ミレースクールとの交換留学は、様々な経験と、第二母国語の楽しさを教えてくれました。

ロンドンに住んでいた頃は何度かサマーキャンプに参加して色々な国の子と英語で話していましたが、今回は五年ぶりの体験で緊張しました。けれど一日も経つとかなり仲良くなるもので、頑張って拙い文法知識を駆使して、今思うとお互いに質問攻めのようなものをしていました。私のバディは生まれがフィリピンでしたが、イギリスに移り住んで長いので、クイーンズイングリッシュが板についていました。少し大人しく控えめな子でしたが、途中から軽い冗談も言ってくれるようになりました。

今回私が交換留学で感じたことは三つあります。一つ目は、文法についてです。文章の構成や文法、更には冠詞に至るまでぬかりなくチェックを入れるのが日本の教育です。確かに書く分には正確さが問われます。しかし友達を作る、という目的の上では、必ずしも文法的な正確さは必要ありませんでした。もちろんある程度の文法事項は必須ですが、伝えたいことをはっきりと言うと、きちんと理解してくれました。また、訂正や確認をしてくれたことで、きちんと意思の疎通が出来ました。将来のためには正確な英語を使えなくてはいけませんが、気軽に思っていることを話して共感し合うことも大切だと思いました。日本語で言うジョークなども英語にして、ジェスチャーを使いながら話す時間はとても有意義で楽しかったです。特に夕食後にドミトリーのソファーに座って皆で恋愛話やミレースクールにいるギャルの話をした時が、全員が盛り上がって、笑いが絶えませんでした。この時に、言葉は意思の疎通、つまりは伝えるための手段だということを改めて実感しました。

二つ目は、趣味は国境を越える、ということです。私は大のアニメ好きですが、日本のアニメを外国の人が知るわけがないと思っていました。しかし、いざ「何が好き?」と聞かれた時に正直にアニメの名前を答えると、「私もそのアニメ好き!」という驚きの答が返ってきました。日本でもあまり知名度はなく、名前程度しか知られていないアニメを、英国の女の子が知っていたことにとても感動しました。その後はとにかく必死で、飛び跳ねながら感動をわかち合いました。趣味が合う者同士は仲良くなれるというのは本当で、国境を越えて絆を深めた瞬間でした。

三つ目は、彼女たちの決断力のすごさです。プレゼンテーションのパワーポイントを作る時間がなかったのにも関わらず、完成したのは、彼女たちの決断力が早かったからです。私達は自分の意見を率先して言うことはなく、パワーポイントの背景や内容についても優柔不断で人に任せがちです。一方で、彼女たちは内容を次々に決めて、どんどん打ち込んでいきました。意見を自分から出して物事を進めていく彼女たちを見て、驚きと共に自分もそういう風になりたいと思いました。これはほとんどの日本人に共通したことだと思いますが、怖気づくことなく自らが意見を出していくということは、日本の学生の大きな課題の一つではないでしょうか。

以上が私が学んだことです。けれど彼女たちとの生活や会話の中で気付いたことはまだまだたくさんあります。恋愛話は全員が盛り上がること、日本人と違ってお腹から声を出し歌うこと、可愛いという単語が好きなこと。数え出すときりがないのですが、これらの会話を全て理解して楽しめたことが一番嬉しかったです。また、普段使わない英単語がさらっと出てくると、自分の物になった気がしてとても嬉しくなりました。今回の体験は、五年前とは違い、進歩した英語力と、五年前と同じ「一緒に同じ時間を楽しむ」ことの楽しさを与えてくれました。国が違えど、言葉が違えど、楽しく色々な話をして笑い合うことの出来た貴重な一週間でした。

(中学部3年生 女子)

私にとってこの1年間は、中学生活で最も充実した1年だったと思います。初めて親元を離れ、しかも遠い異国の地で1年間寮生活を送ったことは一生の思い出にもなると思います。
最初のうちは寮生活を過ごしていて、不安や困難なことが多くありましたが、やはり寮生活だからこそ出来ることがあるのだと、気づかされました。同学年との関わりだけではなく、先輩や後輩とも話す機会があり、より一層友情を深めることが出来ました。また、多くの行事の為に、クラスの団結力が深まり、一つ一つの行事を精一杯行うことが出来ました。
1学期が始まって少したった頃、私は家族や周りの人々の大切さに気づきました。一人で過ごしていると、不便なことが沢山出てきます。そういった時に、いつも世話をしてくれていました。私は、日常過ぎて気がつかなかった家族の支えがあったからこそ、今まで歩んで来れたのだと思い、家族に感謝し、もっと自立しようと思うことが出来ました。
立教に入学して、始めのうちは長いと感じていましたが、どんどん時間が過ぎていって、気がついたら卒業式を迎えていました。本当に1年とは思えないくらい色々なことがあったこの立教生活。友達とのしょうもない笑い話から、悩んで苦しかった事まで、すべてを心に刻み思い出にして、これから始まる新学年となる自分に勇気を与えていきたいと思います。人は、どの場所でも、どんな時でも、誰かに支えられているのだということを学びました。この1年間、本当に楽しかったです。

(中学部3年生 女子)

2014年度9月編入学試験要項が発表されました。 詳細はこちらから

出願期間:2014年6月12日~6月20日(必着)
募集人数:小学部5/6年、中学部1/2/3年、高等部1/2年それぞれ若干名
選考方法:一次:書類審査、二次:筆記試験、面接
選考期日:日本受験:2014年7月6日 (日)於 立教大学
英国受験:日程は1次試験合格後相談

私は1年間だけ立教生として中3を過ごしました。私にとってこの1年は長く、短く、重要で大切な1年間でした。
私が立教に来た時 ー 今思えばすごく前のように感じます。会ったばかりの人と一緒に寝て起きて、一日中誰かと一緒に過ごす生活。初めての経験でした。自分では自立しているつもりだったけれど、最初はすごく辛かったです。
立教は一人の時間はほぼありませんが、その代わり必ず周りに誰かがいました。辛い事も乗り越えられるくらい楽しいことを作り出してくれる人達が周りにいました。
最初の行事である球技大会。当日まで放課後を使って毎日練習しました。シャワーダッシュとか大変だったけれど、練習が先輩や同学のおかげで楽しくて、当日の達成感はすごく大きかったです。
年間の大イベントであるオープンデー。起きてから寝るまで、ずっと作業をしなければならなくて、体力的にも精神的にも疲れる毎日でした。憂鬱になりながらも皆で励ましあって出来たオープンデーは最高でした。
そしてとにかく毎日が楽しくて、その全てが周りの人がいないと成り立たなかったです。楽しくて自分でも笑ってばかりだったなと思います。
立教では、人との関わりの大切さとか、外国人との関わりとか、大家族での生活、沢山の経験をしました。でも、自分にとって一番得たものは友達だと思います。この1年、感謝してもしきれない位助けられました。立教の友達が本当に大好きです。いつも親みたいに陰で支えて下さった先生方にも感謝し尽くせないです。本当にありがとうございました。

(中学部3年生 女子)

立教英国学院では、3月11日の朝の礼拝で、東日本大震災を覚えて、春期補習で学校に残った生徒たちで黙祷をささげ、被災された方がた、故郷を離れて生活する人々のために祈りました。すべての犠牲者、そして世界各地の災害や争いの中で生命を失った人々に、永遠の安らぎがありますように。

*   *   *

「東日本大震災を覚えて」特祷

慈しみ深い神、慰めの主よ、3年を経た東日本大震災を覚えて祈ります。どうか、被災地にある人、避難生活を強いられている人、特に日本社会の中で生きることの困難に苦しむ人、将来の希望を見い出せない人を支えてください。

また原子力発電所事故により、失われた自然と人々の生活を覚えます。故郷を離れて生活する人、危険な作業に従事する人とその家族をお守りください。
そして政治と社会に責任を持つ人々に正しい道を歩ませてください。

わたしたちもまた、これらの苦難をつねに覚えることができますように。日本聖公会「いっしょに歩こう・パート㈼」の働きを強めてください。そしてわたしたちも思いと力を合わせて、共に歩み続けることができるように導いてください。

いのちの源である主よ、東日本大震災のすべての犠牲者、そして世界各地の災害と争いの中で生命を失った人々を、あなたのみ腕の中に抱き、永遠の安らぎを与えてくださいますように。
主イエス・キリストのみ名によってお願いいたします。アーメン
(2014 年2 月 日本聖公会主教会)

3月8日(土)に卒業終業礼拝が行われました。この礼拝はその名の通り、終業式と卒業式を含みます。今年度は小学6年生が3人、中学3年生が29人、そして高等部3年生32人が卒業を迎えました。卒業証書をもらう一人ひとりの姿には、入学して以来の「成長」が改めて感じられました。日本国大使館の川村総領事と校友の須藤理事からご祝辞をいただき、ホーシャム市議会議長からは日英交流に寄与した生徒の表彰がありました。

この日は卒業式ということで特別に地元の教会の牧師さんたちも参加、ラジウィック村のMARTIN KING牧師 にまずは卒業の祝祷をあげていただきました。そして、卒業生代表のスピーチが各学年で行われ、それぞれの立教生活を送ってきた日々を振り返り、懐かしい思い出が語られました。最後に、今年度をもって卒業・転学する生徒と退職する先生のために、クランレイ村のROY WOODHAMS牧師から送別の祈祷をしていただきました。たくさんの思い出を共有した友達、先生。特に立教は、一日を生徒も教員も共に過ごすだけに、その思い出は濃いものです。離れていく人、そしてそれを見送る人。それぞれの思い出と別れのさみしさを胸に、卒業終業礼拝は幕を閉じました。

気持が、思っていることが、一つ一つ全て伝えることができないことは、こんなにももどかしいなんて。今回の交換留学で切に感じたことである。

私はフィービーという15歳の女の子とバディを組んだ。私より一つ年下とはいえ、180cm近い身長と、私たちから見たらとても大人びた顔立ちで、むしろ年上に思えた。自己紹介など一通りお互いについて話した。彼女はベジタリアンなのだそうだ。厳密にはペスカトリアンと言い、魚も卵も食べるそうだ。そして私の頭には「一週間の野菜生活か…」その思いが真っ先に駆け抜けた。どうやら豆もすごく食べるらしい。

彼女たちをドミトリーに案内し、彼女のアンパッキングが終わるのを待った。彼女は二人の兄がいるせいか気がしっかりしている印象で両親との別れも意外とあっさり。

今から全く知らない異文化・人の中での生活が待ち受けているのに、ものともせず、むしろとても楽しみにしているようだった。私たちにとってはこれほど安心なことはないが、私が果たして同じような振る舞いや思いで向こうに行けるか…。ちょっとあやしい。今から迎える側での交換留学が始まろうとしているのに、もう向こうでの心配を…。彼女たちの方が不安がるはずなのにむしろ逆の立場である。これがお国柄というものなのか。

学校案内を終え、夕食。私たちは立教・ミレー特別テーブルで一週間昼・夕食を共にした。どの食事も隣のテーブルマスターの先生ににらみを効かされそうになるほど盛り上がった。やはり人は食事を通してコミュニケーションをするんだな、と改めて思った。

ゆかたの試着からのり巻き作り、茶道、フラワーアレンジメントなどのプログラムではもちろん彼女たちはとても喜んでくれたし、私たちも楽しむことができた。だんだんと両者心の余裕が出てきて、会話もどんどん「友達のおしゃべり」になった。学校のこと、友達のこと、家族のこと…いろいろなことを話した。

食事の席やスピーキングの時間でどんどん会話は盛り上がるようになり、どんどん話したいことがあふれてくる。と同時に、早くこの同じ気持を共有したいという思いが強くなってくる。そして伝えようとする。でも伝わらない。私のまだつたない英語力と全世界共通の身振り手振りで奮闘する。相手の子たちも理解しようと努力してくれ、伝わってはいるのだ。でも、伝わってはいない。会話が日に日にどんどん弾み、もっと打ち解けたい。その思いに比例して私が伝えたいニュアンスが伝わらないそのもどかしさは増えていく。通り一辺の、簡単な英語になってしまう。言葉が足りない。言葉が欲しい。この思いを伝えたい。こんなにも言葉がいとおしくて、遠い存在に思ったことなどなかった。自分で思っていることが言葉で表現できず、理解してもらえないことが悔しかった。語彙力が足りない。もっと、もっと表現するための語彙力が。

葛藤を抱きつつ、一週間が過ぎた。最終日。彼女は、とても寂しい。帰りたくない。何度もそう言ってくれた。しばしの別れを噛み締め、どこか重いその空気に酔いそうだった。初めは不安だった。何もかも。でも、こうして今、わかりあえている。確信をもってそう思えた。

彼女の両親が迎えに来た。彼女は気丈に振るまっていたけれど、目が赤かった。
「ありがとう。」
その五文字と温かいハグを残して足早に車に乗ってしまった。彼女の母親が
「涙を見られたくないのよ。またね。」
と笑って手を振ってくれた。
この心にある、気持はなんだろう。再開した時に、この気持が伝わるように、少ししか時間はないけれど、成長した私になってまた目まぐるしい一週間を迎えたい。

(高等部1年生 女子)

 今回私は、初めて大英博物館に行きました。

去年の入学式の前日、父とロンドンを観光をすることになって、観光名所で停車していく二階建バスでまわっていきました。そこで父が、
「パパ大英博物館行きたいんだよね。」
と言ってきて、大英博物館で停車した時に降りました。入口で父と写真を撮ったけれど、私はその時に行くのがすごく嫌になってしまって、父に入るのを断固拒否してしまいホテルに帰ってきてしまいました。

後で父から、
「やっぱり大英博物館行きたかったなぁ。だって入場料タダだし行った方がよかったよ。」
と言われても嫌だと言いつづけてしまいました。

今回アウティングで行く事を聞いて、そのときの父の事が思い浮かびました。すこし私は後悔しました。私はアウティングでいつでも行けるけど、父はもう行けない可能性があるから、あの時行けばよかったと思いました。

実際に行ってみるとモアイ像やミイラがあって父の好きそうなものばかりあって胸が痛くなりました。帰りたいと思いました。時間はあっという間にすぎていってしまい、最後に班の皆でおみやげ屋さんにいきました。そこで父におみやげを買いました。その時私は、決心しました。大人になったらお金をためて父とロンドンに来て大英博物館につれて行きたいなと思いました。

また行く日を楽しみにしています。

(中学部2年生 女子)

今回のアウティングは待ちに待った大英博物館でした。大英博物館は世界でも有名な博物館だけあって、大勢の人がいました。

僕は数ある中でも日本とフランス、イギリス、エジプト、メソポタミア文明を見ました。日本のコーナーには、土偶や国宝がたくさんあったけれど、日本のコーナーの中で一番目についたのが、侍が着る鎧や日本刀でした。数ある中でも、一番煌煌しく、男のロマンを感じました。

エジプトのコーナーではミイラなどがあり、それもまた、煌煌しかったです。
そこでは、世界最古のゲームを見ることができました。このゲームは、「ウルゲーム」といって、紀元前2600年頃の見張り達が暇な時にやっていたゲームです。見張り達が残したただの落書きがこんなにきれいに残っていたのが驚きでした。

またそこには、エジプトの王、エピファネス5世が残した、ロゼッタストーンがありました。ロゼッタストーンには戦の勝利や治水工事、税の軽減など、エピファネス5世がエジプトのために行った数々の業績や、聖職者が受けた恩恵などが詳細に述べられていました。

久しぶりに世界の数々の遺産を見て、これから生まれてくる子供達に教えてあげられたらなと思いました。

(中学部2年生 男子)

まず、バスから降りたら昼食を食べにいった。結局マクドナルドという不健康なつまらない店に入ってしまったが、もう少し散策して良い物を食べたかった。

大英博物館を見学することが今回のテーマであった。博物館の周りのマクドナルドで私達は昼食をとった。

博物館に入ってみると改めてたくさんの物があるのだなと思った。実は大英博物館に行ったのは二回目なのだ。この博物館を見るとイギリスが世界にどれだけ昔から影響を与えていたのか一目で分かる。百聞は一見にしかずだなと思った。

日本よりも国自体の面積も人口も小さく、少ないのにも関わらずなぜこんなに世界に今も昔も影響を与えられたのかとても知りたくなった。イギリス人のこのような所はすごいなと思った。日本の繊細さは世界一だと確信しているが。

日本の展示品のコーナーに行くと国宝だの素晴らしいものがたくさんあった。しかし、外国人はあまり来ておらず、日本の特徴、文化を分かってもらうためにもアピールして外国人をもう少し入れるべきだろうと思った。

一番残念だったことはせっかく物を見てもその価値、どのようにして作られたのかがまったくわからなかったことだ。自分の英語力、歴史の知識はまだまだだと落胆した。でも、これからこつこつと頑張り、また挑戦しに行きたい。

(中学部2年生 男子)

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