rikkyo school in england

 

9月14日(土)、イギリスの象徴といえる不安定な秋の天気。
それを掻き消すかのように凛とした、赤、黄色、水色、薄赤紫の4つのフラワーアレンジメント作品。
それらの作品を取り囲み、感嘆や笑みを漏らす地元の人々。

その日はRudgwick Autumn Showがあり、フラワーアレンジメント部の高校2年生の部員が出場しました。
今年初めての試みで、部活顧問の先生や生徒は期待と不安で一杯でしたが、幸い気候はお花にとって適温で、雨も降らなかったため、お花にとっても、生徒にとっても恵まれた日となりました。

前日の夜、
「今日は眠れないかもしれない!」
「明日緊張して何もできずに、制限時間が終わったらどうしよう。。。」
という不安の嵐。

しかし当日は、天気やお花を教えてくれる顧問の先生の暖かさに励まされて、
「よし!」
という生徒の気合がその嵐を吹き飛ばしました。

開催場所は学校から車で15分程のEllens Green Memorial Hall。
会場に到着すると、地元のおじいさんやおばあさん、家族連れなど、老若男女が楽しそうな雰囲気を醸し出していました。
特に会場の隣には小さな公園があり、馬の形のシーソーに乗った子供たちの笑い声で包まれており、とても平和な土曜日を感じさせてくれました。

そのShowでは、地元の人が野菜、手作りのお菓子、絵葉書、切り花、アレンジしたお花などを出展し、審査員が1位から3位まで賞をつけます。
高校2年生のフラワーアレンジメント部員は、キャンドルを用いたフラワーアレンジメント部門に参加しました。

作品の準備の制限時間は1時間15分。
限られた時間の中で、自分の思い描いた作品をどのように完成させるか。
お花という繊細な生き物をどう操るか。
花全体のバランスを自分でコントロールし、見る人をどう楽しませるか。自分の伝えたいものをどう伝えるか。

4月からこのフラワーショウのために、自分でデザインし、自分でお花の種類を決め、週1回の部活の時間や休み時間を割いて準備してきました。

審査の結果、見事本校の生徒が1位、2位、3位を独占。
「よくやったわね。」
「来年の出場を楽しみにしているよ。」
会場の人から声をかけられたり、作品の説明を求められたりしていました。

「説明しようとしたけど、上手く伝わったかわからない。」
「”Thank you”しか感謝の言葉が言えなくてもどかしい。」
生徒が漏らした声には、自分の感情を自分らしく伝えるために英語をもっともっと上達したいという思いが詰まっていました。

フラワーアレンジメントは、紀元前2500年頃古代エジプト人が切り花をテーブルにおいたり、葬儀に使ったことから始まったそうです。
そして紀元1000年頃、ヨーロッパでは人々の心に余裕がでて、フラワーアレンジメントが盛んになりました。
お花は昔から、人の心をほっとさせたり、楽しませたりする力があるようです。
時間に追われる現代人をそっと見守り、心に余裕を与えてくれます。
1日1日の密度が濃く忙しい立教生活に、お花は必要不可欠な存在のようです。

*   *   *

▶▶▶ 地元紙に掲載された記事はこちらでご覧になれます。

rikkyo school in england7月末にブラジルのサン・ルイスとレンソイスへ旅行した。1日目はサンパウロから飛行機で4時間の海辺の町のサン・ルイスへ。ブラジルで唯一フランス人によって築かれた町で、その名もルイ14世にちなんで名付けられたそうだ。ポルトガルやフランスの影響を受けた、当時のタイル装飾が残っている建物が多く、「タイルの町」として有名だ。1997年、この地区一帯が世界文化遺産に登録された。

2日目は、そんな地球規模の絶景を見るために、ブラジルのレンソイス・マラニャンセス国立公園へ。早朝ホテルを出発し、そこからバスで4時間揺られ観光拠点となる町、バヘイリーニャスへ到着。そこから四駆の車に乗り換え川を渡り、ガタガタした道を激しい揺れに耐えながら、約2時間後、レンソイス・マラニャンセス国立公園に到着。
「レンソイス」はポルトガル語で「シーツ」の意味。洗いたての真っ白いシーツのような砂丘が広がっている。砂丘の面積は、東京23区2個分よりも大きい。この砂丘、成分は水晶としても知られる石英が100%を占めている。遠く百キロメートル南に流れるパラナイーバ川の流れによって内陸部の大地から削られた石英が大西洋へ運ばれ、海流によって国立公園の海岸へと流されていく過程で石英以外の混入物はふるいにかけられ、海岸に打ち上げられた石英だけが風速90メートル以上の強風で吹き飛ばされ長い年月をかけ砂丘の姿になった。この公園に広がる広大な砂丘は1月〜6月の雨季に降った雨のため、真っ白な砂丘にエメラルドに輝く湖が現れる。この湖の観光シーズンは雨季が終わった7月から9月の3ヶ月で、10月には湖が干からびてしまう。
年によっては湖が現れない時もあるので、エメラルドの湖を見られてラッキーだった。さらにその美しい湖で泳げて、とても満足だった。また、四駆車で砂の上を約2時間、まるでどこかのテーマパークのアトラクションに乗っているかのような、激しい揺れとジャンプが楽しかった。気の遠くなるような時間をかけて造られた、空と海と砂が創り出す絶景。またブラジルの大自然に魅了されてしまった。

(高等部1年生 男子)

rikkyo school in englandこの夏休みの間、思ったことがある。休みの間に旅行、外出といったことで外に出ることがあり、人の多いところにも行く機会があった。観光地なるところにも訪れた。そこで、目についたもの。「ピースサイン」だ。私も普段何気なく、というよりも、もはや「写真を撮る、ピースサインをする」という一連の動作として体が動くようになっている。しかしふと思い、周りを見渡すと… いない。今まで当たり前に思っていたから余計に不思議に感じた。すると一組の観光客と思われる人々が「ピースサイン」をして写真を撮り合っていて、「写真を撮って頂けませんか。」と声をかけられた。やっぱり日本人だ。

「ピースサイン」がとても気になり、家に帰ってすぐに調べた。やはり、写真を撮る時に必ずといっていいほどピースをするのは日本人だけらしい。しかも、いくつかの国では「ピースサイン」をすること自体、悪いことだ、というのだ。特にヨーロッパに多いらしい。ギリシャではかつて犯罪者に2本指でものを投げたことに由来する侮辱の仕草。イギリスではVictory(勝利)の意味で用いられることもあるが、そのサインを裏返してしまうと、侮辱する仕草と取られるそうだ。これは英仏百年戦争時、イングランド軍の弓兵がフランス軍を挑発するサインとして用いられたのが始まりらしい。

驚いた。こんな意味があったとは… 日本では、ある俳優がカメラのコマーシャルでアドリブで「ピースサイン」をしたのを真似たのではないか、など諸説存在する。最近では近隣諸国に撮影時のポーズだということが認められ始めたり、日本の漫画の影響で欧米にも日本の「ピースサイン」の意味が認知され始めている、らしい。しかし、無知は恐ろしいとはこのことだと思う。意味を知らなかった、とは言え、このサインをし写真を撮る私たちを見てイギリス人は良い気持ちはしなかっただろう。もちろん、日本でそのサインをするぶんには何ら問題はない。始まりがどうであれ、多くの日本人に認知され、写真を撮る時のポーズにとどまらず、今時の若い世代では小顔効果だなんだと多少行き過ぎな進化まで遂げた日本の一つの文化と言えるだろう。気の済むまで大いにやればいい。しかし、悪気がいくら無いとはいえ、郷に入っては郷に従え、だ。私たちだっていくら文化の違いと言われても、土足で家に上がられては全く持って良い気分はしないのといたって同じだ。習慣だからと、出された料理を箸をおいているのにナイフ出せ、フォーク出せ、ましてや手で食べるなんてこととも同じと言える。しかも、私たちは現在イギリスで生活している。これは… まずいのではないか。

その習慣を変えることは難しいだろう。前述したように、私には既に一連の動作として体に染み付いてしまっている。だからこそ私たち一人一人がきちんとこの事実を理解する必要があるのだ。この「ピースサイン」の他にも手のサインは各国様々なものに様々な背景がある。絶対的にタブーなものもだ。私は相手のことを知り、一つの事実として受け入れ、尊重する、その先に初めて「理解」というものが生まれ、関係を築けるのだと思う。これはこのことに限らず言えることだ。このことは、これからも日本だけでなく、世界で生きていく私たちが知らねばならないと思う。そして、相手を思いやり、尊重する。この一見簡単そうで実に奥が深いことがどれだけ大切かということに改めて気づくことができた夏休みだった。

(高等部1年生 女子)

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(写真はイメージ画像です。)

私は半年ぶりにこの夏日本に一時帰国した。前から日本でしたかった事があった。鉄道による旅である。まだ高校生なので流石にホテルなどに宿泊しつつ本州巡りという希望は叶わず、高校卒業まで待つ事になったが、結局従兄弟の家がある広島まで博多から一人で普通列車に乗って行く事になった。
まず準備から始めた。時刻表を見ると新幹線だと1時間と少しで着いてしまう博多/広島間が、普通電車だと最低でも6時間はかかる。さらに1人なので旅費5万円もすべて自腹で行く事になった。
しかし、その分普通列車の旅はとても楽しかった。都市を抜けると田園風景が広がり、そしてまた大きな駅に近づくと都市が見え始める。この変化が楽しかった。また、車内ののんびりした空気も良かった。クロスシートなのに空席だらけで、思い切り足を伸ばして寝ている人も多くいたが、電車が駅に停車する度に足を戻す、そんな仕草が日本人らしくて見ていて楽しかった。停車する駅といってもホームの端には雑草が生え放題で、さびている看板は昭和風のものばかりであり、乗降者は10人を下回る程の駅ばかりであったが…
そして、電車が岩国辺りにさしかかった時に、ようやく自分にとって新幹線よりも普通列車(特に乗ってきた山陽本線)が良いと思えるものが見えてきた。海、すなわち瀬戸内海である。天気も晴れており、きれいで穏やかな海を見る事ができた。巨大な鉄橋や対岸の四国を臨みながら、電車はゆっくりと広島へ向かっていた。
次第に日が傾き、海は光を反射して輝き、車内は混み合ってきた。時刻表を見ると、もうすぐ広島に着く時間であった。電車は次第に生活路線としての姿を見せるようになった。もう足を伸ばす人も見えず、立つ人が目立つようになり、のんびりした空気もなくなった。だが、そうした変化もまた新鮮なもので良かった。
そして下関から広島まで、4時間かけて走った電車は定刻通り広島駅に到着した。それにしても日本の列車のダイヤ運行の正確さは素晴らしいと思う。今までヨーロッパで乗ってきた当然のように2、30分遅れる電車に慣れると、つい感激してしまう。
6時間の列車の旅であったが新幹線や特急では味わえない新鮮な体験をする事ができた。どうしても疲れは残るが、疲れ以上に目にした光景一つ一つがよく残る。
日本列島1周が次の目標。楽しみである。

(高等部1年生 男子)

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2014年度 4月編入(日本在住でも受験可)(⇒募集要項等一式

出願期間:2014年1月24日~1月31日(必着)
募集人数:小学部6年、中学部2/3年、高等部2年それぞれ若干名
選考方法:一次:書類審査、二次:筆記試験、面接
選考期日:日本受験:2014年2月16日 (日)於 立教大学
英国受験:日程は1次試験合格後相談

※詳細につきましてはこちらをご覧ください。

rikkyo school in england「ただいま!」「おかえり!」「久しぶり!」が学院内のあちらこちらで響きました。帰寮日の9月7日、長い夏休みが終わり、生徒たちの姿が立教英国学院に戻ってきました。約2か月ぶりに帰寮した生徒たちは身長が高くなっていたり、日焼けをしていたり、充実した夏休みを過ごしていた様子が伝わってきます。

空港から学校までのバスの中では長いフライトや時差に少し疲れた様子の生徒もいれば、久しぶりに再会した友だちと会話が止まらない生徒もいました。さまざまな国から生徒が集まる立教英国ならではです。そんな生徒たちですが、帰寮後は時差ボケにも負けず集団生活を送っていきます。久しぶりの立教食を食べました。新入生にとっては初めての立教英国学院での食事です。緊張している新入生に対して、隣に座っている先輩が優しく立教のテーブルマナーを教えたり、話し掛けたりしている姿には感心させられます。「最初の食事の時はものすっごく緊張していました。先生も緊張していましたよね。」と話す生徒、立教英国学院に来る者全員が通る道なのですね。

帰寮日翌日には始業礼拝が行われました。今学期は6名の新入生を迎え、校長先生より新入生一人ひとりに制服の胸元につける校章の入ったワッペンが手渡されました。帰寮日から1泊を新しい友たちとドミトリーで過ごした新入生ですが、もちろん、まだ緊張している様子が伺えます。しかし、始業礼拝の校長先生のお話でもあったように、大丈夫。すぐに新しい生活に慣れることでしょう。新入生の周りには、1学期までを立教英国学院で過ごしてきた仲間がいます。わからないことがあれば、赤ネクタイをした高校3年生、先輩、同級生、後輩、先生、誰に聞いても教えてくれます。1学期に入学してきた生徒たちも、もう新入生ではなく困っている新入生を優しくサポートしてくれます。

2学期にもオープンデイ、ロンドンアウティングなど、たくさんの行事があります。夏休みでエネルギーを補給してきた生徒たちの活躍を期待しています。受験を控えた高校3年生の姿からは、夏休み中受験勉強にしっかり励んでいた様子が伝わってきます。大学受験で3学期に戻ってこない高校3年生にとっては今学期が学院で過ごす最後の学期となります。仲間たちと共に過ごせる時間を大切にしてほしいです。

rikkyo school in england中学卒業以来5年ぶりに訪ねさせて頂きました。

変わったところ、変わってないところ、それぞれ多々ありましたが、雰囲気、匂い、時の流れ方といった、この場所の根本は私が在学していた頃と全く変わっておらず、懐かしい気分で半日過ごさせて頂きました。
時間の経過に変化はつきものですが、この学校を支える一番大事なものはこれからも大切にして下さい。
突然の訪問にも関わらず温かく迎えて下さった先生方、生徒の皆さん、本当にありがとうございました。
留学中にまた来ます!

rikkyo school in england英国に5年8ヶ月仕事で居る間に何度かこの母校におじゃまさせて頂きました。
来月完全帰国を前に、最後にもう一度、立教英国学院を訪問できて、とても勇気を頂きました。
お世話になった先生方の相変わらずお元気でパワフルな様子を見ていると、自分はとても嬉しくなり、またいつかここに戻って来たいと心より思う次第です。
立教卒業生という事を誇りにこの先も元気に頑張っていけそうです。
母校の益々の発展を祈り、今後も立教卒業生として世の中に立派に生きていく所存です。

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7月17日~7月20日まで本校に宿泊して行われたプレ・ワークショップに引き続いて、7月21日~27日までは、ケンブリッジ大学に場所を移して、日英ヤングサイエンティスト・ワークショップが開催されました。ケンブリッジ大学の研究者の指導の下、日英の同年代の若者達が共同で研究テーマに取り組むというのは、なかなかできない体験です。

初日の午後は、宿泊先の嘉悦ケンブリッジ教育文化センター(マリーエドワード・カレッジ学生寮内)に到着するとすぐ、イギリス側の参加者と初対面しました。外で立ったままリフレッシュメント(飲み物など)をとりながら、日本人とイギリス人の高校生達が入り混じり、あちこちで自己紹介が始まりました。中には日本語で挨拶してくれるイギリス人高校生もおり、日本側の参加者達の緊張もほぐれたようです。

2日目は、朝からプロジェクトメンバーの顔合わせがありました。日英の参加者達は、10あるプロジェクトチームのうちの1つに、それぞれ配属されました。立教英国学院の3名は、『Astronomy-Star Wars: What happens when stars collide?』と『Engineering – Wireless Sensor Networks for Infrastructure Monitoring』、『Genetics – Visualising chromosome behavior during cell division using fluorescence microscopy』に入りました。 どれも最先端の研究テーマです。

その日の午後にプロジェクトがスタートすると、生徒達はケンブリッジのあちこちにある最新の設備が整った研究室に移動しました。彼らは言語の違いにも怯まず、研究者の説明に熱心に耳を傾け、それぞれの研究テーマに果敢に挑戦し始めました。最終日には、プロジェクトチーム毎に成果をまとめてプレゼンテーションをすることになっていましたから、受け身では居られません。わからないところは積極的に研究者に質問したり、時々ファシリテータにサポートしてもらったりしながら、日英の高校生達が協力して研究に取り組みました。

プロジェクトは朝食後から夕食前まで連日続きましたが、夜は日英の参加者達の友好を深めるべく、様々な交流会が開かれました。プレゼント交換やスポーツ交流に加え、日本人の生徒達は簡単な日本語の挨拶を教えたり、一緒に折り紙やゲームをしたりしました。書道の企画では、イギリス人の生徒達の名前を漢字の当て字で書いてあげるのが、大変喜ばれたようです。また、イギリス人の生徒達は、自国に関するクイズショーや歌などを披露してくれ、非常に盛り上がりました。また、ワークショップ終盤のある午後には、ケンブリッジ市内を観光する時間もあり、生徒達はしばし難しい研究を離れて、パンティング等を楽しみました。

そしていよいよ、プレゼンテーションの日がやってきました。会場には、プロジェクトの参加者以外にも、スポンサーや研究者等をはじめ多くのゲストの方々が来場され、満員でした。そんな中で、母国語ではない言葉で、外国人のチームメイトと一緒に、サイエンスの最新の研究分野についてのプレゼンテーションをするというのは、全く簡単なことではありません。しかし、引率教員達の心配をよそに、どのプロジェクトチームも素晴らしい発表をしてくれました。生徒達の熱心な探究心と吸収力には本当に感心しました。また、それぞれの発表の後には、質疑応答や意見交換が活発に行われました。この部分は、事前に原稿を用意しておくことができないので、本当に研究内容を理解していなければ、対応できません。日英の高校生達と大人達を前に、堂々と発言する生徒達の姿は、まさにヤングサイエンティストの貫録でした。

充実した時間はあっという間に過ぎ、ケンブリッジを離れる日が来ました。生徒達は将来日本かイギリス、または世界の研究室で再会することを誓って、お別れをしました。イギリスと日本の間には、文化の違いもあれば、言語の壁もあります。しかし、サイエンスという共通の興味の前では、それは越えられないものではないようでした。これからの世界を担っていくヤングサイエンティスト達にとって、この一週間は、非常に貴重な経験となったことと思います。

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