rikkyo school in england今回の春休みで一番深く感じた事は、「国民性の違い」です。休みに時時通う英語学校では普段プライベートレッスンしかしませんが、今回は少し苦手なグループレッスンに一週間チャレンジしてみました。

この英語学校の生徒は、イギリス人は勿論いなくほとんどはヨーロッパの人々です。僕が何故グループレッスンが苦手かというとみんなの会話に入れないからです。彼らはとても話すのが速く、沢山話し、自己主張が強いからです。その中に入るのはとても難しいです。彼らは半年ぐらいのイギリス滞在の期間に全ての英語経験を吸い取ってやるという強い気持ちがあり、たとえ全く違う文法でも必ず会話に入っていくという所があります。しかし自己主張が苦手な日本人はなかなか話に入っていくことは得意ではありません。このような国民性を僕はとてもよくないと思います。だからこの一週間で少しでも多く会話に入っていけるように努力をしました。例えば、声を大きくしたり、一つの話題からどんどん他の話題に膨らませたり、人が話している時に自分の意見を言うということです。最後に挙げた例は日本人にとっては失礼なマナーですがヨーロッパの人にとっては逆に沢山意見を言うという点では悪くないマナーだとも感じられます。これらの事を実行するのは難しかったですが少しの成長も感じ取れた気がしました。

このようなさまざまな「国民性の違い」を肌で体験することにより、自分の足りない部分などを改めて確かめることが出来ました。そして、これらの事をこれからの生活につなげていきたいと思います。

(高等部2年生 男子)

rikkyo school in england唐突だが、僕はイタリア語を勉強している。日本語、英語は勿論だが、親から何かしら一つラテン系の言葉を知っておくといいと薦められたからだ。

そして、この春休み、家族でポルトガルへ旅行した。ポルトガル語はスペイン語やイタリア語と同じ、ラテン系の言葉だ。実際、旅行先でもイタリア語と似た単語や同じ単語を目にする機会があった。その度に、仲間の言語が沢山あるラテン系言語は面白いなぁと思った。

グローバルだ、何だと騒いでる今の世界だと、英語が出来るとやはり重宝されるだろう。立教も英語教育に力を入れているのが分かる。

しかし、母国語(僕の場合は日本語)と英語だけではなんとなく言語の幅が狭すぎると思う。ラテン系言語を知っていれば、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、そしてその国の植民地であったアフリカや中南米でも自分の知っている言語で話せるようになる訳である。

当然、日本語と全く形態の違う言語を二つも習得することはとてつもなくハードなことだと思う。でも、そういった言葉でも英語や日本語の外来語と似ている単語は多い(駅はstazioneだしカードはcartaだ。)
これからもめげずにイタリア語の勉強に励みたい。目指せ、三ヶ国語マスター!!

(高等部2年生 男子)

rikkyo school in englandこの春休み僕はスペインのバルセロナという所に二泊三日で行ってきました。バルセロナでは、母の要望もありガウディの作品を見ました。サクラダファミリアやグエル公園、グエル邸、カサ・ミラを見ました。僕が食べたかったスペインのシーフードパエリアを食べることも出来てとても充実した旅行であったと思います。

僕はバルセロナに行き思ったことがあります。バルセロナは主な収入源が観光なので、とても町が歩きやすいということです。大きな道路の真ん中を歩行者専用の並木道が通っており、その脇の道路は混雑しないように一方通行になっているのです。町には至る所にゴミ箱が設置されており、ポイ捨てを防ぐようになっています。さらに観光客の足とも言えるタクシーは車体の色が黄色と黒で目立つ色となっているので、とても分かりやすいです。

バルセロナはとても整備が行き届いていて良い町でした。どんなにすばらしい建物があってもその町が不便なら人は集まりません。町の整備は理にかなっています。この旅行で町の整備の大切さについて知ることが出来ました。楽しめればいいかと思って軽い気持ちで行ったバルセロナで一つ学ぶことが出来て良かったです。

(高等部2年生 男子)

rikkyo school in england満開の桜を見る度に、ああ去年はもう散り尽くしたあとだった、と感慨が胸に押し寄せる。花が咲いているせいか、春、新学年の始まりを身にしみて感じるのはわたしだけだろうか。そしてそう考えるとき、わたしは常に一年という時間の長さと短さを思い知るのだ。

一年前のわたしは文字通り右も左もわからなくて、新しい生活におろおろするばかりであった。それから、思いきり笑ったり泣いたりして日々を過ごし、自分でも気付かぬうちに大きく成長したことだろう。しかし、たくさんの新入生を前にして、一年前憧れた先輩になれているのかと自問すれば、その答は否かもしれない。見えるところも見えないところも、この特殊な環境での一年分、大人になれているのだろうか。少なくとも、春休みが始まった頃は、一月後の自分が負うであろう義務や責任を、自覚していなかった。

春休みに、横須賀に保存されている古い戦艦を観に行った。世界三大記念艦の一つに数えられる「三笠」は、日本海海戦における大勝利をもたらした帝国海軍の、自慢の軍艦であった。約百年前、露国のバルチック艦隊を前にして、連合艦隊の旗艦である「三笠」は信号旗を掲げる。Z旗とよばれるそれは、「皇國ノ興廃此の一戦ニアリ 各員一層奮励努力セヨ」という意味を持っていた。近代化の波に乗り、今まさにそこから振りおとされそうな極東の兵士たちの士気を、これほどまでに鼓舞した言葉があっただろうか。
この有名な信号文を改めて見たとき、わたしはこの言葉が、海軍の兵士たちにのみならず、わたし自身にも向けられていることを悟った。

「皇國」はわたし自身、「各員」はわたしの心身すべての部分。そして「此の一戦」は高校二年生として過ごす一年を指す。グローバルでシビアな現代社会に足を踏み入れ、列強の仲間入りを果たした日本=わたしの将来は、この一年にかかっている。Z旗に、そういわれた気がした。この信号文は、大学受験を視野に入れ、学校を引っ張って行く学年を迎えるわたしに、「一層奮励努力」しろ、と渇を入れているのだ。やがて大人になったときに厳しい世の中で生き残るためには、今「此ノ一戦」を制せなければならない。組織の中心となって学校を動かし、社会的責任も大きくなる高校二年生は、大人という名の列強の列の後方に、並んでいる。わたしはこの信号を見て、その義務や果たすべき役割を、はっきり自覚した。

先学期、高野チャプレンも繰り返し仰った。人生を決めるのは学生時代の生き方だと。学生時代の努力や培った人間性が、その人を作るのだと。

満開の桜を背景に、今わたしの目の前には、Z旗が掲げられている。

(高等部2年生 女子)

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球技大会が終わって3日目。そろそろ疲れが見え始めた火曜日は午後ブレイク。午後以降の授業をカットして皆それぞれが思い思いにくつろぐお休みになりました。

小学生はこの午後を利用して学校から車で20分ほどのところにあるNewlands Cornerに外出しました。小高い丘を尾根伝いに車で登り、その道がぐっと曲がったところに駐車場があり、ここから丘を散策するコースがあちこちに続いています。日差しもすっかり春らしくなって正に散策日和の午後でした。あたりを一望できるこの丘からの眺めはなかなかのもの。パッチワークのようにはるか彼方にまで広がる田園風景に皆すっかり心を奪われたようでした。元気に丘を歩き回りたっぷりリフレッシュできた散策の様子はこちらのギャラリーでご覧下さい。

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5月19日(日) 10:00 – 16:00 に東京国際フォーラム(東京都千代田区丸の内3-5-1) B2F 展示ホール 1・2で開催されるベネッセ進学フェアに本校もブース参加を致します。当日はイギリスから担当教員が参ります。会場内の本校ブースにて個別相談に対応します。フェア詳細につきましてはベネッセのホームページでご確認ください。

rikkyo school in england僕はこの四月で高校二年生になった。とは言っても、周囲の環境はあまり変わっていない。教室も、机の場所も、担任の先生も高一の時と同じため、そこまで実感はしていない。でも、これから過ごす一年間は明らかに去年度までとは違うということが先生達の口振りからよく伝わってきました。今までは僕達を様々な所で引っ張ってくれた「中心学年」の先輩達と同じ位置に、僕はとうとう立ってしまいました。

展示本部長、当直、球技大会の委員など今までは見ていただけの先輩達の役割を受け継いだのだと思うと、なんだか様々な重圧が自分にのしかかってきそうです。これからの一年を無事に過ごせるのかどうかも本当に不安になってきました。勉強のことまで考えると頭が爆発しそうなくらいです。

だけど、僕はこの中で楽しさを見出していけたらいいなと思います。一所懸命に目の前の物事に取り組んでいければ、きっとどの活動にも楽しさが生まれて笑顔でやり抜くことができると思います。その先にはきっと大きな達成感もあることでしょう。それを味わって「最高に楽しかった!!」と言えるような、そして胸をはって後輩に自分のつないできたバトンを渡せるような、そんな充実した高校二年生を送れるようにしていきたいと思います。

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ある晴れた気持ちのいい午後、生徒会のメンバーを中心に高校生10名あまりが駐車場脇の芝生の上に集合。青い空に高く立つポールをゆっくりと倒して何やら楽しげな作業が始まりました。何年も前に日本から送られてきた鯉のぼりのセッティングです。
毎年この時期になると駐車場脇の桜並木の中央と、池のほとりの2カ所に鯉のぼりが気持ち良さそうに泳ぎます。
この鯉のぼり、一つは以前立教に勤めていた飛田先生のお父様が、そしてもう一つは第27期卒業生の岩﨑君のお父様が学校に寄贈してくださったものです。
サラサラと気持ちのいい感触の布を手にして嬉しそうにはしゃぐ生徒たちの手で、カラフルな吹き流しと大きな大きな3匹のコイが順番にロープに固定されていきました。
「イッセイのセッ!」と皆で気合いを入れて真っ白なポールが再び空高く立ち上げられると、スルスルとロープが送られ、まるで生命の息吹を受けたかのように「立教のコイ達」が一斉に泳ぎ始めました。生徒たちの歓声があがると、桜並木で囲まれたこの一角がまた賑やかな季節になりました。

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四ヶ月ぶりの立教、不思議と久しぶりな気がしない。礼拝、食事のマナー、朝のベッドメイク等で、久しぶりだからといって惑うことはなかった。この四ヶ月間、春に帰った際、自分が高三として、ちゃんとできるのか不安でたまらなかった。しかし、立教で今日一日を過ごし、日常の事柄をしっかりこなすことができ、不安が一気に半減した。これまで立教で過ごし培ってきた習慣が、私を支え、三学期に生じたブランクをなくしてくれるのではないかと思う。
二年前入学した当初、赤ネクタイの高三生が格好良く、とても頼もしかったのを覚えている。慣れない生活に、心身共に疲れていた私を元気づけてくれたのは、同学や当時の高三達だった。立教において、高三という存在がどれほど重いものか、この二年間を通して強く実感している。廊下で移動しながらも、時間をおしむように勉強する、何かの行事では率先して行動する、そして食事の際には、面白い話で後輩を笑わせてくれる、そんな姿を間近に見てきた。後輩は、先輩を良く見ているように思う。だからこそ、高三がいなくなった三学期には、皆どこか物足りない気持ちを抱くのだろう。
今学期からは私が高三だ。果たして、これまでの高三達のように、後輩から卒業を惜しまれるような先輩になれるのかわからない。けれど、自分なりに努力し続けようと思う。
昔から「努力は報われる」と言われているがこれは本当だと、私は自身のこれまでの立教生活を通して確信している。だから、後輩達にも、たとえ挫折したとしても、決してあきらめず努力し続ける精神をしっかり持ってもらいたい。それにはまず、高三になった私が、手本となるようにしなければいけない。残り約半年の立教生活で、私を通して後輩達が「努力の大切さ」を少しでも感じ取ってくれる、そんな高三になることが、高三としての私の目標だ。
他人から認められるような自分になるためには、まず自分で自分を認められるようにしなくてはいけない。夢見た赤ネクタイを身に付けている以上、私は自分の限界を定めずに様々な事に一生懸命取り組みたい。そして、立教を卒業する時には、達成感に満ちた笑顔で卒業したい、と思った。

(高等部3年生 女子)

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(画像はイメージ画像です)

昨年末に実施された東アジア医学生会議に参加した高校2年生からのリポートをお届けします。東アジア医学生会議は、アジア各国の医学生の国際交流、相互理解の促進、および将来のアジアにおける国際協力の基盤作りを目的としてアジア医学生連絡協議会が開催するもので、第26回目となる今回は、「災害医療」をテーマに、約30カ国から総勢300名の医学生が参加して東京医科歯科大学で行われました。

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東アジア医学生会議に参加して

僕は、今回の冬休みに東アジア医学生会議に参加してきました。
この会議は、最近アジア諸国で多発する災害にそれぞれの国の医療機関がどのような対応をしているのか、などのそれぞれの国の医療問題を医学的知識を交え、話し合うというものです。そして、今回は日本の学生を中心に災害医療について知ってもらうという主旨のもと行われたイベントで、僕はそのイベントに参加し、イベントを通して「トリアージ」というものを体験してきました。

「トリアージ」とは、多くの傷病人が出る災害や事故において、その傷病者に優先順位をつける行為のことです。しかし、これだけを聞くと少し差別的行為のように思えませんか?僕も初めて内容を聞いたときは、大学生に異議を申し立てようとしたくらいです。なぜなら、傷病者に対し四色のタグをそれぞれ治療が必要な順につけるというものなのです。でも、この「トリアージ」の持つ一つの理念は、『ひとりでも多くの傷病者を救いたい」というもので、さらにこの会議の実行委員であり、我らが立教英国学院の卒業生である中村さんが言うには、「このトリアージは専門医による迅速かつ簡便かつ適切な治療を行い、もちろん優先度の高い順に治療はするが、他の傷病者も見捨てず、後で必ず治療する。」ということだそうで、そのような一分一秒を争う現場で傷病者に対し、識別を行うスタッフに驚きを感じずにはいられませんでした。人に優先度をつけて、必ず助かるはずだった人がもし、死んだらと思うと少しだけこの「トリアージ」に対し不安を感じずにはいられないという気持もありました。また、この迅速な識別を行えるようになるのに、たくさんの被災地を見てきたのだと、僕は思います。

ところで、このトリアージ体験の内容は、患者の状態が書いてある紙を見て、患者にどのトリアージタッグをつければよいかを当てるクイズのようなもので、それを六人のアジア医学生と行いました。さらにその場では、アジアの医療問題についての話もしてくれたり、各国の医学生が普段どのようなことを学んでいるのか、など将来、医者になりたいと思っている僕にとっては、医者になるということがどうゆう事なのかということを聞いている気にもなりました。

こうして、会議は終わり、その会議で学んだことについて考えてみると、東日本大震災の時、どれだけの医療に携わる人々が多くの傷病者を救えず、つらい思いをしたのか、少しだけわかった気がしました。そのためにこのような会議は、今の地球において、すごく大切なものだと心の底から思い、僕も将来、ひとりでも多くの人の命や健康を支えられるような人になれるように、大学生になったら、このような会議にもたくさん参加していきたいと思っています。

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