「カシャカシャ」と音が聞こえる。周りを見ると、小さい子からお年寄りの方まで両手にカメラやスマートフォンを持ち、上を見上げている。中にはi-podを使っている人もいる。何を撮っているのか気になりみんなが向いている方を見ると、動物の彫刻があった。

 

 今日は土曜日。久しぶりに家でゆっくり過ごそうと、家族でテレビを見ていた。「新しくなった東京駅」を紹介する番組だ。設計した人は辰野金吾である。この人は明治建築界の帝王的存在であり、日本銀行本店や両国国技館、山口銀行なども建築した。東京駅は当初三階建てであったのをご存知だろうか。東京駅は元々三階建てであったが、東京大空襲によりレンガを残して焼失するという悲劇が起こった。その後復興されたが、戦争で日本は負けたため予算がなく、原型とかけ離れた形になった。そのため二階建てになったのだ。
 さて、今回の復元工事は何のためだったのだろうか。やはり一番最初の姿に戻したいという、多くの人の願いが強かったからだろうか。他には、二年前に起きた東日本大震災のような大きな地震に備えて、耐震工事をする必要もあった。

 

 テレビで、「東京駅の両端のドームには干支彫刻がある。」と言っていた。それは一つ前の東京駅にはなかったものだ。しかし東京駅が造られた時はあったという。職人が分かりにくい昔の写真を一生懸命復元しようと、努力した印とも言えるだろう。

 

 私たち家族三人は干支の彫刻を見に、東京駅に出かけた。東京駅にはたくさんの人がいて大人気であった。三、四年かけて工事したかいがあったと思った。
 せっかくなので、母と一緒に地下にあるお店を見に行った。地下にも人がたくさんいた。しばらく歩くと、東京駅で有名な「お菓子ランド」があった。やはりここも人がたくさんいて、好きに歩き回ることが難しかった。困っていた私の鼻に良い香りが入ってきた。それはこのお店の看板メニュー。店内で揚げたばかりのポテトに、チーズやチョコレートをかけて食べるチップスだ。私は母にねだり、買ってもらった。大正時代から愛され続ける東京駅は日本の誇りだ。

 

 最後にテレビで言っていた。「東京駅の屋根には、津波被害にあった宮城県のスレートを使っている」と。津波で多くの建物が流されたにもかかわらず、奇跡的に残っていたのだ。ボランティアの手できれいに洗浄され、その七割が東京へと運ばれた。全国の人の思いが一つになった建物–それが東京駅。私はいつまでもこの東京駅を守っていきたいと思った。
(中学部2年 女子)

 

先学期の高等部3年生私立文系コース英語演習を担当していたリトル先生からレポートが届きましたのでご紹介します。
自分たちでミステリー小説を作り、その話をもとに実際にパフォーマンスまで行って皆に披露。もちろんすべて英語です。

 

   *   *   *   *   *

 

At the end of the autumn term 2012, two groups of H3 students performed their murder mystery plays to a critical audience of English teachers and other H3 students. The plays were entitled: Prom on the Beach, and Backstage at a TV Talk Show.
Both groups researched, planned, wrote and finally performed two very different, but equally brilliant murder mystery plays. The audience was treated to the full gamut of emotions: from joy to grief, while the twists and turns of each plot kept them guessing as to the identity of the murderer until the very end! This collaborative effort was highly informative and entertaining.

 

3学期は、もう高等部3年生はおらず、食事の席でマナーなどを見るテーブルマスター、礼拝の聖歌指導、アコライトといった要職が、高等部2年生へ代交代します。本日の始業礼拝は高等部2年生による初めてのアコライトということで、礼拝の式服に着替えた新クロスベアラーとトーチベアラーの、どこか照れくさいような不安なような顔を浮かべつつプロセッションを先導する姿が初々しさを感じさせました。今学期は、高等部1年生に1名の新入生を迎えました。

 

 学校の雰囲気は最上級生によって左右される部分が大きいと思います。落ち着いた雰囲気の高等部3年生とはイメージの違う、明るく元気いっぱいの高等部2年生が、これからどのようにこの立教英国学院を引っ張っていくのか、今後が期待されます。

 

 3学期はオープンデイもなく、ゆったりした学期、と思いきや、実はイベントが盛りだくさんの学期。新春百人一首大会、合唱コンクール、アウティング、生徒会選挙、漢字書き取りコンクール。その他英検や部活の対外試合、現地校との交換留学など、とてもゆっくりはしていられません。それぞれのイベントを楽しみつつ、勉強も両立させ、充実した学期をすごしてほしいものです。

 

Billingshurst(ビリングスハースト)は立教から車で約15分のところにある小さな町。Cranleighとは違って鉄道の駅もありますが、規模はCranleighよりずっと小さい静かな佇まいの町です。生徒たちとはほとんど縁がありません。ホームステイでこの近くの家庭にお世話になったことがある生徒が何人かいる程度。
そんな町に彼らが最初に訪れたのは約1年前。Cranleighに続いてこの町でも道行く人へのインタビューを行いました。その時の彼らの感想は、「人が少ない。」「結構みんな立ち止まってくれる。」「優しい人が多い。」等、田舎の小さな町に典型的な雰囲気通りの感想でした。

 

今回はその町の人たちの生活にもう一歩踏み込んで「お店を回ってインタビュー」。質問の数も内容も1年前よりずっと高度になりました。さて結果はいかに?

 

立教のことを知っていたのは予想通りCranleighよりずっと少なく、26軒のうち半分以下の12軒の人たちでした。それでも、「うちのオーナーが昔タクシードライバーをしていて君の学校の為に仕事をしたことがあったらしいよ。」という方もいたそうな。そう言えば、去年の街角インタビューでもそんな報告を生徒から聞いたことがありました。もしかしたら同一人物かも… 小さな町なので十分起こりそうなことです。

 

チェーン店はCranleighと同じく半分以下、26軒のうち10軒でした。今回は町のすべてのお店をまわれた訳ではありませんが、なるべく場所が偏らないように分散してインタビューを行ったので、それなりの傾向はつかめたと思います。

 

そんな彼らの集計結果を見て気が付いたことがいくつか。こんな小さな町なのに美容院や床屋さんが26軒中4軒と意外に多いことでした。
この町が好きですか?という生徒の質問に、
「たくさんのヘアドレッサーがいるので、私的にはとてもいい町だと思っている。」
と答えてくれた美容院の人がいたそうで、思わず頷いてしまいました。

 

ほとんどの人が「この町が好きだ。」と答えてくれたそうですが、その主な理由は、
▶ 安全で人と人とのつながりのあるいい町。
▶ フレンドリーでいいと思う。
▶ 静かで、お客さんの愛想も良くてカーペットが売りやすい。
▶ 小さな町だから、お互いを知っている。
▶ 小さくて仲がよい町。
▶ みんなが知り合いのように仲がよい。
▶ 好き。よい人がたくさんいる町。
▶ とてもいい町で、住人の雰囲気もフレンドリー。大好きです。
と、田舎の小さな町の暖かさが伝わってくるような答えが多かったようです。

 

でもその小ささ故に暮らしにくいと思っている人から感想をもらえた生徒もいました。

 

「 あまり好きじゃないなぁ。若者にとってはあまり遊ぶ場所もないし、出来ることといったらMS(Marks&Spencerというスーパー)での買い物くらいだからね。」
「 まあまあかな。高年齢の方が多いので、接客する上で少し戸惑うことがあるんだ。」(床屋さん)

 

中学1年生の時に訪れたのと同じ町が、今回はさらに立体的に見えてきたのは、あの時よりじっくり町の人と話をすることが出来たからかも知れません。実際、ある女子のペアはいつになってもインタビューを切り上げられずにずっと花屋さんのおねえさん達と話をしていて、みんな学校に帰るのが随分遅れてしまったこともありました。

 

でもいつもうまくいくばかりではないようで、中にはこんな報告をしてくれた生徒もいます。

 

1. お店の名前:  Wine Shop
2. お店の種類: すみません。英語がなまってていて、よく聞き取れませんでした。
3. 立教を知っているか? No, he doesn’t
4. チェーン店か? No.
5. どの位の間Billingshurstにあるお店か?He doesn’t know.
6. 何人くらいの人が働いているのか?4 people are working here.
7. この建物はどの位古いのか? He doesn’t know.
8. Billingshurstは好きか?/Billingshurstについてどう思うか?
    とてもいい村だ。
  (それ以外は英語がなまっていて、聞き取れませんでした・・・。)
9. お店(の人)の雰囲気/思ったこと、感じたこと
    店員の英語がなまっていて、自分も聞いて理解するのに苦労しました・・・。
    まあ、世の中にはこんな人もいるのかなと感じました。

 

2013年が明けて彼らにとっては中学2年最後の学期。そして入学以来続けてきた校外学習もこの学期で終了です。これまでの成果を生かして最後の校外学習にもこれまで以上にアクティブに臨んでくれればと思います。

 

 

中学1年生の時から始めた英語校外学習。まずは町の地図を書いたり、お店の名前を調べたりして、「イギリスの町」に慣れ親しむところからスタートし、2学期からは道行く人にインタビューをしました。そして中学2年生になると、お店を1軒1軒まわってもう少し高度なインタビューを始めました。

 

学校から一番近い町 Cranleighは、校医のお医者さんがいたり、毎週末の外出先であったり、日曜礼拝に参加する教会があったりと、とても親近感を感じる町。地元の人たちは「イギリスで一番大きな『村』」と誇りに思っています。

 

そのCranleighのお店を、西側から1軒1軒まわってインタビューを始めたのが先学期。夏休み前までに約1/3を終え、このままのペースで行くと2学期中にすべて回れるかどうか、と思っていたのですが意外な展開に…
学期始めの緊張感は多少あったものの、校外学習街角インタビュー暦も2年近い彼ら、数軒目のインタビューになるとすっかり勘を取り戻して、1学期の倍の勢いでインタビューは進み、10月中にはCranleighのお店をほぼ制覇してしまいました。

 

質問は全部で9つ。まず立教のことを知っているかどうかを聞き、続いてお店の名前や種類を確認、さらに「チェーン店か?」「お店を始めて何年目?」「従業員の人数は?」「この建物はどれくらい古いの?」などの質問を続け、最後はCranleighについての思い入れを聞いてみるというインタビュー。2学期目とあって質問の英語をしっかり覚えて相手の目を見て質問できる生徒が増えてきたのは嬉しい限り。そして多少余裕が出てきたせいか、生徒によっては質問の内容以外にもいろいろ会話ができたようでした。以下、彼らの感想を含めてのレポートです。

 

まずは、集計結果。

 

イギリスは「チェーン店の国」と呼ばれる程、どの町にいっても同じ店構えの建物ばかりが目立つ国なのですが、Cranleighはいかに?1学期の集計結果では約半分がチェーン店でした。ところが今回はインタビューしたお店の約2/3がチェーン店ではないとの結果。イギリスにしては個人経営のお店が多い町なのかも知れません。

 

「立教のことを知っていますか?」という質問には約8割の人が「Yes!」という嬉しい答え。この町で校外学習を始めて2年目、制服姿の可愛い生徒たちが毎週来ていれば自ずとそんな結果が出るのかも知れませんが…

一番興味のある質問が、”How old is this building?”。1学期は確か「147年」というのが最古だったと思いますが、今回はなんと「355年」「400年」「500年以上」、そして何と「14世紀からあると聞いているよ。」なんていう答えまで。生徒の言葉を借りて言えば、「 驚きすぎてWOW!! と叫んでしまいました・・・。」

「400年前くらいに建てられた。」という答えを聞いた生徒の追加レポートによると…

「建物がいつ出来たかをたずねたときに、お店の方が、『2階見てみる?古い感じがわかると思うよ。』とおっしゃって下さって、せっかくなので見せて頂いたのですが、白い壁や天井に、こげ茶と黒の中間の色の柱のようなものがありました。その後にお邪魔した喫茶店もかなり古い建物で、同じような内装だったため、『こういうのがこの町での古い建物なのかなぁ』と思いました。」

 

今回も地元のイギリス人の方々に実際に接していろんなことを学んだ彼ら。英語の練習というより、異文化体験/国際理解の立派な序章になったのではないかと思うような発見がたくさんありました。
以下、そんな生徒たちの感想です。

▶ 店内に入って、店員さんを探していたら、どこからか、May I help you?という声が聞こえたので、あっちこっち見たら笑顔で僕たちの事を見ていたので、とても話しやすかったです。インタビューのやる気が出ました。

▶ ちょっと厳しそうな人でしたが、僕たちの話を一生懸命に聞いていてくれていたので、安心して聞くことができました。

▶ 建物がやけにぼろぼろだなと思ったら、なんと築300年以上!!驚きすぎてWOW!! と叫んでしまいました・・・。店の人も親切で、やっぱりイギリス人は優しいということを改めて感じました。また、いろいろ詳しく聞いてみたいです!!

▶ お店の雰囲気はチェーン店で不動産屋さんなのに、とても暖かい感じだった。お店の人も忙しそうなのにとても丁寧にやさしく質問に答えてくれた。クランレーの事が本当に好きそうに話をしてくれた。

▶このお店に入ってみて、広さは狭く、明かりも暗かったがその暗さが売り物を引き立たせている。店員さんもとても良い方で、買い物へいって帰ってきた直後だったにもかかわらず、親切に笑顔で私たちの質問に答えて下さいました。

▶ お店の雰囲気は、楽しくなるような感じ。誕生日カードとかプレゼントとか。女の子が好きそうなお店だった。お店の人も優しく教えてくれて、嬉しかった。

▶ お店の人はとても気さくな方で質問が終わっても「これだけでいいの?もっといいのに。」と言って下さいました。とても親切な方でよかったです。

▶ お店の方はとても優しく、またその場にいらっしゃったお客様もとてもフレンドリーで、私たちのインタビューの途中、傍を通られたときに、私たちに向かってこそっとジョークを言って下さって、慣れない英語でのインタビューでがちがちになっていた心が少し和らいだ気がしました。それぐらい優しい人ばかりで、とても楽しい時間が過ごせました。

▶ お店の人が「古いイスの布を丁寧にはがして新しい布を張っていくんだよ」ととても熱く語ってくれました。少し年配の方だったので私たちの英語を聞き取りにくかったようですが、とても真剣に何度も聞いてくれました。本当に親切でいい方でした。

 

ぼくは、芥川龍之介の「鼻」という話を読みました。この話の登場人物は、内供、(侍)などです。登場人物は少ないですが、読むと自分の性格をふり返ることのできる、おもしろい話です。

 

 内供の性格は、生れながら鼻が長くなってしまった自分の鼻を短くしたいと気にする性格です。
 内供は、鼻のことを一番気にしていました。人から笑われるのがいやだったからです。自分の鼻を小さくすることをいろいろしました。
 鏡で自分の鼻の見え方を研究したり、いろんな本を読んだりしました。また、烏瓜を煎じて飲んだり、鼠のおしっこを鼻へぬったりしました。
 それもこれも、鼻を小さくして、人から笑われないようにするための努力です。

 

 ぼくも、実は、人から笑われることが、すごく気になる性格です。多くの人の前で話しをすることや、初めてのスポーツをすることや、音楽の時間になれていない楽器をえんそうすることがとても苦手です。それは、みんなに失敗したときに、笑われるのがとてもこわいからです。

 

 お話の中にあったように、内供もぼくも、自尊心が余りに強くデリケートに出来ているからだと思います。
 でも、初心者の人に失敗はつきものです。内供の鼻はかんたんに短くはなりませんでしたが、ぼくのなやみは、いっぱい失敗をして、練習をすることで、解決ができると思います。人前で話すことも、スポーツをすることも、楽器をえんそうすることも何度も何度もくりかえし練習することで自信がつき、上手になってくると思います。ぼくは絵を描くことと習字が得意ですが、これもたくさんの練習をしてたくさん失敗もしたことで得意になったことに気づきました。人は、誰でも、最初は失敗するものです。失敗をこわがらないで、失敗することが勉強になることだと思いました。内供も鼻が短くなって、それに気付いたのかもしれません。

 

 最後に内供の鼻は、元にもどってしまいましたが、ぼくの努力は元にもどることはありません。イギリスで、新しい生活が始まります。いろいろな努力をするぼくは、多くの失敗をすると思いますけれど、はずかしがらずにいろんなことにチャレンジしたいと思います。この話の最後のように、「こうなれば、もう誰も笑うものはいないにちがいない。」です!!

 

(小学部5年生 男子)

 

「檸檬」という題名を見て、まず僕の頭に浮かんできたのは、あの「黄色い果物」という以外には何もなかった。どのような話が描かれているのか、想像するのさえ難しかった。最初の数行を読んでみただけで、あまり自分好みではないと感じた。なぜなら、僕と作者との世界観が全く違うし、普段僕が読んでいる小説のような爽快さやおもしろさがこの作品には全くと言ってよいほどないからだ。

 

 主人公の私は病気が進行するのに従って、物の見方が変わってきていると僕は思う。昔、大好きだった場所や物がだんだん憂鬱になっていき、重苦しい場所に変わってくる。僕にも似たようなことはあった。ドイツに来たばかりの頃は大好きだったスーパーマーケットが今では面倒な場所になってきた。だけど僕の場合は、年齢に伴って親について買い物に行くよりは、その時間を自分のために自由に使いたくなったからであって、作者のように病によって生活が蝕まれて物の見方が変わってしまったわけではない。作者の大好きだったものが重苦しいものになる悲しみや苦しみは、健康な僕には到底理解することができない。

 

 この作品を読み進んで、僕が一番印象に残っているのは、作者が久しぶりに入った丸善で、バラバラとめくった本を積み重ね、その上に檸檬を置いて店から出て行ってしまう場面だ。僕がその中でも特に印象に残っている一節は「私にまた先程の軽やかな昂奮が帰って来た。私は手当たり次第に積みあげ、また慌しく潰し、また慌しく築きあげた。」だ。僕も似たようなことを衝動的にしたいと思ったことがある。例えばスーパーマーケットで、お菓子の箱を全て棚から出して大きな家を作ってみたらどうだろう。本屋のマンガコーナーで一巻から最終巻までの並び順を全く逆にしたら、次にそのコーナーに立ち寄った人はどう感じるだろうか。想像するたびに体中がゾクゾクしてきた記憶である。ついつい手が伸びそうになるのを僕の理性が必死になってくいとめている。「近くに自分の知り合いがいたらどうしよう。」「店の人に怒られるのではないだろうか。」僕の中の臆病な部分がこのようないたずらをしたいという気持ちに勝るのだ。だから僕は疑問に思う。なぜ、作者は思ったことを実際に行動に移せたのだろうか。また、この時には周りに店員又はお客がいなかったのだろうか。もし、僕がこの作者のような行動をしている人を見かけたら、迷わず注意するか、店員に知らせていただろう。だから僕は不思議でならない。なぜ誰も主人公をとがめなかったのだろう。気がついた人はいなかったのだろうか。もしかしたら、主人公には自分以外の世界が全く見えていなかったのかもしれない。ここに続きは描かれていないが、この後、主人公は丸善のこの現場に戻って来たのではないかと思う。僕なら間違いなくそうしたと思う。

 

 主人公が、檸檬を手にとったことにより、今までの不吉な塊が少しずつやわらいでいき、幸福な気持ちになったように「檸檬」には不思議な力があるのではないかと思う。高村光太郎の詩集「智恵子抄」の中の一つ「レモン哀歌」の中に
「その数滴の天のものなるレモンの汁は
 ぱつとあなたの意識を正常にした
 あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
 わたしの手を握るあなたの力の健康さよ」
とある。智恵子が檸檬を噛んだときに、彼女が一瞬でも意識を取り戻し、元の元気だった頃の智恵子に戻ったと思う。檸檬のさわやかさ、水々しさ、そのすっぱさが「不吉なもの、もやもやしたものを吹き飛ばしてくれる。」「その人に生気を取り戻させてくれる。」そんな力があるのかもしれない。梶井基次郎も檸檬の不思議な力を感じ、勇気がでて、また、幸福な気持ちになることができたのだと思う。

 

 正直僕はこの感想文を書くのにとても苦労している。とても美味しそうに檸檬を食べている妹と母を見ていると、うとましくさえ思う。さわやかなはずなのにと黄色い物体に文句を言いたくなるが、言っても何か答えてくれるわけでもないので何か言うことはない。しかし、あと少しで書き終えたら、僕はとてもさわやかな気持ちで檸檬を食べたいと思う。

 

(高等部1年生 男子)

 

平成24年度、立教英国学院は創立40周年を迎えた。今日、僕はそれを記念するためのコンサートに声楽四重唱と聖歌隊という演目で参加した。どちらもすごく緊張したが、特に思い入れのあるのは四重唱の方だ。理由は、四重唱はその名の通り四人で歌うことであるが、誰もができることではないからである。そもそもこのグループができたのは、去年の2学期に聖歌隊で歌ったクリスマスキャロルがきっかけである。たまたまその歌には、各パート1人ずつの4人で歌う場所があり、そこで今の4人が選ばれたのである。本格的に活動を始めたのは3学期から。時に厳しく、時に楽しい、とても充実した練習だった。当初の目的は、1学期のスクールコンサートだった。しかし40周年記念礼拝、2学期のオープンデーのコンサートと次第に何度も歌うようになり、最終的には今回の記念コンサートでも歌うことになった。

 

当日演奏した場所は、ロンドンにあるセント・ジョンズ・スミス・スクエアという普段プロの演奏者も使用している格式高いホールだった。午後3時、ついにコンサート開始。僕たち四重唱の出番は4番目なので、1番目の演奏は控え室に配置されているテレビで見た。もうその時から僕の心臓は、今までにないくらいの勢いで鳴っていた。

 

控え室からステージまでの道のりは、緊張のせいで足取りが重く、幕の袖に着いた時には足が震えていた。最後に深呼吸をし、ステージの中心に立った。思ったより、客席との距離が近い。僕は動揺した。横目で隣に立っている3人を見ると、みんな緊張していたが、少しは余裕を持っている。伴奏が流れ、歌い始める。声は良かった、だがやはり足が震えていた。本番でステージ上だというのに震えがとまらなかった。幸いにも声に支障がなかったのは良かったが、後で話を聞くとやはり客席から見ても、僕の震えは分かったらしい。それ以外は何のミスもなく歌は終わり、プログラムは進み、聖歌隊も難なく終え、最後に中3の松田さんのバイオリンでコンサートは締めくくられた。

 

今回のコンサートで、四重唱のこの歌は終わった。だが、もう次の曲が決まっていて、練習は既に始まっている。またこの4人で歌える。とても嬉しい。悲しいことや嬉しいこと、色々な感情が交差する、忙しい一日だった。
(高等部2年 男子)

 

アリス!このたわいない話をうけとり
その手でそっとしまっておいておくれ
思い出の神秘な絆のなかに
子供の日の夢がないまぜになったあたりに
巡礼たちが遠い国で摘んできた
とうに萎れてしまった花冠のように

 

 不朽の名作、不思議の国のアリス。私は今まで何となくしかこの物語を知らなかった。しかもその何となくというのも、原作ではなくディズニー映画の物語だったと思う。今回原作を読んでみて思ったが、何でも元を知らないでいるということは、残念なことだ。話の流れこそ破天荒で何が何だか分からないけれど、子供心を持って読んでみれば、楽しいことこの上なかった。

 

 アリスのおもしろさは、主に二つで、おまけにもう一つという感じだと考える。
 まず、一つ目は、翻訳者泣かせの駄洒落やジョーク。例えば、物語終盤のウミガメモドキの話にある、教科目のジョークだ。英語だと「History(歴史)」と「Mystery(謎)」が掛けてあるけれど、日本語では「まずミステリーがあったよな。(略)古代と現代の霊奇史だよ。」と表現されている。というか、こう言う他ないのだろうと思う。児童ではあるが、原作は英語だから、翻訳すると大人でも考えないと分からない駄洒落が生まれてしまうわけだ。あちこちにちりばめられているこの言葉遊びは、アリス最大の魅力と言える。

 

 二つ目のおもしろさは、三人称小説であることだ。
「それだけなら、べつにどうってこともないやね。」
 本編が始まってすぐに登場する語り手の台詞だ。読み始めてまず衝撃を受けたのがこの書き方だった。現代小説で、語り手が登場人物に対して茶々を入れるのと、この「語り手を近くに感じる書き方」は別物だった。作者が子供たちに語って聞かせたのが、アリスの始まりだった訳で、全編通して話し言葉で一杯だ。それだからか、読んでいて、アリスとして冒険するのではなく、アリスを間近で見ている様な気分になる。アリスの横に並んでいる様な感じだ。この語り手によって成り立つ微妙な読者の立ち位置は、かなり斬新である。私としては、これが前記の魅力と並ぶアリスの味なんだと思う。

 

 さて、最後に、私が「おまけにもう一つ」とした点だが、これは物語の初めと終わりに感じられるものだ。日本的に言えば「衰え」か、作者の表現を借りれば「たあいない悲しみ」だろうか。私は初めに、作者ルイス・キャロルが「アリス」に充てた詩を抜粋した。この詩には、あくまで「不思議の国のアリス」が子供の夢物語であることが記されている。また、この夢物語がいつか懐かしくどこか切ないものに変わるということも。そして物語の終わりには、立場をアリスの姉に変え、その懐かしい思い出となった夢物語でも、アリスが将来語り聞かせるだろう幼い子供たちには、楽しい話になると書かれている。どうだろう。この複雑なあわれは。

 

 —-今の私は大人でもないが、アリス程子供でもない。夢物語と現実に区別がつく年頃だからこそ、この話が味わい深かったのだと思う。大人だったら、それこそ作者の言うとおり「子供の日の夢がないまぜになった」ものだから、おもしろいはず。
 この機会に「不思議の国のアリス」を手に取ってみて、正解だったと思う。多分、同じ年頃でも、この話をつまらなく感じたり、もっと深い部分を指摘したりする人もいるはずだ。けれど、それがミソだ。不朽の名作とは、どんな時代にどんな人が読んでも、考えられるという意味でおもしろいものなのだ。
 とにかく私が最後に書いておきたいことは原作を読まないと分からない世界もある、ということだ。どう感じるか何てのは、後付じゃないかい?

 

(高等部1年 女子)

 

日記。それは毎日の出来事や感想などを記録する物。僕は前に何度か日記に挑戦したことがあります。例えば、小学校一年生の時の夏休みの宿題が絵日記でした。絵を描くのも文章を書くのも決して得意では無かった僕はどうやって書き始めるのかも分からなくて、そして自分のことを書いてそれを先生に読まれるというだけで恥ずかしくて書く気になりません。その後も用事を忘れないようにと手帳を何度か持ってみましたが、どうも定期的に書き込むのが苦手な様ですぐに止めてしまいました。そして、後に残った大量の真っ白なページ達は僕の飽きっぽい性格だけを示していました。日記が途切れる事は僕の人生にとってなんの意味も持ちません。

 

 しかし、日記が途切れる事が特別な意味を持つ少女がいました。アンネ・フランク。彼女は世界中の人々に読まれている日記の著者です。

 

 平凡な毎日を送れているという事はとても幸せな事。それは何度か親にも言われた事であり、テレビ番組などで貧しい国で生きていくのもやっとな人々が映し出されるのを見て感じた事でした。ですが、アンネの日記を読んでその事をもう一度思い知らされました。
 アンネの日記は、アンネ・フランクというナチスドイツ占領下のオランダで暮らしていたユダヤ人の十三歳の少女がつけた日記です。隠れ家に住んでナチスの迫害から逃れながら辛い現実を精一杯生きた二年間が綴られています。

 

 僕は読書は好きな方で読んだ本数も多い方だと思いますが、人の日記を読むなんて事は初めてでした。初めてのジャンルに期待しつつも、どうせ一人称視点と同じ様なものだろうと軽い気持ちで本を開いてみました。ですが、それは思っていたそれとは大きく異なりました。ストーリーなんて無い。文章の流れもむちゃくちゃ。時々入ってくるアンネの自慢話。確かに一人の女子中学生の日記といったらごもっともなのだけれど、こんなもの読めたもんじゃない、と呆れてしまいました。本の最後の最後まで続く自己中心的かつ自意識過剰な語り口調に若干の怒りを覚え、そして何の感動もなく日記が終わる。582ページもある長い本を読みきって残ったものは何もありませんでした。

 

 読み終わってしばらくの間、この本は何を訴えかけていたのか、何がそんなにも多くの人々に感動を与えたのかを考えてみました。感受性の問題なのか、或いは重要な点に気がついていないのか。答えは後者でした。僕は最も大事な事を見落としていたのです。それは最後のページの後、何が彼女の身に起こったのか、でした。最後のページの後に起こった事、それはすなわち日記を書くのを止めた、もしくは止めさせられた原因。それを考えた瞬間、自分の中で何か熱いものがこみ上げてきて、同時にこの日記に込められた一文字一文字の重さが、僕の心にのしかかったのです。

 

 実際、自分がその場に立たされた時、変わらず自分の思う事や起こった出来事を記録するような余裕があるだろうか。恐らく自分がそんな状況に置かれた場合、毎日毎日身を潜め、震えながら生活していたでしょう。日記なんて書く余裕は絶対に無いと断言出来ます。ですが、アンネはしていました。いつ捕まるかも分からない、そんな恐怖を常に感じながらも最後まで変わる事の無い長文を自宅に送り続けました。アンネ・フランクにとって日記が途切れる事はゲシュタポに逮捕され、強制収容所送りになる事を指します。収容所というのは入ってしまったら、一切の自由を奪われる、いわば死も同然の生活が待っている場所です。きっとそこには平凡な暮らしをしている僕にはとうてい理解できない恐怖があったでしょう。

 

 僕の日記の空白は飽きっぽい子どもが平凡だけど幸せな日々を送っている証です。ですが、アンネの日記の空白は収容所に送られ、以後書く事ができないという悲壮感の塊。同じ空白でもその持つ意味は全く異なります。白いページは飽きっぽさの象徴、アンネの日記は僕にそんな平和な時代に生きている事に感謝させてくれました。
(中学部3年 男子)

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