rikkyo school in england9月最後の日曜日、午後の時間を使って全校一斉TOEICテストが行われました。基本的に小・中学生はTOEIC Bridge、高校生はTOEICを受験しますが、中学生でTOEICに挑戦する生徒もいました。

会場は、普段食堂として使用しているホール、図書館、そして教室。ホールは昼食後に生徒みんなでセッティングを行いました。

自分の席に着くと、そこからは真剣そのもの。今年から登録方法も変わり少し複雑になりましたが、監督の先生の言うことをよく聞き、ひとつひとつ確実に記入していきます。

そして、いよいよリスニングテストがスタート。イギリスにしては天気の良い、うららかな午後。昼食後ということもあり、試験前には「寝るかもしれない!」なんて言っていた生徒も、真剣にスピーカーから流れてくる音声に耳を澄ませていました。

TOEICはリスニング45分、リーディング75分の長丁場。(TOEIC Bridgeはそれぞれ半分)集中力を切らさないのが勝負のカギですが、よっぽど集中したのでしょう、試験が終わった後は、どっと疲れた顔をしていました。しかしその中に、やりきったという感じも見受けられました。

2学期が始まってから3週間。この日のために勉強してきた生徒も少なくありません。実力は発揮できたかな?結果が返ってくるのが、今から楽しみですね。

rikkyo school in englandイギリスでの初めての夏休み。私は多くの場所を訪れました。イギリスには、歴史を感じさせる荘厳で豪華な建築物が各地にあります。その中で私が一番感銘を受けたのはカンタベリー大聖堂でした。

カンタベリー大聖堂は英国国教会の精神的中心地でした。私は中学生の時から、聖公会の本拠地を訪れてみたいと思っていたので、こんなに早く訪れる機会が来て嬉しかったです。

ロンドンから車で二時間ほどのカンタベリーは、思っていたより静かで落ち着いた街でした。上品な街並みを通り抜けてゆくと、小さな路地の奥に堂々と構えるカンタベリー大聖堂がありました。中へ入ると、私たちがいつも礼拝を捧げているチャペルとは大ちがい。天井はとても高く、ステンドガラスは鮮やかに彩られ、何と言っても、とにかく広かったです。

奥に進んでいくと、突然暗くなる場所に来ました。私語、撮影禁止で、とても厳粛な雰囲気でした。そこを歩いていると、心の中が少し洗われるような気分になり、落ち着きを与えられたようでした。また、鎧でできた像が数多く展示されていて、殉教者や教会に貢献した人々がまつられていました。

今回大聖堂を訪れて、私たちが学校の礼拝で祈りを捧げているのは、ずっと昔から行われている歴史があることなんだとより深く知りました。

(高等部2年生 女子)

rikkyo school in england

例年行われるスポーツテストが今年度は9月23日の月曜日に行われました。
昼食後、どんよりとした曇り空のもと、小学生から高校生まで全校生徒が中庭に集合。

体育委員の指示のもと準備体操をすませ、早速体育館やテニスコート、陸上競技場へ分かれて移動していきます。
体育館では「握力」「上体起こし」「長座体前屈」「反復横跳び」「立ち幅跳び」の5種目が行われました。
各種目には担当の先生と体育委員が付き、説明や記録をします。

「先生、ほら、見て!去年より10も握力上がったよ!」と小学生。
入口のところでは、3グループに分かれて長座体前屈。この測定に使う道具はコピー用紙の箱と板で作った手作り作品。もう何年も使っています。
計測はそれぞれ2回ずつ。知らず知らずのうちに真剣になっていく生徒達は、いつの間にかまるで「スポーツ」を楽しんでいるかのようでした。

体育館を出ると眩しい光がキャンパスに溢れていてビックリ!さっきまでのどんより雲はどこかへ行ってしまい、テニスコートで「ハンドボール投げ」に挑む生徒達の元気な声が響いていました。
その向こうの陸上競技場では、各学年ごとに50メートル走の計測。2人一組で次々にスタートがきられていました。立教記録の6秒台を出す生徒が今年は出るか??

「本当にいい天気になりましたね!」
最後の種目、「持久走」の為に全校生徒が陸上競技場に集まる頃にはみんなの顔も晴れやかになっていました。
女子1000メートル、男子1500メートルの持久走はそれぞれ2グループに分かれて走ります。
最初からトップ集団に入って予想通りトップでゴールを果たした貫禄の高校3年生もいれば、2学期の新入生が1、2位を独占する女子のグループも…

どのグループも、小学生から高校3年生まで混合で、大きな子も小さな子も皆が一緒に走ります。
男子第2グループでは腰を痛めていた高校2年生が小学校5年生とペースをあわせて一緒に走る微笑ましい光景も見られました。
さすがに途中でペースをあげて離れていったのですが、最終ラップでこの5年生が最後の走者になると、その横に再びこの高校2年生が走る姿が… そして一緒にゴールイン!
「馬鹿だなぁ。」
とゴールのところでタイムを計っていた体育科の先生がポツリと言いました。
どうやらその高校生、1周多く走ってのゴールインだったようです。

4時半終了。すべての種目を終えて帰っていく生徒達の後ろ姿がなぜかとっても格好よく見える夕暮れ時でした。

rikkyo school in england今年の夏も、シャプラニール主催の中高生国際フォーラムに参加した。今回は三回目。私は団体訪問で「ハンガー・フリー・ワールド(HFM)」を選んだ。自分の住む世界である日本もイギリスも言うならば「飢餓」とは無縁な環境にあるからだ。

今回のフォーラムで私の頭の中に強く残った言葉がある。それは「もったいない!(TASTE THE WASTE)」だ。世界には十分な食べ物があるのに、今も八人に一人が “慢性的な栄養不足” “飢餓” に苦しんでいる。この矛盾ともいえる事実に立ち向かい、飢餓のない世界を創るために活動する国際協力NGOのハンガー・フリー・ワールド。私は毎日自分が何も知らず安穏と食べていること、そしてダイエット食品や本がこんなにも店先に並んでいる状況を考えると、何かすごく自分勝手に生き、自己中心的な国に住んでいるような気がしてきた。

飢餓とは慢性的な栄養不足になることだ。世界の飢餓人口は八億六千八百万人。八人に一人が飢え、十二秒に一人が食べられずに死んでいる。十二秒という間隔が正直ショックだった。

私は飢餓とは洪水や日照りなどの自然災害や戦争などの突発的な原因で急に食料が不足して起こるとばかり思っていた。しかし、そればかりではなかった。生産性の低い農業、賃金の安い労働、不公正な貿易の仕組みなど地球規模で課題となっている原因によって、飢餓がなくならないという深刻な問題であることを知った。日本のコンビニでは”三分の一ルール”というのがあって、賞味期限が残り三分の一になったらお店に並べられないから捨てる。毎日たくさんの食べられる食べ物が捨てられている。日本人は平均して一人二個のおにぎりを捨てているらしい。このような私たち、先進国の豊かな食生活の舞台裏とも言える多量の食料廃棄のせいで十二秒に一人、世界のどこかで人が死んでいる。そう思うと本当にいたたまれない思いがした。海外現地でも支援はもちろん重要だが、遠く離れた先進国に住む私たちが食べ物を捨てる食生活を変えていかないと世界の流通や経済の仕組みが変わらないから、飢餓は終わらないという。

世界のどこかで起きている飢餓は「へえ、そうなんだ」で済まされない。考えや行動を変えなければ、次は私達が飢える。二千十一年、ハンガー・フリー・ワールドでは「フードロス・チャレンジプログラム」が始まった。ひとつになって食料廃棄をなくし、飢餓解決の力にする取り組みだ。私はこのプロジェクトの中刻メンバー”生活者”の一人であることを今回、しっかりと受け止めていきたい。

今回、ハンガー・フリー・ワールドを訪問して私は、こんなにも直接的に食を通して世界とつながっていることを知った。だからこれからは “残さずしっかり食べる” “余分な食べ物は買わない” 私にできるほんの少しのことだけど、食物を大切にする気持ちから始めてみたい。

(中学部3年生 女子)

rikkyo school in englandぼくは、今年も茨城に行って来ました。東京から車で約三時間の茨城県の県庁所在地、水戸市の北にある常陸大宮市という山や水田、畑ばかりの田舎町です。ぼくのおばあちゃんの生まれ故郷です。なぜぼくが毎年おばあちゃんが生まれた故郷に行くかというと、ぼくには、そういう『田舎』がないからです。だから、毎年お盆の時おばあちゃんと一緒について行きます。
ぼくは、着いてすぐに水田の脇の用水路に遊びに行くと、UFOが落ちたように、水田のまん中の稲が丸く倒れていました。ぼくは、UFOが水田のまん中に落ちたんだと思いましたが、親せきのおじさんに聞いたら、ぼく達が行く前の週にすごい雷雨があって、稲が倒れてしまったと、教えてくれました。稲は倒れてしまうと穂が水につかってダメになってしまうそうです。刈り入れまでに自然に元に戻るのを待つしかないそうです。
次の日の昼、ぼくは再従姉妹と庭で流しそうめんをやりました。ぼくは、そうめんがあまり好きではないので、うどんをゆでてもらい「流しうどん」にしました。流しそうめんに使う竹がなかったのでホームセンターで買った雨戸いを使って毎年やっています。そうめんを流す係はぼくがやり、うどんを流す係は再従姉妹にやってもらいました。流しうどんはおいしかったです。流しそうめんもおいしかったそうです。その日は、昼ご飯も夜ご飯も流しそうめんをやりました。
夜、庭で花火もしました。花火をやるのに、かいちゅう電灯でてらしていたら、羽ありがたくさん飛んで来ました。そして足元を見たらカエルがいました。なんでこんな所にカエルがいるのだろうと思いながら花火を楽しんでいたら、カエルが羽ありをカメレオンのように、すごい速さでつかまえて食べていました。羽ありが、明るい所によってくることを知っているらしく、カエルもいたんだなと思いました。だから、カエルは頭が良いなと思いました。このことをみんなに話したら、「カエルも害虫を食べてくれてえらい」と言っていました。
今年の夏休みも楽しかったです。

(小学部6年生 男子)

rikkyo school in england日本には今、約180万社の株式会社がある。私達が知っている会社はほとんどが株式会社だろう。でも株式会社とはいったい何をしているのだろう。その謎を解くために、私は「金融体験ツアー」に参加した。

まず、東証アローズ(東京証券取引所)を見学した。ちなみに東証アローズという会社も株式会社の一つである。どのような会社も、新開発や新しい工場を作るために、多くのお金が必要となる。その多くのお金を用意するには銀行でお金を借りる。しかしその方法は利息つきで返済しなければいけないので大変だ。ところが、株式を発行すると返済がいらない。株式を発行することで資産を集めて資金を集めて事業を行う会社を株式会社というのだ。

では株はどこで売買できるのか。株式を売りたい人、買いたい人(投資家)は世界にたくさんいる。しかし自分で相手を見つけるのは大変だ。そこで証券会社は株式の売り買いの注文を取り次ぐ窓口になっている。でも証券会社でも自分で売買の相手を探すのは大変だ。そこでスムーズに株式の取引を行うため全国の投資家からの注文は証券会社を通じて証券取引所に集められる。現在証券取引は東京、大阪、名古屋、福岡、札幌に各一ヶ所ある。どこも日本の産業、経済の中心となる都市だ。その中でも最大の取引所が東京証券取引所で、株式の売買代金は全体の96%を占めている。

次に野村證券に行き株式の取引の見学をした。そこでは、一人でいくつものパソコンを見ながら、チェックをしていた。株価が下ったか、株価が上がったかを予想するのは難しい。
例えばアップル社という、今では超有名な会社がある。昔のアップル社の株価はゼロ。アップル社が人気急上昇になるとは誰も思っていなかった。しかしある一人がアップル社に投資をした。そのお金でアップル社はiPodやiPhoneなどを開発した。そしてそれは世界中の人が誰でも持っている必需品になったのだ。私はその話をガイドの人から聞き、とても感動した。

そしてもう一つお話をしてくれた。それは、ガイドさんの体験談だ。その人は新入社員の時に、アシスタントトレーダーという仕事をしていたらしい。ある時ちょっとしたミスをしてしまった。しかし自分も先輩も上司もそのミスに気付かなかった。二十分後取引きをしている会社から連絡があり、怒られた。たったの二十分間で株価が変わり、自分のせいで三百万円の損失をしたと言っていた。その話は私の中で響いた。少しのミスも許されない。そんな社会に大人達は立っているのだなと思った。どの会社も必死にもうけようとしている。私の父や母も家に帰ってくると、
「今日、株上がったね。」
などの言葉をよく発する。野村證券では緊張感が漂っていた。しかし緊張感が漂っているのは他の会社も同じなのかなと感じた。

最後に、株価が上がった時に買うのか売るのかということを、ゲームを通して私も体験してみた。それはとても難しく、私は大きな損失をしてしまった。一方で、高校生の中に二百万ももうけた人がいた。

「金融」のことについて学ぶことは難しかった。将来は、自分もその立場になるのだなと思うと、気が重くなった。そして、株が今上がっているのか、下がっているのかということに前より敏感になった。

(中学部3年生 女子)

rikkyo school in england1999年の卒業以来初めて立教を訪問しました。
学院内の雰囲気は変わらず、相変わらずの『立教英国』でした。
卒業年度の学級日誌を最初から通して読み返し、当時読み取れなかったものがみつかり色々とよみがえりました。
立教英国はこれからも変わらずこのままであって欲しいと思います。

rikkyo school in england奇妙な臭いの中、人混みにまぎれて汗をかきながら屋台の続く道を必死に歩いた。周りの人たちが何をしゃべっているのかも分からない。そこにいた私と母は、本当に『千と千尋の神隠し』に出てくる主人公・千尋が迷い込んだ世界にいるかのようだった。宮崎駿さんもこの場所から、あのミステリアスな世界を創り上げたというが、私たちは十分に納得できた。
今回の夏休み、私と母は台湾に旅行に行った。やはり、その中でも一番面白かったのは『千と千尋の神隠し』の舞台になったとされる九份であった。九份は台北からバスで一時間ほど行った旧い街である。バスが着く頃、空はまだ明るかった。作品内で舞台になったのは夜の九份の姿だ。

私と母は九份の街中にある、高台の中華料理屋さんに入った。しかしそこまで行くには、ものすごく急な階段を上らなくてはいけなかった。台湾は暑い上に、じめじめとしている。私と母はすでに汗だくになってしまった。
階段を上っていく途中には屋台以外にも普通に家が並んでおり、しかも中に住んでいる人びとが丸見えだった。私だったらこんなに多くの人に見られながら暮らすのは耐えられないだろう、と思った。そして一つ、疑問に思った。ここの近くにはスーパーマーケットなどはないが、どのように暮らしているのだろう?屋台はあるが、生活必需品などを求めて何キロか離れた町に行かなくてはならないのか?そう思うと、私には到底できそうにない生活だった。しかし、おそらくここに住む彼らにも私たちの生活を見てそう思うこともあるのだろう、と考えたら、何とも言えなくなった。

そうこうしているうちに、辺りは暗くなり多くのちょうちんの灯りがついた。いよいよ千尋が迷い込んだ世界だ。屋台に見たこともないようなものも売られている。奇妙な臭いを漂わせている正体は「臭豆腐」という文字通り、豆腐を発酵させてつくった臭いものだ。とにかくここには豚の顔や耳や腸詰めなど、日本や英国では見たことがないようなものがたくさんあった。そうしたものがミステリアスなあの世界を宮崎駿さんに想像させたのであろう。
『千と千尋の神隠し』は今でも世界中の多くの人々に愛され続けている映画だ。その舞台となった九份も地元の人や観光客に愛され、にぎやかで活気のある場所だ。

日本に帰ってきて、私と母は改めて『千と千尋の神隠し』を観た。やはり、九份に行く前とは一味違った。きっと九份に行ったことがない人にしか分からない面白さがあったのだろう。小さなことかもしれないが、私と母はなぜかそれをちょっと自慢したい気持ちになったのである。

(中学部3年生 女子)

rikkyo school in england私はふと思うことがある。それは「幸せ者だな。」ということである。まず第一に今こうしていたって普通の生活をそれが普通であるかのように過ごしていることである。私は幼い頃からガールズスカウトという団体に入り、世界の貧しい国の子どもたちのために募金活動をしたり、自分の使わなくなった文房具などを寄付したりする活動をしていた。だから今こうして作文を書けることも実は”幸せ”の一つだと感じられる。そして私が「幸せ者」だと感じる理由。それは立教英国学院に通っているということだ。今の日本の教育では小中の九年間は義務教育だから公立では授業料はタダ。払うのは給食費だけだ。そして高校も最近では国立ならタダだ。日本はそれだけ教育に対して環境を作っているにも関わらず、日本からわざわざ高い飛行機代を払い、イギリスの立教英国学院まで通わせてくれている。”私はまだ未成年だから親に払ってもらって当然だ” とか “親が行けって言うから。” と昔は考えていた。だけどそれは事実であり誤りである。それは”親がくれたチャンスなんだ。” “愛情の大きさなんだ。”と考えるようになった。中一・中二と学校でも特に目標もなくただ学期を過ごしていた私を怒りたい。でも今さら後悔しても何も変わらない。この失敗をふまえ、しっかり前を向き生きていくことが大事なんだとわかった。だから今では家でも家事も親への感謝の気持ちを込めてやることができる。そしてしっかり勉強してスポーツをして……。毎日を一生懸命生活することが今できる親への最大の親孝行なんだろうと私は考える。

毎日、普通に生活している中で “普通に生活する” ということに幸せを見出すのは難しいことだと思う。だけどそれに気づくと心が成長し、よりよい生活になっていけると思う。だから私は普通に生活している事、それが幸せだという事に気づかせてくれた神様に感謝し、『特別』な環境で生活させてくれている両親に感謝して毎日大切に生きていきたいと思った。

(中学部3年生 女子)

rikkyo school in england1年に1度の記念撮影、全校生徒と教職員が全員で一枚の大きな写真に収まります。200名を超す人数なので朝早くから業者の人がきて足場の組み立て作業が始まりました。ここ数年、生徒の数も教職員の数も増えているので足場の大きさも年々大きくなっていくようです。
いつも変わらないのは写真の中央にいる赤ネクタイの高校3年生達。もちろんメンバーは変わりますが、毎年ここに立つ頃にはしっかりと落ち着いた、学校の大黒柱を思わせる雰囲気が出てくるから不思議です。今年の高校3年生も皆いい顔をしていました。
彼らが中央に並び終わったところで、カメラマンの人が何気なく言った台詞:
「真ん中にいる君達が一番大切だからね。しっかりと背筋を伸ばして並んで下さい。」
意味あり気に響いたこの言葉に「最後の全校写真」という思いを改めて感じた高校3年生も沢山いたと思います。
風もなく、落ち着いた曇り空は「写真撮影」には絶好のコンディション。約15分かけて7段の高さの足場に立教にいるすべての人たちが整然と並んだ光景はなかなか壮観でした。
3回のシャッターが小気味よく切られた後、三々五々それぞれの教室に戻っていくと、灰色の空からはポツポツと小雨が降り始めました。シャッターの瞬間をじっと堪えていてくれたような、優しい雨でした。

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