7月11日、英国の高校生と先生方、約30名が私達の学校にやってきた。東北でのScience Workshopの事前研修を行うためだ。この日から3日間、私は彼らと寮生活を共にした。これほど多くの英国人と一緒に生活するのは初めてで、戸惑うこともあったが、この3日間を通して感じたことも多くあった。

1つは、自分から会話を始めることだ。初日に英国の高校生が立教に到着し、寮や校内を案内していたときのこと。私は自分から話しかけることが出来なかった。話しかけようと努力はするのだが、どうしても言葉が詰まってしまう。打ち解けた後は、会話を続けることが出来るのに、初対面だと上手く話せない。このギャップがもどかしく感じると同時に悔しかった。英語でのコミュニケーション不足というのもあるが、一番の原因は、最初に何から話していいのか分からないからだと思う。つい難しく考えてしまうのが私の癖である。しかし、簡単な文のほうが尋ねやすく、相手も答えやすい。「兄弟はいるの?」「得意な科目は何?」など中学一年生で習うような文章でも十分会話は弾むのだ。これは、相手が日本人であっても同じことである。そのことに気づき、Science Workshop本番では同じ後悔は繰り返さないと決めた。

もう1つは、日本についての知識だ。今回の事前研修のために、私たちは日本について紹介するパンフレットとパワーポイントを作った。その際、私は意外と日本について知らないと実感した。インターネットで調べて、初めて分かったことも多い。普段、当たり前に感じている”日本人は会話のときのジェスチャーが少ない””「すみません」には様々な意味がある”など、英国人に尋ねられてから意識するようになった日本の文化もある。日本について教えるよりも、気付かされたことの方が多かったかもしれない。もう少し自分の住む国や地域のことを知ろう、と思う良いきっかけとなった。

そして最も大切だと思ったこと。それは、意見を持ち発言することだ。英国の高校生のディベートに参加する機会があったのだが、皆、途切れることなく発言をし、自分の意見を伝えていた。これは私にとって新鮮だった。よく日本人は『意見を言わない』というイメージを持たれている。私も「〇〇と××、どっちにする?」と聞かれたら「どっちでもいいよ」と答えることが多い。しかし、彼らのディベートを見ていると、曖昧な返事をしている人は1人もいなかった。私には、皆、自分の意見や発言に自信と責任を持っているように思え、その姿がやけに眩しく見えた。今後は、物事をしっかりと捉え考える、自分の意見を相手に伝える、この2つを心がけようと思う。

新たな気付きをすることができた3日間は、私自身を大きく成長させ、とても貴重で充実したものになった。Science Workshop本番で、どれくらい力を発揮できるか楽しみだ。

(高等部2年生 女子)

14年ぶりに娘二人(7才、3才)を連れて立教に”帰って”来ました。
在学時と雰囲気の変わらない本館のドミトリーに足を踏み入れた途端中学時代の思い出が一気によみがえりました。
夏休み中で、制服を着た生徒の姿を見られなかったのが残念です。
お休みの日にあたたかく迎えていただき有難うございました。
立教英国学院の益々のご発展を祈念いたします。

Briefing weekend とは、サイエンスワークショップへの準備として立教で行われた交流会だ。いくつかの現地校から、合わせて20人ほどの英国人の生徒が来て、そこに立教生7人も加わり、3日間共に過ごした。一緒に食事をとり、寮も英国の女の子と同じで、普段立教生としか過ごさない立教で、英国の子と生活していることが不思議に感じられ、緊張した。

このBriefing weekendで立教に来た生徒達は、この後ワークショップで東北に行くためか、日本に興味を持っていて、とても気さくに話しかけてくれた。これまで交流した子達の中で最もフレンドリーだったため、多く話せて嬉しかった。

そうして会話する中で学んだことは、英語での会話で私に必要なものだ。

1つ目はあせらないこと。実際英国の人と話してみると、使う英語のほとんどはもうすでに文法上は習い、十分理解できるものであることに気付く。しかし、外国の人を前にすると緊張してしまい、分かる英語も分からなくなってしまう。落ち着いてよく聞くと、理解できると思った。2つ目は細かいところで気を抜かないこと。1つ目と共通するが、いざ聞き取って今度は自分が話すときに、焦りから3人称のsを忘れたり、aやtheを抜かしたり、過去形や未来形を間違えてしまったりする。そのような細かいところを正しく話そうと思った。

そして最も大事だと思った3つ目は、話を続けることだ。これは英語でなくても、全ての会話に成り立つ。例えば「どこから来たの」と聞かれて、「日本」とだけ答えるのではなく、「日本の静岡で、ちょうど真ん中あたりに位置します。富士山がある県ですよ。」と、出来るだけ多くの情報を話す。すると会話は続き、楽しいものになる。私は日本語でも会話が続かないことが多いなと気付き、最近は普段から質問を自然に続けるよう気をつけている。「会話はキャッチボールだ」とECの先生がよく言われるが、そのように自分が受け取ったら、相手に返すものだと意識しながら会話したい。

この3つが私に必要なものだと思った。これらに気をつけてコミュニケーションしていこうと思う。

またこのBriefing weekendの期間には、東北の被災地について学んだり、原子力発電所について専門家の方からお話をうかがったりした。その中で、日本が大好きで住んだこともあるという英国人の夫妻が日本人について話をしてくださった。その夫妻は日本人は丁寧で、礼儀正しくて、優しいと日本にとても良い印象を持っているようだった。しかしあえて悪いところを聞くと、「個人で行動しないこと」と言われた。自分はどう思っているのかもっと大事にしてほしいそうだ。福島の事故についてもそうだが、例えば周りが福島産の食べ物を買っていないから、自分も買わないとか、政府に対して個人の意見を発さないことに驚いたらしい。確かに日本人に「あなたはどう思う?」と聞いてもすぐに答えが出てこないことが多い。集団での行動に慣れてしまって、自分がどうしたいのかはっきり分からないところが私達の悪いところだ。もっと自分の意見を持ち、発信する必要があると感じさせられた3日間だった。

(高等部2年生 女子)

もう既に夏休みに入って結構たってしまいました。
ブラジルに帰った時はワールドカップムードでした。
ブラジルが試合の日は家でピアノも弾いてはいけないし、店は全て閉まってしまいます。
ブラジルが点を決めた時は街中が携帯ラッパという楽器の音で包まれていたと聞きました。
僕が帰宅してからはブラジルは勝てなかったので聞けなかったのですが…
それどころか、ドイツに7点決められた時はブーイングがあちこちから聞こえてきました。
今はそのムードもすっかり冷め、いつもの街に元通りです。

7月9日水曜日。サイエンスワークショップに参加する6人の仲間と、先生と共にロンドンへ出発した。普段のアウティングとは違い、移動は主に電車を使う。持ちなれていないトラベルカードを手にしながら、私の心は高鳴っていた。
電車に揺られて約1時間、ロンドンに到着した私たちは、まずお昼を食べるために中華街へ。おいしい小籠包を求めてお店をはしごしたり、1つの料理を8人でシェアしながら食べたりと楽しいお昼となった。その後、女子4人でピカデリー周辺を散策していたとき、日本人の同年代の女の子達や、旅行中の老夫婦に声をかけられた。学校のことや寮のこと、何年イギリスにいるのか等を聞かれ、必ずといっていいほど「すごいね。」と言われた。サイエンスワークショップに参加する日本の高校生も、同じことを思うのだろう。少なからずハードルは上がって当然なのだ。ふとこんな思いが頭をよぎった。そのハードルを越えなければ私は成長しない、と。

午後からは、ロンドン・リンネ協会を訪れた。私は授業で生物を選択しており、「リンネの二名法」についても学んだことがあった。そのため、ガイドさんの英語があまり聞き取れなくても、なんとなく意味は理解することができたのだ。私たちは地下の倉庫も見せて頂くことが出来た。そこには、リンネが使用したとされる600年前の本や、様々な動物の標本がきれいに保存されていた。どれも心を躍らせるものばかり。1時間半のガイドはあっという間に終わってしまい、教科書の世界をとても身近に感じる良い時間を過ごすことができた。

ファラデーの王立研究所も訪れたが、やはり「凄い」としか言葉が出てこない。英語の解説を読まずとも、沢山の展示品を見ているだけで伝わってくるものがある。知らぬ間に化学の世界に引き込まれてしまった。

その後、地下鉄でタワーブリッジまで移動。歩きながら交わした他愛ない会話や、橋の上で撮った写真も忘れられない記念だ。美味しい夕食を食べ、駅で見つけたどら焼きを頬張りながら再び電車で1時間。学校に着くころには、身も心も満たされていた。一味違ったアウティングを楽しむことが出来、サイエンスワークショップに参加してよかった。と心から思った。
夏の本番に向けて、更に期待が大きく膨らんだ。

(高等部2年生 女子)

夏休みが始まって4日目。私を含め、サイエンスワークショップに参加する7人は、London Waterloo Station行きの電車に乗り込んだ。ケンブリッジのワークショップに参加する生徒の下見のためだ。しかし、この日は普段のアウティングではできないようなことを経験した。

ロンドンには歴史ある建物がたくさんあるが、私たちが行ったのは、Fortnum & Masonの道路を挟んだ向かい側にある、Linnean Societyだった。そこは、生物選択者なら聞いたことがあるであろう、二名法のリンネのコレクションが置いてある場所だ。

まず入った部屋は、色々な発表が行われる部屋。そこで、Linnean Societyのメンバーの方が、まずコレクションについて説明をして下さった。リンネはスウェーデンの学者だが、彼が死んだときに、彼のコレクションは、売りにだされたそうだ。それを買ったのが、James Edward Smithという学者。もし有名になりたいのなら、リンネのコレクションを買いなさい、という先生の言葉により、家が裕福であった彼は、父に頼みこれらを買ってロンドンに運んできた。以来こうして、長い間リンネの資料はロンドンで保管されているらしい。その話の他にも、彼女はダーウィンの進化論などの話もしてくれた。

一通り話が終わると、彼女はとある部屋に案内してくれた。とても狭い部屋というので、荷物を置いて、頑丈にロックしてある扉をあけ、その部屋に入った。そこは、リンネの資料が置いてある小さな図書室のようなところだった。見たところ、とても古そうな本が多く、部屋の気温を保つためであろう換気扇の音がきこえた。部屋の真ん中にある台に、枕が置かれ、中身が黄ばんだ大きな緑色の本が置かれた。それは、リンネが書いた一番古い本で、植物や動物の分類の仕方が書かれていた。A4用紙の三倍ほどある紙いっぱいに、表が細かく書いてあった。すべてラテン語で、なんて書かれているかはわからなかったが、18世紀の本と思うと、感動した。リンネの他の本も見せてもらったが、彼は自分が間違えていたら、それを直すのになんの躊躇もない人であったらしく、自分の本に、白い空白を残しておき、何度も復習して、新しいことを書き込んでいったそうだ。そして、リンネの本ではないのだが、その部屋にある一番古い資料も見せてもらった。13世紀後半の本で、600年ほど前の本を見た。やはりなんて書いてあるかはわからなかったが、きっと本を管理するのは大変なんだろうと思った。

その部屋にあったのは、本という資料だけではなく、昆虫や蝶、魚の剥製もあった。それらは、現在の学者が生物を分類する”基準”なのだそうだ。昆虫などは世界各地にいて科学者もわざわざロンドンに来るわけにはいかないので、デジタル化してあると聞いた。その資料の中でも、魚の資料だけは保存法が他と少し違っていて、皮だけを剥がして、それを押し花のようにして保存していた。

Linnean Societyで、何百年も前の本を見たということが、とても不思議だった。それまで、Linnean Societyの存在すら知らなかったので、いい経験になった。

(高等部2年生 女子)

サイエンスワークショップに参加する生徒と先生とで、京都から来る生徒を案内するための下見としてロンドンに行ってきた。
そしてこの日の、なによりの思い出になったのは、リンネ学会に行ったことだと思う。数百年前のリンネ直筆の本、実際にリンネが使用していた標本、見たもの全てに皆が感嘆の声をあげていた。『温故知新』と言葉があるように、現在の研究でもリンネの残したモノは役立っている。自分はそれを見ているとき、なんてすごいものを見ているのだろうと、そしてこんな体験をしていることを誇らしく思った。正直、生物学にあまり関心の無かった自分だが、これからの生物に対しての価値観が変わったように思える一日だった。

(高等部2年生 男子)

「歴史が眠る部屋」
案内された部屋に入ったとき、僕はそう思った。

その部屋は小さな部屋で、15〜6 人も入ったら身動きが取れないぐらいだった。まず驚いたのが、入り口にある分厚い扉。30センチぐらいあったと思う。次に驚いたのは、部屋の周りに埋め尽くされた古い本の数々だ。案内してくれた人の話を聞くと、最も古いもので1400年代の本があるという。

その本を実際に見せてくれたのだが、なにか違和感を感じた。想像してたのとは違いボロボロではなかったのだ。何故かと疑問に思ったが答えはすぐに出た。大切に保管されてきた。ただそれだけである。

しかし、そこには何百という人が携わってきたのである。後世に残すために膨大な数の人が必死に頑張ってきたのである。今回何よりも驚いたのは、一つのものを保ち続けることへの人々の思い、姿といったものだった。

(高等部2年生 男子)

何百年もの歴史を誇るリンネ学会に足を踏み入れた。歴史ある学会に行くのは初めてだったので少し緊張した。

最初に案内された会議室には歴代の学者の肖像画がずらりと並んでいた。その中にはリンネの画も飾ってあった。まるで私たちを迎えるかのように。彼らが発表を行った場所に今、自分がいる。感激と興奮の気持ちが自分の中に溢れた。

そして一番の驚きは本や標本の保管されている部屋である。そこには昔の書物が一面に収められていた。中には十五世紀に書かれたものやリンネの時代に作られた標本、当時の学者がメモを残してある本もありその一つ一つから歴史の重みが感じられた。

今、私たちが当たり前のように使っている「哺乳類」などといった分類も、当時の学者が研究に研究を重ねて作り上げていったものなのだ。それが今の時代にも使われている思うと深い感動を覚える。

昔の人たちが残してくれた知恵があるから私たちは生きている。そのことを咀嚼してこれから過ごしていきたいと思う。

(高等部2年生 男子)

7月9日、ロンドンへ。サイエンスワークショップの下見に行ってきた。ワークショップに参加する生徒7人と岡野先生の8人で、ミニアウティングのようだった。

下見と言っても、ロンドンに着いてまず初めはおいしい小籠包探し。私たち何をやっているのだ。まず1店目に入り、小籠包を食べ、続いて3軒隣くらいの店に入って、また小籠包を食べたのは信じられなかった。けれど2店目はなかなかおいしくて、先生は「幻の小籠包を見つけた。」と誰よりも楽しんでいた。皆で辛いものを食べて苦しんだり、1人前の杏仁豆腐を8人で分けたり、楽しい時間だった。

そして昼食後はしっかり下見。リンネ学会へ。リンネは植物や動物を、初めて近代的な分類法で分けた人だ。この日初めて知ったが、リンネの分類法は植物をめしべとおしべの数で24種類に分類する。今でも利用されている、ホモ・サピエンスなどの二名法を提唱した人でもある。と、私はこれくらいのことしか知らなかった。しかし、そこで色々な話を聞き、貴重な資料も見せていただけた。

まずリンネ学会は、その名のとおりリンネについての施設だ。本人直筆の本などが、温度や湿度が一定に設定された小さな部屋で管理されていた。この部屋には鍵が三重にかかっていて、入り口のドアはとても厚くて重い。少し大きな金庫のようだ。たかが本だが、ものすごく大切にされている。なんとここに入らせてもらうことができた。少人数でないと行けないような部屋の小ささなので、アウティングでは行けないだろう。本当にラッキーだった。

その部屋には様々な本があるが、一番古いものは1400年代のものだ。ここまで古い本を現在まできれいな状態で残せているのは、本の修復のプロがいるかららしい。リンネ学会で本の修復をしている人の中に日本人の女性の方もいらっしゃって、この日も私たちに学会の案内をしてくださった。また日本の天皇が代々生物の研究をしていらっしゃるため、明仁天皇のサインもあった。そして、リンネの書いた本もあった。後から新しく分かったことを書き足していけるように、空白を多くしていたそうだ。リンネの字は、印刷したみたいに美しかった。

その後、王立研究所、タワーブリッジと歩いて、電車でギルフォードまで帰った。あっという間の1日だった。今日は忘れられない日になった。

(高等部2年生 女子)

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