立教最大のイベント、オープンデイ。去年と今年とではかなり心持ちが違った。クラス企画もそうだが、ここではフリープロジェクトについて書こうと思う。高一の時はただ純粋にダンスがしたくてダンス企画に入った。踊ることが楽しくて、放課後が待ち遠しかった。しかしいざオープンデイ当日になると、表情は堅いし、踊りは緊張からか、小さくなってしまい、納得のいくダンスができず、不完全燃焼に終わってしまった。

そして今年。みんなをまとめる立場になってダンス企画に帰ってきた訳だが、高一の時とは比べものにならないほど多忙だった。曲選、衣装、構成などを考え、たくさんの時間をダンス企画に費やした。何より大変だったのが、振り付けだ。自分で振り付けをするのは初の試みだったので、不安でいっぱいだった。みんなが踊っていて楽しいダンス、且つ、見る人を魅了するダンスとは何か、夏休み中から振り付けを考え、最後の振り付けが終わったのはオープンデイ数日前だった気がする。こんなにたくさんの曲をよく振り付けたと自分自身感動している。

大変だったのはこれだけではなかった。やはり人間誰でも気は緩むものである。全体的にやる気が落ち、集中力がない中で練習など出来る訳がない。案の定、中間発表はグタグタだった。私は曲を途中で止め、一喝した。こんなに熱くなったのは久しぶりだった。でもそれだけダンス企画が好きだった。そしてその日を境にダンス企画は生まれ変わった。少なくとも私はそう信じている。一日一日練習を重ねていくごとに、絆が深まるのを感じた。

そして当日。こんなにダンスを楽しいと思ったのは初めてだった。自然と笑顔が溢れ、自然と体が動き出す。心の底から楽しかった。優勝こそ出来なかったものの、最高の時間を過ごすことが出来た。この二十人で泣いて笑って、一生懸命、無我夢中でダンスに打ち込んだ日々は私にとってかけがえのない時間だった。このメンバーでダンスが出来たことを誇りに思う。十九人にありがとうを言いたい。やっぱり私はダンスが好きだ。ダンス企画が大好きだ。みんなで円になって気合いを入れた時の掛け声に私は何にも負けない強い絆を感じた。

(高等部2年生 女子)

僕がこの立教英国学院に来て、二年が経った。中学三年生だった自分がもう高校二年生になったのだと思うと、時間が過ぎてゆくのは早いなぁと感じさせられる。最初は驚きと発見の毎日だったけれど、今では全てが当たり前のように生活している。でも今回のアウティングで、二年間自分がまだ体験していなかったイギリスの文化にふれることができた。あのアリスも不思議の国で招待された、アフタヌーンティーである。

僕が今回向かったのは、オックスフォード大学。世界一を競う、イギリスの名門大学である。かつて訪れた先輩達に尋ねてみたところ、「ケンブリッジほどおもしろくない」「あんまり覚えていない」などあまりいい評判は得られない一方、「カフェでお茶をして、すごくおいしかった」といった声をちらほら聞いた。これは是非行ってみよう、と班員と相談してスタバやコスタではない、少し小さいカフェに足を運んだ。店員にお茶の銘柄を聞かれ、よく分からないながらも「OXFORD」と名のついた紅茶を頼み、僕の人生初のアフタヌーンティーが始まった。運ばれてきたのはスコーン二つと小さい一人用ポットに入った紅茶。紅茶の入れ方もスコーンの食べ方もままならない男4人組で悪戦苦闘しながらも、アフタヌーンティーを進めていった。あまりの紅茶の熱さに少しびっくりしたが、飲んでいくと外で冷えた体の芯まで染みこんでいった。バターとジャムをぬったスコーンも紅茶によく合い、つい頰が緩んでしまうくらい最高のティータイムだった。ゆっくりと時間をかけて飲んだ紅茶は、心の奥底まであたためてくれた。

不思議の国のアリスも、こんな気持ちでアフタヌーンティーを楽しんでいたのだろうか。そのアリスが誕生した地で体験することのできたアフタヌーンティーという英国文化は、心と体をあたためてくれる、素晴らしいものだった。オックスフォード大学で過ごした一日は僕にまた一つイギリスの文化を教えてくれた。このアウティングで僕は、さらにイギリスに来て良かったと感じた。

(高等部2年生 男子)

このアウティングは僕にとってまともな英語の知識を持って話す初めての外出となりました。そして、普段使っている日本語が無い一時は新鮮さも与えてくれたものでした。

一番英語に触れることができた時間は、ガイドのゴードンさんの話を聴いている時でした。慣れない英語に耳を傾けていた時は、まるでアクション映画を観ている感じでした。「知っている単語が出ないかな」「次はどんなことを話してくれるのかな」と、ドキドキ感とワクワク感が折り重なる感覚は、本当にたまらないものでした。その中で最も印象に残ったのは、ワトソンとクリックの話をしていた時でした。二人が発見したDNAの二重らせん構造は、生物の授業で話に上がったので記憶に新しいものでした。その二人のことを話し始めたので得意げになりながら聴いていると、「二人が二重らせん構造を発見したのはここだよ」と建物を指さしながらさらりと言ったのです。イントネーションや言っている全文を聞き取れなかったせいなのかもしれませんが、なにか軽い雰囲気で言っているように聞こえました。その瞬間、遠い歴史の中の人たちのはずなのに親近感が湧いてきました。

他にも印象深かったのは建造物についてのことです。数百年前に建てられたカレッジや教会が今もなおきれいに残っているのは、当時の技術が発達していたということもありますが、やはり陰で清掃活動や維持活動をしてくださっている人たちのおかげだと思います。一般の人に楽しまれ感動してもらうためには、裏で一生懸命努力しなければならない、ということを学びました。この教訓をオープンデイやこれからの人生に生かすことができたらいいなと思います。

(高等部1年 男子)

今回のアウティングで私達中学三年はカンタベリーとブルーウォーターに行きました。
正直私はカンタベリーについて全く知らなかったので、楽しめるかどうか少し不安でした。もちろんカンタベリーと言えば大聖堂で有名な場所です。私達はまずそこへ向かいました。中に入ると思ったほど見物客は居ませんでした。それもあったせいか、ものすごく広い印象が今でも強く残っています。事前に配られたワークシートを片手にどんどん進んでいきました。大聖堂は日の光の入り方がとてもきれいで、なにか神秘的なものを感じました。

多くのビルに囲まれながら生きてきた私ですが、今の時代、ビルを建てようと思ったら何本でも建てることは可能なのでしょう。しかしこのように由緒ある大聖堂は二度と同じものを建てられないのです。例え見た目が同じでも、建てた人の気持や何年もの歴史は刻まれていません。私はそれがあるかないかで建物の価値はかなり変わってくると思いました。

私がここを訪れて心が安らかになったように、きっと何百年も前の人もこの場所を心の置き場にし、一生懸命当時を生き抜いていたのだと思います。もちろん現代の人でもそういう人は沢山いるのだと思います。私はいつの時代でもここカンタベリー大聖堂は多くの人の心の支えとなっているのだなあ、と感動しました。

大聖堂から出て、町中を説明してくれる器機(オーディオガイド)とともに歩いていると、かわいらしい町からは想像できない残酷な歴史もあり驚きました。しかし、そのような過去があるからこそ、このような町ができたのだと思うと、本当に過去を学ぶことは大切で、温故知新という言葉が心に響きました。

カンタベリーでの時間はあっという間に終わってしまいました。最初は楽しめるかどうか不安でしたが、いろいろなことを学ぶことができた充実した時間だったと思います。
やはり学年が上がっていくにつれ、アウティングの質も上がっていくことを身を以て感じることができました。

(中学部3年 女子)

正直な話、今回のアウティングにはあまり期待をしていなかった。学校の外に出られることは嬉しい。が、「大学の中に町がある」という、よく分からない場所で1日を過ごす… 想像は全くできないし、魅力もあまり感じなかった。「たいした感動も無く終わるんだろう。」というのが私の前日の思いだった。

バスに3時間弱くらい乗り、到着。さぁ、食事だ、となった時点でまず驚きその1。
大学とは思えない程の店舗、そして人、人、人。私の住んでいる町よりもずっと発展している。が、その後のツアーで驚きその2。
この大学はとても古く、かつ私でも知っている様な偉人がたくさん卒業していたこと。新しさ、と古さ、の融合はなんだかとても合っていて、「古き良き」を大事にする英国人の性を表している様に思った。

私的に一番楽しかったのはやはり活動的なこと、パンティングだ。船に乗り棒を使ってケム川を下る。そして頼めば自分で操縦できるというオプション付き。友達の操縦が凄まじかった。操縦するための棒は、本当にただの棒であり、長い。その子は操縦の際、棒を川底に突き刺し、そのまま手を離してしまい私達の乗っていたボートはスペアの棒も無く、川に浮いていた。その後、たまたま近くを通りかかったボートに棒は取ってもらった。突き刺して、手を離して、棒から離れていく… この動きの中、同船者は大爆笑でなんだか暖かくって、とても心地良かった。

色々笑ったり、見て、学んで、食べて、と盛りだくさんだったアウティングは一瞬で終わり、私の中はたくさんの感動で一杯になった。
来年、もしも後輩にケンブリッジアウティングのことを聞かれたら、「本当に魅力的なところだった。」と答える。

(高等部1年生 女子)

私は今回初めて外国の大学を見学することができた。今回の外出は私に新しい発見をくれた。

ケンブリッジ大学は私が想像していたのよりはるかに大きかった。そしてただただ古いだけでなく、大学の歴史をとてもきれいに演出しているように思えた。つたのからまった部分や、歴史を感じさせるような壁も、古臭さを感じさせないところが凄いと思った。

私は今回、ボート乗りをした時に思ったことがある。ボートは手動のため、とてもゆっくりとしていて、時間を忘れさせてくれるようだった。あたりを見渡すと、芝生で寝そべっている人や、ベンチでお話をしている人など、とてもみんなリラックスしているように思えた。ケンブリッジ大学は、日本でもとても有名な大学で、勉強一本でやっているような、休む日さえ勉強に充てるような人がたくさんいるような大学だと思っていたけれど、周りをよく見れば、たくさんの人がリラックスをしながら本を読んだりと、とても学校生活が充実しているように見えた。日本とは違う、何かゆったりとした時間がそこにはあった。

日本の大学というだけがすべてではなく、英語という壁さえ乗り越えれば、海外の大学で勉強することだってできる。もっと視野を広げて周りを見れば、自分の本当に行きたい場所があると気付いた。

(高等部1年生 女子)

ここまで運動できない男子も自分くらいなんだろうな。
これが初めて竹刀を持ったときの感想だった。坂本龍馬に憧れて、親を超えるために剣道をはじめた僕は、早くも挫折を味わった。

僕はそもそも外で遊ぶことの少ない子供だったと思う。鬼ごっこをやったときなどは、毎回鬼になっては最後まで誰も捕らえられなかったものだ。そんな自分がスポーツをやろうと考えたことが、大きな前進だったのだ。

初めて持った竹刀は少し重たかった。竹刀をふっていた自分は、工事現場のぎこちないショベルカーのようだったと思う。同じ時期に剣道部で剣道をはじめた仲間と、難しいねと話していた。そんな時、先輩達が試合をしている姿が目に映った。先輩たちの振るう竹刀は固いはずなのに、くねくねと自在に形を変えながら、互いの面に喰らいついていた。そのときの竹刀を、僕は”つまようじ”のようだと思ったことを覚えている。

練習を繰り返して防具をつけるに到ったけれども、それはとても重く感じられ、まともに動けなかった。僕は自分の動けなさに失望した。稽古が終わり、自分の体に鞭打って素振りをしようとしたが、体は応えてくれなかった。

一年が経ち、部内でのトラブルが起きて部活を辞めた。そしてまた一年が経って立教英国学院に編入し、剣道を再びすることとなった。一年の空白は大きく、僕が入部したときに始めた先輩に、あっという間に実力に差をつけられた。ここから僕の剣道は本当の意味で始まったと思う。

剣道の顧問の先生はとても厳しい人で、さらにはたまに来る先生のご友人はもっと厳しく、上達への道のりの長さに諦めかけながら、少しずつだけれども上達していった。

そして今年。イギリスの春にはめずらしく、入学式の日に桜が校内を彩っていた。高校生になり、新しいスタートを切ろうと決心した。僕はこれで剣道をはじめて三年、経験は二年ということになる。稽古にも昨年の倍以上の気合を入れて励んだ。

ここまで来て、僕はやっと一本をとることに成功した。はじめて自分の成長を実感した出来事だと思う。今日の稽古では先生に良くなったと言われた。面の中で涙が出るかと思うくらい、嬉しかった。

一度は自分に失望した剣道。今になって、その剣道で希望を見出している自分がいる。

ゴールは遠いけれど、確実に前へと向かっている気がする。ならば、もっと前へと向かうしかないだろう。桜のスタートはついこの前だったのだから。

(高等部1年生 男子)

今学期小学生と中学1年生は、Weald and Downland Open Air Museumで社会科の学習を行いました。ここには17〜19世紀ごろのカントリーサイドの建物が移築され、ちょっとした村になっています。ひとことで言うと、野外農業博物館、でしょうか。建物だけでなく、羊・馬・ロバが飼われていたり、水車小屋の内部では実際に小麦が挽かれていたり、レンガ造りやビクトリア時代の小学校体験など、たくさんのワークショップも開かれています。イギリスの学校でも学習に多く使われる博物館らしく、訪れるたびに見学に来た現地の小学生たちに出会います。

今学期のこの博物館での社会科フィールドワークは
「テューダー・クッキング(TUDOR COOKING)」のワークショップと
野外博物館の見学
の2構成です。

ワークショップでは、テューダー・キッチンと呼ばれる移築された台所で、実際に昔の農家のケーキ作りに挑戦します。500年前ごろに、一般の人々が食べていたケーキです
始めに様々な穀物を見て学習。博物館のおばさんが、
「小麦は手で挽いて細かくするの。大変よ。」「これが挽いた粉。触ってみて。」
「小麦粉でパンを焼くの。この頃の食事はパンと、畑でとれた野菜。それから少しの肉。」
「ジャガイモやトウモロコシはないのよ。」「えーっ?」「もっと後に南アメリカから伝わったの。」「あっ、この間地理で習ったような気がする。」
「それから水。川や池で水をくむけれど、牛や羊もジャブジャブ入るのよ。きれいじゃないでしょう?水の代わりに、『ある飲み物』を飲むのよ。何だと思う?」「ビールだ、ビール!」「正解、BEER。」
…と、博物館の方はとっても話上手。

いよいよクッキング開始。
「まずSPICE(香辛料)よ。これをかいでみて、何か当てて。」と次々に材料の香辛料が生徒たちに周りました。
シナモンにジンジャー、ナツメグの3種。

「ところで、これから誕生日の人はいる?10月に誕生日の人?」「10月末だけど」と一人の女生徒が。
「じゃあ、彼女の誕生日ケーキということにしましょう。」
「まず小麦粉を入れて。」と小6の女の子が小麦粉を陶器のうつわに入れてゆきます。
次にハチミツを追加。
「当時は砂糖がとっても高価だったの。だから甘みにはハチミツを使うのよ。」
次の中1の男の子が卵を割ると、
「はい、これで溶いて。」と木の先を7つに割いたような、熊手のような、シンプルな泡立て道具を渡されました。これも当時そのままの道具でしょうか。
「今日は水道の綺麗な水を使うわね。」と言いながら、香辛料などと一緒に次々に材料をいれて混ぜ、2つにわけて、それぞれ木の板の上で手で平たく伸ばします。

後ろでは博物館のおじさんが薪に火をおこし、平たい鉄鍋を焼いていました。
おばさんが伸ばした生地を手際よく鉄鍋に並べます。
焼いている間、パンを焼く窯を見たり、お湯をわかす大鍋を見たりしていると、あっという間にケーキが焼けました。
1つのケーキはハチミツをかけて、もう1つはバターをかけて「さあ、召し上がれ。」
「あっ、意外においしい。」「私はハチミツのかかった方が好き。」「もう1つちょうだい。」
なかなかの人気でした。

ワークショップの前後には、博物館の敷地内を見て回り、豊かな農家のお屋敷を見学しました。二階に備え付けられたトイレが注目の的に。なぜなら下の通りにそのまま落ちるだけ。当時の衛生状況は??恥ずかしくないの??時代変われば、やり方も異なり、それには理由もついて来ます。面白いポイントのひとつ。

さらに、ビクトリア朝の学校も見てまわり、当時の学校のノートが黒板を使った小さな板であったこと(ノートとして書き残せない!)や、日本のそろばんのようなもの(同行のECの先生に、 Abacusと言うのよ、と教えてもらいました)を発見しました。
さらにロバをつかってくみ上げる井戸を発見。
イギリス式の高床式倉庫も発見。ネズミ返しの部分は、マッシュルームのような造形物。面白くて不思議です。

あちこちでたくさんの興味深いものを見学して、それぞれに学習を深めました。

本校のオープンデイには、保護者の方々はもちろん、毎年たくさんの人たちが地元の町や村から訪れてくれます。存分にオープンデイを楽しんで頂けたようで、学校にメッセージが届きました。そのうちのひとつを以下にご紹介します。

   *   *   *   *   *
Hello there, my daughter & I came to the Rikkyo school open day on Sunday & thought it was amazing. The standard of work was really high, my daughter & her friend were amazed as they are at secondary school, they thought your students work was much better than theirs! Everybody was really helpful & polite, we had a lot of fun especially at the bazaar & tea ceremony.
My daughter & her friend knew about the open day as they attend 2nd Broadbridge Heath Girl Guides & some of your students attend there.
My daughter said she would love to spend a day at your school
Regards,

立教での最大イベント「オープンデイ」。私はこの行事を通して忘れてはならない大切なことに気がつけたと思う。

私は展示本部に入って主に道具の貸し出しをしたり、全企画の原稿をチェックしたり、その他、机や椅子などの運び出し、会場の清掃、資料作成などをした。いわば雑用のオンパレードだ。今までは何かをするにあたって人前に立ち、指揮を執ったり発表したりする花形こそが重要なのだ、と決めてかかっていたので、私にとって本部の仕事は、始めのうちはひどく退屈なものに思えた。何度も何度も同じことを繰り返し、いつくるのか分からない道具貸し出し要請のために座り続け… だんだん一大行事に向けての私の気持ちばかりが先走ってしまった。

そんな中、各クラスの準備進行の指針となる進捗表を描いてほしいと頼まれた。これは大きな模造紙にスローガンに合った絵を描き、細かく等分し、進行状況に合わせて各クラスごとにグラフのように貼っていくというものである。その下絵を頼まれたのだ。快く引き受けたものの特別絵が上手いわけでもなく、ノートの端でこそ本領発揮する私の絵力では始めから苦戦した。なんとか下書きを終え、ペンキを塗るために体育館へ行った時、始めは新しい作業に心を躍らせていたのもつかの間、慣れない作業を一人きりでするのは予想以上に辛く、方向性を見失ってしまった。行き詰まってしまい、どうしたら良いのか分からなくなった。周りでは楽しそうに大勢で作業をしている。朝から一日中冷え込む体育館での作業は意外に負担が大きく、なにより一人でどうしたら良いか相談する相手もいないことは心細かった。こんなに頑張る意味はあるのだろうか。誰がこんなものを見るのだろうか… そう考え始めたら、ここ最近の疲れもあってか、涙がぽろぽろとこぼれてきた。

自分は何をしているのか…そんな風に思っていたら、「大丈夫?」と声を掛けてくれるくれる人がいた。「手伝うよ。」と自分の作業を後にして手伝ってくれる人がいた。「寒くない?」と上着を貸してくれる人がいた。うまく言えないけれど、安心した。ちゃんと見てくれている人はいる。助けてくれる人はいる。変かもしれないけれど、とても温かくなれた。彼らへの感謝の気持ちは忘れない。

そこから私の中で何かが変わった。みんなが嫌がることでも誰かが必ずやらなくてはいけない。無駄なことなんてひとつもない。そして、ちゃんと見守ってくれて、理解してくれる人がいる。その日から、道路の掃除や片付け、その他自分が今出来ることは何かを探して積極的にした。誰から褒められる訳でもない。言ってしまえば地味な仕事。でも決して苦ではなかった。むしろ遣り甲斐さえ感じていた。すきま時間を見つけてはクラス企画に行き、私に出来ることを一所懸命した。成果が見える訳でもない。だけどそれ抜きには決して何一つとして成り立たないのだ。

そんな時、いつも学校をきれいにしてくれるヘザーさんの話を聞いた。毎日朝から働いているなぁとは思っていたけれど、なんとオープンデイの前日は午前2時から学校中のトイレを掃除するというのだ。さすがに驚いた。校長先生もおっしゃっていたようにトイレは学校の顔とも言われる。しかしどんなにきれいにしても汚れてしまう。ただ純粋にヘザーさんを凄いと思った。

前日の夜、会場復元やら設営で仕事をする中、トイレ掃除をしているヘザーさんが目に入った。さも当たり前のような顔をしていたが、全然違う。とっても凄いことなのだ。とっても大変なことなのだ。しかし、誰が褒めるわけでもなければ気にも留めない。そこで、ふと思った。この世界はこういう人々に支えられているんだ、と。何か見返りがある訳でもない。誰のためでもない。普段の生活の中の「当たり前」にはたくさんの人の努力が詰まっている。頭では分かっていたつもりのことに、この行事を通して初めて気づくことが出来た。

これからはそういう人たちの思いに目を向け、そういう風に出来る人になりたいと思う。そして必ず見守り、手を差し伸べてくれる人がいることを信じて、彼らを大切にしたい。
縁の下の力持ちが世界を支えている。なんだかとっても心が温かくなるオープンデイだった。

(高等部1年生 女子)

ページ
TOP