6月3日、中学部1年生と2年生はハッチランドパークへフィールドワークに行って来ました。ハッチランドパークというのはナショナルトラストに登録されている、歴史あるお屋敷。建物が立派であるだけでなく、そこに展示されているピアノのコレクションで有名な所です。その昔この屋敷に住んでいたアレック・コブ氏がピアノのコレクターだったため、今でも30を超える数のピアノを見ることが出来ます。

午前中の授業を終えてからサンドイッチを持ってミニバスに乗り込み、ハッチランドパークへ向かいました。この日はあいにくの雨。車に乗って約30分、豪華なお屋敷に到着しました。建物の周りの広大な芝生やガーデンもとてもすてきな所でした。ワークシートを片手に早速建物の中へ入りました。最初の部屋はアトリエ。この部屋だけでも5台のピアノがありました。中にはマリーアントワネットのために作られたピアノまであります。生徒達はピアノの数を数えたり、飾られているお屋敷の持ち主たちの肖像画を見ながら班ごとに分かれてワークシートに取り組んでいきました。何か疑問に思うことがあると各部屋にいるガイドの方に英語で質問をする生徒の姿も。とても意欲的に取り組むことが出来ました。図書室、廊下、ダイニングルームにもピアノが沢山ありました。半月型のピアノ、長細いピアノ、ショパンのピアノ、リストのサインのあるピアノ…。お屋敷は貴重なピアノでいっぱいでした。そして最後の部屋では豪華絢爛なオルガンを弾かせてもらうことまで出来ました。1時間程のお屋敷のツアーを終え、外に出ると天気はすっかり良くなっていました。広大な庭の噴水の前で写真を撮って学校へ帰りました。歴史ある音楽家たちが実際に演奏した楽器に触れ、当時の人々の暮らしに思いをはせることの出来た貴重なフィールドワークとなりました。

Japanese Evening ー これは小5から高2までの生徒が協力して作り上げて、お客様を迎える最初のイベントだ。今年は、茶道や剣道、プレゼンテーションを始めとして全部で12の企画が行われた。その中で私は「あやとり」を選んだ。

高2となった私達は、企画長として後輩たちをリードしたり、内容を考えたり、先生や同じ企画の仲間との話し合いに打ち合わせ、そして練習。勉強との両立をしながらの、約1週間は本当に大変だった。自由時間や勉強時間を削って準備をした。でも思う。今まで先輩方も、今の私達と同じように、同じ気持ちだったんだな、と。

私は昨年も同じ「あやとり企画」で参加した。だが残っているのは苦い想い出ばかり。日本語でも他人に教えるのが難しい事をどうやって教えたら良いか分からず、英語も理解できなくてペアの子に沢山迷惑をかけた。そして企画自体の参加者も少なく、笑顔もあまり無かった。

だからこそ、どうしても今年は成功させたかった。良い想い出へと塗り替えたかった。

今回のメンバーは9人。中2が最年少だ。手始めに、お客様に説明する時に使用する糸の位置が描かれた紙を、白黒からカラーに変更した。これは、焦って分からなくなった時や、後輩が紙を見せて色をお客様に伝えるだけで、少しでも説明することができるようにするためだ。そして、私は企画長として、「あやとり」についての説明や「国際あやとり協会」という所の紹介を英語で作った。これは初めて「あやとり」の事を聞く人が少しでも興味を持ってくれるように、既に知っている人にも少しでも豆知識を伝えて、頭の片隅に記憶を残してもらうためだ。そうすれば、看板しかなくても、良くわからない企画に少しでも立ち止まってくださると思った。他にも出張して実演したりした。これは、人間が何かおもしろそうな所があると噂したり、立ち止まったりしてしまう心理を利用してみたものである。

結果は大成功。参加して下さった方、興味を示して下さる方も多かった。これは、後輩達が緊張しながらも積極的に声を掛けてくれたから。何よりも嬉しかったのは、相手の方と英語が通じた事。1年間、立教で学んできた事は決して無駄では無かったと感じられた。今年は難しい過程の所は、自分が作った物をそのまま相手の指に移動させてあげる、など「工夫して教える」という余裕も自分の中にあった。そして全員が成功して素晴らしい笑顔で帰って下さったこと。私達にもいつの間にか、笑顔の花が咲いた事。

来年は高3となり、参加することができなくなる。少し悲しい。けれど、今回一生懸命頑張ってくれた後輩達が引き継いでくれると思うと安心できる。来年は、今年よりも更に良い企画と行事になってくれることを願っている。

(高等部2年生 女子)


1987年に在籍し、27年ぶりに訪問させて頂きました。当時の大嵐で木が倒れてしまった記憶がありましたが、すっかり風景が変わっていることに年月が経ったことを実感致しました。
昔の記憶をたどると、今の自分と昔の自分がどう変わってきたのか、成長しているのか等、考えることが出来、今後の人生の糧にしたいと思います。
1年間と短い間でしたが、あたたかくご対応頂きありがとうございました。
三つ子の娘がおりますので、海外駐在となりました際には是非宜しくお願いします。

私は、今年で立教生活5年目という古株メンバーとなった。だが、立教での4年間はとても早いもので、中1で入学した私がもう高2となった。
当時、中1の私の目から見る高2の先輩方は、部活や委員会などを担う立教の中心だった。そんな、尊敬していた高2という立場に私達はなってしまったのだ。

1学期も3週目を終えようとしている今、球技大会も終わり、Japanese Eveningの活動も始まったこの時期、放課後にも時間の余裕が出来、運動部を中心にクラブ活動が盛んに行われている。いつも通りの立教生活に戻ったということだ。委員会やクラブの長の引き継ぎも終了し、新部長達が部活を動かしている。実は、私も演劇部の部長に任命して頂いた為、そのうちの1人なのだ。まだ高3生はいるものの、顧問の先生とコンタクトをとったり、その日の練習スケジュールを組むのも、全てではないが私が行っている。

以前、高3の先輩方に、これからの演劇部についてアドバイスをもらったのだが、やはり優しい言葉だけではなく、心にくる言葉も沢山あった。その時、自分が部長で本当に良いのだろうか、皆を引っぱっていけるような長になれるのだろうか、と改めて考えさせられた。

ある先輩が、
「貴方が演劇部の部長になることは、高3の演劇部のメンバー全員で考えて、皆が納得したことだから心配することはないのよ。それに部長は一家の大黒柱みたいな存在だから、貴方が折れてしまったらこの部活は崩れてしまうわ。」
と言って下さった。そして、部長という立場の重大さも痛感した。

人を引っぱっていくということは得意ではないけれど、やりがいのある仕事に楽しみも覚えた。それに私は1人ではないのだ。私のことをサポートすると言ってくれる同輩や後輩もいる。そして、これから我が演劇部は、早くもOPEN DAYに向けての練習を開始しようとしている。
去年、一昨年とOPEN DAYで優勝を果たした私達は、3年連続優勝という目標を掲げている。先輩に頼ることが出来なくても、新入部員を迎えた私達は、高2という大きな存在を自覚しつつ、歩み始めている。

(高等部2年生 女子)

5月9日の金曜日、Japanese Eveningがありました。
わたしの、参加した企画は、折り紙でした。
練習のときに、立方体の箱を作りました。六つの部品で作る折り紙なので、時間がかかってむずかしくて大変でした。でも、出来上がりが楽しみなので、がんばれました。ようやく出来上がったときは、きれいに作れたので、とてもうれしかったです。
本番になって、また立方体の箱を作ってみました。練習のときよりも、うまくできるか心配でした。かどとかをきれいに合わせてずれがないようにしたり、あとがつくようにしたりして、どうやったら、きれいにできるか考えて、工夫しながらできました。だから、練習よりもよくできて、工夫したかいがあってよかったです。
お客様に作り方を教えるときになって、わたしは、カメラの作り方を教えてあげました。そのときに、はしとはしをあわせるように気をつけながらやってもらいました。カメラが出来たとき、喜んでもらえたのでうれしかったです。
自分で作った立方体の箱をプレゼントしたら、喜んでもらえて、安心しました。
がんばって作ったものをとてもよろこんでもらえたので、作ってよかったと思いました。
イギリスの人に、日本の文化を教えて分かってもらうと、とてもうれしかったので、来年のJapanese Eveningも、イギリスの人たちに、いろいろな日本の文化を知ってもらって、広めてほしいと思いました。

(小学部5年生 女子)

「高2にもなってお城!?」
これが、アウティングでウィンザー城に行くと聞いた時の私の素直な感想だ。だから、行く前もなんだか憂鬱な気分だった。
しかし、コーチの窓からウィンザー城の外観を見た瞬間、テンションが一気に上がった。想像していたよりも、遥かに立派な城だった。

コーチを降りて城に入るとすぐに衛兵交代のセレモニーを見た。バッキンガム宮殿の衛兵交代は柵と柵の間に顔を入れて遠くからしか見られないのに、ウィンザー城では至近距離で見ることができた。衛兵は黒く長いベアスキン帽をかぶり、赤と黒の長袖長ズボンを身にまとっていた。真夏のような日差しが照りつけるアウティング日和で、見ている私は今すぐにセーターを脱ぎたいと思うくらいなのに、衛兵はもの凄く険しい顔をしてピシパシと動いているのを見て感心した。セレモニーが終わると衛兵と写真を撮った。先生が、彼らは任務中だから笑わないとおっしゃっていた通り、まったく笑わず、撮った後に溜め息までついていた。暑さと多勢との写真撮影でお疲れのようだった。

ウィンザー城を見渡すと、一際高いラウンド・タワーが見える。この日はこのタワーの上に旗が揚がっていた。これは、エリザベス女王がこの城にいますよ、という印だそうだ。女王は普段、バッキンガム宮殿とウィンザー城のどちらかにいるそうだ。この日、そう遠くない距離でウィンザー城の美しい緑や建物、清々しい空気を女王とともに味わえたかと思うとなんとも特別な気分になった。

(高等部2年生 女子)

私が立教英国学院に来てわずか1週間と少しで、球技大会の練習が始まった。運動はあまり得意でなく新しい生活にもまだ慣れきっていない私だったが、学校の雰囲気が大会に向けて徐々に盛り上がって行くのを感じて、なんだかわくわくした気持ちになった。

バレーボールやバスケットボールは経験のある、運動好きな人が集まりそうだなと思い、みんなで楽しめそうなドッチボールに参加することにした。しかし、練習が始まると私の考えは間違っていたと思い知らされた。参加者の後輩達の目が皆本気だったのだ。ただボールをよけるだけではない。投げられたボールを受けとめ、そして相手に向かって本気で投げてぶつける。強い信念を感じて、私も気を引き締めて練習に励んだ。
「新入生の先輩」という立場は、少し大変だったが、しっかりした後輩達と、頑張ってくれたキャプテンに助けられ、真剣に練習に取り組むことが出来た。

本番ではいきなりジャンプボールをまかされとても緊張した。練習で相手チームと対戦することは出来なかったので、相手の実力が分からず、私達のチームは苦戦した。なんとか頑張って、1ゲーム勝ち取ったが、午前中の試合は負けてしまった。このまま午後も負けてしまうのは悔しい…。気合いを入れ直して、午後の試合に挑んだ。

昼食後はチーム全体のテンションが上がった状態で試合をすることが出来た。声出しも皆でできたし、真剣かつ笑顔でドッチボールができて楽しかった。
ここまで本気でドッチボールに取り組んだことがなかったので、新鮮な体験が出来た。それぞれ多少の悩みや大変さもあったかも知れないけれど、それを忘れてしまうほど熱中できた、いい試合だったと思う。
結果は引き分けだったが、午後の試合で勝てたことはとても嬉しい思い出になった。

(高等部2年新入生 女子)

オランダは長い冬が終わるとクロッカスや水仙、チューリップが咲き乱れ、春つまり花のシーズンが始まる。春休みに入り、アムステルダムに帰ると街路も公園も黄色の水仙や青色のヒヤシンスがまぶしいくらいに咲いて迎えてくれた。そんな春の一日。花の国として有名なオランダを象徴する世界最大の花取引所アールスメア生花中央市場(Flora Holland)へ行ってみた。

まず最初にビックリしたのは設備の大きさだ。総面積百150へクタール、サッカー場で二百五十面以上という巨大な規模に度胆を抜かれる。そしてその巨大な空間にさまざまな種類の花がある。バラ・ガーベラ・蘭・ひまわり・チューリップ、名前もわからない花たち。赤・黄色・白・オレンジ色と色とりどりの花、その花をトローリーが運ぶ。トローリーの数もすごい。「よくぶつからないな」と心配になるくらいのスピードでお互いにうまくすりぬけていく。市場の活気を感じた。

見学コースから窓越しにオークションを見た。大教室のような部屋でスクリーンが前にあり、業者の前には一台ずつコンピューター。声を発することもなく、システマチックに競りが行われる。ここで扱う花の八十パーセント以上が輸出されているらしい。取引が成立すると、ただちにスキポール空港へ運ばれ空輸されるため、その日の午後にはパリやロンドンの花屋の店先に並べられる。前にアウティングで見た花屋の花も、ここで競りおとされたものだったのだろうか。

(高等部2年生 男子)

「球技大会…。」その言葉の「球技」に反応してしまうほど、他の人より球技に自信のない私。今年は高3のもとでゆっくりと私の持てる力でチームに貢献しよう、そう考えポートボールを希望した。
しかし、そこには高3は誰一人いなかった。高2もまさかの、私を含めて2人だけ。私達はそれぞれのチームのキャプテンに「必然的」に選ばれた。

「どうしよう…。」
この5文字が私の体中を駆け巡った。実は去年、体調不良で球技大会に参加できなかった。実質今年が初めての球技大会。何も分からない。「どうしよう」の波は次第に大きくなってますます私を球技大会嫌いにした。まだ1度も経験していないと言うのに。

そんな不安に今にも打ちのめされそうな状態で「私なんかが…」と申し訳なさと共にメンバーの顔合わせをした。もちろん全て後輩。小学生もいる。そこでいきなり彼女達は、
「何か手伝う事があったら言ってください!」
と私に言ってくれた。中には4年目の大ベテランもいて、初歩的なルールから分かりやすく教えてくれた。
その時私の心に火がついた。この子たちに喜んでもらえる球技大会にしよう!Tシャツ作りも高3には劣ってしまうけど、あるもので精一杯頑張ろう!楽しもう!ーそう思った。

他の競技よりスタートダッシュは遅れてしまったけれど、加速は凄かった。練習を重ねていくうちに運動が大嫌いだった子も、その子が一番輝く特技を見つけ、みんなのやる気もどんどん高まっていった。

ある日の練習後。疲れ果て、グランドに寝転がり、キレイな夕日だね…と言っていたら、
「勝ちたいな。」
そうつぶやいた子がいた。その一言を皮切りに練習の合間合間で「勝ちたい!」「勝とうね!」と聞こえるようになり、チームの結束も強くなっていった。

少ない時間と材料で一生懸命仕上げた暖かみのあるチームTシャツに身を包み、限りある時間で精一杯練習しきった笑顔で本番を迎えた。全員が持てる力を出し切り、一人一人が「私だってやれば出来る!」と自信を持ってプレーした。結果は引き分けだったけど、大切なことはそれだけではなかった。初めは乗り気な子が少なかったこのチームが、ここまで本気になってこんなに達成感に溢れている。そして口々に「楽しかった。」そう言ってくれた。それだけで十分だった。
「キャプテンありがとう。」
その一言で、今までの迷いと苦労はどこかへ行ってしまった。嬉しかった。キャプテンをやって良かった。

真剣に取り組めば、答えてくれる人がいる。そんな環境にいることができるということに改めて感謝の気持ちが湧いた。

(高等部2年生 女子)

基本的に人は意欲のない物事を行う時、どうしてもその速度は落ちてしまう。これまでの人生において、例外には未だ出会っていない。しかしその状態は、まるで考えつくされたかのように、意志とは裏腹に、たびたび僕に襲いかかるのだ。意志、という言葉には少し語弊があるかもしれない。その時点での意志は確実にその物事を拒絶しているが、ここでの意志とは、その時点より前の意志なのだ。

このような自分の中での、立志への逃避行はこれまで様々な形で僕の前に立ちはだかってきた。ないものねだりという言葉にまとめる事さえ可能なこの現象は、例を挙げるとするならば、一つの学期において起こりやすい。部活動が行えて、試合があって、まるで、今は部活動に専念しろと言わんばかりの状況下では、どうしてか勉強への意欲が湧いてくる。これならまだ良いが、ないものねだりと表したように、この現象には相互関係が存在する。

期末考査直前のある日、気がつくとふだんは面倒臭がる部屋掃除をしていた、ということはないだろうか。これはあくまで極端な例ではあるが、いざ勉強をせねばならない時に、他の行動への意欲が湧いてしまうことはきっと誰でもあるだろう。そして期末考査が終わり、返却されたテストを見て、何故だか勉強がしたくなるのも、この現象の一部であることは間違いない。

極々一般的ともいえる一連の感情の移行をわざわざ自分の中で勘考したのは、無論自分がこの「魔物」を取り払いたかったからである。高校二年へと進級して、これからは勉強に更に力を入れる、と心の中で高らかに宣誓した矢先にそれに襲われた僕には、憎くて仕方がない敵であった。まだ春休みではあったが、意気込みは完膚無きまでに潰されて、これまでと同様に、長期休暇をただぼんやりと過ごしてしまったのである。これから少しずつ現実味を増してくる大学受験を前に、まず争うべきは全国の受験生ではなく、この自分の中の魔物なのかもしれない。

(高等部2年生 男子)

ページ
TOP