Last year, I did a student exchange and I stayed in touch with them.
Whilst we emailed each other, we decided we should meet up again at my house in London.
So, Amber came to my house for 3 days just before Christmas and it was a fantastic time for me.
She said to me that she had studied about Japanese culture before and wanted to learn more.

First, we went shopping in Piccadilly Circus. We walked around and talked about each other a lot. Amber was looking for her Mother and sisters’ Christmas Presents.
Then, we went to a Japanese restaurant. My Father and I thought she should try “real” Japanese foods.
We had sushi, udon, yakitori, miso soup, tempura, sashimi, green tea, kara-age and macha flavoured ice cream.
We also went to a Japanese store which sold many kinds of Japanese Foods. While we were in there, we saw all the Kagamimochi and Amber knew what it was. This surprised me because it is a traditional Japanese food and I didn’t think it would be popular among foreigners. She explained that she knew what it was because she had studied Japanese new year’s events at school. However, there were some mistakes in her knowledge, so I explained that and corrected her. I think learning only by books about other cultures is limiting. It is the same for me when I learn English. Luckily, I live in London and spend most of the year at Rikkyo, so I have no choice but to learn about the English culture directly from experience.

During our time together, we watched “Miss Saigon”. It is a musical about the Vietnam War. Amber had studied about the war before, and I was really interested in it because my teacher told me it is a great musical and had advised me to watch it someday. So we decided to watch the musical together.
Also, we made homemade Japanese foods together such as Omuraisu, Takoyaki and cookies. Amber said that she likes Omuraisu. I hope she will make it again at her home.
She said usually British people wouldn’t eat octopus as they do not find its appearance very appetising.
However, she has a lot of spirit and was eager with her inquiries. This pleased my Mother and I. For me, foreigners wanting to know about our country’s culture makes me happy, because we can take pride in our culture.
My father is a trader and he works for a Japanese food company.
He is proud of his country’s foods, so he does his job because he wants other people from all over the world to enjoy Japanese foods. I think people being proud of their culture is very important.

If we love our country, I think we should want to know about other countries. If we do, communicating with other countries about things such as political matters will be much easier to do.
If we want to be citizens of this world, we have to love our country and culture. We should want to know about the history of our country and take pride in it.
If people think like that, I think they will be able to love and want to know about other cultures, whilst also respecting them. If we want to understand and use the language, surely we should know about the place it has originated from.
I’m not saying the world should view everything on equal terms. We are all different as individuals. Yes, the differences are what makes our world! But we should, must even, respect each other and keep making an effort to know one another.
That was one of the most necessary things I kept in mind throughout the exchange. Thanks a lot Amber!

(高等部2年生 女子)

ぼくは、この冬休みに日本航空の工場見学へ行って来ました。以前から一度行ってみたいなあと思っていたので、とても楽しみでした。

待ちに待った工場見学の日。心配症のぼくは、集合時間よりもとても早く日本航空の工場に着いてしまいました。しかし、早く着いたおかげで、羽田空港から離陸していく飛行機をとても間近で見ることができました。飛行機が飛ぶ「音」だけでなく、「風」も感じるほどの近さは、生まれて初めてです。ぼくは、この時点でワクワク度がマックスになってしまいました。こんなにワクワクしたのは、立教の入学式以来です。

見学の時間になりました。日本航空の建物に入ると、入口で「見学者カード」をもらいました。それを首から下げて、そのカードを使ってゲートを通り、3階に上がりました。

エレベーターを降りると、すぐに操縦や飛行機誘導の体験コーナー、客室乗務員の制服の展示があり、日本航空の社員さん達が普通に歩いていたので、それはまさに日本航空の世界でした。

ぼくは、まずパイロット体験をしました。パイロットの制服を着て操縦席に座っただけで、気分は上空1万メートルでした。飛行機誘導体験もやってみました。ただ両手に旗を持って振るだけの作業だと思っていましたが、予想以上にうでがつかれてしまい、難しいことだとわかり、驚きました。

そして、工場を見学する前に、日本航空の人がスライドを使って、飛行機について説明をしてくれました。

飛行機を点検したり、修理したりする整備工場を見学しました。ちょうど座席の交換をしていました。もう一つの整備工場では、何と通常は見ることのできない、政府専用機の一号機が整備を受けていました。今年の政府専用機の整備は、日本航空が担当しているそうです。

とても貴重な体験ができました。とてもうれしかったです。

2004年より始まった日英高校生のためのサイエンスワークショップは今年で10周年を迎える。今年もケンブリッジ大学と立教英国学院で7月17日から27日までの日程でクリフトン科学トラスト、アルボーン博士の主催でサイエンスワークショップが開催された。2010年から始まったケンブリッジ大学でのワークショップは今年5年目を迎え、熱心に指導する先生方のお陰で10周年に相応しい充実したものとなった。今年は京都滋賀地域でスーパーサイエンス・ハイスクールに指定されている4校の学校の生徒教員21名が来英した。本校からも4名の高校2年生が参加し、英国側でのホスト校として、日本の学校の生徒の受け入れと英国現地校の生徒との橋渡しとして活躍した。

例年のように日本人高校生はプレワークショップとして本校に滞在し、3日間のロンドンでの研修に参加した。ロンドン研修では、日本の近代化の原点とも言えるUCL(ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン)を訪問し、UCL教授である大沼先生にお話を伺い、17世紀に設立された世界で最も古い科学学術協会Royal Society(王立協会)への訪問、19世紀に電気化学の分野で先駆的な役割を果たしたファラデーのRoyal Institution(王立研究所)の訪問等を行った。ケンブリッジ大学で先進的な科学研究に触れることも大切な経験ではあるが、これらの近代化の原点、科学研究の原点である大学や学術協会を訪問することにより、科学が目的とするもの、科学が人類に貢献してきたことを再確認することは次世代を担う高校生にとっての一つの原点となることを願っている。本校の生徒にとっては日頃からアウティングで行き慣れたロンドンでもあり、その経験を活かし、積極的に日本人高校生の先頭となってロンドンを案内し、ホスト役として十分に活躍したことばかりでなく、改めて英国ロンドンの魅力を感じた研修でもあった。

7月21日から始まったケンブリッジでのサイエンスワークショップでは日本人高校生24名、英国人高校生24名が参加した。クリフトン科学トラストのアルボーン先生とケンブリッジ大学の研究者によって、7つの魅力的なプロジェクトが日英の高校生のために用意された。
体内での薬のデリバリーシステムの化学研究
ショウジョウバエを使った細胞分裂の観察
材料科学の研究(金属の融解から破壊まで)
自然放射線と原子力
工学におけるセンサー
タービンエンジンの設計研究
サイエンスコミュニケーション
いずれのプロジェクトも、社会が抱える問題の解決に科学研究が大切な役割を果たしていることを研究室の一員として体験すること、質問することにより既成の科学知識への挑戦をすること、そして科学が国際交流に大切な役割を果たしていることを体験できるよう配慮されている。

最終日には各チームに15分間の時間が与えられ、期間中に学んだこと、経験したことをPublic Presentationとして、大学研究者、一般の方々に説明する機会がある。参加した高校生は積極的に質問することが求められるが、英国人高校生からの質問に加えて、今年は日本人高校生からも積極的に質問する姿が見られたことは、次世代のグローバル人材の育成も考えている本ワークショップ主催者としては大変頼もしく感じている。

サイエンスワークショップの最後は、ヘンリー8世により設立されたトリニティー・カレッジでのディナーである。本ワークショップの良き理解者であり、生徒のプレゼンテーションにも参加しコメントをして頂いた、元トリニティー・カレッジ学長でもあり、王立協会のプレジデントでもあった宇宙物理学者のリース卿がディナーのホスト役をつとめる。今年は英国人高校生と日本人高校生がペアとなり、カレッジの伝統であるラテン語での食前の感謝にも挑戦をした。ニュートン(万有引力)や、ラザフォード(原子核)、トムソン(電子)、ブラッグ(X線結晶回析)、ボーア(量子論)らのノーベル賞受賞者が食事をし、議論をしたこの食堂は、正にワークショップの最後を飾る場所に相応しく、感無量の思いでディナーを楽しむことができた。

「ヒュー。」
スキー場に着き、車のドアを開けると小さな白い雪がちらちらと入ってきた。
2015年初のスキーは、オーストリアのHochkarというスキー場に行った。今年の冬休みは、ほとんどスキーに行った。4年生のころにオーストリアで初めてスキーを体験した。そして3年後。今ではほとんど転ぶことなく滑ることができる。でも、今までに、上達するまで、何十回転んだことか。

スキー場では、自分が滑っている前や横で転ぶ小さな子がいる。中には、スキーの板とストックが外れてしまう子がいる。そんな子がいる時、すぐに板とストックを拾って渡してあげる。3年前、スキーを始めたばかりのころは、このような行動はとれなかった。では、なぜ今はできるのかというと、こんな事が何回もあったからだ。

オーストリアのスキー場で、スキーを始めたばかりのある日のことだった。スピードが出ていて、バランスをくずして転んでしまった。勢いがあり、板もストックも遠くに飛んでいってしまった。
「いてててて。」
と言いながら起き上がると、周りに3人ほどの人が来て、英語で、
「大丈夫?」
と声をかけてくれた。3年前は英語があまり分からなかった。だまっていると、もう3人ぐらいが板とストックを持って来てくれた。その3人は、僕が板とストックを着け終えるまで待っていてくれた。

こんな事があり、オーストリアの人に助けられた。だから今度は自分が恩返しする番だと思い、助けている。
3学期から新しい学校で生活が始まる。学校でも、だれかの手伝いができるときは、全力で取り組みたい。

(小学部6年生 男子)

寒いイギリスから約13時間のフライトを乗り越え、着いた国はシンガポール。
生まれて初めて暖かい国で「冬」を迎えるのはとても変な感じがしました。
ヨーロッパではなかなか見られない不思議な色を組み合わせた数々のクリスマスオーナメントが
町のあらゆる所に飾られていて、とても面白かったです。

こんな暑い中クリスマスと新年を迎えるのか、と思っていると母親から日本に一時帰国することが決まったという話を聞きました。毎年夏の間のみ一時帰国していた私は、十年ぶりに日本で冬を過ごすことになりました。

寒さは立教で慣れているはずなのに日本は想像以上に寒くて驚きました。
眠るときには暖房がないと凍ってしまいそうなくらい日本の寒さは甘く見てはいけないものでした。 いつもはテレビのスクリーンで観ていたイルミネーション、録画の紅白歌合戦も、自分の目でリアルタイムで観ることができ、大満足でした。

毎年日本で冬を過ごしている人達からしたら、どうってこともない事が私にとってはとても幸せなことで、何気ないことでさえ幸せを感じられるのがさらに充実感を上げてくれました。精一杯日本の冬を満喫してきたので、今度は3学期に新しい気持ちに入れ替えつつもイギリスの冬を満喫したいと思います。

(高等部1年生 女子)

朝、とても肌寒く感じて目が覚めた。朝日の昇りはじめた窓の外を見ると、雪が降っていた。
中欧では当たり前の景色だったが、その時の僕にとっては、この雪がとても特別なもののように思えた。
タイミングを逃しちゃダメだ。そう思った。なんのタイミングかもわからないまま着替えると、カメラを手に家を一人飛び出して行った。

僕は写真を撮るのが好きだ。別に趣味でも特別うまいわけでもないが、我流でそれなりに様になった写真を撮っている。カメラを持ち出したのも、そのためだ。
家を出るとすぐに旧市街が現れる。ファインダー越しに見えた景色は、いつもの街並みではないことにとても驚きを覚えた。

旅先では必ず僕はシャッターを切る。新しい物、新しい風景が広がっているからだ。その自分の見た風景を忘れないために、いつか思い出せるようにと僕はひたすらシャッターを切り続ける。
この日のブラチスラバにも、それがあった。見慣れた教会、劇場、広場、歩道まで、どれも自分にとって新しく感じられた。
何度も見たことがあるのに、何でもない町のはずなのに、僕は白銀に輝くその「何でもない町」に魅せられていた。

ペストの塔を凝ったアングルから撮っていたからだろうか、通りがかったおじさんが犬を連れて僕に寄ってくるなり「フォトグラファーかい?」と尋ねてきた。顔を見ればどう見ても学生のはずなのだが、その時の服装でそう見られたのかもしれない。自分が口を開く前に彼は間髪入れず「いいスポットがあるんだ。」と一言。僕は何も言わず彼の後をついていくことにした。

そこから5分。「ここだ。」と言うなり彼はいなくなってしまった。
そこはどこあろう、自分の家の裏にあるお城だった。このお城は山の頂上にあり町全体を見渡せる場所なのである。
いつものランニングコースなのに、なぜこの景色を見落としていたのだろう。
雪で衣替えをした町をファインダー越しに見ながら、目から涙がこぼれた。
それが寒さのためか、美しさのためかはわからない。だけれども、僕はまた一つ、この町の姿を見つけられた。
そのことが嬉しくて、ご飯も食べずにひたすらシャッターを切り続けていた。
メモリー残量がゼロになった時、やっと、ハッと我に返った。
時計の針は12時半を指していた。

(高等部2年生 男子)

▪️中学部/高等部 入学試験(日本在住でも受験可)

中学部1年 2015年4月入学〈B日程〉

出願期間:2015年1月30日~2月6日
選考期日:2015年2月15日
試験会場:立教大学〈予定〉

高等部1年 2015年4月入学〈B日程〉
出願期間:2015年1月30日~2月6日
選考期日:2015年2月15日
試験会場:立教大学〈予定〉

 

※募集要項等詳細は当校ウェブサイトの入学入試情報(http://www.rikkyo.co.uk/info/admission.html)をご確認ください。

私は、今年の冬、フランスから日本へ帰りました。日本に帰って一番うれしかったことは、おとし玉をもらえたことです。おとし玉をもらうたびに、あー日本に来て良かったなと思いました。お金があると欲しい物がたくさん買えてすごくうれしいです。
でも、それだけではなくて私にはもう一つうれしかったことがあります。それは、山口県萩市にあるおばあちゃん家に行けたことです。夏に行った時は、ドラマの「花然ゆ」の撮影があって、近くまで見にいきました。私のおじいちゃんは、吉田松陰先生の田んぼを育てているのでおじいちゃんもおばあちゃんもドラマを楽しみにしていたので、やっとテレビでやるようになってうれしそうでした。
吉田松陰の関係で私はお家の裏にある松陰神社にお参りしてきました。私は神さまと吉田松陰先生に、
「立教の高校生にみんなでなりたいです。」
と何度も復唱してお願いしました。そのあとおみくじを引きました。私は、大吉でした。とてもうれしかったです。学業の所には、
「心配なし」
と書かれていて、きっとこれはちゃんとやればということなんだと思いました。だから、できるだけ神さまにうそをつかせないようにがんばらなきゃいけないと思いました。帰りにお守りを買っておだんごをたべて家に帰りました。

私は、この冬休み宿題もがんばったけれど、少し手話を勉強しました。小学校の時から時どき教えてもらっていて興味もあったので、勉強できて良かったです。また、点字も小学校の時から少しやっていたのでまた始めたいと思います。これから少しずつたくさんのことを覚えて、たくさん人を助けたいです。

今年の冬休みは本当に充実していて、本当に楽しかったです。

(中学部2年生 女子)

ぼくの冬休みは、夏休みと同様留守番に始まり留守番に終わった。でも冬休みといえば、クリスマスやお正月というイベントもあり、皆がそろう事ができるので楽しみがあり、待ち遠しかった。

心待ちにしていた最初のイベントは、卒業した小学校のクリスマスオペレッタとページェントを見に行けた事だ。妹も裏方の演奏者としてフルートを吹いた。現6年生にも知った顔がたくさんあり、自分の頃を思い出したり比べたりし、校長先生や担任の先生にも会う事が出来、クリスマスをお祝いする事ができて良かった。

そして我が家のクリスマスにはツリーを飾ったりしながら、不思議とウキウキする気持ちに気付かされながら過ごした。

そしてスケート。これは毎年静岡の街の中に臨時でスケートリンクが設置されるもので、いつも

「行こうね」

と言いながら行かずに終わるパターンのところ、ようやく実現した。でも氷ではなく、プラスチックの板で少々がっかり。滑るスペースも本当のリンクに比べればとても狭く、何回か小さい子にぶつかったり、転んだりしながら楽しむ事ができた。

こんなふうに楽しみながらも、年末年始は祖父母の家へ行く為、早く、出来る限りの宿題を終わらせて行こうと、妹と競うかのように取り組むのが恒例だ。ここまで終わっていなければ連れて行かないという、これまた恒例の母からのおどしが、チクリチクリとくる。そんな中、無事に祖父母宅で過ごす事ができた。

祖父はあまりおしゃべりな方ではないが、ボソッボソッと面白いことを言い楽しませてくれる。祖母は、皆で買い物に行く計画を立ててくれたり、皆で美味しい物が食べられるようにと、色々準備して作ってくれる。年末年始は特に、日本ならではの美味しい物が食べられ、有りがたいと思う。皆で楽しい年を迎える事ができ、お墓参りや初もうでに出かけ、新たな一年のちかいを立てたり、元気に頑張れるよう見守ってもらえる事をお願いしてきた。

一月一日には少しの間だけど雪が降った。出掛けた先だったので、静岡では味わえない降り方に、思わず妹ははしゃいでしまい、帽子もかぶらず、髪がびっしょりになり、

「かぜをひくでしょ。新年から。」

と言われる始末だった。

冬休みは夏のように長くはないが、このようにイベントが多く、何よりも新しい年を迎えるという事で、心新たに出発しなければいけないと思わされる充実した休みとなった。

(中学部1年生 男子)

冬休み。僕がブラジルに帰る最後の休みだ。春には日本への本帰国が決まっている。外国に居住している間、休暇の時には毎回旅行をしてきた。もしかすると、これが家族との最後の旅行になるのかもしれない。今回は6泊7日でブラジルの隣国、アルゼンチンへ渡った。

南米のパリと呼ばれる、アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスから飛行機で南へ約2000キロメートル。ペリトモレノ氷河への拠点となるカラファテを訪れた。氷河の融解・再氷結のサイクルが早いことで世界的にも有名な氷河のひとつで、「生きている氷河」と呼ばれている。12月〜3月にはビルの大きさほどの氷の塊が大きな音とともに一気に崩れ落ちる大迫力の瞬間を見ることができる。美しい巨大な氷河が崩れ落ちる様子は氷の塊が生きているということを体感することができ、自然のスケールの大きさを感じた。

クリスマスは南米大陸の南端、南極に最も近い「世界最南端の町」ウシュアイアで迎えた。この町にある世界一南に位置する鉄道「世界の果て号」に乗った。今では観光鉄道として人気のこの汽車は、かつては流刑地とされていたウシュアイアにあった監獄の囚人たちの手で建設され、一年中必要な薪を切り出す作業のために日常的に使われていたという歴史があることを知った。
さらに船でビーグル水道のアザラシ、海鳥、ペンギンが生息している島々を訪れ、アルゼンチンの大自然を思う存分味わうことができた旅となった。

南米旅行を通して気付いたことは、日本では決して見ることのできない大自然の彫刻が数多く存在するということ。僕はそれらの絶景に魅了されていた。ほんとうに貴重な体験ができたと思う。

(高等部2年生 男子)

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