1月16日に、カルタ大会が行われました。そのために自習中にテストをしたり、国語の授業や冬休みの宿題で覚えたりしました。
カルタ大会当日は、ドキドキしました。ぼくのチームは、P5・M1・M2②の方で、「夕顔」という座でした。実際に取ってみると、意外に難しかったです。どんどん他の人にとられていきました。覚えていたのも、取られていってしまいました。その原因は、場所が分からなかったからだと思いました。ちなみに、一枚も取れませんでした。今度の時は、場所を確認する時間もとってもらいたいと思いました。

 

合唱コンクールの練習は、毎日放課後に中1の教室を使いました6、7回ぐらいしました。歌う人は、塚田先輩以外の人です。塚田先輩は、指揮者でした。合唱コンクール本番では、ドキドキしました。けれど、歌っているうちに、だんだんと少しずつふつうに歌えるようになってきました。歌い終わった時に、大勢の拍手が会場(ニューホール)にひびきわたり、すごくいい気持になりました。他の先輩の歌っているところを見て、ぼくは、「かっこいいなあ。」と思いました。よく見てみると、パート分けをしていたり、歌う順番を変えていたり、声の高さを高くしたり、低くしたりしていて工夫していました。「すごいな。」と思いました。

一位ではなかったけれど、自分にとって、今までの一番大きな声で歌えたので大変良かったと思いました。
(小学部5年生 男子)

 

英語検定のシーズンがやってきました。
立教生活の中で、英語資格試験のシーズンといえば、
英検の5月・10月・1月と、ケンブリッジ英検の6月・11月です。
立教生にとって挑戦しやすく、取り組みやすい英語検定。
毎学期多くの生徒が受験します。

 

本校では、ECの授業において実践的な英語の力(会話力)を重視していますが、
そうした力は、社会では『資格』という形で客観的に分かるようにしておかなければなりません。
英語が話せる、すぐれた力がある、というだけでは、他者には分かりにくいものです。
日本で一般に言われるとおり、多くの生徒が高3までに2級の取得を目指します。
英語の力が高い者は、準1級・1級にどんどん挑戦。
早ければ中3・高1、大体高2ぐらいでかなりの生徒が2級を取得していきますので、
準1級への挑戦は高2のうちから数が増えてきます。

 

なぜ立教生にとって英検は取り組みやすいのか?
それは多くが選択式の筆記試験で構成されているから。
ケンブリッジ英検の方は、一般的な語法問題のほかに、作文問題、
長いリスニング試験、ペアになった会話力試験など盛り沢山な構成となっており、
KET・PETは半日、FCE以上になると1日がかりの試験になります。
ふだんの英会話授業や学校での学習をもとに挑戦しやすい英検は
自分の力をはかりやすいのかもしれません。

 

今年も4級から1級まで、小学部から高等部までたくさんの生徒が英検に挑戦しました。
資格試験は自分の力の、一つの到達点。
こういったハードルをうまく利用して、会話力に偏らず、総合的に英語力を高めていきます。

 

同窓生の皆様へ

今年の同窓会の開催をご案内申し上げます。

 

3月31日(日)、立教大学の第一食堂にて開催されます。
詳細はこちらのPDFファイルをご覧ください。

尚、3月15日までに、お名前、現住所、実家住所、勤務先(在籍校)
学院通信送付先(現住所・実家・メール)近況等とあわせて、
出欠についてe‐mail又はFaxにてご連絡下さい。

 

e‐mail:rikkyoeikoku-doso@triton.ocn.ne.jp
Fax: (03) 3985-2785

 

高校3年生の先輩が部を引退してから、半年以上が経ち、今のチームでのバレー部の活動もやっと板についてきた。先輩に頼っていれば良かった2年生が、自分たちのチームを作ろうと、自分たちのバレーをしようと、日々練習に励んできた今日までの日々は、本当にあっという間だった。
今日の相手であるEpsom Collegeは、2学期にも対戦した相手であり、女子にとっては初めて「負け」を経験し、このままでは勝てない、自分たちにはもっと努力が必要だ、と感じさせてくれた相手であった。あの頃のみんなは、来たボールを返すことに精一杯で、向こうから飛んでくる強いサーブやスパイクに、ただ驚くばかりであった。
「3回でボールを返す」そんなことさえままならなかったのだ。
でも、そこから、「もっと上手くなろう。」「もっとこんな風に出来るようになりたい。」
そんな思いが彼女たちの中に沸き始めた。私はそばで見ていて、言葉にはしなくともそれを感じた。なぜならば、バレーの本当のおもしろさは、負けることで初めて気付き、勝つことで実感出来るからだ。彼女たちは、それに気付き始めていた。
そして、今日の彼女たちは違った。あの時とは見違えるようなプレーだった。
ボールに積極的に向かい、声を出し、セッターにボールを返し、攻撃につなげようとする姿。
簡単にネットに引っかかっていたサーブが、ほとんど相手コートに届く。
それは、彼女たちの技術が上がったことはもちろんだが、ボールをつなげたい。点を取りたいという思いが、増したからこそであると思う。
「ボールを簡単に落とさない」
これは、バレーだけでなく、日常生活を含め全てのことにつながっていると思う。一つひとつのことを、丁寧に、簡単に諦めずに、追いかけ、つなぐということは、彼女たちがこれから切り開いていく未来への道をどう歩んでいくかに、きっとつながっている。
今日得ることが出来た勝利を自信に、今日感じることが出来たチームワークを自信に、また次への一歩を踏み出して欲しい。そしてその自信を、未来につなげて欲しい。
相手チームのメンバーとの仲も以前より深まり、笑顔で話をしたり、写真を撮ったりする姿は、バレーというスポーツを通して得た、かけがえのないつながりであると言えるだろう。
英語がどうとか、そんなことはいいんだ。同じ時を、同じ目標を持って頑張っている私たちは、何人であろうと、一つのボールを追う、プレイヤーなのだから。

 

昨年度から始まった交換留学システム。現地校の生徒たちと約1週間にわたりお互いの文化に触れ合います。普段から本校では現地校との対外試合や校外学習などイギリス人と交流する機会は豊富にありますが、寝食を共にしつつ、じっくりとお互いの文化を理解し合う機会はとても貴重です。今年は既に2校の学校との交換留学が決まっています。今回はその第1弾、本校から20分程のところにある女子校、ミレースクールから5名の生徒を本校に迎え、1週間の留学体験が始まりました。

 

土曜日の午後に到着した彼女達。初めての日本文化ゾーンに足を踏み入れた感動と緊張に包まれながら、まずはレセプションで本校のBuddy (滞在中ペアを組んで過ごすことになる相手)と初対面。実はこの滞在に先立ち、お互いのペアの相手と1週間前からメールのやり取りを始めていたのですが、実際に会うのはこれが初めて。片言の日本語を話す彼女らは、実は第2外国語として日本語を習っている生徒たちで、その意味でもこれから始まる1週間の本校滞在には興味津々の様子でした。

 

到着した週末には折しも3学期最初の学校行事、「新春かるた大会」と「合唱コンクール」が開かれたので、最初から本校生徒たちの生き生きとした様子を目の当たりにし感動的なスタートを味わえました。もちろん時間のたっぷりある週末ですから、この他にも早速盛り沢山の日本文化体験が始まります。ロンドンのヴィクトリア&アルバートミュージアムから寄贈された本格的な茶室で茶道部の生徒と一緒にティーセレモニーを楽しんだり、1時間以上にわたって着物の着付け体験をしたりと充実した週末を過ごすことができました。

 

全校生徒が1日3食、ホールで一斉に食事をするのが本校の伝統。そしてもちろんミレースクールの生徒たちもこれに加わり、毎食Buddyの生徒たちと一緒に食事をしました。最初は少し緊張した雰囲気でしたが、食事ごとにだんだんと打ち解けて、リラックスして話せるようになっていきました。本校では1週間に3回、イギリス人の先生と昼食をとるシステムがありますが、ミレーの生徒達との食事の様子を見ていると、教室を離れた日常の中で学習言語を使うことの大切さに改めて気付かされた気がします。

 

週明け月曜日からはいよいよ日本の授業体験。月曜日と火曜日の2日間は、Shadowingと言って、本校のBuddyと一緒にあらゆる授業に参加しました。イギリス現地校とは授業形態もかなり違うらしく、言葉はよく分からなくても1時間1時間に新鮮な感動を味わえたようです。水曜日と木曜日の夜には2回にわたってミレースクールの生徒たちが自分たちの学校と本校との違いについてプレゼンテーションをしてくれましたが、このShadowingの2日間を通してお互いの文化の違いをたくさん見つけられたことは言うまでもありません。

 

Shadowingが終わった翌日水曜日の午前中から図書館でたっぷり時間をかけてプレゼンテーションの準備を進め、その日の夜には高校2年生に披露。この時はすべて英語でしたが、翌日はさらに数時間をかけて小中学生の為に日本語も組み込んだプレゼンテーションを用意してくれました。30項目以上の違いを立教とミレースクールに分けてそれぞれ説明してくれます。立教の部分の説明は日本語で、そしてミレースクールの説明は英語で。たどたどしい日本語ではありましたが、ひとりひとり順番に一生懸命日本語で話してくれるミレーの生徒に、本校の小中学生もしっかり耳を傾けて聞いていました。彼女達が見つけた意外な発見に一同ビックリすることもしばしば。約20分のプレゼンテーションの後には質問コーナーもありました。
「何か質問のある人?何でも答えてくれますよ。」
司会の先生の言葉に一瞬静まり返ってしまった教室でしたが、暫くすると数名の生徒が質問開始。「立教の生活で一番楽しかったことは?」「ここの食事で一番美味しかったのは?」「一番大変だったことは?」「どうして日本語を習おうと思ったのですか?」…etc.
まだ英語を習いたての中学生には司会の先生が英語を手伝ってくれましたが、勇気をだして自ら英語で質問する生徒達ももちろんいました。お互いが相手の言語を習っているという状況はそれだけである種のリラックス感を与えてくれるようで、いつのまにか言葉を超えた交流が自然に進んでいる感じが印象的でした。

 

ミレースクールの生徒たちの日本語練習体験は他にもありました。日本語の質問をひとり10個ずつ考え、中学校3年生と高校1年生の英語の授業でこの質問を立教の生徒たちにしてみました。2〜3人の立教生に1人ずつミレーの生徒が入って、用意した質問を順番に聞いていきます。分かりやすい日本語でゆっくりと答えてあげる立教生は、英会話の先生が自分たちに英語を教えてくれる時の気持が少しは分かったかも知れません。
このセッションが終わると今度は立教生の英語練習。英作文を添削してもらったり、英語で質問をしたり… 高校1年生の授業では、前半15分は「No English」でミレーの生徒の日本語練習、後半20分は「No Japanese」でお互いに「文化の違い」について質問し合いました。そして最後の15分でその時間中に見つけた文化の違いをグループごとに発表。「制服の違い」、「食文化の違い」、「選択教科の違い」…etc.、短い時間でしたがそれぞれのグループ、うまくまとめて終了しました。
「先生!本当に楽しかった!」なかなか話す機会がなかった生徒たちにはとても良い機会だったようです。

 

金曜日の午後はフライデースポーツ。全校で色々な種目に分かれてスポーツを行う日ですが、ミレーの生徒たちは「武道」に挑戦しました。色々な日本文化をこんなに短い間に効率的に体験できて皆本当に満足気な様子でした。
最後の夜は小中学生と「折り紙」「書道」に取り組みました。 3〜5人のグループに分かれて「日本の文化を教えてあげる」企画でしたが、意外なことに本校の生徒より器用に折り紙を折る子がいたり、イギリス人とは思えないような立派な字を書く子がいたり… 流石日本語を習う生徒だけあって、日本文化にはかなり精通しているようでした。

 

最終日は朝から快晴。立教ではこの日から4日間のブレイクで授業は中休み。この日は朝から中学部生徒会が企画したレクリエーションで日本伝統の(?)「警ドロ」遊びなどを楽しみました。残りの時間はBuddyと写真を撮り合ったり連絡先を交換しあったりして最後の時間を過ごしました。

 

長いようであっという間の1週間。いろいろ苦労もあったようですが日本語もきっと上達したことと思います。最後の昼食の席では、本校校長からミレースクールの生徒一人一人に1週間に及ぶ本校での日本語学習「修了証」が手渡されました。

 

春休みには本校の生徒たちがミレースクールに行って1週間のイギリス体験をすることになります。
言語学習に留まらないこの交流が彼女達の将来の可能性を大きく変えていくことになるのか今から楽しみです。

 

彼女達の本校滞在中の感想は後日このホームページでもご紹介できると思います。お楽しみに。

 

さあ、戦いの始まりである。剣道場に続々と集まってくる生徒たち。
そう、今日は百人一首を全校生で取り合う、新春かるた大会。
冬休み前に告知されたこの大会に向けて、去年の悔しさをばねに今まで頑張ってきた人がいる。初の百人一首に、今からどんな大会が始まるのかと、不安な人がいる。
2013年という新しい年が明け、また慌しく始まった立教生活の中で、新年・お正月・そして日本の文化を感じることの出来る唯一の行事。和歌を覚えるには最適の遊び、百人一首。そして、この行事では学年や人数などは関係なく、少しでも覚えて、早く取った人が勝ち。普段は高校生にはなかなか太刀打ち出来ない小中学生も、対等に戦うことが大いに可能なのだ。

 

今回は全部で6つの、「葵」「夕霧」「浮舟」「桐壷」「夕顔」「若紫」という座に別れ、全学年が混ざっての勝負。
「きみがため~」
上の句が読まれ始めた。100枚の取り札を取り囲んで正座する生徒の表情は、真剣そのものだ。さっきまでのざわついた雰囲気が、一瞬で緊張感に包まれる。
覚えていた札を取るため、上の句が聞こえた瞬間に札をはじいていく生徒。他の者に取る隙を与えない。覚えていたはずなのに、なかなか見つけられず、悔しい思いをする生徒。みんなの迫力に負けて、ただただ見ているだけになっている生徒。
一枚一枚が終わるたびに、あちらこちらから歓声が沸く。満足げにその札を監督の先生に見せる姿は、充実感であふれていた。
また、本日より滞在中の地元ホーシャム市の女子校、ミレー・スクールからの短期留学生も見学に来ており、初めて見る百人一首、そしてそれに夢中になる立教生たちを興味深そうに眺めていた。取り札に書かれたひらがなは読めるようで、英国人がゆっくりとそれを読む姿も、また趣があって良かった。読み札に書かれた歌人たちの美しい絵にも感動している様子だった。

 

最後の一枚が終わった。さあ、何枚取れたのだろう?
去年より1枚でも多く取れた、去年より取れなかった、ゼロ枚だった…
いろんな結果が聞こえてくる。が、しかし、一つ言えることは、百人一首とは遊びのように思えて、実はとても熱くなれる勝負であるということ。かるた遊びというのは、いくつになってもそういうものである。そして、なかなか興味を持てなかった和歌に少しでも触れ、みんなで日本を味わうことが出来たことは、貴重な体験となったことだろう。

 

集計の結果、高校生をおさえて優勝したのは何と小学生・中学1・2年生の混成チーム。
個人優勝も中学2年生の女子であった。
また来年の戦いに向け、今回の喜びや悔しさをばねにしてくれることを願っている。

 

不安気に出て行く人がいて、笑顔で出ていく人がいた。笑って戻ってくる人がいて、泣いて戻ってくる人がいた。舞台裏の2時間は思ったより短かった。

 

朝早くに学校を出て、ホールに着いたら少しの休みもとらずにリハーサルを行った。次々に演奏者を送り出していると、いつの間にか時間が経って、空腹に気付いた正午過ぎに、リハーサルが終わった。自分ではわかっていなかったのだが、相当集中していたようだった。

 

しばらくして開演時間が迫ってくると、ホールが人で埋まり始めた。人が増えるにつれて、控室の緊張感も増していった。最終確認の音も止み、おしゃべりも止んだ空間には、40周年の緊張と重みがあった。待機の出演者を呼び出すたびに、その不安か緊張か楽しみか一言で言えない気持ちが、ひしひしと伝わってきた。拍手のタイミングで私が開ける扉を出ていく表情は、人それぞれだった。送り出しを簡単な仕事だなどと思っていた自分を、引き締めて集中しようと、改めて感じさせられた。そうして順々に演奏者を送り出していくと、すぐにインターバルも過ぎ、今度は舞台袖での仕事にまわった。

 

コンサート後半、舞台袖で待機していた時、今日一番印象に残っている出来事が起きた。フルートのソロで待機していた後輩が私に、「手、握ってもらえませんか。」と言った。
うなずいて手をとると、その子の手は大分冷えていた。表情も硬いし、呼吸も落ち着かないようで……。 私はなるべく優しく彼女の手を温め続けた。彼女を立派な演奏者としてステージに上げる為に、私は歩いていく彼女を笑顔で送り出した。笑って見送ったけれど、今思えば私も緊張していたかも知れない。

 

コンサートマネージャーとしての最初で最後の大舞台で、演奏者の一番近くにいられて本当に良かったと思う。自分達が彼らを支えている実感が得られたからだ。コンサートが大きな拍手の中終演し、次々に控室に戻って来る演奏者たちは、みんな私達に、「お疲れ様」をくれた。でも、それは私が皆さんに伝えたかったこと。心の底から「お疲れ様」。
それぞれ異なる思いでステージに上がり、別々の感動を受けてステージを下りた。けど、最後には笑って終われたから、それが一番である。

 

今日一日、みんなにお疲れ様。
(高等部2年女子)

 

静かに進められていたコンサートの裏では、もうすぐ自分の番だと緊張に顔がこわばっている努力家の演奏者たちがいた。一方、ステージ横と控え室とステージを繋ぐ螺旋階段には、自分は次に何を動かすんだ、次は誰を控え室から呼んでくるんだと、まるで演奏者のように緊張の糸をそこらじゅうに張りめぐらしている裏方がいた。

 

仕事は単純、ステージのマネジメントとしてのピアノの移動や調整、それと演奏者のマネジメントとしてのステージへの誘導と送り出しである。細かいことを含めると他にもある。単純ではあるが、簡単ではない。どの仕事も一つ大きなミスをすれば演奏者は大恥をかくし、コンサートの失敗へと繋がる。そんな大舞台に向けて、裏方たちは僕が最大限の努力をして書いた手引きを、汚い字を、一生懸命理解しようと読んでいた。

 

今までは、コンサートといっても学校の小さなホールで小ぢんまりと進めていた。それがいきなり本物のコンサートホールでマネージャーをする。今まで色々アシスタントをしている最中には、悩むところや、考え込むところもあったであろう。僕としては行く前にあんなに気が滅入っていた皆が会場に行ったとたん、目の色を変えてリハーサルでも本番でもしっかり意欲を持ってやってくれたことがとても嬉しかった。臨機応変に対応できていたと思うし、大きなミスはひとつもなく無事に終わることができた。偉そうなことをいうが、1人1人本当に役割を全うして頑張ってくれた。演奏者の方々も、指示にちゃんと従ってくれて本当に感謝感激である。いきなり色々言われて、もしかしたら気分を害したかもしれないが、それでも最高の演奏ができたのなら、それほど嬉しいことはない。

 

観客からの、響いて鳴り止まない拍手は、演奏者に対する貴い称賛とともに、僕たちの仕事の成功を表していた。僕の誇りと驕りを持ってやってきたこの仕事は、何かしら今の高1のマネージャーの生きがいの一部となってくれると思う。大げさが第一。そんくらい言わないと、この仕事は楽しめないな。
最後に、仕事が終わった日の立教の夕食で食べた一口カツはいつもとは比べ物にならないくらい美味しかった。錯覚かなあ、いや、確かに美味しかったんだ。
(高等部2年 男子)

ページ
TOP