rikkyo school in england僕が住む神奈川県海老名市の家から、徒歩20分位の所に相模川が流れている。小学生の頃によくメダカを獲ったりして遊んだ思い出がある。今は「さがみ縦貫道路」の工事が進行中である。

三年前に海老名JCTから海老名ICまで開通した。春休み中の3月30日に海老名ICから相模愛川ICまで、4月14日に茅ヶ崎JCTから寒川北ICまでが開通する。帰国するたびに工事が進むのを見ていたので、実際に車が通るのを楽しみにしていた。海老名JCTからすぐに東名高速道路へ入れるようになり、親戚の家がある横浜方面へ行くのにとても便利になったのでよく利用している。ただ愛川方面にはあまり用事が無いので、利用することは少ないと思う。

首都圏中央連絡自動車道(圏央道)は都心からの放射状道路をつなぐ環状の道路で、首都圏中心部から半径約四十〜六十キロの位置で延長約三百キロの高規格幹線道路(自動車専用道路)である。神奈川県内ではさがみ縦貫道路、横浜湘南道路、高速横浜環状南線の三路線が圏央道の一部となっている。圏央道の建設は、都市部に流入する交通を分散して渋滞を緩和すること、それによって走行時間の短縮、走行経費の節約、横浜・厚木・八王子・川越・つくば・成田・木更津などの中核都市をつなげることで、都心に集中する機能を分散して地域開発を促進するなど、首都圏の発展に重要な役割を果たすことが期待されている。建設費は2700億円で、ガソリン税、自動車量税、石油ガス税などの国税が費やされている(NEXCO中日本より)。国の税収が厳しい状況の中で、大きな公共事業には様々な意見が寄せられている。

僕の町の中でも、小田急線の海老名駅から厚木駅間が高架化され、JCTの近くの土地の価格が高くなったり、ららぽーとの建設計画や周辺道路の整備など、町の活性化が見られる。今まで暮らしてきて不便を感じたことはなかったけれど、さらに便利な町になると思うと楽しみになる。

しかし、道路の建設、開発工事に伴って、桜の名所だった河畔公園の桜の木が倒されたり、希少植物タコノアシの生息地である河川区域が破壊されるなど悲しい犠牲もある。

現代の都市生活で本当に不足なものを考えると、便利な交通施設よりも環境保護を優先すべきだと思う。税金の使途も社会保障や環境保護に重点をおいてほしいと思う。そうすれば僕が老人になる時代、六十年後位もきれいな空気の中で、安心した生活ができる社会が継続していくと思う。

環境保護は日本だけの問題ではないので、世界各国が協力して取り組まないと、効果が発揮されない。兵器を開発して戦争をしようとする時代はもう終わっていると思う。これからは、世界中のリーダーが平和的に話し合って、地球の存続を支えていかなければ、明るい未来はやって来ないと思う。僕は英語力を武器にして協力できるように頑張りたいと思う。

(中学部3年生 男子)

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各学期ごとに中学2年生以下の学年はイギリス南部の何処かでフィールドワークを行います。
前日にクランレー村に出て、初夏の陽気の中でフィールドワークを行った小学5年・6年生と中学1年生。
翌日には中学2年生が、ナショナルトラスト管理のハッチランド・パークへ学習に出かけました。
館はレンガ色のすっきりとした建物。緑色の芝生に囲まれて、広大な敷地が広がります。

お屋敷の持ち主は様々に変わっています。
海軍提督が持ち主であったこともあれば、東インド会社に勤めていた人物が住んでいたこともあります。
一時は女子校だったことも。
敷地内には手入れされたブルーベルの森があって、今シーズンの目玉です。

おもしろいのはCOBB氏という人物による様々な鍵盤楽器のコレクション。
ピアノもあれば、ピアノ以前の鍵盤楽器も豊富です。
マリー・アントワネットのピアノあり
金箔に美しい彩色のハープシコードあり
一見鍵盤楽器に見えない隠れ楽器あり
長持型の鍵盤楽器も(チャールズ2世が旅行用に持ち運びできるよう改造したんですって!)
三日月型の鍵盤楽器も
ペダルが6つもあるピアノ
黒光りする鍵盤に、金色の黒鍵が見事なパイプオルガン
最後にお目見えしたのは、ショパンの弾いたピアノでした。
ご本人もピアノに造詣深かったというCOBB氏。
屋敷を彩る鍵盤楽器の数々に、おもわず目を奪われました。
金箔彩色のハープシコードは、当日職員の方が一曲弾いてくれるラッキーな一幕も。
細くて軽い、こぢんまりとした美しい音色です。
(実は予習で、CDを聴いていたのですが!)

部屋を一つ通過するたびに熱を帯びてゆく生徒たち。
ワークシートはちょっと大変でしたけど、
各部屋に待機したガイドさんにたくさん話しかけ、
たくさん教えてもらって、本当によくがんばりました。
「このガイドさんの英語は私にはちょっと聞き取りにくい。隣の部屋のガイドさんに聞いてきますっ!」
「シェークスピアの肖像画がどうしてあるの?」
「あの黒い鍵盤のオルガンきれい!気に入りました。」

ロンドンやケンブリッジ、カンタベリー・・・有名な都市もいいけれど、
南部の地元ならではの良いところもたくさん見て、イギリスを知ってもらいたい。
その熱意で選んだ場所で、生徒たちが興奮してくれると、企画した先生方もとてもうれしいです。

ワークが終わるとそのまま帰る予定でしたが、
「先生、あの黒と金の鍵盤のパイプオルガンのポストカードがどうしても欲しい」とある女生徒。
お屋敷内は写真撮影禁止だったのです。
駄目がもともとで聞いてみたけれど、やっぱり撮影は遠慮して欲しいんですって。
写真がどうしてもほしい女生徒に引きずられて、一同、ギフトショップ内でポストカードを探すことになりました。

「先生、ハーフタームのホームステイ中にまた行けるかな。ホストファミリーに頼んだら、一緒に連れてってもらえるかなあ?」
ちゃんと説明すれば、行けますよ、きっと。
近くにはCLANDON PARKというお屋敷もあるから行ってみては?
先生方はハーフターム中、次の候補地を見学に行ってきます。
2学期もお楽しみに。

イギリスを訪れる皆さん、都市の観光もいいけれど、
カントリーサイドに保護されている、ナショナルトラストの遺跡や邸宅、自然もいいものです。
これからベストシーズン。ぜひ訪れてみてはいかがでしょう。

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中学校3年生の国語で「朝焼けの中で」という単元がある。作者は八つか九つくらいの年の頃、朝焼けを言葉で表現しようとするものの、その美しさに圧倒され、言葉で表現することの限界を感じた、という話だ。
作者は言う。「私はあの朝、初めて言葉というものの貧しさを知ったのである。」「自然の表現の見事さに、人のそれは及びようのないことを、魂にしみとおらせた。」と。
「みんなは、こういう言葉の表現できることの限界を味わったことはある?」という問いに、「分かるような、分からなくないような……」という返答。ということで、自然の美しさを言葉で表現することに挑戦してみようということになった。その頃丁度立教は、満開の桜。桜の花の美しさについて、それぞれ表現するために、みんなで桜を見に行った。桜の色のグラデーションの具合や、枝や花びらのつき方、花びらの動き、光の当たり方、空気感などに注目して、スケッチしていくかのように書くことや、比喩表現を使用すると効果的であることを指導した。以下、生徒の作文である。

*   *   *   *   *

冷たい風の中で、粉雪のように白い花びらを散らせる桜の木。春のおとずれを感じさせるその姿は、自然の冷酷さに抗いながら、たくましく生きることへの喜びを表しているようだった。
(中学部3年 男子)
淡い桃色の花びらが幾重にも重なり、風景に透けこんだ。独特な甘い蜜の香りに誘われて、蜂が盛んに行き交っている。それまでかくれんぼしていた太陽が眩しい程の光の粒を地面にふりそそぐ。一瞬生み出された影が、儚げな存在を濃く主張していた。風も形の無い存在感を、枝を通して伝える。ゆれる枝は風の向きに合わせて小さくざわめいた。散りゆく花たちの優雅な舞踏と光の粒子が交じり合って白銀の光線を放つ。遠くから見ると、淡い桃色で縁取った緩やかな曲線が一際目立つ。母の様に優しく、しかし怖いくらい美しく力強い生命の神秘はしっかりと大地に根をはりめぐらせている。やわらかな花を芽吹き、丈夫な枝を持つこの生命の一本は、何年もかけて培ってきた命の証なのだ。この季節しか咲かないこの花は、人々を魅了すべく、今日も満開の花で曇天を彩っている。
(中学部3年 女子)
ちょっと蹴ったら、ぽっきり折れてしまいそうな枝から、純真無垢な白い花が力強く生きている。花の深い部分は、紅に染まり、それが集まって一つの淡いピンク色の木となる。枝の先からは、緑色の芽が噴き出て、新しい命の始まりを告げている。風が吹けば舞い踊る花びら。まるで盛者必衰の儚さをうたっているようだ。既に命の終わった花びらは、色も変わり、本来の花の華やかは失ったが、そこからは、やがて土になって、またさらに木の栄養となっていく、そんな命の連鎖を感じさせる。
まっさおという程青くなく、水色という程薄っぺらくない。層のように積み重なった、しかしそれでいて透明感のある空に、まるで重力など存在しないかのように、漂白されたシャツぐらい白い雲。そこから降り注ぐ太陽のあたたかく優しい光の粒に照らされて、桜は今日も生きている。
(中学部3年 女子)

 

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グキッ。僕の肘が悲鳴をあげた。しかしここでピッチを出れば先輩が黙ってはいないだろうと思い最後の力を振り絞り再び
ピッチにたった。

僕は今回の球技大会の種目はバレーボールを選択した、去年はバスケットボールを選択し足を痛めたから今年は安全にスポーツをしたいなと思っていた。だがどうだろう。種目の紙が発表され僕の名前はバレーボールの所ではなくサッカーのところにあったのだ。その時僕は5秒ほど静止していたと思う。サッカーなんて中学のころの昼休みに少しやっていたくらいでほ
とんど初めてだ。サッカーは荒いし何より怪我が多いスポーツだ。僕はこれからの2週間がとても不安になった。

練習が始まり3日がたったころ、今までキーパーをつとめていた人がやりたくないと言ってきた。そしたらもちろん先輩た
ちは怒るしチームの人たちもいやな雰囲気になっていた。もともとベンチ宣言されていた僕はこれはチャンスだと思い自分で自らキーパーを引受けた。これが地獄への第一歩だった。

この日から僕は徹底的にキーパーの方法を教わった。先輩の一人がキーパーを12年やっていたこともあって練習はつらかった。試合前日には体は青アザだらけだった。

試合当日、芝生の上でにぎやかに談笑している相手チームと反対に僕たちのチームはとても静かで緊張していた。
同点は負けと一緒。一時間にもおよぶ最後のミーティングでこの言葉を最後に僕達はピッチに立った。ウォーミングアップで先輩が蹴ったボールが手に当たり、肘に激痛が走った。しかしいままでがんばってきた二週間を思い返し踏ん張った。試合の結果は2対2で同点。
相手チームはさっさと帰る中、僕たちはそれから一時間はピッチで黙り込んでいた。

サッカーはやりたくなかったけれど今ではサッカーでよかったなと思う。こんなに熱くなったのは久々だった。来年もサッカ
ーにしようかな。

(高等部2年生 男子)

 

「ねえ、手伝ってよ、Tシャツ作り」
とEさんに冗談で言われました。Eさんとは違う競技であり、チームも違いました。だから手伝うことはできません。でも頑張っている人がいると、応援したくなります。
教室で放課後や夜ブレイクに毎日のように他のチームもTシャツ作りを頑張っていました。私は今までTシャツ作りをしませんでした。同学年でも今まではTシャツ作りの手伝いをしている人は少なかったと思います。私はみんなを見て一歩ずつ上級生に近づいているなとしみじみ思いました。

突然私のチームのH先輩が中三の教室に来て、
「今、暇?Tシャツ作り手伝ってくれない?」
と私とMさんに言いました。私はびっくりしましたがすぐ、
「はい暇です。手伝います。」
と言いました。私たちが手伝うことは「避球」という字をマジックペンで塗るということでした。私はクラスの人が、かわいいTシャツ作りをしていたのを見ていたので、「避球」という文字だけかかれたTシャツを見た時少しがっかりしました。でも、ドッヂボールには男子もいたので、しかたがないかなと思い返しました。
ところが球技大会前日に先輩からTシャツが配られた時、かわいい蝶の絵がかかれていました。私は期待に応えてくれた先輩にお礼を言いたいと思いました。自分がもしTシャツ作りの中心の人になるなら、「わあ、すごい。さすが先輩」と呼ばれる人になりたいなと思いました。

みんなと一緒に練習した時、先輩は練習で汗をかきながらTシャツ作りも頑張っていることに、三回目の球技大会で初めて気がつきました。来年からは高校生の仲間入りです。ちょっとずつ大人になっていくというのはつらさもあり、楽しさもあることを今年の球技大会で教わりました。

(中学部3年生 女子)

rikkyo school in england私はこの春休みに自分の住んでいる町の色々な所に行きました。私が住んでいる町はドイツでは少し田舎のシュトゥットガルトです。休み中、「もう1回この町の良さを知りたい。この町の美しさをもう一度私の心の底に刻み込んでから立教に行きたい。」と思い、私は家から出て、昔友達と遊んでいた公園へ行ったり、母と2人で歩いた幼稚園への道を歩いたりしました。とても懐かしくて、小さい頃毎日見ていた風景をまた見ることが出来た事に感動しました。

そうやって色々な所へと行きましたが、もう1度見ることが出来てすごく嬉しかった場所がひとつありました。それは幼稚園でよく遊びに行ってた森です。その頃毎週木曜日に行っていた森には、昔登っていた木がまだあったり、木に名前を彫った跡があったり、その森にいる間、幼稚園に通っていた自分に戻った気がしました。自分があの頃から大きくなって色々と変わったのに、この森の木は少しも変わっていなくて、何にも考えなくて良かった幼稚園生になれた気分ですごく落ち着きました。昔はいつも皆でお弁当を食べていたベンチに座り、他の町にはないふるさとの良さを感じました。

シュトゥットガルトは多分、他の人から見たら何ともない渋い町に見えるかも知れません。正直、春休み前までは私にもそう見えていました。けれども、この春休みの時間を有効に使って、思い出の場所を回っている間に私は気付きました。シュトゥットガルトには私の思い出が一杯あって、私の目にはその思い出が町を輝かせているように見えました。世界にひとつしかない私の大好きなふるさとです。

(高等部1年生 女子)

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久しぶりの晴天。昨晩の雨がキャンパスの芝生をしっとりと落ち着かせていた。遠くから生徒達の楽しそうな声。芝生の上には何やら見慣れぬ生き物が… 子犬よりも大きな生き物がすくっと立って大きな目でこちらを見つめていた ーー イーグルオウル。
「あまり近くに寄り過ぎてはダメよ。」
ECのイギリス人の先生がフクロウの周りに集まった生徒達に穏やかに呼びかける。
「大き〜い!翼を広げたらどのくらいかなぁ?」
「Owl manに聞いて御覧なさい…」
先生に促されるとそれほどためらわずに元気に聞いた。
「そうだね、こうして見てるだけでも大きいけど、翼を広げると1.5メートルはあるんだ。」
一見寡黙な雰囲気のおじさんだったが生徒達の質問にはゆっくりと温かい目で答えてくれた。

このEC(English Communication)の授業に招かれたMr. Kenwardは地元に住むフクロウ使い。近隣の学校や施設に行ってフクロウたちを子供達に紹介している。今回はECのシャープ先生のアイデアでフクロウ達を立教に連れて来てもらった。事前の準備もたっぷりした。フクロウについて英語でいろいろな情報を集めて皆でディスカッションをしたり、フクロウ使いのおじさんにする質問もたくさん用意した。英語を習い始めて数ヶ月の小学校5年生もノートにしっかり質問を書き留めていた。
“How old are the owls?”

「このフクロウは52才。フクロウは随分長生きなんだよ。」
「向こうにいる白いフクロウが見えるかい? あれがハリーポッターに出てくるのと同じ種類だよ。それからほら、そのバスケットの中を覗いてごらん。」

芝生の上に出ているフクロウは大小合わせて5羽ほどいたが、もう一羽、芝の片隅にチョコンとおいてあるバスケットの中にもフクロウがいた。
「かわいい〜!!」
女子生徒達が大騒ぎ。バスケットの中にいたのは毛むくじゃらのフクロウの赤ちゃん。他のフクロウとはいささか違って見えたが、ギョロリとした大きな目だけは同じだった。

「ん〜、それはちょっと難しい質問だな。」
芝の向こうではMr. Kenward が今度は高校生のグループに囲まれて質問を受けていた。高校生になると質問の内容もずっと高度だ。Mr. Kenwardは1時間目の授業から昼食直前の4時間目まで、代わる代わるやって来る生徒達の質問に一生懸命答えてくれた。おまけにフクロウ達を生徒達の腕に乗せてくれるサービスも…  厚手のカバーを腕に巻いて準備が出来るとMr. Kenwardがゆっくりとフクロウを乗せてくれた。英語の質問をする時よりもずっと緊張した面持ちで腕を差し出す女子生徒。でもいったんその腕にフクロウが乗ると嬉しそうに友達に写真を撮ってもらっていた。
“Can I touch him?”
“Of course, but gently….”

大満足の生徒達。そして4時間も付き合ってくれたMr. Kenwardも立教の生徒達のことを大いに気に入ってくれたらしい。
「いろんな学校をまわっている人だけど、立教の生徒達はとっても礼儀正しくていい子達だって言ってたわ。今度あの赤ちゃんフクロウが大きくなったらまた見せに来てくれるって!」
雨上がりの快晴が良かったのか、生徒達の準備が良かったのか、はたまたMr. Kenwardの穏やかな人柄のお陰か、この企画の責任者、シャープ先生は満面の笑顔で嬉しそうに続けた。

「いいアイデアがあるの。今度は蛇使いってどう?ほら、こうやって首の周りに乗せてくれるの… 本気よ。目星はついているから…」

ECの授業がまた面白くなりそうだ。

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球技大会は、一年の中で一番最初の全校行事である。だから時差ボケでスポーツをするのはとても辛かった。種目はバスケ。僕は団体競技が苦手で、特にバスケは苦手な一つだった。でも中一、中二と頑張って続けてきたので挑戦してみた。

休みはあまりなく、常にボールを持っているか走っているか、それだけだった。平日は授業が終わると、着替えて練習、土日の午後は全部練習。苦手な僕にとっては、地獄だった。しかし、お互い声を掛け合ったり、教えてもらったりしていると、楽になれる。チームプレイで重要なのは助け合うこと。それがわかった。

ぼくは背が低く、力も弱いので、相手や味方と比べたら、ただの棒だ。遠くからシュートはできない、ディフェンスの時も相手にかわされる、役立たずの存在だ。でもこんな僕に合う良い作戦があった。ディフェンスの時に僕はボールをドリブルして襲ってくる敵をカバーし、仮にそれが僕をかわしてシュートしても、味方がカットしたり、リバウンドでとれば守れる。そこからが僕の重要な任務だ。味方がとった瞬間、敵がいないゴールに向かって走行し、そして味方が僕に投げたボールをキャッチしてレイアップで決めるという作戦だ。こういう作戦だからって簡単にかわさせてあげてはいけないのでベストをつくさなければならなかった。

練習していくうちにシュートとかもだんだんうまくなっていったが、オフェンスのコツがどうしてもつかめなかった。それで先輩に怒られたりして練習に行きたくない思いが強くなっていった。でも、自分は今回の球技大会でシュートして点を決めてチームに貢献することが大きな目標だった。だからメロスのように勇気をふりしぼって毎日練習をした。勉強も忙しくて、スポーツで疲れて、精神的にも肉体的にも疲れてしまった自分は何より寝る時間が一番幸せだった。何にもしないで休めるのが一番自分を助けてくれると思った。
練習する時間がもう少ない、球技大会前日、緊張と不安に包まれてすごく体が重かった。でも明日で終わると思うとやる気が起きた。
そして当日。自分にとっては運命の日であった。果たして今まで練習してきた成果を発揮できるか、勝てるか、心配だった。味方に迷惑をかけない、周りを見て判断して自分ができることを見つける、それを心に留めた。

敵は普段とは違う雰囲気で恐ろしかったので、相手をにらみつけながら、味方に声を掛けながら試合は進んでいった。すると、ちょうどゴール下にいた自分はゴールを見つめてボールが出るか入るか見ていた。出た瞬間、飛び上がりボールをキャッチし、ボードに書いてある四角の角をめがけて打つと、ボールは入った。そう、点を決めたのだ。そうすると、不安もふき飛び、チームに貢献できて、本当に嬉しかった。このようなことが三回あり、結果僕は六点決めることができた。ボールをカットしてレイアップで点を決めることはできなかったが、自分が目標にしていた事が達成できた。

バスケは男女両方とも全勝し、結果はエメラルドの優勝。二百点差の圧勝だった。その中に自分が決めたのも入っていると思うと、すごく嬉しかった。
球技大会をやり通した事で新入生との仲も深まり、今回は最高な球技大会だったと思う。一生残る思い出、立教にいて忘れられない思い出が作れて良かった。これからも様々な学校行事に積極的に参加しようと思う。

(中学部3年生 男子)

rikkyo school in englandよくよく考えてみると、もう中二である。この年齢になるといい加減自立しなければいけないと徐々に感じていた。そのため、春休みに自立できるように努力しようと思った。
春休み中に祖母の家に泊まる予定があったので、自立するために勉強の計画を自分で考えたり、また寮に戻る際に必要な物などを考えたり、自立できるようになるために頭を使い、いろいろ考えた。
また、自立できるようになるためには、自分自身の能力もあるが、心もいろいろ物事が降りかかってきても耐えられるようにしておかないといけないと感じ、いろいろなことを体験し、学ぶ、そして自分の心に余裕を持てるようにするということを意識して行った。
その結果、徐々に自分で成し遂げられることが増えてきて、目標へと一歩ずつ進んだが、それからが難しかった。それは自分で成し遂げられることが多くなったとしても、その成し遂げられることを自分から率先してやらないと自立へは結びつかないからである。
その自分から率先してやるということが完全にできるようになるには長い期間がかかると思い、自立すること以外にもう1つ目標を作った。それは毎日外に出ることだ。前の夏休みや冬休みでは家の中に1日中いることが多かったが、それはよくないと思いこの目標を立てた。
その目標を立ててから1日目、思い切って外に出てみた。でも、何も変わった様子はなく、ただ普通の道をうろついて散歩して終わった。その時私は何か面白みを持たないと外に出ることなどただの苦痛だと感じ2日目まで考えていた。でも全くいい考えが浮かばなかった。
そして2日目になりまた外に出た。面白みを見いだせなかったため同じことが再び起こると思ったが、とりあえず外に出て新しい発見をしようという決意で外に出た。すると、隣の家の車が新車になっていたり、りすが走っていたり、昨日には発見できなかった新しい出来事が沢山おこっていて、遂に面白みを掴めた。それは、昨日と違う点を見つけることにあると感じた。
面白みを掴むと苦痛を感じることなく継続できた。
こうして春休みは終盤を向かえ、この作文を書いているが、春休みで習得したものを十分に発揮し、新たなスタートを切りたい。 さらに、チャレンジして駄目だった点を改善してうまく繋げていくことでもっと良くなることも分かった。だから、成功を生み出すためには準備が必要である。

(中学部2年生 男子)

rikkyo school in england「20、20、23、24、24」
リズムに乗っていながらも、威勢の良い声が響いている。その声と速さとに圧倒されない人は誰一人いなかった。

家族三人で朝の三時に起き、築地市場のまぐろの競りを見に行った。そこに集まっている見学者は、おどろいたことに外国人ばかりであった。年間の九割は外国人らしい。私はテレビでは見たことがあるが、競りを間近で見るのは生まれて初めてだった。そして、実際に築地市場に行って分かった。テレビではわからない魚の匂い。間近で見られる魚の大きさ。

立教の鐘にそっくりな形と音の鐘を鳴らしながら競り師が台に立ち、寿司屋の人やスーパーの人を呼び寄せている。私はやっと始まるのだと思い、胸を躍らせた。台に立っている競り師が軽くおじぎをしてから始まった。突然、
「20、20」
と競り師が言った。そしたら一人手を挙げ、
「23」
と言う。競り師は
「23、23」
と言う。次は別の人が、
「24」
と言う。この繰り返しらしい。その数より高い値段で買う人がいなければそれで決まり。ルールは簡単だが、スピードが速い。私は途中で何を言っているのかわからなくなってしまった。もはや暗号に聞こえる。そしていつの間にか終わってしまう。始まってから終わるまでおよそ一分。ぼーっとしていたら、あっという間に終わってしまう。

25分のマグロの競り見学も終わり、今は6時15分。朝ご飯の時間だ。せっかくなので、築地市場の場内にある寿司屋で朝ご飯を食べることにした。場内で一番人気な店「寿司大」に行くことにした。しかし「寿司大」に行ってみると店の前ではない場所まで、たくさん人が並んでいる。それでも父が食べたいというので、並ぶことにした。ここに並んでいる人も韓国や台湾の人が多かった。キャリーバッグを持って並んでいる人も数名いる。インターネットから印刷した紙を手に持っている。

並び始めて1時間経ってから、店の人が来た。店の人は
「四時間かかりますけど、お時間大丈夫ですか?」
と言った。私の父と母は
「えっ、四時間ですか?」
と聞き返した。父はその言葉を聞き、他の店に行くか迷っていた。母も
「他の店に行こう」
と言った。それでもあきらめたくない父は、私と一緒に散歩に行った。父はスマートフォンで「寿司大」を調べた。インターネットには「寿司大」は「東京一」と書かれてあった。そして、口コミを見ると、みんな大絶賛していた。私の父は東京一の寿司を食べたいため、母のいる場所に行った。

朝早く起き、お腹が空いているためぼーっと外を見た。外には変わった乗り物に乗ってたくさんの人が働いている。その乗り物とは、「ターレ」だ。「ターレ」は日本の卸売場、倉庫、駅構内などで荷役用として広く利用されている。私は珍しい乗り物、「ターレ」に目を奪われた。ずっと見ていると色の種類が豊富なことが分かった。赤、青、黄やピンクなどたくさんあった。私は「ターレ」を見て、つまらなかった時間を少し楽しむことができた。
並んでから4時間が経った。列は少し進み、やっと店の前まで来た。あと少しだ。私も親もうれしくなった。

それから30分が経ち11時だ。とうとう店の前の1列目まで来た。のれんをよけて窓越しに店内を見ると、笑顔で食べている人が見えた。しかしここっからが長い。お昼近くの時間になってしまった。
「お腹空いた」
と言った。我慢していたが、もう我慢できなくなった。「寿司大」の近くにはおいしそうな卵焼きを売っている店がある。私はそれを食べたくなってしまった。ところが父に
「お腹が空いていた方がおいしく感じるよ」
と言われた。私はしぶしぶ我慢した。

ついに順番が回ってきた。店の中に入った。板前さんは
「へい、いらっしゃい。長い時間待たせてごめんなさい。」
と言った。私はその言葉に心があたたまった。もちろんマグロや他の珍しい魚などをたくさん食べた。家族三人のほおがほころんだ。さっきまでのつらさを忘れさせてくれるようなおいしい寿司だった。私も母も父も
「んー。おいしい。並んで正解」
という思いでいっぱいだった。最後に好きなものを一つ頼んで良いため、両親は値段の高いアワビを頼んでいた。私は食べたことがなかったのだが、好奇心からアワビを頼んでみた。味はあまりない。コリコリした食感があった。私は思っていた味とは違っていたため、がっかりした。

ふとマグロの競りの映像が頭の中を横切った。ほんの25分の出来事が私には一時間の出来事に感じた。あまり経験できないことをしたので、頭にしっかり刻みこまれた。わざわざキャリーバッグを持って遠くから来ている人もいると知り、ここ築地は「世界の台所」だと思った。

(中学部3年生 女子)

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