rikkyo school in england
「本からはいつでも学べるけど、実践できる機会は滅多にない。」
私のバディが言ったことをざっと訳すとこんな感じだ。全くその通りである。学んできた知識を存分に活かし、母国語を違える留学生の彼女らと過ごして、強く思った。
とにかく機会が欲しかった。冬休みから長く期待を寄せていた私は、この交換留学の参加者に選ばれて、とても嬉しかった。私達の相手より先に来たミレースクールの生徒と食事をした時には、少し不安も覚えたけれど、ウルバーハンプトンの「奴ら」は、それを初日から吹き飛ばした。日本語を積極的に話しかけてきて、こちらも負けじと英語を駆使する。そんな愉快な攻防戦がすぐに幕を開けたのだった。
彼女たちとの出会いから、5日間という時間は飛ぶように過ぎていった。ECのドラマの授業を一緒にやったあとに、生物の時間に2人で眠りかけ、日本史では専門用語抜きで日本文化を必死で伝え、太宰治を授業と同時進行で教えてあげたときには、流石に疲れた。けれど、やれば出来るじゃない。太宰を説明できるぐらい、英語に慣れたのだと、自分に驚いた。勢い良く流れていく時間の中でも、私たちは沢山、小さな進歩と発見をしていた。
冒頭に述べたように、語学において実践経験を積むというのは、とても大きなことである。だから、日本のことを教えたり、授業をともに受けたりしたことより、とにかく自然に話して、一緒に生活したのが、全てにおいて有意義なことだった。同じテーブルで食事して、廊下を並んで歩いて、最後はただ集まって笑った。そんな日常的な国際交流を経たからこそ、今私はこの交換留学に携われて良かったと、心から感じている。
夏に初めてのホームステイをしたときにも、同じ様に英国人と「日常」を共に過ごして、同様の感動を覚えた。そして自分からチャンスに飛び付こうと心に決めた。その決意が、今の私に生きていた。自分で希望し、交換留学に参加した。チャンスを掴んだ私は、以前よりずっと、自分に自信がある。
私は、英語を、話せる。
ーー次の夏、今度は彼女たちの「日常」に、私たちが「外国人」として入り込む。また彼女たちに会うのが楽しみで、新しい経験をするのが待ち遠しい。この機会に得た感覚と自信をなくさず、再び会う日まで、まだまだ自分の能力を伸ばしたいと思う。
(高等部1年 女子)

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この学校に来て1年が経ち、再び春が来た。立教にある桜は本来ならば春休みのうちに花びらは散ってしまうらしいが今年は珍しく新学期に間に合ったようだ。というのも今年のイギリスは異常なまでに寒かったのだ。日本ではあり得ないが4月に雪が降っていたのである。

イギリスで初めて冬を越した。長い冬だったと思う。1年を通してずっと寒くて、日本のように信じられないくらいの暑さになることはなかった。暑いのが苦手な自分にとっては過ごしやすい気候だと思う。

1年前、ドタバタと忙しなく心に余裕がなかった。その頃は「日本に帰りたい」が口癖だったと思う。1年経って、自分は以前のように「帰りたい」とは思わなくなった。今ではこの国にだいぶ馴染むことが出来た。イギリスに来た頃はこんな日が来るとは思わずにいた。英語はまだまだ自分にとって大きな課題のひとつだが、この1年で多くの経験とかけがえのない友人を得ることができた。日本にいたら遊びすぎて今頃どうしようもなく落ちぶれていただろう。この学校に来て良かったと思う。
これからあと3年間、新しく増えた仲間たちとこの立教で高校生活を送っていく。未来の自分が振り返ったら、とても短く感じるだろう。その3年間を充実させて過ごしたい。今年咲いた桜は、自分の新しいスタートだ。

(高等部1年生 男子)

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立教英国学院はキリスト教の精神に土台を置き、単に学問の知識だけを身につけるためだけでなく、人が人として真に生きるために最も大切なことを学ぶ場所であります。信仰は自由であり、強制されることはありませんが、立教英国学院の生活の中心には礼拝があります。それは、礼拝を通して自らに与えられた命に感謝する心、他者を思いやる心を養うためであります。

又、日本から遠く離れた英国に生活の基盤を置き、日本とは異なる伝統、文化、慣習、宗教を体験することを通して、真の国際人となるための素養を身につけます。ただ単に英語や他国語を身につけるのではなく、自分とは異なる文化、慣習、宗教を持つ相手を受容し、尊重することが出来きる人間となるためです。

教員と生徒が共に生活し、学び、礼拝する時間を共有し、相互に自己研鑽しながら成長していく場所、それが立教英国学院であります。

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新入生の皆さん、入学おめでとうございます。在校生諸君、進学おめでとう。

今年の日本はとても暖かい3月で、例年より2週間も早く桜が咲いたとのことでしたが、ここイギリスは、観測史上今までで一番寒い3月だったそうです。実は本日、今この瞬間が、今年の最高気温に達したところだと思います。お陰で立教の桜は、毎年いつも、春休み中に散ってしまって誰も見る人がいない、とても残念だったのですが、今年は初めて、入学式に桜が咲いて、黄色い水仙も今が満開、これでやっとイギリスにも春が来た、そんな良い入学の日となりました。

この学校の桜は、苗木の状態ではるばるオランダ経由で運ばれて、キャンパスのあちこちに植樹されたものです。高さ数十cm だった小さな苗木が、一年また一年と、少しずつ、着実に成長し、ようやく花が咲くようになり、何年もかけてやっと今のようにお花見ができるほどの大きさになりました。

この学校も、スタートしたときには、生徒は小学生19名のみの小さな苗木の状態でした。最初の小学6年生が翌年進学したときに初めて中学1年ができ、その翌年に中2、その翌年に中3、というように一年、一年、積み重ねながら成長してきました。1972年に開校し、昨年、創立40周年を迎えました。このあと新入生の皆さんにお渡しする胸のバッジには、この1972の数字が記されています。この数字には、一番最初に海外にできた私立の全寮制日本人学校である、という誇りがこめられていると思います。

本館と呼んでいる女子寮の前には、創設者縣先生のレリーフが立っています。初代校長をつとめた縣先生が、創立20周年のときに記した著作の中で、「ごく簡単に言えば、学校設立の動機は、これからの日本の若い人達に、真の国際的教養を身につけさせたいということと、日英の親善のために何かしてみたいと思ったことである。」と述べられています。
41年目のスタートとなる今日、本校を取り巻く環境も、日本を取り巻く環境も、創立当時とは大きく異なってきましたが、国際的教養を身につけ、国際親善のためにつくすことのできる人間の必要性は、40年前とは比較にならないほどますます大きくなってきていると言って良いでしょう。

真の国際人の養成だとか、グローバル人材の育成だとか、英語に力をいれていますとか、そう言っている学校は今ものすごく沢山あります。立教はそういう学校とどこが違うか。学校がイギリスにあって、国際交流の機会が日本の学校とは比べ物にならないほど沢山ある、それも勿論ですが、最大の特長は立教が全寮制の学校であるということだと思います。

高2の山本さんが、「日常生活という国際交流」という題で短期交換留学の作文を書いています。その中で、「日本のことを教えたり、授業をともに受けたりしたことより、とにかく自然に話して、一緒に生活して、同じテーブルで食事して、並んで廊下を歩いて、最後はただ集まって笑った、そんな日常的な国際交流が一番有意義だった」と書いています。

これは何も相手がイギリス人に限ったことではありません。今ここには、一人ひとり、生活環境も違い、経歴も異なる157名の個性あふれる生徒たちが集まっています。そんなみんなと、一緒に生活して、同じテーブルで食事して、並んで廊下を歩いて、ただ集まって笑う、実はそれこそが、これからの国際社会の中で、環境も考え方も異なる色々な国の人たちと、共に生きていく、その初めの一歩である、と言えるのではないでしょうか。
球技大会や、オープンデーをはじめとする様々な学校行事を、時には衝突しあい、喧嘩しあいながらも、お互いに協力し合い、協調しあって、それぞれの人たちがそれぞれに自分の活躍の場を見い出し、最後にはみんなで力を合わせて素晴らしいものを作り上げていく、その力こそが、これからの世界を生きていくために求められているものだと思います。

今年度から高等部でも、文部科学省の新学習指導要領が全面実施となり、これでいわゆる「ゆとり教育」が姿を消します。ちょっと脱線しますが、去年中学2年生の理科の授業で、「単3乾電池の電圧は何ボルト?」と聞いたら、「小学校で習っていないのでわかりません、」という人がいて驚きました。「だって私たち、ゆとり世代ですから」と言われてしまいました。バブル経済崩壊後の日本を「空白の10年」とか、「失われた10年」などと言います。最近ではそれが「失われた20年」になってしまいましたが、この間に失われてしまったのは日本の経済力だけではありません。学力も失われてしまいました。実は日本という国の未来を考えたとき、こちらの方がずっと重大な問題だと思います。ゆとり世代がこれからの日本を支えていくと考えると、ちょっと心配になってしまいます。

さて、「ゆとり教育」に代わって、新しい学習指導要領のテーマは「生きる力」になりました。文部科学省のホームページを見ると、

これからの教育は、「ゆとり」でも、「つめこみ」でもありません。次代を担う子どもたちが、これからの社会において必要となる「生きる力」を身に付けてほしい。そのような思いで、新しい学習指導要領を定めました。
と書いてあります。「生きる力」をはぐくむこと。これこそ立教が全寮制の生活を通して、40年間やってきたことだと思います。先学期末、日本に帰った岩崎さんと川崎さんが最後に書いていました。立教で得た最大の宝物は、英語でもない、イギリス文化でもない、寮生活であると。朝から晩まで生活を共にし、一日3度の食事を共にし、泣いたり笑ったり歌を歌ったりして一緒にすごしたクラスメイト、先輩、後輩、一生の友達との出会い、それこそが立教で得た最大の宝物であると。

新入生の皆さん、君たちはこれからこの立教という大きな家族の一員になります。はじめはひたすら時間に追われて、生活していくだけで精一杯かもしれない。でも勇気を出して、最初の一歩を踏み出してみてください。気がついたときには、君たちは自然にこの立教の一員になっているはずです。

上級生は今まで先輩から色々教えてもらった、そのことを忘れずに、今度は自分が下級生の面倒をみてあげてください。高等部3年生、君たちの赤ネクタイは高3としての責任の重さの証です。今年はどんな高3になるのか、後輩たちにどんな背中を見せて卒業していくのか、今から楽しみにしています。高校2年生、君たちはこれから学校の中心になります。自分たちのことだけでなく、学校全体のことを考えて行動しなければなりません。

今年初めて、新入生や保護者の方がた、そして教員全員に名札をつけるようにしました。これは昨年の入学式のときに新入生の案内をしてくれた高3の北端さんが、こういう風にするともっとうまくいくと思います、と書き残してくれたことの一つです。
そうやってみんなで力を合わせながら、より良い学校を目指していく、そういう学校であり続けたいと思います。

下級生は先輩が優しいからといって甘えすぎないように。きちんと礼儀を守る、けじめをつける、言葉遣いに気をつける、そういうところをしっかりできなければいけない。そういう下級生の上に、初めて優しい上級生という存在が成り立っていくのです。それを忘れないでください。

ルカによる福音書第6章31節に、次のようなイエス様の言葉があります。
「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」
人からあれをしてほしい、これをしてもらいたい、そんなことばかり考えて生活するのではなく、君たち一人ひとりが、友達のために何をしてあげられるか、先輩のため、後輩のため、一緒に生活している人のために何ができるのか、いつもそういうことを考えながら、これからの生活を送っていってほしいと思います。
君たちの成長を祈って、本日の入学・始業礼拝式の式辞といたします。

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2013年度入学式

桜も三~五分咲きになった4月14日は、立教英国学院の入学始業礼拝の日でした。

今年のイギリスはとても春が遅く、3月末になっても雪が舞い、風のつよい毎日。
なかなか晴れない上に、気温も2℃3℃と低くて、
例年なら3月中旬には咲く水仙さえもぽつぽつつぼみが開く程度。

ひょっとして…入学式を桜の花と共に迎えられるかもしれないと期待に胸がふくらみました。
4月14日は気温15℃ぐらいでしたが、
この春いちばんの陽気になり、スタートにふさわしい一日となりました。
なんと、入学式に生徒が桜を愛でるのは、植樹して以来初めてのことだそうです。
今年の立教生はラッキーですね。

新学期の新入生は39名です。
小5から高3までの各8学年が始動し、高1・2は2クラス編成となりました。
中3も数を増やし、教室棟で最も大きいクラスルームの1つに引っ越ししました。

1週間が経って、立教の桜は満開になっています。
学校に慣れて来た生徒たちを集めて、日曜日には桜のもとで記念写真を撮りました。

 

中1、高1から計5名が立候補し、全校生徒の前で一人ずつ立ち会い演説を行っていきます。まずは応援演説者による工夫を凝らした候補者の紹介から始まり、立候補者たちの堂々とした演説。彼らは自分の抱負や思いを伝え、緊張感や熱意の感じられる演説となりました。

 

また、今回から新たな質問方式が導入されました。
それは、立候補者の演説を聴き、疑問に思ったことや意見を用紙に記入・提出し、生徒会が代弁する方法です。ここ数年、前に出て質問をする生徒が少なくなったため、『もっと意見を言いやすくしたい』と生徒会が考案したもの。これが刺激になったのか、実際に質疑応答の時間になると、続々と質問する生徒が前に出てきて、「このことについてどう思いますか?」「こうしたほうが良いのでは?」など様々な質問や意見が飛び交っていました。生徒一人一人が生徒会に期待するものが大きく、また、一人一人が立教英国学院を素晴らしい学校にしていきたいという意識があるからなのだと思います。

 

当日夜に開票結果が発表され、新しい生徒会役員が決定しました。
高2が1年間果たしてきた役割が、少しずつ高1へ引き継がれようとしています。

 

歌声が鳴り響くニューホール。合唱コンクールは今年の生徒会が企画した新しい試みです。初めての企画にも関わらず、生徒一人一人が主体的に取り組み、クラス対抗のイベントということもあって、予想以上の盛り上がりを見せました。

 

 各クラスの合唱にはそれぞれの色が出ていました。少人数ながらそれぞれの音楽観で歌ったP5、M1の「Believe」。自分たちの”明日”に皆で思いを託したM2の「Let’s search for tomorrow」。一人一人の思いが歌詞に込められていたM3の「時の旅人」。H1-1の迫力のある「空を駆ける天馬」。H1-2の団結力が伝わった「In Terra pay」。そしてH2のパワー溢れる「大地讃頌」。コンクールの結果は1位H1-1、2位H2、3位H1-2という結果になりましたが、どのクラスも素晴らしい熱唱でした。

 

 日常の忙しい生活の中、放課後、ティー・ブレイク、夜の自習時間を削って皆で切磋琢磨した証ですね。最後に、教員チームの合唱「おそすぎないうちに」は生徒の皆さんに届いたでしょうか。”おそすぎないうちに”自分の未来に向けて準備を着々と積極的に進めてもらいたいものです。来年はどのようなメロディーが各クラスから流れるのかとても楽しみです。

 

1月18日(金)、今年もイギリスは雪が降った。
それから1週間、断続的に雪は降り続け、イギリス南部の風景は美しく雪化粧した姿に。
雪が降ると、枯れ草色一色の冬が急にいきいきとして、きれいに見えるから不思議だ。
白という色には力がある。

 

さて雪が積もった18日(金)、3学期初回のフライデースポーツ・デーだったが
 「今日の乗馬は中止です」
 「ええええええーーーーーー!!!」
そりゃあ、雪がたくさん積もると危ないから中止だっていうのは分かるんだけど…
今日は年明け初の乗馬なのに!
久しぶりだから、楽しみにしていたのに!
1週間に一回の乗馬散歩を楽しみにしているのに!
誰も寒いから嫌だと言わないのが不思議。

 

火曜日になってまたまとまった雪が降ると
 「今週も乗馬に行けないのかなあ…」
不安が募ったものの、ちゃんと行けた25日の金曜日。
少し雪がとけ始めた頃だったので、やや雪化粧もはげ気味。
でも、それだから行けたのだ。
完全に積もっていると、馬が滑って騎手も危ない、から。

 

雪の積もった山野の散歩は当然ながら寒い。
足元から雪の冷気がはいのぼってくるようである。
でもね、乗馬は馬にまたがっているから。
馬は冬仕様に毛がぬくぬく。あたたかいのだ。(逆に夏は暑い)

 

おまけに雪景色はきれいだ。
毎週眺める見知った風景が新しい表情を見せるのはたのしい。
こんな中でも徒歩で散歩する地元の人と挨拶し合う。
雪の中でもムクムクの毛皮をまとった羊たちが、今日も山野に散っている。
雪だから、人のいないところで、夜の闇の中で
あちこちを走り回った動物の足跡も見える。
うさぎも鹿も、なんだか分からない動物の足跡も。
いろいろなものに目を遊ばせながら、1時間のハッキングを楽しんだ。

 

こんなオマケがついてくる乗馬、立教で勉強することになったら是非。

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