只今ご紹介に預かりました本校8期生で理事の須藤です。

本年度本校を卒業される生徒の人数は、小学校の部で3名、中学校の部で29名、そして高等学校の部で32名と伺っております。小学生と中学生そして高校生の卒業式を同時開催するのは本校創成期からの一貫した特徴でもありますが、年齢の異なる皆さんにどのようなお話をするのが良いか、とても悩みました。そこで私自身の小・中・高の卒業式がそれぞれどんな風であったかを思い出しながら、皆さんに対する私なりのメッセージを送りたいと思います。

その前に先日熱戦が繰り広げられたソチ冬季五輪の話を少しだけさせて下さい。ソチ冬季五輪が幕を閉じて数週間が経ちますが、今でも思い出すと目頭が熱くなる場面があります。それは女子フィギュアスケートの浅田真央選手のフリーの演技です。悲願の金メダル獲得に向けて臨んだショートプログラムでまさかの16位。順位が発表され呆然とする浅田選手の顔をテレビで見ながら、翌日のフリーはどんな結果になってしまうのか心配しましたが、逆境を乗り越え、完璧な演技をしてフリーの自己最高得点を獲得、見事六位入賞を果たしました。メダルこそとれませんでしたが、それ以上の感動と勇気を与えてくれました。浅田選手のフリーの演技を見たBBC の解説者も「That was a champion’s response from what happened last night. (まさに王者たるものの反撃だった)」と絶賛していました。失敗をバネに素晴らしい結果を出した浅田選手の精神力と意志の強さに深く感動したのと同時に、苦しい時だからこそ、決して逃げ出すことなく、頑張らなければならないことの大切さを、改めて教えられました。

さて、私の小・中・高の卒業式について簡単にお話を致しましょう。
私が小学校を卒業したのは1980年。その年の夏にモスクワ五輪が開かれましたが、旧ソ連軍のアフガニスタン侵攻に抗議し、西側諸国の大半が五輪参加をボイコットした東西冷戦の色濃い時代でした。そんな中、私は川崎市多摩区の公立小学校を卒業しましたが、卒業式で校長先生から「君たちの青春が始まるのはまさにこれから」と言われたことを今でも覚えております。
次に、川崎市多摩区の公立中学校を卒業したのが1983年。その年千葉県浦安に東京ディズニーランドが開園し、多くの話題を呼びました。父の転勤でロンドンに行くことが決まった私にクラスメート全員で送別会を開いてくれて「イギリスはとても遠い場所にあるのでしょう?」 「ビートルズによろしく!」等々、当時まだ海外に行く人が少なかった時代を反映するような無邪気なコメントを沢山貰いながら、英国に向けて日本を出発したことを覚えています。
そして立教英国学院でのとても充実した高校3年間が終わり、本校を卒業したのが1986年。
日本はバブル期に突入、日本の輸出競争力が突出して日米間で貿易摩擦問題が過熱した時代。
私は2学期の終業礼拝後、大学受験のため本帰国したので卒業式には出席できませんでしたが、終業礼拝で3年間担任をして下さった東先生の感動的なスピーチを聞きながら号泣。終業礼拝後も楽しかった3年間の様々な思い出に浸りながらずっと泣いておりました。これまでの人生の中で恐らくあの日ほど多くの涙を流した日はなかったと思います。
小・中・高それぞれの時代背景そして心に残っている印象は様々ですが、こうして自分が過ごしてきた昔の時代と今の時代を比べて思うのは、今の時代ほど世界がボーダーレス化し多様な人材が求められている時代は他にないということです。そしてこの傾向は今後ますます強まっていくものと予想します。今の世の中では「グローバル人材」の必要性が叫ばれております。この「グローバル人材」に関する公式の定義は存在しませんが、色々な文献を読んで整理してみると、恐らく次のような人物がそれに当たるように思われます。

1、異文化を理解でき
2、英語で自己表現ができ
3、世界を相手にリーダーシップを発揮でき
4、イノベーション(変革)を起こすことの出来る人物

言葉で言うのはとても簡単ですが、これら全てを備えた日本人はまだまだ数少ない状況です。
「明日からグローバル人材になるぞ」と言って、直ぐになれるものでも決してありません。
ただ間違いなく言えることは、本校にいる君たち全員が将来こうした人物になれるチャンスを十分に持っているということ、そしてそのような人物になるためには、今から努力していく必要があるということです。
そこで、4月以降も本校で学び続ける在校生諸君にお願いがあります。
本校で学ぶ君たちは、英国という社会の中で暮らし、英国人と接し、英国文化を毎日肌で感じることの出来る境遇にあります。是非この恵まれた環境を最大限に活かし、異文化に沢山触れて理解を深めて下さい。また、本校在学中に英語力をしっかりと習得するよう努めて下さい。日本で学ぶ生徒と比べて、君たちは遥かに手厚い英語教育を本校で受けております。是非その教育をしっかりと吸収し、確固たる実力を身につけて欲しいと思います。
そして、本校を卒業し4月から大学生となる高校3年生諸君には、次のことをお願いします。

1、本校での生活を一旦リセットし、気持ち新たに大学生活をスタートして下さい。君たちが思っている以上に本校での生活は密度の濃いもので、大学生活とは全く性質の異なるものです。もしかしたら「立教英国学院で過ごした高校生活の方が楽しかった。高校時代に戻りたい」と最初は思うかも知れません。それでも暫くの間は後ろを振り返らず、高校生活よりも更に充実した大学生活を送るぞ、という希望を持って前に向かって進んで下さい。

2、目標を掲げて大学4年間を過ごして下さい。大学に入れば、決まった時間に起床し食事をして床に就く、というような生活は無くなり、かなり自由な毎日が待っています。高校時代の規律正しい生活の反動から日々緩んだ生活を送ってしまうかも知れません。大学4年間を無駄に過ごさないためにも、この4年の間に成し遂げたいと思う目標を定め、その目標に向かって前進して下さい。勉強でもスポーツでも社会奉仕活動でも何でも結構です。大学を卒業した時、「自分はこれを成し遂げた!」と自信を持って言える何かを是非掴み取って下さい。

3、1番目にお願いしたことと少し矛盾するかも知れませんが、立教英国学院の卒業生であることの誇りとプライドを大切に毎日を過ごして下さい。君たちの日々の行為と言動がそのまま世間に映る本校に対する評価になるものと思い、是非とも本校の卒業生として恥ずかしくない行動を心掛けて欲しいと思います。

本校を卒業した後の日々を、どれだけ実り多いものとすることが出来るかどうかで、君たちが社会に出たその後の人生が大きく変わってくるものと思って下さい。そしてこれからの世界に向かって堂々と大きく羽ばたいて下さい。それが、本校でお世話になった諸先生方、そして今日まで君たちを大切に育てて下さったご両親に対する最高の恩返しになると確信しています。
君たちが立派に成長し、立教英国学院の輪を更に大きく広げていって頂けることを期待して、私のお祝いの言葉とさせて頂きます。ご卒業おめでとうございます。

今日は立教英国学院の卒業式。やっと学校を離れられる、と思う人もいれば、学校を離れることに寂しさを感じる人もいるだろう。僕は寂しさを感じている。
今日この日が来るまでは、本当にこの学校に居られるのが最後なのだろうかと、実感が湧かなかった。だが、今この場に立って卒業のスピーチをしていれば、嫌でも実感がわく。本当にこれで最後なのだと。

僕が立教英国学院に入学したのは、中学2年生の時だった。全寮制の学校なんて初めてだし、なにより親元を離れて生活するなんて経験したことがなかった。
そのため、当然緊張していた。学校につき最初に向かった教員室。教員室の椅子で座って待っていると、ある1人の先生がやってきた。その先生はなんともいえぬ威圧を放ち、さらに僕を緊張させた。そう、その先生こそが5年間も僕達のクラスの担任をして下さった、倉品先生だった。倉品先生と両親が話をしているのを聞いている自分。そして最後に先生は僕に向かって、「よろしくね」と言ってくれた。何故だか分からないが、僕はその言葉に安心し、緊張が少し薄れた気がした。だが、もちろん初めから立教生活がうまくいった訳ではなかった。ドミトリーでは友達とけんかしたり、わずか5日程でゲームが没収されたり、入ってきたとき10人しかいなかったクラスでは、女子と仲良くなれず、なんとなくクラスに馴染めないでいた。食事の席では、今でもそうなのだが、食べるのが遅くて周りの人に迷惑をかけていた。だが、立教は容赦ない。もはや、これは伝統なのかもしれないが、立教に入ってきた新入生は大抵元からいた人に嘘をつかれる。コンチネンタルブレックファースト、通称コンチでは、コンチに参加するためにコンチ券が必要だと言われ、追い返されそうになったこともあった。また、ラジオ体操一番乗りを1年続けると、表彰されると言われ、信じて1年間続けたこともあった。当然表彰なんてされなかった。

そんな激動の立教生活を過ごすこと1年半。僕はすっかり学校に馴染んでいた。しかし、その頃僕に思いがけない事件が起きた。それは、生徒会長になりたいと思ったことだった。普通に考えたら、事件でもなんでもないのだが、人見知りで、恥ずかしがりやで、人前に出るのが極端に嫌いな僕からしたら、事件の他なんでもない。別に急になりたいと思った訳ではない。だからと言って、特別な理由があるわけでもなかった。ある一人の先輩と、ある一人の同級生に言われた一言が僕を変えさせたのだ。今思えば僕はその言葉を本気にするほど単純だったが、結果的に僕の生活は充実したものになった。

高校生になった僕は、クラスに20人もの新入生が入ってきたので、不安を感じていた。当然、不安を感じるのは新入生の方なのに、僕は自分が新しい環境に戸惑っているという錯覚を起こした。だが、少し経てば、今のクラスがとても居心地のいい場所になり、更に学校生活が充実した。その分、騒がしくもなり、よくいろんな先生に注意を受けるようになった。そんな騒がしいクラスで3年間。今日は全員揃っていないが、無事に卒業を迎えることが出来た。今思えば本当にここまで長かった。いつも学期の最初は緊張しながら学校に帰ってきて、久しぶりに友達に会うと少し気まずくて、でも気づいたらみんなでふざけていて盛り上がっていた。しかし、いつもの学校生活が始まると忙しく、朝起きたらベッドメイクをして、体操に行き、礼拝にも出る。授業が終わったと思ったら、放課後はたったの2時間。その間に運動したり、勉強したり、シャワーを浴びる。夕食が終わればすぐに自習が始まり、寝る時間すら決められている。そして同じような毎日が繰り返されていく。はっきりいって辛かった。でも、そんな毎日の中で誰かと話したり、一緒にふざけたり、笑ったりする時が沢山あった。当たり前のことかもしれないけど、僕はそんな当たり前の事が楽しくて、楽しくて、だから僕はこの学校での生活を最後まで遂げることが出来たのかもしれない。僕はそんな立教英国学院が心から大好きだ。
この学校に帰ってくる卒業生は必ずこう言う。
「立教で出会った仲間はかけがえのないものだ」
「立教での一日一日を大切に過ごしてください」と。
今になって僕はこの言葉が持つ大きな意味を知ることが出来た。

最後に。1年を家族よりも一緒に、長く過ごす立教の先生方。迷惑を沢山かけたと思いますが、最後まで温かく見守って下さってありがとうございました。特に倉品先生は5年間本当にお世話になりました。
お父さん、お母さん。僕をこの学校に入れてくれてありがとうございました。立教で得たものはきっと何にも代えられない大切な宝物です。
そして、立教生のみんな。立教で出会った仲間はかけがえのないものですから大切にして下さい。そして一日一日を大切に過ごして下さい。今はその言葉の意味を知ることができなくてもいいです。立教を去るときに、「ああ、そういうことだったんだな」と、思えれば充分です。
長くなりましたが、これでスピーチを終わりたいと思います。
立教英国学院。本当に長い間お世話になりました。さようなら。そしてありがとう。

本日はみなさんご卒業おめでとうございます。また、保護者のみなさま、先生方、関係者のみなさま本当におめでとうございます。

思い起こすと、私は30年程前に高校を卒業し、当時の校長先生から卒業証書をもらい不安もありながらも期待と夢で胸がいっぱいだったことを覚えています。
その後、大学に入り一人暮らしを始めました。私が人生で最初に「立教英国学院」のお名前を聞いたのはその時に、「立教英国学院」出身の同級生がいたときです。はっきり言って本当にびっくりしました。その人は英語がすごく上手で、礼儀正しくて。立教英国学院ってどんな学校なんだろうと思い、その時から興味津々でした。卒業後、外務省に入りました。やはり、そこにも立教英国学院の卒業生がいました。立派で、頭も良いし、英語ができるし、礼儀正しかったことを覚えています。一度立教英国学院に行ってみたいなと思っていました。
実は本日、立教英国学院に初めて参りました。到着して車を降りてすぐ、生徒さんが私に挨拶をしてくれました。たまたまそこにいただけの人だと思いますが、案内をしてくれるのです。この人は礼儀正しく、親切だなと思いました。おそらく、立教英国学院でそういう教育をされているのだと思います。だからこそ社会で大いに活躍されている方が多くいらっしゃるのだなと先ほども改めて感じました。みなさんは、おそらく、高校卒業後、大学に行かれたり、社会に入られたりするのだと思いますが、先ほど須藤さんがおっしゃっていたように、立教英国学院のプライド、誇りを忘れないように、名前に恥じないように頑張ってもらいたいと思います。
先ほど申し上げた通り、私も30年程前に高校を卒業しましたが、当時は夢や希望でいっぱいでこれから頑張ろうという感じでした。高校卒業のみなさんもそういう思いでおられると思います。

今日は2つ申し上げたいと思います。
1つ目は、新しいものをつくる喜びをいつも忘れないでいてほしいということです。私は田舎の雪の多いところの小中高を卒業しました。特に小学生のとき雪が降って朝外に出ると雪で一面真っ白だったことを覚えています。子どもの頃、誰も足跡をつけていない雪に足跡をつけることが喜びでした。そういった新しいものを作る喜びは常に持っていたいと思います。今はみなさんの前に道はなく、みなさんの後ろにみなさんの通ってきた足跡がある、そんな状況だと思います。どっちへ行っても良い、右へ行っても左へ行っても直進してもいいのです。新しい道をつくる喜びを胸に刻んでいてほしいです。どちらに進んでも、最初に経験した驚き、喜びを忘れないで進んでほしいと思います。

2つ目は、新しいことにチャレンジするときに、「そりゃぁダメだ」「こんなの無理、不可能」と思わないでほしいのです。最近の話をすると、小保方さん。みなさんご存知だと思いますが、彼女はスタップ細胞というものを発見されました。簡単に言えばひとつの皮膚の細胞が他の細胞にならないというのが生物学の常識。彼女はそんなことはないと考え、刺激を与えることでこの細胞が皮膚ではないものにもなると発見しました。例えば大火事によって負傷してしまった皮膚もこれによって治療可能となるのです。最初は生物学の先生方に、「信じられない」「非常識だ」「生物学をばかにするな」と言われ、有名な生物学の雑誌への論文の掲載も拒否されました。彼女は当時誰にも信じてもらえなかったことが一番辛かったと言っています。でもそこで負けず、その研究を続け、デートの最中にまで研究のことを考えるくらいまで熱心に取り組んだそうです。

ここまですごくはないのですが、私も最近大使館で総領事として同じような経験をさせていただきました。最近の例で言いますと、イギリスの運転免許証への切り替えが、これまで、イギリスのウィンブルドンのオフィスでできましたが、このオフィスが閉鎖され、ここからだと2、3時間掛かる本部に行かなければならなくなりました。または、郵送での手続きが可能ですが、郵送での手続きをすれば、パスポートが2、3週間も戻って来ない状態となります。最初はイギリス政府が決めたことに何を言っても無駄だと思いました。しかし、「長期間、パスポートがない状態は困る」「何とかしてほしい」という声を何件かもらい、イギリス政府に交渉をしました。ウィンブルドンでの手続きができなくなったのは、国によっては偽造パスポートが使用されるので、しっかりと確認をしなければいけないということが理由だと分かりました。日本人には偽造なんてする人はいない、真面目にしっかりやってる人たちですからと説得し、最終的に、大使館で発行するパスポート所持証明書を用意することで、パスポートの郵送は不要となりました。3月中旬くらいからこの制度は適用されるので、メリットを感じてもらえることと思います。最初は無理だと思いましたが最終的には上手くいったという一つの例です。

最後になりましたが、改めまして本日は本当におめでとうございます。

今学期の小学部6年生の国語では鑑賞文を書きました。
「まだ絵を見たことがない人に、まるで目の前で見ているように言葉で説明していこう」
と、題や出だしなども工夫して苦戦しながらも立派に書き上げた生徒たちの作文を紹介します。

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小学部6年 国語 「鑑賞文を書こう」第3回

「不思議な音楽隊」

「カチ・カチ・カチ・カチ」
メトロノームの音が聞こえてくる。ほら、よく耳をすましてごらん。色んな楽器の音が聞こえてくるだろう。あの暗い部屋の中をのぞいてみよう。
暗闇の中に三人の男達が楽器を演奏しているのがみえるだろう。手が小さく顔が四角い男や、がたいの良い青い顔の男、そして三人の中でも一番スーツの色が明るい、顔がどこにあるのかわからないとても不思議な男たちが描いてある。色を九色しか使わず、全て形で表現して書いてあるだろう。

分かりにくい絵だからこそ、とても興味深いこの素晴らしい作品は、この絵しかないだろう。じゃあ、左端にいる男の下を見てごらん。イスの下にイヌがすわっている。きっと自分たちの演奏している所について来たかったんだろう。

右端にいる男は、すごく大きい口をあけているのがわかるだろう。おそらく歌を歌っているのだろうか。
この男たちはすごく真けんに練習しているのが分かるかい?左端の男は特に真けんな表じょうをして笛をふいている。すごく、このミュージカルに気合いを入れているんだろう。
この絵をえがいた作者は、不思議なことに、すべて形で表現しているのにもかかわらず、その形が人の顔になるように、楽器になるようにとすごく上手にこの男たちの絵がえがけている。今のマンガなどは、人をそっくり似ているようにえがくが、この絵はそうではない。しかし、とても自由な感じがして、作者の個性がわかるだろう。

すごく印象に残り、とても個性的なのがこの絵の良いところなのだ。昔の人もそのようにこの絵を見てきたから、今のこの絵が現代の人に見られるくらい有名になったのだろう。

(小学部6年生 女子)

今年の3学期は、異常と言われるほど、雨が降り、野外研究会の活動をしようと思っても天気が悪くまったく活動できないのではと心配していた。ところが奇跡が起こり、2月16日の日曜日は無事に晴れて、野外研究会に絶好の天気となった。期末試験が近づくにつれてたまっていくストレスを一気に解消できるチャンスである。

ミニバスで向かったのはイングランド南方の海岸、立教からだいたい40分くらいかかるワージングである。僕は過去に3回訪れたが、海に入って遊んだり、海岸で貝殻を拾ったりした楽しい思い出がある。

海はここ数日の雨の影響で少し濁っていたが、太陽の光が海を照らす輝きが、言葉には表せないくらい美しかった。そして、寄せてくる波の音は僕を爽やかに落ち着かせ、波とともにストレスが引いていくようで、すごく気持ち良かった。そして、遠くを見渡すとぐるっと180°水平線が見え、地球が丸いことが感じられた。日本ではこんなに水平線が見渡せる海に行ったことがない。

イギリスは静かで、自然が豊富、そんな素晴らしい環境で活動できるのがうれしい。来年度も、みんながもっと楽しめるような活動をしていきたい。

(中学部3年生 男子)

今学期の小学部6年生の国語では鑑賞文を書きました。
「まだ絵を見たことがない人に、まるで目の前で見ているように言葉で説明していこう」
と、題や出だしなども工夫して苦戦しながらも立派に書き上げた生徒たちの作文を紹介します。

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小学部6年 国語 「鑑賞文を書こう」第2回

「雲の上の神様」

「ヒュー、ゴロゴロ」
灰色の雨雲の上で、風神と雷神が地上に風を吹かせたり、雷を落としたりしているようにみえる。

風神は、両手にハンモックのようなものを持っていて、黒と白のようなズボンを着ていて、はだの色が緑で、つのが頭の真ん中に一つある。この時はきっと向かい風が吹いていたから、風神と雷神のかみが逆立っていて、肩にかかっている白と黒のヒモがヒラヒラしているんだと思う。雷神は周りにでんでんだいこがあって、手にそれをたたくためのバチのような物を持っている。つのは一つでつめは銀色で緑のズボンのようなものを着ている。風神と雷神はまゆげとひげの色が白いから、きっと老人なんだと思う。

この絵を見ると、まるで風神と雷神が雲の上から地上に風を吹かせたり、雷を落としたりしているように見える。だからこの絵を描いた人は天気がコロコロ変わっている日に雲の上に風神と雷神がいて、天気を変えているということを想像して、この絵を描いたと思う。
風神と雷神が乗っている雲は灰色で、書き方が線じゃなくて、すらーっと書いてある。だからこの絵を描いた人は、きっと自由な心を持っていたから、雲の上を想像して、風神、雷神が書けたし、すごい雲が書けたんだと思う。

こんな風神と雷神がいつも雲の上で私たちのことを見守りながらも長い間働いているから、今まで天気がコロコロ変わったりしていたと思う。だから風神と雷神が休んでいる日の方が、私は気分が上がるので、風神と雷神が休んでいた方がいいと思った。

(小学部6年生 女子)

3月15日、東日本大震災追悼礼拝がロンドンのサザーク大聖堂で行われました。
震災から3年目をむかえた今回の追悼礼拝には、日本聖公会東北教区より加藤主教が来英して、英国国教会のイプグレイブ主教とともに式を執り行いました。カンタベリー大主教からも被災地の方がたに対して暖かいメッセージが寄せられました。

来賓として林駐英日本国大使およびサザーク市長も出席され、たくさんの在英日本人、英国人が心を一つにしてともに祈りを捧げました。

本校からも、林チャプレンが司式に参加、棟近校長が被災された磯山聖ヨハネ教会の三宅行氏からのメッセージを英語で朗読しました。また高等部2年の女子生徒2名が、式の中でキャンドルを捧げました。

聖ヨハネ教会の三宅行氏からのメッセージはこちらでご覧になれます。

文章のジャンルは物語、随筆、詩などありますが、今学期の小学部6年生の国語科では鑑賞文を書きました。

まずは、教科書での単元「『鳥獣戯画』を読む」を読み、作者が鳥獣戯画のどこに注目し、またどんな言葉で作品を評価していたりするのかを調べていきました。
初めて絵を見た時は、「うさぎがいる」「かえるがいる」「うさぎとかえるがすもうをとっている」だけしか言えなかった生徒たち。
しかし、読んでいくと、作者は線の描き方や背景に注目していたり、またうさぎの耳の先やふさふさした胸、かえるの背中の筋肉に注目していたりと、もっと具体的でした。
そこで、「まだ絵を見たことがない人に、まるで目の前で見ているように言葉で説明していこう」と指導していきました。
そうすると、「かえるが「やってやった!」と言っているみたい」「かえるがすもうで勝ったことに仲間のかえるが大喜びをして、笑い転げている」「背景にあるくぼみは丘を表しているのか」
などの意見が出てきました。

「『鳥獣戯画』を読む」を読んだ後は、自分たちで実際に鑑賞文を書いてみました。
小学6年生は3人ですが、2人は「風神雷神図」もう一人は「三人の音楽師」を選びました。
初めから作文を書くのではなく、まずは絵を細部まできちんと見るよう、気づいたことをたくさんメモさせました。
また、気づいたことから、それについてどう思うか、など一歩進んだ考えを促しました。
メモが出来上がったら、文章の構成をどうするかを考えさせました。

元々あまり作文が得意ではない子が多かったため、まとめには苦労し、みなでどうしたらまとまるかを話し合ったりもしました。
また、題や出だしなども工夫するよう指導しました。
苦戦しながらも、書いた生徒たちの作文を3回に分けてご紹介します。

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小学部6年 国語 「鑑賞文を書こう」第1回

「風神の姿」

この絵には見所がたくさんあります。僕は風神を中心にして考えました。主に大きく分けると四つの項目に分かれます。
一つ目は、オニのうでや足についてです。両手には白い布(ハンモックのような物)を持っていて、両かたには黒く細長い布を付けています。両手首には金色のリング、両足首には少し大きめの金色のリングをはめています。そこで僕はなぜ手、足にリングをはめているのか疑問に思いました。

二つ目はオニの顔です。まゆ毛は太くて白く、目については、瞳孔は黒くて小さいが、白目の部分は黄です。鼻が少し高く、耳も大きいです。額には角が一本生えていて、太く黒色、かみの毛は金色だけれども約五本おきに黒色もあります。口周りにはひげが生えていて白く、あごひげは少し長く白いです。口元は笑っていて、歯は白いです。そして、その他全部緑色です。

三つ目は、オニの行動です。笑いながら走っていることから、「風を起こすぞー」と言っているのだろうと思いました。雷神の方は、「雷=たいこ」と感じたので、ばちのようなもので何かをたたいて雷をおこそうとしているのではないかと感じました。

最後の四つ目は背景です。絵を見ていると、全体が四等分されていることに気づきました。なのでこの背景は、きっとびょうぶで描かれていたんだろうと思いました。黒い線がはっきりとあり、折り目のようになっていたので、そう思いました。

これらのことから、風神の顔はおじいさんのようなのに、筋肉がすごくあるのは、いつもこうやっていつも笑いながら元気に風を起こして、僕たちのために働いていてくれているからなんだろうと思いました。

(小学部6年生 男子)

本校の音楽教育を30年以上に渡って導いてきてくださったメンデルスゾーン先生が今学期をもって退職されました。

メンデルスゾーン先生は、1976年にピアノの先生として立教での教員生活をスタート、以来38年間にわたり、持ち前のパワフルでエネルギッシュな人柄で、本校の音楽科を率いてきました。

1977年の創立5周年記念コンサートに始まって、一昨年の創立40周年記念コンサートまで、5年の節目ごとにロンドンのクィーンエリザベスホールやウィグモアホールなど、由緒あるコンサートホールでのスクールコンサートをプロデュースし、普段の授業はもちろん、学期末のスクールコンサートや地元の音楽祭への参加など、その情熱で常に本校の音楽活動を支えてきたメンデルスゾーン先生。現役の生徒はもちろん、多くの卒業生達も彼女の音楽に対する熱い思いに共感し、本校での音楽活動を満喫してきたことと思います。

引退にあたり卒業終業礼拝で生徒から綺麗な花束が渡され、スタッフ一同からは置時計のプレゼントがありました。そのお礼の手紙がメンデルスゾーン先生から届きましたので、以下にご紹介します。

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Dear Headmaster

Thank you for the enormous and fabulous bouquet of roses presented to me on Saturday. They are my favourite colours and so beautifully arranged and so many there! I could hardly carry them!

I was so touched by the lovely card and messages from everyone and quite overwhelmed by the fantastic gift of a carriage clock. It is something I have always admired, but never owned, or thought I ever would, and the engraving on the back makes me cry each time I read the lovely message.

Please thank EVERYONE for this most generous gift, which I will treasure forever, along with my wonderful memories of working with you all at Rikkyo. It has been such a privilege.

All best wishes

Sincerely

Brenda

私は立教英国学院のおかげで、いろいろな事を学ぶことができました。
例えば、オープンデー。意見の食い違いでもめたり、うまくクラス全員がまとまらなかったりで、大変な時もありました。でも、お互いが助け合ったり慰め合ったりして、完成させた時は嬉しかったし、今まで感じたことのない達成感を味わえました。そして中3の団結力の凄さと助け合いの大切さを感じました。
また、朝起きてから夜寝るまで一緒にいる友達は、お互いがお互いのことをしっかり理解していると思います。最初は拒絶されている感じがして話しかけにくいオーラを放っている人でも、話してみたらすごく優しくて心の広い人だったり、普段はしっかりしていて強い印象の子でも実は弱いところもあったりして… こんなに一人ひとりの事を自分がわかっている事にも驚くし、逆に私のことをわかってくれる人も多いのではないかと思います。
そして、友達の勉強や部活への日々の努力を見ていると、自分の甘さを感じたし、日本に帰っても負けないように頑張ろうと思いました。
このように立教英国学院で学んだ事はたくさんあったし、ひとつひとつが深かった気がします。
立教英国学院の友達や先輩、先生方、この学校に来るきっかけをくれた香蘭、来させてくれた両親に感謝します。ありがとうございました。

(中学部3年生 女子)

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