rikkyo school in england

(画像はイメージ画像です)

昨年末に実施された東アジア医学生会議に参加した高校2年生からのリポートをお届けします。東アジア医学生会議は、アジア各国の医学生の国際交流、相互理解の促進、および将来のアジアにおける国際協力の基盤作りを目的としてアジア医学生連絡協議会が開催するもので、第26回目となる今回は、「災害医療」をテーマに、約30カ国から総勢300名の医学生が参加して東京医科歯科大学で行われました。

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東アジア医学生会議に参加して

僕は、今回の冬休みに東アジア医学生会議に参加してきました。
この会議は、最近アジア諸国で多発する災害にそれぞれの国の医療機関がどのような対応をしているのか、などのそれぞれの国の医療問題を医学的知識を交え、話し合うというものです。そして、今回は日本の学生を中心に災害医療について知ってもらうという主旨のもと行われたイベントで、僕はそのイベントに参加し、イベントを通して「トリアージ」というものを体験してきました。

「トリアージ」とは、多くの傷病人が出る災害や事故において、その傷病者に優先順位をつける行為のことです。しかし、これだけを聞くと少し差別的行為のように思えませんか?僕も初めて内容を聞いたときは、大学生に異議を申し立てようとしたくらいです。なぜなら、傷病者に対し四色のタグをそれぞれ治療が必要な順につけるというものなのです。でも、この「トリアージ」の持つ一つの理念は、『ひとりでも多くの傷病者を救いたい」というもので、さらにこの会議の実行委員であり、我らが立教英国学院の卒業生である中村さんが言うには、「このトリアージは専門医による迅速かつ簡便かつ適切な治療を行い、もちろん優先度の高い順に治療はするが、他の傷病者も見捨てず、後で必ず治療する。」ということだそうで、そのような一分一秒を争う現場で傷病者に対し、識別を行うスタッフに驚きを感じずにはいられませんでした。人に優先度をつけて、必ず助かるはずだった人がもし、死んだらと思うと少しだけこの「トリアージ」に対し不安を感じずにはいられないという気持もありました。また、この迅速な識別を行えるようになるのに、たくさんの被災地を見てきたのだと、僕は思います。

ところで、このトリアージ体験の内容は、患者の状態が書いてある紙を見て、患者にどのトリアージタッグをつければよいかを当てるクイズのようなもので、それを六人のアジア医学生と行いました。さらにその場では、アジアの医療問題についての話もしてくれたり、各国の医学生が普段どのようなことを学んでいるのか、など将来、医者になりたいと思っている僕にとっては、医者になるということがどうゆう事なのかということを聞いている気にもなりました。

こうして、会議は終わり、その会議で学んだことについて考えてみると、東日本大震災の時、どれだけの医療に携わる人々が多くの傷病者を救えず、つらい思いをしたのか、少しだけわかった気がしました。そのためにこのような会議は、今の地球において、すごく大切なものだと心の底から思い、僕も将来、ひとりでも多くの人の命や健康を支えられるような人になれるように、大学生になったら、このような会議にもたくさん参加していきたいと思っています。

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桜が咲き誇る快晴の日に行われた球技大会。新入生達が2週間の練習を通して同輩はもとより、先輩・後輩と交流を深め、より立教生らしくなっていきます。そしてそのエネルギーのすべてがこの球技大会で惜しむ事なく発揮され、新しい大家族の絆が深められていく… そんな一日の軌跡を映像でお送りします。英国の田園風景の中にゆったりと広がる本校キャンパスの様子もあわせてご覧下さい。ギャラリーへのリンクはこちらです。

 

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今までは、休み中は勉強があまりできなかった。自分への甘えがあったのだろうか。何か計画するはいいものの、それを実行に移すことができていなかったと思う。しかし、今回の長期休暇に入る前に、私はある目標を立てていた。それは、集中力をつけることだった。今まで勉強をする時、私は集中力を維持することができずにいた。
休暇中、まず時間を決めて勉強をし、5分の休憩をとって、また勉強を繰り返した。その結果、確かに集中力はついたかもしれないがまだそれを何時間も持続させることは少し難しい。なので、今学期は集中力を維持することを目標とする。
そして、休暇が明けて学校に帰ると、赤ネクタイが待っていた。赤ネクタイをもらった時、ふーんと軽く思っていた。しかし、翌朝いざネクタイをしてみると、緊張を感じることできた。これをつければ自分は高三です。というのが外部からもはっきりわかってしまうし、何より自覚することによって改めて、責任感も感じることができた。そんな色々な意味で重い赤ネクタイをこれからずっとつけていく。
今の私はまだ未熟者だ。社会の常識も、ルールも完全には分かっていない。しかし、この1年ちょっとの生活で確実に得たものが一つだけある。それは、「協調性」だ。この学校にいる以上、寮生活をしなくてはならない。初めは不安や戸惑いがあったが、この一年で友人と一日を共に過ごすことによって、一つの共同社会での過ごし方がわかった。寮生活である以上、時には周りに合わせなくてはならない時はある。前までの自分だったら、不満を抱いていただろうという事も、今はそんな事は少しも感じない。つまり、自分で言うのには少し気が引けるが、心が広くなったと思う。そして何より、友人がいることに感謝しなくてはならないのかもしれない。今の私を作り上げてくれたのは、間違いなく周りの友人である。
今年から高校三年生。高校生活最後の年が始まった。これから自分がまたどれほど成長するのか。そして、この一年が終わった時、少しの後悔も残っていないような充実した高校生活を送っていきたい。もし終わった後、後悔がなければ、その時の自分は今の自分より一回りも二回りも成長しているだろう。
(高等部3年生 男子)

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今年のイギリスは例年より春が遅かったため、キャンパスに満開の桜が咲き誇る中、4月27日(土)に球技大会を開催しました。

生徒たちはこの日のために、入学式から間もなく練習を始めます。種目は、男女バスケットボール、男女バレーボール、ソフトボール、サッカー、ネットボール、ポートボール、ドッヂボールがあり、それぞれの種目に分かれて、毎日毎日放課後の時間全てを練習時間に費やします。体育館、テニスコート、サッカー場からは、夕食前まで生徒たちの熱い声が聞こえてきました。
そして本番前日。夜のブレイクの時間に各チームが中庭に集まり、高等部3年のチームリーダーを中心として、士気を高めます。生徒たちの鼓舞する声が中庭に響き渡りました。

いざ本番。開会式を終え、まずは全体競技。4人編成の騎馬でリレーを行い、その次は「台風の目」です。その後は、各種目に分かれて試合を行います。そして昼食。お手製のTシャツに友達への応援メッセージを書く姿があちこちで見られます。昼食後は、各チームのリーダーが中心となり、応援合戦へと続きます。今年の色は、オレンジとエメラルドグリーン。「ジャイアンのTシャツの色はー?」「オレンジ!!」、「五月の誕生石はー?」「エメラルド!!」など立教恒例の応援合戦で自分のチームの色を言い合い、お互いのチームの絆を見せつけました。午後の部は綱引きが行なわれた後、また各種目の試合が行なわれました。

閉会式は夕食後。結果発表が読み上げられ、勝利したのはエメラルドチーム。歓声の声と落胆の声が入り混じる中、各種目のMVPも発表されました。
それぞれに練習の成果を出し尽くし、全力で闘った生徒たち。その中で、友情を深め、また身心ともに成長していく姿を見ることができました。

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まだ夢の中にいるようだ。この間の受験の時にはなかった「立教生」の証である校章を胸につけ、この作文を書いている。今はまだ立教のリズムに慣れなくて、みんなについていくのが精一杯。しかしクラスの子も、食事の席の先輩も、同じドミトリーの子もみんな優しい。まだ、何も分からなくて右往左往してしまう私を優しく導いてくれる。人間は変化に弱い、なんて言うけれど、それは周りの人たちの優しさで救われるものだな、と身をもって感じている。
私はこの立教での3年間を通じて「社会に必要とされる国際人」とは何かを考え、知る努力をしたい。私の父は幼い頃をアメリカで過ごし、英語が堪能だ。そして今では日々世界を飛んで仕事をしている。もちろん、英語力も世界で働く為の大きな鍵である。しかし、父はいつも「自分の意見を持ちなさい。そして、怖がらずにその意見を言いなさい。」と私に言っていた。そのお陰もあり、何に対しても大なり小なり自分の意見を持つことができた。小・中学校生活でも学級委員や生徒会執行部員など、たくさん努めさせて頂いて沢山のことを経験し、その中でも一番身を持って感じたことは人にものを伝えることの難しさだ。このこと抜きでは日本人はおろか、世界の人などとは渡り合っていけない。そのために、私はたくさんの国から来ている立教英国学院の仲間と過ごす中で、互いの文化を学び合い、語学も習得し6年目となる英国生活を充実させたい。
周りの仲間が温かく迎えてくれ、良い高校生活のスタートが切れたと思う。しかし、今までとは180度違う環境にはまだ慣れないことだらけで悲しくなんかないのに少し気を抜いたら涙が出そうだ。両親に感謝し、一刻も早く立派な立教生になり、かけがえのない高校生活を送りたい。
(高等部1年新入生 女子)
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「本からはいつでも学べるけど、実践できる機会は滅多にない。」
私のバディが言ったことをざっと訳すとこんな感じだ。全くその通りである。学んできた知識を存分に活かし、母国語を違える留学生の彼女らと過ごして、強く思った。
とにかく機会が欲しかった。冬休みから長く期待を寄せていた私は、この交換留学の参加者に選ばれて、とても嬉しかった。私達の相手より先に来たミレースクールの生徒と食事をした時には、少し不安も覚えたけれど、ウルバーハンプトンの「奴ら」は、それを初日から吹き飛ばした。日本語を積極的に話しかけてきて、こちらも負けじと英語を駆使する。そんな愉快な攻防戦がすぐに幕を開けたのだった。
彼女たちとの出会いから、5日間という時間は飛ぶように過ぎていった。ECのドラマの授業を一緒にやったあとに、生物の時間に2人で眠りかけ、日本史では専門用語抜きで日本文化を必死で伝え、太宰治を授業と同時進行で教えてあげたときには、流石に疲れた。けれど、やれば出来るじゃない。太宰を説明できるぐらい、英語に慣れたのだと、自分に驚いた。勢い良く流れていく時間の中でも、私たちは沢山、小さな進歩と発見をしていた。
冒頭に述べたように、語学において実践経験を積むというのは、とても大きなことである。だから、日本のことを教えたり、授業をともに受けたりしたことより、とにかく自然に話して、一緒に生活したのが、全てにおいて有意義なことだった。同じテーブルで食事して、廊下を並んで歩いて、最後はただ集まって笑った。そんな日常的な国際交流を経たからこそ、今私はこの交換留学に携われて良かったと、心から感じている。
夏に初めてのホームステイをしたときにも、同じ様に英国人と「日常」を共に過ごして、同様の感動を覚えた。そして自分からチャンスに飛び付こうと心に決めた。その決意が、今の私に生きていた。自分で希望し、交換留学に参加した。チャンスを掴んだ私は、以前よりずっと、自分に自信がある。
私は、英語を、話せる。
ーー次の夏、今度は彼女たちの「日常」に、私たちが「外国人」として入り込む。また彼女たちに会うのが楽しみで、新しい経験をするのが待ち遠しい。この機会に得た感覚と自信をなくさず、再び会う日まで、まだまだ自分の能力を伸ばしたいと思う。
(高等部1年 女子)

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この学校に来て1年が経ち、再び春が来た。立教にある桜は本来ならば春休みのうちに花びらは散ってしまうらしいが今年は珍しく新学期に間に合ったようだ。というのも今年のイギリスは異常なまでに寒かったのだ。日本ではあり得ないが4月に雪が降っていたのである。

イギリスで初めて冬を越した。長い冬だったと思う。1年を通してずっと寒くて、日本のように信じられないくらいの暑さになることはなかった。暑いのが苦手な自分にとっては過ごしやすい気候だと思う。

1年前、ドタバタと忙しなく心に余裕がなかった。その頃は「日本に帰りたい」が口癖だったと思う。1年経って、自分は以前のように「帰りたい」とは思わなくなった。今ではこの国にだいぶ馴染むことが出来た。イギリスに来た頃はこんな日が来るとは思わずにいた。英語はまだまだ自分にとって大きな課題のひとつだが、この1年で多くの経験とかけがえのない友人を得ることができた。日本にいたら遊びすぎて今頃どうしようもなく落ちぶれていただろう。この学校に来て良かったと思う。
これからあと3年間、新しく増えた仲間たちとこの立教で高校生活を送っていく。未来の自分が振り返ったら、とても短く感じるだろう。その3年間を充実させて過ごしたい。今年咲いた桜は、自分の新しいスタートだ。

(高等部1年生 男子)

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立教英国学院はキリスト教の精神に土台を置き、単に学問の知識だけを身につけるためだけでなく、人が人として真に生きるために最も大切なことを学ぶ場所であります。信仰は自由であり、強制されることはありませんが、立教英国学院の生活の中心には礼拝があります。それは、礼拝を通して自らに与えられた命に感謝する心、他者を思いやる心を養うためであります。

又、日本から遠く離れた英国に生活の基盤を置き、日本とは異なる伝統、文化、慣習、宗教を体験することを通して、真の国際人となるための素養を身につけます。ただ単に英語や他国語を身につけるのではなく、自分とは異なる文化、慣習、宗教を持つ相手を受容し、尊重することが出来きる人間となるためです。

教員と生徒が共に生活し、学び、礼拝する時間を共有し、相互に自己研鑽しながら成長していく場所、それが立教英国学院であります。

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新入生の皆さん、入学おめでとうございます。在校生諸君、進学おめでとう。

今年の日本はとても暖かい3月で、例年より2週間も早く桜が咲いたとのことでしたが、ここイギリスは、観測史上今までで一番寒い3月だったそうです。実は本日、今この瞬間が、今年の最高気温に達したところだと思います。お陰で立教の桜は、毎年いつも、春休み中に散ってしまって誰も見る人がいない、とても残念だったのですが、今年は初めて、入学式に桜が咲いて、黄色い水仙も今が満開、これでやっとイギリスにも春が来た、そんな良い入学の日となりました。

この学校の桜は、苗木の状態ではるばるオランダ経由で運ばれて、キャンパスのあちこちに植樹されたものです。高さ数十cm だった小さな苗木が、一年また一年と、少しずつ、着実に成長し、ようやく花が咲くようになり、何年もかけてやっと今のようにお花見ができるほどの大きさになりました。

この学校も、スタートしたときには、生徒は小学生19名のみの小さな苗木の状態でした。最初の小学6年生が翌年進学したときに初めて中学1年ができ、その翌年に中2、その翌年に中3、というように一年、一年、積み重ねながら成長してきました。1972年に開校し、昨年、創立40周年を迎えました。このあと新入生の皆さんにお渡しする胸のバッジには、この1972の数字が記されています。この数字には、一番最初に海外にできた私立の全寮制日本人学校である、という誇りがこめられていると思います。

本館と呼んでいる女子寮の前には、創設者縣先生のレリーフが立っています。初代校長をつとめた縣先生が、創立20周年のときに記した著作の中で、「ごく簡単に言えば、学校設立の動機は、これからの日本の若い人達に、真の国際的教養を身につけさせたいということと、日英の親善のために何かしてみたいと思ったことである。」と述べられています。
41年目のスタートとなる今日、本校を取り巻く環境も、日本を取り巻く環境も、創立当時とは大きく異なってきましたが、国際的教養を身につけ、国際親善のためにつくすことのできる人間の必要性は、40年前とは比較にならないほどますます大きくなってきていると言って良いでしょう。

真の国際人の養成だとか、グローバル人材の育成だとか、英語に力をいれていますとか、そう言っている学校は今ものすごく沢山あります。立教はそういう学校とどこが違うか。学校がイギリスにあって、国際交流の機会が日本の学校とは比べ物にならないほど沢山ある、それも勿論ですが、最大の特長は立教が全寮制の学校であるということだと思います。

高2の山本さんが、「日常生活という国際交流」という題で短期交換留学の作文を書いています。その中で、「日本のことを教えたり、授業をともに受けたりしたことより、とにかく自然に話して、一緒に生活して、同じテーブルで食事して、並んで廊下を歩いて、最後はただ集まって笑った、そんな日常的な国際交流が一番有意義だった」と書いています。

これは何も相手がイギリス人に限ったことではありません。今ここには、一人ひとり、生活環境も違い、経歴も異なる157名の個性あふれる生徒たちが集まっています。そんなみんなと、一緒に生活して、同じテーブルで食事して、並んで廊下を歩いて、ただ集まって笑う、実はそれこそが、これからの国際社会の中で、環境も考え方も異なる色々な国の人たちと、共に生きていく、その初めの一歩である、と言えるのではないでしょうか。
球技大会や、オープンデーをはじめとする様々な学校行事を、時には衝突しあい、喧嘩しあいながらも、お互いに協力し合い、協調しあって、それぞれの人たちがそれぞれに自分の活躍の場を見い出し、最後にはみんなで力を合わせて素晴らしいものを作り上げていく、その力こそが、これからの世界を生きていくために求められているものだと思います。

今年度から高等部でも、文部科学省の新学習指導要領が全面実施となり、これでいわゆる「ゆとり教育」が姿を消します。ちょっと脱線しますが、去年中学2年生の理科の授業で、「単3乾電池の電圧は何ボルト?」と聞いたら、「小学校で習っていないのでわかりません、」という人がいて驚きました。「だって私たち、ゆとり世代ですから」と言われてしまいました。バブル経済崩壊後の日本を「空白の10年」とか、「失われた10年」などと言います。最近ではそれが「失われた20年」になってしまいましたが、この間に失われてしまったのは日本の経済力だけではありません。学力も失われてしまいました。実は日本という国の未来を考えたとき、こちらの方がずっと重大な問題だと思います。ゆとり世代がこれからの日本を支えていくと考えると、ちょっと心配になってしまいます。

さて、「ゆとり教育」に代わって、新しい学習指導要領のテーマは「生きる力」になりました。文部科学省のホームページを見ると、

これからの教育は、「ゆとり」でも、「つめこみ」でもありません。次代を担う子どもたちが、これからの社会において必要となる「生きる力」を身に付けてほしい。そのような思いで、新しい学習指導要領を定めました。
と書いてあります。「生きる力」をはぐくむこと。これこそ立教が全寮制の生活を通して、40年間やってきたことだと思います。先学期末、日本に帰った岩崎さんと川崎さんが最後に書いていました。立教で得た最大の宝物は、英語でもない、イギリス文化でもない、寮生活であると。朝から晩まで生活を共にし、一日3度の食事を共にし、泣いたり笑ったり歌を歌ったりして一緒にすごしたクラスメイト、先輩、後輩、一生の友達との出会い、それこそが立教で得た最大の宝物であると。

新入生の皆さん、君たちはこれからこの立教という大きな家族の一員になります。はじめはひたすら時間に追われて、生活していくだけで精一杯かもしれない。でも勇気を出して、最初の一歩を踏み出してみてください。気がついたときには、君たちは自然にこの立教の一員になっているはずです。

上級生は今まで先輩から色々教えてもらった、そのことを忘れずに、今度は自分が下級生の面倒をみてあげてください。高等部3年生、君たちの赤ネクタイは高3としての責任の重さの証です。今年はどんな高3になるのか、後輩たちにどんな背中を見せて卒業していくのか、今から楽しみにしています。高校2年生、君たちはこれから学校の中心になります。自分たちのことだけでなく、学校全体のことを考えて行動しなければなりません。

今年初めて、新入生や保護者の方がた、そして教員全員に名札をつけるようにしました。これは昨年の入学式のときに新入生の案内をしてくれた高3の北端さんが、こういう風にするともっとうまくいくと思います、と書き残してくれたことの一つです。
そうやってみんなで力を合わせながら、より良い学校を目指していく、そういう学校であり続けたいと思います。

下級生は先輩が優しいからといって甘えすぎないように。きちんと礼儀を守る、けじめをつける、言葉遣いに気をつける、そういうところをしっかりできなければいけない。そういう下級生の上に、初めて優しい上級生という存在が成り立っていくのです。それを忘れないでください。

ルカによる福音書第6章31節に、次のようなイエス様の言葉があります。
「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」
人からあれをしてほしい、これをしてもらいたい、そんなことばかり考えて生活するのではなく、君たち一人ひとりが、友達のために何をしてあげられるか、先輩のため、後輩のため、一緒に生活している人のために何ができるのか、いつもそういうことを考えながら、これからの生活を送っていってほしいと思います。
君たちの成長を祈って、本日の入学・始業礼拝式の式辞といたします。

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2013年度入学式

桜も三~五分咲きになった4月14日は、立教英国学院の入学始業礼拝の日でした。

今年のイギリスはとても春が遅く、3月末になっても雪が舞い、風のつよい毎日。
なかなか晴れない上に、気温も2℃3℃と低くて、
例年なら3月中旬には咲く水仙さえもぽつぽつつぼみが開く程度。

ひょっとして…入学式を桜の花と共に迎えられるかもしれないと期待に胸がふくらみました。
4月14日は気温15℃ぐらいでしたが、
この春いちばんの陽気になり、スタートにふさわしい一日となりました。
なんと、入学式に生徒が桜を愛でるのは、植樹して以来初めてのことだそうです。
今年の立教生はラッキーですね。

新学期の新入生は39名です。
小5から高3までの各8学年が始動し、高1・2は2クラス編成となりました。
中3も数を増やし、教室棟で最も大きいクラスルームの1つに引っ越ししました。

1週間が経って、立教の桜は満開になっています。
学校に慣れて来た生徒たちを集めて、日曜日には桜のもとで記念写真を撮りました。

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