「パチパチパチ…」
 心地良い拍手がセント・ジョンズ・スミス・スクエアに鳴り響いた。僕は観客に礼をして、ステージを去る。長かった四十周年記念コンサートが終わった。

 

 朝六時に起床して、バスに揺られ、セント・ジョンズ・スミススクエアーに着いた。思ったよりも大きな会場が僕にプレッシャーをかける。

 

 僕はフルートでジョン・ラターのスイートアンティークからプレリュードをやることになっていた。この曲は四月から練習していて、苦手な暗譜もほぼ完璧だったので、そこまで緊張はしていなかった。

 

 開演三十分前。控え室にいる僕は不安になり始めた。オープンデイでの大失敗を思い出した。そのコンサートのときも同じ曲を演奏したが、途中でど忘れしてしまい、指が止まってしまったのだ。それからずいぶん練習したから大丈夫だ、と自分に言い聞かせながら最終調整をする。

 

 ついに開演。気付けば、会場にはたくさんのお客さんがいた。自分の順番が近くなるにつれ、高まる緊張感。そんな時、少し考えた。こんな立派なホールで演奏するのは最後かもしれない。こんな大勢の前で演奏するのは最後かもしれない。どうせ最後なら、この緊張感も楽しんでやろう。

 

 ステージに上がる。目の前にはたくさんの観客。でも、もうそんなのは気にならない。演奏が始まると思い出される今までやってきた練習。終盤に向け、落ち着いた曲とは逆に高揚する僕の気持ち。

 

 約三分の曲は、あっという間に終わった。ただ、この短時間で得た達成感、満足感はいまだかつてないほどだった。完璧ではないが、自分ができる最高のパフォーマンスができたと思う。

 

 コンサートが終わり、学校へと向かうバスの中。目を閉じると広がるステージ上からの風景。僕はこの風景を一生忘れない。
(高等部3年 男子)

 

11月中旬、風と雨の嵐が何度かやってきた。
一晩ごとに木々は葉を落とし、あっというまに裸になった。
丘と野が茶色にかわっていった。

 

雨が降り続くと、「ああ、冬がやってきたな」と思うのがイギリス。
おそろしい風が一晩中荒れ狂い、歴史ある本館(女子寮)はガタガタと音を立てる。
季節はあっというまに冬の顔へと変貌していく。
そんなイギリスで、10月から11月のあいだ、つかの間の秋が目を楽しませてくれる。

 

すでに8月から涼しくはなっているのだが、
いかにも秋だな、と感じられる風景になるのは10〜11月。
10月下旬、校内の桜の木が一斉にオレンジ色に色づきはじめる。
そしていつもオープンデイまでもたないのだ。
桜がオレンジ色の葉を散らす頃、イギリスの丘や野原の木々はいっせいに山吹色に染まり始める。
「イギリス南部の秋は黄色だなあ」
紅よりも、褐色・黄色の木々が多いような気がする。
乗馬場へ向かう道は圧巻。
GODALMING(ゴダルミン)へ至る道は切り通しのような、丘を狭く切り開いた細長い道。
道沿いの木々が大きくすっくと立って、ひまわり色の葉をはらはらと散らすのだ。
はやくもかたむき加減の秋の日射しが、葉に透けて、黄色がますますおひさまの色に輝いていく。

 

「来週も見られるかなあ」
そうだね。嵐が紅葉(赤くないけれど!)を吹き散らしてしまわないといいね。…と語った11月の8日。
次の週は昼をすぎても晴れない霧につつまれて、紅葉も真っ白。幻想的。
22日の最後の乗馬のときは、丘陵はもう、茶色にかわっていた。

 

刈取りの終わったトウモロコシ畑で、馬を走らせてcanterを楽しんだよ。

 

僕は、自分の歌唱力に自信がない。はっきり音痴って言われても仕方ないと思う。しかしこれだけは誰にも負けないって自信を持ってることがある。歌うことを愛する気持ちの大きさだ。歌うことが大好きでクワイヤーに入った。食事の席でどうしてクワイヤーなのか?面倒臭くないのか?などの質問を良く受ける。歌う事は好きだが、面倒くさいと感じることがないと言い切ることはできない。確かに食事を抜けてまで、強制された良く解らない曲を歌うのは気分の乗らない事もある。しかし、いざレッスンを受けてみると、その強制されていたはずの曲が耳に残って、楽しい気分になる。いつの間にかその曲を口ずさんでしまうこともあるほどだ。

 

 中三の頃に入ったクワイヤーで歌い続けて、早三年が流れた。歌が上手になったと実感することは、ない。しかし、自分が歌うことが大好きで、そこから何らかの幸せを得ている事は確かに理解できるようになった。三年間、スクールコンサートを通して人前で歌い、そしてその曲の広がりを感じてきた。最後の舞台は今までとは違う体験だった。ど真ん中に吊るされたシャンデリア、その下にずらりと並んだ観客席、そこから緊迫した様子でステージを見上げる聴衆。胸が高揚した。今までの人生の中でこんなに一生懸命に歌ったのは初めてだった。曲が終わる。終わって欲しくない。それでも終わりは待ってくれない。曲の終止符が僕のクワイヤーでの活動の終止符を打った。それでも僕は、一生歌い続けるだろうと感じた。
(高等部3年 男子)

 

クラス企画が「不思議の国のアリス」に決まった時は正直、何故高校生にもなってこんな幼稚なことをやらなければいけないのか、と思った。

 

僕は模型班に入り物語に登場する海ガメもどきとグリフォンを作った。作る材料が針金で、ものの形をとるのが難しく、またよく手足に刺さるのでとても苦労した。ようやく2つの模型が形になってきたら今度は色塗りがある。僕は色塗りをやるならまだ血だらけになりながら針金で模型を作った方が良かった。何故ならペンキは体育館でしか使えないからだ。この時期の体育館は極寒地獄でしかも服に色とりどりのペンキやら絵の具が付くからだ。そのせいで僕は風邪をひいてしまった。

 

僕がクラス企画で一番楽しかったのはOPEN DAY前日だ。この日は教室に背景班が服をペンキだらけにして描いた背景の絵を、僕たち模型班が血だらけになって作った模型と、模造紙班が消しゴムのカスまみれになりながら書いた模造紙を教室の決められた所に置いた。いつも授業を受けている教室がアリス1色になった時、僕は少し不思議な気持ちになった。

 

OPEN DAYの夜、生徒会の人達がクラス企画の順位を発表した。結果、高1-1組の「不思議の国のアリス」が優勝。クラス全員でステージに立ってくす玉を割った。
その瞬間僕の脳裏にこの1週間の辛くてとても楽しい日々がよみがえってきた。そして初めてその時この仲間と一緒にアリスをやって良かったなと思った。
(高等部1年 男子)

 

僕が真面目に音楽を始めたのは、この学校に転入して一年後だった。その時は40周年記念コンサートのことなど全く考えていなかった。ただ、35周年記念の映像を見たときに、演奏者は一体どのような気持ちで演奏しているのだろうと思ったことはあった。

 

 あれから僕はギターを彼此5年半続けている。今までに、スクールコンサートやギターフェスティバルに参加したことはあったが、毎回物足りなさを感じた。しかし、それが何かは全く解らなかった。

 

 40周年のコンサートホールは歴史ある立派なホールで、演奏する前はどのように音が響くか想像できなかった。
 リハーサルの時、少々緊張しつつステージの上に座った。そしていざ弾いてみた時、ホール全体に音が響き渡った。ギターを演奏すると同時に、自分の耳に反響音が入ってくるので、プロのホールの格別さをとても実感した。

 

 コンサートホールがその曲の世界に入ってゆく雰囲気はとても好きだった。メジャースケールを弾くと楽しい世界が作り出され、マイナースケールを弾くと少々ヒステリックな世界が作り出される雰囲気は一生に一度の感覚だなと思う。多分、これが今までギターを弾いていて求めていたものなのかなと思う。ただ、これはこのような歴史あるコンサートホールで、ホール内の独特の雰囲気がないと成り立たない不思議な感覚だと僕は思う。だからこそ貴重な体験となった。
(高等部3年 男子)

 

ホールの中が拍手喝采の音で埋め尽くされた。コンサートは無事終わり、その中で、僕は改めて自分は恵まれた環境にいるんだなということを再認識させられた。

 

イギリス、ロンドンでホールを借りて学校創立四十周年を祝うというだけでもめったにない機会ではあるが、単純にそれだけではなく、今まで数々の先輩方がここ立教英国学院で生活してきて、何年も何年も積み重ねてきた上での今の僕たちの生活があり、その記念とこれから先の未来へ向けての転換点が今この瞬間なのだなあと考えてみると、とても壮大に思われて、その中に自分が加われていることはありがたいことだと思った。

 

やはり昔があるから今がある。先輩方の苦労や努力によって今の僕たちが、以前の改善すべき点をしっかりと改善した、改良してきたこの学校生活を送ることができたことに、僕は感謝したいと思う。「ありがとう」と。

 

 このように先人たちが残してくれたものを守り、次の世代へとつないでいく必要がある。そこで僕はこの学校をより良いものにするために何をしてきたかを考えてみた。生徒会をやっていたなどという華々しい業績を挙げるようなことはしていないが、日々自分なりに、あいさつをしっかりするなどということを行ってきた。これはとりとめもない当たり前のことかもしれないが、それが、学校の中の人・外の人、関係なく、この学校に好印象を与えることの助力になれたであろうと僕は思う。このような小さなことでも良いから、日々それを意識しながら後輩たちが過ごしてくれたら僕はうれしい。

 

 そのような後輩たちや先輩方に見られても恥ずかしくないように、今後、僕は国際規模でのNGOなどの諸活動やそれに伴う生活を送ることを目指し、日々小さなことにも努力を重ね、その目標に向かって邁進して行きたいと考えている。
(高等部3年 男子)

 

今回のオープンデイを通して、私は「支える」ことの意味を知ることができた。私は計三回のオープンデイを経験した。高一と高二のときには、クラス企画とフリープロジェクトだけを見ていて、あたかも生徒同士で支え合ってオープンデイをつくったという錯覚に陥っていた。高三では、クラス企画もフリープロジェクトもなかったため、客観的な立場からオープンデイ全体を見ていた。そして知ったことは、オープンデイに限らず私達は誰も支えてなどいなかったと言うことだ。ただ凭れていただけであり、先生と保護者という存在に支えられてきたのだ。

 

 「もたれる」と「ささえる」の違いはなんだろう。辞書で調べてみると「もたれる」は「よりかかる。それを支えとして身を斜めにする」そして「支える」は「物をおさえてとめて落ちたり倒れたりしないようにする」とでてくる。つまり「支える」ことは、自分で立てる人が他の人を助けることであり、「もたれる」ことは、自分では立つことができず他の人に助けてもらうことである。私達つまり生徒は、自分で立つことさえできず、しかも私達の歩む道さえも先生と保護者によって用意されてしまっている。この二つの存在がなければ私達は何もできないだろう。なかには始めの方に書いたように、自分で立てないもの同士「支えあい」はできるだろうと思う人もいるかもしれない。しかしそれは「もたれあい」であり、互いに助け合うことなどできず、大きな間違いである。

 

私達はこれから、一人で立ち、自分の歩む道を自分で造っていかなくてはいけない。そしてやっと、誰かを「支える」ことができるようになるのではないだろうか。これからは、少しずつ一人で立ち、今まで支えてくれた人達に恥じることがないような道を造り歩んでいきたい。
(高等部3年 男子)

 

「立教には、オープンデイっていう大きなイベントがあるんだよ〜。」と、先輩方や同級生からは聞いたことがありましたが、正直イメージが浮かびにくくて、オープンデイ期間に入るまで、ずっとイメージが曖昧なままでした。日本の文化祭のように、屋台を出したりお化け屋敷をしたりということはしませんが、この行事では日本の文化祭では味わうことのできない達成感と充実感が得られます。

 

 ダンスや劇などのフリープロジェクトもオープンデイの醍醐味ですが、やはり心に深く思い出が残るものは、クラス企画でした。私のクラスは、二学期になっても意見があまりまとまらず、具体的な部分はほぼ決まらないままあっという間にオープンデイ期間になってしまいました。わけの分からない中、私はクラスの中で、背景班に入って活動することが決まりました。「よっしゃ、やるか。」その一言で、背景班は動き出しました。描く予定だった絵は八枚、とても描ききれるとは思えない量だったので、これからどうなっていくのかどうかなんて想像もできなかったけれど、その時の私には、ただひたすら絵を描くということしかできませんでした。時には、本当に成功するのか不安になって、苦しんだ時もありました。しかし、やはりそんな時でも一緒の身になって考えてくれるのはクラスメイトです。二十四時間同じ場所で過ごしている仲間達には、友達以上の絆を感じます。自分のことを理解してくれる人がいることはとっても心強いことです。立教にはそんな仲間がたくさんいます。

 

 休んでいる暇もないようなハードな日々は本当に大変だったけれど、決してその時間は無意味ではなく、 クラスの絆を確かめられるとても貴重で、大切な時間だったのだと心から思いました。

 

 「有意義な時間を送って下さい。」と先生方や、両親などからよく言われますが、このオープンデイ期間はその有意義という言葉が本当にぴったり当てはまるなと思いました。このような大規模な行事を一緒に乗り越えた仲間達とは、友達以上で兄弟のような信頼関係でつながっている気がします。

 

 私はそんな仲間達と過ごしていくこれからの立教生活を本当に楽しみにしています。
(中学部3年 女子)

 

5年前のウィグモア・ホールで行われた、立教英国学院創立35周年コンサートを僕は覚えている。当時僕はまだ中学1年生だった。一般生徒として先輩たちが演奏している姿が輝いていたのを覚えている。ピアノ、バイオリン、フルート、トロンボーン、木琴などの楽器があったのを覚えている。そして、それとともに演奏している楽器、コンサートに出場していた先輩たちがとても遠くに感じたことを覚えている。そして、5年後のコンサートであの場所に立ちたいと思ったのも覚えている。

 

 そのコンサートを境に、僕の中での音楽に対する何かが変わった。少なくとも以前の僕に比べ、音楽に積極的になったのは確かである。ドラムのプライベートレッスンを取り、バンドに入ったり、授業でユーフォニウムを学び、ブラスバンドとコンサートバンドに入った。パーカッション部に入った。そしてクワイヤーにも入った。それまで音楽の授業でしぶしぶオーボエをやっていた自分とは比べ物にならない程の変化だと思う。

 

 そして、35周年コンサートから5年の歳月が過ぎて、僕は高校3年生としてこの学校に残っていた。そして今年、立教は創立40周年を迎え、40周年コンサートが開かれた。5年前と違うことといえば、今回は”一般生徒”ではなく、クワイヤーの一員として、つまり”コンサート出場生徒”という立場に立っていることだ。”一般生徒”ではない、ということに、そして5年前に見た先輩たちと同じ立場に立っていられるということに僕は愉悦を感じた。

 

 果たして僕は、5年前に見た先輩たちと同じように後輩たちに見てもらえただろうか?そう見えてくれたのならば、中学1年生以下の生徒たちには、ぜひとも5年後、つまり創立45周年コンサートで頑張ってほしいと願っている。
(高等部3年 男子)

 

学校の中にあるニューホールではなく、立教から約一時間と少しのロンドンのSt.John’s Smith Squareのホールで行なわれたコンサートの中で、私は一つ気づいたことがある。それは、コンサートマネージャーの大変さと、そのありがたみだ。

 

 私はずっと、コンサートの中で一番大変なのは、演奏者だと思っていた。もちろんたくさんの練習が必要だし、本番はものすごく緊張する。演奏者はコンサートの中心である。しかし、今回、毎回のコンサートが成り立っていく上で、コンサートマネージャーというのはすごく重要な役割を果たしているんだなと思った。

 

 一週間前、昼食が終わってから、ドレスリハーサルがあった。私はchoirの時だけいればよいから、着替えて一時間ほどニューホールにいて、リハーサルをして帰ってきた。でも、コンサートマネージャーは全てのリハーサルを管理するから、五時半まで帰って来ず、ずっと仕事をしていた。本番の今日も、私達が控え室で待機していた時もずっといろいろなことに気を配り、全員に飲み物を配ったり、私達が次にすることを説明してくれた。十一時、カフェで昼食を食べ終え、控え室に戻ると、コンサートマネージャーの一人がいた。
「なんで昼食食べないの?」
と聞くと、
「もうすぐ礼の練習だから準備していないといけないんだ。」
と言っていた。

 

 こういうのを、”縁の下の力持ち”というのではないだろうか。次のコンサートでは、コンサートマネージャーに、「いつもありがとう」と言いたい。
(高等部一年 女子)

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