私にとって、これほど長かった1週間はなかったのではないだろうか。いや、そういえば立教に入学した最初の1週間も長かった。同じくらいだと思った。今、冷静になってわかる、2つの時期の共通点、私は極度に緊張していた。

オープンデイ準備期間初日の教室移動が終わり、ガランとした教室を見た時、緊張・焦り・不安、という感情しか心になかった。進行状況が他のクラスより大幅に遅れていた高1-1組。クラスの皆も必死に走って、考えて、作って、描いて。やる気と同時に、無事完成させられるかという緊張感も膨れあがっていった。

毎日が充実しすぎている、忙しい1週間が始まった。最初の2日は教室作業だったが、その後はずっと体育館にいた。1日中ずっと体育館で、寒いし、汚れた。が、全部が悪い事なわけもない。何の効果だろうか、準備期間中はとても人と話しやすい。今まであまり話してなかった人とともに作業し、話し、笑う。なんだかんだ楽しくって、とても嬉しかったことを覚えている。

皆で精一杯作業し、作り上げ切り、オープンデイ当日を迎えた。オープンデイはとても楽しかった。が、緊張が徐々に徐々に増していった。原因は閉会式、つまり表彰式だ。
ショックを受け過ぎない様に、ずっと「 もしも」のことは考えていた。が、やっぱり、「もしも」が本当になった時のショックは大きかった。高1-1組は賞をもらうことが無かった。表彰式が終わった瞬間、緊張は消え、高1-1組への申し訳無さでいっぱいだった。もっとずっと、私がちゃんとしていれば、と。
責められても仕方がない。というよりも、私が悪い。それなのに級友で私を元気付けようとしてくれる人達がいた。その中で「楽しかった。」と言ってくれる子がいた。今考えるとお世辞だったかもしれない。が、その子の言葉、他の人達の励ましで私は救われた気がした。

それから2日経ち、担任である森先生からお話があった。森先生のお話はオープンデイの表彰の話だった。本当に惜しいところまで行っていたこと、お客さんは私達の展示を楽しんでいてくれたこと、最後に賞がとれなかったからと言って自分達のしたこと、頑張ったことを忘れるな、ということ。とても心に染みた。今年初めて、オープンデイ頑張って良かったと思えた。

思い出は美化されるものだ。早速、私の中では美化が起こっているのかもしれない。辛くても楽しかった、と。そして、これはこれで良い思い出だったかもしれない、と。
高1-1組の人に伝えたいこと。申し訳ない気持と一緒に、それ以上にずっとずっと大きい感謝。本当に本当にありがとうございました!

(高等部1年生 女子)

小さい頃からバスケットボールを続け、現在もバスケットボール部に所属する自分にとって、試合に負けるというのは何よりも悔しいことだ。それはバスケだけに限らず、他のスポーツでも、もはやそれがスポーツでなくとも、それに対し、真面目に取り組んだ人間にとっては当然のことだろう。

しかし、その悔しさを自分は、当分の間忘れかけていた。この学校に来て、前の一日中バスケをするような環境から大きく変わり、放課後の2時間のみの練習時間は、徐々に僕から勝負への熱を取り去っていった。どこか手を抜くようになり、そしてやがて負けても悔しさが湧くことはなくなった。

勝負の世界において、闘争心を失った人間ほど弱い相手はいない。それは実際に、自分がバスケを続けてきた十年間で学んできたことだった。しかし、それがまさに自らに当てはまっていたのだと気がついたのは、自分がその闘争心を取り戻してからだった。

10月8日、バスケ部は対外試合を行った。前半はこちらのペースで試合は進み、身長で差をつけられながらも、走力を生かして得点を量産し、最大で17点差をつけた。もちろん、それで気を緩めたわけではなかったが、後半からは疲れが見え始め、機動力は落ちていき、終盤には同点に追いつかれ、接戦のうちに逆転を許し敗北を喫した。

その時僕の心は悔しいと唸っていた。そして唸りながら、自分の中に後悔や、真剣勝負と一緒に忘れていた感情の全てを連れ戻した。自分はどこか、この苦しみから逃れようとしていたのかもしれない。久々の感情は、心に重くのしかかった。

しかし、この感情がただ苦しいだけではないことを、その持ち主である僕は知っていた。心はその苦しみから逃れるために、自らに向上心を持たせ、それをもって自分を強くする。それこそが勝負という土俵に上がる以前に必要な闘争心なのだ。

あの試合でもしも勝っていたら、この忘れていた感情を取り戻すことはなかったのだろう。まだ試合は残されている。悔しさから生まれた闘争心はきっと、自分を強くしてくれるはずだ。まだ自分は勝負という土俵に上がったばかりなのだ。

(高等部1年生 男子)

私はイギリスに来て初めて本物のイギリスを体感した。イギリスの中の大都会の一つであるオックスフォードはアジア人が多くうるさく、街が汚いイメージがあった。しかし本物はアジア人は少なく、上品なにぎやかさがあり、きれいな街だった。建物は現代的な建物と昔ながらのものが混在していて独特な雰囲気をかもしだしていた。私が想像していたものとは大分違っていたために驚きと感動のアウティングとなった。

一番の思い出の一つとして、現地のカフェに行ったことがあげられる。そこはメインストリートから少しはずれた所にあるこぢんまりとしたものだ。たくさんの友人からイギリスの食事はまずいと聞いていたので頼んだものがでてくるまでは不安でいっぱいだった。しかし実際に食べてみるとメインもデザートもおいしくて大満足だった。店員の人も気さくな人たちばかりで生きた英語を学ぶいい機会ももつことができた。人種差別もあるときかされていたが彼らは差別するどころかとてもあたたかく私たちを迎え入れてくれた。

また、私はイギリスの人は人種は関係なく人と話すことが好きなのではないかと思う。店に入れば彼らは売りこみだけでなく私たちと普通の会話を楽しんだ。学校のことを私たちが話したり、逆に彼らが自分たちの話をきかせてくれたりしてとても楽しい時をすごすことができた。日本の街よりあたたかい雰囲気を感じることができたのはこのような人が多いからなのではないかと思う。

私はこのアウティングを通して、本物のイギリスを感じてたくさんの感動をおぼえた。イギリスに対して偏見をもっていた私はそれらは嘘でありとてもすばらしい国だと自覚するとともに、自分がそこに住んでいることを誇りに思うようになった。私のような偏見をもっている友人にもこのことを伝え、もっとイギリスに興味をもってもらいたいと思う。

(高等部2年生 女子)

私が今回のアウティングで感じたこと。それは、オックスフォードは世界につながる場所だということだ。

オックスフォードには世界各地から賢い学生が集まる。大学都市であるが、工業や観光業が盛んでもある。やはり街を歩いていると、多くの観光客と出会った。なぜこんなに人をひきつける力を持っているのだろうか。ハリーポッター、アリスの力もあると思うが一番の理由はやはり”歴史”だと思う。約八百年前から続く大学。街はゴシック様式で、人々の目を引き付ける。歩いていると、まるで昔にタイムスリップしたような感覚にとらわれる。多くの日本人がイギリスに魅力を感じる理由。それは、イギリスは日本とは違い昔の建物、文化をそのまま現代に残しているからだと思う。もちろん、日本でもそういう場所はたくさんある。でも、イギリスの場合は、日本とは比較にならないくらいに、歴史を大切にしていることがとても伝わってくる。

今回アリスショップへ行った時、マレーシアのTVが取材をしていた。オックスフォードはこれからも世界の人々の注目を浴びてゆくと思う。歴史を大切にする場所は、本当にすてきだなと感じた一日だった。

(高等部2年生 女子)

結果から話すと、僕たち高1-1組はオープンデイのクラス企画で何の賞も取ることは出来なかった。確かに他のクラスのレベルは高かったが、高1-2組は総合部門で優勝し、高2も賞をたくさん取っており、高等部で何にも呼ばれなかったのは僕たちだけだった。

悔しさよりも、悲しさよりも、僕の心に湧いた一番の感情は、自分達の作ったものが否定されているような喪失感だった。その後は優勝の喜びを分かちあっている2組の生徒を見て、逃げ出したくなるような感情を受け、まるで本能的に会話からオープンデイについての話を排除した。

フリープロジェクトは大成功し、当日は1年に1度の大行事を心から楽しんだ。しかしクラス企画の失敗により、自分の中で今年のオープンデイに忘れたい過去のようなイメージがついた。それはおそらくクラスの皆も感じとっていて、まるでなかったことのようになり、楽しかったね、などと想い出にふけることはなかった。

それから五日後、メールを確認すると珍しく英文のメールが届いていた。前の学校の友人からだった。内容は、実はオープンデイに来ていた、ということだった。当日も姿を見かけなかったので、僕は非常に驚いた。聞きたいことは山程あったが、長文が苦手な僕は、楽しかった?と軽く返信をした。

やはり日本とは違い、時差が無いので返信が来るのには10分もかからなかった。そして何気なく中身を読んだ。そこには、どの展示も良かったけれど、一番楽しかったのはシンデレラだった、と書かれていた。シンデレラとは僕たちのクラスが取り扱った題材だ。一瞬お世辞かとも思ったが、彼には自分が何組かは伝えていない。それを読んだ時、僕の中にあった喪失感は消え去り、見失っていたことに気がついた。

自分は結果だけに取り憑かれていたのだ。その中でオープンデイの主旨を忘れていた。来てくれた人をもてなし、楽しんでもらうこと。少なくとも一人、僕たちのクラス企画で楽しんでもらうことができたのだ。それだけであの展示は失敗なんかではなく、限りなく成功だったのだ。この原点回帰を達成したことこそ、僕がこのオープンデイで得た最も大切なことだったのではないだろうか。

(高等部1年生 男子)

 立教最大のイベント、オープンデイ。去年と今年とではかなり心持ちが違った。クラス企画もそうだが、ここではフリープロジェクトについて書こうと思う。高一の時はただ純粋にダンスがしたくてダンス企画に入った。踊ることが楽しくて、放課後が待ち遠しかった。しかしいざオープンデイ当日になると、表情は堅いし、踊りは緊張からか、小さくなってしまい、納得のいくダンスができず、不完全燃焼に終わってしまった。

そして今年。みんなをまとめる立場になってダンス企画に帰ってきた訳だが、高一の時とは比べものにならないほど多忙だった。曲選、衣装、構成などを考え、たくさんの時間をダンス企画に費やした。何より大変だったのが、振り付けだ。自分で振り付けをするのは初の試みだったので、不安でいっぱいだった。みんなが踊っていて楽しいダンス、且つ、見る人を魅了するダンスとは何か、夏休み中から振り付けを考え、最後の振り付けが終わったのはオープンデイ数日前だった気がする。こんなにたくさんの曲をよく振り付けたと自分自身感動している。

大変だったのはこれだけではなかった。やはり人間誰でも気は緩むものである。全体的にやる気が落ち、集中力がない中で練習など出来る訳がない。案の定、中間発表はグタグタだった。私は曲を途中で止め、一喝した。こんなに熱くなったのは久しぶりだった。でもそれだけダンス企画が好きだった。そしてその日を境にダンス企画は生まれ変わった。少なくとも私はそう信じている。一日一日練習を重ねていくごとに、絆が深まるのを感じた。

そして当日。こんなにダンスを楽しいと思ったのは初めてだった。自然と笑顔が溢れ、自然と体が動き出す。心の底から楽しかった。優勝こそ出来なかったものの、最高の時間を過ごすことが出来た。この二十人で泣いて笑って、一生懸命、無我夢中でダンスに打ち込んだ日々は私にとってかけがえのない時間だった。このメンバーでダンスが出来たことを誇りに思う。十九人にありがとうを言いたい。やっぱり私はダンスが好きだ。ダンス企画が大好きだ。みんなで円になって気合いを入れた時の掛け声に私は何にも負けない強い絆を感じた。

(高等部2年生 女子)

僕がこの立教英国学院に来て、二年が経った。中学三年生だった自分がもう高校二年生になったのだと思うと、時間が過ぎてゆくのは早いなぁと感じさせられる。最初は驚きと発見の毎日だったけれど、今では全てが当たり前のように生活している。でも今回のアウティングで、二年間自分がまだ体験していなかったイギリスの文化にふれることができた。あのアリスも不思議の国で招待された、アフタヌーンティーである。

僕が今回向かったのは、オックスフォード大学。世界一を競う、イギリスの名門大学である。かつて訪れた先輩達に尋ねてみたところ、「ケンブリッジほどおもしろくない」「あんまり覚えていない」などあまりいい評判は得られない一方、「カフェでお茶をして、すごくおいしかった」といった声をちらほら聞いた。これは是非行ってみよう、と班員と相談してスタバやコスタではない、少し小さいカフェに足を運んだ。店員にお茶の銘柄を聞かれ、よく分からないながらも「OXFORD」と名のついた紅茶を頼み、僕の人生初のアフタヌーンティーが始まった。運ばれてきたのはスコーン二つと小さい一人用ポットに入った紅茶。紅茶の入れ方もスコーンの食べ方もままならない男4人組で悪戦苦闘しながらも、アフタヌーンティーを進めていった。あまりの紅茶の熱さに少しびっくりしたが、飲んでいくと外で冷えた体の芯まで染みこんでいった。バターとジャムをぬったスコーンも紅茶によく合い、つい頰が緩んでしまうくらい最高のティータイムだった。ゆっくりと時間をかけて飲んだ紅茶は、心の奥底まであたためてくれた。

不思議の国のアリスも、こんな気持ちでアフタヌーンティーを楽しんでいたのだろうか。そのアリスが誕生した地で体験することのできたアフタヌーンティーという英国文化は、心と体をあたためてくれる、素晴らしいものだった。オックスフォード大学で過ごした一日は僕にまた一つイギリスの文化を教えてくれた。このアウティングで僕は、さらにイギリスに来て良かったと感じた。

(高等部2年生 男子)

このアウティングは僕にとってまともな英語の知識を持って話す初めての外出となりました。そして、普段使っている日本語が無い一時は新鮮さも与えてくれたものでした。

一番英語に触れることができた時間は、ガイドのゴードンさんの話を聴いている時でした。慣れない英語に耳を傾けていた時は、まるでアクション映画を観ている感じでした。「知っている単語が出ないかな」「次はどんなことを話してくれるのかな」と、ドキドキ感とワクワク感が折り重なる感覚は、本当にたまらないものでした。その中で最も印象に残ったのは、ワトソンとクリックの話をしていた時でした。二人が発見したDNAの二重らせん構造は、生物の授業で話に上がったので記憶に新しいものでした。その二人のことを話し始めたので得意げになりながら聴いていると、「二人が二重らせん構造を発見したのはここだよ」と建物を指さしながらさらりと言ったのです。イントネーションや言っている全文を聞き取れなかったせいなのかもしれませんが、なにか軽い雰囲気で言っているように聞こえました。その瞬間、遠い歴史の中の人たちのはずなのに親近感が湧いてきました。

他にも印象深かったのは建造物についてのことです。数百年前に建てられたカレッジや教会が今もなおきれいに残っているのは、当時の技術が発達していたということもありますが、やはり陰で清掃活動や維持活動をしてくださっている人たちのおかげだと思います。一般の人に楽しまれ感動してもらうためには、裏で一生懸命努力しなければならない、ということを学びました。この教訓をオープンデイやこれからの人生に生かすことができたらいいなと思います。

(高等部1年 男子)

今回のアウティングで私達中学三年はカンタベリーとブルーウォーターに行きました。
正直私はカンタベリーについて全く知らなかったので、楽しめるかどうか少し不安でした。もちろんカンタベリーと言えば大聖堂で有名な場所です。私達はまずそこへ向かいました。中に入ると思ったほど見物客は居ませんでした。それもあったせいか、ものすごく広い印象が今でも強く残っています。事前に配られたワークシートを片手にどんどん進んでいきました。大聖堂は日の光の入り方がとてもきれいで、なにか神秘的なものを感じました。

多くのビルに囲まれながら生きてきた私ですが、今の時代、ビルを建てようと思ったら何本でも建てることは可能なのでしょう。しかしこのように由緒ある大聖堂は二度と同じものを建てられないのです。例え見た目が同じでも、建てた人の気持や何年もの歴史は刻まれていません。私はそれがあるかないかで建物の価値はかなり変わってくると思いました。

私がここを訪れて心が安らかになったように、きっと何百年も前の人もこの場所を心の置き場にし、一生懸命当時を生き抜いていたのだと思います。もちろん現代の人でもそういう人は沢山いるのだと思います。私はいつの時代でもここカンタベリー大聖堂は多くの人の心の支えとなっているのだなあ、と感動しました。

大聖堂から出て、町中を説明してくれる器機(オーディオガイド)とともに歩いていると、かわいらしい町からは想像できない残酷な歴史もあり驚きました。しかし、そのような過去があるからこそ、このような町ができたのだと思うと、本当に過去を学ぶことは大切で、温故知新という言葉が心に響きました。

カンタベリーでの時間はあっという間に終わってしまいました。最初は楽しめるかどうか不安でしたが、いろいろなことを学ぶことができた充実した時間だったと思います。
やはり学年が上がっていくにつれ、アウティングの質も上がっていくことを身を以て感じることができました。

(中学部3年 女子)

正直な話、今回のアウティングにはあまり期待をしていなかった。学校の外に出られることは嬉しい。が、「大学の中に町がある」という、よく分からない場所で1日を過ごす… 想像は全くできないし、魅力もあまり感じなかった。「たいした感動も無く終わるんだろう。」というのが私の前日の思いだった。

バスに3時間弱くらい乗り、到着。さぁ、食事だ、となった時点でまず驚きその1。
大学とは思えない程の店舗、そして人、人、人。私の住んでいる町よりもずっと発展している。が、その後のツアーで驚きその2。
この大学はとても古く、かつ私でも知っている様な偉人がたくさん卒業していたこと。新しさ、と古さ、の融合はなんだかとても合っていて、「古き良き」を大事にする英国人の性を表している様に思った。

私的に一番楽しかったのはやはり活動的なこと、パンティングだ。船に乗り棒を使ってケム川を下る。そして頼めば自分で操縦できるというオプション付き。友達の操縦が凄まじかった。操縦するための棒は、本当にただの棒であり、長い。その子は操縦の際、棒を川底に突き刺し、そのまま手を離してしまい私達の乗っていたボートはスペアの棒も無く、川に浮いていた。その後、たまたま近くを通りかかったボートに棒は取ってもらった。突き刺して、手を離して、棒から離れていく… この動きの中、同船者は大爆笑でなんだか暖かくって、とても心地良かった。

色々笑ったり、見て、学んで、食べて、と盛りだくさんだったアウティングは一瞬で終わり、私の中はたくさんの感動で一杯になった。
来年、もしも後輩にケンブリッジアウティングのことを聞かれたら、「本当に魅力的なところだった。」と答える。

(高等部1年生 女子)

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