夏休み、楽しみにしていたサイエンスワークショップに参加した。サイエンスワークショップとは、世界トップクラスであるケンブリッジ大学の様々な分野の研究室にお邪魔して、研究を体験するものである。日本人と英国人の生徒がそれぞれ20人程度参加するため、文化交流の場にもなる。私はgenetic、遺伝についての研究に、英国人、日本人2人ずつの4人で参加した。
geneticの建物の中には研究内容によって10ほどのチームがある。そのなかで、ショウジョウバエを使って細胞分裂を観察しているチームに私は参加させていただいた。そこでは日本人の方がトップを務めていて、他にイタリア、ドイツ、シンガポールの方で成り立っている、国際色豊かなチームだ。私達4人が体験させてもらったテーマは、ハエの脳(生体内)と培養細胞(生体外)の細胞分裂を可視化すること。1台1700 万円する特殊な顕微鏡で、中心体、DNAなどを観察する。

まず、ハエの幼虫の脳を取り出すことに挑戦した。見たことない細さのピンセットを使い、直径およそ3mmのハエの幼虫を顕微鏡を見ながら2つにちぎった。その後小腸などの、口と脳以外の器官を取り除く。ここまで細かい作業はしたことがなくて、目が痛くなった。初めの1匹目は上手くいかず、とても自分がこの作業を成功させられる気がしなかったが、何匹か作業していくうちに、コツをつかみできるようになってきた。研究室ではこの作業は一番基本のステップだ。毎日こんなに細かい作業をしているのだと思うと、研究者は忍耐強さが必要だと思う。細いピンセット、高性能の顕微鏡、使い捨てのピペットなど見たことない器具を多く使えて、楽しかった。

細胞分裂を可視化するにはいくつか段階をふむ必要がある。まず、観察したいDNAや中心体などは透明で目に見えないため、色をつけたい。そのために、紫外線をあてると反射して色がつく、ウサギやネズミの抗体をそれらにくっつける。何度も細胞を洗ったり、抗体をつけたりしながらようやく観察できた細胞分裂はとても美しかった。染色体はもちろん中心体や細胞骨格まで、赤や青の色がつき分裂の過程をとても詳しく見ることができた。

このチームは、細胞の分化の長さの違いを調べているそうだ(説明が複雑で詳しくは分からなかった)。それがどういうことに役に立つのか聞くと、普段「これはこれに役に立つ」と意識しながら調べることはない、と言われた。けれど強いていうならば、それはガンの治療法に役立つ可能性もあるし、他のことに使えるかもしれない、と言っていた。私は教えられることに慣れすぎていて、研究者の様に分からないことを自ら調べていくことは初めてで、難しさを感じた。と同時に、知らないことを知ろうとする、本来あるべき勉強の仕方を学ぶことができた。

geneticのチームのメンバーは先ほど触れた様に、様々な国から来ているがとても仲が良かった。昼食はいつもみんなで原っぱで食べて、最後の日の私達の夕食にはチーム全員で参加してくださった。国籍の壁はこれっぽっちもないチームを見て、とても嬉しかった。私は英語が難しくて多くは話せなかったけれど、暖かく迎えて教えてくださったチームの皆さんに心から感謝した。

私がこの経験から得たもので最も大きなことは、知的刺激を多く受けられたこと。一緒に参加した英国人や京都の生徒、自分と同じ年齢でもバイリンガルの通訳さん、研究所の先生、大学の教授、、、。世界トップクラスのケンブリッジ大学だからこその多くの優秀な方達に1週間囲まれて、自分の無知が恥ずかしかった。今まで知らないことを恥ずかしいと感じたことは一度もなかったため、自分でも初めての感情に驚いている。もっと様々な分野のことを知りたいと思えて、多くの本を読みたいと終わってから強く思っている。ワークショップで出会った方で、飛び級でケンブリッジ大学の医学部に入学したという方がいるのだが、彼が「たくさん勉強したんですか」と聞かれて、「知りたいことを調べただけ」と答えているのを聞いて、勉強は本来そうあるものだよな、と納得した。そして私はその本来あるべき勉強の仕方の、最初のステップに立てたと思う。知りたい、と思えたから。多くの人に出会って、科学だけでなく、知的好奇心を刺激されたことが1番貴重なことだった。

(高等部2年生 女子)

ケンブリッジ大学と東北大学で行われるサイエンスワークショップに向けて、イギリスの現地校から英国人生徒21名が立教英国学院に来て、立教生7名と、三日間プレワークショップを行いました。

その三日間は今まで経験したことのないような新鮮な日々でした。普段なら日本人生徒の笑い声で溢れている校舎に、耳を澄ますとネイティブが話す英語が必ず聞こえてきて、余りにも見慣れない風景なので三年間も過ごして来た校舎が一瞬なじみのないものに感じられました。しかし、初日の夜に女子寮で英国人の女子全員と一つの部屋に集まって、自己紹介や色々な学校の話を聞いて、お互いジョークを言い合えるようになり、新しい仲間とまたいつもとは雰囲気が違った立教を楽しめるようになりました。特に同じ部屋の子はとても優しい子で気が合い、色々と英語で交流できた事がとても嬉しかったです。

二日目には、時間をかけて準備してきた日本の文化と東北についての二つのプレゼンテーションを、立教生が英語で発表しました。自分たちが作った文章が相手に思い通りに伝わっているか、最初はとても不安でしたが、英国人からの反響がとても良く、質問も沢山してくれて興味を持って真剣に話を聞いてくれたのでとても嬉しかったです!
そして発表が終わった後、英語を褒めてくれる人が何人かいて、そのお陰で英語の自信もつきました。

しかし、このプレワークショップにおいて反省点もあります。それは、講義に貢献できなかった事です。せっかく相手が英語で話している内容が分かるのに、自分に自信がなくて、一回も自分から発言しなかったことです。その理由は、自分が思っている答えが間違っているのではないかと自信を持てなかった事と、間違っていたら恥ずかしいという気持ちを乗り越えられなかったからです。小学校の頃から間違える事と質問をする事を恐れるなと言われていたので、悔しい気持ちは募るばかりでした。またいつか、このようなチャンスが与えられたら、英国人のように自分が思った事をためらわず、自信を持って言えるように成長したいと思いました。

(高等部2年生 女子)
*   *   *   *   *
正直、何をしたらいいのか、自分に何が出来るのか、不安でいっぱいだった。最初はとにかく名前と顔を覚えてもらう事を意識した。
しかし、いざとなるとものすごく緊張して挨拶すらろくに出来なかった。
話せるきっかけとなったのは、寮の部屋の中だ。寝る前の自由時間に同室の友達が、彼らの「日本人」のイメージについて話してくれた。そこで彼は私に「英国人」のイメージについて質問してきた。私は大きく途惑った。
私には、彼らのように明確なイメージがないからであった。私は相手のことを知っているつもりで、本当の意味ではあまり理解してはいなかった。そこで私は、もっと相手の事を知りたくなった。質問は不思議とどんどん湧いてきた。そこから会話も増え、上手くコミュニケーションもとれた気がした。
これを自信にして、これからは最初からガンガン喋っていきたいと思った。また、この後の東北で行われるワークショップでも自分の英語力が成長できるよう、より努力していきたいと思った。

(高等部2年生 男子)

よく日常で使う言葉。
「もうこんな時間!」
「時間がない!」
しかしその言葉に大きな意味はない。

立教英国学院へ入学して1年以上が過ぎた。慣れる、とは言っても常にこの学校に流れる「時間」に振り回され、どこか慌ただしく、まるで支配されているようだなぁーーー改めて振り返るとそう感じる。何も思い通りに出来ず、何も成し遂げられていない、そういうことではない。しかしいつも何か時間に追われている気がして忙しなかった。
よし、今度は私が立教の「時間」をコントロールしてみよう。

ご存知のように立教は起床、就寝時間、食事、自習時間と全てにおいて厳格な時間の決まりがあり、全てがいわば団体行動だ。誰一人として身勝手な理由で輪を乱してはならない。今までの私はその時間の中の集団の1人でしかなかった。勿論やるべきこと、自分の将来の目標に近づくための努力もしてきたつもりだ。「立教は何もかも時間が決められていて生徒の自由はない。」そんな声をよく耳にする。確かにテスト前なども自分の調子で時間を変えて勉強できないし、休みの時間とは言え周りで人が忙しなく動く中では時間の流れを感じずにはいられない。
しかし、この「限られた時間」にあるのはきっと不自由でも不満でもなく、「可能性」なのではないか。時間は無限ではない。そして全てに平等だ。一見立教では時間は限られた、決まったものと思える。しかし私達が身につけるべき本当のものはその限られた「自由」の中で自分を、時間をコントロールしていくことなのだろう。

今は卒業なんてまだまだ先のことに思えて凄く他人事のような気がする。しかし実際その時が来たら「十分」なんてことはなく、もっと… と欲が出てくるだろう。未来に今からそんな後悔を抱きたくない。でも時には自分に甘くなってしまう。
良いことを思いついた。私は今、立教英国学院卒業前夜の私から話しかけられている。
「もっとするべきこと、今しか出来ないことが山ほど転がっているだろう。今になって気付いて後悔をしている。だから一度だけ乗ることの出来るタイムマシンに乗り戻ってきたのだ。」

なんだか私にはまだ見えていないやるべきことが山ほどあるようだ。やる気が出てきたぞ!「時間」という言葉の意味を理解できるようになって卒業というゴールにたどり着けるように。

新しい学期が始まる。

(高等部2年生 女子)


フランスでシャガール美術館に行った。
シャガールの絵画は、美術の教科書などで数点見たことがあったが、女の人や羊が空を飛んでいる、夢見がちな作品を描く芸術家だというイメージしか持っていなかった。

美術館では音声ガイドを聞きながら絵画を眺め、家族と感想を言い合った。ガイドを聞いて、ただ絵を見るだけでは分からないその絵に込められた「意味」や「想い」を知ることが出来た。ユダヤ人の迫害、旧約聖書のメッセージや愛する人を失った悲しみ。テーマは様々だが、一枚のキャンパスの中に、シャガールの強い想いや深い意味が込められていた。

展示されていた中で特に多かったのは、ユダヤ人の迫害の様子が描かれたものだったように思う。シャガール自身がユダヤ人であり、パリやモスクワを点々としながらも故郷への愛と慈しみを持ち続けた彼の姿を知ることが出来た。

私が見た中で一番印象に残ったのは、「楽園」という作品だ。薄いブルーとグリーンが美しいこの作品は、神が与えた楽園で過ごすアダムとイヴ、動物たちが描かれている。咲き乱れる花や不思議な色合いの動物たちはにぎやかだが、アダムとイヴは手に禁断の果実を持っていて、上から天使がそれをじっと見つめている。寒色系でまとめられた画面は少し淋しげで、楽園追放という2人の運命を暗示しているように見えた。

この美術館に行って、私のシャガールの絵画へのイメージが大きく変わった。今まで持っていた幻想的で漠然としているイメージが払拭され、冷静で現実的な目線で描かれているという印象を受けるようになった。

時代背景や描かれたテーマを知ることでこれほどまでに受ける印象が変わるのだと分かり、とても驚いたが、貴重な体験が出来たと思う。

(高等部2年生 女子)

僕は中学生になり、初めての夏休みを迎えた。家に帰る事ができるし、しかも夏休みだという事もあり、とてもワクワクした。でも帰ったのは七月上旬。妹も友達も学校。父も母も仕事。かなり残念な気持ちがした。「よし、この間に宿題を終わらせよう。」と決心したものの、なかなかはかどらなかった。これまでの3ヶ月、必ず誰かが傍にいて、一人になることなんてなかった状況から、毎日朝から夕方まで、一人で留守番するという事態に陥った。この時ほど、一人が退屈でつまらないと感じた事はなかった。

ようやく周囲も夏休みモードに入り、僕が毎年楽しみにしている祖父母の家への外泊が近づいてきた。どこかへ旅行に行くというより、これが一番の楽しみだ。今年は、ラブラドールレトリバーが4月に13歳で亡くなってしまったし、昨年末に曾祖母が亡くなったので初盆だった。ラブラドールのブレンディーはとても大人しくて利口な犬だった。でも僕がイギリスへ行く前から少しずつ弱々しくなり、心配していたのだ。僕の入学式が済んで亡くなった。お盆の体験は初めてで、立派な盆棚で初盆を行った。そのような中、心配な出来事が起きた。祖父が初期の心筋梗塞で2回も救急車で運ばれ、カテーテル手術を3回行った。幸いすぐに退院でき、元気になったので、祖父母の家で一緒に僕の誕生日を祝ったり、花火をしたりして楽しむ事ができた。今の医療はすごいと感じた。祖母とは一緒に買い物に行き、あっという間に外泊は終わってしまった。

帰ってきた時は、日本のものすごい湿気と暑さに堪えられず、身体が変になってしまうかと思った。でもセミの鳴き声やこの暑さも日本の夏だなと心地良く感じるようになってきた。夜空にきれいに広がる花火もたくさん見ることができた。そして食べ物がおいしい。イギリスで皆と食べるのも楽しく、おいしいが、やはり家での食事はありがたいと、あらためて感じた。

そして何年かぶりに妹と母とで、広い草地に行く機会があり、虫捕り網を使って、バッタやこおろぎをたくさん捕まえた。と言っても、僕は昆虫があまり好きではなく、足を踏み入れるたびに、ぴょんぴょんはねてくるのが、とても嫌だったが、しばらくすると、小さい頃を思い出し、少し楽しくなった。そこで、かぶと虫の卵をもらったのだが、土の中の様子はなぞである。

あっという間の2カ月だったが、これで、2学期も頑張れそうだ。

30年ぶりに母校を訪れ、懐かしさでいっぱいになりました。
立教で過ごした3年間は、今の私の大きな基礎になっています。
先生方に心から感謝しています。
今度は当時の仲間と、ぜひブルーベルの花の季節に訪れたいと思います。
遠く日本より立教英国学院のますますのご発展をお祈りしております。

7月にイギリス人高校生と先生方を立教にお呼びして、Science Workshopの準備をするBriefing Weekendが行われた。彼らと3日間、一緒に寮で過ごし、日本での活動に備えるためだ。私はイギリスに3年ほど住んでいるが、同年代のイギリス人とこのように寮で過ごしたことなどなく、始まる前は楽しみな気持ちがある反面、どのように接したら良いのか、どんな話をすれば良いのかなど不安もたくさんあった。
しかし、実際に過ごしてみるとそんな心配は無用だった。自分の部屋は自分と英国人2人で、はじめのうちは2人が話しているのを聞いているだけ、という事もあったが2日目には日本のこと、自分たちの学校や家族、その日の活動のこと、また共通の話題としてはサッカーのことなど話すことは色々あった。話していくうちにとても楽しくなっていき、長い時間話すことができた。当然、言語の壁は高く、自分の意思を伝えるのには苦労したが、ゆっくり、丁寧に話すことを心がけた。しっかり意思疎通ができ、とてもうれしかった。

しかし、反省点もある。1つ目に、他のイギリス人生徒と話すことが少なかったことだ。ルームメイトとは話せても、イギリス人が複数人、話しているところに参加するのはとても難しかった。テレビの話や芸能人の話ともなるとまったくついていけない。そうでなくても聞き役になりがちであった。今後、積極的に一言でもいいから言葉を発する訓練が必要だなと感じた。
2つ目に自分の考えを持ち、そしてそれを英語にして伝えるということだ。日本についてのプレゼンを行った時や、イギリス人の原子力の専門家の方にお話を伺った際、自分の持つ意見や質問を伝えたい、と思う機会が何度かあった。しかし、なんと表現すればいいのかわからず言いたいことがはっきりと言えなかった。「日本語なら言えるのに!」という場面が多くとても悔しかった。そのようなことに陥らないためにも、英語の力をこれから伸ばして、自分の主張を展開できるようにしたい。

この3日間で様々な体験をしてとても楽しく、また自分の未熟さを痛感することにもなった。この貴重な経験を無駄にすることなく、更なる高みを目指して日々の生活を送ろうと思う。

(高等部2年生 男子)

夏休みが始まって一週間ほど経った頃、学校に残っていた私は東北で行われるワークショップの事前研修会に参加した。東北の方でも、日本人の高校生で事前研修会を行っていたようだが、私が参加したのは立教英国学院で行われた英国人との研修会だった。
Briefing Weekendの日の午後になると、学校ごとに続々とイギリスの高校生が集まってきた。6時の夕食時には、20名以上のイギリス人がニューホールの席に座っていた。一足先に席についていた私は、次々と現れるイギリス人たちに圧倒されてしまった。彼らは同い年とは思えないくらいに背が高く、大人びていたからだ。そして、学校の食堂で何十人もの英国人との食事は初めてだったので、更に緊張してしまった。だが、そんな緊張を全く関係ないものにしてしまうほど、彼らはフレンドリーだった。事前研修の三日間は、初対面の生徒たちと同じ部屋に泊まったのだが、初対面とは思えないほど彼女たちの話は続いていて、楽しそうだった。自分は人見知りで、国際交流をしても、会話が続かないことがほとんどだ。私は、初対面でも人見知りせずに会話を楽しめる彼女たちがとても羨ましかった。
この三日間、英国人とそれなりに話すことはできても、彼らの輪の中に入るのは難しかった。東北では、英国人と一度顔を合わせたというアドバンテージを使って、東北の高校生よりも積極的に英語を使っていきたい。そして、今度は英国人の輪に入り、彼らとの会話を楽しみたい。

(高等部2年生 女子)

6日(土)に、空港から、またイギリス国内の自宅から生徒たちが学校へ戻ってきました。教員が、戻ってきた生徒へかける挨拶。それは「お帰り」という言葉です。この光景は、共に学び、生活している立教英国学院の雰囲気の温かさを象徴するものの一つであるように改めて思えます。

7日(日)、英国はすっかり秋の陽気で、少し肌寒く柔らかい日差しの中、始業礼拝が行われました。今学期は新たに7名の新入生を迎えました。(後に入学する生徒2名を除く)
生徒たちは長い夏休みに、いろんな友達と会ったり、旅行をしたようで、1学期の慌ただしさや疲れをすっかり忘れ、明るく爽やかな笑顔がたくさん見られました。
2学期は年間で一番長い学期であり、またオープンデイという1年で最も大きなイベントのある学期でもあります。長くてつらい学期ではあるけれども、その長い時間を生かして、勉強にもしっかり腰を入れ、また部活動やいろんなことにチャレンジし、友情をも深め、実のある学期となってくれることを願っています。

※当該校の生徒・保護者以外で参加をご希望の方はイギリス本校までお問い合わせ下さい。

 

9月16日(火)   アムステルダム日本人学校
9月19日(金)   デュッセルドルフ日本人学校
9月23日(火)   フランクフルト日本人学校

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