「いよいよ始まる…!」期待と緊張、そして少しの不安を胸に、私は新幹線へ乗り込んだ。発車のベルは、サイエンスワークショップ幕開けの合図だ。

7月31日、英国の高校生と先生方が無事に羽田空港に到着した。約3週間振りの再会を喜びながらそのままバスへ乗り込む。この日から3日間は、学校ごとのグループにわかれ、そこに日本人が1人ずつ付き添うといった形で、東京都内を観光した。この日は、午後から東京スカイツリーと浅草・浅草寺を訪れた。私はSeven Kings High Schoolの女子4人と先生1人とともに行動したのだが、彼女達は12時間の長旅を終えた直後とは到底思えないほどパワフルだった。何に対しても興味津々で、次から次へと質問が飛び出してくる。私も負けじとなるべく詳しく説明したり、おすすめのお土産を紹介したりした。そのおかげか、彼女達と早く打ち解けられたような気がする。

その翌日は、お台場の科学未来館を訪れたが、ここでも英国の高校生達の熱意が感じられた。真剣に研究員さんの話を聞き、メモを取る。無駄話をする人なんて1人もいなかった。「日本に遊びではなく学びに来ている」という意識をしっかり持っている。そのように感じた。そして夕方からは、お待ちかねのショッピングタイム。皆思い思いの時間を過ごした。私のグループの皆は、イギリスにはない100円ショップに行きたいと言っていた。実際にお店に行ってみると、「本当にこれが100円なの?」「100円とは思えないほど可愛い!」等と驚きを隠せないようだった。また、ある女子は自分の似顔絵を描いてもらい、その出来映えに感動していた。「折り曲げないように気をつけて持ち帰らないと!」とワクワクした様子で話してくれた。

そして東京研修の最終日。この日はグループごとの自由行動。グループの皆は、当初20カ所以上あった候補を何とか皇居・銀座・浜離宮庭園・渋谷の4カ所に絞り込んでくれた。私も、彼女達を案内するために慣れない東京の街を、ナビを片手に歩き回った。彼女達は日本の暑さに苦労しながらも、笑顔で観光を楽しんでくれた。皇居の古い城壁、銀座で見つけた浴衣や着物、浜離宮庭園で食べた抹茶と和菓子、どれも彼女達の目には新鮮に映ったようだった。その中でも特に興奮していたのは、渋谷のスクランブル交差点だ。イギリスでも有名な交差点を目の前にして、不思議そうな顔で一生懸命ムービーを撮っていた。こうして彼女達を見ていると、自分がイギリスの様々な街を訪れ興奮している姿も、英国人の目には同じように映っているのだ、と思い不思議な気分になった。海外にある学校に通っているからこそ感じたことかもしれない。

この3日間は、まさに「英語漬け」の毎日で大変なこともあった。言いたいことが上手く伝わらなかったり、一発で英文を聞き取れなかったりもした。それでも、大変なこと以上に自分の英語の上達を感じられる瞬間の方が多かった。そのことが何よりも嬉しくて、私の自信に繋がった。自分自身を試す良い3日間になった。

8月3日、この日はいよいよ福島へ移動。会津學鳳高校で開会式が行われた後、新たなグループに分かれて自己紹介タイム。このグループは、東北大でのワークショップ以外の活動を行う。私のグループは、英国人高校生が2人と日本人高校生が私を含め5人。顔と名前はすぐに覚えることが出来た。しかし、私が最も不安なことは日本人高校生と打ち解けられるかどうかだった。私は昔、重度の人見知りで、改善はしたものの今でも初対面の人と話すことに苦手意識がある。案の定、その不安は現実となった。自分からなかなか話しかけることが出来ず、さらに、グループ内に仙台出身の子はおらず地元トークも出来ない。正直、これから1週間やっていける気がしなかった。結局、この後の鶴ヶ城や磐梯山噴火記念館でも、彼らとはあまり話すことが出来なかった。しかし、その日の夜に行われたゲームや気さくに話しかけてくれた皆のお陰で、徐々に話すことが出来るようになった。不安が少し解消された。

翌日の8月4日。晴天が広がり心地よい風が吹く、絶好の登山日和だった。今回は、吾妻小富士をグループ皆で登った。吾妻小富士は、景色がきれいなところも足場が悪く登りづらいところも多々あった。しかし、お互いに声を掛け合い、記念撮影を重ねるうちに、私の最初の不安はどこかへ消え去っていた。午後から訪れた土湯温泉でも、高温の足湯に四苦八苦したり、ミラクルフルーツに感動したりと楽しい時間を過ごすことが出来た。そして、バスに揺られながら約2時間、宮城・岩沼のホテルに無事到着。新たなお部屋とルームメイトに挨拶をして、いつもより早く眠りに落ちてしまった。

そしていよいよ今回のメインテーマである東北大学でのワークショップ。8月5日〜7日までの3日間、私は「カドミウムが及ぼす植物への影響」について講義を受けた。講義は主に英語で、専門用語も多く聞き取るのは難しかったが、大学の先輩に日本語で補助していただき、完璧ではないが理解することが出来た。そして、普段の授業ではやったことのない数多くの実験も体験出来た。教科書の中の話だと思っていたことをとても身近に感じる良い機会であった。同時に、英語の力が伸びたと感じる瞬間もあった。プレゼンテーションの準備段階で、私は疑問があったら積極的に2人の英国人高校生に聞くようにしたのだ。作業もはかどり、英語の勉強にもなる。まさに一石二鳥だ。さらに、原稿の直しがだんだんと減っていったのだ。自発的に行動することの大切さも学んだ。

大学でのワークショップを終えた翌日は、宮城県内のフィールドワーク。午前中は、震災による津波の被害を大きく受けた閖上地区を訪れた。私も小さい頃によく遊びに来ていた。しかし、震災後初めて訪れた閖上は、私の知っている閖上ではなかった。住宅地の家々もお気に入りだった公園も全てなくなっていた。代わりに残されたのは、寸断された道路と瓦礫の山だけ。あまりの変わりように、しばらく言葉が出てこなかった。自分に出来ることは何だろう、深く考えさせられた時間であった。お昼を済ませ、午後はフェリーで松島へ移動。フェリーには何度か乗ったことがあったが、友達と乗るとなると気分は高揚した。写真を撮り雑談を交わしているうちに、約30分の海の旅は終わってしまった。そしていよいよ、私の地元・仙台へ。この日は七夕祭り最終日で、多くの観光客で賑わっていた。英国の高校生も、初めて見る七夕飾りに興奮していた。しかし、それ以上に驚いていたものがプリクラである。背景を自由に変えられたり、目が自動で大きくなったりすることにとても驚いていた。「私の写真じゃないみたい!」と言っていたのが印象的だ。その後も多少のハプニングはあったものの、仙台の街を英国人高校生に十分満喫してもらうことができた。

8月9日、東北大学でのワークショップで学んだことについて、グループごとに英語で発表した。大勢の人の前で話すことはとても緊張したが、本番直前まで何度も原稿を読み、練習したお陰でスムーズに言葉が出て来た。こんなに大きな達成感を味わったのは久しぶりだった。すべてのプレゼンテーションが終わり、待ちに待った夕食会へ。全員揃って食べる最後の晩餐だった。皆、残りわずかな時間を惜しむように、食べることより写真を撮ることに一生懸命だった。こうして笑い合えるのもあと少し、と思うと無性に寂しくなった。この日の夜はなかなか寝付けず、部屋でずっと友達と話し込んでしまった。

そして、最終日。10日間のことを振り返りながら、何度も涙がこぼれそうになるのを必死で堪えた。最初は不安ばかりで、こんなに皆と仲良くなれるとは思ってもいなかった。とても短い間だったが、大切な仲間達に出会えて本当に良かった。別れの瞬間は辛かったけれど、最後は笑顔で皆を見送った。

他愛無い会話の数々、たくさんの写真、どれも忘れられない思い出。
いつかまた会う日まで、この思い出は大切に心のアルバムにしまっておこう。

(高等部2年生 女子〉

2014年 海外での学校説明会

当該校の生徒・保護者以外で参加をご希望の方はイギリス本校までお問い合わせ下さい。

6月11日(水)        ロンドン日本人学校
6月17日(火)        ブラッセル日本人学校
6月20日(金)       パリ日本人学校
7月9日(水)         ミュンヘン日本人学校校
7月16日(水)       プラハ日本人学校
9月16日(火)       アムステルダム日本人学校
9月19日(金)       デュッセルドルフ日本人学校
9月23日(火)       フランクフルト日本人学校
10月30日(木)     ブダペスト日本人学校

※日本での開催などその他の学校説明会のスケジュールはこちらをご覧下さい。

http://www.rikkyo.co.uk/info/post.html

私がこのワークショップに参加した主な理由は英語力のためだ。小さい頃から海外に住んでいて、そこで勉強してきた私は、英語が苦手というわけではない。しかし、英語なら誰にも負けない、と言えるほど自信があるわけではない。そのため、夏休みの間に日本で英国人と共に学べる機会があると知り、参加することにした。英語力を向上させたかったのもあるが、日本の高校生と比べたとき、自分の英語力はどれくらいあるのか知りたかったこともある。
けれども、私が実際にワークショップに参加して得たものは、英語に関するものだけではなかった。その中で、かなり印象が強いのは、地震や津波についてのものだ。今回東北を初めて訪れた私は、被災地の様子を何一つ知らなかったのだと思い知らされた。地震が起こったとき、私は既に国外に住んでいて、ただ日本で地震がおきた、とニュースで情報を得ただけだった。そのため、”地震がおきた”とは知っていても、”実際日本はどうなっていたのか”はこの夏まで全く知らなかった。実際に、閖上を訪れたときは、壊れたガードレールや地震の時刻で止まった時計、津波の被害にあった中学校をみて、とても考えさせられた。東北からきた高校生に、3月11日、何をしていたか、その後どうなったか、なども個人的に聞いて、初めて災害について真剣に考えた。

ワークショップ中の夜は、東北の高校生により、地震や津波、原子力等について発表が毎日行われた。そこでも、被災地などについて考えたが、同時に彼らのプレゼンに驚いた。ジョークを飛ばしたり、原稿を完璧に覚えていたり、それらは彼らにとって当たり前のことなのかもしれないが、少なくとも私は事前研修会でプレゼンテーションを行った時、そこまでの努力をしなかった。そして、東北の高校生の、英語を学びたい、という気持ちの強さにも驚かされた。皆積極的に英国人に話しかけ、伝わらないことを臆していないように見えた。自分にもそのような気持ちがないわけではないが、現在イギリスにいるためか、英語に対する気持ちが弱い気がした。そのような面では、東北の高校生からいい刺激を受けたと思う。このまま何となくイギリスで英語を学んでいても、きっと彼らに負けてしまうだろう、と思った。今は海外で学んだ分の貯金があっても、その貯金を使っていくだけの私は、それをどんどん積んでいく彼らにはいずれ抜かされてしまうのだ。私は、海外で学んだからと言って、英語に絶対的な自信があるわけではないと述べたが、少しでも自信が持てる努力をしていきたい。これは、日本の高校生ではなく、立教英国学院にいるからこそ感じたことだ。

ワークショップが始まったときは、英国人と話しているとき、どうしても自分が欲しい単語が出てこなくて、つかえてしまうことがたくさんあった。また、冗談を言われてもうまく反応できない、ということもあった。あとから振り返ってみて気づいたことだが、数日経った頃から、そのようなことがなくなっていた。比較的苦手なスピーキングで、英語がすらすらと特になにも考えなくても出てきていた。たった10日で、このように進歩しているのだから、自分がもっと積極的になれば、きっともっと英語は伸びる。このワークショップでの経験や、日本人、そして英国人の高校生からもらった刺激を忘れずに、イギリスで学びたい。こんなにも何かを得ることができた夏休みは初めてだ。いつも持て余し気味な二か月の休みを、こんなに充実させることができ、ワークショップに参加してよかったと心から思う。

(高等部2年生 女子)

夏休み、楽しみにしていたサイエンスワークショップに参加した。サイエンスワークショップとは、世界トップクラスであるケンブリッジ大学の様々な分野の研究室にお邪魔して、研究を体験するものである。日本人と英国人の生徒がそれぞれ20人程度参加するため、文化交流の場にもなる。私はgenetic、遺伝についての研究に、英国人、日本人2人ずつの4人で参加した。
geneticの建物の中には研究内容によって10ほどのチームがある。そのなかで、ショウジョウバエを使って細胞分裂を観察しているチームに私は参加させていただいた。そこでは日本人の方がトップを務めていて、他にイタリア、ドイツ、シンガポールの方で成り立っている、国際色豊かなチームだ。私達4人が体験させてもらったテーマは、ハエの脳(生体内)と培養細胞(生体外)の細胞分裂を可視化すること。1台1700 万円する特殊な顕微鏡で、中心体、DNAなどを観察する。

まず、ハエの幼虫の脳を取り出すことに挑戦した。見たことない細さのピンセットを使い、直径およそ3mmのハエの幼虫を顕微鏡を見ながら2つにちぎった。その後小腸などの、口と脳以外の器官を取り除く。ここまで細かい作業はしたことがなくて、目が痛くなった。初めの1匹目は上手くいかず、とても自分がこの作業を成功させられる気がしなかったが、何匹か作業していくうちに、コツをつかみできるようになってきた。研究室ではこの作業は一番基本のステップだ。毎日こんなに細かい作業をしているのだと思うと、研究者は忍耐強さが必要だと思う。細いピンセット、高性能の顕微鏡、使い捨てのピペットなど見たことない器具を多く使えて、楽しかった。

細胞分裂を可視化するにはいくつか段階をふむ必要がある。まず、観察したいDNAや中心体などは透明で目に見えないため、色をつけたい。そのために、紫外線をあてると反射して色がつく、ウサギやネズミの抗体をそれらにくっつける。何度も細胞を洗ったり、抗体をつけたりしながらようやく観察できた細胞分裂はとても美しかった。染色体はもちろん中心体や細胞骨格まで、赤や青の色がつき分裂の過程をとても詳しく見ることができた。

このチームは、細胞の分化の長さの違いを調べているそうだ(説明が複雑で詳しくは分からなかった)。それがどういうことに役に立つのか聞くと、普段「これはこれに役に立つ」と意識しながら調べることはない、と言われた。けれど強いていうならば、それはガンの治療法に役立つ可能性もあるし、他のことに使えるかもしれない、と言っていた。私は教えられることに慣れすぎていて、研究者の様に分からないことを自ら調べていくことは初めてで、難しさを感じた。と同時に、知らないことを知ろうとする、本来あるべき勉強の仕方を学ぶことができた。

geneticのチームのメンバーは先ほど触れた様に、様々な国から来ているがとても仲が良かった。昼食はいつもみんなで原っぱで食べて、最後の日の私達の夕食にはチーム全員で参加してくださった。国籍の壁はこれっぽっちもないチームを見て、とても嬉しかった。私は英語が難しくて多くは話せなかったけれど、暖かく迎えて教えてくださったチームの皆さんに心から感謝した。

私がこの経験から得たもので最も大きなことは、知的刺激を多く受けられたこと。一緒に参加した英国人や京都の生徒、自分と同じ年齢でもバイリンガルの通訳さん、研究所の先生、大学の教授、、、。世界トップクラスのケンブリッジ大学だからこその多くの優秀な方達に1週間囲まれて、自分の無知が恥ずかしかった。今まで知らないことを恥ずかしいと感じたことは一度もなかったため、自分でも初めての感情に驚いている。もっと様々な分野のことを知りたいと思えて、多くの本を読みたいと終わってから強く思っている。ワークショップで出会った方で、飛び級でケンブリッジ大学の医学部に入学したという方がいるのだが、彼が「たくさん勉強したんですか」と聞かれて、「知りたいことを調べただけ」と答えているのを聞いて、勉強は本来そうあるものだよな、と納得した。そして私はその本来あるべき勉強の仕方の、最初のステップに立てたと思う。知りたい、と思えたから。多くの人に出会って、科学だけでなく、知的好奇心を刺激されたことが1番貴重なことだった。

(高等部2年生 女子)

ケンブリッジ大学と東北大学で行われるサイエンスワークショップに向けて、イギリスの現地校から英国人生徒21名が立教英国学院に来て、立教生7名と、三日間プレワークショップを行いました。

その三日間は今まで経験したことのないような新鮮な日々でした。普段なら日本人生徒の笑い声で溢れている校舎に、耳を澄ますとネイティブが話す英語が必ず聞こえてきて、余りにも見慣れない風景なので三年間も過ごして来た校舎が一瞬なじみのないものに感じられました。しかし、初日の夜に女子寮で英国人の女子全員と一つの部屋に集まって、自己紹介や色々な学校の話を聞いて、お互いジョークを言い合えるようになり、新しい仲間とまたいつもとは雰囲気が違った立教を楽しめるようになりました。特に同じ部屋の子はとても優しい子で気が合い、色々と英語で交流できた事がとても嬉しかったです。

二日目には、時間をかけて準備してきた日本の文化と東北についての二つのプレゼンテーションを、立教生が英語で発表しました。自分たちが作った文章が相手に思い通りに伝わっているか、最初はとても不安でしたが、英国人からの反響がとても良く、質問も沢山してくれて興味を持って真剣に話を聞いてくれたのでとても嬉しかったです!
そして発表が終わった後、英語を褒めてくれる人が何人かいて、そのお陰で英語の自信もつきました。

しかし、このプレワークショップにおいて反省点もあります。それは、講義に貢献できなかった事です。せっかく相手が英語で話している内容が分かるのに、自分に自信がなくて、一回も自分から発言しなかったことです。その理由は、自分が思っている答えが間違っているのではないかと自信を持てなかった事と、間違っていたら恥ずかしいという気持ちを乗り越えられなかったからです。小学校の頃から間違える事と質問をする事を恐れるなと言われていたので、悔しい気持ちは募るばかりでした。またいつか、このようなチャンスが与えられたら、英国人のように自分が思った事をためらわず、自信を持って言えるように成長したいと思いました。

(高等部2年生 女子)
*   *   *   *   *
正直、何をしたらいいのか、自分に何が出来るのか、不安でいっぱいだった。最初はとにかく名前と顔を覚えてもらう事を意識した。
しかし、いざとなるとものすごく緊張して挨拶すらろくに出来なかった。
話せるきっかけとなったのは、寮の部屋の中だ。寝る前の自由時間に同室の友達が、彼らの「日本人」のイメージについて話してくれた。そこで彼は私に「英国人」のイメージについて質問してきた。私は大きく途惑った。
私には、彼らのように明確なイメージがないからであった。私は相手のことを知っているつもりで、本当の意味ではあまり理解してはいなかった。そこで私は、もっと相手の事を知りたくなった。質問は不思議とどんどん湧いてきた。そこから会話も増え、上手くコミュニケーションもとれた気がした。
これを自信にして、これからは最初からガンガン喋っていきたいと思った。また、この後の東北で行われるワークショップでも自分の英語力が成長できるよう、より努力していきたいと思った。

(高等部2年生 男子)

よく日常で使う言葉。
「もうこんな時間!」
「時間がない!」
しかしその言葉に大きな意味はない。

立教英国学院へ入学して1年以上が過ぎた。慣れる、とは言っても常にこの学校に流れる「時間」に振り回され、どこか慌ただしく、まるで支配されているようだなぁーーー改めて振り返るとそう感じる。何も思い通りに出来ず、何も成し遂げられていない、そういうことではない。しかしいつも何か時間に追われている気がして忙しなかった。
よし、今度は私が立教の「時間」をコントロールしてみよう。

ご存知のように立教は起床、就寝時間、食事、自習時間と全てにおいて厳格な時間の決まりがあり、全てがいわば団体行動だ。誰一人として身勝手な理由で輪を乱してはならない。今までの私はその時間の中の集団の1人でしかなかった。勿論やるべきこと、自分の将来の目標に近づくための努力もしてきたつもりだ。「立教は何もかも時間が決められていて生徒の自由はない。」そんな声をよく耳にする。確かにテスト前なども自分の調子で時間を変えて勉強できないし、休みの時間とは言え周りで人が忙しなく動く中では時間の流れを感じずにはいられない。
しかし、この「限られた時間」にあるのはきっと不自由でも不満でもなく、「可能性」なのではないか。時間は無限ではない。そして全てに平等だ。一見立教では時間は限られた、決まったものと思える。しかし私達が身につけるべき本当のものはその限られた「自由」の中で自分を、時間をコントロールしていくことなのだろう。

今は卒業なんてまだまだ先のことに思えて凄く他人事のような気がする。しかし実際その時が来たら「十分」なんてことはなく、もっと… と欲が出てくるだろう。未来に今からそんな後悔を抱きたくない。でも時には自分に甘くなってしまう。
良いことを思いついた。私は今、立教英国学院卒業前夜の私から話しかけられている。
「もっとするべきこと、今しか出来ないことが山ほど転がっているだろう。今になって気付いて後悔をしている。だから一度だけ乗ることの出来るタイムマシンに乗り戻ってきたのだ。」

なんだか私にはまだ見えていないやるべきことが山ほどあるようだ。やる気が出てきたぞ!「時間」という言葉の意味を理解できるようになって卒業というゴールにたどり着けるように。

新しい学期が始まる。

(高等部2年生 女子)


フランスでシャガール美術館に行った。
シャガールの絵画は、美術の教科書などで数点見たことがあったが、女の人や羊が空を飛んでいる、夢見がちな作品を描く芸術家だというイメージしか持っていなかった。

美術館では音声ガイドを聞きながら絵画を眺め、家族と感想を言い合った。ガイドを聞いて、ただ絵を見るだけでは分からないその絵に込められた「意味」や「想い」を知ることが出来た。ユダヤ人の迫害、旧約聖書のメッセージや愛する人を失った悲しみ。テーマは様々だが、一枚のキャンパスの中に、シャガールの強い想いや深い意味が込められていた。

展示されていた中で特に多かったのは、ユダヤ人の迫害の様子が描かれたものだったように思う。シャガール自身がユダヤ人であり、パリやモスクワを点々としながらも故郷への愛と慈しみを持ち続けた彼の姿を知ることが出来た。

私が見た中で一番印象に残ったのは、「楽園」という作品だ。薄いブルーとグリーンが美しいこの作品は、神が与えた楽園で過ごすアダムとイヴ、動物たちが描かれている。咲き乱れる花や不思議な色合いの動物たちはにぎやかだが、アダムとイヴは手に禁断の果実を持っていて、上から天使がそれをじっと見つめている。寒色系でまとめられた画面は少し淋しげで、楽園追放という2人の運命を暗示しているように見えた。

この美術館に行って、私のシャガールの絵画へのイメージが大きく変わった。今まで持っていた幻想的で漠然としているイメージが払拭され、冷静で現実的な目線で描かれているという印象を受けるようになった。

時代背景や描かれたテーマを知ることでこれほどまでに受ける印象が変わるのだと分かり、とても驚いたが、貴重な体験が出来たと思う。

(高等部2年生 女子)

僕は中学生になり、初めての夏休みを迎えた。家に帰る事ができるし、しかも夏休みだという事もあり、とてもワクワクした。でも帰ったのは七月上旬。妹も友達も学校。父も母も仕事。かなり残念な気持ちがした。「よし、この間に宿題を終わらせよう。」と決心したものの、なかなかはかどらなかった。これまでの3ヶ月、必ず誰かが傍にいて、一人になることなんてなかった状況から、毎日朝から夕方まで、一人で留守番するという事態に陥った。この時ほど、一人が退屈でつまらないと感じた事はなかった。

ようやく周囲も夏休みモードに入り、僕が毎年楽しみにしている祖父母の家への外泊が近づいてきた。どこかへ旅行に行くというより、これが一番の楽しみだ。今年は、ラブラドールレトリバーが4月に13歳で亡くなってしまったし、昨年末に曾祖母が亡くなったので初盆だった。ラブラドールのブレンディーはとても大人しくて利口な犬だった。でも僕がイギリスへ行く前から少しずつ弱々しくなり、心配していたのだ。僕の入学式が済んで亡くなった。お盆の体験は初めてで、立派な盆棚で初盆を行った。そのような中、心配な出来事が起きた。祖父が初期の心筋梗塞で2回も救急車で運ばれ、カテーテル手術を3回行った。幸いすぐに退院でき、元気になったので、祖父母の家で一緒に僕の誕生日を祝ったり、花火をしたりして楽しむ事ができた。今の医療はすごいと感じた。祖母とは一緒に買い物に行き、あっという間に外泊は終わってしまった。

帰ってきた時は、日本のものすごい湿気と暑さに堪えられず、身体が変になってしまうかと思った。でもセミの鳴き声やこの暑さも日本の夏だなと心地良く感じるようになってきた。夜空にきれいに広がる花火もたくさん見ることができた。そして食べ物がおいしい。イギリスで皆と食べるのも楽しく、おいしいが、やはり家での食事はありがたいと、あらためて感じた。

そして何年かぶりに妹と母とで、広い草地に行く機会があり、虫捕り網を使って、バッタやこおろぎをたくさん捕まえた。と言っても、僕は昆虫があまり好きではなく、足を踏み入れるたびに、ぴょんぴょんはねてくるのが、とても嫌だったが、しばらくすると、小さい頃を思い出し、少し楽しくなった。そこで、かぶと虫の卵をもらったのだが、土の中の様子はなぞである。

あっという間の2カ月だったが、これで、2学期も頑張れそうだ。

30年ぶりに母校を訪れ、懐かしさでいっぱいになりました。
立教で過ごした3年間は、今の私の大きな基礎になっています。
先生方に心から感謝しています。
今度は当時の仲間と、ぜひブルーベルの花の季節に訪れたいと思います。
遠く日本より立教英国学院のますますのご発展をお祈りしております。

7月にイギリス人高校生と先生方を立教にお呼びして、Science Workshopの準備をするBriefing Weekendが行われた。彼らと3日間、一緒に寮で過ごし、日本での活動に備えるためだ。私はイギリスに3年ほど住んでいるが、同年代のイギリス人とこのように寮で過ごしたことなどなく、始まる前は楽しみな気持ちがある反面、どのように接したら良いのか、どんな話をすれば良いのかなど不安もたくさんあった。
しかし、実際に過ごしてみるとそんな心配は無用だった。自分の部屋は自分と英国人2人で、はじめのうちは2人が話しているのを聞いているだけ、という事もあったが2日目には日本のこと、自分たちの学校や家族、その日の活動のこと、また共通の話題としてはサッカーのことなど話すことは色々あった。話していくうちにとても楽しくなっていき、長い時間話すことができた。当然、言語の壁は高く、自分の意思を伝えるのには苦労したが、ゆっくり、丁寧に話すことを心がけた。しっかり意思疎通ができ、とてもうれしかった。

しかし、反省点もある。1つ目に、他のイギリス人生徒と話すことが少なかったことだ。ルームメイトとは話せても、イギリス人が複数人、話しているところに参加するのはとても難しかった。テレビの話や芸能人の話ともなるとまったくついていけない。そうでなくても聞き役になりがちであった。今後、積極的に一言でもいいから言葉を発する訓練が必要だなと感じた。
2つ目に自分の考えを持ち、そしてそれを英語にして伝えるということだ。日本についてのプレゼンを行った時や、イギリス人の原子力の専門家の方にお話を伺った際、自分の持つ意見や質問を伝えたい、と思う機会が何度かあった。しかし、なんと表現すればいいのかわからず言いたいことがはっきりと言えなかった。「日本語なら言えるのに!」という場面が多くとても悔しかった。そのようなことに陥らないためにも、英語の力をこれから伸ばして、自分の主張を展開できるようにしたい。

この3日間で様々な体験をしてとても楽しく、また自分の未熟さを痛感することにもなった。この貴重な経験を無駄にすることなく、更なる高みを目指して日々の生活を送ろうと思う。

(高等部2年生 男子)

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