rikkyo school in england

新学期が明け、気がつくとあっという間に数週間が過ぎていました。
この日は地元の女子校、Farlington Schoolを訪問する日。「お茶」に招待されていたので、全校から希望者を募り、昼食後から20名の生徒が外出しました。
このFarlington Schoolの生徒達は、1学期に本校で行われた「Japanese Evening」に来てくれたのですが、その時の数々の日本文化体験のお礼に、ということで今度は本校の生徒達がイギリス流「お茶会」、クリームティーに招待されたという訳です。

この学校は本校から15分ほどのところにある私立校で、広い敷地には古い建物から現代風の建物までが散在する本校によく似た環境にあります。通いの生徒もいるそうですが、半分くらいは寮で生活をしています。その中でも学期を通して寮にいるフルボーダーの生徒達が立教生を迎えてくれました。アジアやヨーロッパ各国からの留学生も多く、この日にアテンドしてくれたのは半分くらいが中国から来ている生徒達でした。同じフルボーダーということもあり、とても共感が持てて話しやすかったという生徒もいました。母国語ではない英語をほとんどネイティブスピーカーのように話す事ができる彼女達は、立教生にはとても刺激的で、年齢が近い事もあって共通の話題も見つかりやすかったようです。

到着後は野外でランダース(野球に似た女子スポーツ)を行う予定でしたが、雲行きが怪しかったこともあり室内でゲームをすることになりました。”Human Knot” 、”Birthday Line”、 “Splash”、 “Back to Back” 、”Hula-hoop Relay” …etc. 次から次へとゲームの説明をしてくれました。中にはEC(英会話の授業)でやったことのあるゲームも出て来たりして、存分に楽しめたようです。
「女の子ばかりでしたからね。ゲームもしていたけど、ガールズトークで盛り上がっていたみたいですよ。」
とは高校男子生徒のコメント。他にも今回は中学男子生徒2名も参加していましたが、現地の女子校訪問は彼らにとってもまた貴重な体験だったようです。

ここ数年短期留学制度の提携校が増え現地校の生徒と交流する機会が増えていますが、今回はその短期留学経験者も多数参加しました。彼女達が牽引役となって、普段は「恥ずかしがりや」の生徒達も積極的に英語で会話を楽しむ事が出来たようです。

ゲームの後は食堂でクリームティー。モダンなダイニングに並べられたスコーンやサンドイッチをほおばりながら再び会話に花を咲かせました。そして最後は学校案内。広いキャンパスと建物を案内してくれました。
自分たちの学校と似ているところが沢山あったせいか、寮生活という同じ境遇を通してか、とにかく親近感が持てて別れ間際までいろいろなお話ができたようです。メールアドレスの交換もし、11月に本校で開かれるオープンデイ(学校祭)で再び会う約束をしたあと、別れを惜しみながら帰路につきました。

私の今年の夏は実に充実したものだった。毎年同じ事を言っているが今年の夏は特別だ、と言える。

去年の入学してすぐの夏と比べ、周りには一年を共に過ごした友人がたくさんでき、ショッピングや海、テーマパークに行くなどして楽しんだ。どれをとっても楽しい思い出ばかりだが、やはりこの夏一番の思い出は私を大きく成長させてくれた語学学校だ。そこでのたくさんの貴重な体験が忘れられない。

今まで休みの度に行こうと思いつつも踏ん切りがつかず、今回やっとの思いで決心をし、行った先はイギリスの南、海辺の大きな町ボーンマスだった。英語をとにかくものにしたくてイギリスの中心部から離れた地を選んだわけだが、いざ行くと日本人はおろかアジア人の姿すらなかった。

イギリスに来て二年目でおかしな話だが、自分と同じ言語を話す人がいない外国人だらけの状況に一人放り込まれたのは初めてだった。周りから見れば私が外国人なのだが。聞こえてくるのは自分の知らない言語ばかり。私は周りが何を話しているのかさっぱりわからなかった。そこで気づいたのは、ホームスティ先など英人の家や、英語を話す人の前で日本語で会話することがどんなに相手を困らせ、また不安にさせるか、ということ。

学校での初めの一週間は、ルームシェアをしていたドイツ人の女の子しか友達とよべる友達はいなかった。学校は思っていたよりもはるかに辛いものとなった。しかし二週間にもなると、なんとか拙い英語で周りの輪に入れるようになり、気づいたときにはたくさんの友人ができ、また英語を話すことが苦ではなく「楽しい」と感じていたのだ。

ドイツ、フランス、スペイン、ロシア……様々な国から集まった彼らと話していて思った事は、皆、自分の国の事をうんざりする程主張し、自慢気に語るのだ。しかし私はその場にいながら対抗して日本の事を語れる程日本を知らなかった。その時私は恥ずかしいと感じた。母国を考えると出てくるのはネガティブな事ばかり。本当にこんな私がこんな所に居て良いのか、と感じた。

私の語学学校も終盤にさしかかった時、授業でそれぞれの国ごとに自分の国についてのプレゼンをする事となった。皆、国ごとに集まって話し合っている中、もちろん私は一人で考えなければいけなかった。帰国を翌日に控えた学校最後の日、クラスでプレゼンが行われた。皆、自国の伝統や観光名所地など発表することは様々だった。私は一番最後に発表、もちろん一人なわけだが不思議と緊張しなかった事は覚えている。

日本は本当に便利で先進国とも呼ばれる国ではあるが、たくさんの問題も持ち合わせている国であり、現に原発問題などで注目を集めている。しかし私は日本人として生まれてきて本当に良かった、と誇りに思う。確かに問題を挙げればきりがないが、あんなに美しく、人情に溢れた国はないだろう。

あまり大した事は言えないが、本当にいろんな事に気づかされた四週間だった。他国の子とふれあう事で新たな事を知り、また自分の国を知れた気がする。四週間はあっという間に過ぎさったが、この夏学んだ語学以上のたくさんの事、またそこでの出会いに感謝したい。

(高等部2年生 女子)

rikkyo school in england9月最後の日曜日、午後の時間を使って全校一斉TOEICテストが行われました。基本的に小・中学生はTOEIC Bridge、高校生はTOEICを受験しますが、中学生でTOEICに挑戦する生徒もいました。

会場は、普段食堂として使用しているホール、図書館、そして教室。ホールは昼食後に生徒みんなでセッティングを行いました。

自分の席に着くと、そこからは真剣そのもの。今年から登録方法も変わり少し複雑になりましたが、監督の先生の言うことをよく聞き、ひとつひとつ確実に記入していきます。

そして、いよいよリスニングテストがスタート。イギリスにしては天気の良い、うららかな午後。昼食後ということもあり、試験前には「寝るかもしれない!」なんて言っていた生徒も、真剣にスピーカーから流れてくる音声に耳を澄ませていました。

TOEICはリスニング45分、リーディング75分の長丁場。(TOEIC Bridgeはそれぞれ半分)集中力を切らさないのが勝負のカギですが、よっぽど集中したのでしょう、試験が終わった後は、どっと疲れた顔をしていました。しかしその中に、やりきったという感じも見受けられました。

2学期が始まってから3週間。この日のために勉強してきた生徒も少なくありません。実力は発揮できたかな?結果が返ってくるのが、今から楽しみですね。

rikkyo school in englandイギリスでの初めての夏休み。私は多くの場所を訪れました。イギリスには、歴史を感じさせる荘厳で豪華な建築物が各地にあります。その中で私が一番感銘を受けたのはカンタベリー大聖堂でした。

カンタベリー大聖堂は英国国教会の精神的中心地でした。私は中学生の時から、聖公会の本拠地を訪れてみたいと思っていたので、こんなに早く訪れる機会が来て嬉しかったです。

ロンドンから車で二時間ほどのカンタベリーは、思っていたより静かで落ち着いた街でした。上品な街並みを通り抜けてゆくと、小さな路地の奥に堂々と構えるカンタベリー大聖堂がありました。中へ入ると、私たちがいつも礼拝を捧げているチャペルとは大ちがい。天井はとても高く、ステンドガラスは鮮やかに彩られ、何と言っても、とにかく広かったです。

奥に進んでいくと、突然暗くなる場所に来ました。私語、撮影禁止で、とても厳粛な雰囲気でした。そこを歩いていると、心の中が少し洗われるような気分になり、落ち着きを与えられたようでした。また、鎧でできた像が数多く展示されていて、殉教者や教会に貢献した人々がまつられていました。

今回大聖堂を訪れて、私たちが学校の礼拝で祈りを捧げているのは、ずっと昔から行われている歴史があることなんだとより深く知りました。

(高等部2年生 女子)

rikkyo school in england

例年行われるスポーツテストが今年度は9月23日の月曜日に行われました。
昼食後、どんよりとした曇り空のもと、小学生から高校生まで全校生徒が中庭に集合。

体育委員の指示のもと準備体操をすませ、早速体育館やテニスコート、陸上競技場へ分かれて移動していきます。
体育館では「握力」「上体起こし」「長座体前屈」「反復横跳び」「立ち幅跳び」の5種目が行われました。
各種目には担当の先生と体育委員が付き、説明や記録をします。

「先生、ほら、見て!去年より10も握力上がったよ!」と小学生。
入口のところでは、3グループに分かれて長座体前屈。この測定に使う道具はコピー用紙の箱と板で作った手作り作品。もう何年も使っています。
計測はそれぞれ2回ずつ。知らず知らずのうちに真剣になっていく生徒達は、いつの間にかまるで「スポーツ」を楽しんでいるかのようでした。

体育館を出ると眩しい光がキャンパスに溢れていてビックリ!さっきまでのどんより雲はどこかへ行ってしまい、テニスコートで「ハンドボール投げ」に挑む生徒達の元気な声が響いていました。
その向こうの陸上競技場では、各学年ごとに50メートル走の計測。2人一組で次々にスタートがきられていました。立教記録の6秒台を出す生徒が今年は出るか??

「本当にいい天気になりましたね!」
最後の種目、「持久走」の為に全校生徒が陸上競技場に集まる頃にはみんなの顔も晴れやかになっていました。
女子1000メートル、男子1500メートルの持久走はそれぞれ2グループに分かれて走ります。
最初からトップ集団に入って予想通りトップでゴールを果たした貫禄の高校3年生もいれば、2学期の新入生が1、2位を独占する女子のグループも…

どのグループも、小学生から高校3年生まで混合で、大きな子も小さな子も皆が一緒に走ります。
男子第2グループでは腰を痛めていた高校2年生が小学校5年生とペースをあわせて一緒に走る微笑ましい光景も見られました。
さすがに途中でペースをあげて離れていったのですが、最終ラップでこの5年生が最後の走者になると、その横に再びこの高校2年生が走る姿が… そして一緒にゴールイン!
「馬鹿だなぁ。」
とゴールのところでタイムを計っていた体育科の先生がポツリと言いました。
どうやらその高校生、1周多く走ってのゴールインだったようです。

4時半終了。すべての種目を終えて帰っていく生徒達の後ろ姿がなぜかとっても格好よく見える夕暮れ時でした。

rikkyo school in england今年の夏も、シャプラニール主催の中高生国際フォーラムに参加した。今回は三回目。私は団体訪問で「ハンガー・フリー・ワールド(HFM)」を選んだ。自分の住む世界である日本もイギリスも言うならば「飢餓」とは無縁な環境にあるからだ。

今回のフォーラムで私の頭の中に強く残った言葉がある。それは「もったいない!(TASTE THE WASTE)」だ。世界には十分な食べ物があるのに、今も八人に一人が “慢性的な栄養不足” “飢餓” に苦しんでいる。この矛盾ともいえる事実に立ち向かい、飢餓のない世界を創るために活動する国際協力NGOのハンガー・フリー・ワールド。私は毎日自分が何も知らず安穏と食べていること、そしてダイエット食品や本がこんなにも店先に並んでいる状況を考えると、何かすごく自分勝手に生き、自己中心的な国に住んでいるような気がしてきた。

飢餓とは慢性的な栄養不足になることだ。世界の飢餓人口は八億六千八百万人。八人に一人が飢え、十二秒に一人が食べられずに死んでいる。十二秒という間隔が正直ショックだった。

私は飢餓とは洪水や日照りなどの自然災害や戦争などの突発的な原因で急に食料が不足して起こるとばかり思っていた。しかし、そればかりではなかった。生産性の低い農業、賃金の安い労働、不公正な貿易の仕組みなど地球規模で課題となっている原因によって、飢餓がなくならないという深刻な問題であることを知った。日本のコンビニでは”三分の一ルール”というのがあって、賞味期限が残り三分の一になったらお店に並べられないから捨てる。毎日たくさんの食べられる食べ物が捨てられている。日本人は平均して一人二個のおにぎりを捨てているらしい。このような私たち、先進国の豊かな食生活の舞台裏とも言える多量の食料廃棄のせいで十二秒に一人、世界のどこかで人が死んでいる。そう思うと本当にいたたまれない思いがした。海外現地でも支援はもちろん重要だが、遠く離れた先進国に住む私たちが食べ物を捨てる食生活を変えていかないと世界の流通や経済の仕組みが変わらないから、飢餓は終わらないという。

世界のどこかで起きている飢餓は「へえ、そうなんだ」で済まされない。考えや行動を変えなければ、次は私達が飢える。二千十一年、ハンガー・フリー・ワールドでは「フードロス・チャレンジプログラム」が始まった。ひとつになって食料廃棄をなくし、飢餓解決の力にする取り組みだ。私はこのプロジェクトの中刻メンバー”生活者”の一人であることを今回、しっかりと受け止めていきたい。

今回、ハンガー・フリー・ワールドを訪問して私は、こんなにも直接的に食を通して世界とつながっていることを知った。だからこれからは “残さずしっかり食べる” “余分な食べ物は買わない” 私にできるほんの少しのことだけど、食物を大切にする気持ちから始めてみたい。

(中学部3年生 女子)

rikkyo school in englandぼくは、今年も茨城に行って来ました。東京から車で約三時間の茨城県の県庁所在地、水戸市の北にある常陸大宮市という山や水田、畑ばかりの田舎町です。ぼくのおばあちゃんの生まれ故郷です。なぜぼくが毎年おばあちゃんが生まれた故郷に行くかというと、ぼくには、そういう『田舎』がないからです。だから、毎年お盆の時おばあちゃんと一緒について行きます。
ぼくは、着いてすぐに水田の脇の用水路に遊びに行くと、UFOが落ちたように、水田のまん中の稲が丸く倒れていました。ぼくは、UFOが水田のまん中に落ちたんだと思いましたが、親せきのおじさんに聞いたら、ぼく達が行く前の週にすごい雷雨があって、稲が倒れてしまったと、教えてくれました。稲は倒れてしまうと穂が水につかってダメになってしまうそうです。刈り入れまでに自然に元に戻るのを待つしかないそうです。
次の日の昼、ぼくは再従姉妹と庭で流しそうめんをやりました。ぼくは、そうめんがあまり好きではないので、うどんをゆでてもらい「流しうどん」にしました。流しそうめんに使う竹がなかったのでホームセンターで買った雨戸いを使って毎年やっています。そうめんを流す係はぼくがやり、うどんを流す係は再従姉妹にやってもらいました。流しうどんはおいしかったです。流しそうめんもおいしかったそうです。その日は、昼ご飯も夜ご飯も流しそうめんをやりました。
夜、庭で花火もしました。花火をやるのに、かいちゅう電灯でてらしていたら、羽ありがたくさん飛んで来ました。そして足元を見たらカエルがいました。なんでこんな所にカエルがいるのだろうと思いながら花火を楽しんでいたら、カエルが羽ありをカメレオンのように、すごい速さでつかまえて食べていました。羽ありが、明るい所によってくることを知っているらしく、カエルもいたんだなと思いました。だから、カエルは頭が良いなと思いました。このことをみんなに話したら、「カエルも害虫を食べてくれてえらい」と言っていました。
今年の夏休みも楽しかったです。

(小学部6年生 男子)

rikkyo school in england日本には今、約180万社の株式会社がある。私達が知っている会社はほとんどが株式会社だろう。でも株式会社とはいったい何をしているのだろう。その謎を解くために、私は「金融体験ツアー」に参加した。

まず、東証アローズ(東京証券取引所)を見学した。ちなみに東証アローズという会社も株式会社の一つである。どのような会社も、新開発や新しい工場を作るために、多くのお金が必要となる。その多くのお金を用意するには銀行でお金を借りる。しかしその方法は利息つきで返済しなければいけないので大変だ。ところが、株式を発行すると返済がいらない。株式を発行することで資産を集めて資金を集めて事業を行う会社を株式会社というのだ。

では株はどこで売買できるのか。株式を売りたい人、買いたい人(投資家)は世界にたくさんいる。しかし自分で相手を見つけるのは大変だ。そこで証券会社は株式の売り買いの注文を取り次ぐ窓口になっている。でも証券会社でも自分で売買の相手を探すのは大変だ。そこでスムーズに株式の取引を行うため全国の投資家からの注文は証券会社を通じて証券取引所に集められる。現在証券取引は東京、大阪、名古屋、福岡、札幌に各一ヶ所ある。どこも日本の産業、経済の中心となる都市だ。その中でも最大の取引所が東京証券取引所で、株式の売買代金は全体の96%を占めている。

次に野村證券に行き株式の取引の見学をした。そこでは、一人でいくつものパソコンを見ながら、チェックをしていた。株価が下ったか、株価が上がったかを予想するのは難しい。
例えばアップル社という、今では超有名な会社がある。昔のアップル社の株価はゼロ。アップル社が人気急上昇になるとは誰も思っていなかった。しかしある一人がアップル社に投資をした。そのお金でアップル社はiPodやiPhoneなどを開発した。そしてそれは世界中の人が誰でも持っている必需品になったのだ。私はその話をガイドの人から聞き、とても感動した。

そしてもう一つお話をしてくれた。それは、ガイドさんの体験談だ。その人は新入社員の時に、アシスタントトレーダーという仕事をしていたらしい。ある時ちょっとしたミスをしてしまった。しかし自分も先輩も上司もそのミスに気付かなかった。二十分後取引きをしている会社から連絡があり、怒られた。たったの二十分間で株価が変わり、自分のせいで三百万円の損失をしたと言っていた。その話は私の中で響いた。少しのミスも許されない。そんな社会に大人達は立っているのだなと思った。どの会社も必死にもうけようとしている。私の父や母も家に帰ってくると、
「今日、株上がったね。」
などの言葉をよく発する。野村證券では緊張感が漂っていた。しかし緊張感が漂っているのは他の会社も同じなのかなと感じた。

最後に、株価が上がった時に買うのか売るのかということを、ゲームを通して私も体験してみた。それはとても難しく、私は大きな損失をしてしまった。一方で、高校生の中に二百万ももうけた人がいた。

「金融」のことについて学ぶことは難しかった。将来は、自分もその立場になるのだなと思うと、気が重くなった。そして、株が今上がっているのか、下がっているのかということに前より敏感になった。

(中学部3年生 女子)

rikkyo school in england1999年の卒業以来初めて立教を訪問しました。
学院内の雰囲気は変わらず、相変わらずの『立教英国』でした。
卒業年度の学級日誌を最初から通して読み返し、当時読み取れなかったものがみつかり色々とよみがえりました。
立教英国はこれからも変わらずこのままであって欲しいと思います。

rikkyo school in england奇妙な臭いの中、人混みにまぎれて汗をかきながら屋台の続く道を必死に歩いた。周りの人たちが何をしゃべっているのかも分からない。そこにいた私と母は、本当に『千と千尋の神隠し』に出てくる主人公・千尋が迷い込んだ世界にいるかのようだった。宮崎駿さんもこの場所から、あのミステリアスな世界を創り上げたというが、私たちは十分に納得できた。
今回の夏休み、私と母は台湾に旅行に行った。やはり、その中でも一番面白かったのは『千と千尋の神隠し』の舞台になったとされる九份であった。九份は台北からバスで一時間ほど行った旧い街である。バスが着く頃、空はまだ明るかった。作品内で舞台になったのは夜の九份の姿だ。

私と母は九份の街中にある、高台の中華料理屋さんに入った。しかしそこまで行くには、ものすごく急な階段を上らなくてはいけなかった。台湾は暑い上に、じめじめとしている。私と母はすでに汗だくになってしまった。
階段を上っていく途中には屋台以外にも普通に家が並んでおり、しかも中に住んでいる人びとが丸見えだった。私だったらこんなに多くの人に見られながら暮らすのは耐えられないだろう、と思った。そして一つ、疑問に思った。ここの近くにはスーパーマーケットなどはないが、どのように暮らしているのだろう?屋台はあるが、生活必需品などを求めて何キロか離れた町に行かなくてはならないのか?そう思うと、私には到底できそうにない生活だった。しかし、おそらくここに住む彼らにも私たちの生活を見てそう思うこともあるのだろう、と考えたら、何とも言えなくなった。

そうこうしているうちに、辺りは暗くなり多くのちょうちんの灯りがついた。いよいよ千尋が迷い込んだ世界だ。屋台に見たこともないようなものも売られている。奇妙な臭いを漂わせている正体は「臭豆腐」という文字通り、豆腐を発酵させてつくった臭いものだ。とにかくここには豚の顔や耳や腸詰めなど、日本や英国では見たことがないようなものがたくさんあった。そうしたものがミステリアスなあの世界を宮崎駿さんに想像させたのであろう。
『千と千尋の神隠し』は今でも世界中の多くの人々に愛され続けている映画だ。その舞台となった九份も地元の人や観光客に愛され、にぎやかで活気のある場所だ。

日本に帰ってきて、私と母は改めて『千と千尋の神隠し』を観た。やはり、九份に行く前とは一味違った。きっと九份に行ったことがない人にしか分からない面白さがあったのだろう。小さなことかもしれないが、私と母はなぜかそれをちょっと自慢したい気持ちになったのである。

(中学部3年生 女子)

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