rikkyo school in england

 

ある晴れた気持ちのいい午後、生徒会のメンバーを中心に高校生10名あまりが駐車場脇の芝生の上に集合。青い空に高く立つポールをゆっくりと倒して何やら楽しげな作業が始まりました。何年も前に日本から送られてきた鯉のぼりのセッティングです。
毎年この時期になると駐車場脇の桜並木の中央と、池のほとりの2カ所に鯉のぼりが気持ち良さそうに泳ぎます。
この鯉のぼり、一つは以前立教に勤めていた飛田先生のお父様が、そしてもう一つは第27期卒業生の岩﨑君のお父様が学校に寄贈してくださったものです。
サラサラと気持ちのいい感触の布を手にして嬉しそうにはしゃぐ生徒たちの手で、カラフルな吹き流しと大きな大きな3匹のコイが順番にロープに固定されていきました。
「イッセイのセッ!」と皆で気合いを入れて真っ白なポールが再び空高く立ち上げられると、スルスルとロープが送られ、まるで生命の息吹を受けたかのように「立教のコイ達」が一斉に泳ぎ始めました。生徒たちの歓声があがると、桜並木で囲まれたこの一角がまた賑やかな季節になりました。

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四ヶ月ぶりの立教、不思議と久しぶりな気がしない。礼拝、食事のマナー、朝のベッドメイク等で、久しぶりだからといって惑うことはなかった。この四ヶ月間、春に帰った際、自分が高三として、ちゃんとできるのか不安でたまらなかった。しかし、立教で今日一日を過ごし、日常の事柄をしっかりこなすことができ、不安が一気に半減した。これまで立教で過ごし培ってきた習慣が、私を支え、三学期に生じたブランクをなくしてくれるのではないかと思う。
二年前入学した当初、赤ネクタイの高三生が格好良く、とても頼もしかったのを覚えている。慣れない生活に、心身共に疲れていた私を元気づけてくれたのは、同学や当時の高三達だった。立教において、高三という存在がどれほど重いものか、この二年間を通して強く実感している。廊下で移動しながらも、時間をおしむように勉強する、何かの行事では率先して行動する、そして食事の際には、面白い話で後輩を笑わせてくれる、そんな姿を間近に見てきた。後輩は、先輩を良く見ているように思う。だからこそ、高三がいなくなった三学期には、皆どこか物足りない気持ちを抱くのだろう。
今学期からは私が高三だ。果たして、これまでの高三達のように、後輩から卒業を惜しまれるような先輩になれるのかわからない。けれど、自分なりに努力し続けようと思う。
昔から「努力は報われる」と言われているがこれは本当だと、私は自身のこれまでの立教生活を通して確信している。だから、後輩達にも、たとえ挫折したとしても、決してあきらめず努力し続ける精神をしっかり持ってもらいたい。それにはまず、高三になった私が、手本となるようにしなければいけない。残り約半年の立教生活で、私を通して後輩達が「努力の大切さ」を少しでも感じ取ってくれる、そんな高三になることが、高三としての私の目標だ。
他人から認められるような自分になるためには、まず自分で自分を認められるようにしなくてはいけない。夢見た赤ネクタイを身に付けている以上、私は自分の限界を定めずに様々な事に一生懸命取り組みたい。そして、立教を卒業する時には、達成感に満ちた笑顔で卒業したい、と思った。

(高等部3年生 女子)

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(画像はイメージ画像です)

昨年末に実施された東アジア医学生会議に参加した高校2年生からのリポートをお届けします。東アジア医学生会議は、アジア各国の医学生の国際交流、相互理解の促進、および将来のアジアにおける国際協力の基盤作りを目的としてアジア医学生連絡協議会が開催するもので、第26回目となる今回は、「災害医療」をテーマに、約30カ国から総勢300名の医学生が参加して東京医科歯科大学で行われました。

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東アジア医学生会議に参加して

僕は、今回の冬休みに東アジア医学生会議に参加してきました。
この会議は、最近アジア諸国で多発する災害にそれぞれの国の医療機関がどのような対応をしているのか、などのそれぞれの国の医療問題を医学的知識を交え、話し合うというものです。そして、今回は日本の学生を中心に災害医療について知ってもらうという主旨のもと行われたイベントで、僕はそのイベントに参加し、イベントを通して「トリアージ」というものを体験してきました。

「トリアージ」とは、多くの傷病人が出る災害や事故において、その傷病者に優先順位をつける行為のことです。しかし、これだけを聞くと少し差別的行為のように思えませんか?僕も初めて内容を聞いたときは、大学生に異議を申し立てようとしたくらいです。なぜなら、傷病者に対し四色のタグをそれぞれ治療が必要な順につけるというものなのです。でも、この「トリアージ」の持つ一つの理念は、『ひとりでも多くの傷病者を救いたい」というもので、さらにこの会議の実行委員であり、我らが立教英国学院の卒業生である中村さんが言うには、「このトリアージは専門医による迅速かつ簡便かつ適切な治療を行い、もちろん優先度の高い順に治療はするが、他の傷病者も見捨てず、後で必ず治療する。」ということだそうで、そのような一分一秒を争う現場で傷病者に対し、識別を行うスタッフに驚きを感じずにはいられませんでした。人に優先度をつけて、必ず助かるはずだった人がもし、死んだらと思うと少しだけこの「トリアージ」に対し不安を感じずにはいられないという気持もありました。また、この迅速な識別を行えるようになるのに、たくさんの被災地を見てきたのだと、僕は思います。

ところで、このトリアージ体験の内容は、患者の状態が書いてある紙を見て、患者にどのトリアージタッグをつければよいかを当てるクイズのようなもので、それを六人のアジア医学生と行いました。さらにその場では、アジアの医療問題についての話もしてくれたり、各国の医学生が普段どのようなことを学んでいるのか、など将来、医者になりたいと思っている僕にとっては、医者になるということがどうゆう事なのかということを聞いている気にもなりました。

こうして、会議は終わり、その会議で学んだことについて考えてみると、東日本大震災の時、どれだけの医療に携わる人々が多くの傷病者を救えず、つらい思いをしたのか、少しだけわかった気がしました。そのためにこのような会議は、今の地球において、すごく大切なものだと心の底から思い、僕も将来、ひとりでも多くの人の命や健康を支えられるような人になれるように、大学生になったら、このような会議にもたくさん参加していきたいと思っています。

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桜が咲き誇る快晴の日に行われた球技大会。新入生達が2週間の練習を通して同輩はもとより、先輩・後輩と交流を深め、より立教生らしくなっていきます。そしてそのエネルギーのすべてがこの球技大会で惜しむ事なく発揮され、新しい大家族の絆が深められていく… そんな一日の軌跡を映像でお送りします。英国の田園風景の中にゆったりと広がる本校キャンパスの様子もあわせてご覧下さい。ギャラリーへのリンクはこちらです。

 

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今までは、休み中は勉強があまりできなかった。自分への甘えがあったのだろうか。何か計画するはいいものの、それを実行に移すことができていなかったと思う。しかし、今回の長期休暇に入る前に、私はある目標を立てていた。それは、集中力をつけることだった。今まで勉強をする時、私は集中力を維持することができずにいた。
休暇中、まず時間を決めて勉強をし、5分の休憩をとって、また勉強を繰り返した。その結果、確かに集中力はついたかもしれないがまだそれを何時間も持続させることは少し難しい。なので、今学期は集中力を維持することを目標とする。
そして、休暇が明けて学校に帰ると、赤ネクタイが待っていた。赤ネクタイをもらった時、ふーんと軽く思っていた。しかし、翌朝いざネクタイをしてみると、緊張を感じることできた。これをつければ自分は高三です。というのが外部からもはっきりわかってしまうし、何より自覚することによって改めて、責任感も感じることができた。そんな色々な意味で重い赤ネクタイをこれからずっとつけていく。
今の私はまだ未熟者だ。社会の常識も、ルールも完全には分かっていない。しかし、この1年ちょっとの生活で確実に得たものが一つだけある。それは、「協調性」だ。この学校にいる以上、寮生活をしなくてはならない。初めは不安や戸惑いがあったが、この一年で友人と一日を共に過ごすことによって、一つの共同社会での過ごし方がわかった。寮生活である以上、時には周りに合わせなくてはならない時はある。前までの自分だったら、不満を抱いていただろうという事も、今はそんな事は少しも感じない。つまり、自分で言うのには少し気が引けるが、心が広くなったと思う。そして何より、友人がいることに感謝しなくてはならないのかもしれない。今の私を作り上げてくれたのは、間違いなく周りの友人である。
今年から高校三年生。高校生活最後の年が始まった。これから自分がまたどれほど成長するのか。そして、この一年が終わった時、少しの後悔も残っていないような充実した高校生活を送っていきたい。もし終わった後、後悔がなければ、その時の自分は今の自分より一回りも二回りも成長しているだろう。
(高等部3年生 男子)

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今年のイギリスは例年より春が遅かったため、キャンパスに満開の桜が咲き誇る中、4月27日(土)に球技大会を開催しました。

生徒たちはこの日のために、入学式から間もなく練習を始めます。種目は、男女バスケットボール、男女バレーボール、ソフトボール、サッカー、ネットボール、ポートボール、ドッヂボールがあり、それぞれの種目に分かれて、毎日毎日放課後の時間全てを練習時間に費やします。体育館、テニスコート、サッカー場からは、夕食前まで生徒たちの熱い声が聞こえてきました。
そして本番前日。夜のブレイクの時間に各チームが中庭に集まり、高等部3年のチームリーダーを中心として、士気を高めます。生徒たちの鼓舞する声が中庭に響き渡りました。

いざ本番。開会式を終え、まずは全体競技。4人編成の騎馬でリレーを行い、その次は「台風の目」です。その後は、各種目に分かれて試合を行います。そして昼食。お手製のTシャツに友達への応援メッセージを書く姿があちこちで見られます。昼食後は、各チームのリーダーが中心となり、応援合戦へと続きます。今年の色は、オレンジとエメラルドグリーン。「ジャイアンのTシャツの色はー?」「オレンジ!!」、「五月の誕生石はー?」「エメラルド!!」など立教恒例の応援合戦で自分のチームの色を言い合い、お互いのチームの絆を見せつけました。午後の部は綱引きが行なわれた後、また各種目の試合が行なわれました。

閉会式は夕食後。結果発表が読み上げられ、勝利したのはエメラルドチーム。歓声の声と落胆の声が入り混じる中、各種目のMVPも発表されました。
それぞれに練習の成果を出し尽くし、全力で闘った生徒たち。その中で、友情を深め、また身心ともに成長していく姿を見ることができました。

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まだ夢の中にいるようだ。この間の受験の時にはなかった「立教生」の証である校章を胸につけ、この作文を書いている。今はまだ立教のリズムに慣れなくて、みんなについていくのが精一杯。しかしクラスの子も、食事の席の先輩も、同じドミトリーの子もみんな優しい。まだ、何も分からなくて右往左往してしまう私を優しく導いてくれる。人間は変化に弱い、なんて言うけれど、それは周りの人たちの優しさで救われるものだな、と身をもって感じている。
私はこの立教での3年間を通じて「社会に必要とされる国際人」とは何かを考え、知る努力をしたい。私の父は幼い頃をアメリカで過ごし、英語が堪能だ。そして今では日々世界を飛んで仕事をしている。もちろん、英語力も世界で働く為の大きな鍵である。しかし、父はいつも「自分の意見を持ちなさい。そして、怖がらずにその意見を言いなさい。」と私に言っていた。そのお陰もあり、何に対しても大なり小なり自分の意見を持つことができた。小・中学校生活でも学級委員や生徒会執行部員など、たくさん努めさせて頂いて沢山のことを経験し、その中でも一番身を持って感じたことは人にものを伝えることの難しさだ。このこと抜きでは日本人はおろか、世界の人などとは渡り合っていけない。そのために、私はたくさんの国から来ている立教英国学院の仲間と過ごす中で、互いの文化を学び合い、語学も習得し6年目となる英国生活を充実させたい。
周りの仲間が温かく迎えてくれ、良い高校生活のスタートが切れたと思う。しかし、今までとは180度違う環境にはまだ慣れないことだらけで悲しくなんかないのに少し気を抜いたら涙が出そうだ。両親に感謝し、一刻も早く立派な立教生になり、かけがえのない高校生活を送りたい。
(高等部1年新入生 女子)
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「本からはいつでも学べるけど、実践できる機会は滅多にない。」
私のバディが言ったことをざっと訳すとこんな感じだ。全くその通りである。学んできた知識を存分に活かし、母国語を違える留学生の彼女らと過ごして、強く思った。
とにかく機会が欲しかった。冬休みから長く期待を寄せていた私は、この交換留学の参加者に選ばれて、とても嬉しかった。私達の相手より先に来たミレースクールの生徒と食事をした時には、少し不安も覚えたけれど、ウルバーハンプトンの「奴ら」は、それを初日から吹き飛ばした。日本語を積極的に話しかけてきて、こちらも負けじと英語を駆使する。そんな愉快な攻防戦がすぐに幕を開けたのだった。
彼女たちとの出会いから、5日間という時間は飛ぶように過ぎていった。ECのドラマの授業を一緒にやったあとに、生物の時間に2人で眠りかけ、日本史では専門用語抜きで日本文化を必死で伝え、太宰治を授業と同時進行で教えてあげたときには、流石に疲れた。けれど、やれば出来るじゃない。太宰を説明できるぐらい、英語に慣れたのだと、自分に驚いた。勢い良く流れていく時間の中でも、私たちは沢山、小さな進歩と発見をしていた。
冒頭に述べたように、語学において実践経験を積むというのは、とても大きなことである。だから、日本のことを教えたり、授業をともに受けたりしたことより、とにかく自然に話して、一緒に生活したのが、全てにおいて有意義なことだった。同じテーブルで食事して、廊下を並んで歩いて、最後はただ集まって笑った。そんな日常的な国際交流を経たからこそ、今私はこの交換留学に携われて良かったと、心から感じている。
夏に初めてのホームステイをしたときにも、同じ様に英国人と「日常」を共に過ごして、同様の感動を覚えた。そして自分からチャンスに飛び付こうと心に決めた。その決意が、今の私に生きていた。自分で希望し、交換留学に参加した。チャンスを掴んだ私は、以前よりずっと、自分に自信がある。
私は、英語を、話せる。
ーー次の夏、今度は彼女たちの「日常」に、私たちが「外国人」として入り込む。また彼女たちに会うのが楽しみで、新しい経験をするのが待ち遠しい。この機会に得た感覚と自信をなくさず、再び会う日まで、まだまだ自分の能力を伸ばしたいと思う。
(高等部1年 女子)

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この学校に来て1年が経ち、再び春が来た。立教にある桜は本来ならば春休みのうちに花びらは散ってしまうらしいが今年は珍しく新学期に間に合ったようだ。というのも今年のイギリスは異常なまでに寒かったのだ。日本ではあり得ないが4月に雪が降っていたのである。

イギリスで初めて冬を越した。長い冬だったと思う。1年を通してずっと寒くて、日本のように信じられないくらいの暑さになることはなかった。暑いのが苦手な自分にとっては過ごしやすい気候だと思う。

1年前、ドタバタと忙しなく心に余裕がなかった。その頃は「日本に帰りたい」が口癖だったと思う。1年経って、自分は以前のように「帰りたい」とは思わなくなった。今ではこの国にだいぶ馴染むことが出来た。イギリスに来た頃はこんな日が来るとは思わずにいた。英語はまだまだ自分にとって大きな課題のひとつだが、この1年で多くの経験とかけがえのない友人を得ることができた。日本にいたら遊びすぎて今頃どうしようもなく落ちぶれていただろう。この学校に来て良かったと思う。
これからあと3年間、新しく増えた仲間たちとこの立教で高校生活を送っていく。未来の自分が振り返ったら、とても短く感じるだろう。その3年間を充実させて過ごしたい。今年咲いた桜は、自分の新しいスタートだ。

(高等部1年生 男子)

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立教英国学院はキリスト教の精神に土台を置き、単に学問の知識だけを身につけるためだけでなく、人が人として真に生きるために最も大切なことを学ぶ場所であります。信仰は自由であり、強制されることはありませんが、立教英国学院の生活の中心には礼拝があります。それは、礼拝を通して自らに与えられた命に感謝する心、他者を思いやる心を養うためであります。

又、日本から遠く離れた英国に生活の基盤を置き、日本とは異なる伝統、文化、慣習、宗教を体験することを通して、真の国際人となるための素養を身につけます。ただ単に英語や他国語を身につけるのではなく、自分とは異なる文化、慣習、宗教を持つ相手を受容し、尊重することが出来きる人間となるためです。

教員と生徒が共に生活し、学び、礼拝する時間を共有し、相互に自己研鑽しながら成長していく場所、それが立教英国学院であります。

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