今回、ミレースクールとの短期交換留学プログラムに参加して、たくさんのことを学びました。その中で最も印象的なことを書きたいと思います。

初日、顔合わせで、ミアという私のバディーの子と簡単な自己紹介をした後、あまり深く考えずに握手をしようと右手を差し出しました。すると彼女はそれを抱擁と取ったのか、あるいは右手に気づかなかったのかはわかりませんが、軽いハグをしてきました。私は日本との文化の大きな差にとても戸惑ってしまいぎこちない動作で返しました。そのとき、かなりのカルチャーショックを受けたことを覚えています。

校内を案内している最中に、他のメンバーとも自己紹介をしたのですが、会話はあまり弾みませんでした。度重なる沈黙は話題を考えさせるきっかけとなりました。しかしどんなに頑張って考えてみても、英人の子でも楽しんでくれるような”ネタ”が思い浮かばずに、食事の席でも静けさがやってくる度に焦りを感じていました。

日がたつにつれて、一緒にプログラムに参加している生徒たちは、バディと徐々に打ち解けていき、食事中の盛り上がりは隣のテーブルに聞こえるほどで、時々怒られたりもしましたが、皆それぞれのバディとの距離がどんどん縮まっているように見えました。そんな中、ミアと私の会話は相変わらず弾まないままでした。

彼女たちが帰る前夜、何かして遊ぼうと言っていたのですが、ミレーの子からの提案で「おしゃべり」をすることになりました。最初はみんなで写真を見せ合ったり、歌ったりして楽しく過ごしていましたが、お別れの時間が近づくにつれて、次々に泣き出す子たちがでてきました。「離れたくない、ずっと立教にいたい」そう言うバディたちの言葉を聞いて、”私はバディーの子に、「離れたくない」と思えるだけの何かをしてあげられただろうか”と、ふとおもいました。答えはすぐに出ました。そんなはずない。何にもしてあげることが出来なかった。きっと初めてここに着いた時、向こうも緊張していたに違いない。けれど、そんな彼女に私は何もしてあげられなかった。心の中から申し訳なさが溢れてきました。そんなとき、突然、彼女たちはドミトリーから何かを持ってきました。それは手紙でした。そこには大きく「私のバディになってくれてありがとう」と書かれていました。

こんな私なんかのために、何もしてあげられなかった私に手紙を書いてくれたこと、それは私の心に溢れていた申し訳なさを後悔に変えました。もっと話しかけてみればよかった、もっと仲良くなりたかった、あまりの後悔に涙が止まらなくなった私を、彼女は優しく抱きしめてくれました。その時のハグは、最初のぎこちなさとはかけ離れた、友人同士のハグだったと思います。

今振り返ってみると、最初にあまり話せなかったのは異文化や英語への恐れが理由だったのではないかと思います。そして今回の交換留学プログラムは、「英国に住んで六年目になるし、異文化への恐れなんてもうとっくになくなっているものだ」と思い込んでいた私が、未だにそういった恐れを抱いていたということと、そんな恐れは早く捨ててしまったほうがよい、ということに気づかせてくれました。

この後悔、悔しさをバネに、次に交換留学でミレースクールに行くときは、人一倍皆としゃべってミアと仲良くなりたいと思います。

(高等部1年生 女子)

今思うと、あれは夢だったのではないかと疑ってしまうほど楽しい一週間であった。
初日、バディの子とご両親と対面する直前、私はこの上ないほど緊張していた。英語は四年間、自分なりに勉強してきたつもりだが、ついに自分の実力を試す時がやってきたのだ。そして対面。私のバディのぺトラ、彼女の御両親、雰囲気から仲の良い家族なんだなと感じとれた。彼女は御両親から別れてから私に、”I’m nervous.” と言ってきた。そのとき私は彼女と仲良くなれそうだと思った。なぜなら、私もそのときは緊張していたからである。なので、私は、”Me too.” と返した。

翌日、彼女らのスケジュールはほとんどシャドーウィングで埋まっていた。授業中に出てくる専門用語の英語表現がわからず、辞書を駆使して翻訳した。緊張となれない難しい単語のせいで、きっと言っていることは、ぐちゃぐちゃであったであろう。にもかかわらず、彼女は熱心に私の言葉に耳を傾けてくれていた。

三日目、四日目ともなると、初日のようにお互いカチコチで話すこともなくなった。慣れたからというのもあるが、それ以上に彼女が非常にフレンドリーで優しい心の持ち主であったからだと思う。他の子とも仲良くなれた。みんなとっても良い子で接しやすかった。最終日の前日ともなるとみんな、”I don’t want to go.” ”I want to stay.” と泣きながら言ってくれて、私たちもつられて泣いてしまった。その日は彼女たちから、Thank youカードをもらって終わった。

最終日、朝会ってみるとミレーの子達の表情は悲しそうで、朝から泣き出してしまう子もいた。昼食のときもみんな”I don’t wanna leave.” と言っていた。私も帰って欲しくなかった。でも、またしばらくの別れの時が来てしまった。バディの御両親を待っている間、私たちはたくさん写真を撮った。彼女の御両親が迎えに来られたときには私たちは目に涙をためていた。彼女が車に乗る前に私たちは抱き合って、お互いに”Thank you.”  を言い合った。彼女が去っていくときは彼女が見えなくなるまで、頬を濡らしながら手を振った。

今回のことで学んだことはここに書ききれないほどたくさんある。だが、英語面で一つだけ言うとしたら、自分はまだまだ「英語を話せる人」には程遠いのだなと実感した。次、彼女の家にお邪魔するときまでにはなるべく沢山の英語表現を覚えて、少しでも成長した姿を見せられたらと思う.。

(高等部1年生 女子)

2010年度から始まった短期交換留学。 現在、男子の留学提携校はDorsetのThomas Hardye Schoolで高校1,2年生を対象に、 女子はHorshamのMillais Schoolで中学3年生と高校1年生を対象に実施しています。

この交換留学では、相手校生徒1名につき立教生が1名つき、 バディ(パートナー)を務めます。 バディの生徒は一緒に授業を受けたり、 放課後の時間を過ごしたりし、交流の中心となります。 最初にまず相手校の生徒たちが本校に1週間滞在し、その後春休みに入った最初の週に本校生徒が相手校に行きバディの生徒宅にそれぞれホームステイをしながら、 バディの通う学校の授業や学校生活を体験します。

立教でもECの授業やプライベートレッスン、 ハーフタームや長期休暇のホームステイなど、 英語を使う機会はたくさんありますが、 この短期交換留学では、 同じ世代のイギリスの若者達と交流することができます。 文化や言葉の壁を越えて心が通じ合ったときの感動は、 言葉では言い表せないものです。

このページでは同世代のイギリス人と寝食を共にし貴重な異文化体験をした生徒たちのエッセイをまとめました。立教生と過ごしたイギリス人生徒たちのエッセイも掲載していきますのでどうぞご覧下さい。

★★★学校ホームページへのリンクはこちら★★★

http://www.rikkyo.co.uk/extra/post_508/

 

私はこのプログラムに参加することを希望したとき、かなり不安でした。正直、希望したことを後悔したことも何度もありました。その理由は、やはり英語を話す自信がなかったということだと思います。結局、私はそんな不安を抱えたまま、ミレースクールの子との一週間の生活を迎えることになりました。

第一印象、人をこれで判断するのは良くないと思いますが、やはりこれは大切だと思います。私はバディの子に笑顔で挨拶をしました。今思うと私はミレーの子達と過ごした一週間は、いつも以上に笑顔でいられた気がします。それはもちろん、彼女たちが楽しませてくれたということもありますが、私にとって相手に対し笑顔でいるということは、ひとつの礼儀だと思うからです。相手が自分と話している時、表情によっては相手を不安な気持ちにさせてしまうかもしれません。しかし笑顔だったら、きっと相手も話しやすいし、多少は楽になるのではないかと思います。実際に、ミレーの子達も笑顔でいてくれたので、私も積極的に接することができました。
ミレーの子達と一緒に生活する日々は、私にとって、数年間の立教英国学院での生活に新しい風が吹き込んできたようで、とても新鮮で魅力的でした。しかし、彼女達は普段の私達の生活の忙しさに驚いていました。ミレースクールの話を聞いてみると、生活はもちろん、他にも設備や食事など様々な点で違いがありました。私はミレースクールに行った時、かなりの衝撃を受けることを覚悟しましたが、彼女達と過ごした一週間により、今はその気持ちが期待に変わりました。
私のバディだった子はとてもフレンドリーで、いつもなら私は自分から喋らなきゃと焦ってしまうのですが、向こうからも沢山喋りかけてくれたので、会話をかなり盛り上げることができました。少し日本語を教える機会もありましたが、彼女が私に英語を教えてくれた量のほうがはるかに多いと思います。
ミレースクールの子達は日本が大好きで、日本語を一生懸命に勉強しているようでしたが、やはり、かなり難しいらしく、自国の言葉が日本語である私たちがうらやましいと言っていました。私にとっては多くの世界で使われる英語が喋れる彼女達のほうがうらやましいと思いました。
この一週間で、私は、英語に前より自信が持てるようになっただけではなく、彼女達が日本の魅力について沢山語ってくれたため、改めて日本語の美しさ、人柄の良さ、文化の素晴らしさに気づき、日本人であることを誇りに思えました。
春には、私がミレースクールに行きいろいろなことを吸収しなければなりません。私がこのプログラムに参加した理由は、主に英語が喋れるようになりたいということでしたが、今は、それ以上に一人の生徒としてミレースクールに通い、新しい環境で、人との関わり合いや発見により自分を成長させるということです。もう語学の勉強のためだけではありません。私は今回の一週間での経験、これからの一週間での経験を無駄にせず、日々精進したいと思います。

(高等部1年生 女子)

私は今回、ミレースクールとの交換留学プログラムに参加し、この立教にバディーを迎えました。三学期の帰寮前から不安で、辞退することも考えたぐらい悩んでいました。またその頃、人との接し方がうまくいかず、1人で過ごす時間の方が長くなっていました。そんな状況だったので、本当に不安で仕方がありませんでした。

バディーが来る日、私は英検を受けにロンドン会場まで外出しており、他の人たちよりも対面が遅くなりました。しかしバディーと対面し、少し話したときにこう思いました。
「あ、この子とならやっていける。」と。
自己紹介で名前を言って本当に少し話しただけなのになぜかこう思うことができたのです。
そして校内を案内し、翌日に控えた合唱コンクールの練習を見学してもらいました。
「どうだった?」と聞くと、「とてもよかった。」と答えてくれ、少し安心感が湧きました。
その日の夜には新春カルタ大会もあり、バディーの子は初日から大変だっただろうと思いました。

次の日、日曜礼拝は聖餐式だったため、いつもの日曜礼拝より長かったので、日本語も難しくよく理解できないまま長い時間を過ごさせてしまいました。訳してあげたいけれど、私の力じゃ訳せない、そして礼拝中なのであまり話せない、こんな複雑な感情でいっぱいになりました。なので私はこれからの礼拝はなるべく説明してあげられるように努力しようと決意しました。しかし実際はあまりできずに一週間が終わってしまいました。

日曜日の夜、合唱コンクールが開かれました。高一の一組は新しいスタイルの合唱を見せるためラップを取り入れました。バディーの子に感想を聞くと「とてもおもしろくて楽しかった。」と言ってくれました。また最終日に、一番思い出に残っていることを聞いたところ、合唱コンクールと答えました。なので私は合唱コンクールができたことをとても嬉しく思っています。

月曜日は私が一番緊張した日でした。一限から六限までの授業をシャドウィングする日だったからです。英国人の先生による授業は良いのですが、数学や科学など到底私の英語力では説明できないため、本当に苦戦し大変な一日でした。しかし、バディーの子の理解力が良く、私のつたない英語をしっかりと理解してくれたので安心して授業を受ける事ができました。

火曜日からはシャドウィングする授業も減り、プレゼンテーションの準備の手伝いをするぐらいになり、自分から話しかけたり何かを一緒にしない限り話す機会がなくなってしまいました。なので私は、積極的に話しかけることを心がけたくさん話しました。私のバディーの子は、あまりおしゃべりではなかったので、私から話しかけないと話さないという状況でした。私はこの交換留学で「話せる」英語を身につけたいと思っていたので、自分から意識して話しかけ続けました。かなり質問したため、三日目ぐらいにはもうお互い知らないことは無いぐらいまで話しました。また、日本語をとても理解できる子だったので会話が楽にできました。

最終日の夜、みんなで日本語のゲームをしたとき、私は「遊べるのも今日で最後なんだな・・・。」と思い、涙が出そうになりました。たった一週間一緒に過ごしただけでこのように悲しくなることは人生で初めてでした。この交換留学を通して、私は言語の壁はないと感じました。話したい、伝えたいという気持ちがあれば通じ合えるのだと本当に思いました。次、三月にホームステイに行き、また一週間一緒に過ごしたら私たちはどこまで仲良くなれるのか。今から楽しみで仕方がありません。

(高等部1年生 女子)

1月31日午後1時30分、この時が来るのを、あれほど嫌に思うとは、1週間前の私は思ってもみなかった。

交換留学が始まってすぐは、緊張していてどう接すればいいのか、何を話せばいいのか全く分からなかった。今から思えば、最初の方は、きちんとした文法を使わなければ、と思い、なかなか話せなかったように思える。そして、土曜日、日曜日と行事も2つ重なった。行事の練習もしなければいけない。バディの子を、部屋に迎えに行くために、いつもよりも早く行動しなけれなばらない。慣れないことだらけで、本当に大変だった。

しかし、しばらくして慣れてくると、だんだん楽しくなっていった。英語を話すときも、文法よりも、伝えることを意識して、話すようになっていった。最初は静かだった食事の席も賑やかになり、イギリスと日本の文化の違いや手遊びなどを、互いに教えあった。他にも、同世代の女子しかいないからこそできる話も沢山した。食事の席で話していて、気づいたことがある。それは、みんな同じということだ。肌の色や、言語、文化など、様々なことが違ったとしても、結局みんな10代の女子だということを、改めて確認できた気がする。

楽しい時間は、あっという間に過ぎていき、気づいたら金曜日。この日の夕食後、プレゼンテーションがあった。イギリス人の子は日本語で話し、日本人の私たちが英語で、というように交互に話をした後、ステージ上でダンスを踊るというものだったが、すごく緊張した。しかし、みんなで励ましあって、ステージの上に立った。緊張したし、恥ずかしかったが、楽しめたと思う。

そして、その日の夜、12人全員で、コモンルームのソファにぎゅうぎゅうで座り、話をした。この1週間で撮った写真を眺めながら、いろいろなことを思い出した。クッキーを作ったり、フラワーアレンジメントをしたり、本当にたくさんの思い出がある。突然話している途中で、1人の女の子が泣き出した。それにつられて、ほとんどの子が泣いた。驚いたが、泣く気持ちもすごくわかる。明日で、この交換留学が終わると思ったら、悲しかった。1か月後には、会えることはわかっていたが、それでも悲しかった。

最終日、朝の礼拝でバディの子たちは、修了証をもらい、高校1年生のほとんどで、体育館にあつまり、写真を撮ったり、遊んだりして、楽しい時間が過ぎていった。昼食中はずっと、あと少しで帰ってしまう、そのことが頭から離れなかった。

午後1時30分、バディの家族の方々が次々に迎えに来られた。この時も、ほとんどの人が泣いていた。そして、自分のバディの家族が来た。駐車場まで見送りに行き、車がどんどん私から離れていく時、何とも言えない気持ちになった。

バディの子が帰った後、バディの子たちが使っていた机を片付けた。自分たちの机しか残っていない教室を見たとき、涙が溢れそうになった。みんなが泣いていた時に、私が泣かなかった理由は、きっと実感をもてなかったからだろう。机がなくなった教室を見て、やっと実感が持てたんだと思う。

今は、3月にまた会えるのが楽しみで仕方ない。それまでに、少しでも英語が上達するよう努力しようと思う。

(高等部1年生 女子)

「あの人カッコイイ。何て名前なの?」
こんな他愛のない会話をしているうちに、私たちと変わらない普通の女子高生なんだなぁ、と思った。英語でも略語があって、流行の言葉がある。見た目は大人っぽくても自分たちと同じなんだと思ったらホッとした。

毎年、ミレースクールから交換留学生がやってくる。バディじゃなくても話す機会はいくらでもある。でも私は今までしゃべろうと思わなかった。たぶん英語が得意ではないから、何となく避けていたのだろう。そんな私が今年のミレーのバディに選ばれた。こんな私で良いのかと思いながらも、期待の方が大きかった。

不安のあまり去年経験した人にいろいろなことを聞いた。その子は
「疲れるけど、すごく楽しかったよ」
っと言っていた。いざバディをやってみると、一週間が一週間に感じられないくらい疲れた。ミレーの子が来る前から分かっていたが、予想以上だった。しかしその疲れの何十倍も良い宝物ができた。

私が一番楽しかったのは、一緒にクッキーを作ったことだ。いろいろな形のクッキーを作った。家で作るのとは違う楽しさがそこにはあった。一緒に料理をすることで、関係が親密になった。たった一週間でお互いのプロフィールが言えるくらい仲良くなった。でも同じ一週間でも全然話さなかったら、相手のプロフィールは言えないだろう。お互いのプロフィールを言えるという事は、それだけ話したということではないだろうか。私は社交的ではない。初めて会った人と話すことは苦手だ。けれども食事などを共にすると、自然と相手のことを知りたくなってくる。これはきっと経験してみないと分からないのではないか。私は経験するまで分からなかった。

英語が苦手で、初対面の人と関わってこなかった私が、成し遂げられた。だからどんな人でもできる。そして一度経験するべきだと思う。よく立教生は
「立教生活、飽きた~」
という。そんな人は機会があったらやってみたらどうだろう。きっといつもとは違う「立教生活」を味わえる。確かに疲れるかもしれないが、その何十倍も良い宝物ができる。私は最高の一週間を送れた。この一週間を楽しかったと思い出すときはあっても、後悔することはこの先ないと思う。今、先生方とパートナーの子に心から感謝の気持ちでいっぱいだ。

(高等部1年生 女子)

今回のミレースクール交換留学の参加者は10人と、今までで一番多かった。しかし、中3の参加者は私一人で、ミレーの生徒が来る前から、少し弱気になっていた。中3のクラスの中にミレースクールの生徒一人で、私はきちんとパートナーとクラスメイトがコミュニケーションをとりやすい雰囲気を作ってあげられるだろうか、高1の先輩に迷惑をかけてしまわないだろうか、英語で伝えたいことは伝えられるのだろうか、などの不安な気持ちがあった。その一方で、同い年の英人の友達ができることへの期待が入り混じった。
私のパートナーはエミリーという名前でプロフィールの写真を見たときはとても大人っぽい子だなという印象だった。土曜日のお昼が終わったあと、私は靴磨きに参加せずエミリーのもとへ向かった。初めは私もエミリーも緊張していて、会話もあまり続かなかった。去年交換留学に参加した先輩からは、最初の2、3日がもったいなかったって思うくらい仲良くなったから悔いのないように1日を過ごしな、とアドバイスを頂いたので、私はまず、エミリーに精一杯おもてなしをして、立教を好きになってもらおうと思った。
エミリーを中3に迎え、驚いたこと、教えてもらったことが沢山あった。一つはパートナーと一緒に同じ授業を受ける、シャド-イングで一番多かった数学の授業でのことだ。数学は言葉より文字だから万国共通でやりやすいかな、と思っていたらそれは大きな間違えだった。なぜなら、日本の学校とイギリスの学校ではカリュキュラムに違いがあり、求めるものが異なるのだ。エミリーはいつも答えとして導いているものが、問題としてでてきたことにとても戸惑っていた。私はひとつの問題を50分かけて教えた。はっきり理解したかは分からないが、電子辞書片手に普段使わない様な単語を調べ、なんとかグラフを書くことと、問題の答えを出すことが出来た。まだまだ専門的な単語を知らないこと、数学は言葉があるから、計算にたどり着く、ということを学んだ。
また、日本では風邪を引き始めたら、マスクをするのが当たり前で、マナーといわれているが、イギリスだと、マスクはしていたら重症という意味になる、というような小さい文化の違いも教えてもらい、おもしろいなと思った。逆に、日本の文化も積極的に教えた。「いただきます。」や、「ごちそうさま。」などもミレーの生徒にとってとても興味深いことであったみたいだ。エミリーは剣道に興味があったため、友達と一緒に剣道を体験してもらった。具体的に説明するのが難しく、先輩にまかせっきりになってしまったのが今思うと反省点だと思う。あたりまえだが、何事も自分が知っていなければ説明できない。なので自ら日本のものを学ぶ、興味を持つという姿勢はいつまでも大切にしたいと思った。
実際に立教でのミレーとの交流を終えてみて、とても楽しかった。今では不安がっていた私が信じられない。そして、私がミレーとの交流を楽しめたのは、学年関係なくいつも気にかけてくださった高一のミレー参加者の先輩方のおかげだと思う。最初は好きなものの質問ばかりしていて、なかなか会話も続かなかったが、一週間は信じられない程早く過ぎ、エミリーとは普通の友達以上に仲良くなっていた。お別れのときは、自分でも驚く位悲しくて、駐車場で車に乗る直前に涙が出てきて二人で抱き合って泣いた。私がミレーに行くまであと、5週間だ。たった5週間、されど5週間で1週間ずっと一緒に居たので、離れるのが本当に寂しかった。でも、次に会うときまでにもっと英語を上達させる、とエミリーに約束したので、5週間の間にもっと英語を頑張り、エミリーを驚かせたい。

(中学部3年生 女子)

男子バスケットボール部は地元のリーグ戦に所属しています。5チームがホームとアウェイで1試合ずつ、2学期と3学期に5試合ずつ計10試合で順位を決めます。

アウェイでの試合はあと1試合ありますが、先日行われた試合は本校を会場にした最後の試合。つまり最高学年である高校2年生にとっては、最後のホーム戦です。

試合時間は放課後であったこともあり、たくさんの仲間たちが体育館に集まりました。相手はMichael Hall。先学期には惜しくも負けてしまったチームです。最後のホーム戦。勝利に向け、チームが一つになりました。

結果は66対49。立教の勝利です。試合に勝った選手たちは「嬉しいー!!」と大声を上げ本当に嬉しそうです。本校で一番点数を取ったのはキャプテンの高校2年生、2ポイントシュート14本、3ポイントシュート1本、フリースロー6本の計37点。続いて高校1年生が18点得点しました。

試合後にはリフレッシュメントのドーナッツやポテトチップスをおいしそうに食べていました。「勝利のドーナッツ!!」と勝った後の味は格別のようです。その後の夕食の席では立教の大家族たちに勝利報告をしました。「ホームでの試合は最後でした。応援にきてくださったみなさん、心の中で応援していただいたみなさん、ありがとうございました」と堂々と感謝の気持ちを述べました。

残りは1試合。次の試合は今のメンバーでできる最後の試合です。チームメート、応援してくれている方たち、さまざまなところで支えていただいている方たちに感謝の気持ちを大切に全力でバスケットボールを楽しみましょう。

学年最後の行事、合唱コンクールが行われた。皆は略して「合唱コン(たまに合コン)」と呼ぶ。
日本の大体の学校にある行事だが、この学校の記念すべき第1回は2年前の3学期だった。
今年3回目の僕からしたら、ああまたかと思い、嫌だなあと正直思っていた。
「合唱コンなくなれ」という声が聞こえてくる。
その度に僕はそうだな、昨年などと変わらない行事なのだろう、と思う。
クラスの曲は『栄光の架け橋』に決まった。決めた理由も、誰が出した案かも誰も覚えていなかった。
ただ一つ覚えているのは、曲決めの話し合いは皆真剣だったことだ。

冬休みを経て、3学期になる。3学期が始まって3日程して練習が始まる。毎年のことだ。
3学期は何も大きな行事がないから作られた行事だと言うが、なんだかんだと忙しいのにと思い、
面倒だと思う。毎年のことだ。
練習が始まる。最初はまだ時間があると思い、適当にやる、僕らの俗に言う鉄板である。
そう思っていた矢先、いざ練習が始まってみると、3日後、いや、明日が本番であるかのような練習だった。
皆が真剣に音と楽譜に向き合っていた。皆の心の中に優勝という文字があるのがひと目でわかった。
嬉しかったというよりは、皆について行けるかという焦りの方が僕には大きかった。
僕は歌は好きだが、自信はない。だからこそ、僕は僕なりに不安を解消できるよう練習をした。
こんな不安は僕にとって初めてだった。

練習を重ね、本番前最後の週末が来る。その時にはもう僕の不安は無かった、と思う。
初めて別々のパートで練習していた僕たちが一緒になって歌えるときが来たのだ。
感想はまだ一週間前なのに良くできていると思っていた。僕と同じ考えの人は多かったはずだ。
でも、やはり不満はいっぱいあるようだった。その日から皆の色々な意見が出て、アレンジするようになった。僕はというと少し、いやかなり余裕が出てしまった。
練習時間にも、だらだらと歌っているだけだった。最悪だ。

本番の日を迎える。リハーサルには僕のやる気スイッチは入っていた。
そのせいか、リハーサルで歌う度に完成度は上がっていった。夜を迎える。
この時のために皆は3学期の初めから頑張ってきたのだ。
精一杯のことをしてきた、と言えば嘘になると僕は思う。けれども、頑張ってきたのは事実だ。
『栄光の架け橋』にある「いくつもの日々を越えてたどり着いた今がある」という所は僕にぴったりだ、
というのを誰かと話したことをステージ下で思い出した。
足が震えるくらい緊張していた。だが、不思議と歌っている最中は冷静だった。
表情だってきちんと作れた。いや、作れたというより、自然にできていた顔だった。
それくらい僕はこの歌に心を込めていた。

ラストのパート、クライマックスへ移る。今までにない最高の声量だった。驚いた。
団結していた。嬉しかった。

その後のブレイクで2組ほぼ全員が集まった。最高だったと皆が口々に言っていた。
そこから歌ったり、騒いだりしたが、とても楽しかった。
2組皆が団結していて、誰もが満足している顔が見られて、本当に良かった。
今まで何度も2組で良かったと思う瞬間はあったが、これほどまでに思ったことはなかった。
最高の思い出だった。

僕は思う。果たして結果はどうなのだろう。いや、どうでも良いのだ。
優勝なんて高2にあげてやる。僕らにはそんなものよりも、いくつもの日々を越えてたどり着いた今があるではないか。

(高等部1年生 男子)

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