卒業以来、実に6年振りに立教に帰ってきました。Open Dayに乗じての訪問でしたが、細かいところはともかく、変わらない「空気」に安心した1日でした。後から思えば、自分の根幹を形成した7年でした。入り口の看板を見た時から色々な思い出・記憶が押し寄せて来て、懐かしさで一杯になり、自分でも驚いています。
ただそこにあってくれるだけでホッとする場所です。
また来たいと思います。

高校3年生、学院生活最後のアウティングはロンドン。今年は予約の都合で2回に分けていくことになりました。その分楽しみも2倍です。

1回目は10月10日(金)、グループ行動が中心で、ロンドンで昼食を食べるところから始まりました。急ぎ足で観光名所をめぐるグループ、のんびりショッピングを楽しむグループ、ひたすら食べまくるグループと様々です。最後のロンドンを楽しんでやろうと、それぞれのグループは前日からああでもないこうでもないと計画を立てていました。アウティングやホームステイで何度も訪れたロンドン、計画なら任せてといった調子です。自由時間を無駄にすまいとロンドンを文字通り「駆け巡った」班もあったとか。「あんなに走ったのは生まれて初めて!」と、疲れたけれど満足そうな顔を見せていました。

昼食後、最初の集合は大観覧車、ロンドンアイ。この日は10月のロンドンにしては珍しくいい天気で、予約はしてあったものの順番待ちは長蛇の列。他愛のない話で盛り上がりながら順番を待っていると、いよいよロンドンの街並みを一望できる空中へ。一つのカプセルは30人乗りなので、贅沢に1クラスで1つ貸切です。360度大迫力のパノラマに、生徒の間から自然と歓声がこぼれます。
「ヒースロー空港はどこかな?」「あの建物、去年の夏に行ったな」これまでの思い出を振り返りながらロンドンの街並みを一望。18歳になっても素直に感動してくれるのは嬉しいもの。満面の笑みで記念写真を撮りました。

夜は皆でミュージカル、『オペラ座の怪人』を鑑賞。演目はもちろん全て英語ですが、ストーリーを理解できるあたりはさすが高3生。内容には賛否両論、昨年見た「レ・ミゼラブル」と比較しながら、「あそこのセットは……」「いや、あの演出が……」などと、帰りのバス内は白熱の論議が繰り広げられていました。みんながすばらしいミュージカルの世界に浸り、ロンドンを巡った疲れなんてなんのその、帰りの2時間にわたって話はやみませんでした。

2回目は10月29日(水)の国会議事堂見学。あの有名なロンドンの目玉、ビッグ・ベンを擁する国会議事堂内部に入れる貴重な機会です。イギリスで育った身として、イギリスの政治を理解していなければ大学で笑われてしまいます。ガイドはもちろん英語。聞き慣れない政治用語に真剣に耳を傾けていました。

世界史を学習している生徒にとっては、勉強した歴史が目の前に現れる機会。ガイドさんの話は、1066年のノルマンディー公ウィリアムによるノルマン・コンクエストから始まり、1834年の大火によって焼け落ちてからの国会議事堂の再建、第二次世界大戦、その後から今に至るまでの話…。建物の話から政治の歴史まで、ちょっとした小話も交えながら話してくれました。
今回は下院は閉まっていたので、上院のみの見学でした。上院は赤と金、下院は緑と木の色を基調とした部屋になっています。豪華な金色の装飾に赤色のソファはさすが貴族院といった豪華さでした。見学の道すがら、テーブルを囲んで話し込む上院議員の姿も目にすることができ、イギリスの政治を身近に感じたひと時となりました。

その日の昼食はクラスメイトと行く最後のロンドン。指示は無かったのですが、クラス全員で食べることを事前に決めていたそうです。幹事は大変でしたが、予約から注文まで自分たちでこなしていました。いつの間にか、こんなにも頼もしくなっていたのですね。

学院生活最後のロンドンを満喫し、それぞれの進路に向けて猛チャージです。

紅葉が深まる立教キャンパス。どの教室を覗いても、皆せわしなく活動している。
オープンデイ(文化祭)のクラス企画は、自分たちでテーマを決めた展示発表である。
当日のサプライズ性を高める粋な計らいなのだろう、慣例的に互いの展示内容を教えないことにしているようだ。
先生も全員が全クラスの内容を把握している訳ではない。
背景、模型、文章構成など、生徒の役割は様々だ。時には作品の出来不出来をめぐって衝突が起こる。
それは決してマイナスなことではなく、皆が真剣によりよいものを目指しているからこそだ。
立教英国学院のオープンデイ準備期間は1週間。この間、授業は一切無い。
イギリスの学校では学期に一週間、ハーフタームという中休み期間があるが、立教ではこれをオープンデイの準備期間に当てている。
だから日本の一般の高校より遙かに長く、密度の濃い準備期間になる。
夕方になると、今度はフリープロジェクトの練習が始まる。
こちらは学年関係なく有志が集まって発表をするもので、演劇やダンスなどがある。
その他に剣道部や茶道部の部活動発表もあるから、授業がないとはいえ、とても忙しい。
クラス企画で服をペンキまみれにした生徒が、体操着に着替えて小走りでフリープロジェクトに向かっていた。
その表情は焦ってはいたが、とても充実しているように見えた。
真剣に取り組めることは、立教の生徒たちの大きな長所であると思う。
そしてその経験は財産として残っていく。
生徒の成長を感じつつ、当日を楽しみに待つ準備期間である。

卒業後初めて訪問させて頂きました。
20年以上前からは大きく変わり、新しい建物も増えていましたが、ドミトリーの中など変わっていないところも多く、とても懐かしかったです。食堂に当時のコンサートの写真があって驚きました!
学生だった頃は毎日当たり前に見えていた景色がとても美しく見え素晴らしい環境で勉強できたことに改めて感謝しました。
ありがとうございました。

私が一押しするのはOxfordのHarris Manchester Collegeのステンドグラスです。このカレッジはオックスフォードで最小のカレッジで最も寄付が少ないカレッジだそうです。街の中心に位置しています。主な出身者は酸素の発見者ジョセフ・プリーストリー、物理学者のジョン・ドルトンがいます。
ここには10代の若者から70歳のおばあさんまでが学んでいるそうです。そしてこの教会のステンドグラスです。これは1893〜1898年にかけてモリス商会によって制作されたそうです(イギリステキスタイル界の父、ウィリアム・モリスが作った)。

イエス様のデザインは首に子羊を巻いたものです。この図柄はバーン・ジョーンズという人の大ヒット作のようで、たくさんの教会で見ることが出来ます。いわゆる「良き羊飼い」ということで、歩けなくなった迷える子羊を背負って歩くイエス様のことだ、とガイドの人が教えて下さいました。
このステンドグラスには基本的な聖人は全て登場していて、関係のあるものと一緒に描かれているので、礼拝でも彼らの関係を迷うことなく聖書の内容も聞けることでしょう。
左右もステンドグラスで埋め尽くされていて、右は地球創造の話、左は「Justice」といった言葉に関係のある絵と聖書の一文が記されています。

小さいけれど三方からのステンドグラスを通した温かな光。飾りすぎではないけれど印象的なイエス様たち… 心に響く聖書の言葉の中で何か祈りを捧げられることは幸せなんだろうな… そう感じました。

皆さんも是非この教会を訪れ、やさしい光のなかでゆっくり過ごしてみてください。

(高等部2年生 女子)

僕がオックスフォードへのアウティングを通して一番印象的だったのは、アインシュタイン博物館です。僕は理系なので特にこの博物館に置いてあるようなものに興味がありました。中でも一番見て感動したのはアインシュタインのブラックボードという、アインシュタインが昔、宇宙の膨張について考察した数式が書かれている黒板です。僕は高校1年の時に宇宙に興味を持ち、ネットや本からよ く物理学についてのことを調べていました。特に記憶に残っているのが、アインシュタインの相対性理論でした。そんなアインシュタインの自筆を見たときは、鳥肌ものでした。
そこからはアインシュタインがどんな気持ちでこの数式を書いていたのか伝わってくるようでした。この数式を見て、僕もこんな風に宇宙のあり方とか、そんな深いことをじっくり考えて、単純かつ明確な唯一つの数式を自分の手で導けるようになりたいなと感じました。
また、同じ部屋にあった世界最初の地球儀にも感動しました。日本の北海道がなかったりとある程度の誤差はあったものの、人工衛星がなかったり科学の発展が乏しい時にあそこまで正確な地球を作れたことには感動しました。
僕もあんな風に、世界で「最初 の」なんて言われるものを想像できるアバンギャルドな人になりたいなと思いました。

(高等部2年生 男子)

今日東京のある場所で催されている展覧会に行ってきた。私の大好きなガウディのものだ。私がガウディを知ったのは、中学の時だ。旅行先でガウディが設計した教会、サグラダ・ファミリアを見た時、体が雷に打たれたように一目惚れをした。建物に一目惚れなんておかしな話だが、確かに心を動かされたのだ。

彼の建築は生きている。ただそこに建っているだけではなく、人の心を揺さぶる”生”のエネルギーを感じさせられる。そう思ってから、サグラダ・ファミリアに限らず、彼の作品が好きになった。

話を戻すが、今回の展覧会は彼だけのものではなかった。スラムダンクの作者、井上雄彦さんとコラボレーションしたものだ。彼はスペインの親善大使に任命されており、今回のために実際に一ヵ月スペインに住んだらしい。井上さんが描いたガウディの漫画とガウディの描いた設計図や、模型が交互に置いてある形式だった。

彼の絵は、和紙に描かれていて繊細だが、とても力強い。私は彼の絵を見て、2人がコラボレーションできたのも納得がいった。2人とも漫画と建築というジャンル、そして生きている時代、と何一つ共通点がないように見える。しかし2人の作品には、作品を最高のものにしたいという思いから、目には見えないパワーを感じた。どんなに小さなものでも最高のものにしたいという思いがあれば、彼らの作品のように、生きるのではないか。そう思った夏だった。

(高等部2年生 女子)

私は生まれた時から病気を持っている。小さい頃からその病気に悩まされていて入院が普通の生活を送っていた。

私は体を動かすことを好む人種だ。しかし私は体を動かすのには不向きな体だ。私が苦しんでいる呼吸困難とは、呼吸がしづらく息切れがしたり、呼吸ができず息苦しい状態のことであるのは皆承知であろう。私は運動をすると、私の体が悲鳴をあげているのを知っていた。だがどうしても運動することをやめなかった。私は今でもこの病気に悩まされることが多々ある。やはり十代となると、激しい運動をすることが増える。だが、激しい運動をしたときほど大量の酸素を必要とするため、酸素を多く取り入れようと呼吸がはやくなって、息切れを起こす。生まれつき、体の弱い私は何度も倒れたことがあった。

しかしこの夏、私は自分への挑戦として、富士山へ登ることを計画した。もちろん医者は反対をした。だが私はその反対を押し切って、山に登ることを決心した。医者と私が心配していたのは、高山病による呼吸困難で倒れることだ。標高が高くなるにつれて酸素が薄くなり、呼吸困難が起こりやすくなるのだ。だが山頂に到着することにより、少し前の自分より強くなれるのではないかという単純な思いで登り始めた。

案の定、私は八合目から十合目に何度か倒れそうになった。だが私は立ち続けることに意味があり、頂上まで辿り着くことしか考えていなかった。そんな私には、ただひたすら前に進むことしかできなかった。

そしてようやく山頂に辿り着いた時、私は一つの思いで心がいっぱいになった。それは感謝の気持ちだ。山頂までついてきてくれた友人、今まで自分のことを助けてくれた皆に対しての感謝の気持ちだ。

今回の富士山に登るということは、自分自身との戦いであった。しかしその戦いは、自分だけではなく、後ろの支えがあったからこそ戦えたものだ。今回のことを自分の中の大きな一つの自信として、素直に喜び、感謝の気持ちを忘れずに、自分の病気と闘いながらもっと多くのことに挑戦していきたいと思う。

(高等部2年生 男子)

7月末から地獄の合宿が始まりました。京都にある西本願寺というところに行きました。初回は持ち物検査があり、宿題やゲーム、電子機器など関係のないものはすべて取り上げられました。周りは大人ばかりで高校生は少なくて、全くなじめませんでした。初めは黒衣や白衣をどうやって着るのかも分からず、大人の人に手伝ってもらって着るのがやっとでした。

初日以降のスケジュールは大体同じで、5時に起床し、10分で着物に着がえ、それから班に分かれて清掃をし、朝のおつとめをします。2時間正座をし、それから朝ごはんです。その後は仏教の講義を夕方まで受け、そこから日没勤行をし、夕食の後、課題テストがあります。

課題テストは9項目あり、領解文(りょうげもん)、御文章(ごぶんしょう)、正信偈(しょうしんげ)の暗唱、黒衣を正しくたためるか、他にも仏具を正しく説明できるかなどありました。夜は就寝勤行というおつとめをして、その後各自で自習や、ペーパーテストで点の悪い人は再テストをし、その後23時30分に就寝です。

5日目には、宗教に別に興味がないのに何してんだろうと思いました。6日目に、高校生だけの講義の先生から「つまらないでしょ。でも2週間堪えたらそれでいいんだから、途中であきらめたら終わりだよ。」と言われ、わけがわからないけれど、とりあえず頑張ろうと思いました。2週間堪えて無事僧侶になることができ、釈紅色をつけてもらえました。

やっと家でゆっくりできると思ったら、お盆参りに行かされました。8月末には、お葬式の依頼が来て、初めて亡くなられた方の前でお勤めをしました。とても緊張してちゃんとできるか不安だったけれど、無事終えることができ、良かったです。お勤めが終わった後、遺族の方に「若いのにちゃんとお勤めできてえらいね。ありがとう。」と言われ、とても嬉しかったです。仏教を通して一人でも多くの人を幸せにしてあげられるなら、それ以上の幸せはないと思いました。

(高等部2年生 女子)

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