rikkyo school in england「20、20、23、24、24」
リズムに乗っていながらも、威勢の良い声が響いている。その声と速さとに圧倒されない人は誰一人いなかった。

家族三人で朝の三時に起き、築地市場のまぐろの競りを見に行った。そこに集まっている見学者は、おどろいたことに外国人ばかりであった。年間の九割は外国人らしい。私はテレビでは見たことがあるが、競りを間近で見るのは生まれて初めてだった。そして、実際に築地市場に行って分かった。テレビではわからない魚の匂い。間近で見られる魚の大きさ。

立教の鐘にそっくりな形と音の鐘を鳴らしながら競り師が台に立ち、寿司屋の人やスーパーの人を呼び寄せている。私はやっと始まるのだと思い、胸を躍らせた。台に立っている競り師が軽くおじぎをしてから始まった。突然、
「20、20」
と競り師が言った。そしたら一人手を挙げ、
「23」
と言う。競り師は
「23、23」
と言う。次は別の人が、
「24」
と言う。この繰り返しらしい。その数より高い値段で買う人がいなければそれで決まり。ルールは簡単だが、スピードが速い。私は途中で何を言っているのかわからなくなってしまった。もはや暗号に聞こえる。そしていつの間にか終わってしまう。始まってから終わるまでおよそ一分。ぼーっとしていたら、あっという間に終わってしまう。

25分のマグロの競り見学も終わり、今は6時15分。朝ご飯の時間だ。せっかくなので、築地市場の場内にある寿司屋で朝ご飯を食べることにした。場内で一番人気な店「寿司大」に行くことにした。しかし「寿司大」に行ってみると店の前ではない場所まで、たくさん人が並んでいる。それでも父が食べたいというので、並ぶことにした。ここに並んでいる人も韓国や台湾の人が多かった。キャリーバッグを持って並んでいる人も数名いる。インターネットから印刷した紙を手に持っている。

並び始めて1時間経ってから、店の人が来た。店の人は
「四時間かかりますけど、お時間大丈夫ですか?」
と言った。私の父と母は
「えっ、四時間ですか?」
と聞き返した。父はその言葉を聞き、他の店に行くか迷っていた。母も
「他の店に行こう」
と言った。それでもあきらめたくない父は、私と一緒に散歩に行った。父はスマートフォンで「寿司大」を調べた。インターネットには「寿司大」は「東京一」と書かれてあった。そして、口コミを見ると、みんな大絶賛していた。私の父は東京一の寿司を食べたいため、母のいる場所に行った。

朝早く起き、お腹が空いているためぼーっと外を見た。外には変わった乗り物に乗ってたくさんの人が働いている。その乗り物とは、「ターレ」だ。「ターレ」は日本の卸売場、倉庫、駅構内などで荷役用として広く利用されている。私は珍しい乗り物、「ターレ」に目を奪われた。ずっと見ていると色の種類が豊富なことが分かった。赤、青、黄やピンクなどたくさんあった。私は「ターレ」を見て、つまらなかった時間を少し楽しむことができた。
並んでから4時間が経った。列は少し進み、やっと店の前まで来た。あと少しだ。私も親もうれしくなった。

それから30分が経ち11時だ。とうとう店の前の1列目まで来た。のれんをよけて窓越しに店内を見ると、笑顔で食べている人が見えた。しかしここっからが長い。お昼近くの時間になってしまった。
「お腹空いた」
と言った。我慢していたが、もう我慢できなくなった。「寿司大」の近くにはおいしそうな卵焼きを売っている店がある。私はそれを食べたくなってしまった。ところが父に
「お腹が空いていた方がおいしく感じるよ」
と言われた。私はしぶしぶ我慢した。

ついに順番が回ってきた。店の中に入った。板前さんは
「へい、いらっしゃい。長い時間待たせてごめんなさい。」
と言った。私はその言葉に心があたたまった。もちろんマグロや他の珍しい魚などをたくさん食べた。家族三人のほおがほころんだ。さっきまでのつらさを忘れさせてくれるようなおいしい寿司だった。私も母も父も
「んー。おいしい。並んで正解」
という思いでいっぱいだった。最後に好きなものを一つ頼んで良いため、両親は値段の高いアワビを頼んでいた。私は食べたことがなかったのだが、好奇心からアワビを頼んでみた。味はあまりない。コリコリした食感があった。私は思っていた味とは違っていたため、がっかりした。

ふとマグロの競りの映像が頭の中を横切った。ほんの25分の出来事が私には一時間の出来事に感じた。あまり経験できないことをしたので、頭にしっかり刻みこまれた。わざわざキャリーバッグを持って遠くから来ている人もいると知り、ここ築地は「世界の台所」だと思った。

(中学部3年生 女子)

rikkyo school in england今回の春休みで一番深く感じた事は、「国民性の違い」です。休みに時時通う英語学校では普段プライベートレッスンしかしませんが、今回は少し苦手なグループレッスンに一週間チャレンジしてみました。

この英語学校の生徒は、イギリス人は勿論いなくほとんどはヨーロッパの人々です。僕が何故グループレッスンが苦手かというとみんなの会話に入れないからです。彼らはとても話すのが速く、沢山話し、自己主張が強いからです。その中に入るのはとても難しいです。彼らは半年ぐらいのイギリス滞在の期間に全ての英語経験を吸い取ってやるという強い気持ちがあり、たとえ全く違う文法でも必ず会話に入っていくという所があります。しかし自己主張が苦手な日本人はなかなか話に入っていくことは得意ではありません。このような国民性を僕はとてもよくないと思います。だからこの一週間で少しでも多く会話に入っていけるように努力をしました。例えば、声を大きくしたり、一つの話題からどんどん他の話題に膨らませたり、人が話している時に自分の意見を言うということです。最後に挙げた例は日本人にとっては失礼なマナーですがヨーロッパの人にとっては逆に沢山意見を言うという点では悪くないマナーだとも感じられます。これらの事を実行するのは難しかったですが少しの成長も感じ取れた気がしました。

このようなさまざまな「国民性の違い」を肌で体験することにより、自分の足りない部分などを改めて確かめることが出来ました。そして、これらの事をこれからの生活につなげていきたいと思います。

(高等部2年生 男子)

rikkyo school in england唐突だが、僕はイタリア語を勉強している。日本語、英語は勿論だが、親から何かしら一つラテン系の言葉を知っておくといいと薦められたからだ。

そして、この春休み、家族でポルトガルへ旅行した。ポルトガル語はスペイン語やイタリア語と同じ、ラテン系の言葉だ。実際、旅行先でもイタリア語と似た単語や同じ単語を目にする機会があった。その度に、仲間の言語が沢山あるラテン系言語は面白いなぁと思った。

グローバルだ、何だと騒いでる今の世界だと、英語が出来るとやはり重宝されるだろう。立教も英語教育に力を入れているのが分かる。

しかし、母国語(僕の場合は日本語)と英語だけではなんとなく言語の幅が狭すぎると思う。ラテン系言語を知っていれば、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、そしてその国の植民地であったアフリカや中南米でも自分の知っている言語で話せるようになる訳である。

当然、日本語と全く形態の違う言語を二つも習得することはとてつもなくハードなことだと思う。でも、そういった言葉でも英語や日本語の外来語と似ている単語は多い(駅はstazioneだしカードはcartaだ。)
これからもめげずにイタリア語の勉強に励みたい。目指せ、三ヶ国語マスター!!

(高等部2年生 男子)

rikkyo school in englandこの春休み僕はスペインのバルセロナという所に二泊三日で行ってきました。バルセロナでは、母の要望もありガウディの作品を見ました。サクラダファミリアやグエル公園、グエル邸、カサ・ミラを見ました。僕が食べたかったスペインのシーフードパエリアを食べることも出来てとても充実した旅行であったと思います。

僕はバルセロナに行き思ったことがあります。バルセロナは主な収入源が観光なので、とても町が歩きやすいということです。大きな道路の真ん中を歩行者専用の並木道が通っており、その脇の道路は混雑しないように一方通行になっているのです。町には至る所にゴミ箱が設置されており、ポイ捨てを防ぐようになっています。さらに観光客の足とも言えるタクシーは車体の色が黄色と黒で目立つ色となっているので、とても分かりやすいです。

バルセロナはとても整備が行き届いていて良い町でした。どんなにすばらしい建物があってもその町が不便なら人は集まりません。町の整備は理にかなっています。この旅行で町の整備の大切さについて知ることが出来ました。楽しめればいいかと思って軽い気持ちで行ったバルセロナで一つ学ぶことが出来て良かったです。

(高等部2年生 男子)

rikkyo school in england満開の桜を見る度に、ああ去年はもう散り尽くしたあとだった、と感慨が胸に押し寄せる。花が咲いているせいか、春、新学年の始まりを身にしみて感じるのはわたしだけだろうか。そしてそう考えるとき、わたしは常に一年という時間の長さと短さを思い知るのだ。

一年前のわたしは文字通り右も左もわからなくて、新しい生活におろおろするばかりであった。それから、思いきり笑ったり泣いたりして日々を過ごし、自分でも気付かぬうちに大きく成長したことだろう。しかし、たくさんの新入生を前にして、一年前憧れた先輩になれているのかと自問すれば、その答は否かもしれない。見えるところも見えないところも、この特殊な環境での一年分、大人になれているのだろうか。少なくとも、春休みが始まった頃は、一月後の自分が負うであろう義務や責任を、自覚していなかった。

春休みに、横須賀に保存されている古い戦艦を観に行った。世界三大記念艦の一つに数えられる「三笠」は、日本海海戦における大勝利をもたらした帝国海軍の、自慢の軍艦であった。約百年前、露国のバルチック艦隊を前にして、連合艦隊の旗艦である「三笠」は信号旗を掲げる。Z旗とよばれるそれは、「皇國ノ興廃此の一戦ニアリ 各員一層奮励努力セヨ」という意味を持っていた。近代化の波に乗り、今まさにそこから振りおとされそうな極東の兵士たちの士気を、これほどまでに鼓舞した言葉があっただろうか。
この有名な信号文を改めて見たとき、わたしはこの言葉が、海軍の兵士たちにのみならず、わたし自身にも向けられていることを悟った。

「皇國」はわたし自身、「各員」はわたしの心身すべての部分。そして「此の一戦」は高校二年生として過ごす一年を指す。グローバルでシビアな現代社会に足を踏み入れ、列強の仲間入りを果たした日本=わたしの将来は、この一年にかかっている。Z旗に、そういわれた気がした。この信号文は、大学受験を視野に入れ、学校を引っ張って行く学年を迎えるわたしに、「一層奮励努力」しろ、と渇を入れているのだ。やがて大人になったときに厳しい世の中で生き残るためには、今「此ノ一戦」を制せなければならない。組織の中心となって学校を動かし、社会的責任も大きくなる高校二年生は、大人という名の列強の列の後方に、並んでいる。わたしはこの信号を見て、その義務や果たすべき役割を、はっきり自覚した。

先学期、高野チャプレンも繰り返し仰った。人生を決めるのは学生時代の生き方だと。学生時代の努力や培った人間性が、その人を作るのだと。

満開の桜を背景に、今わたしの目の前には、Z旗が掲げられている。

(高等部2年生 女子)

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球技大会が終わって3日目。そろそろ疲れが見え始めた火曜日は午後ブレイク。午後以降の授業をカットして皆それぞれが思い思いにくつろぐお休みになりました。

小学生はこの午後を利用して学校から車で20分ほどのところにあるNewlands Cornerに外出しました。小高い丘を尾根伝いに車で登り、その道がぐっと曲がったところに駐車場があり、ここから丘を散策するコースがあちこちに続いています。日差しもすっかり春らしくなって正に散策日和の午後でした。あたりを一望できるこの丘からの眺めはなかなかのもの。パッチワークのようにはるか彼方にまで広がる田園風景に皆すっかり心を奪われたようでした。元気に丘を歩き回りたっぷりリフレッシュできた散策の様子はこちらのギャラリーでご覧下さい。

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5月19日(日) 10:00 – 16:00 に東京国際フォーラム(東京都千代田区丸の内3-5-1) B2F 展示ホール 1・2で開催されるベネッセ進学フェアに本校もブース参加を致します。当日はイギリスから担当教員が参ります。会場内の本校ブースにて個別相談に対応します。フェア詳細につきましてはベネッセのホームページでご確認ください。

rikkyo school in england僕はこの四月で高校二年生になった。とは言っても、周囲の環境はあまり変わっていない。教室も、机の場所も、担任の先生も高一の時と同じため、そこまで実感はしていない。でも、これから過ごす一年間は明らかに去年度までとは違うということが先生達の口振りからよく伝わってきました。今までは僕達を様々な所で引っ張ってくれた「中心学年」の先輩達と同じ位置に、僕はとうとう立ってしまいました。

展示本部長、当直、球技大会の委員など今までは見ていただけの先輩達の役割を受け継いだのだと思うと、なんだか様々な重圧が自分にのしかかってきそうです。これからの一年を無事に過ごせるのかどうかも本当に不安になってきました。勉強のことまで考えると頭が爆発しそうなくらいです。

だけど、僕はこの中で楽しさを見出していけたらいいなと思います。一所懸命に目の前の物事に取り組んでいければ、きっとどの活動にも楽しさが生まれて笑顔でやり抜くことができると思います。その先にはきっと大きな達成感もあることでしょう。それを味わって「最高に楽しかった!!」と言えるような、そして胸をはって後輩に自分のつないできたバトンを渡せるような、そんな充実した高校二年生を送れるようにしていきたいと思います。

rikkyo school in england

 

ある晴れた気持ちのいい午後、生徒会のメンバーを中心に高校生10名あまりが駐車場脇の芝生の上に集合。青い空に高く立つポールをゆっくりと倒して何やら楽しげな作業が始まりました。何年も前に日本から送られてきた鯉のぼりのセッティングです。
毎年この時期になると駐車場脇の桜並木の中央と、池のほとりの2カ所に鯉のぼりが気持ち良さそうに泳ぎます。
この鯉のぼり、一つは以前立教に勤めていた飛田先生のお父様が、そしてもう一つは第27期卒業生の岩﨑君のお父様が学校に寄贈してくださったものです。
サラサラと気持ちのいい感触の布を手にして嬉しそうにはしゃぐ生徒たちの手で、カラフルな吹き流しと大きな大きな3匹のコイが順番にロープに固定されていきました。
「イッセイのセッ!」と皆で気合いを入れて真っ白なポールが再び空高く立ち上げられると、スルスルとロープが送られ、まるで生命の息吹を受けたかのように「立教のコイ達」が一斉に泳ぎ始めました。生徒たちの歓声があがると、桜並木で囲まれたこの一角がまた賑やかな季節になりました。

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四ヶ月ぶりの立教、不思議と久しぶりな気がしない。礼拝、食事のマナー、朝のベッドメイク等で、久しぶりだからといって惑うことはなかった。この四ヶ月間、春に帰った際、自分が高三として、ちゃんとできるのか不安でたまらなかった。しかし、立教で今日一日を過ごし、日常の事柄をしっかりこなすことができ、不安が一気に半減した。これまで立教で過ごし培ってきた習慣が、私を支え、三学期に生じたブランクをなくしてくれるのではないかと思う。
二年前入学した当初、赤ネクタイの高三生が格好良く、とても頼もしかったのを覚えている。慣れない生活に、心身共に疲れていた私を元気づけてくれたのは、同学や当時の高三達だった。立教において、高三という存在がどれほど重いものか、この二年間を通して強く実感している。廊下で移動しながらも、時間をおしむように勉強する、何かの行事では率先して行動する、そして食事の際には、面白い話で後輩を笑わせてくれる、そんな姿を間近に見てきた。後輩は、先輩を良く見ているように思う。だからこそ、高三がいなくなった三学期には、皆どこか物足りない気持ちを抱くのだろう。
今学期からは私が高三だ。果たして、これまでの高三達のように、後輩から卒業を惜しまれるような先輩になれるのかわからない。けれど、自分なりに努力し続けようと思う。
昔から「努力は報われる」と言われているがこれは本当だと、私は自身のこれまでの立教生活を通して確信している。だから、後輩達にも、たとえ挫折したとしても、決してあきらめず努力し続ける精神をしっかり持ってもらいたい。それにはまず、高三になった私が、手本となるようにしなければいけない。残り約半年の立教生活で、私を通して後輩達が「努力の大切さ」を少しでも感じ取ってくれる、そんな高三になることが、高三としての私の目標だ。
他人から認められるような自分になるためには、まず自分で自分を認められるようにしなくてはいけない。夢見た赤ネクタイを身に付けている以上、私は自分の限界を定めずに様々な事に一生懸命取り組みたい。そして、立教を卒業する時には、達成感に満ちた笑顔で卒業したい、と思った。

(高等部3年生 女子)

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