「起立」
という声で裁判が始まった。今回、私は本物の裁判を傍聴した。実は去年の夏休みにも、この場所に来ていた。しかし、その時は模擬裁判であり、しかも民事裁判だった。今回は刑事裁判である。私は「どうせ今回も民事裁判だろうなー」と思っていたので、刑事裁判と聞いた時は背筋がぞくっとした。

裁判のシーンはドラマや映画などで見たことがある。しかし、私が見た法廷は、ドラマなどで見るような大きなものではなく簡易裁判所だった。
最初の裁判は「詐欺」を犯した被告人の裁判だった。勾留されているので刑務官が二人いた。この裁判は小さいため裁判官は一人、弁護人一人、検察官一人、書記官一人だけだった。そう、証人は一人もいなかった。この被告人は罪を犯したことを反省しているのか裁判が始まる前から泣いていた。検察官の言い分もすべて認めていた。

それでもまだ確定判決は下されなかった。なぜなら、詐欺罪についてはおおよそ証明されたものの、恐喝罪、窃盗罪という残りの2つの罪については、未だ証拠不十分だったからである。結果、この日の裁判は30分で終わった。

私達は一時間裁判を見る予定だったので暇になってしまった。そのため、他の裁判を見ることにした。しかし、なかなか傍聴席が空いておらず、十分間ずっと探し続けた末に、やっと見つけた。
二つ目の被告人はさっきと少し違う。なぜなら中国人だったからだ。どうやら、被告人は麻薬を飲んだらしい。今回も小さい裁判だったので、裁判官は一人、弁護人一人、検察官二人。証人はゼロ人で、代わりに今回は通訳人が一人いた。この被告人は自分が麻薬を飲んだという意識がないらしい。彼にとっての麻薬は錠剤と変わらない。私はその考えがおかしいと思った。しかも捕まった時と今、供述していることが矛盾している。

二回目の法廷では弁護人がひたすら被告人に質問していた。まるでどっちが検察官でどっちが弁護人かわからなくなるくらいに。
後で先生につい聞いてしまった。
「弁護人って右にいた人ですよね? まるで検察官のようでした。こわかったです。普通あそこまでするものなんですか?」
と。

先生は
「あの弁護人のやり方は正しいと思う。多分自分で納得していない所があるんじゃないかな。僕は自分が納得するまで聞くよ。自分が納得できなかったら、裁判官も検察官も納得しないと思うから。」
と言っていた。私は裁判は被告人の人生を左右する大事なことだと思った。そして弁護人は、被告人にとって重要な存在だと感じた。昨年の模擬裁判と今回の裁判傍聴により、私は法律というものにとても興味を持ち始めた。

(中学部3年 女子)

全校カルタ大会が行われた翌週の日曜日、同じ時刻、立教英国学院のホールにはきれいな歌声が響きました。1月26日(日)は、生徒会主催のクラス対抗合唱コンクールでした。合唱コンクールは昨年度より始まり今年度は第2回目です。今年度は昨年同様の各クラスの自由曲に加え、聖歌集より1曲を選択し、合計2曲を合唱することになりました。

3学期が始まると、それぞれのクラスでは指揮者、伴奏者、そして、曲が決められ、休み時間や放課後など、空き時間を見つけては合唱練習を行いました。部活動やプライベートレッスンなどで忙しい放課後の時間にも、学校のさまざまなところから歌声が聞こえてきました。毎朝の礼拝での聖歌や音楽の授業、楽器のプライベートレッスンやギターコンサート、スクールコンサート等々、普段から音楽に親しむ機会が多くあり、また衣食住を共にする大家族生活を送る立教英国学院の合唱練習では、指揮者と伴奏者だけでなく、クラスみんなで互いに意見を言い合う姿が印象的でした。

合唱コンクール本番。会場は緊張の雰囲気に包まれました。今までの練習の成果を発揮しようと声を掛け合います。発表が終わると、「うぁー」「すごいな」と観客席、審査員席から呟く声が聞こえます。出番を待つクラスはさらに緊張に襲われました。発表を終えた生徒たちはとてもすっきりとした様子です。どのクラスも本番で緊張の中、自分たちの持っている最大限の力を発揮し最高の合唱ができたのでしょう。

合唱コンクール翌日の夕食後、校長先生特別賞、チャプレン特別賞、短期留学に来ているミレースクール賞、聖歌賞、自由曲賞、そして総合優勝が発表されました。優勝を手にしたクラスは1クラスだけですが、得点差はほんの僅かでした。どのクラスも最高の発表ができたことを感じさせられます。現在のクラス、現在の生徒会の下で行われる最後のクラス行事である合唱コンクールは最高の形で幕を閉じることができました。

今のクラスで過ごせる時間も少なくなってきました。合唱を通じてさらに絆の強くなったクラスメートとの時間を大切にし、共に学び成長してくれることを期待しています。

3学期は短い学期ではありますが、内容は盛り沢山。週末はありとあらゆる行事が入り、来学期に見送られた行事も… そんな中でスポーツ部の対外試合も盛んに行われています。
この日は男子・女子バレーボール部と卓球部の対外試合が行われ、テニスコート3面分の広さを誇る体育館もこの日ばかりはスペース不足。間近に対外試合の迫った男子・女子バスケットボール部の部員たちが手狭ながらも体育館の隅の方で練習を続ける姿もまた印象的でした。

この日の相手校はどちらも強豪。バレーボール部は地区トーナメントの会場になることが多いエプソンカレッジ校、そして卓球部は地元ホーシャムの町にある名門のクライストホスピタル校。前回は相手校での試合で本校卓球部が惜しくも敗れた学校です。昼食の後に部長達が全校にアナウンスをしたので、試合が始まる頃には応援の生徒達も沢山集まっていました。

ホームでの試合という強みもあってこの日は本校チームも勝つ気満々。1ポイントごとに円陣を組んで気合いを入れる男子バレーボールチーム、ミスをした仲間にも優しく声を掛け合う女子バレーボールチーム、得点を取るごとにガッツポーズを決めてゲームに集中する卓球部員たち…

試合後半には、この1週間交換留学で本校に滞在中の地元ミレースクールの女子生徒たちが、本校のバディ(交換留学のペア)と一緒に応援に駆けつけ、試合は益々盛り上がりました。

結果は男・女バレーボール部、卓球部ともに本校の勝利。「応援にきてくれた皆さん、どうもありがとう!」部長たちの晴れやかな笑顔が印象的でした。
明日は男子バスケットボール、明後日は女子バスケットボール、対外試合はまだまだ続きます。

今回の休みは、お正月があったので新潟にある弥彦神社というところに行ってきました。私の母が弥彦神社が好きなので、家の近くの神社ではなく、家から車で二時間くらいの弥彦神社に休みの度に行っています。

弥彦神社とは、天照大神の曾孫にあたる「天香山命」を御祭神とする、越後一宮です。私は、特に神様を信じているわけではありませんが、弥彦神社に行くと、神様は居るのかなと思わせられます。新潟県では、雪が降るため杉が真っ直ぐに育ちません。しかし、弥彦神社は、樹齢400年から500年の杉や欅に囲まれていて、それが神様が居ると思わせる一つの要因です。

また、弥彦神社は、弥彦山の麓にあるので、行く季節によって、景色がとても変わっていきます。春は、若々しい緑色に山が染まっていて、夏は、春に比べて濃い緑色です。秋は紅葉で山が赤や黄色で美しくなっています。そして冬は雪で白くなります。どの季節に行ってもとても美しく、神々しいです。

弥彦神社の御祭神である、天香山命は、新潟県民、特に女性の間では、女性だという噂がささやかれています。しかし、天香山命は正真正銘の男性の神様です。なぜそんな噂が飛び交っているのかというと、江戸時代の頃、地元の男性が温泉街に遊びに行く際に、奥さんがついてこないように、「天香山命は女の神様なので夫婦で行くとやきもちを焼く」と嘘をついたのが今でも伝わっているからです。このようなことは、弥彦神社だけでなく、日本全国にあります。場所が遠く離れていても、考えることは同じなんだなと思いました。

新潟に来ることがあったら、ぜひ弥彦神社に行ってみて下さい。

(中学部3年生 女子)

私は12月21日から23日、ドイツのニュルンベルクを訪れた。ニュルンベルクは、イギリスから飛行機で2時間ほどのドイツ南東部にある町だ。また、日本人選手が活躍する強豪サッカーチームの本拠地としても有名である。しかし、今回私がニュルンベルクを訪れたのは、サッカー観戦のためではない。年に一度のヨーロッパの人々にとっての大切なイベント、クリスマスを祝う、クリスマスマーケットだった。

ニュルンベルク駅から徒歩十分ほどの旧城郭から、マーケットは始まった。大通りに並ぶ屋台の売り物は様々であった。ドイツでは有名な木の細工や置き物、またお菓子やパンなど数え切れないほどの商品で屋台は彩られていた。私と弟が気に入ったのは、串に刺さった、チョコレートソースのかかったいちごだった。色んな店の物を買い、食べ比べをした。また、ソーセージも食べた。ドイツのソーセージは、食感が少しやわらかくて、こってりとした味わいである。付け合せで玉ねぎやポテトのマリネと一緒に食べるとさっぱりして、いくらでも食べられそうだった。

私はお土産に、ろうそくに火を灯すと上昇気流でプロペラがまわるという、木細工の置き物を買った。イエス様とヨセフ、マリア、羊飼い、そして三賢人と動物たちの人形は、見ていていやされるような気持ちにさせる。この大きな大きなクリスマスマーケットは、訪れる人々に幸せを与えてくれているように感じた。そして、それはヨーロッパの人々、また世界中の多くの人々の信仰によって支えられているのかもしれない、とふと思った。

(高等部2年生 女子)

僕はこの休みにスペインのバルセロナへ家族で旅行に行った。この町はサッカーチームでも有名だが、もう一つ忘れてはならないものがある。それはガウディがバルセロナに残した、独創的な建築の数々である。

中でも有名なのは、百年以上前から作られ続け、未だに完成しないサグラダファミリアだろう。今まで僕が見てきた大聖堂とは比べ物にならない程大きく、他を圧倒するような存在感だった。中に入れば幾本もの巨大な柱がその身を連ね、ステンドグラスから差し込む光が僕達を包んだ。制作に携わった全ての人々の意思を受けとったその大聖堂はこれ以上無いというような威厳を持ち、バルセロナという町の象徴に見えた。

また、僕はグエル邸にも足を運んだ。この館には、幼少期から自然に慣れ親しんできたガウディならではの工夫が内部の至る所に施されていた。階段の手すりに、窓に、壁に、天井に、自然のありとあらゆる表情を切り取ったような不思議な建築に気付けば僕は見入っていた。

僕がバルセロナで見た建築は、ガウディがそれらを通して伝えたかったうちの一部かもしれない。でも、ガウディの描いたなめらかな曲線、自然と調和した美しさ、吸い込まれるような光の表現などに僕は触れあい、無意識の内に彼が創造した世界に心奪われていた。一体彼はどれだけの人々を魅了していったのだろうか。そして、そんな彼に魅せられた人々のうちの一人になれたことに、僕は心のどこかで嬉しさを感じていた。

(高等部2年生 男子)

ホテルに向かう水中バスに乗ると、写真や絵で何度も見たあの景色が、私の目の前に広がった。運河沿いに立ち並ぶ建造物に、アーチ形の教会、横を通り過ぎて行くゴンドラに船…。初めての街で、ひと目見て綺麗だと感じたのは初めてだった。

すでに場所は察するであろうが、私がこの冬訪れたのはイタリアのヴェネツィアである。前から、両親に行きたい場所はあるかと尋ねられた時にいつもヴェネツィアに行きたいと言っていた。今回その願いが叶ったのだ。

ヴェネツィアは、言うまでもなく有名な観光地である。街を見渡せば、世界中から来た観光客であふれていた。そりゃ、あの素晴らしい景色を皆、一度は自分の目で見たいと思うことだろう。そして、アドリア海の海の幸を使ったイタリアン料理。観光客があふれる理由はよく分かる。しかし、私がヴェネツィアに行きたかった理由はそれだけではない。

私は今、授業で世界史を選択している。そこで中世ヨーロッパを語る時、ヴェネツィア抜きで語ることは無理だろう。十字軍に乗じて地中海を中心に貿易が栄え、商業圏を拡大した。またルネサンス時の作品もある。今となっては観光業が中心だろうが、かつてはイスラームとヨーロッパを結ぶ架け橋だったのだ。そういった歴史を知った上で、旅行をすると、見る視点がガラッと変わる。また博物館や美術館でも知っている作品があると、少し心が躍る。世界史をフル活用し、勉強ではあるが、素直に楽しむことができた。

ヴェネツィア。そこでは普通のバスや車はなく、すべて水中の道にゴンドラや船が揺れる。世界中の人々が憧れる歴史ある美しい街。いつか、またそこを訪れあの景色を見たい。

(高等部2年生 女子)

1月18日(土)、日本全国で高校3年生がセンター試験を受験します。
帰国中の本校の3年生も頑張っていることでしょう。

同日の英国時間19時20分。
「はじめ」の声とともに全校生徒、小学5年生から高校2年生までが一斉にセンター英語の問題に挑戦しました。

学年によって集中度は違うものの、やはり次期最高学年である高校2年生が全校でトップの成績を収めました。高校2年生の平均は129点。今回のセンター試験の受験生の平均を上回りました。

最高点は満点の200点。
中学3年生でも181点という点数をとる生徒もいました。

自分のときのセンター試験本番が楽しみですね。

英語の授業や、交換留学などの学校行事で英語を使う機会を増やし、着実に自分のものとして習得していってください。
そして卒業するときは最高の笑顔で卒業できるように、今の時間とチャンスを大切に過ごしましょう。

自分のことは自分が一番良く知っている。過去に何度か聞いたこのフレーズに、どこか底知れぬ不安感を抱かせたのは、書店で何気なく手に取った一冊の小説だった。主人公の少年は解離性同一性障害、いわゆる二重人格者であるが、彼自身はそのことを知らず、気付かぬ間にそのもうひとつの人格が殺人を犯してしまう、という内容のようだ。
「ようだ」というのは、実はこの本を僕は最後まで読んでいない。だから結末も分からぬままだ。時間が無かった訳ではない。けれど僕のページをめくる手は、主人公が殺人の容疑をかけられ、取調中に発した一言によって、文字通り、硬直した。
「自分のやったことなのにわからないんだったら、そりゃぁもう、そんなことやってないってことだろう。あんたら以上に俺を知っている人間なんかいないんだから。」
堂々と言ってのけた主人公に対して、どうしてか恐怖のようなものが芽生えた。決して自らが二重人格者であるかも知れない、と不安に思った訳ではない。僕は自分のことを本当に理解しているのだろうか、と考えてしまったのだ。

自分は今まで、自身のことを分かっていない、と思われる人間に何度も出会ったことがある。明らかに服のサイズが違っていたり、一向に上達しないものに没頭していたり、人それぞれだが、その人々の事を少なからず僕は心の中で嘲笑していた。しかしその全ての愚弄は自らへとのしかかる。
考えてみれば、自分は良い側面と悪い側面を切り離して見ていた。そしてどうしても、何かから逃げ出したい時は良い側面だけを見つめていた。確かに悪い側面もあるということは分かっていたが、その両方が合わさっているのが自分だとは認めたくなかったのだ。
また、嫌な出来事が起こってもそうだ。すぐに気持ちを切り替えられる、というと聞こえは良いが、実際はただの現実逃避だ。バスケットボールの試合の大事な局面でシュートを外した時も、友達を怒らせてしまった時も、いつも僕はその事実から逃れようとしていた。
こうやって、悪い側面ばかりが浮かんでしまう時、僕は必ず自分の良い部分を思い浮かべていた。しかし今回は使い古した思考回路へと踏み入ることは無かった。
「全てひっくるめて自分なんだ。」
ただひとつの簡単な答えに行き着くのに16年もの月日を費やしてしまったということに、今となっては嫌気が刺すが、この一文が頭に過った瞬間、僕は流れを塞き止めていた大きな固まりが砕け散ったような、言い表せない充実感と、同時に、踏み込んだ未知への不安に襲われていた。

行く当ての無いまま邁進する僕の思考が、また何かにぶつかることはあるだろう。しかしそれはまたその時の話である。いつでも前向きなのが良い側面で、後先を考えないのが悪い側面。それら両方を兼ね備えているのが自分。

他に遅れをとりながらも、たったひとつの小さな壁をようやく乗り越えることが出来た、高校1年の冬だった。

(高等部1年生 男子)

リロ・トランスユーロ社の発行する「Euro News」( Jan/Feb 2014 No.130 [EU版] )の「学校探訪」のコーナーに本校の記事が掲載されました。以下にその記事をご紹介致します。

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とても素晴らしい環境です。
学院はロンドン南郊の緑の中。小学校から高校までの全寮制で161名の子供たちと90名の教職員が家族のような共同体を作っています。11月のある日、学校のオープンデーを覗くとともに、棟近校長先生と岡野教頭先生にお会いしました。

「こんな素晴らしい環境と条件の学校があるなんて。昨今の学校が抱える諸問題がここではウソのようですね。」と私は桃源郷に迷い込んだように、しばし絶句しました。
「ここはセブン・イレブンですからね。」
と校長先生はいたずらっぽく答えられます。
あのスーバーマーケットのことではありませんよ。立教英国学院では文字通り7時の起床から11時の就寝まで、子供たちと教職員は家族のように一緒に生活し勉強します。生徒たちは共同生活で上級生が下級生の世話をし、さらに教職員が見守るというていねいなシステム。
「こんなに恵まれた環境で育つ生徒たちは、社会の荒波に出たら落差にショックを受けませんかね?」と聞いてみました。
「もちろん学校になじめずに帰国する子供たちもたまにいます。でもこの学校生活で人生の基礎を築く子供たちが、その後の荒波をうまく乗り越えていく糧を得ることもまた事実ですね。学校ではキリスト教を強要するわけではありませんが、こうした大家族を社会全体に広げるというキリスト教のバックボーンを学んでくれれば良いと考えています。」

「学校の教育方針は?」という質問をしました。校長先生の説明では、異文化理解、人間教育、語学教育を三大方針にしているとのこと。人間教育というのは「思いやりの心を育てる」ということで、異文化理解では、毎週村の教会に顔を出したりオープンデーに招待したりして村の人たちとの交流を大事にしているとのことです。生徒たちが毎週、英語の授業の一環で街頭インタビューをするのも、イギリス人を理解すると共に度胸をつけることにも役立っているそうです。

オープンデーはとてもにぎやかです。数百人の大家族が売店や展示会で大忙し。この素晴らしい学校で育つ生徒たちはとてもすなおで活発です。学校の教育成果を目の当たりにするようでした。

◇立教英国学院 ウェブサイト www.rikkyo.co.uk

 

「Euro News」( Jan/Feb 2014 No.130 [EU版] ) リロ・トランスユーロ社

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