9期の八木です。26年ぶりに立教訪問しています。
色々な変化を見て、びっくりしていますが、本館・新館を見て当時のことが思い出され、やはり自分の軸はここで出来たのだなと思う次第です。
この9月にロンドン赴任となり、初の海外赴任、しかもそれがこの憧れのロンドンということで、今後この数年の生活、楽しみたいと思っております。
ちょくちょく子供を連れて来たいと思います。
(八木さん)

昨年シンガポール駐在中に学校を訪問した1年後に、自らがロンドン赴任になり、今回また訪問出来ました。
今日はオープンデー!
多くの先生や催物を見て懐かしい思い出に浸れました。
ブレンダ・メンデルスゾーン先生とも再会し、iPhoneに入れてあったクィーンエリザベスホール20周年記念コンサートの音楽を聴き、これまた懐かしい思い出に浸りました。
生徒も増えているようで、益々の発展を祈っています。
またすぐ来ますね。
(鈴木さん)

煙が立ち込める舞台上で、赤い旗が大きく振られ揺れていた。
私が観劇した「レ・ミゼラブル」は、19世紀初頭のフランスを舞台としている。民衆たちは、命をかけて「自由」を追求し闘った。私は革命軍が士気を高め歌っている中、揺れている大きな大きなあの赤い旗に、彼らの強い「自由」への想いを見た。

帰りのコーチの中で、ふと「自由」について考えた。現代を生きる私も、時に自由を求めている。それは彼らと同様に規則や自分を取り巻く環境から解放されたいという気持ちから生じている。しかし現代社会では、個人が認められ人権が保障されている。19世紀初頭のフランスではなかったものが、慣習や法などによって承認された上で暮らしている。これは自由の身だと言えるのではないか。また、自由の中で自由を求める私は、どんな社会を望むのだろうか。こうして改めて考えてみると、そこには秩序が存在しえないと予想できる。そうなれば社会は社会でなくなる。そうなる前に、私は自由への追求に底を作り、現状を大切にしようという姿勢を持つべきだと考える。

舞台上のあの場だけは、19世紀のフランスであった。当時の民衆たちの魂が役者たちによって受け継がれ、見事に生かされていたのだ。民衆たちの自由への追及が、現代社会を形成する一つの要因となり、こうして未来に生きている私や多くの人々に、自由について問うきっかけをくれたのだろう。

私は「レ・ミゼラブル」に「生きた歴史」を見た。最後の合唱後、思わず立ち上がり拍手をし続けた。あの劇場の一体感は忘れられない。そこには、人種、性別、年齢なんて全く関係なかった。みなそれぞれ胸を熱くしていたにちがいない。
高校生というこの時期に、外国でこのような経験ができたのは、立教英国学院に在籍しているからだ。この学校では、寮生活とはいえ、日本では味わえないような経験がいたるところにあるのだと、今回のアウティングを通して強く実感できた。私は、約二ヵ月後の終業式まで、もっともっとここでしかできないことを経験しようと思った。

(高等部3年生 女子)

2度目の文化祭、去年以上の盛り上がりに圧倒され、若いパワーは羨ましいと思う今日この頃です。
カレーもお米が多少堅く、当時を思い出させてくれました。変わらぬ立教、衰えゆく私の体力、今年36歳ですが、私の原点立教で感じることは山ほどあります。来年も来たいと思います。
(井上さん)

3度目の文化祭。
色々と思い出してなつかしい気分でいっぱいです。
又、来年も来れることを願いつつ、変わらない立教でありますように。
(平野さん)

この夏、ケンブリッジ大学で行われたサイエンスワークショップ(クリフトンサイエンストラスト/立教英国学院共催)に参加するため、東日本大震災の被災地域を代表し、福島県、宮城県、岩手県より9校、21名の高校生、9名の教員が来英しました。

震災より2年が経過し、復旧、復興が進みつつありますが、まだまだ解決しなくてはならない問題は山積しています。将来の日本の復興を担う若い高校生が体験した震災、原子力発電所事故、その後の放射能汚染、そして将来への展望を、自分たちの口から直接英国の皆様にお伝えしたいとの強い希望から、この高校生達がケンブリッジでのサイエンスワークショップに先立ち、ロンドン大学UCLにて英語でのプレゼンテーションを行いました。

本校からもロンドン在住の生徒達や保護者の方々、教職員など多数がこのシンポジウムに参加し、この後本校に滞在して行われたプレワークショップに先立ち東北の生徒達と親交を深めました。

今年は伊藤博文ら長州藩から訪英した5人がロンドン大学UCLに留学して150年となる記念の年でもあります。日英交流150年を記念する意味もこめて、長州ファイブゆかりのUCLを会場として開催されたこのシンポジウムには数多くの方々にご来場いただき、また多くのコメントを頂戴しましたので、その一部を以下にご紹介致します。

*   *   *   *

” 日本から多数の学生が来英して元気よくプレゼンを行い、英国に住む私たちに決して忘れてはならない福島の災害を改めて呼び起こしてくれた。忘れてはならない。彼らの元気な姿が胸にやきついている。”

“実際に被災し、今も避難生活を送る高校生の言葉で語られる現実と感情に、はっとさせられる点が多かった。遠く離れた英国から思うより、現地の学生や若者が前向きな気持ちを持っていることがわかった。それが復興の大きな力になると思う。がんばってほしい。
Thank you for your presentation.”

” 若い可能性を大事にしたいと改めて感じました。本当にお疲れ様です。”

“日本にいると、3.11を横浜で経験したにもかかわらず、あの日を忘れていっている自分に気づきます。こうして長州ファイブ150周年の記念のときにここにいることができて有難く、感謝の気持ちでいっぱいです。彼ら、彼女ら高校生がいてくれる限り、復興が進んでいくことと思います。私たちも震災のことを忘れず、サポートしていきたいと思います。高校生の工夫の凝らされた発表に頼もしさを感じ、感動させていただきました。皆さん、ありがとうございました。”

” 皆さんそれぞれすばらしかったです。大変なことが多いでしょうが、貴重な体験を活かし、東北をより魅力的な場所にしてください。東北を発信し続けてください。私たちも応援しています。”

朝から晩まで1日中 Open day の準備。クラス企画ににフリープロジェクト、コンサートの練習や係・本部の仕事など大忙し。そして終盤は補習を終えた高校3年生や父母の会の方々も加わって一挙 に盛り上がります。

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一週間英人の家庭で生活して、文化の違いを体感したのかと思いきや、そうでもない。差異を感じなかったというわけではなく、もっと大きなことに気付くことができたのだ。

短期のホームステイなら学期末に何回か経験しているが、思えばそのたびに、わたしは日本と英国の相違点を意識していた。対照的なところ。根本から考えを異にするところ。伝統的な文化だけでなく、政治や経済のしくみに至るまで、常に日本と欧米諸国を比較していたのだ。彼らにあって日本にないものはなんだろう。日本が世界に誇れるものは何だろう。ホストファミリーにとっては自分たちが”日本人”の代表なのだ、ということも手伝ってか、そんなことばかり考えて英国人家庭に滞在していたように思う。

しかし、今回は違った。一度会って気心の知れた相手だったからだろうか。何も考えずに、と言えば語弊があるかもしれないが、まるで親戚の家に泊まっているような気軽さで、バディの家で生活できた。そこで、当然のことに気付いた。
それは、Wolverhamptonに住む彼女たちも、立教で暮らすわたしたちも、全く同じ高校生なのだ、ということ。
授業を受け、友と談笑しながら昼食をとる。家に帰れば一息つき、夕食のあとはテレビを見てくつろぐ。ファッションの話題にも敏感で、流行の曲が聞こえてくれば鼻歌を歌う。おかしな話だが、そんなあたりまえのことが、何故かとても新鮮に思えた。

おそらく、観点の問題だったのだろう。英国の学生を見て、「日本人と同じようなことをしている」と受け取るのか、日本の学生と同じように過ごす彼らを、「やっぱり高校生なんだなぁ」と受け取るのか。それまでのホームステイでは、日本文化を紹介し英国の文化を吸収することばかりが頭にあって、そちらに気がいっていた。ホストファミリーも日本のことを知りたがり、「そういうところは似ているね」「そうか、そっちではそんな祭りがあるのか」という会話ばかりしていた気がする。そしてわたしは、英国人と親しくなりたいと思いつつも、彼ら自身ではなく、彼らの持つ社会や文化を、一番に考えていた。けれどWolverhamptonの生徒たちとは、お互いの国について既によく知っていたからか、もっと仲良くなることを最初から考えることができた。わたしたちがお互いから得た情報は、国についてではなく、個人についてだった。どんな音楽を聴くか、何色が好きか。旅行でどこに行った、あの映画が見たい。そうやって彼女たち自身についてのことをたくさん知り、理解することができた。”日本”を知りたい初対面の人ではなく、もっと仲良くなりたいと願った、気心の知れた相手だったからこそ、あたりまえだけれど大切なことに、気付かされたのだ。

親しくなるには、国のことばかりを知っていても仕方がない。その人自身について知らなければ意味がない。英国人だろうと、日本人だろうと、関係ないのだ。それに気付けただけでも、この交換留学の経験は大きな意味があったと思う。

交換留学を終えた今、わたしは「英国人の友人ができた」のではなく、「ひとつ年上の、高校生の友人が一人ふえた」と言ったほうが、正しいのかもしれない。

「それでは移動してください!」
オープンデイの実行委員である展示本部員の掛け声で、オープンデイ準備期間が始まりました。イギリスではハーフタームにあたる今週、立教英国学院は勉強をいったんお休みして、オープンデイ一色になります。普段勉強している教室から椅子や机を運び出し、11/3の本番に向けて作業ができるようにします。
オープンデイではクラスごとに教室を割り当てられ、各クラスがテーマに沿った展示を教室内で行います。この準備期間に入る前から、まずはクラスのテーマを決め、同時に背景係、模造紙係、模型係・・・・・・と係を決め、作業に取り掛かり、と一生懸命取り組んできました。

体育館も様変わり。看板や背景をペンキで塗る作業は体育館で行われるため、床や壁一面を黒いビニールで覆いつくします。
「もっとリアルな銀河を描きたい・・・・・・」
色塗り係の生徒は、どうすればよりきれいに見えるかを考えながら、真剣に色を重ねていきます。
「そっち、ちょっと紙が剥がれかけているから大事に扱ってね!」
色を塗るために模型が運ばれてきました。中には生徒10人ぐらいで運ばなければならないほどの大きなものもあります。
中庭では、のこぎりと木片をもつ生徒の姿も見られました。こうして模型を作って、また体育館に運んでいくのですね。

オープンデーではクラスでの展示企画のほかに、クラスや学年を超えた企画である「フリープロジェクト」も行われます。茶道や演劇、ダンスに剣道などなど、1学期から取り組んできたこれらの企画もいよいよ大詰め。本番で成功するように、各企画は最後の調整を行っています。

このように、クラス企画にもフリープロジェクトにも朝から晩まで一日中取り組むこの期間、普段とは違った友達の姿が見られます。「あの子って、こんなに真剣に取り組むんだ。頼りになるなぁ」と、友達を見直す声も聞こえてきました。普段以上に体を動かすのでいつもよりずっと疲れてしまいますが、みんなでひとつのことに向かってがんばることができる、貴重なひとときです。
さぁ、本番に向かって、どのクラスにも負けない展示を作るために今日もがんばります!

サマータイムも終わり、冬時間に切り替わった英国。冬の到来に早くもクリスマスのイルミネーションがきらきら光り輝くこの国は、今からサンタさんを待ち遠しく思う人々で溢れているようです。

今年、フラワーアレンジメント部ではポットのフラワーアレンジを販売します。フラワーアレンジメントの先生の下、中学2年生から高校2年生までの20人の部員で一生懸命作りました。日頃の練習で培ったフラワーアレンジの技術を多くの人にみてもらいたいと思っています。今回は青、赤、ピンク、白の4色をテーマに作りました。赤いバラといえば”熱烈な恋”、青いベルフラワーは”感謝”、ピンクのバラは”気品”、白いユリは”威厳”という花言葉があります。そう、花はそれぞれ”意味”を持っています。

もともと、草花を擬人化することにより、言葉ではなく花で自分の感情を表現するために花言葉は生まれたそうです。言葉で自分の気持ちを表現するのは気恥ずかしかったのでしょう。また、すべてのものに意味を持たせることで、言葉だけでは伝えきれない感情を綺麗なお花に託したかったのかもしれません。

暗いこの季節、お家のダイニングにポットのお花はいかがでしょうか。
また、毎年来るサンタさんに感謝の気持を、ポットのお花に託してはどうでしょう。

今回主に販売する作品の詳細は以下の通りです。
① ポット作品(青、赤、ピンク、白)) £9
② 部活を率いる最高学年(H2)の作品  £23
会場は29番教室。上記の作品以外にも、エキストラの作品も展示・販売しております。また、9月に出場したフラワーショウに関する展示物や普段の部活動を紹介するブースもございます。

皆様のご来場を部員一同心より楽しみにしております。

▶▶▶他の作品も含めた写真はこちらのギャラリーでご覧になれます。
http://www.flickr.com/photos/rikkyouk/sets/72157637116109565/

今回の私のアウティングは、何とも優雅にアフタヌーン・ティーから始まりました。イギリス最古というコーヒーショップで、女子高生五人で、ちょっと贅沢して、お茶とサンドウィッチとスコーンのセットを注文しました。しばらくしてテーブルに運ばれて来たのは、絵に描いた様な三段のスタンドに美味しそうに盛られた御馳走。西洋的な雰囲気を久しく忘れていた私は、その味と伝統漂う店のムードで、何だか子供みたいに嬉しくなりました。

さて、たらふく食べた後は–聞こえは上品ですが、量は言わずもがなのアフタヌーン・ティーでした–は、現地のガイドさんについて古い町を歩きました。
オックスフォード大学とは、市内にある三十八のカレッジ(大学学寮)のことを指します。したがって、日本で一般的に考えられる大学の様なキャンパスがある訳ではありません。そこは学園都市とでも言える、大学、図書館、お店や学生の住まいが、至るところに点在する、活気のある学びの町でした。

学園都市と言えば一年前に訪れた、もう一つの方を思い出します。もう一年経ったのかと思うと少しセンチメンタルな気持ちになりましたが、同時に、しかしやはり成長したなと感じもしました。ただ自然に、ああここで学びたいなと思ったのです。今までは、それこそ昨年のケンブリッジではただ憧れていたカレッジスチューデント達が、いまや自分たちの近い未来だと理解しました。天下のオックスフォードで学びたいなんて本気で言えるはずがないけれど、細かく入り組んだ舗装の粗い道を進むにつれて、もこもこと胸が躍りました。歴史を感じられた感動が、異国情緒を味わう嬉しさが、それは不思議な心持ちでした。

当たり前のように友達と寝食を共にして。本場英国で英語を学んで。そんな高校生活の折り返し地点で訪れた旧都オックスフォードで、大切なことを学べた気がします。私が今得ているものは、知識や経験だけじゃなくてその瞬間しか味わい得ない時間なんだなと思います。だからオックスフォードを訪れた今日、早起きしなきゃいけない明日、いつかは夢見た大学に挑むその日を、大事にしたい。集合場所で強い夜風が何故か平気だったのは、スタバのコーヒーの為だけじゃないと思うのです。

(高等部2年生 女子)

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