rikkyo school in england今年の夏も、シャプラニール主催の中高生国際フォーラムに参加した。今回は三回目。私は団体訪問で「ハンガー・フリー・ワールド(HFM)」を選んだ。自分の住む世界である日本もイギリスも言うならば「飢餓」とは無縁な環境にあるからだ。

今回のフォーラムで私の頭の中に強く残った言葉がある。それは「もったいない!(TASTE THE WASTE)」だ。世界には十分な食べ物があるのに、今も八人に一人が “慢性的な栄養不足” “飢餓” に苦しんでいる。この矛盾ともいえる事実に立ち向かい、飢餓のない世界を創るために活動する国際協力NGOのハンガー・フリー・ワールド。私は毎日自分が何も知らず安穏と食べていること、そしてダイエット食品や本がこんなにも店先に並んでいる状況を考えると、何かすごく自分勝手に生き、自己中心的な国に住んでいるような気がしてきた。

飢餓とは慢性的な栄養不足になることだ。世界の飢餓人口は八億六千八百万人。八人に一人が飢え、十二秒に一人が食べられずに死んでいる。十二秒という間隔が正直ショックだった。

私は飢餓とは洪水や日照りなどの自然災害や戦争などの突発的な原因で急に食料が不足して起こるとばかり思っていた。しかし、そればかりではなかった。生産性の低い農業、賃金の安い労働、不公正な貿易の仕組みなど地球規模で課題となっている原因によって、飢餓がなくならないという深刻な問題であることを知った。日本のコンビニでは”三分の一ルール”というのがあって、賞味期限が残り三分の一になったらお店に並べられないから捨てる。毎日たくさんの食べられる食べ物が捨てられている。日本人は平均して一人二個のおにぎりを捨てているらしい。このような私たち、先進国の豊かな食生活の舞台裏とも言える多量の食料廃棄のせいで十二秒に一人、世界のどこかで人が死んでいる。そう思うと本当にいたたまれない思いがした。海外現地でも支援はもちろん重要だが、遠く離れた先進国に住む私たちが食べ物を捨てる食生活を変えていかないと世界の流通や経済の仕組みが変わらないから、飢餓は終わらないという。

世界のどこかで起きている飢餓は「へえ、そうなんだ」で済まされない。考えや行動を変えなければ、次は私達が飢える。二千十一年、ハンガー・フリー・ワールドでは「フードロス・チャレンジプログラム」が始まった。ひとつになって食料廃棄をなくし、飢餓解決の力にする取り組みだ。私はこのプロジェクトの中刻メンバー”生活者”の一人であることを今回、しっかりと受け止めていきたい。

今回、ハンガー・フリー・ワールドを訪問して私は、こんなにも直接的に食を通して世界とつながっていることを知った。だからこれからは “残さずしっかり食べる” “余分な食べ物は買わない” 私にできるほんの少しのことだけど、食物を大切にする気持ちから始めてみたい。

(中学部3年生 女子)

rikkyo school in englandぼくは、今年も茨城に行って来ました。東京から車で約三時間の茨城県の県庁所在地、水戸市の北にある常陸大宮市という山や水田、畑ばかりの田舎町です。ぼくのおばあちゃんの生まれ故郷です。なぜぼくが毎年おばあちゃんが生まれた故郷に行くかというと、ぼくには、そういう『田舎』がないからです。だから、毎年お盆の時おばあちゃんと一緒について行きます。
ぼくは、着いてすぐに水田の脇の用水路に遊びに行くと、UFOが落ちたように、水田のまん中の稲が丸く倒れていました。ぼくは、UFOが水田のまん中に落ちたんだと思いましたが、親せきのおじさんに聞いたら、ぼく達が行く前の週にすごい雷雨があって、稲が倒れてしまったと、教えてくれました。稲は倒れてしまうと穂が水につかってダメになってしまうそうです。刈り入れまでに自然に元に戻るのを待つしかないそうです。
次の日の昼、ぼくは再従姉妹と庭で流しそうめんをやりました。ぼくは、そうめんがあまり好きではないので、うどんをゆでてもらい「流しうどん」にしました。流しそうめんに使う竹がなかったのでホームセンターで買った雨戸いを使って毎年やっています。そうめんを流す係はぼくがやり、うどんを流す係は再従姉妹にやってもらいました。流しうどんはおいしかったです。流しそうめんもおいしかったそうです。その日は、昼ご飯も夜ご飯も流しそうめんをやりました。
夜、庭で花火もしました。花火をやるのに、かいちゅう電灯でてらしていたら、羽ありがたくさん飛んで来ました。そして足元を見たらカエルがいました。なんでこんな所にカエルがいるのだろうと思いながら花火を楽しんでいたら、カエルが羽ありをカメレオンのように、すごい速さでつかまえて食べていました。羽ありが、明るい所によってくることを知っているらしく、カエルもいたんだなと思いました。だから、カエルは頭が良いなと思いました。このことをみんなに話したら、「カエルも害虫を食べてくれてえらい」と言っていました。
今年の夏休みも楽しかったです。

(小学部6年生 男子)

rikkyo school in england日本には今、約180万社の株式会社がある。私達が知っている会社はほとんどが株式会社だろう。でも株式会社とはいったい何をしているのだろう。その謎を解くために、私は「金融体験ツアー」に参加した。

まず、東証アローズ(東京証券取引所)を見学した。ちなみに東証アローズという会社も株式会社の一つである。どのような会社も、新開発や新しい工場を作るために、多くのお金が必要となる。その多くのお金を用意するには銀行でお金を借りる。しかしその方法は利息つきで返済しなければいけないので大変だ。ところが、株式を発行すると返済がいらない。株式を発行することで資産を集めて資金を集めて事業を行う会社を株式会社というのだ。

では株はどこで売買できるのか。株式を売りたい人、買いたい人(投資家)は世界にたくさんいる。しかし自分で相手を見つけるのは大変だ。そこで証券会社は株式の売り買いの注文を取り次ぐ窓口になっている。でも証券会社でも自分で売買の相手を探すのは大変だ。そこでスムーズに株式の取引を行うため全国の投資家からの注文は証券会社を通じて証券取引所に集められる。現在証券取引は東京、大阪、名古屋、福岡、札幌に各一ヶ所ある。どこも日本の産業、経済の中心となる都市だ。その中でも最大の取引所が東京証券取引所で、株式の売買代金は全体の96%を占めている。

次に野村證券に行き株式の取引の見学をした。そこでは、一人でいくつものパソコンを見ながら、チェックをしていた。株価が下ったか、株価が上がったかを予想するのは難しい。
例えばアップル社という、今では超有名な会社がある。昔のアップル社の株価はゼロ。アップル社が人気急上昇になるとは誰も思っていなかった。しかしある一人がアップル社に投資をした。そのお金でアップル社はiPodやiPhoneなどを開発した。そしてそれは世界中の人が誰でも持っている必需品になったのだ。私はその話をガイドの人から聞き、とても感動した。

そしてもう一つお話をしてくれた。それは、ガイドさんの体験談だ。その人は新入社員の時に、アシスタントトレーダーという仕事をしていたらしい。ある時ちょっとしたミスをしてしまった。しかし自分も先輩も上司もそのミスに気付かなかった。二十分後取引きをしている会社から連絡があり、怒られた。たったの二十分間で株価が変わり、自分のせいで三百万円の損失をしたと言っていた。その話は私の中で響いた。少しのミスも許されない。そんな社会に大人達は立っているのだなと思った。どの会社も必死にもうけようとしている。私の父や母も家に帰ってくると、
「今日、株上がったね。」
などの言葉をよく発する。野村證券では緊張感が漂っていた。しかし緊張感が漂っているのは他の会社も同じなのかなと感じた。

最後に、株価が上がった時に買うのか売るのかということを、ゲームを通して私も体験してみた。それはとても難しく、私は大きな損失をしてしまった。一方で、高校生の中に二百万ももうけた人がいた。

「金融」のことについて学ぶことは難しかった。将来は、自分もその立場になるのだなと思うと、気が重くなった。そして、株が今上がっているのか、下がっているのかということに前より敏感になった。

(中学部3年生 女子)

rikkyo school in england1999年の卒業以来初めて立教を訪問しました。
学院内の雰囲気は変わらず、相変わらずの『立教英国』でした。
卒業年度の学級日誌を最初から通して読み返し、当時読み取れなかったものがみつかり色々とよみがえりました。
立教英国はこれからも変わらずこのままであって欲しいと思います。

rikkyo school in england奇妙な臭いの中、人混みにまぎれて汗をかきながら屋台の続く道を必死に歩いた。周りの人たちが何をしゃべっているのかも分からない。そこにいた私と母は、本当に『千と千尋の神隠し』に出てくる主人公・千尋が迷い込んだ世界にいるかのようだった。宮崎駿さんもこの場所から、あのミステリアスな世界を創り上げたというが、私たちは十分に納得できた。
今回の夏休み、私と母は台湾に旅行に行った。やはり、その中でも一番面白かったのは『千と千尋の神隠し』の舞台になったとされる九份であった。九份は台北からバスで一時間ほど行った旧い街である。バスが着く頃、空はまだ明るかった。作品内で舞台になったのは夜の九份の姿だ。

私と母は九份の街中にある、高台の中華料理屋さんに入った。しかしそこまで行くには、ものすごく急な階段を上らなくてはいけなかった。台湾は暑い上に、じめじめとしている。私と母はすでに汗だくになってしまった。
階段を上っていく途中には屋台以外にも普通に家が並んでおり、しかも中に住んでいる人びとが丸見えだった。私だったらこんなに多くの人に見られながら暮らすのは耐えられないだろう、と思った。そして一つ、疑問に思った。ここの近くにはスーパーマーケットなどはないが、どのように暮らしているのだろう?屋台はあるが、生活必需品などを求めて何キロか離れた町に行かなくてはならないのか?そう思うと、私には到底できそうにない生活だった。しかし、おそらくここに住む彼らにも私たちの生活を見てそう思うこともあるのだろう、と考えたら、何とも言えなくなった。

そうこうしているうちに、辺りは暗くなり多くのちょうちんの灯りがついた。いよいよ千尋が迷い込んだ世界だ。屋台に見たこともないようなものも売られている。奇妙な臭いを漂わせている正体は「臭豆腐」という文字通り、豆腐を発酵させてつくった臭いものだ。とにかくここには豚の顔や耳や腸詰めなど、日本や英国では見たことがないようなものがたくさんあった。そうしたものがミステリアスなあの世界を宮崎駿さんに想像させたのであろう。
『千と千尋の神隠し』は今でも世界中の多くの人々に愛され続けている映画だ。その舞台となった九份も地元の人や観光客に愛され、にぎやかで活気のある場所だ。

日本に帰ってきて、私と母は改めて『千と千尋の神隠し』を観た。やはり、九份に行く前とは一味違った。きっと九份に行ったことがない人にしか分からない面白さがあったのだろう。小さなことかもしれないが、私と母はなぜかそれをちょっと自慢したい気持ちになったのである。

(中学部3年生 女子)

rikkyo school in england私はふと思うことがある。それは「幸せ者だな。」ということである。まず第一に今こうしていたって普通の生活をそれが普通であるかのように過ごしていることである。私は幼い頃からガールズスカウトという団体に入り、世界の貧しい国の子どもたちのために募金活動をしたり、自分の使わなくなった文房具などを寄付したりする活動をしていた。だから今こうして作文を書けることも実は”幸せ”の一つだと感じられる。そして私が「幸せ者」だと感じる理由。それは立教英国学院に通っているということだ。今の日本の教育では小中の九年間は義務教育だから公立では授業料はタダ。払うのは給食費だけだ。そして高校も最近では国立ならタダだ。日本はそれだけ教育に対して環境を作っているにも関わらず、日本からわざわざ高い飛行機代を払い、イギリスの立教英国学院まで通わせてくれている。”私はまだ未成年だから親に払ってもらって当然だ” とか “親が行けって言うから。” と昔は考えていた。だけどそれは事実であり誤りである。それは”親がくれたチャンスなんだ。” “愛情の大きさなんだ。”と考えるようになった。中一・中二と学校でも特に目標もなくただ学期を過ごしていた私を怒りたい。でも今さら後悔しても何も変わらない。この失敗をふまえ、しっかり前を向き生きていくことが大事なんだとわかった。だから今では家でも家事も親への感謝の気持ちを込めてやることができる。そしてしっかり勉強してスポーツをして……。毎日を一生懸命生活することが今できる親への最大の親孝行なんだろうと私は考える。

毎日、普通に生活している中で “普通に生活する” ということに幸せを見出すのは難しいことだと思う。だけどそれに気づくと心が成長し、よりよい生活になっていけると思う。だから私は普通に生活している事、それが幸せだという事に気づかせてくれた神様に感謝し、『特別』な環境で生活させてくれている両親に感謝して毎日大切に生きていきたいと思った。

(中学部3年生 女子)

rikkyo school in england1年に1度の記念撮影、全校生徒と教職員が全員で一枚の大きな写真に収まります。200名を超す人数なので朝早くから業者の人がきて足場の組み立て作業が始まりました。ここ数年、生徒の数も教職員の数も増えているので足場の大きさも年々大きくなっていくようです。
いつも変わらないのは写真の中央にいる赤ネクタイの高校3年生達。もちろんメンバーは変わりますが、毎年ここに立つ頃にはしっかりと落ち着いた、学校の大黒柱を思わせる雰囲気が出てくるから不思議です。今年の高校3年生も皆いい顔をしていました。
彼らが中央に並び終わったところで、カメラマンの人が何気なく言った台詞:
「真ん中にいる君達が一番大切だからね。しっかりと背筋を伸ばして並んで下さい。」
意味あり気に響いたこの言葉に「最後の全校写真」という思いを改めて感じた高校3年生も沢山いたと思います。
風もなく、落ち着いた曇り空は「写真撮影」には絶好のコンディション。約15分かけて7段の高さの足場に立教にいるすべての人たちが整然と並んだ光景はなかなか壮観でした。
3回のシャッターが小気味よく切られた後、三々五々それぞれの教室に戻っていくと、灰色の空からはポツポツと小雨が降り始めました。シャッターの瞬間をじっと堪えていてくれたような、優しい雨でした。

rikkyo school in england

 

9月14日(土)、イギリスの象徴といえる不安定な秋の天気。
それを掻き消すかのように凛とした、赤、黄色、水色、薄赤紫の4つのフラワーアレンジメント作品。
それらの作品を取り囲み、感嘆や笑みを漏らす地元の人々。

その日はRudgwick Autumn Showがあり、フラワーアレンジメント部の高校2年生の部員が出場しました。
今年初めての試みで、部活顧問の先生や生徒は期待と不安で一杯でしたが、幸い気候はお花にとって適温で、雨も降らなかったため、お花にとっても、生徒にとっても恵まれた日となりました。

前日の夜、
「今日は眠れないかもしれない!」
「明日緊張して何もできずに、制限時間が終わったらどうしよう。。。」
という不安の嵐。

しかし当日は、天気やお花を教えてくれる顧問の先生の暖かさに励まされて、
「よし!」
という生徒の気合がその嵐を吹き飛ばしました。

開催場所は学校から車で15分程のEllens Green Memorial Hall。
会場に到着すると、地元のおじいさんやおばあさん、家族連れなど、老若男女が楽しそうな雰囲気を醸し出していました。
特に会場の隣には小さな公園があり、馬の形のシーソーに乗った子供たちの笑い声で包まれており、とても平和な土曜日を感じさせてくれました。

そのShowでは、地元の人が野菜、手作りのお菓子、絵葉書、切り花、アレンジしたお花などを出展し、審査員が1位から3位まで賞をつけます。
高校2年生のフラワーアレンジメント部員は、キャンドルを用いたフラワーアレンジメント部門に参加しました。

作品の準備の制限時間は1時間15分。
限られた時間の中で、自分の思い描いた作品をどのように完成させるか。
お花という繊細な生き物をどう操るか。
花全体のバランスを自分でコントロールし、見る人をどう楽しませるか。自分の伝えたいものをどう伝えるか。

4月からこのフラワーショウのために、自分でデザインし、自分でお花の種類を決め、週1回の部活の時間や休み時間を割いて準備してきました。

審査の結果、見事本校の生徒が1位、2位、3位を独占。
「よくやったわね。」
「来年の出場を楽しみにしているよ。」
会場の人から声をかけられたり、作品の説明を求められたりしていました。

「説明しようとしたけど、上手く伝わったかわからない。」
「”Thank you”しか感謝の言葉が言えなくてもどかしい。」
生徒が漏らした声には、自分の感情を自分らしく伝えるために英語をもっともっと上達したいという思いが詰まっていました。

フラワーアレンジメントは、紀元前2500年頃古代エジプト人が切り花をテーブルにおいたり、葬儀に使ったことから始まったそうです。
そして紀元1000年頃、ヨーロッパでは人々の心に余裕がでて、フラワーアレンジメントが盛んになりました。
お花は昔から、人の心をほっとさせたり、楽しませたりする力があるようです。
時間に追われる現代人をそっと見守り、心に余裕を与えてくれます。
1日1日の密度が濃く忙しい立教生活に、お花は必要不可欠な存在のようです。

*   *   *

▶▶▶ 地元紙に掲載された記事はこちらでご覧になれます。

rikkyo school in england7月末にブラジルのサン・ルイスとレンソイスへ旅行した。1日目はサンパウロから飛行機で4時間の海辺の町のサン・ルイスへ。ブラジルで唯一フランス人によって築かれた町で、その名もルイ14世にちなんで名付けられたそうだ。ポルトガルやフランスの影響を受けた、当時のタイル装飾が残っている建物が多く、「タイルの町」として有名だ。1997年、この地区一帯が世界文化遺産に登録された。

2日目は、そんな地球規模の絶景を見るために、ブラジルのレンソイス・マラニャンセス国立公園へ。早朝ホテルを出発し、そこからバスで4時間揺られ観光拠点となる町、バヘイリーニャスへ到着。そこから四駆の車に乗り換え川を渡り、ガタガタした道を激しい揺れに耐えながら、約2時間後、レンソイス・マラニャンセス国立公園に到着。
「レンソイス」はポルトガル語で「シーツ」の意味。洗いたての真っ白いシーツのような砂丘が広がっている。砂丘の面積は、東京23区2個分よりも大きい。この砂丘、成分は水晶としても知られる石英が100%を占めている。遠く百キロメートル南に流れるパラナイーバ川の流れによって内陸部の大地から削られた石英が大西洋へ運ばれ、海流によって国立公園の海岸へと流されていく過程で石英以外の混入物はふるいにかけられ、海岸に打ち上げられた石英だけが風速90メートル以上の強風で吹き飛ばされ長い年月をかけ砂丘の姿になった。この公園に広がる広大な砂丘は1月〜6月の雨季に降った雨のため、真っ白な砂丘にエメラルドに輝く湖が現れる。この湖の観光シーズンは雨季が終わった7月から9月の3ヶ月で、10月には湖が干からびてしまう。
年によっては湖が現れない時もあるので、エメラルドの湖を見られてラッキーだった。さらにその美しい湖で泳げて、とても満足だった。また、四駆車で砂の上を約2時間、まるでどこかのテーマパークのアトラクションに乗っているかのような、激しい揺れとジャンプが楽しかった。気の遠くなるような時間をかけて造られた、空と海と砂が創り出す絶景。またブラジルの大自然に魅了されてしまった。

(高等部1年生 男子)

rikkyo school in englandこの夏休みの間、思ったことがある。休みの間に旅行、外出といったことで外に出ることがあり、人の多いところにも行く機会があった。観光地なるところにも訪れた。そこで、目についたもの。「ピースサイン」だ。私も普段何気なく、というよりも、もはや「写真を撮る、ピースサインをする」という一連の動作として体が動くようになっている。しかしふと思い、周りを見渡すと… いない。今まで当たり前に思っていたから余計に不思議に感じた。すると一組の観光客と思われる人々が「ピースサイン」をして写真を撮り合っていて、「写真を撮って頂けませんか。」と声をかけられた。やっぱり日本人だ。

「ピースサイン」がとても気になり、家に帰ってすぐに調べた。やはり、写真を撮る時に必ずといっていいほどピースをするのは日本人だけらしい。しかも、いくつかの国では「ピースサイン」をすること自体、悪いことだ、というのだ。特にヨーロッパに多いらしい。ギリシャではかつて犯罪者に2本指でものを投げたことに由来する侮辱の仕草。イギリスではVictory(勝利)の意味で用いられることもあるが、そのサインを裏返してしまうと、侮辱する仕草と取られるそうだ。これは英仏百年戦争時、イングランド軍の弓兵がフランス軍を挑発するサインとして用いられたのが始まりらしい。

驚いた。こんな意味があったとは… 日本では、ある俳優がカメラのコマーシャルでアドリブで「ピースサイン」をしたのを真似たのではないか、など諸説存在する。最近では近隣諸国に撮影時のポーズだということが認められ始めたり、日本の漫画の影響で欧米にも日本の「ピースサイン」の意味が認知され始めている、らしい。しかし、無知は恐ろしいとはこのことだと思う。意味を知らなかった、とは言え、このサインをし写真を撮る私たちを見てイギリス人は良い気持ちはしなかっただろう。もちろん、日本でそのサインをするぶんには何ら問題はない。始まりがどうであれ、多くの日本人に認知され、写真を撮る時のポーズにとどまらず、今時の若い世代では小顔効果だなんだと多少行き過ぎな進化まで遂げた日本の一つの文化と言えるだろう。気の済むまで大いにやればいい。しかし、悪気がいくら無いとはいえ、郷に入っては郷に従え、だ。私たちだっていくら文化の違いと言われても、土足で家に上がられては全く持って良い気分はしないのといたって同じだ。習慣だからと、出された料理を箸をおいているのにナイフ出せ、フォーク出せ、ましてや手で食べるなんてこととも同じと言える。しかも、私たちは現在イギリスで生活している。これは… まずいのではないか。

その習慣を変えることは難しいだろう。前述したように、私には既に一連の動作として体に染み付いてしまっている。だからこそ私たち一人一人がきちんとこの事実を理解する必要があるのだ。この「ピースサイン」の他にも手のサインは各国様々なものに様々な背景がある。絶対的にタブーなものもだ。私は相手のことを知り、一つの事実として受け入れ、尊重する、その先に初めて「理解」というものが生まれ、関係を築けるのだと思う。これはこのことに限らず言えることだ。このことは、これからも日本だけでなく、世界で生きていく私たちが知らねばならないと思う。そして、相手を思いやり、尊重する。この一見簡単そうで実に奥が深いことがどれだけ大切かということに改めて気づくことができた夏休みだった。

(高等部1年生 女子)

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