「ミレーには帰りたくないです。」

ミレーの生徒たちは立教生活最後の食事後の挨拶でそう言った。その言葉からわかるとおり、彼女たちにとって、立教で過ごした一週間というのは本当に楽しいものだったのであろう。

立教ではほぼ週ごとにイベントがあるといっても過言ではない。短期間でイベントの準備を行うのでいつも時間に追われる忙しい学園生活を送っている。立教の生徒たちはそんな生活にもう慣れているが、他校の、しかもイギリスの生徒から見たらとても忙しい一週間だったに違いない。

立教について最初にしたのは、本校のスクールショップ(生徒会運営の購買部)での買い物。バディー(彼女たちの相手をする立教の生徒)と一緒に一週間分のお菓子を買った。翌日の昼には着物の着付を体験、そして夜には合唱コンクール。合唱コンクールではゲスト審査員をつとめた。月曜と火曜は、立教生と一緒に授業に参加。水曜はECで英会話の授業のお手伝い、木曜は、日本語で自分達のことについてのプレゼンテーションを行い、金曜には全校スポーツにも参加した。

放課後は、月曜にクッキングクラブで一緒に日本食づくりに挑戦、火曜はEnglish speaking clubの活動に参加、水曜は茶道部、金曜はフラワー・アレンジメント部で活動した。その他、現地校との対外試合で立教生の応援をしたり、ここでは書ききれないほどの沢山のことを一週間のうちに経験した。

立教の生徒にとっても、ミレーの生徒にとっても充実した一週間が終わった。今回、バディーだった生徒は春期休暇の一週間、相手をつとめたミレーの生徒の家に宿泊し、今度は彼女たちがミレー・スクールに短期留学をする。今回のミレーの生徒の短期留学は、立教の生徒にイギリス人と交流する機会と、積極的に交流する勇気を与えたことだろう。

合唱コンクール。それは、私が立教に来て初めて体験した行事だった。一年前、転校してきた私がクラスに馴染むことができたのは、合唱コンのおかげだった。優勝するため、成功させるために、クラスは団結した。

それから一年。私は今回の合唱コンで伴奏者となった。私は、この合唱コンを絶対に成功させたいと思っていた。しかし、冬休みが明けても、課題曲はおろか自由曲さえも決まらず、みんなの手に楽譜が届いたのは本番の10日前だった。16ページもある大曲で、その上何回も転調する難しい曲だった。私は礼拝オルガニストの仕事や勉強に追われながら何とか譜読みを終わらせ、そしてクラスで必死に練習した。

ゆったりとしたきれいな曲で、歌いやすい分ごまかしがきかない、なかなか大変な曲だった。「間に合わないかもしれない。」ふと気が緩んでそう思った私に、「頑張ろう。」とついてきてくれたのは、クラスのみんなだった。音程を取るためにピアノでメロディーを弾く時、私が間違えても、みんなはいつでも笑っていた。そして、積極的に「ここの音教えて。」「今のどうだった?」と聞いてきた。高2で、勉強や部活で忙しい人も多くいたけれど、みんなが合唱のことを一番に考えていたと思う。

私たち高等部2年2組は、最後までもめることが一度もなかった。常に合唱というものを楽しんでいた。そのことは、伴奏していて、歌声を聴くだけで十分伝わってきた。優勝できたのはこの10日間の努力の成果だけだったのではない。この1年、ずっと一緒に過ごしてきたかけがえのない仲間だったから。みんなが最後まで、笑顔で歌い切ったから。理由は数えきれないほどたくさんあったと思う。私は2組の伴奏をすることができて本当に幸せだった。ただ一言「ありがとう」という言葉をみんなに伝えたい。

(高等部2年生 女子)

独特なピアノの旋律がニューホールに流れはじめる。それに合わせてハーモニーを重ねていく。私のクラス、高2−1組がこの合唱コンクールに選んだのは「流浪の民」だ。ふるさとを離れ、故郷を想い旅をする民の心を描いた一曲。

舞台に立つと、足は震えるし頭も真っ白だ。それでも最後の合唱コンクール、悔いのないように、と全力で歌った。

練習を思い返すとたった二週間弱で本当にたくさんの事があった。

オープンデーなどを経て、一年近く共に過ごしたクラスだが、言ってしまえば一度も団結して全力で何かをやり遂げた事がないのだ。団結力に欠けるクラスではあったが、楽譜が配られるとみんな楽しそうに自分のパートの音をとり始め、一時間もすると一日目、とは思えないほどの出来にまでなった。

高三がいなくなってしまった今、来学期には本当の本当に最高学年になる、という大切な時期に果たしてみんなは練習に参加してくれるのか?私自身あまり乗り気ではなかったし、部活が忙しい人もたくさんいた。その結果、日に日に練習の出席率が減り、得に優勝をめざそうという雰囲気も薄れていった。

それでも学級委員やクワイヤーの人達があきらめずに指導してくれて、決められた時間のできる範囲で練習をしていくうちにみんなで一つの曲をつくることに夢中になっていった。失礼な言い方かもしれないが、”団結力のないクラス”でも、やっぱり心のどこかでは”最後くらい…”という気持ちがあったのではないか、と私は思っている。

諦めず”練習しよう”とみんなに呼びかけつづけてくれた人達がいたから、限られた時間の中でも楽しむ気持ちを忘れずみんなで練習したからこそ、自由曲優勝を勝ちとれたと思っている。総合優勝こそ逃したが、それでも本当に満足のいく合唱ができた。

音楽の先生の指導もなくて、忙しい寮生活の中で自分達だけで曲を作り上げる、だなんて、かなりの無茶ぶりだと私は思うが、それでもしっかりと合唱コンクールを成し遂げることは本当にすごい、と思うし、教えられたこともたくさんあった。
最後、と思うとなんだか寂しい気もするが、悔いなく楽しんで歌うことができて、本当によかった。

(高等部2年生 女子)

「起立」
という声で裁判が始まった。今回、私は本物の裁判を傍聴した。実は去年の夏休みにも、この場所に来ていた。しかし、その時は模擬裁判であり、しかも民事裁判だった。今回は刑事裁判である。私は「どうせ今回も民事裁判だろうなー」と思っていたので、刑事裁判と聞いた時は背筋がぞくっとした。

裁判のシーンはドラマや映画などで見たことがある。しかし、私が見た法廷は、ドラマなどで見るような大きなものではなく簡易裁判所だった。
最初の裁判は「詐欺」を犯した被告人の裁判だった。勾留されているので刑務官が二人いた。この裁判は小さいため裁判官は一人、弁護人一人、検察官一人、書記官一人だけだった。そう、証人は一人もいなかった。この被告人は罪を犯したことを反省しているのか裁判が始まる前から泣いていた。検察官の言い分もすべて認めていた。

それでもまだ確定判決は下されなかった。なぜなら、詐欺罪についてはおおよそ証明されたものの、恐喝罪、窃盗罪という残りの2つの罪については、未だ証拠不十分だったからである。結果、この日の裁判は30分で終わった。

私達は一時間裁判を見る予定だったので暇になってしまった。そのため、他の裁判を見ることにした。しかし、なかなか傍聴席が空いておらず、十分間ずっと探し続けた末に、やっと見つけた。
二つ目の被告人はさっきと少し違う。なぜなら中国人だったからだ。どうやら、被告人は麻薬を飲んだらしい。今回も小さい裁判だったので、裁判官は一人、弁護人一人、検察官二人。証人はゼロ人で、代わりに今回は通訳人が一人いた。この被告人は自分が麻薬を飲んだという意識がないらしい。彼にとっての麻薬は錠剤と変わらない。私はその考えがおかしいと思った。しかも捕まった時と今、供述していることが矛盾している。

二回目の法廷では弁護人がひたすら被告人に質問していた。まるでどっちが検察官でどっちが弁護人かわからなくなるくらいに。
後で先生につい聞いてしまった。
「弁護人って右にいた人ですよね? まるで検察官のようでした。こわかったです。普通あそこまでするものなんですか?」
と。

先生は
「あの弁護人のやり方は正しいと思う。多分自分で納得していない所があるんじゃないかな。僕は自分が納得するまで聞くよ。自分が納得できなかったら、裁判官も検察官も納得しないと思うから。」
と言っていた。私は裁判は被告人の人生を左右する大事なことだと思った。そして弁護人は、被告人にとって重要な存在だと感じた。昨年の模擬裁判と今回の裁判傍聴により、私は法律というものにとても興味を持ち始めた。

(中学部3年 女子)

全校カルタ大会が行われた翌週の日曜日、同じ時刻、立教英国学院のホールにはきれいな歌声が響きました。1月26日(日)は、生徒会主催のクラス対抗合唱コンクールでした。合唱コンクールは昨年度より始まり今年度は第2回目です。今年度は昨年同様の各クラスの自由曲に加え、聖歌集より1曲を選択し、合計2曲を合唱することになりました。

3学期が始まると、それぞれのクラスでは指揮者、伴奏者、そして、曲が決められ、休み時間や放課後など、空き時間を見つけては合唱練習を行いました。部活動やプライベートレッスンなどで忙しい放課後の時間にも、学校のさまざまなところから歌声が聞こえてきました。毎朝の礼拝での聖歌や音楽の授業、楽器のプライベートレッスンやギターコンサート、スクールコンサート等々、普段から音楽に親しむ機会が多くあり、また衣食住を共にする大家族生活を送る立教英国学院の合唱練習では、指揮者と伴奏者だけでなく、クラスみんなで互いに意見を言い合う姿が印象的でした。

合唱コンクール本番。会場は緊張の雰囲気に包まれました。今までの練習の成果を発揮しようと声を掛け合います。発表が終わると、「うぁー」「すごいな」と観客席、審査員席から呟く声が聞こえます。出番を待つクラスはさらに緊張に襲われました。発表を終えた生徒たちはとてもすっきりとした様子です。どのクラスも本番で緊張の中、自分たちの持っている最大限の力を発揮し最高の合唱ができたのでしょう。

合唱コンクール翌日の夕食後、校長先生特別賞、チャプレン特別賞、短期留学に来ているミレースクール賞、聖歌賞、自由曲賞、そして総合優勝が発表されました。優勝を手にしたクラスは1クラスだけですが、得点差はほんの僅かでした。どのクラスも最高の発表ができたことを感じさせられます。現在のクラス、現在の生徒会の下で行われる最後のクラス行事である合唱コンクールは最高の形で幕を閉じることができました。

今のクラスで過ごせる時間も少なくなってきました。合唱を通じてさらに絆の強くなったクラスメートとの時間を大切にし、共に学び成長してくれることを期待しています。

3学期は短い学期ではありますが、内容は盛り沢山。週末はありとあらゆる行事が入り、来学期に見送られた行事も… そんな中でスポーツ部の対外試合も盛んに行われています。
この日は男子・女子バレーボール部と卓球部の対外試合が行われ、テニスコート3面分の広さを誇る体育館もこの日ばかりはスペース不足。間近に対外試合の迫った男子・女子バスケットボール部の部員たちが手狭ながらも体育館の隅の方で練習を続ける姿もまた印象的でした。

この日の相手校はどちらも強豪。バレーボール部は地区トーナメントの会場になることが多いエプソンカレッジ校、そして卓球部は地元ホーシャムの町にある名門のクライストホスピタル校。前回は相手校での試合で本校卓球部が惜しくも敗れた学校です。昼食の後に部長達が全校にアナウンスをしたので、試合が始まる頃には応援の生徒達も沢山集まっていました。

ホームでの試合という強みもあってこの日は本校チームも勝つ気満々。1ポイントごとに円陣を組んで気合いを入れる男子バレーボールチーム、ミスをした仲間にも優しく声を掛け合う女子バレーボールチーム、得点を取るごとにガッツポーズを決めてゲームに集中する卓球部員たち…

試合後半には、この1週間交換留学で本校に滞在中の地元ミレースクールの女子生徒たちが、本校のバディ(交換留学のペア)と一緒に応援に駆けつけ、試合は益々盛り上がりました。

結果は男・女バレーボール部、卓球部ともに本校の勝利。「応援にきてくれた皆さん、どうもありがとう!」部長たちの晴れやかな笑顔が印象的でした。
明日は男子バスケットボール、明後日は女子バスケットボール、対外試合はまだまだ続きます。

今回の休みは、お正月があったので新潟にある弥彦神社というところに行ってきました。私の母が弥彦神社が好きなので、家の近くの神社ではなく、家から車で二時間くらいの弥彦神社に休みの度に行っています。

弥彦神社とは、天照大神の曾孫にあたる「天香山命」を御祭神とする、越後一宮です。私は、特に神様を信じているわけではありませんが、弥彦神社に行くと、神様は居るのかなと思わせられます。新潟県では、雪が降るため杉が真っ直ぐに育ちません。しかし、弥彦神社は、樹齢400年から500年の杉や欅に囲まれていて、それが神様が居ると思わせる一つの要因です。

また、弥彦神社は、弥彦山の麓にあるので、行く季節によって、景色がとても変わっていきます。春は、若々しい緑色に山が染まっていて、夏は、春に比べて濃い緑色です。秋は紅葉で山が赤や黄色で美しくなっています。そして冬は雪で白くなります。どの季節に行ってもとても美しく、神々しいです。

弥彦神社の御祭神である、天香山命は、新潟県民、特に女性の間では、女性だという噂がささやかれています。しかし、天香山命は正真正銘の男性の神様です。なぜそんな噂が飛び交っているのかというと、江戸時代の頃、地元の男性が温泉街に遊びに行く際に、奥さんがついてこないように、「天香山命は女の神様なので夫婦で行くとやきもちを焼く」と嘘をついたのが今でも伝わっているからです。このようなことは、弥彦神社だけでなく、日本全国にあります。場所が遠く離れていても、考えることは同じなんだなと思いました。

新潟に来ることがあったら、ぜひ弥彦神社に行ってみて下さい。

(中学部3年生 女子)

私は12月21日から23日、ドイツのニュルンベルクを訪れた。ニュルンベルクは、イギリスから飛行機で2時間ほどのドイツ南東部にある町だ。また、日本人選手が活躍する強豪サッカーチームの本拠地としても有名である。しかし、今回私がニュルンベルクを訪れたのは、サッカー観戦のためではない。年に一度のヨーロッパの人々にとっての大切なイベント、クリスマスを祝う、クリスマスマーケットだった。

ニュルンベルク駅から徒歩十分ほどの旧城郭から、マーケットは始まった。大通りに並ぶ屋台の売り物は様々であった。ドイツでは有名な木の細工や置き物、またお菓子やパンなど数え切れないほどの商品で屋台は彩られていた。私と弟が気に入ったのは、串に刺さった、チョコレートソースのかかったいちごだった。色んな店の物を買い、食べ比べをした。また、ソーセージも食べた。ドイツのソーセージは、食感が少しやわらかくて、こってりとした味わいである。付け合せで玉ねぎやポテトのマリネと一緒に食べるとさっぱりして、いくらでも食べられそうだった。

私はお土産に、ろうそくに火を灯すと上昇気流でプロペラがまわるという、木細工の置き物を買った。イエス様とヨセフ、マリア、羊飼い、そして三賢人と動物たちの人形は、見ていていやされるような気持ちにさせる。この大きな大きなクリスマスマーケットは、訪れる人々に幸せを与えてくれているように感じた。そして、それはヨーロッパの人々、また世界中の多くの人々の信仰によって支えられているのかもしれない、とふと思った。

(高等部2年生 女子)

僕はこの休みにスペインのバルセロナへ家族で旅行に行った。この町はサッカーチームでも有名だが、もう一つ忘れてはならないものがある。それはガウディがバルセロナに残した、独創的な建築の数々である。

中でも有名なのは、百年以上前から作られ続け、未だに完成しないサグラダファミリアだろう。今まで僕が見てきた大聖堂とは比べ物にならない程大きく、他を圧倒するような存在感だった。中に入れば幾本もの巨大な柱がその身を連ね、ステンドグラスから差し込む光が僕達を包んだ。制作に携わった全ての人々の意思を受けとったその大聖堂はこれ以上無いというような威厳を持ち、バルセロナという町の象徴に見えた。

また、僕はグエル邸にも足を運んだ。この館には、幼少期から自然に慣れ親しんできたガウディならではの工夫が内部の至る所に施されていた。階段の手すりに、窓に、壁に、天井に、自然のありとあらゆる表情を切り取ったような不思議な建築に気付けば僕は見入っていた。

僕がバルセロナで見た建築は、ガウディがそれらを通して伝えたかったうちの一部かもしれない。でも、ガウディの描いたなめらかな曲線、自然と調和した美しさ、吸い込まれるような光の表現などに僕は触れあい、無意識の内に彼が創造した世界に心奪われていた。一体彼はどれだけの人々を魅了していったのだろうか。そして、そんな彼に魅せられた人々のうちの一人になれたことに、僕は心のどこかで嬉しさを感じていた。

(高等部2年生 男子)

ホテルに向かう水中バスに乗ると、写真や絵で何度も見たあの景色が、私の目の前に広がった。運河沿いに立ち並ぶ建造物に、アーチ形の教会、横を通り過ぎて行くゴンドラに船…。初めての街で、ひと目見て綺麗だと感じたのは初めてだった。

すでに場所は察するであろうが、私がこの冬訪れたのはイタリアのヴェネツィアである。前から、両親に行きたい場所はあるかと尋ねられた時にいつもヴェネツィアに行きたいと言っていた。今回その願いが叶ったのだ。

ヴェネツィアは、言うまでもなく有名な観光地である。街を見渡せば、世界中から来た観光客であふれていた。そりゃ、あの素晴らしい景色を皆、一度は自分の目で見たいと思うことだろう。そして、アドリア海の海の幸を使ったイタリアン料理。観光客があふれる理由はよく分かる。しかし、私がヴェネツィアに行きたかった理由はそれだけではない。

私は今、授業で世界史を選択している。そこで中世ヨーロッパを語る時、ヴェネツィア抜きで語ることは無理だろう。十字軍に乗じて地中海を中心に貿易が栄え、商業圏を拡大した。またルネサンス時の作品もある。今となっては観光業が中心だろうが、かつてはイスラームとヨーロッパを結ぶ架け橋だったのだ。そういった歴史を知った上で、旅行をすると、見る視点がガラッと変わる。また博物館や美術館でも知っている作品があると、少し心が躍る。世界史をフル活用し、勉強ではあるが、素直に楽しむことができた。

ヴェネツィア。そこでは普通のバスや車はなく、すべて水中の道にゴンドラや船が揺れる。世界中の人々が憧れる歴史ある美しい街。いつか、またそこを訪れあの景色を見たい。

(高等部2年生 女子)

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