2学期は1学期と比べて体験や経験が多く積めた学期だったなと思いました。

1つ目は、フィールドワークです。今学期は、外国人に質問する形で授業を進めました。最初の方は緊張してしまい、先生に顔がかたいよ、とよく言われ、笑顔でいこうと思うと無視されたり、「急いでいるから」のような形でことわられてしまい、難しいなと感じる場面が多かったです。無視されたらしかたがないからとりあえず聞いてくれる人だけでも聞こうと思うと、こちら側が質問するだけならいいのですが、相手からもたまに質問されると何も答えられずもうし訳ないなと思い、悲しくなってきます。でも最後の方は、なんとなく聞かれた質問に単語だけでも答えられるようになると相手も笑ってくれるし、質問に答えられた自分によかったなと感じました。この調子で来学期も積極的に質問して経験を積みたいです。

今学期は、部活動でも大きな体験ができました。サッカー部の人数が11人しかいなかったのもありますが、立教でも初めての試合ができました。相手は外人で190cm以上ある人が5人くらいいてびっくりしました。試合が始まる前だけで「大きいな」と5回以上言いました。結果0対2で負けてしまいましたが、学ぶことが多い試合になったなと思いました。

今学期一番成長した事は、リーディングマラソンに取り組み、第一通過点のセブンシスターズを通り、やって良かったなと感じました。この調子で来学期も最低でも第2通過地点は越えたいです。

このように冬休みは何事にも挑戦し、家だからとだらだらせず来学期の漢字コンクールや英検に向けての勉強もしっかりやり、来学期は二学期よりもいっぱい体験して、スポーツして、勉強もしっかりして充実した三学期を過ごしたいです。

(中学部1年生 男子)

森鷗外の作品を読むのはこれで三度目だった。有名かつ偉大な作家なだけに、彼の作品の中でも高く評価を受ける、「高瀬舟」は授業でも取り扱った。他には「青年」を読んだが、今作品はそれら二作とは大きく異なる印象を受けた。雁には高瀬舟にみられる思想的葛藤も、青年で登場するような哲学者や知識人もいない。しかし最後だけは森鷗外らしい希望を全て打ち砕かれたような遣る瀬無い終わり方をしている。

話の舞台は明治十三年、主人公の「僕」によって話は語られる。そして中心となるのは僕と同じ大学に通う岡田と、二人の散歩道に住む高利貸しの妾、お玉だ。お玉は妾という立場で自由は拘束されているが、家を通りかかる岡田に惹かれていく。しかしその思いは届かぬまま物語は終わる。岡田はドイツへ留学することになり、それを知らないお玉は何気なくすれ違うのを最後に儚き別れを遂げる。

この本において森鷗外が最も描きたかったのは、一女性の自我の目覚めとその挫折であろう。つまり若き男女の恋愛などには端から興味がない。岡田の心境など描写が成されていないのが何よりの証拠だろう。しかしそう考えるならば、「雁」というタイトルに違和感が生まれる。雁が実際に登場するのはまさに物語の終盤、岡田が投げた石が偶然にも雁に当たり命を落としてしまう。そしてその雁を持って帰って食べることになり、そのせいでお玉は岡田に会えず終いとなった。

確かに物語を動かしてはいるがこの一羽の雁が話の中心にいたとは考えられない。ならばなぜ作者は雁を、本の顔とも言える、タイトルに選んだのか。それは、雁の一生がいわばこの本の象徴であるからだと考えた。
雁は渡り鳥である。渡り鳥は秋に、冬の寒さから避けるため日本や周辺の温暖な地帯へ海を渡って移動する。そして気温が暖かくなるとまた北の寒冷な地域へ飛んでいく。本文中に明確な季節の描写は無いが、雁が登場したのが岡田の留学前夜だということから、春だと考えられる。つまり命を落とした時雁は新しい住処へ飛び立とうとしていたのだ。

そう考えるとお玉と雁の人生はどこか似ているように思えるのだ。お玉もまた新しい、岡田という、心の居場所を求めて飛び立とうとしていたのだ。そして結果、雁もお玉も突然の終わりを迎えるのだった。石が当たり落下する雁のうな垂れた首は正にお玉を象徴していた。この辺りが、森鷗外が雁をタイトルとした理由であろう。

お玉と岡田の別れにより物語は終わる。これだけを見ると救いようの無い話のように思えるが、そうとも感じられないのだ。確かにお玉の想いは届かず、雁のように彼女の恋心は殺された。しかしあくまで恋心というのはその時の気持ちであり、お玉自体が死んだわけではない。つまりそこに、冒頭で言った、「他の作品と大きく異なる印象」があるのだ。

例えば、高瀬舟は読み終えたあと、どうあがいても這い上がれない闇に落とされたような感覚を受けたが、雁はあくまで一つの恋の話、またはその恋により自我が芽生える、要は成長する女性の話だ。いくら妾という立場でもそこに死が待っている訳ではない。お玉はこの物語が終わっても生きていくし、また新しい恋をすることもできるのだ。

そして作者も最後に読者に想像を煽らせる一文を残している。
「お玉とはその後相識となったが、それはなぜかと問われても、これに対する答は物語の範囲外にあるため読者は無用の憶測をせぬが好い」
こんなことを書いておいて想像をするな、という方が無理がある。どういった経緯でこれが書かれていようとも、お玉はそれなりに岡田が居なくなった後も、正常に生活を送れているということだ。

雁は森鷗外の作品の中では読みやすいという印象だったが、淡々とした、しかし切ない文章は余韻を残した。そして読み終えた後、考えをめぐらすのも彼の作品特有だ。本の中の解説部分にも、作中での出来事や解説はあるが、心の中のもやもやは消えない。作者自身の狙いがこのもやもやなのならば、彼の手の上で踊らされる読者の一人なのだが、それすらも知ることはできない。こうして彼に興味を持った自分は他の作品も読むことになるだろう。しかしそれもまた森鷗外の狙いなのかもしれない。

(高等部1年生 男子)

「想像」

小学生の時、学校の先生から「題名は、読む人が読みたくなるように付けましょう」と教わりました。それを聞いてから、自分で書く作文の題名にも気をつけています。本を読む時にも、とても題名が気になります。

本の題名「神様」から、人間と神様が、仲良くなる物語が書かれている本だと思いました。短編9話からなる物語でした。1話の「神様」を読み始めてみると、クマが人間と同じような生活をしている話で、人間の女性と散歩に出かけるという絵本の中のクマがするような物語でした。絵本は絵で、その様子を見ることができますが、活字だけの世界では自分が想像した情景を自分だけしか知らない世界で読むことになると思います。読者が、それぞれに自分の空想の世界で物語を読むのだと思います。私は童謡の「森のくまさん」を思い出しながら、優しくて温かいクマを想像しました。でも、「森のくまさん」を知らない人は、違うことを考えると思います。

1話目は「クマにも神様がいるの?」と、最後の方で「神様」という文字が出てきただけでした。作者は、どうして題名を「神様」としたのかと不思議に感じていました。

2話目の話は、梨農園で夏休みに、お手伝いする青年の話でした。青年は、そこで白いフワフワしたウサギくらいの生き物3匹に出会うのです。梨の収穫の時だけ出てくる、梨だけを食べる生き物という設定です。生き物は、動物として書かれていなくて、得体の知れないものとして書かれています。出会った青年も何者なのか?と考えているうちに、梨の収穫時期も終わり、その生き物たちも梨の木のそばで消えていなくなりました。

たぶんこの生き物は「梨の豊作を願う神様が、収穫の時期だけ変身して出てきて、普段は梨の木に宿っているのではないか」と考えました。読者は、みんなこのように感じるでしょうか。やはり2話目でも、その生き物を、読んだ人がその人自身で空想しています。私が思っている空想の生き物自体も、神様だと思うことも、豊作を願っていることも、読者によって考えることは異なるのではないかと思いました。

このように考えると、この本に出てくる人間以外の生き物や得体の知れないものが「神様」だと思って読みました。
短編中でこの神様は何をしたいのか、何を言いたいのかと、いろいろ考えました。そのように読むことは楽しかったです。「神様」が姿を変えていると、出会った人間の本性がよく見えるような気がしました。

いろいろと読者に考えて欲しいと思い、作者がこの本を「神様」と名付けたのではないかと思います。読者それぞれが考えたり、感じたりする心を大切にしたいから名付けたのかもしれません。

(中学部1年生 女子)

未知の世界へと続く扉の前で、期待に目を輝かせる魔法使いの卵たち。この地球上で最も有名な丸眼鏡の少年も、その列の中にいた。
学都Oxfordで英国ならではのHigh teaを存分に楽しんだあと、わたしたちの班の好奇心をくすぐったのは、眺望の良い教会ではなく、アインシュタインの黒板でもなく、Christ Church Collegeだった。5.5poundsの入場料を払って入った先は本の中の学校にそっくりで、どこぞの怪物(トロル)が出没しそうな石の回廊や、箒が風を切って飛んでいってもおかしくない緑の中庭が、目に眩しかった。けれどその中でも一番わたしの心を動かしたのは、荘厳な食堂だった。

重々しい木調の長いテーブルにひっそりと置かれていたメニューには”Freshers”の文字。それを見て思い出すのは、キャンパス内を案内して頂いてるときにすれ違った人々のことだ。自分と大して年の変わらないだろう若い人から、その保護者か、或いは第二の人生を歩み始めるつもりなのか、髪に白いものが多く交じった人まで。皆一様に、喜びと希望に満ちた顔で、寒空の下に立っていた。新入生のためのイベントに、参加するためだ。彼らが今夜、あの魔法使いの卵たちのように、石の階段を登り、大きな扉の向こうへと入ってゆくのだ。そう思うと、不思議な感情が湧いた。

尊敬。今和やかに談笑している彼らがここに辿り着くまでには、一体どれだけの努力があったのだろう。

憧れ。名門Oxfordの学生の一人であるというのは、どのようなものなのだろうか。

感動。ここに居る人々が、やがては様々な学術の権威として、世界中に広がってゆくのだ。

そんな純粋な思いの中に、今の自分自身を見つめている冷静な目があった。日本を飛び出して英国にやってきて、国の垣根を越える新時代の大人になるための視野は広がったと思っていた。けれども目前にある試験、日本の大学への進学のことを考えているうちに、それは再び、少しずつ霞んできた気がする。自分の能力を高めるために海外へ出たとして、今見ているトップクラスの学都へ進学したとしても、その場所でさえ、まだ世界のほんの一部なのだ。秋の高い空に、それを気付かされた。

Christ Church Collegeの食堂へと続く扉は、確かに新しい世界へとつながっているだろう。だが、そこで終わりではない。日本の大学を出てから取り敢えず海外へ出ようと漠然と考えていたわたしには、当たり前のことのはずなのに、少なからず衝撃だった。井の中の蛙は、話には聞いていた大海を見た。さて、わたしはこの後、何枚の扉を開けることが出来るのだろうか?

大家族生活――この立教で生活する時の重要なテーマである。生徒や先生が寝食を共にするという貴重な環境の中で、様々な人にお世話になった。その中でも忘れてはならない人たちがいる。英国人のスタッフたちだ。
彼らは僕たちと言語や習慣が違うにも関わらず僕たちに勉強や音楽を教え、教室やドミトリーを綺麗にし、安心して立教生活を送れるようにしてくれている大事な人たちだ。

まず、ECの先生方。当たり前のことだが、僕が普段話すのは日本語で、彼らは英語だ。僕の、お世辞にも上手いとは言えない英語の発音を、彼らは聞きとってくれ、僕にもわかるように易しい英語で会話をしてくれる。コミュニケーションをとるのが苦手だった僕も、昔と比べてずいぶん話せるようになったと実感している。2年ほど前、EFLからECになったのも、人種や言語を超えて”人”としてコミュニケーションをとることが重要だという意味だったのかもしれないと、今の僕は思う。

次に、音楽を教えてくれたプライベートレッスンの先生。僕はサクソフォンのレッスンを取っているが、それと同時にトランペットでコンサートバンドに入っていた。元々父に勧められてやり始めたサックスは、右も左もわからない本当の初心者だった。そんな僕を、25分の間だけだが、毎週付き添いで手取り足取り教えてくれた先生には、本当に感謝の念を示したい。学期末のコンサートに出なくて父にひどく怒られた時もあった。練習曲のリズムが取りづらくてなかなかうまく吹けない時も、僕の舌足らずな英語にも、先生はいつも優しく接してくれた。この立教を卒業しても、きっと僕はサックスを吹き続けるだろう。

最後に、クリーニングレディースのみなさん。就寝前や起床後は僕らのせいで汚れた部屋を見ることになるのだが、昼食後に行くとまるで新しくなったように綺麗になっている。ドミトリー内は小さなゴミさえなくなり、脱ぎ散らかした服がベッドの上に畳まれていたりする。1週間に1度洗濯をしてくれ、2週間に1度ベッドのシーツが皺一つない状態で整えてある。全て彼女たちのおかげだ。僕は自分の部屋の掃除は苦手でよく先生方に注意されるのだが、ドミトリーに帰ってみると、大きな掃除機と雑巾を持った彼女たちが掃除をしてくれているを見る。

僕たちが午前の授業を受けている間、彼女たちは毎日丁寧にドミトリーやトイレを綺麗にする。そして僕らがドミトリーに帰ると、まるで魔法を使ったかのように綺麗になっているのだ。もし自分たちで掃除をしなければならないことになったらと思うと、とても真似できないだろう。
他にも教室等やニューホールを掃除してくれるおじさんや、蛍光灯などを交換してくれているおじさんたちが、僕たちの立教生活のために日々縁の下の力持ちの役を買っている。

僕たちは様々な先生方から将来のために学ばせてもらっていると同時に、勉強以外のことについても周りに支えられている。彼らの誰か一人が欠けても立教生活は成り立たないだろう。それほどまでに僕たちは、知らないうちに彼らの助けを借りているのだ。
さっきも言ったが、僕はこの感謝の意を全て英語に出来る自信はない。それでも、僕のこの5年間の立教生活をすぐ近くで支えてくれた彼らに、卒業する前に一言、「ありがとう」と伝えたい。

(高等部3年生 男子)

オックスフォードでのアウティングは本屋を覗いたり、科学史博物館に行ったりと、なかなか面白かったが、一番印象に残っているのは、栞にも載っていた、『The Grand Cafe』である。

Tent Marketでパイやサンドウィッチを食べたりして早めの昼食を済ませ、集合時間までまだ時間があるので軽く一杯、と仲間三人と連れ立って件のカフェへ行った。正面から見ると本当にイングランド一の老舗カフェなのかといった、どうにも垢抜けない感じがしたが、いざ中へ入ると、なるほど、いかにも老舗といった雰囲気だった。机や柱、鏡の縁等にも金色の装飾が施されていて豪勢な感じがした。

席に着きメニューを見ると、表にはスコーンと一緒になったランチセット、裏はコーヒー、紅茶の単品が書いてあった。しかも、それぞれ十数種類、紅茶の方には一つ一つに説明が付してあった。店員が注文を取りに来て自分はダージリンを、M.Sはアッサムを、そしてH.SとK.Tは十ポンドもするブルマンを頼んだ。自分がダージリンを選んだのは、そのスッキリとした味と明るい色合いが昔から好きだからである。渋いものはあまり好みではない。

注文したものが届き、男四人の中途半端なティータイムが始まった。茶をカップに注ぎ、一口すすると……渋かった。これがダージリンのはずは無い、しかし店員が間違えるはずが無かろうと半信半疑でM.Sに頼み、一杯もらうと……紛れも無いダージリンだった。老舗でもやっぱりイギリスだなぁと男四人で一しきり笑い、改めてダージリンを賞味する。美味い、やはり紅茶の王様と呼ばれるだけの事はある。この紅茶は軟水の方がおいしいと聞くがそんなことは無い。スッキリとした味わいがしっかり通っていて今までのどんな紅茶よりも良かった。

M.Sのアッサムはやや渋みがあるがミルクティーとして飲むと、紅茶の渋みと牛乳の甘みが交わり、非常にまろやかな味となる。これには日頃大食家で、味を気にしているのだろうか、という彼も同意してくれた。

さて、残る二人のブルマンだが、こちらの紅茶と引き換えに一杯半ほど飲んだが、初めて口にしたとき、とても驚いたのを覚えている。苦くないのである。ブラックなのに。まさか、と思って続けて飲むが、苦みも酸味もすっかり身を潜めて、非常に口当たりが良い。とてもコーヒーとは思えなかった。さすがに十ポンドもするだけのことはある、としきりに感心した。

その後は、皆で茶やコーヒーを飲みながら馬鹿話や政治談義で盛り上がり、一時間ほどとても濃密な時間を過ごした。もし機会が有ればぜひとも再び行きたい場所である。

ちなみに、途中で小腹を空かせた男共が、隣で昼食をとっていた女子達から余ったスコーンのおすそ分けを頂いたのは余談である。

(高等部2年生 男子)

「僕らには時間がない。」OPENDAYの準備にかけた数ヶ月間のわたしを動かしていたのは、この一言だといっても過言ではない。時は金なり。光陰矢の如し。古今東西、流れていってしまう ”時”の大切さを訴える言葉は数多く存在した。何事を為すにも時間の限りはつきぬもので、今までに何度も”時”との修羅場をくぐり抜けてきたはずなのに、だがしかしこれらの言葉の重みを身にしみて感じたのは、今年のOPENDAYだった。

「僕らには時間がない。」この言葉に出会ったのは、五月頃、halftermの直前だ。演劇部の仲間に、OPENDAYでの公演で是非使ってみたい話があるから今すぐ読め、と半ば強引に手渡された台本の帯にあった一言だった。以来わたしは、この言葉に追いかけられるようにして過ごしてきた気がする。週に二回も八限目まで授業がある高校二年生。勉強のレベルも格段に上がり、とにかく自習時間が欲しいと思う中、どうやってスムーズに話し合いや作業を進めていけるのだろうか。学級委員としての自分の役割は何だろう。考えているうちにも時計の針は進む。気がつけば、ゆっくりOPENDAY準備に費やせる夏休みは終わり、二学期が怒涛の如く過ぎ去ろうとしていた。

「僕らには時間がない。」それは、OPENDAY準備期間の最終日まで続いた。時が経つにつれて増えてゆくのは焦りと教室のゴミ、減ってゆくのは心の余裕とペンキの量だ。何故一日は二十四時間しかないのだろう。そんな、試験前の学生のようなことを、ふと考えていた。そうやって出来上がった物の数々にどこか実感が湧かなかったのは、当然のことだった。自分との、周りとの戦いであるOPENDAYに際して、わたしの心の中で常に黒い光を放っていたのは、”時間”であったからだ。今年のスローガンはFeel this moment、けれど貴重な一瞬の大切さを味わうことなく、わたしのOPENDAYは終わってしまった。

「僕らには時間がない。」この言葉がどれだけ深く自分の中に巣くっていたか、OPENDAYが終わってようやく気がついた。塗り足りなかったところ、作り足りなかったところ、後悔は作りあげた作品だけでなく、一つのクラスとして団結することにも及んだ。もっとこうすれば良かった。あの時ああしていれば。溢れんばかりの思いの中に、その全ての責任を”時間”に押し付けようとする自分がいた。懐中時計を片手に駆けてゆく白ウサギを追って迷子になった少女は、自分の災難をウサギの所為にした。要するに、そういうことだった。

「僕らには時間がない。」それは、建前だったのだ。悔しさが残ったのは、時間の所為ではない。迷子になったのは、自分の好奇心の為せる業ではなかったか?結局、わたしは怖かったのだ。今まで頑張ってやってきたと思っていた準備に、穴がたくさん空いていたのを知ることが。現実は残酷だ。”時間”に関することを抜いて考えれば、自分の至らなかったところが見えてくる。集約してしまえば、それらは「学級委員としてクラスをまとめられなかったこと」。この一つに尽きた。けれど、それを回顧して、自分の影をいつまでも見ていては、前には進めない。”時間”に責任転嫁するのはもうやめた。自分の、情けない現状を自身の前に曝した。そうしてちゃんと反省したのならば、次はそれを消化して進まなければ、成長できない。悔しい気持があるなら、不甲斐ない自分がいるなら、次の機会こそ、そうならないように精一杯努力すれば良い。そう気づかされた。

だから今。

「僕らには時間がある。」

まだ残っている青春の一齣を、最大限の力を出し切って走り抜けなければ、損だ。

(高等部2年生 女子)

今でもあの感動を忘れることができない。身体があの時の緊張、不安、興奮、楽しさ、歓声…すべてを記憶している。舞台袖での仲間との会話、そしてステージでのダンス。今年はダンス企画を選んで本当によかったと思った。

去年。高一だった私はオープンデイのフリープロジェクトを正直あまり深く考えていなかった。あの時、一瞬ダンスも考えたのだが大変そうだと思い、部活でやっている茶道にした。茶道は茶道でとてもよかった。御手前を憶えることもできたし、着物も着れた。でも、ダンスの人達が日々練習しているのを見て確かに大変そうだったけど、楽しそうでもあった。本番、客席から観たダンスをしている友達はキラキラしていた。来年は最後のフリープロジェクト。後悔だけはしたくない。—-これが今年ダンスを選んだきっかけだ。

しかし、予想はしていたが、ダンスを完成させていくことは甘くなかった。小さい頃からバレエをしていたから、振りを覚える大変さや舞台事情についてはだいたい理解できたが、オープンデイのダンスはヒップホップだし、経験者もいれば初心者もいる。そして何よりも大変だったのはリーダーである友達だった。振りから衣装に照明の配置まですべてやったのである。私は彼女の足を引っ張らないよう、そして少しでも助けられるよう、がむしゃらに練習した。

そして本番。今までやってきたことを発揮するだけ。舞台袖では不安でいっぱいだったが、舞台に立つと世界が変わった。踊り始めると客席からの手拍子や友達が名前を叫んでいるのが聞こえた。本当に、ただ純粋に踊っていて楽しかった。

時には去年ダンスだった先輩が練習に来て注意されたり、どうやったら上手く”見せる”ことができるのかと悩んだりもした。でも、後悔は何もない。最高だった。

(高等部2年生 女子)

今でもあの第1位に呼ばれたときの感覚を忘れられない。第3位から順に呼ばれていく中でどんどん膨らんでいく期待と不安。

私は模造紙班だった。準備期間に入ってからは模造紙班の仕事はすぐに終わってしまったが、期間に入る前までにたくさんの努力をしてきた。休み時間や話し合いの時間をフル活用して、自分たちで完全なオリジナルストーリーを作り上げた。1から話を作るのは非常に大変だった。私たちの模造紙は、ストーリーの部分と古い日記のほうは絵の具で古びた感じを表現したりと、かなり力を入れていた。あれだけ努力をしたのだから絶対に1位になりたい。そう強く願っていたのは私だけではなかったはずだ。

ドラムロールの音が鳴り響いて生徒会の口から第1位が発表される。高等部2年、その言葉を聴いた瞬間、思わず隣にいたHさんと歓声を上げてしまった。1組がすでに呼ばれていたため、高等部2年と聞いただけで私たち2組の1位を確信することができたのだ。頑張ったかいがあった、と心の底から思いながら模造紙班全員で壇上に立った。言葉に表せないほどの喜びだった。

そして総合部門。今年は1位を狙えるんじゃないか、と心のどこかで思っていた。第3位に1組が呼ばれたとき、これはもしかして、と期待が膨らんだ。しかし第2位に呼ばれたのが私たち高2-2組。歓声は上がらなかった。高2にとって最後のオープンデイ。とるなら1位をとりたかった。そして高1に負けてしまったことがすごく悔しかった。

でも今オープンデイの準備期間から当日までを振り返ってみると、順位なんてどうでもよくなってくる。ちょっとした衝突があったりしても、最後まで全力を出し切って作ったクラス企画。今年は去年よりもやりきったという感覚がある。そしてなによりもすごく楽しかった。一週間という短い期間ではあったが、とても密度の濃い時間を過ごした。高2-2組で本当によかった。そう思えた1週間だった。

(高等部2年生 女子)

僕は、今年から会計本部に入った。去年は普通の生徒として最高のオープンデイを味わう事が出来た。今年は会計本部としてのオープンデイだ。一度オープンデイを体験しているのに、去年のオープンデイ前のような気分でとても新鮮な気持を感じた。

皆がオープンデイの話し合いをしている間、各クラスの申請物をまとめたり、どのくらい買うのかを決めていった。自分が思っていた以上に、大変で時間がかかり、全くクラスの話し合いに参加することができなかった。申し訳なかったので期間中のフリータイムのときにしっかり働こうと思った。なんとかオープンデイ準備期間前までの仕事を終わらせる事が出来たが、この時点で少し疲れを感じ、オープンデイ準備期間はもっと大変でやばいなと思っていた。

準備期間に入った。期間中は主に、ハット、体育館、美術室で仕事をしていた。フリータイムはしっかりクラス企画のために頑張ろうと決めていたが、仕事が長引いてしまったりしてなかなか行くことが出来なかった。しかも、体育館を開けて数日後、なんとペンキが駐車場の路上に垂れていた。すぐにペンキを落とす作業に入ったが、なかなか綺麗にならなかった。冷たい風が吹く中でのペンキ落としはとても辛く大変で、途中、僕はなんでこんな事をやらないといけないんだろうと考えさえした。体育館から帰る人達が手伝ってくれたおかげで、駐車場の道路の所は大体は落とすことが出来た。

数日後、今度は美術室へ向かう道路にペンキが垂れているのを発見した。誰がやったのだろう。ペンキを垂らした人がやればいいじゃないかと一種の怒りを感じた。だが、これも仕事だと思ってなんとか落とす事ができた。一日一日が忙しくて、大変だったが、とても一日が終わるのを速く感じた。去年とは違った疲労感や充実感を実感することができて、よかったなと、オープンデイ準備期間最終日、最後の仕事を終え、ドミトリーへ帰る道で思った。

オープンデイ当日はまず美化委員として、ゴミ箱作りから始まった。その後、受付の準備や教室の最終チェックをした。オープンデイが始まった。最初の一時間は受付の仕事でお客さんを受付に誘導した。その後、パンや和菓子などを買い、教室の当番をした。その後また一時間受付をやった後に、コンサートマネージャーとして、コンサートの準備をした。今回のコンサートでは、ギターグループの一員として出演しなければならなかったので、ギターの準備もした。僕達の出番は一番目だったので緊張するかと思っていたが、忙しすぎて何もおぼえていなかった。演奏している時も、何も考えずにただ必死に弾いた事しか記憶にない。自分が終わった後も、裏に残ってコンサートマネージャーの仕事をした。いつもよりミスが多かったような気がするが、無事終える事が出来た。

コンサートが終わったと同時に僕はすべての仕事から解放され、自由となった。人生の中で一番時間の流れを速く感じた日だと思う。

すべての仕事が終わった時、今までに感じたことがない、達成感を味わった。僕は、自分が出来る最大限の力をこのオープンデイにぶつけることができたと思う。オープンデイが終わったらもう受験生だ。気持ちを切り換え期末テストで良い結果を残すことができるよう頑張りたい。

(高等部2年生 男子)

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