1月31日午後1時30分、この時が来るのを、あれほど嫌に思うとは、1週間前の私は思ってもみなかった。

交換留学が始まってすぐは、緊張していてどう接すればいいのか、何を話せばいいのか全く分からなかった。今から思えば、最初の方は、きちんとした文法を使わなければ、と思い、なかなか話せなかったように思える。そして、土曜日、日曜日と行事も2つ重なった。行事の練習もしなければいけない。バディの子を、部屋に迎えに行くために、いつもよりも早く行動しなけれなばらない。慣れないことだらけで、本当に大変だった。

しかし、しばらくして慣れてくると、だんだん楽しくなっていった。英語を話すときも、文法よりも、伝えることを意識して、話すようになっていった。最初は静かだった食事の席も賑やかになり、イギリスと日本の文化の違いや手遊びなどを、互いに教えあった。他にも、同世代の女子しかいないからこそできる話も沢山した。食事の席で話していて、気づいたことがある。それは、みんな同じということだ。肌の色や、言語、文化など、様々なことが違ったとしても、結局みんな10代の女子だということを、改めて確認できた気がする。

楽しい時間は、あっという間に過ぎていき、気づいたら金曜日。この日の夕食後、プレゼンテーションがあった。イギリス人の子は日本語で話し、日本人の私たちが英語で、というように交互に話をした後、ステージ上でダンスを踊るというものだったが、すごく緊張した。しかし、みんなで励ましあって、ステージの上に立った。緊張したし、恥ずかしかったが、楽しめたと思う。

そして、その日の夜、12人全員で、コモンルームのソファにぎゅうぎゅうで座り、話をした。この1週間で撮った写真を眺めながら、いろいろなことを思い出した。クッキーを作ったり、フラワーアレンジメントをしたり、本当にたくさんの思い出がある。突然話している途中で、1人の女の子が泣き出した。それにつられて、ほとんどの子が泣いた。驚いたが、泣く気持ちもすごくわかる。明日で、この交換留学が終わると思ったら、悲しかった。1か月後には、会えることはわかっていたが、それでも悲しかった。

最終日、朝の礼拝でバディの子たちは、修了証をもらい、高校1年生のほとんどで、体育館にあつまり、写真を撮ったり、遊んだりして、楽しい時間が過ぎていった。昼食中はずっと、あと少しで帰ってしまう、そのことが頭から離れなかった。

午後1時30分、バディの家族の方々が次々に迎えに来られた。この時も、ほとんどの人が泣いていた。そして、自分のバディの家族が来た。駐車場まで見送りに行き、車がどんどん私から離れていく時、何とも言えない気持ちになった。

バディの子が帰った後、バディの子たちが使っていた机を片付けた。自分たちの机しか残っていない教室を見たとき、涙が溢れそうになった。みんなが泣いていた時に、私が泣かなかった理由は、きっと実感をもてなかったからだろう。机がなくなった教室を見て、やっと実感が持てたんだと思う。

今は、3月にまた会えるのが楽しみで仕方ない。それまでに、少しでも英語が上達するよう努力しようと思う。

(高等部1年生 女子)

「あの人カッコイイ。何て名前なの?」
こんな他愛のない会話をしているうちに、私たちと変わらない普通の女子高生なんだなぁ、と思った。英語でも略語があって、流行の言葉がある。見た目は大人っぽくても自分たちと同じなんだと思ったらホッとした。

毎年、ミレースクールから交換留学生がやってくる。バディじゃなくても話す機会はいくらでもある。でも私は今までしゃべろうと思わなかった。たぶん英語が得意ではないから、何となく避けていたのだろう。そんな私が今年のミレーのバディに選ばれた。こんな私で良いのかと思いながらも、期待の方が大きかった。

不安のあまり去年経験した人にいろいろなことを聞いた。その子は
「疲れるけど、すごく楽しかったよ」
っと言っていた。いざバディをやってみると、一週間が一週間に感じられないくらい疲れた。ミレーの子が来る前から分かっていたが、予想以上だった。しかしその疲れの何十倍も良い宝物ができた。

私が一番楽しかったのは、一緒にクッキーを作ったことだ。いろいろな形のクッキーを作った。家で作るのとは違う楽しさがそこにはあった。一緒に料理をすることで、関係が親密になった。たった一週間でお互いのプロフィールが言えるくらい仲良くなった。でも同じ一週間でも全然話さなかったら、相手のプロフィールは言えないだろう。お互いのプロフィールを言えるという事は、それだけ話したということではないだろうか。私は社交的ではない。初めて会った人と話すことは苦手だ。けれども食事などを共にすると、自然と相手のことを知りたくなってくる。これはきっと経験してみないと分からないのではないか。私は経験するまで分からなかった。

英語が苦手で、初対面の人と関わってこなかった私が、成し遂げられた。だからどんな人でもできる。そして一度経験するべきだと思う。よく立教生は
「立教生活、飽きた~」
という。そんな人は機会があったらやってみたらどうだろう。きっといつもとは違う「立教生活」を味わえる。確かに疲れるかもしれないが、その何十倍も良い宝物ができる。私は最高の一週間を送れた。この一週間を楽しかったと思い出すときはあっても、後悔することはこの先ないと思う。今、先生方とパートナーの子に心から感謝の気持ちでいっぱいだ。

(高等部1年生 女子)

今回のミレースクール交換留学の参加者は10人と、今までで一番多かった。しかし、中3の参加者は私一人で、ミレーの生徒が来る前から、少し弱気になっていた。中3のクラスの中にミレースクールの生徒一人で、私はきちんとパートナーとクラスメイトがコミュニケーションをとりやすい雰囲気を作ってあげられるだろうか、高1の先輩に迷惑をかけてしまわないだろうか、英語で伝えたいことは伝えられるのだろうか、などの不安な気持ちがあった。その一方で、同い年の英人の友達ができることへの期待が入り混じった。
私のパートナーはエミリーという名前でプロフィールの写真を見たときはとても大人っぽい子だなという印象だった。土曜日のお昼が終わったあと、私は靴磨きに参加せずエミリーのもとへ向かった。初めは私もエミリーも緊張していて、会話もあまり続かなかった。去年交換留学に参加した先輩からは、最初の2、3日がもったいなかったって思うくらい仲良くなったから悔いのないように1日を過ごしな、とアドバイスを頂いたので、私はまず、エミリーに精一杯おもてなしをして、立教を好きになってもらおうと思った。
エミリーを中3に迎え、驚いたこと、教えてもらったことが沢山あった。一つはパートナーと一緒に同じ授業を受ける、シャド-イングで一番多かった数学の授業でのことだ。数学は言葉より文字だから万国共通でやりやすいかな、と思っていたらそれは大きな間違えだった。なぜなら、日本の学校とイギリスの学校ではカリュキュラムに違いがあり、求めるものが異なるのだ。エミリーはいつも答えとして導いているものが、問題としてでてきたことにとても戸惑っていた。私はひとつの問題を50分かけて教えた。はっきり理解したかは分からないが、電子辞書片手に普段使わない様な単語を調べ、なんとかグラフを書くことと、問題の答えを出すことが出来た。まだまだ専門的な単語を知らないこと、数学は言葉があるから、計算にたどり着く、ということを学んだ。
また、日本では風邪を引き始めたら、マスクをするのが当たり前で、マナーといわれているが、イギリスだと、マスクはしていたら重症という意味になる、というような小さい文化の違いも教えてもらい、おもしろいなと思った。逆に、日本の文化も積極的に教えた。「いただきます。」や、「ごちそうさま。」などもミレーの生徒にとってとても興味深いことであったみたいだ。エミリーは剣道に興味があったため、友達と一緒に剣道を体験してもらった。具体的に説明するのが難しく、先輩にまかせっきりになってしまったのが今思うと反省点だと思う。あたりまえだが、何事も自分が知っていなければ説明できない。なので自ら日本のものを学ぶ、興味を持つという姿勢はいつまでも大切にしたいと思った。
実際に立教でのミレーとの交流を終えてみて、とても楽しかった。今では不安がっていた私が信じられない。そして、私がミレーとの交流を楽しめたのは、学年関係なくいつも気にかけてくださった高一のミレー参加者の先輩方のおかげだと思う。最初は好きなものの質問ばかりしていて、なかなか会話も続かなかったが、一週間は信じられない程早く過ぎ、エミリーとは普通の友達以上に仲良くなっていた。お別れのときは、自分でも驚く位悲しくて、駐車場で車に乗る直前に涙が出てきて二人で抱き合って泣いた。私がミレーに行くまであと、5週間だ。たった5週間、されど5週間で1週間ずっと一緒に居たので、離れるのが本当に寂しかった。でも、次に会うときまでにもっと英語を上達させる、とエミリーに約束したので、5週間の間にもっと英語を頑張り、エミリーを驚かせたい。

(中学部3年生 女子)

男子バスケットボール部は地元のリーグ戦に所属しています。5チームがホームとアウェイで1試合ずつ、2学期と3学期に5試合ずつ計10試合で順位を決めます。

アウェイでの試合はあと1試合ありますが、先日行われた試合は本校を会場にした最後の試合。つまり最高学年である高校2年生にとっては、最後のホーム戦です。

試合時間は放課後であったこともあり、たくさんの仲間たちが体育館に集まりました。相手はMichael Hall。先学期には惜しくも負けてしまったチームです。最後のホーム戦。勝利に向け、チームが一つになりました。

結果は66対49。立教の勝利です。試合に勝った選手たちは「嬉しいー!!」と大声を上げ本当に嬉しそうです。本校で一番点数を取ったのはキャプテンの高校2年生、2ポイントシュート14本、3ポイントシュート1本、フリースロー6本の計37点。続いて高校1年生が18点得点しました。

試合後にはリフレッシュメントのドーナッツやポテトチップスをおいしそうに食べていました。「勝利のドーナッツ!!」と勝った後の味は格別のようです。その後の夕食の席では立教の大家族たちに勝利報告をしました。「ホームでの試合は最後でした。応援にきてくださったみなさん、心の中で応援していただいたみなさん、ありがとうございました」と堂々と感謝の気持ちを述べました。

残りは1試合。次の試合は今のメンバーでできる最後の試合です。チームメート、応援してくれている方たち、さまざまなところで支えていただいている方たちに感謝の気持ちを大切に全力でバスケットボールを楽しみましょう。

学年最後の行事、合唱コンクールが行われた。皆は略して「合唱コン(たまに合コン)」と呼ぶ。
日本の大体の学校にある行事だが、この学校の記念すべき第1回は2年前の3学期だった。
今年3回目の僕からしたら、ああまたかと思い、嫌だなあと正直思っていた。
「合唱コンなくなれ」という声が聞こえてくる。
その度に僕はそうだな、昨年などと変わらない行事なのだろう、と思う。
クラスの曲は『栄光の架け橋』に決まった。決めた理由も、誰が出した案かも誰も覚えていなかった。
ただ一つ覚えているのは、曲決めの話し合いは皆真剣だったことだ。

冬休みを経て、3学期になる。3学期が始まって3日程して練習が始まる。毎年のことだ。
3学期は何も大きな行事がないから作られた行事だと言うが、なんだかんだと忙しいのにと思い、
面倒だと思う。毎年のことだ。
練習が始まる。最初はまだ時間があると思い、適当にやる、僕らの俗に言う鉄板である。
そう思っていた矢先、いざ練習が始まってみると、3日後、いや、明日が本番であるかのような練習だった。
皆が真剣に音と楽譜に向き合っていた。皆の心の中に優勝という文字があるのがひと目でわかった。
嬉しかったというよりは、皆について行けるかという焦りの方が僕には大きかった。
僕は歌は好きだが、自信はない。だからこそ、僕は僕なりに不安を解消できるよう練習をした。
こんな不安は僕にとって初めてだった。

練習を重ね、本番前最後の週末が来る。その時にはもう僕の不安は無かった、と思う。
初めて別々のパートで練習していた僕たちが一緒になって歌えるときが来たのだ。
感想はまだ一週間前なのに良くできていると思っていた。僕と同じ考えの人は多かったはずだ。
でも、やはり不満はいっぱいあるようだった。その日から皆の色々な意見が出て、アレンジするようになった。僕はというと少し、いやかなり余裕が出てしまった。
練習時間にも、だらだらと歌っているだけだった。最悪だ。

本番の日を迎える。リハーサルには僕のやる気スイッチは入っていた。
そのせいか、リハーサルで歌う度に完成度は上がっていった。夜を迎える。
この時のために皆は3学期の初めから頑張ってきたのだ。
精一杯のことをしてきた、と言えば嘘になると僕は思う。けれども、頑張ってきたのは事実だ。
『栄光の架け橋』にある「いくつもの日々を越えてたどり着いた今がある」という所は僕にぴったりだ、
というのを誰かと話したことをステージ下で思い出した。
足が震えるくらい緊張していた。だが、不思議と歌っている最中は冷静だった。
表情だってきちんと作れた。いや、作れたというより、自然にできていた顔だった。
それくらい僕はこの歌に心を込めていた。

ラストのパート、クライマックスへ移る。今までにない最高の声量だった。驚いた。
団結していた。嬉しかった。

その後のブレイクで2組ほぼ全員が集まった。最高だったと皆が口々に言っていた。
そこから歌ったり、騒いだりしたが、とても楽しかった。
2組皆が団結していて、誰もが満足している顔が見られて、本当に良かった。
今まで何度も2組で良かったと思う瞬間はあったが、これほどまでに思ったことはなかった。
最高の思い出だった。

僕は思う。果たして結果はどうなのだろう。いや、どうでも良いのだ。
優勝なんて高2にあげてやる。僕らにはそんなものよりも、いくつもの日々を越えてたどり着いた今があるではないか。

(高等部1年生 男子)

合唱コンクール、私が大好きなイベントの1つです。立教はクラスごとの人数が少ないしちゃんと成り立つのかとても不安でした。しかしあれだけ「H1-1」らしい合唱を作りあげることができて、本当に感動しました。
「まじだりい。」合唱練習にはつきもののフレーズだけれど、そんな言葉ももらさずに毎日しっかり練習に来ていた男子。どうしたらもっとそろうか、きれいにハモるかを一生懸命話し合っている女子。これだけ頑張ってる、負けたくない。そう強く思えば思うほど他クラスの声のボリューム、美しさが目についてどうにか1つでもいいから賞をとりたいと願うようになりました。

ある晩、いつものように8限を使って練習をしているとき、いわゆる夜のテンションというやつで自分たちの歌をラップでアレンジして歌いました。「楽しい!」みんなが口をそろえて、飛び切りの笑顔をみせました。これをやったらスマイル賞、もらえるんじゃないか、そう考え、自分たちが思いっきり楽しむことを優先することに決めました。しかしそれを決めたのは本番の数日前。やるしかないか、そんな話し合いだけで一時間以上かけ雰囲気も悪くなったりしました。でも、やりました。みてき、北浦、松尾、私だけがラップで、私たちにかかっている、そんなプレッシャーもあったけれどどの練習より楽しむことができました。

結果はほんとにonlyスマイル賞でした。たった1つだけだったけれど本当にうれしかった。このメンバーで何かを成しとげる最後のイベント、どのクラスよりもすばらしいものだった自信があります。練習時、口うるさく注意しても文句も言わずに頑張ってくれてありがとう、最高の笑顔をありがとう、数え切れないほどのありがとうをこのクラスに残すことができて本当にうれしいです。

(高等部1年生 女子)

私たちのクラスの合唱コンクールは正直もめた。最後までまとまらなかった。でも控え室で誰かが「私たちが求めているのは賞じゃない。自分たちが楽しむことだよ。」この言葉で緊張がとけた。そしてはじめてクラスが一致団結した気がした。本番では私たちのクラスの合唱はきれいじゃなかったかもしれない。しかし私たちは、自然に笑顔がこぼれ出た。歌い終わった後、私たちのクラスに来たミレーの子が「きれいだったよ。」と言ってくれた。お世辞だろうなと思いながらも嬉かった。

合唱コンクールの表彰式の時、私たちのクラスは「スマイル賞」だけもらえた。私はもうそれだけで十分だった。賞をとりに行ったわけじゃないのに、もらえた。こんな幸せは久しぶりに感じた。隣のクラスは4つの賞をとっていた。いいなあと思いながらも、私たちは私たちらしくできたなと思う。表彰式が終わった後クラスのミレーの子が「私的には、高1の1組が一番だったよ。」と言ってくれた。私は涙が出るほど嬉しかった。お世辞だろうと、何だろうと嬉しかった。

このクラスでみんなで何かをつくるのは最後だ。私はこんな幸せな結果で幕を閉められて本当に良かったと思っている。たった1年間だけど、このクラスの一員で良かった。と本気で思えるクラスだった。

(高等部1年生 女子)

漢字コンクール。それは年に2回開催される漢字100問テストのことである。全校生徒と教員が一斉に夜の7限の時間に問題を解く。範囲は毎日取り組んでいる漢字小テストのテキスト一冊。毎日こつこつ勉強している人は日ごろの成果を一挙に発揮する日である。とはいえ、範囲は小テストに比べずっと広い。一度覚えた漢字も忘却のかなた、なんてこともあるだろう。さらに3学期の漢字コンクールは1学期に比べ難易度が高い。テキストの「読み」の範囲から「書き」問題が出題されるという。かるた大会、合唱コンクール、ミレースクール交換留学、アウティング、生徒会選挙…。多忙をきわめた3学期だったが、これが最後にしてもしかしたら最難関行事である。

時計の針が19:30を指すと、「始め」の合図。みんな真剣に漢字を書く。雑な字ではいけない。とめ・はねまでしっかりチェックがゆきわたる採点であることは事前に通知済みだ。いつもより丁寧に文字を書いていると、あれれ、いつもは書けるはずの漢字が書けない、なんてことも。いや、元から書けていなかったのか?もっと普段から丁寧に字を書かなくては。

毎回漢字コンクールでは「ウルトラC問題」があり、出題テーマが知らされている。今回は「海の生物」をテーマに難問が出題された。「猟虎」「水母」「烏賊」…事前に一生懸命に覚えた生徒はたくさんいただろう。実際に出されたのは「柳葉魚」「秋刀魚」「雲丹」など。こんな問題も出た。
問題97:オットセイは一夫多妻制だ。
「夫制」!?と一瞬考えてしまったが、これは勿論海の生物のオットセイ。書けた人は一体何人いたのだろう。

夜に行われた漢字コンクールの答案はすぐに採点され、夜中に成績優秀者が貼り出される。こんなに難しい問題でも、満点近い点数を出す生徒が多々いることに驚きである。毎年恒例の漢字コンクール。来年はもっと良い点数をとれるように、日々の小テストを真剣に取り組んでいかなくては、そう決意した夜だった。

3学期のギター部コンサートは高校1年生と2年生が一緒に演奏する1年で1度きりのコンサート。高校2年生にとっては最後のステージに、そして1年生にとってはデビューコンサートになります。
1、2学期同様、この3学期も学校行事が毎週のように入り、いつもは週末に行われるギター部のコンサートですが、今回は日程上、ウィークデイの放課後に行われることになりました。

授業が終わると早速ギター部の生徒達がホールに集まりステージ準備、そして観客である他の生徒達も徐々に集まり始め予定通り4時過ぎから演奏が始まりました。
最初は初めてステージに立つ高校1年生バンドが2組。緊張の面持ちながら堂々の演奏を披露。元気も初々しさも感動の演奏につながりました。そして次は高校2年生バンド。思えば1年前に同じようにデビューした彼らですが、今はすっかり貫禄と余裕が感じられる演奏で後輩達を魅了しました。
その後は高校1年生バンドと2年生バンドが何度か入れ替わって演奏を続け、約1時間半。最後の締めはなんと高校2年生の女子バンド。これまでのどの演奏よりも盛り上がって終わったのは流石でした。

大きな拍手はいつの間にか手拍子に変わり、何かを求めるシグナルに?… そして登場したのは高校2年生の男子バンド。最後を飾るのはやはりこのバンドだったか!と、きっと演出ではあるのでしょうが、素直に感動して終わった高校2年生ギター部のラストコンサートでした。

生徒会の代替わりの時期がやってきた。2月3日、生徒会役員選挙。
春の訪れより一足先に、高校2年生を中心とした旧メンバーから、高校1年生を中心とした新メンバーに自治活動の中心が移行する。

立教の生徒会は、高等部・小中学部を合わせた全学年から役員を選出し、組織される。
球技大会、オープンデイといった年間の行事の運営から、毎日の朝の体操まで、様々な形で学校生活に関わる。地味な仕事も多いが、全校生徒の活動の軸となる責任は非常に重い。

立会演説会は午後1時半より開始。全校生徒が見つめる中、壇上に立った立候補者が
それぞれの思いを語った。
「大好きな立教をよりよくしたい」「自分を変えたい」「皆の学校生活を支えたい」。
あの生徒が、こんなに情熱を持って学校のことを考えていたのか、と驚くこともあった。
演説を聴いていた生徒達も、きっと同じ驚きを感じる場面があったはずだ。
生徒同士、普段からよく知っている仲であっても、自分の考えや思いを伝える機会は意外と多くなく、とても勇気がいることである。
しかし、立候補者達は皆、堂々とした演説でその壁を乗り越えた。演説ごとに拍手が起こり、2時間を超える演説会が最後まで緩むことなく進行したのは、生徒全員が立候補者たちのそんな勇気をよく理解し、たたえていたからであると思う。

続いて、生徒達からの質疑。
「生徒会は生徒の模範とならねばならない。その覚悟があるのか」「公約を果たせなかったらどうするのか」。
厳しい質問が投げられる。特に旧生徒会のメンバーからの質疑は重みがあった。彼らも、1年間の任期中にできたこと、やりたくてもできない、悔しい思いがあったに違いない。
その思いを、立教を本当にこの立候補者達に託して良いのか、真剣に定めようという姿勢が感じ取れた。

ある応援演説の生徒の言葉がとても印象に残っている。
「普段の彼のイメージから来る先入観ではなく、この場での彼の演説と公約によって判断してください」
民主主義が正しく機能するために必要なことのひとつだ。
学校は小さな社会である、と改めて感じる場面であった。
この立教では、小さな社会ではあるが、しっかりと機能していると、はっきりと言える。

夕食後、投票結果が教室棟に張り出された。第43期生徒会、新しい代の誕生である。
これからの1年が、彼らの情熱によってどのように形作られていくか、とても楽しみに思う。

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