「ヒュー。」
スキー場に着き、車のドアを開けると小さな白い雪がちらちらと入ってきた。
2015年初のスキーは、オーストリアのHochkarというスキー場に行った。今年の冬休みは、ほとんどスキーに行った。4年生のころにオーストリアで初めてスキーを体験した。そして3年後。今ではほとんど転ぶことなく滑ることができる。でも、今までに、上達するまで、何十回転んだことか。

スキー場では、自分が滑っている前や横で転ぶ小さな子がいる。中には、スキーの板とストックが外れてしまう子がいる。そんな子がいる時、すぐに板とストックを拾って渡してあげる。3年前、スキーを始めたばかりのころは、このような行動はとれなかった。では、なぜ今はできるのかというと、こんな事が何回もあったからだ。

オーストリアのスキー場で、スキーを始めたばかりのある日のことだった。スピードが出ていて、バランスをくずして転んでしまった。勢いがあり、板もストックも遠くに飛んでいってしまった。
「いてててて。」
と言いながら起き上がると、周りに3人ほどの人が来て、英語で、
「大丈夫?」
と声をかけてくれた。3年前は英語があまり分からなかった。だまっていると、もう3人ぐらいが板とストックを持って来てくれた。その3人は、僕が板とストックを着け終えるまで待っていてくれた。

こんな事があり、オーストリアの人に助けられた。だから今度は自分が恩返しする番だと思い、助けている。
3学期から新しい学校で生活が始まる。学校でも、だれかの手伝いができるときは、全力で取り組みたい。

(小学部6年生 男子)

寒いイギリスから約13時間のフライトを乗り越え、着いた国はシンガポール。
生まれて初めて暖かい国で「冬」を迎えるのはとても変な感じがしました。
ヨーロッパではなかなか見られない不思議な色を組み合わせた数々のクリスマスオーナメントが
町のあらゆる所に飾られていて、とても面白かったです。

こんな暑い中クリスマスと新年を迎えるのか、と思っていると母親から日本に一時帰国することが決まったという話を聞きました。毎年夏の間のみ一時帰国していた私は、十年ぶりに日本で冬を過ごすことになりました。

寒さは立教で慣れているはずなのに日本は想像以上に寒くて驚きました。
眠るときには暖房がないと凍ってしまいそうなくらい日本の寒さは甘く見てはいけないものでした。 いつもはテレビのスクリーンで観ていたイルミネーション、録画の紅白歌合戦も、自分の目でリアルタイムで観ることができ、大満足でした。

毎年日本で冬を過ごしている人達からしたら、どうってこともない事が私にとってはとても幸せなことで、何気ないことでさえ幸せを感じられるのがさらに充実感を上げてくれました。精一杯日本の冬を満喫してきたので、今度は3学期に新しい気持ちに入れ替えつつもイギリスの冬を満喫したいと思います。

(高等部1年生 女子)

朝、とても肌寒く感じて目が覚めた。朝日の昇りはじめた窓の外を見ると、雪が降っていた。
中欧では当たり前の景色だったが、その時の僕にとっては、この雪がとても特別なもののように思えた。
タイミングを逃しちゃダメだ。そう思った。なんのタイミングかもわからないまま着替えると、カメラを手に家を一人飛び出して行った。

僕は写真を撮るのが好きだ。別に趣味でも特別うまいわけでもないが、我流でそれなりに様になった写真を撮っている。カメラを持ち出したのも、そのためだ。
家を出るとすぐに旧市街が現れる。ファインダー越しに見えた景色は、いつもの街並みではないことにとても驚きを覚えた。

旅先では必ず僕はシャッターを切る。新しい物、新しい風景が広がっているからだ。その自分の見た風景を忘れないために、いつか思い出せるようにと僕はひたすらシャッターを切り続ける。
この日のブラチスラバにも、それがあった。見慣れた教会、劇場、広場、歩道まで、どれも自分にとって新しく感じられた。
何度も見たことがあるのに、何でもない町のはずなのに、僕は白銀に輝くその「何でもない町」に魅せられていた。

ペストの塔を凝ったアングルから撮っていたからだろうか、通りがかったおじさんが犬を連れて僕に寄ってくるなり「フォトグラファーかい?」と尋ねてきた。顔を見ればどう見ても学生のはずなのだが、その時の服装でそう見られたのかもしれない。自分が口を開く前に彼は間髪入れず「いいスポットがあるんだ。」と一言。僕は何も言わず彼の後をついていくことにした。

そこから5分。「ここだ。」と言うなり彼はいなくなってしまった。
そこはどこあろう、自分の家の裏にあるお城だった。このお城は山の頂上にあり町全体を見渡せる場所なのである。
いつものランニングコースなのに、なぜこの景色を見落としていたのだろう。
雪で衣替えをした町をファインダー越しに見ながら、目から涙がこぼれた。
それが寒さのためか、美しさのためかはわからない。だけれども、僕はまた一つ、この町の姿を見つけられた。
そのことが嬉しくて、ご飯も食べずにひたすらシャッターを切り続けていた。
メモリー残量がゼロになった時、やっと、ハッと我に返った。
時計の針は12時半を指していた。

(高等部2年生 男子)

▪️中学部/高等部 入学試験(日本在住でも受験可)

中学部1年 2015年4月入学〈B日程〉

出願期間:2015年1月30日~2月6日
選考期日:2015年2月15日
試験会場:立教大学〈予定〉

高等部1年 2015年4月入学〈B日程〉
出願期間:2015年1月30日~2月6日
選考期日:2015年2月15日
試験会場:立教大学〈予定〉

 

※募集要項等詳細は当校ウェブサイトの入学入試情報(http://www.rikkyo.co.uk/info/admission.html)をご確認ください。

私は、今年の冬、フランスから日本へ帰りました。日本に帰って一番うれしかったことは、おとし玉をもらえたことです。おとし玉をもらうたびに、あー日本に来て良かったなと思いました。お金があると欲しい物がたくさん買えてすごくうれしいです。
でも、それだけではなくて私にはもう一つうれしかったことがあります。それは、山口県萩市にあるおばあちゃん家に行けたことです。夏に行った時は、ドラマの「花然ゆ」の撮影があって、近くまで見にいきました。私のおじいちゃんは、吉田松陰先生の田んぼを育てているのでおじいちゃんもおばあちゃんもドラマを楽しみにしていたので、やっとテレビでやるようになってうれしそうでした。
吉田松陰の関係で私はお家の裏にある松陰神社にお参りしてきました。私は神さまと吉田松陰先生に、
「立教の高校生にみんなでなりたいです。」
と何度も復唱してお願いしました。そのあとおみくじを引きました。私は、大吉でした。とてもうれしかったです。学業の所には、
「心配なし」
と書かれていて、きっとこれはちゃんとやればということなんだと思いました。だから、できるだけ神さまにうそをつかせないようにがんばらなきゃいけないと思いました。帰りにお守りを買っておだんごをたべて家に帰りました。

私は、この冬休み宿題もがんばったけれど、少し手話を勉強しました。小学校の時から時どき教えてもらっていて興味もあったので、勉強できて良かったです。また、点字も小学校の時から少しやっていたのでまた始めたいと思います。これから少しずつたくさんのことを覚えて、たくさん人を助けたいです。

今年の冬休みは本当に充実していて、本当に楽しかったです。

(中学部2年生 女子)

ぼくの冬休みは、夏休みと同様留守番に始まり留守番に終わった。でも冬休みといえば、クリスマスやお正月というイベントもあり、皆がそろう事ができるので楽しみがあり、待ち遠しかった。

心待ちにしていた最初のイベントは、卒業した小学校のクリスマスオペレッタとページェントを見に行けた事だ。妹も裏方の演奏者としてフルートを吹いた。現6年生にも知った顔がたくさんあり、自分の頃を思い出したり比べたりし、校長先生や担任の先生にも会う事が出来、クリスマスをお祝いする事ができて良かった。

そして我が家のクリスマスにはツリーを飾ったりしながら、不思議とウキウキする気持ちに気付かされながら過ごした。

そしてスケート。これは毎年静岡の街の中に臨時でスケートリンクが設置されるもので、いつも

「行こうね」

と言いながら行かずに終わるパターンのところ、ようやく実現した。でも氷ではなく、プラスチックの板で少々がっかり。滑るスペースも本当のリンクに比べればとても狭く、何回か小さい子にぶつかったり、転んだりしながら楽しむ事ができた。

こんなふうに楽しみながらも、年末年始は祖父母の家へ行く為、早く、出来る限りの宿題を終わらせて行こうと、妹と競うかのように取り組むのが恒例だ。ここまで終わっていなければ連れて行かないという、これまた恒例の母からのおどしが、チクリチクリとくる。そんな中、無事に祖父母宅で過ごす事ができた。

祖父はあまりおしゃべりな方ではないが、ボソッボソッと面白いことを言い楽しませてくれる。祖母は、皆で買い物に行く計画を立ててくれたり、皆で美味しい物が食べられるようにと、色々準備して作ってくれる。年末年始は特に、日本ならではの美味しい物が食べられ、有りがたいと思う。皆で楽しい年を迎える事ができ、お墓参りや初もうでに出かけ、新たな一年のちかいを立てたり、元気に頑張れるよう見守ってもらえる事をお願いしてきた。

一月一日には少しの間だけど雪が降った。出掛けた先だったので、静岡では味わえない降り方に、思わず妹ははしゃいでしまい、帽子もかぶらず、髪がびっしょりになり、

「かぜをひくでしょ。新年から。」

と言われる始末だった。

冬休みは夏のように長くはないが、このようにイベントが多く、何よりも新しい年を迎えるという事で、心新たに出発しなければいけないと思わされる充実した休みとなった。

(中学部1年生 男子)

冬休み。僕がブラジルに帰る最後の休みだ。春には日本への本帰国が決まっている。外国に居住している間、休暇の時には毎回旅行をしてきた。もしかすると、これが家族との最後の旅行になるのかもしれない。今回は6泊7日でブラジルの隣国、アルゼンチンへ渡った。

南米のパリと呼ばれる、アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスから飛行機で南へ約2000キロメートル。ペリトモレノ氷河への拠点となるカラファテを訪れた。氷河の融解・再氷結のサイクルが早いことで世界的にも有名な氷河のひとつで、「生きている氷河」と呼ばれている。12月〜3月にはビルの大きさほどの氷の塊が大きな音とともに一気に崩れ落ちる大迫力の瞬間を見ることができる。美しい巨大な氷河が崩れ落ちる様子は氷の塊が生きているということを体感することができ、自然のスケールの大きさを感じた。

クリスマスは南米大陸の南端、南極に最も近い「世界最南端の町」ウシュアイアで迎えた。この町にある世界一南に位置する鉄道「世界の果て号」に乗った。今では観光鉄道として人気のこの汽車は、かつては流刑地とされていたウシュアイアにあった監獄の囚人たちの手で建設され、一年中必要な薪を切り出す作業のために日常的に使われていたという歴史があることを知った。
さらに船でビーグル水道のアザラシ、海鳥、ペンギンが生息している島々を訪れ、アルゼンチンの大自然を思う存分味わうことができた旅となった。

南米旅行を通して気付いたことは、日本では決して見ることのできない大自然の彫刻が数多く存在するということ。僕はそれらの絶景に魅了されていた。ほんとうに貴重な体験ができたと思う。

(高等部2年生 男子)

「家族の事も信用出来ないなんて、家族じゃない、同居者だよ!」

自分の手が震えているのが分かった。それは冬の夜だったからかもしれないが、多分、自分が怖かったからだと思う。たくさん傷つけているけど、いつもゆるしてもらって、そして優しくしてくれる。自分はもしかしたらこういう親の接し方に調子に乗っていたんだと思う。暗くてよく見えなかったが、多分もう少しで泣きそうな顔をしていたと思う。

その夜から、僕は”家族”について考えた。まず辞書を引いてみると、血縁関係によって結ばれた親族関係を基礎にして成立する小集団と出てきた。これは困った。僕的には、もっと気持ちの面でも答えて欲しかった。ただ血がつながっていればいい、ではなくてそれ以上に絆だとかそういう物があると思ったからだ。そもそも絆とは何か?と考えてみた。どうやったら絆が出来るか考えた。でも絆はできているかどうかすら分からない。だとすると、絆という物はもしかしたらないのかもしれない。いつか裏切られるものかもしれない。それが怖い。なら次に人間はどのような行動をとるのか?僕はそれは傷つける、という行動だと思う。この傷つける、という行動をとることによって、その人との絆がどこまであるのか、ということを計ろうとするのだと思う。しかし、この行動によって大切な人を失ってしまう、という可能性もあるだろう。「家族」とは、確かに血のつながった小集団だ。しかし、血のつながり、というものだけでは決して絆は生まれないだろう。血のつながりがあるから、家族であるからこそ、友人では出来ないような、裏切られないようにするための傷つけ合いがあってもいいのではないだろうか?

僕は部屋から出た。その時、僕の目には熱い水がたまっていた。風邪だから、という事にしておかないと家族のぬくもりに包まれて大きな声で泣いてしまうだろう。今回の冬休みで僕は「家族」という大切な存在に気付かされた。

「お母さん、ごめんなさい」

(中学部1年生 男子)

1月10日(土)、続々と生徒が到着し、立教英国学院はまたにぎやかさを取り戻しました。「久しぶり」と声をかけあう生徒たち。冬期休暇はそれぞれ思い思いに過ごし、リフレッシュできたようです。

そして11日(日)、すっきりとした晴天の中、第三学期始業礼拝が執り行われました。
高等部3年生が学校を去った先学期。今学期からは高等部2年生が実質的な最高学年として、テーブルマスターや聖歌指導などの役職を引き継ぎます。礼拝で十字架を捧げ持つクロスベアラーやトーチベアラーといったアコライトもそういった役職の一つで、今学期の始業礼拝で初めての仕事を務めました。まだ持ちなれないクロスやトーチを持ち、緊張の面持ちでチャペルに入堂する姿からは、これから最高学年を担っていく責任が感じられました。憧れていた先輩のように役職を全うしたいと、決意を新たにしたようです。

122名と少ない人数ではありますが、新入生4名を迎え、また新たなスタートを切りました。全校新春かるた大会や合唱コンクール、現地校との短期交換留学等、今学期もまた行事でいっぱいの学期が始まります。短いながらも充実した学期になるよう、心から願っています。

1月14日(水)、UCL ロンドン大学(University College London−ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン) のCLIE (Centre for Languages & International Education−国際教育センター) にて、立教英国学院とUCL-CLIE間の進学協定の調印式を執り行いました。

UCLは、オックスフォード、ケンブリッジに次ぐイギリスで3番目に古い大学で、世界大学ランキングでも常に上位に位置するトップクラスの大学です。29名ものノーベル賞受賞者を輩出しています。150年前に伊藤博文をはじめとする長州ファイブが日本から初めて留学し、その後の日本の近代化に大きく貢献したことでも知られており、今年のNHKの大河ドラマの舞台となることでも現在注目を集めています。

この協定により立教英国学院の生徒で在学中に一定以上の成績を修め、規定の英語資格を取得した者はUCLのUPC (Undergraduate Preparatory Certificates−学士入学準備コース) へ推薦されることができます。UPCは1年コースで、修了後はUCLの各学部へ進学が可能です。イギリスの学士コースは3年間ですので、合計4年間で学位を取得することが出来ます。

合わせて、今後立教英国学院はUCL国際教育センターと生徒の語学研修などでも教育連携を図っていくことが確認されました。また、協定締結に伴い、2015年度より教育課程に英国大学進学コースを設置し、イギリスをはじめとする海外の大学への進学を積極的にサポートしていく予定です。提携先の大学も今後順次拡大していきます。

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