacock Abbey は、映画やドラマの撮影にも使わ れる、とても美しい建物です。
“ハリーポッターと賢者の石」の映画に出てくる廊下のシーンの場所がありました。私はハリーポッ ターが大好きなので、見学ができてとても嬉しかったです。”
この建物のかつての持ち主は、世界で初めてネガを用いたカメラを発明した人でもありました。
“カメラを発明した人は、自分が絵が上手でなかったから、他にものを写す方法を考えた、と聞いたと きにマイナスをプラスにできることはすごいことだと思いまし た。”

このメンバーでの最後の外出、春の気配を感じた素晴らしい一日でした。

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