僕はこの休みにスペインのバルセロナへ家族で旅行に行った。この町はサッカーチームでも有名だが、もう一つ忘れてはならないものがある。それはガウディがバルセロナに残した、独創的な建築の数々である。

中でも有名なのは、百年以上前から作られ続け、未だに完成しないサグラダファミリアだろう。今まで僕が見てきた大聖堂とは比べ物にならない程大きく、他を圧倒するような存在感だった。中に入れば幾本もの巨大な柱がその身を連ね、ステンドグラスから差し込む光が僕達を包んだ。制作に携わった全ての人々の意思を受けとったその大聖堂はこれ以上無いというような威厳を持ち、バルセロナという町の象徴に見えた。

また、僕はグエル邸にも足を運んだ。この館には、幼少期から自然に慣れ親しんできたガウディならではの工夫が内部の至る所に施されていた。階段の手すりに、窓に、壁に、天井に、自然のありとあらゆる表情を切り取ったような不思議な建築に気付けば僕は見入っていた。

僕がバルセロナで見た建築は、ガウディがそれらを通して伝えたかったうちの一部かもしれない。でも、ガウディの描いたなめらかな曲線、自然と調和した美しさ、吸い込まれるような光の表現などに僕は触れあい、無意識の内に彼が創造した世界に心奪われていた。一体彼はどれだけの人々を魅了していったのだろうか。そして、そんな彼に魅せられた人々のうちの一人になれたことに、僕は心のどこかで嬉しさを感じていた。

(高等部2年生 男子)

ホテルに向かう水中バスに乗ると、写真や絵で何度も見たあの景色が、私の目の前に広がった。運河沿いに立ち並ぶ建造物に、アーチ形の教会、横を通り過ぎて行くゴンドラに船…。初めての街で、ひと目見て綺麗だと感じたのは初めてだった。

すでに場所は察するであろうが、私がこの冬訪れたのはイタリアのヴェネツィアである。前から、両親に行きたい場所はあるかと尋ねられた時にいつもヴェネツィアに行きたいと言っていた。今回その願いが叶ったのだ。

ヴェネツィアは、言うまでもなく有名な観光地である。街を見渡せば、世界中から来た観光客であふれていた。そりゃ、あの素晴らしい景色を皆、一度は自分の目で見たいと思うことだろう。そして、アドリア海の海の幸を使ったイタリアン料理。観光客があふれる理由はよく分かる。しかし、私がヴェネツィアに行きたかった理由はそれだけではない。

私は今、授業で世界史を選択している。そこで中世ヨーロッパを語る時、ヴェネツィア抜きで語ることは無理だろう。十字軍に乗じて地中海を中心に貿易が栄え、商業圏を拡大した。またルネサンス時の作品もある。今となっては観光業が中心だろうが、かつてはイスラームとヨーロッパを結ぶ架け橋だったのだ。そういった歴史を知った上で、旅行をすると、見る視点がガラッと変わる。また博物館や美術館でも知っている作品があると、少し心が躍る。世界史をフル活用し、勉強ではあるが、素直に楽しむことができた。

ヴェネツィア。そこでは普通のバスや車はなく、すべて水中の道にゴンドラや船が揺れる。世界中の人々が憧れる歴史ある美しい街。いつか、またそこを訪れあの景色を見たい。

(高等部2年生 女子)

1月18日(土)、日本全国で高校3年生がセンター試験を受験します。
帰国中の本校の3年生も頑張っていることでしょう。

同日の英国時間19時20分。
「はじめ」の声とともに全校生徒、小学5年生から高校2年生までが一斉にセンター英語の問題に挑戦しました。

学年によって集中度は違うものの、やはり次期最高学年である高校2年生が全校でトップの成績を収めました。高校2年生の平均は129点。今回のセンター試験の受験生の平均を上回りました。

最高点は満点の200点。
中学3年生でも181点という点数をとる生徒もいました。

自分のときのセンター試験本番が楽しみですね。

英語の授業や、交換留学などの学校行事で英語を使う機会を増やし、着実に自分のものとして習得していってください。
そして卒業するときは最高の笑顔で卒業できるように、今の時間とチャンスを大切に過ごしましょう。

自分のことは自分が一番良く知っている。過去に何度か聞いたこのフレーズに、どこか底知れぬ不安感を抱かせたのは、書店で何気なく手に取った一冊の小説だった。主人公の少年は解離性同一性障害、いわゆる二重人格者であるが、彼自身はそのことを知らず、気付かぬ間にそのもうひとつの人格が殺人を犯してしまう、という内容のようだ。
「ようだ」というのは、実はこの本を僕は最後まで読んでいない。だから結末も分からぬままだ。時間が無かった訳ではない。けれど僕のページをめくる手は、主人公が殺人の容疑をかけられ、取調中に発した一言によって、文字通り、硬直した。
「自分のやったことなのにわからないんだったら、そりゃぁもう、そんなことやってないってことだろう。あんたら以上に俺を知っている人間なんかいないんだから。」
堂々と言ってのけた主人公に対して、どうしてか恐怖のようなものが芽生えた。決して自らが二重人格者であるかも知れない、と不安に思った訳ではない。僕は自分のことを本当に理解しているのだろうか、と考えてしまったのだ。

自分は今まで、自身のことを分かっていない、と思われる人間に何度も出会ったことがある。明らかに服のサイズが違っていたり、一向に上達しないものに没頭していたり、人それぞれだが、その人々の事を少なからず僕は心の中で嘲笑していた。しかしその全ての愚弄は自らへとのしかかる。
考えてみれば、自分は良い側面と悪い側面を切り離して見ていた。そしてどうしても、何かから逃げ出したい時は良い側面だけを見つめていた。確かに悪い側面もあるということは分かっていたが、その両方が合わさっているのが自分だとは認めたくなかったのだ。
また、嫌な出来事が起こってもそうだ。すぐに気持ちを切り替えられる、というと聞こえは良いが、実際はただの現実逃避だ。バスケットボールの試合の大事な局面でシュートを外した時も、友達を怒らせてしまった時も、いつも僕はその事実から逃れようとしていた。
こうやって、悪い側面ばかりが浮かんでしまう時、僕は必ず自分の良い部分を思い浮かべていた。しかし今回は使い古した思考回路へと踏み入ることは無かった。
「全てひっくるめて自分なんだ。」
ただひとつの簡単な答えに行き着くのに16年もの月日を費やしてしまったということに、今となっては嫌気が刺すが、この一文が頭に過った瞬間、僕は流れを塞き止めていた大きな固まりが砕け散ったような、言い表せない充実感と、同時に、踏み込んだ未知への不安に襲われていた。

行く当ての無いまま邁進する僕の思考が、また何かにぶつかることはあるだろう。しかしそれはまたその時の話である。いつでも前向きなのが良い側面で、後先を考えないのが悪い側面。それら両方を兼ね備えているのが自分。

他に遅れをとりながらも、たったひとつの小さな壁をようやく乗り越えることが出来た、高校1年の冬だった。

(高等部1年生 男子)

リロ・トランスユーロ社の発行する「Euro News」( Jan/Feb 2014 No.130 [EU版] )の「学校探訪」のコーナーに本校の記事が掲載されました。以下にその記事をご紹介致します。

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とても素晴らしい環境です。
学院はロンドン南郊の緑の中。小学校から高校までの全寮制で161名の子供たちと90名の教職員が家族のような共同体を作っています。11月のある日、学校のオープンデーを覗くとともに、棟近校長先生と岡野教頭先生にお会いしました。

「こんな素晴らしい環境と条件の学校があるなんて。昨今の学校が抱える諸問題がここではウソのようですね。」と私は桃源郷に迷い込んだように、しばし絶句しました。
「ここはセブン・イレブンですからね。」
と校長先生はいたずらっぽく答えられます。
あのスーバーマーケットのことではありませんよ。立教英国学院では文字通り7時の起床から11時の就寝まで、子供たちと教職員は家族のように一緒に生活し勉強します。生徒たちは共同生活で上級生が下級生の世話をし、さらに教職員が見守るというていねいなシステム。
「こんなに恵まれた環境で育つ生徒たちは、社会の荒波に出たら落差にショックを受けませんかね?」と聞いてみました。
「もちろん学校になじめずに帰国する子供たちもたまにいます。でもこの学校生活で人生の基礎を築く子供たちが、その後の荒波をうまく乗り越えていく糧を得ることもまた事実ですね。学校ではキリスト教を強要するわけではありませんが、こうした大家族を社会全体に広げるというキリスト教のバックボーンを学んでくれれば良いと考えています。」

「学校の教育方針は?」という質問をしました。校長先生の説明では、異文化理解、人間教育、語学教育を三大方針にしているとのこと。人間教育というのは「思いやりの心を育てる」ということで、異文化理解では、毎週村の教会に顔を出したりオープンデーに招待したりして村の人たちとの交流を大事にしているとのことです。生徒たちが毎週、英語の授業の一環で街頭インタビューをするのも、イギリス人を理解すると共に度胸をつけることにも役立っているそうです。

オープンデーはとてもにぎやかです。数百人の大家族が売店や展示会で大忙し。この素晴らしい学校で育つ生徒たちはとてもすなおで活発です。学校の教育成果を目の当たりにするようでした。

◇立教英国学院 ウェブサイト www.rikkyo.co.uk

 

「Euro News」( Jan/Feb 2014 No.130 [EU版] ) リロ・トランスユーロ社

「桐壺」「夕顔」「若紫」「葵」「夕霧」「浮舟」の5つの座に別れ、クラス対抗で行われた今回のかるた大会。今年は全部で3回戦が行われ、全校生徒が一人一回ずつの出場。下は小学5年生から上は高校2年生まで、年齢関係なく真剣な勝負を行う。

誰もが真剣な顔で、読み手の先生の百人一首に耳を傾ける。札が取れれば歓喜の声が各座からあがる。札を取る際に、勢いよく「はいっ!」と声があがると、彼らの勢いのよさに周囲から笑みがこぼれ、会場が和やかな雰囲気に包まれる。

読み手の先生が全40枚の札を読み終えると、審判の先生に自分が獲得した枚数を申告する。結果をきいて「やっぱり!」「そんなにとったの?」「悔しい」と様々な声があがる。

高校2年生にとっては最後のかるた大会、今回まったく取れなかった下級生は来年、再チャレンジ。それぞれの思いが詰まったかるた大会だった。

ついにこの日が来た。目を覚ますなり僕はとんでもない興奮に襲われた。4年に1度、小学校の時に6年間ずっと一緒にプレーをしてきた仲間達と又サッカーが一緒に出来るという素直な興奮やよろこびに浸っていた。

いざみんなと会ってみると、僕の興奮はMAXに達した。4年ぶりに会う人もいれば、1年ぶり、半年ぶりの人もいた。面影のある人もいれば、誰だこいつ?という人もいた。身長も伸びてすっかり大人っぽくなっている人もいれば、まだまだ子供っぽい人もいた。僕もまだまだ子供っぽい方だと思った。
でもひとつだけ変わっていない所があった。それは、このチームならではのバカげた所と、仲間のことを本気で思いやる気持ち、心配する気持ち、そういうみんなで6年かけて築いた「絆」は何一つ変わっていなかった。それがすごく懐かしくて、とても嬉しかった。正直涙が目にたまるのが分かった。
その後はみんなでホテルのバイキングに行き、どうでもいい話や冗談を言ってバカ騒ぎして、すごく楽しい時を過ごした。夜は4人ずつ4部屋に分かれて一晩中みんなで語り合った。

次の日はいよいよみんなが待ちに待ったフットサル大会当日。みんなの顔がキリッと引き締まった。ものすごい緊張感が漂った。全部で4チームに分かれて総当たり戦。いよいよチーム分けが発表された。みんなそのチームで優勝しようという意思が伝わってきた。
キックオフ、先制ゴールを上げたのは僕のシュートだった。僕はそのとき感じた。どんなに離れ離れでも、何年経ってもチームワークは全然昔と変わらない、そう感じた。それと同時に、ただただサッカーを心から楽しんでやっていた頃の自分を思い出した。学年が上がるにつれてサッカーを楽しむという気持ちは徐々に消えていった。でも、やっぱりそんなサッカーよりも、心から楽しんでやった方が良いプレーが出来ることに気づいた。

結果、僕のチームは3試合とも全ての試合に勝ち見事に優勝することが出来た。しかも僕は得点王とMVPの両方をもらうことができた。
僕は今でもその時の嬉しさを覚えている。
今でも僕たちはずっと心がつながってしっかりとした絆が、強い絆がある。そう思った。
次は又4年後。

(高等部1年生 男子)

クリスマス。それは家族全員でクリスマスツリーの前に集まって、主イエス・キリストの誕生を祝う、愛と幸せに溢れている、ドイツでは大切なイベントです。そんな聖なる夜の心が温かくなる話をこの冬休みにひとつ聞き、とても感動しました。

その話は1914年の出来事でした。1914年と言えば、7月にオーストリアの皇位継承者がセルビア人に暗殺されたことによって、第一次世界大戦が勃発した年です。今では「第一次世界大戦」と聞けば、とても残酷で恐ろしい印象がありますが、当時戦争が始まって、ロシアとフランス、また、フランスのサポートをしているイギリスに宣戦布告したドイツは、戦争があんなに醜いことになるとは夢にも想像していませんでした。誰もがすぐ終わる戦争だと思っていて、戦場に向かう男性は「クリスマスにはまた帰ってくるから。」と笑顔で別れを告げていました。
そんなドイツはロシアには見事勝ちましたが、一番勝ちたい相手でポイントとなるフランスとイギリスには勝利を収めることが出来ず、負ける前に撤退し、結果を出せないままクリスマスを迎えることになってしまいました。

本当は家族で温かい家でプレゼント交換をするはずだったクリスマスを兵士達は寒くて汚い戦場で送っていました。キリスト教を信じているドイツ、イギリス、フランスはクリスマスの間休戦することにしました。その時、30カ所以上で、不思議であると同時に素敵なことが起きました。その内のひとつの所では、ドイツが「サイレント・ナイト」を歌っていたら敵の方から拍手が聞こえてきて、イギリス人も歌うようになりました。お互い「メリークリスマス!」と伝えるようになり、ロウソクをいっぱい立てたと言われています。そして、兵士達が隠れ場から出て行き、戦場の真ん中に向かいました。敵と会い、一緒にタバコを吸って、楽しく話していたと色々な日記でこの頃の記憶が残されています。当時のイギリスとドイツの兵士が仲良く隣に立っている写真も実際に残っています。そんな平和な日々が1月まで続いていたという話もあります。

私がこの話を聞いて感動した理由は、これによって本当は戦争なんかしたくないという兵士の気持ちが伝わってくるからです。軍の指揮官に人を殺せと言われているからやっているだけで、自分の意志ではなくて、一回平和の日々が続いたら、もう戦争を始めたくないという人間性が感じられるからです。
第一次世界大戦で唯一人間は悪者ではないと思える瞬間でした。残念ながら、こういう出来事はそれ以上戦争では一回も起きませんでした。

1914年のクリスマスは、人間が人間らしく戻れた素敵な日だと思いました。

(高等部1年生 女子)


ニューヨークの中心には、人、車、物があふれかえっていた。高層ビルは絶え間なく続き、ビルとビルの隙間により出来たとしか思えない道路には、老若男女、様々な人種の人々が行き交っていた。ヨーロッパ系、アフリカ系、ヒスパニック、アジア系… そして多くの人が共通語として英語を話していた。

私がニューヨークで印象づけられたのが、彼らがそれぞれ人種ごとに別々のエリアに住みわけて暮らしている事である。
例えば2日目、私達は中華を食べに行こうと中華街に行った。地下鉄で数駅と、それ程離れてはいなかった。しかし、駅から地上に出ると、そこは中国であった。まず見えたのは、あの有名なハンバーガーショップのマーク。その下の文章は全て中国語で書かれていた。携帯電話の広告も中国語、シティーバンクも中国語。遠方に見えるワン・ワールドトレードセンター(ワールドトレードセンターの跡地付近に建てられたビル)が唯一、アメリカに自分がいる事の目印に思えてきた。そして、この中華街がどこまでも続く。本当に一つの「街」なのであった。そして突然ある通りを境に中華街は一大金融中心地、ウォール街へ移り、中国語も突如姿を消す。さらには4日目に行ったやや外れにあるスペイン人街はそこへ向かう地下鉄の広告までスペイン語で、英語は書いていなかった。他にもリトル・イタリアやコリアンタウン、日本人街など、様々な個性あふれるエリアがニューヨークにはたくさんある。この国が、人種のるつぼであると実感する事ができた。

今まで住んできた国は単一民族の国ばかりであった。しかしアメリカはそれらの国々とは正反対だった。多民族が広い国土に住み、純粋なアメリカ人なしで建国し、これまで200年以上の間成長してきた。たくさんの人々が、アメリカという国を作る流れを作り、私はこの中に生まれた。
私はアメリカ国籍を選択する気はない。だが、このような環境で生まれ、その後様々な地域で暮らしてきた事はアドバンテージとなる。国際人になるためのバネになるはずだ。バネを上手に活用し、「真の国際人」になりたい。

(高等部1年生 男子)

ぼくの、この長い冬休みはとても充実した休みでした。その中で、ぼくのこの休みで一番の思い出となったことは、旅行へ行ったことです。

冬休み中の一週間程を使い、ドイツとベルギーへ行きました。ドイツのボンでは、ベートーベンが最後に使っていたピアノやバイオリン、遺言書、髪の毛や、デスマスクなどを見たり、ドイツから特急電車で行ったベルギーのブリュッセルでは、クリスマスマーケットへ行ったりして、初めての物を見る事ができてとても楽しかったです。

特にぼくの心に残ったのは、ドイツのケルンにある世界遺産のケルン大聖堂です。その大聖堂は、ゴシック様式の建築物としては世界最大であり、高さ150メートル、奥行き144メートル、幅86メートルもあり、ものすごい迫力です。入り口に入ると、高さ43.5メートルの身廊の広さに驚き、更に前へ進むと、大聖堂の壁のいたる所に色鮮やかなステンドグラスがあり、ガラスに光が反射してとてもきれいでした。通路の中心には東方の三博士(イエスの誕生時にやってきて拝んだとされている人物)の頭蓋骨が入っているらしいです。遠くから見た時は、巨大な塊にしか見えなかったけれど、棺と知った時は驚きました。その後近くで見ても棺には見えないほど豪華な金の箱でした。

大聖堂の中はとても広く、大きなクリスマスツリーがとても小さく見えました。今までに数え切れない程の大聖堂へ行きましたが、こんなに美しい大聖堂は初めて見ました。

次に心に残ったのがドイツのソーセージです。ドイツでもベルギーでもクリスマスマーケットへ行ったところ、どこのマーケットでもソーセージがあり、すごくおいしかったです。ドイツのソーセージがおいしいというのは聞いた事があったけれども、ここまでおいしいとは思っていなかったです。実際に食べてみて、イギリスのよりジューシーで食感も良く最高でした。

ぼくは、この休みに色々と新しい事を知りました。ベルギーのワッフル、チョコレートがおいしいということ。ヨーロッパの国々が近くて電車で簡単に行き来できること。大聖堂には色々な建築様式があることなど。

この旅行を通して、実際に自分の目で見て、舌で味わい、体験することで新たな発見があり、自分の世界観が広がるということを改めて感じました。ヨーロッパには大小数多くの国々が隣接しているので、これからも、色々な国を訪れて、見聞を広めたいと思います。

(中学部1年生 男子)

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