夏休みが始まって4日目。私を含め、サイエンスワークショップに参加する7人は、London Waterloo Station行きの電車に乗り込んだ。ケンブリッジのワークショップに参加する生徒の下見のためだ。しかし、この日は普段のアウティングではできないようなことを経験した。

ロンドンには歴史ある建物がたくさんあるが、私たちが行ったのは、Fortnum & Masonの道路を挟んだ向かい側にある、Linnean Societyだった。そこは、生物選択者なら聞いたことがあるであろう、二名法のリンネのコレクションが置いてある場所だ。

まず入った部屋は、色々な発表が行われる部屋。そこで、Linnean Societyのメンバーの方が、まずコレクションについて説明をして下さった。リンネはスウェーデンの学者だが、彼が死んだときに、彼のコレクションは、売りにだされたそうだ。それを買ったのが、James Edward Smithという学者。もし有名になりたいのなら、リンネのコレクションを買いなさい、という先生の言葉により、家が裕福であった彼は、父に頼みこれらを買ってロンドンに運んできた。以来こうして、長い間リンネの資料はロンドンで保管されているらしい。その話の他にも、彼女はダーウィンの進化論などの話もしてくれた。

一通り話が終わると、彼女はとある部屋に案内してくれた。とても狭い部屋というので、荷物を置いて、頑丈にロックしてある扉をあけ、その部屋に入った。そこは、リンネの資料が置いてある小さな図書室のようなところだった。見たところ、とても古そうな本が多く、部屋の気温を保つためであろう換気扇の音がきこえた。部屋の真ん中にある台に、枕が置かれ、中身が黄ばんだ大きな緑色の本が置かれた。それは、リンネが書いた一番古い本で、植物や動物の分類の仕方が書かれていた。A4用紙の三倍ほどある紙いっぱいに、表が細かく書いてあった。すべてラテン語で、なんて書かれているかはわからなかったが、18世紀の本と思うと、感動した。リンネの他の本も見せてもらったが、彼は自分が間違えていたら、それを直すのになんの躊躇もない人であったらしく、自分の本に、白い空白を残しておき、何度も復習して、新しいことを書き込んでいったそうだ。そして、リンネの本ではないのだが、その部屋にある一番古い資料も見せてもらった。13世紀後半の本で、600年ほど前の本を見た。やはりなんて書いてあるかはわからなかったが、きっと本を管理するのは大変なんだろうと思った。

その部屋にあったのは、本という資料だけではなく、昆虫や蝶、魚の剥製もあった。それらは、現在の学者が生物を分類する”基準”なのだそうだ。昆虫などは世界各地にいて科学者もわざわざロンドンに来るわけにはいかないので、デジタル化してあると聞いた。その資料の中でも、魚の資料だけは保存法が他と少し違っていて、皮だけを剥がして、それを押し花のようにして保存していた。

Linnean Societyで、何百年も前の本を見たということが、とても不思議だった。それまで、Linnean Societyの存在すら知らなかったので、いい経験になった。

(高等部2年生 女子)

サイエンスワークショップに参加する生徒と先生とで、京都から来る生徒を案内するための下見としてロンドンに行ってきた。
そしてこの日の、なによりの思い出になったのは、リンネ学会に行ったことだと思う。数百年前のリンネ直筆の本、実際にリンネが使用していた標本、見たもの全てに皆が感嘆の声をあげていた。『温故知新』と言葉があるように、現在の研究でもリンネの残したモノは役立っている。自分はそれを見ているとき、なんてすごいものを見ているのだろうと、そしてこんな体験をしていることを誇らしく思った。正直、生物学にあまり関心の無かった自分だが、これからの生物に対しての価値観が変わったように思える一日だった。

(高等部2年生 男子)

「歴史が眠る部屋」
案内された部屋に入ったとき、僕はそう思った。

その部屋は小さな部屋で、15〜6 人も入ったら身動きが取れないぐらいだった。まず驚いたのが、入り口にある分厚い扉。30センチぐらいあったと思う。次に驚いたのは、部屋の周りに埋め尽くされた古い本の数々だ。案内してくれた人の話を聞くと、最も古いもので1400年代の本があるという。

その本を実際に見せてくれたのだが、なにか違和感を感じた。想像してたのとは違いボロボロではなかったのだ。何故かと疑問に思ったが答えはすぐに出た。大切に保管されてきた。ただそれだけである。

しかし、そこには何百という人が携わってきたのである。後世に残すために膨大な数の人が必死に頑張ってきたのである。今回何よりも驚いたのは、一つのものを保ち続けることへの人々の思い、姿といったものだった。

(高等部2年生 男子)

何百年もの歴史を誇るリンネ学会に足を踏み入れた。歴史ある学会に行くのは初めてだったので少し緊張した。

最初に案内された会議室には歴代の学者の肖像画がずらりと並んでいた。その中にはリンネの画も飾ってあった。まるで私たちを迎えるかのように。彼らが発表を行った場所に今、自分がいる。感激と興奮の気持ちが自分の中に溢れた。

そして一番の驚きは本や標本の保管されている部屋である。そこには昔の書物が一面に収められていた。中には十五世紀に書かれたものやリンネの時代に作られた標本、当時の学者がメモを残してある本もありその一つ一つから歴史の重みが感じられた。

今、私たちが当たり前のように使っている「哺乳類」などといった分類も、当時の学者が研究に研究を重ねて作り上げていったものなのだ。それが今の時代にも使われている思うと深い感動を覚える。

昔の人たちが残してくれた知恵があるから私たちは生きている。そのことを咀嚼してこれから過ごしていきたいと思う。

(高等部2年生 男子)

7月9日、ロンドンへ。サイエンスワークショップの下見に行ってきた。ワークショップに参加する生徒7人と岡野先生の8人で、ミニアウティングのようだった。

下見と言っても、ロンドンに着いてまず初めはおいしい小籠包探し。私たち何をやっているのだ。まず1店目に入り、小籠包を食べ、続いて3軒隣くらいの店に入って、また小籠包を食べたのは信じられなかった。けれど2店目はなかなかおいしくて、先生は「幻の小籠包を見つけた。」と誰よりも楽しんでいた。皆で辛いものを食べて苦しんだり、1人前の杏仁豆腐を8人で分けたり、楽しい時間だった。

そして昼食後はしっかり下見。リンネ学会へ。リンネは植物や動物を、初めて近代的な分類法で分けた人だ。この日初めて知ったが、リンネの分類法は植物をめしべとおしべの数で24種類に分類する。今でも利用されている、ホモ・サピエンスなどの二名法を提唱した人でもある。と、私はこれくらいのことしか知らなかった。しかし、そこで色々な話を聞き、貴重な資料も見せていただけた。

まずリンネ学会は、その名のとおりリンネについての施設だ。本人直筆の本などが、温度や湿度が一定に設定された小さな部屋で管理されていた。この部屋には鍵が三重にかかっていて、入り口のドアはとても厚くて重い。少し大きな金庫のようだ。たかが本だが、ものすごく大切にされている。なんとここに入らせてもらうことができた。少人数でないと行けないような部屋の小ささなので、アウティングでは行けないだろう。本当にラッキーだった。

その部屋には様々な本があるが、一番古いものは1400年代のものだ。ここまで古い本を現在まできれいな状態で残せているのは、本の修復のプロがいるかららしい。リンネ学会で本の修復をしている人の中に日本人の女性の方もいらっしゃって、この日も私たちに学会の案内をしてくださった。また日本の天皇が代々生物の研究をしていらっしゃるため、明仁天皇のサインもあった。そして、リンネの書いた本もあった。後から新しく分かったことを書き足していけるように、空白を多くしていたそうだ。リンネの字は、印刷したみたいに美しかった。

その後、王立研究所、タワーブリッジと歩いて、電車でギルフォードまで帰った。あっという間の1日だった。今日は忘れられない日になった。

(高等部2年生 女子)

がちゃっ。パスコードがかけられている、分厚い、いかにも宝を隠し持っていそうなドアが開いた。これからすごいものが見られる予感に言葉では表しきれないほどの胸騒ぎがした。少し緊張しながら、ドアの中を覗いてみた。初めて空を飛ぶ飛行機を見た子供のように興奮して私は目を大きく見開いた。中はこじんまりとした小さな部屋でレザーで出来ているカバーの古い本が大切そうに並べられていた。ここに置いてある本はただ長い年月を生き延びただけではない。このリンネ研究所の存在価値を最も高いものとしている本であった。

リンネは18世紀の生物学者で初めて二名法を用いた生物の仕組みを分かりやすく記した人だ。ここにあるのは実際リンネが自身の研究の為に使っていた本であったり、彼が書いた本の初版だったり、生物学を大きく変えていった考えが手書きで記されている本ばかりだ。案内して下さった女性は一つ一つの本を気をつけて私たちの為に取り出して開いて、丁寧に説明をしてくれた。最も古い本で15世紀の植物の本も見せてくれた。それ以外にもリンネ研究所のフェローの名前が全て並んでいる本も見せてもらった。中から昭和天皇裕仁の名前が出てきたり、18世紀リンネによって集められた蝶、魚、虫なども保管されていた。

もちろんこの日に行ったリンネ研究所ではそれ以外にも研究所自体の歴史、フェローであったダーヴィン、ウォレスの話も教わって、聞いていてとても楽しかったが、やはり最も感動したのはリンネが世に残していった本がある小さな部屋だ。まだまだ未熟な私でもこの一つの小さな部屋にある生物学の歴史、発展、そして一つの新しいアイデアの大切さが心の底まで伝わってきたからだ。また何よりも、リンネがただ教科書に載っている人物としてだけではなく、本当に実際存在していた新しい物を考え出した偉大な人として間近に感じられたからだ。

今までロンドンにはよくアウティングで行っていたが、この日に教わって感じたものとは全く比べ物にならない。これからのワークショップがとても楽しみだ。

(高等部2年生 女子)

よく他人から好奇心が強い人だと言われてきた。これのお陰で人に迷惑をかけたこともあるし、今の自分があるのだとも思う。さらに小学校で出会った理科の先生は、私のこのどうしようもなく大きな好奇心を高く評価してくれた。これに参加したのも好奇心に突き動かされたせいかもしれない。
このサイエンスワークショップを通じて、私は色々な人と関わりたいと思う。私は英語もそこまで得意ではない、海外生活だって長くない。しかし言葉の壁を越えて、また文化の壁を越えてコミュニケーションをとらなければならない、そんな未来が近いうちに来ると私は思う。そんな世の中で生きていくために、ここで、そのステップを踏むのだと私は思う。私は積極的に英国人に喋りかけ、相手の文化を知り、日本の文化を教えたい。最終的には友達になり、これから長く付き合っていきたい。さらに、東北から来る生徒と英国人の生徒の交流の手助けも出来たらいいなと思う。

(高等部2年生 男子)

楽しい!みんなと昨年もオープンデーに来させていただきましたが、今日は家族で来させていただいております。
(八木さん)

卒業してから初めての訪問を主人と2才の娘連れて30年ぶりに実現できて感無量です。思い出せるものかな…と思いつつ先生に案内していただいたら、ドミトリー・ダイニング・クリスマスツリーが飾られたホール、(元)メールボックス等々懐かしい場所ばかり、思い出がよみがえりました。すてきなガーデン、景色、心に焼き付けます。今日はありがとうございました。
(小池さん)

サイエンスワークショップに自分が貢献できること。それは英人に日本を伝えるということだろう。
自分は前の学校で卓球部に所属していた。県内では強豪校として有名だった。当然、練習はハードなもので、共に練習に励んできた者が、一人、また一人と辞めていった。自分も何度も辞めたいと思った。しかし、そんな気持ちと同時に逃げることへの悔しさも感じていた。ここで諦めたら今まで積み上げたものが無駄になる。いつも自分にそう言い聞かせた。その甲斐もあり、そこそこの成績を残すことができた。そして、諦めないことの大切さや他人への礼儀、何事にも真剣に取り組むことの重要さを学んだ。
卓球部で培ったこれらのことを、サイエンスワークショップで全て発揮したい。言いたいことが伝わらなくても、何を言ってるか聞き取れなくても粘り強く諦めずに喰らいつく。常に相手を気遣い、やってもらったことへの感謝を忘れない。そんな姿を見せて、日本にはこういう人がたくさんいるということを知ってもらいたい。
その為に自分は参加します。

(高等部2年生 男子)

私が東北でのサイエンスワークショップに参加したいと思った理由は2つあります。
1つ目は同世代の英国人との交流です。高校1年生のときに参加した、ミレースクールとの交換留学では沢山の良い経験をすることが出来ました。特に、日本人と英国人の感性の違いに面白さを感じ、それが「Science」に限定されたときにどうなるのか知りたいと思ったからです。
2つ目は、東北と英国の違いを伝えることです。私は宮城県出身であるため、東北の知識は少なからずあります。その知識を使い、英国の高校生には東北について、東北の高校生には英国について伝えたいと考えました。これは、東北出身であり立教の生徒である私にしか出来ないことだと思います。
以上、2つの目標を達成するために、私は積極的にコミュニケーションをとろうとする姿勢を大切にしたいと思います。私自身、英文法や語彙力はまだまだ未熟です。しかし、だからといって怖気づくことなく会話を楽しみ、多くのことを学ぶ良いチャンスだと思って頑張りたいと思います。

(高等部2年生 女子)

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