「家族の事も信用出来ないなんて、家族じゃない、同居者だよ!」

自分の手が震えているのが分かった。それは冬の夜だったからかもしれないが、多分、自分が怖かったからだと思う。たくさん傷つけているけど、いつもゆるしてもらって、そして優しくしてくれる。自分はもしかしたらこういう親の接し方に調子に乗っていたんだと思う。暗くてよく見えなかったが、多分もう少しで泣きそうな顔をしていたと思う。

その夜から、僕は”家族”について考えた。まず辞書を引いてみると、血縁関係によって結ばれた親族関係を基礎にして成立する小集団と出てきた。これは困った。僕的には、もっと気持ちの面でも答えて欲しかった。ただ血がつながっていればいい、ではなくてそれ以上に絆だとかそういう物があると思ったからだ。そもそも絆とは何か?と考えてみた。どうやったら絆が出来るか考えた。でも絆はできているかどうかすら分からない。だとすると、絆という物はもしかしたらないのかもしれない。いつか裏切られるものかもしれない。それが怖い。なら次に人間はどのような行動をとるのか?僕はそれは傷つける、という行動だと思う。この傷つける、という行動をとることによって、その人との絆がどこまであるのか、ということを計ろうとするのだと思う。しかし、この行動によって大切な人を失ってしまう、という可能性もあるだろう。「家族」とは、確かに血のつながった小集団だ。しかし、血のつながり、というものだけでは決して絆は生まれないだろう。血のつながりがあるから、家族であるからこそ、友人では出来ないような、裏切られないようにするための傷つけ合いがあってもいいのではないだろうか?

僕は部屋から出た。その時、僕の目には熱い水がたまっていた。風邪だから、という事にしておかないと家族のぬくもりに包まれて大きな声で泣いてしまうだろう。今回の冬休みで僕は「家族」という大切な存在に気付かされた。

「お母さん、ごめんなさい」

(中学部1年生 男子)

1月10日(土)、続々と生徒が到着し、立教英国学院はまたにぎやかさを取り戻しました。「久しぶり」と声をかけあう生徒たち。冬期休暇はそれぞれ思い思いに過ごし、リフレッシュできたようです。

そして11日(日)、すっきりとした晴天の中、第三学期始業礼拝が執り行われました。
高等部3年生が学校を去った先学期。今学期からは高等部2年生が実質的な最高学年として、テーブルマスターや聖歌指導などの役職を引き継ぎます。礼拝で十字架を捧げ持つクロスベアラーやトーチベアラーといったアコライトもそういった役職の一つで、今学期の始業礼拝で初めての仕事を務めました。まだ持ちなれないクロスやトーチを持ち、緊張の面持ちでチャペルに入堂する姿からは、これから最高学年を担っていく責任が感じられました。憧れていた先輩のように役職を全うしたいと、決意を新たにしたようです。

122名と少ない人数ではありますが、新入生4名を迎え、また新たなスタートを切りました。全校新春かるた大会や合唱コンクール、現地校との短期交換留学等、今学期もまた行事でいっぱいの学期が始まります。短いながらも充実した学期になるよう、心から願っています。

1月14日(水)、UCL ロンドン大学(University College London−ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン) のCLIE (Centre for Languages & International Education−国際教育センター) にて、立教英国学院とUCL-CLIE間の進学協定の調印式を執り行いました。

UCLは、オックスフォード、ケンブリッジに次ぐイギリスで3番目に古い大学で、世界大学ランキングでも常に上位に位置するトップクラスの大学です。29名ものノーベル賞受賞者を輩出しています。150年前に伊藤博文をはじめとする長州ファイブが日本から初めて留学し、その後の日本の近代化に大きく貢献したことでも知られており、今年のNHKの大河ドラマの舞台となることでも現在注目を集めています。

この協定により立教英国学院の生徒で在学中に一定以上の成績を修め、規定の英語資格を取得した者はUCLのUPC (Undergraduate Preparatory Certificates−学士入学準備コース) へ推薦されることができます。UPCは1年コースで、修了後はUCLの各学部へ進学が可能です。イギリスの学士コースは3年間ですので、合計4年間で学位を取得することが出来ます。

合わせて、今後立教英国学院はUCL国際教育センターと生徒の語学研修などでも教育連携を図っていくことが確認されました。また、協定締結に伴い、2015年度より教育課程に英国大学進学コースを設置し、イギリスをはじめとする海外の大学への進学を積極的にサポートしていく予定です。提携先の大学も今後順次拡大していきます。

「はぁ。オープンデイかぁ。ついにこの時期が来ちゃったよ。」
私の周りの人が言っていた。正直私もその中の一人だ。私は別にオープンデイが嫌いなわけではない。しかし、私の場合友だちとの関係が悪くなってしまうことも多い。毎年毎年、「おまえはオープンデイになると怒る。笑わなくなる。」と言われる。自分自身は、オープンデイに熱を入れるつもりはない。けれど、期間に入ると、みんながだらだらしているとビシッと言いたくなってしまう。きっとそれは昔、ある子にしごかれたからだろう。
中一の頃のオープンデイ、正直あれは黒歴史だ。模型は一つくらいしかない。その一つは私とその子で三日で作り上げた。ブレイク時間もなし。ココアもクッキーも食べられない。ひたすら作り上げる作業だった。あの過酷な状況を経験したため、その名残がまだあるのだろう。過酷なオープンデイが私にとって初めてのオープンデイだったためにそれに慣れたのだろう。
今年もやはり言われてしまった。だがその言葉を気にしていたら、前には進めない。もし友だち関係が壊れてしまったら、私がその子に合わなかったんだと思うようにしている。しかし実際、オープンデイという短い期間だけ少し壊れるだけで、終わったらすぐ仲良くなる。オープンデイという高い壁を越えて、友情はもっと厚くなるのかな。良いものを作るためには、自分の意見を中にしまっておかずにぶつかり合った方がいいと私は考えている。
今回のオープンデイは私にとって四度目だ。たくさん失敗もしてきた。たくさん辛いこともした。けれどその分、貴重な体験をした。今回、クラス内でもめごとはなかった。それでそれなりに良い物を作れたから、自分の中での点数は高い。クオリティ自体はどれも低かったかもしれない。それでも楽しめたから良いと思う。
同じクラスでもあまり話したことがない人もいたが、活動がきっかけで話すようになった子もいる。今まで話したことがなかった人は、今まで見られなかった部分を見ることができる。それがオープンデイの醍醐味でもあるのかなと思う。高一のオープンデイは私にとって味があり、お互いの絆が深まった。次のオープンデイでクラス企画は最後になる。四回分の失敗と成功をうまく使い、今まで見たことがないくらい良いものを作りたいと思う。

(高等部1年生 女子)

終業礼拝で夏休みの読書感想文の優秀者、金賞2名と銀賞1名が表彰されました。その中から銀賞を受賞した高等部2年生の作品をご紹介します。

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「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番良く知っている。」神父ロドリゴが踏絵を踏む前に聞いたイエスの言葉。私はこの踏絵のシーンを読んでいる時、もし自分がこの時代にキリスト教の信者だったらどうしただろうと考えた。踏んだら裏切り者となり、踏まないと死刑。残酷な選択だが、きっと私は踏むことを選択すると思う。このイエスの言葉を読むまで裏切り者として心に傷を抱えて生きていかなくてはならないんだろうと思っていた。しかし読んだ後、心がすっきりする気持ちがあった。認められたような、そんな気持ちがあった。きっと神父のロドリゴも認められたような気持ちになったのではないだろうか。

次になぜ神は最後まで答えを出す事もなく沈黙し続けたのか。人は悩み苦しみ迷った時に、何かにすがりたくなったり、楽な方へ逃げたくなったりする。そんな時に神にもすがる気持ちで祈りを捧げることもある。神様を信じ、教えにそって生きてきたロドリゴも神にすがりたくなっただろう。しかし彼は、立ち向かい、逃げることはなかった。神様からの導きはないまま、苦しみ抜いた末、彼は答えを出した。たとえその答えが彼にとっていばらの道であったとしても、悩みから解放され、少し心の平穏を得られたのではないかと思う。神は答えを教えてくれなかったけれど、苦しみ悩み考えた末に見つけた答えに対しては、心広く見守ってくれるのではないだろうか。神はいつも私達を見守っていてくれる。このことこそが沈黙と結びつくと私は思った。

自分で努力し、自分で答えを見つけ出すことは大変だけれども、成功した時、発見した時の嬉しさや達成感は計り知れないものである。どんな時も手を差し伸べることなく最後まで見守ってくださる神が、いつも自分のそばにいてくださることを改めて感じた作品だった。

(高等部2年 女子)

昨年までは、金子先生に頼ってばかりで、あまり私たちで仕上げた!という感じではなかった。文章も書かなかったし、模型も作らなかった。だから、正直今回も不安でいっぱいだった。中学最後のオープンデイとして、中三全員の力を出し切って、賞はもらえなくても、後悔がないものにしたかった。
一学期にテーマを決め、休み中には資料を集め、二学期始まってそれをまとめた。しめ切りなどは守れなかったものもあったけど、あきらめずにみんなが自分の時間を割いて頑張った。今回のテーマは「東日本大震災」。テーマが重く、難しいため、資料を読むだけで苦労した。私たちが知らないこともあり、もう一度、考え直し、そして理解し直した。とくに私が今回頑張ったのは日本語でまとめられた文章を英語に訳す「英訳係」だった。前にも言ったが、日本語でもわからない言葉を英語にするのはとても大変だった。また、日本語原稿が十枚あり、その十枚全てを私が訳すと思うとやる気は全く出なかった。しかし、こんなところで無理なんて言ってたら話にならない!と自分を説得し、頑張った。もちろん、すらすらとうまくいったわけではなく、途中、涙が出てきた時もあったが、何とか乗り越えOKが出た。あきらめないでよかった。そう強く思った瞬間だった。
結果、模造紙部門第一位は中学部3年。また涙が出た。しかし、この涙は嬉しい涙だった。みんなで喜んで泣いた。本当にうれしかった。発表されるまでのドラムロールの間高二以下の生徒の両手はかたく結ばれ、みな下を向き目をつむっている。何かを願うように。
また、その後のインパクト賞でも第二位を取ることができた。
オープンデイ前日の土曜日の夜、私たち全員が力を出し切って作り上げた教室を見渡し、「おやすみなさい!」と教室を出ていくときの顔はみんな笑顔にあふれていた。
きっと私だけではなく他にも辛いことがあり悲しくなった人もいたと思う。でもそんな時支えてくれるのが同じクラスの仲間。お互いがお互いを支え合い最後は笑顔になれた中学生最後の最高のオープンデイだった。もう同じメンバーでオープンデイの作業をするのは最初で最後だったと思う。
本当にうれしかった。みんな、ありがとう。
来年ももっと成長できてるといいな。

(中学部3年生 女子)

終業礼拝で夏休みの読書感想文の優秀者、金賞2名と銀賞1名が表彰されました。その中から金賞を受賞した高等部2年生の作品をご紹介します。

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「人間は恋と革命のために生まれてきたのだ。」
これは、この作品の主題となる文章のひとつです。
戦争が終わった昭和二十年、没落貴族となった主人公のかず子とその母は東京の家を売り、伊豆で暮らしていました。弟の直治も南国の戦地から帰ってきて、その弟を介して上原という男と知り合ったり、体調のすぐれない母親の看病などをしながら、かず子は穏やかな日々を過ごしていました。敗戦まで貴族として恵まれた生活をしてきたかず子でしたが、戦争を経験したこと、そして結核になってしまった母の死を前にして「私はこれから世間と争って行かなければならないのだ。」と確信します。

それから少しして、かず子の母親は亡くなってしまいます。私は最初、その後のかず子の行動にとても驚きました。母の死後、かず子は「いつまでも、悲しみに沈んではおれなかった。私には、是非とも、戦いとらねばならぬものがあった。」と、自身の恋を叶えるために、出会ってからずっと忘れられなかった上原のもとを訪ねて行くのです。愛する母親の死の悲しみにも浸っていられないほどのかず子の熱い思いが感じられる場面でしたが、もし私がこのときのかず子のような状況におかれたとしても、私なら母を失ったさみしさと悲しさで自分の恋愛のために行動する余裕はきっとないだろうと思いました。しかし読み返してみると、このときのかず子の心境は「私はいま、恋一つにすがらなければ、生きていけないのだ」とも記されており、かず子の上原への愛の大きさと、その思いにすがらなければ生きていけないほどに母親の死がショックだったこと、それだけかず子の母親への愛情が強かったことが現れている行動なのだと気づかされました。

恋と革命。それは、この作品の主人公であるかず子にとっての物語の主題なのだと思います。この作品の最後で、かず子はもう一つの革命を起こす決意をしています。お腹に宿った、不倫相手の上原との子供をたった一人で育てていくことです。かず子と上原はしだいに疎遠になってしまいました。それでもかず子は、恋しい人との子供を産み、シングルマザーとして育てていくことを決心するのです。自分の家族も生まれてくる赤ちゃんの父親もいない中、一人で子供を育てることは私には想像もつかないほど大変なことだと思います。しかし彼女は、離れていった上原を責めることはありませんでした。この優しさが、かず子の心の強さを物語っていると思いました。そしてこの恋と革命のために生きようとするかず子の強さが、社会に進出し奮闘する現代の女性たちにも通ずる、『斜陽』という作品に込められたメッセージなのだと思います。

(高等部2年 女子)

終業礼拝で夏休みの読書感想文の優秀者、金賞2名と銀賞1名が表彰されました。その中から金賞を受賞した中学部1年生の作品をご紹介します。

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「良い人と悪い人」

僕が『坊っちゃん』と出会えたのは、3年生です。最初は読む気がなくて、部屋のすみから取り出した難しい本でしたが、5、6年生と時間をおいてから読むと意味が分かってくるようになり、中1になると筆者、夏目漱石の描きたかったことも読み取れるようになったかな、と思います。
『坊っちゃん』を読んで漱石は、良い人、悪い人を描きたかったのかな、と思いました。なぜかというと、親ゆずりの無鉄砲で、素直な坊っちゃん、それとは反対に表はやさしいが、裏はずるがしこい赤シャツなどと、はっきりといい人、悪い人を描いているからです。

では、良い人と悪い人との違いは何なのでしょうか?
僕から見ると、まず良い人は、調子のいいことを言わず、うそをついたり、ごまかしたりを嫌う人です。次に悪い人は、表面は良い人だけれども、調子の良い事を言っているだけで、それがばれたらごまかしたり、無かったように知らんふりをしている人です。
ここから出る問いは、まず初めに、なぜ良い人はうそをつくのが嫌いなのか? 次に、人間は良い人と悪い人に分けられるのか? 最後に、どうして悪い人は調子良くするのか?

初めの問いは、良い人はうそをつくと後で悔いたり、自分の信らいを失ったりするのをよく知っているからだと思います。
次の問いは、表面上だけだと、流石にわかりませんが、中をよくみてみると、分けられるような気がします。
これは僕の小学生のころの経験ですが、ある時とても仲の良かった友達に家の鍵をかくされました。別にけんかする理由もなかったのに、一番信らいの出来る人から裏切られるのは、とても悲しいことでした。
さて、では最後の問いは、多分相手から信らいを得たいだとか、相手と上手に関わりたい、という思いが、つい出てしまうからだと思います。誰だって、最初から相手に嫌われたくないし、自分のことを尊敬してもらいたいと思います。なのでついつい調子の良いことを言ってしまい、結果的に信らいを失ってしまう、ということになってしまいます。

このように人との関わりを考えていくと、赤シャツのような人は良い人になりたい、という思いが強すぎるのであのような陰口や、裏でコソコソと悪事を働いてしまうのです。それとは逆に坊っちゃんみたいな人は、うそをついたり、調子の良いことばかり言っていると、ろくな事にならないし、正直に言いにくいことでもあえてきちんと言うことにより、結果的に得をするし、言われた相手も得をする、ということを分かっているので素直な人になれるのだと思います。
人生の分岐点。素直な坊っちゃん、悪事を働く赤シャツ、どちらになるか、一度考えてみることをおすすめします。

(中学部1年 男子)

先日、トーマスハーディスクールとの交換留学プログラムの第一部が終了しました。とても楽しい五日間でした。

最初、職員室の前で交換留学生たちとあった時は、バディのことは名前がTで始まること以外なにも知らず、とても不安でした。しかし、実際に話してみると、思っていた以上に気が合いすぐに仲良くなりました。僕のバディは日本語がとても上手でした。日本の文化が好きで、いつか日本に住みたいといっていました。日本で寿司を食べるのが夢のひとつだそうです。今思えば、最近寿司を食べていません。次の休みにでも食べに行きたいです。

交換留学生がきている間と普段の立教生活との一番の違いは、一人の時間がないということです。礼拝から九時半まで隣には常にバディがいました。そのこと自体はあまり苦ではなかったのですが、バディは日本語がわからないため、ほかの生徒と日本語で話すときに気を使いました。また、夕食後の時間はバディータイムで、立教生とトーマス生で好きなことをしました。最初の夜はサッカーで、最後の夜は映画を見ました。トーマス生の中にスポーツが大好きな人とスポーツを全くしない人がいたので、何をするかなかなか決まらず大変でした。

あっという間に過ぎてしまった交換留学ですが、そのなかで僕が学んだことは二つです。
ひとつは日本の文化の大切さです。留学生たちのために茶道部がお茶会をやってくれたのですが、そのとき僕は初めて茶室でお茶を飲んでいるところを見ました。そこにはグローバル化とともに失われつつある日本の文化がありました。お茶を飲む側ももてなす側も、二度三度と頭を下げ、感謝の意を表す姿は、今では見ることがありません。礼節を重んじるその姿には、むしろ違和感すら感じました。きっとトーマスハーディの人たちの目には異様な光景に見えたことでしょう。お茶会が終わって、バディに感想を聞いたところ、「よくわからなかったけど面白かった」とのことで、「日本人はどれぐらいの頻度であれをやっているの」と聞かれたとき、僕は答えることができませんでした。現代の日本人の多くは茶道をやっていません。見たことすらない人もいることでしょう。しかし日本人は礼儀正しいという話をよく聞くということはその根底にあるおもてなしの心は不思議と皆生まれつき持っているようです。

また、留学生たちが今回の交換留学において最も楽しみにしていたことのひとつは剣道でした。なんでも、映画に出てくるサムライを見て好きになったそうです。その映画がハリウッドの映画だと聞いたとき、僕はなんともいえない気持ちになりました。日本の文化が世界に認められているということでよろこんでいいのでしょうか。その彼らも実際に剣道をやってみて、その難しさに驚いていたようですが、どうやら印象はよかったようです。僕のバディも「またやりたい」といっていました。やはり剣道と茶道が最も日本というものをよくあらわすものなのでしょう。僕自身も楽しませてもらいました。めったに経験できないものなので、また機会があったらやりたいです。

僕が学んだもうひとつのことは、立教とイギリスの学校の違いです。僕は日本の中学や高校に通ったことがないので、日本の学校のことはよくわからないのですが、立教が日本の学校と違うという話はよく聞きます。しかしトーマスハーディの人たちによると、立教はイギリスの現地の学校ともぜんぜん違うようです。たとえば、トーマスハーディでは一学年の人数が立教の全学年の人数の合計と同じぐらいで、学年が五つほどあるそうです。また、授業制度もぜんぜん違い、イギリスの学校では必要最低限の科目のみ受講しているようです。僕のバディが受けている科目は四つで、自由時間がたくさんあるようです。立教のスケジュールにももう少し余裕を持たせるべきだと思います。

男子校との交換留学は今回が初めてで、よくわからないことだらけでしたが、トーマスの人たちがとてもフレンドリーだったので、その場の流れでなんとかなりました。彼らの積極的な姿勢と楽観的な性格がなければ、きっと楽しい交換留学になっていなかったことでしょう。彼らには本当に感謝しています。次は立教生がトーマスハーディに行く番です。僕のバディは町に連れて行ってくれるといっていました。向こうにどんな面白いものがあるか楽しみです。

(高等部1年生 男子)

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