大きなトランクケースと、これから始まる立教英国学院での新しい生活への大きな期待と少しの不安を抱えて、未知の世界に飛び込んできた日の事を今でも鮮明に覚えています。
その日からあっけないくらいの早さで2年という年月が過ぎてしまいました。

立教での生活は、新しい何かに飛び込んで行くチャンスが多くありました。GCSEやECの授業、ホームステイ、ミレースクールとの交換留学、英語を使う機会があれば迷わず挑戦してました。それらの 経験を通して分かったことは、英語を使って意思疎通をすることはとても難しい、だからこそ、間違いを恐れずに勇気を出して相手に伝えようと努力をすることが大切だということです。その結果として、英国人と意思疎通ができた時の喜びがもっともっと話せるようになりたい。という私の向上心を掻き立てて行きました。いつしか緊張せずに英国人と話せるようになり、日本と異なった文化を持つ英国人と話すのが楽しいと感じられるようになりました。日本人学校なので、流石に流暢な英語を話せるようにはなりませんでしたが、英語を話す楽しさや、話す勇気を持つ大切さを知ることが出来ただけでも、得たものは大きかったと思います。

イギリス人との交流をしていく中で、「国際人」というの はどれほど英語を上手に話せるかではなく、何を話すか、その中身が大事なのだということ、国際人である前にまず一人の人でなくてはならないと身を持って実感しました。

イギリスにあるということ以外で立教の他の学校と大きく違うところ、それは寮の学校であるということです。朝起きてから、夜寝るまで、四六時中友達と一緒に生活する日々。いつも側に友達がいるのは本当に楽しかったし、立教生たちとの交流が、淡々と繰り返される日々の生活を彩ってくれました。また、学年の隔たりを越えた立教生同士の仲の良さはまさに大家族のようでした。特に食事での和気あいあいとした雰囲気が大好きでした。四六時中友達と一緒に生活していれば、時には、お互いに衝突をすることもあるし、お互い の良いところも、悪いところも分かってきます。そこでどれだけ、相手を許し、受けいれることが出来るかが大切なのだということを学びました。

面白いことに、様々な人との共同生活の中で、自分と他の人の違いを知り、普段家で生活しているときよりも、自分という人間を深く見つめて、理解することが出来たように思います。
日々の生活の中で自分とはどのような人間であって、一人の人としてどうあるべきか、少し分かったような気がします。

この2年間の中で 私の中で何よりも大きかったのは立教生の存在です。楽しい時も、辛い時もいつも一番側にいて、喜びや悲しみを共有してきました。また、日々、努力し成長していく仲間の姿は私にいい刺激を与えてくれました。お互いに切磋琢磨し合える存在でもありました。彼らの存在が私にとって大きな原動力でした。努力することの大切さ、自分の限界を決めないこと、可能性は無限大なんだということ、本当に多くのことを学びました。

立教英国学院で過ごした2年間は、いままで16年間生きてきて、最も濃く、充実した2年間だったと思います。多くの素敵な思い出や、何よりも立教生のみんなや、先生方と出会えたことはわたしにとって大切な宝物です。
立教で学んだ多くのことを胸に、私は立教英国学院で2年 間学んだのだという自信を持って、これからも努力して行きたいと思います。

2年間本当にありがとうございました。

毎年本校の卒業式では、その年にイギリス社会との交流に最も貢献した生徒に対して、地元ホーシャム市の市議会議長より「アンバサダー賞」が授与されます。今年 は、多くの対外試合を通して現地校の生徒たちとの交流に積極的に関わったバスケットボール部の部長がこの栄光に与りました。それに先立って市議会議長から頂いたお話を以下にご紹介します。

*   *   *   *   *
When I arrived this morning with my wife, I realised that although this would be an enjoyable morning, it was also likely to be an expensive morning. This is because coming here today has re-awakened my wife’s interest in visiting Japan.

Speaking to the Headmaster before this graduation ceremony, he asked me whether I would mind the fact that the speeches this morning would be in Japanese. I told him I didn’t mind and that I am sure, even in Japanese, the speeches would be more intelligible than some of the speeches I have to listen to in the Council Chamber!

This has been an interesting weekend for me from the point of view of international relations. Last night, I chaired the annual meeting of the Horsham District Twinning Association in my role as their President. In my speech to them, I welcomed what they did in terms of increasing international understanding, albeit in a small way, and made the point that the answer to many of the problems in the world was not simplistic, bellicose statements that we so often hear from politicians, but an attempt to meet people in a genuine attempt to understand people’s culture, traditions and viewpoint.

This need to work together in a spirit of mutual understanding is the only way forward and is summed up in one of my favourite quotations – being a quote from Thomas Jefferson – ‘We must all hang together, or most assuredly we will all hang separately.’

All of which brings me to the Ambassador prize which is a cup awarded to the student who has made a significant contribution towards improving relations between the UK and Japan. It is my pleasure to announce that the winner is Shinsuke. Shinsuke has been Captain of the Boys’ Basketball team and over the last year has led the team in ten basketball matches against a number of schools in Surrey and Sussex, both home and away. For the school, it’s not just the game that matters, but also the experience of mixing culturally with students during matches as well as socialising following a match. Shinsuke has worked hard to establish lasting friendships with local schools. He is therefore a most fitting candidate for the award.

Councillor Philip Circus
Chairman – Horsham District Council

2年前の4月、この立教英国学院に入学した私はとても緊張していました。初めてイギリスに来たということ、それから、小学5年生から高校3年生までがいる中で、親元を離れて2・3ヶ月生活しないといけないということに不安を感じていました。そんな不安ばかりの私でしたが、そのうち立教生活にだんだん慣れてきて、今は不安どころか、この立教生活をとても楽しく送ることができています。

こうして今、私たちが楽しく立教生活を送れているのは、中学生・高校生の先輩方のおかげです。入学したとき、重いトランクケースを運んでいた私に「大丈夫?」と心配して声をかけてくれて、一緒に荷物を運んでくれた先輩、何も知らない私にテーブルマナーや食事の当番の仕方を教えてくれた先輩。そんな先輩たちがたくさんいて、みんな、不安だった私を励ましてくれているように感じました。とても嬉しかったです。

私が立教英国学院にきて一番印象に残っていることはオープンデーです。5年生の時は、初めは何もわかりませんでしたが、オープンデーに向けてどんな企画をやるのかなど、クラスの意見をまとめてくれた学級委員の先輩や、初めてオープンデー準備期間を迎えた私に、これはどうやればいいのかなど、作業について丁寧に教えてくれた先輩方は、とても優しくて印象的でした。私もいつかこんな風に立派な先輩になりたいと思いました。
6年生のオープンデーでは、チームワークを学ぶことができました。私は背景を担当しましたが、初めはなかなかうまくいきませんでした。大きな紙に思い通りに絵が描けるのか、不安が大きかったです。意見がぶつかることも、やる気がなくなることもありました。そんな時もチームワークがあったから、周りの友だちや先輩とがんばろうと思えたから、いつまでも立ちどまらずに前に進め、素晴らしい企画を作ろうと思えたんだと思います。チームワークを学べた6年生のオープンデーは印象深い思い出になりました。

オープンデーの次に印象に残っているのは合唱コンクールです。合唱コンクールの練習中に、「ここはこんな風に、楽しそうな感じで歌おう。」など、色んな意見を出し合いました。そんなふうに、クラス全員でいい作品ができるように話し合うことに、私はわくわくし、本番に対するモチベーションも上がっていきました。当日もうまく歌うことが出来て、とても楽しく合唱コンクールに参加することができました。

そんな風に過ごしてきた小学校の2年間は、あっという間に過ぎていこうとしています。
来学期からは、小学校を卒業して中学生になります。中学生になると今までとは違った新しい事がたくさん増えて、するべきことが多くなると思います。そうした新しい事に挑戦し、なんでも積極的に参加して、きちんとした中学校生活を送りたいと思っています。
また、中学生になればクラスのメンバーも増えるので、同学年の新入生が入学してきたら、先輩方が私たちにしてくれたように、この立教生活に早く慣れ、新入生が気持ちよくここで生活していけるように新入生の力になりたいと思います。

最後に、2年間という短い期間でしたが、私たちに授業をしてくださった先生方、ありがとうございました。中学生になってもよろしくお願いします。そして、この2年間にお世話になった先輩方、何も知らなかった私にたくさんいろんなことを教えてくださってとても助かりました。ありがとうございました。まだまだ先輩方や先生方に頼ることはたくさんあると思いますが、小学校を卒業して中学生になる私たちを、これからもよろしくお願いします。

 2011年の4月、東北の大震災から1ヵ月後、私は立教英国学院に入学しました。初めて、12時間かけてイギリスにわたり、緊張しつつもウキウキとした気持ちで、立教英国学院の正門をくぐりました。どんなところかは知ってはいたものの、いざ来てみると、雄大な自然、校内に広がるテニスコートと陸上トラックそして、レンガ造りの校舎―全ての景色に家族そろって感動したのを今でも覚えています。中学1年だった私は、寛大な先生と生徒に迎えられ、この立教英国学院での生活をスタートさせました。親がいなくなった時には少し不安な気持ちになりましたが、すぐ同級生の友達ともなじめるようになり、楽しく過ごすことができました。

最初の1週間は、毎日初めてのことばかりでとても大変で、時の流れがすごく遅く感じましたが、徐々にそんな生活にもなれていきました。そんな矢先、私の中学校での初めての行事「球技大会」の練習が始まりました。私は、バスケットボールを選択し、毎日練習に励みました。当時のバスケットボール未経験だった私は、高校生たちの練習についていくのが、すごくつらく、バスケットボールを選択したことを後悔した時もありました。でも、やさしい高校生や中学生の先輩たちに1から教えてもらい、少しずつ出来るようになっていきました。本番も試合に出ることができて、とても楽しかったです。そしてこれが、私がバスケットボール部に入ろうと思ったきっかけになる出来事でもありました。また、中学3年生での球技大会ではバスケットボールの経験を生かし、なんとポートボールのMVPを取ることもできました。そういった意味で、この試合は私の中学校生活の中で心に残る思い出の1つになりました。

2学期に入っての一番の行事はオープンデイでした。中1のときはディズニーとジブリをテーマとした作品、「トトロ・イン・ワンダーランド」でした。オープンデイはみな初体験で戸惑いながらも協力し、なんとか背景を完成させたり、立体的な大きい模型を作ることができました。
中2では、ブラジルのセラードで起きている環境破壊を題材とし、昨年より8人メンバーが増えた20人でスタートを切りました。しかし、始めてみたものの、なかなかみな思い通りにいかず、ぶつかることも少なくありませんでした。一番の見せ場である模型が当日の3日前にこわれたりなど、アクシデントも多く、時に泣き出す友達もいました。しかし、私たちはそういった困難も乗り越えていきました。そうして自己最高となる賞を3つ取ることができ、クラスみなが納得するような作品に仕上げることができました。私はこのオープンデイでクラスが初めて1つにまとまったと感じました。
そして、約1年後、中学校3年になった私たちは、昨年よりも人数が9人増え28人になりました。人数が増えたせいか、テーマがなかなか決まらず、もめることも多くてとても苦労をしました。しかし、テーマの「宇宙」が決まるとみな素早く動き、一人で黙々と作業をしている人や大勢で体育館で背景を描いている人、はりがねで自分の体を傷だらけになるまでがんばって模型を作っている人など、それぞれの役割の仕事を果たすことができていました。また自分の仕事以外の事も手伝い、なんとか本番前日にある程度宇宙空間を完成させることができました。そして当日、たくさんの人に私たちの幻想的な作品を見てもらうことができました。賞は、前回より少ない2つだったものの、クラスの団結力は、今まで以上に大きいものになりました。
またオープンデイの企画で、私は中2の時からダンス企画に入りました。理由は、もともとダンスが得意だったわけではなく、ただ単純に踊ることが好きだったからです。初めはついていくのだけで大変でしたが、やさしい先輩方のおかげで踊れるようになり、本番は2年間ともすごく楽しかったのを今でも覚えています。ダンス企画は、私にとってオープンデイがより良いものになった1つの思い出にもなりました。

私が中2の時の3学期には、「合唱コンクール」が実施されました。私が中学校生活の中で忘れることのできない思い出となったのは、中3の時の合唱コンクールです。私が受験帰国している中、クラスの友達は、練習を進めていました。そのため、ついていくのが大変で、焦りを感じていましたが、クラスの協力もあり、私は完璧に歌うことができるようになりました。
そして本番。舞台下に並んだみんなの顔は緊張でこわばっていました。しかし、ステージの上ではみなが声を出し、今までで一番良い発表ができました。中2の時より10人増え、声量が増し、男子と女子できれいなハーモニーを奏でることができました。先輩や先生からの評価も多く寄せられ、賞も取ることができたので、大成功を収められたと思います。私にとって最後の合唱コンクールをこのように終わることができて本当に良かったです。

他にも百人一首大会では2年連続で1位をとることができました。
私が今まで3年間共に過ごしてきた中3は、にぎやかで個性豊かで、でもやる時はすごく真剣になって何事もこなす、すごく良いクラスでした。男子9人、女子20人という、女子が圧倒的に多い学年でしたが、みな仲良く生活することができました。毎回ホームルームの時には、必ず何かしら注意されたり、たまにとんでもなく授業中うるさかったり、しかし一方で、担任や副担任の先生が大好きな生徒がたくさんいたり、みんながみんなに対して親切で、29人全員、誰と話しても楽しくて笑顔になれる、新入生が来るたびにどんどんにぎやかさが増していく、そんな中3が私は大好きです。このクラスで卒業できてとてもうれしく思います。

私は、中学1年生から3年間立教英国学院で生活してきました。そして学び、色々な経験ができました。中1の時は、英語の授業で外へ出て町の人にインタビューを積極的に行い、英国人の方々と話す恐怖が消えました。週4日のECでも生きた英語を学び、ホームステイも経験し、イギリスを十分に堪能できました。中2の時は、40周年記念コンサートでトランペット奏者として演奏させていただくことができました。改めてこうして振り返ると、この3年間とても充実した日々を過ごすことができたように思います。また、勉強だけではなく、友達の大切さや目上の人への接し方、テーブルマナー、限られた時間で物事をこなしていくこと、時間の使い方などたくさんのことを学ぶことができました。
この立教英国学院での貴重な経験を、高校生になっても生かせるように頑張りたいと思います。私にとってこの中学校3年間の生活は一生忘れられない大切な思い出となりました。中3のみんな、優しい先輩や後輩、そして先生方に感謝を伝えたいと思います。
3年間ありがとうございました。

Hello everyone.

Now, I feel a bit nervous standing in front of such a lot of people and making a speech. But also, I’m proud of myself to be chosen as a representative of High School 3 students.

Today, I’m going to be talking about my experience during my three years here.

First of all, when I came to this school, I was just a 15 year-old boy. At that time, I was filled with hopes and expectations for the future. However, there were lots of things that I had never imagined. For instance, the boys’ dormitory was crazy, and there were teachers as strict as prison guards. This was my first impression of this school. Frankly speaking, I don’t know how many times I wished I had gone to a high school in Japan.

Do you know it is often said that the Japanese are people with no individuality? However, I found, there were many interesting students here. Every student had individual ways of expressing themselves and they tried to demonstrate this. Honestly, due to my selfish and troublesome characteristics, I had many people who were hard for me to deal with; the seniors tended to tease me every time I got into some trouble, the juniors had no respect to the seniors, and my classmates would not be quiet, so sometimes they really annoyed me.

But now, I am deeply grateful to them and this is why: in a big community like a high school in Japan, I wouldn’t need to communicate with everyone; I would be only with people I really like, whereas in a smaller community like Rikkyo School, I have to get involved with everyone including the people that I did not like and, thanks to this, I could expand my point of view and look at myself more objectively. Therefore, I would like to say thank you to everyone that I have been working with in these last three years.

Secondly, this is not about this school, but it is what I’d like to say the most in my speech.
As you know, while we are in this school, we don’t have enough information about what is happening in the outside world. If you go into the world just as you are, you will face serious problems. I had an experience of going to an English school in Wimbledon for 2 months. And there, I had lots of opportunities to discuss customs, politics, economy and so on. I had thought it would be easy at that school until I started; but it wasn’t. In addition, I couldn’t say anything. It was not because of my lack of ability to speak English, but it was simply due to lack of knowledge. Then, I felt a sort of disappointment in myself because I had regarded myself as a person who had extensive knowledge of the world. But I was obviously mistaken. So I thought: I have to study harder to build up sophisticated knowledge and opinion. But this is not only me; you can have the same problem when you go into the outside world.

Finally, I’m going to talk directly to the juniors here. What I want you to do is work hard and play hard. In my case, I have a lot of regrets from the past here because I was lazy. So I don’t want you to make the same mistake. I know you are very busy studying for exams just as I was. However, sometimes it will be useful and enjoyable to study other subjects that you are not interested in. Also, I know many students here who would say “it is boring.” So, why don’t you make it more exciting? It doesn’t matter if you are a bit naughty. You only live once. It is a waste of time not to enjoy yourself.
To sum it all up, I just want you to work as hard as you can and have fun so that you don’t regret anything.

This is all I would like to say in my speech. So, all that remains is for me to thank you for listening.

只今ご紹介に預かりました本校8期生で理事の須藤です。

本年度本校を卒業される生徒の人数は、小学校の部で3名、中学校の部で29名、そして高等学校の部で32名と伺っております。小学生と中学生そして高校生の卒業式を同時開催するのは本校創成期からの一貫した特徴でもありますが、年齢の異なる皆さんにどのようなお話をするのが良いか、とても悩みました。そこで私自身の小・中・高の卒業式がそれぞれどんな風であったかを思い出しながら、皆さんに対する私なりのメッセージを送りたいと思います。

その前に先日熱戦が繰り広げられたソチ冬季五輪の話を少しだけさせて下さい。ソチ冬季五輪が幕を閉じて数週間が経ちますが、今でも思い出すと目頭が熱くなる場面があります。それは女子フィギュアスケートの浅田真央選手のフリーの演技です。悲願の金メダル獲得に向けて臨んだショートプログラムでまさかの16位。順位が発表され呆然とする浅田選手の顔をテレビで見ながら、翌日のフリーはどんな結果になってしまうのか心配しましたが、逆境を乗り越え、完璧な演技をしてフリーの自己最高得点を獲得、見事六位入賞を果たしました。メダルこそとれませんでしたが、それ以上の感動と勇気を与えてくれました。浅田選手のフリーの演技を見たBBC の解説者も「That was a champion’s response from what happened last night. (まさに王者たるものの反撃だった)」と絶賛していました。失敗をバネに素晴らしい結果を出した浅田選手の精神力と意志の強さに深く感動したのと同時に、苦しい時だからこそ、決して逃げ出すことなく、頑張らなければならないことの大切さを、改めて教えられました。

さて、私の小・中・高の卒業式について簡単にお話を致しましょう。
私が小学校を卒業したのは1980年。その年の夏にモスクワ五輪が開かれましたが、旧ソ連軍のアフガニスタン侵攻に抗議し、西側諸国の大半が五輪参加をボイコットした東西冷戦の色濃い時代でした。そんな中、私は川崎市多摩区の公立小学校を卒業しましたが、卒業式で校長先生から「君たちの青春が始まるのはまさにこれから」と言われたことを今でも覚えております。
次に、川崎市多摩区の公立中学校を卒業したのが1983年。その年千葉県浦安に東京ディズニーランドが開園し、多くの話題を呼びました。父の転勤でロンドンに行くことが決まった私にクラスメート全員で送別会を開いてくれて「イギリスはとても遠い場所にあるのでしょう?」 「ビートルズによろしく!」等々、当時まだ海外に行く人が少なかった時代を反映するような無邪気なコメントを沢山貰いながら、英国に向けて日本を出発したことを覚えています。
そして立教英国学院でのとても充実した高校3年間が終わり、本校を卒業したのが1986年。
日本はバブル期に突入、日本の輸出競争力が突出して日米間で貿易摩擦問題が過熱した時代。
私は2学期の終業礼拝後、大学受験のため本帰国したので卒業式には出席できませんでしたが、終業礼拝で3年間担任をして下さった東先生の感動的なスピーチを聞きながら号泣。終業礼拝後も楽しかった3年間の様々な思い出に浸りながらずっと泣いておりました。これまでの人生の中で恐らくあの日ほど多くの涙を流した日はなかったと思います。
小・中・高それぞれの時代背景そして心に残っている印象は様々ですが、こうして自分が過ごしてきた昔の時代と今の時代を比べて思うのは、今の時代ほど世界がボーダーレス化し多様な人材が求められている時代は他にないということです。そしてこの傾向は今後ますます強まっていくものと予想します。今の世の中では「グローバル人材」の必要性が叫ばれております。この「グローバル人材」に関する公式の定義は存在しませんが、色々な文献を読んで整理してみると、恐らく次のような人物がそれに当たるように思われます。

1、異文化を理解でき
2、英語で自己表現ができ
3、世界を相手にリーダーシップを発揮でき
4、イノベーション(変革)を起こすことの出来る人物

言葉で言うのはとても簡単ですが、これら全てを備えた日本人はまだまだ数少ない状況です。
「明日からグローバル人材になるぞ」と言って、直ぐになれるものでも決してありません。
ただ間違いなく言えることは、本校にいる君たち全員が将来こうした人物になれるチャンスを十分に持っているということ、そしてそのような人物になるためには、今から努力していく必要があるということです。
そこで、4月以降も本校で学び続ける在校生諸君にお願いがあります。
本校で学ぶ君たちは、英国という社会の中で暮らし、英国人と接し、英国文化を毎日肌で感じることの出来る境遇にあります。是非この恵まれた環境を最大限に活かし、異文化に沢山触れて理解を深めて下さい。また、本校在学中に英語力をしっかりと習得するよう努めて下さい。日本で学ぶ生徒と比べて、君たちは遥かに手厚い英語教育を本校で受けております。是非その教育をしっかりと吸収し、確固たる実力を身につけて欲しいと思います。
そして、本校を卒業し4月から大学生となる高校3年生諸君には、次のことをお願いします。

1、本校での生活を一旦リセットし、気持ち新たに大学生活をスタートして下さい。君たちが思っている以上に本校での生活は密度の濃いもので、大学生活とは全く性質の異なるものです。もしかしたら「立教英国学院で過ごした高校生活の方が楽しかった。高校時代に戻りたい」と最初は思うかも知れません。それでも暫くの間は後ろを振り返らず、高校生活よりも更に充実した大学生活を送るぞ、という希望を持って前に向かって進んで下さい。

2、目標を掲げて大学4年間を過ごして下さい。大学に入れば、決まった時間に起床し食事をして床に就く、というような生活は無くなり、かなり自由な毎日が待っています。高校時代の規律正しい生活の反動から日々緩んだ生活を送ってしまうかも知れません。大学4年間を無駄に過ごさないためにも、この4年の間に成し遂げたいと思う目標を定め、その目標に向かって前進して下さい。勉強でもスポーツでも社会奉仕活動でも何でも結構です。大学を卒業した時、「自分はこれを成し遂げた!」と自信を持って言える何かを是非掴み取って下さい。

3、1番目にお願いしたことと少し矛盾するかも知れませんが、立教英国学院の卒業生であることの誇りとプライドを大切に毎日を過ごして下さい。君たちの日々の行為と言動がそのまま世間に映る本校に対する評価になるものと思い、是非とも本校の卒業生として恥ずかしくない行動を心掛けて欲しいと思います。

本校を卒業した後の日々を、どれだけ実り多いものとすることが出来るかどうかで、君たちが社会に出たその後の人生が大きく変わってくるものと思って下さい。そしてこれからの世界に向かって堂々と大きく羽ばたいて下さい。それが、本校でお世話になった諸先生方、そして今日まで君たちを大切に育てて下さったご両親に対する最高の恩返しになると確信しています。
君たちが立派に成長し、立教英国学院の輪を更に大きく広げていって頂けることを期待して、私のお祝いの言葉とさせて頂きます。ご卒業おめでとうございます。

今日は立教英国学院の卒業式。やっと学校を離れられる、と思う人もいれば、学校を離れることに寂しさを感じる人もいるだろう。僕は寂しさを感じている。
今日この日が来るまでは、本当にこの学校に居られるのが最後なのだろうかと、実感が湧かなかった。だが、今この場に立って卒業のスピーチをしていれば、嫌でも実感がわく。本当にこれで最後なのだと。

僕が立教英国学院に入学したのは、中学2年生の時だった。全寮制の学校なんて初めてだし、なにより親元を離れて生活するなんて経験したことがなかった。
そのため、当然緊張していた。学校につき最初に向かった教員室。教員室の椅子で座って待っていると、ある1人の先生がやってきた。その先生はなんともいえぬ威圧を放ち、さらに僕を緊張させた。そう、その先生こそが5年間も僕達のクラスの担任をして下さった、倉品先生だった。倉品先生と両親が話をしているのを聞いている自分。そして最後に先生は僕に向かって、「よろしくね」と言ってくれた。何故だか分からないが、僕はその言葉に安心し、緊張が少し薄れた気がした。だが、もちろん初めから立教生活がうまくいった訳ではなかった。ドミトリーでは友達とけんかしたり、わずか5日程でゲームが没収されたり、入ってきたとき10人しかいなかったクラスでは、女子と仲良くなれず、なんとなくクラスに馴染めないでいた。食事の席では、今でもそうなのだが、食べるのが遅くて周りの人に迷惑をかけていた。だが、立教は容赦ない。もはや、これは伝統なのかもしれないが、立教に入ってきた新入生は大抵元からいた人に嘘をつかれる。コンチネンタルブレックファースト、通称コンチでは、コンチに参加するためにコンチ券が必要だと言われ、追い返されそうになったこともあった。また、ラジオ体操一番乗りを1年続けると、表彰されると言われ、信じて1年間続けたこともあった。当然表彰なんてされなかった。

そんな激動の立教生活を過ごすこと1年半。僕はすっかり学校に馴染んでいた。しかし、その頃僕に思いがけない事件が起きた。それは、生徒会長になりたいと思ったことだった。普通に考えたら、事件でもなんでもないのだが、人見知りで、恥ずかしがりやで、人前に出るのが極端に嫌いな僕からしたら、事件の他なんでもない。別に急になりたいと思った訳ではない。だからと言って、特別な理由があるわけでもなかった。ある一人の先輩と、ある一人の同級生に言われた一言が僕を変えさせたのだ。今思えば僕はその言葉を本気にするほど単純だったが、結果的に僕の生活は充実したものになった。

高校生になった僕は、クラスに20人もの新入生が入ってきたので、不安を感じていた。当然、不安を感じるのは新入生の方なのに、僕は自分が新しい環境に戸惑っているという錯覚を起こした。だが、少し経てば、今のクラスがとても居心地のいい場所になり、更に学校生活が充実した。その分、騒がしくもなり、よくいろんな先生に注意を受けるようになった。そんな騒がしいクラスで3年間。今日は全員揃っていないが、無事に卒業を迎えることが出来た。今思えば本当にここまで長かった。いつも学期の最初は緊張しながら学校に帰ってきて、久しぶりに友達に会うと少し気まずくて、でも気づいたらみんなでふざけていて盛り上がっていた。しかし、いつもの学校生活が始まると忙しく、朝起きたらベッドメイクをして、体操に行き、礼拝にも出る。授業が終わったと思ったら、放課後はたったの2時間。その間に運動したり、勉強したり、シャワーを浴びる。夕食が終わればすぐに自習が始まり、寝る時間すら決められている。そして同じような毎日が繰り返されていく。はっきりいって辛かった。でも、そんな毎日の中で誰かと話したり、一緒にふざけたり、笑ったりする時が沢山あった。当たり前のことかもしれないけど、僕はそんな当たり前の事が楽しくて、楽しくて、だから僕はこの学校での生活を最後まで遂げることが出来たのかもしれない。僕はそんな立教英国学院が心から大好きだ。
この学校に帰ってくる卒業生は必ずこう言う。
「立教で出会った仲間はかけがえのないものだ」
「立教での一日一日を大切に過ごしてください」と。
今になって僕はこの言葉が持つ大きな意味を知ることが出来た。

最後に。1年を家族よりも一緒に、長く過ごす立教の先生方。迷惑を沢山かけたと思いますが、最後まで温かく見守って下さってありがとうございました。特に倉品先生は5年間本当にお世話になりました。
お父さん、お母さん。僕をこの学校に入れてくれてありがとうございました。立教で得たものはきっと何にも代えられない大切な宝物です。
そして、立教生のみんな。立教で出会った仲間はかけがえのないものですから大切にして下さい。そして一日一日を大切に過ごして下さい。今はその言葉の意味を知ることができなくてもいいです。立教を去るときに、「ああ、そういうことだったんだな」と、思えれば充分です。
長くなりましたが、これでスピーチを終わりたいと思います。
立教英国学院。本当に長い間お世話になりました。さようなら。そしてありがとう。

本日はみなさんご卒業おめでとうございます。また、保護者のみなさま、先生方、関係者のみなさま本当におめでとうございます。

思い起こすと、私は30年程前に高校を卒業し、当時の校長先生から卒業証書をもらい不安もありながらも期待と夢で胸がいっぱいだったことを覚えています。
その後、大学に入り一人暮らしを始めました。私が人生で最初に「立教英国学院」のお名前を聞いたのはその時に、「立教英国学院」出身の同級生がいたときです。はっきり言って本当にびっくりしました。その人は英語がすごく上手で、礼儀正しくて。立教英国学院ってどんな学校なんだろうと思い、その時から興味津々でした。卒業後、外務省に入りました。やはり、そこにも立教英国学院の卒業生がいました。立派で、頭も良いし、英語ができるし、礼儀正しかったことを覚えています。一度立教英国学院に行ってみたいなと思っていました。
実は本日、立教英国学院に初めて参りました。到着して車を降りてすぐ、生徒さんが私に挨拶をしてくれました。たまたまそこにいただけの人だと思いますが、案内をしてくれるのです。この人は礼儀正しく、親切だなと思いました。おそらく、立教英国学院でそういう教育をされているのだと思います。だからこそ社会で大いに活躍されている方が多くいらっしゃるのだなと先ほども改めて感じました。みなさんは、おそらく、高校卒業後、大学に行かれたり、社会に入られたりするのだと思いますが、先ほど須藤さんがおっしゃっていたように、立教英国学院のプライド、誇りを忘れないように、名前に恥じないように頑張ってもらいたいと思います。
先ほど申し上げた通り、私も30年程前に高校を卒業しましたが、当時は夢や希望でいっぱいでこれから頑張ろうという感じでした。高校卒業のみなさんもそういう思いでおられると思います。

今日は2つ申し上げたいと思います。
1つ目は、新しいものをつくる喜びをいつも忘れないでいてほしいということです。私は田舎の雪の多いところの小中高を卒業しました。特に小学生のとき雪が降って朝外に出ると雪で一面真っ白だったことを覚えています。子どもの頃、誰も足跡をつけていない雪に足跡をつけることが喜びでした。そういった新しいものを作る喜びは常に持っていたいと思います。今はみなさんの前に道はなく、みなさんの後ろにみなさんの通ってきた足跡がある、そんな状況だと思います。どっちへ行っても良い、右へ行っても左へ行っても直進してもいいのです。新しい道をつくる喜びを胸に刻んでいてほしいです。どちらに進んでも、最初に経験した驚き、喜びを忘れないで進んでほしいと思います。

2つ目は、新しいことにチャレンジするときに、「そりゃぁダメだ」「こんなの無理、不可能」と思わないでほしいのです。最近の話をすると、小保方さん。みなさんご存知だと思いますが、彼女はスタップ細胞というものを発見されました。簡単に言えばひとつの皮膚の細胞が他の細胞にならないというのが生物学の常識。彼女はそんなことはないと考え、刺激を与えることでこの細胞が皮膚ではないものにもなると発見しました。例えば大火事によって負傷してしまった皮膚もこれによって治療可能となるのです。最初は生物学の先生方に、「信じられない」「非常識だ」「生物学をばかにするな」と言われ、有名な生物学の雑誌への論文の掲載も拒否されました。彼女は当時誰にも信じてもらえなかったことが一番辛かったと言っています。でもそこで負けず、その研究を続け、デートの最中にまで研究のことを考えるくらいまで熱心に取り組んだそうです。

ここまですごくはないのですが、私も最近大使館で総領事として同じような経験をさせていただきました。最近の例で言いますと、イギリスの運転免許証への切り替えが、これまで、イギリスのウィンブルドンのオフィスでできましたが、このオフィスが閉鎖され、ここからだと2、3時間掛かる本部に行かなければならなくなりました。または、郵送での手続きが可能ですが、郵送での手続きをすれば、パスポートが2、3週間も戻って来ない状態となります。最初はイギリス政府が決めたことに何を言っても無駄だと思いました。しかし、「長期間、パスポートがない状態は困る」「何とかしてほしい」という声を何件かもらい、イギリス政府に交渉をしました。ウィンブルドンでの手続きができなくなったのは、国によっては偽造パスポートが使用されるので、しっかりと確認をしなければいけないということが理由だと分かりました。日本人には偽造なんてする人はいない、真面目にしっかりやってる人たちですからと説得し、最終的に、大使館で発行するパスポート所持証明書を用意することで、パスポートの郵送は不要となりました。3月中旬くらいからこの制度は適用されるので、メリットを感じてもらえることと思います。最初は無理だと思いましたが最終的には上手くいったという一つの例です。

最後になりましたが、改めまして本日は本当におめでとうございます。

今学期の小学部6年生の国語では鑑賞文を書きました。
「まだ絵を見たことがない人に、まるで目の前で見ているように言葉で説明していこう」
と、題や出だしなども工夫して苦戦しながらも立派に書き上げた生徒たちの作文を紹介します。

*********************************

小学部6年 国語 「鑑賞文を書こう」第3回

「不思議な音楽隊」

「カチ・カチ・カチ・カチ」
メトロノームの音が聞こえてくる。ほら、よく耳をすましてごらん。色んな楽器の音が聞こえてくるだろう。あの暗い部屋の中をのぞいてみよう。
暗闇の中に三人の男達が楽器を演奏しているのがみえるだろう。手が小さく顔が四角い男や、がたいの良い青い顔の男、そして三人の中でも一番スーツの色が明るい、顔がどこにあるのかわからないとても不思議な男たちが描いてある。色を九色しか使わず、全て形で表現して書いてあるだろう。

分かりにくい絵だからこそ、とても興味深いこの素晴らしい作品は、この絵しかないだろう。じゃあ、左端にいる男の下を見てごらん。イスの下にイヌがすわっている。きっと自分たちの演奏している所について来たかったんだろう。

右端にいる男は、すごく大きい口をあけているのがわかるだろう。おそらく歌を歌っているのだろうか。
この男たちはすごく真けんに練習しているのが分かるかい?左端の男は特に真けんな表じょうをして笛をふいている。すごく、このミュージカルに気合いを入れているんだろう。
この絵をえがいた作者は、不思議なことに、すべて形で表現しているのにもかかわらず、その形が人の顔になるように、楽器になるようにとすごく上手にこの男たちの絵がえがけている。今のマンガなどは、人をそっくり似ているようにえがくが、この絵はそうではない。しかし、とても自由な感じがして、作者の個性がわかるだろう。

すごく印象に残り、とても個性的なのがこの絵の良いところなのだ。昔の人もそのようにこの絵を見てきたから、今のこの絵が現代の人に見られるくらい有名になったのだろう。

(小学部6年生 女子)

今年の3学期は、異常と言われるほど、雨が降り、野外研究会の活動をしようと思っても天気が悪くまったく活動できないのではと心配していた。ところが奇跡が起こり、2月16日の日曜日は無事に晴れて、野外研究会に絶好の天気となった。期末試験が近づくにつれてたまっていくストレスを一気に解消できるチャンスである。

ミニバスで向かったのはイングランド南方の海岸、立教からだいたい40分くらいかかるワージングである。僕は過去に3回訪れたが、海に入って遊んだり、海岸で貝殻を拾ったりした楽しい思い出がある。

海はここ数日の雨の影響で少し濁っていたが、太陽の光が海を照らす輝きが、言葉には表せないくらい美しかった。そして、寄せてくる波の音は僕を爽やかに落ち着かせ、波とともにストレスが引いていくようで、すごく気持ち良かった。そして、遠くを見渡すとぐるっと180°水平線が見え、地球が丸いことが感じられた。日本ではこんなに水平線が見渡せる海に行ったことがない。

イギリスは静かで、自然が豊富、そんな素晴らしい環境で活動できるのがうれしい。来年度も、みんながもっと楽しめるような活動をしていきたい。

(中学部3年生 男子)

ページ
TOP