二学期になってからずっと楽しみにしていたギルフォードショッピングに先日行ってきました。先学期のギルフォードショッピングは、町のことを全く知らなかったので、班のメンバーに付いていくだけでした。しかし、今学期のギルフォードショッピングは先学期よりも町のこと知っていたので楽しむことができました。

 

 今回のギルフォードショッピングで、一つ実感したことがあります。それは、英語での会話についてです。
 私は小さい頃から一応、外国の人に英会話を習っていました。なので、外国人の先生と話すのはあまり緊張しません。しかし、なぜか普通の外国人と話すと、とても緊張します。先学期のギルフォードショッピングは会計するときなども、緊張してしまい、あまり会話することができませんでした。しかし、今学期のギルフォードショッピングでは緊張はしましたが、先学期よりもリラックスした状態で話すことができました。それは、英語の授業での外出や、クランレー外出などのおかげだと思います。

 

 次のアウティングやギルフォードショッピングは、今学期よりも英語での会話ができるように、英語の授業などを今までよりも、真剣に取り組んでいきたいと思います。
(中学部2年生 女子)

 

26日(金)の午前中は授業を受け、昼食をとると、もう気持ちはオープンデイへ切り替わる。午後は、教室の椅子や机を所定の場所へ移動する。椅子も机もなくまっさらな空間が広がり、教室はもう勉強する場所ではなく、作業するための場所となる。この日から、オープンデイまでの期間、生徒をはじめ教師陣もオープンデイの作業を朝から就寝前まで1日中行う。

 

 しかし、オープンデイ準備とはなにも、この期間だけを指すのではない。オープンデイのための話し合いはもうすでに1学期から行っている。テーマは何にするのか。まずはここから始まるのだけれど、これが難しい。もちろん意見がまとまってスムーズに行くクラスなどほとんどない。意見がぶつかりなかなか決まらないというジレンマを大半のクラスは経験する。しかし、クラス全員の意見を尊重しながらテーマを決めなければ、みんなのオープンデイではなくなる。だからこそ意見が割れ、話し合いがこじれてもお互いの納得いくまで話し合う。そういう話し合いからこのオープンデイは始まる。

 

 テーマが決定すると、主にストーリーを担当する模造紙班、背景を描く背景班、模型を作る模型班にわかれ、どういうストーリーにするのか、そのためにどんな背景を描けばいいのか、どういう模型を作ればいいのかを話し合う。そこまで綿密に話し合いを重ね、後は実際に作業するのみ。ここまでがオープンデイ準備期間前にそれぞれのクラスが行っていることだ。

 

 オープンデイ準備期間のこの初日の日はまさに「闘いの火蓋は切られた」といってよい。この日から11月4日(日)までの約10日間はまさに闘いなのである。

 

 「今日これが終わって、明日あれを終わらせて・・・・・・」計画を立ててみると実はギリギリ。クラスの全員が頑張らねば決して終わらない作業であることがわかる。焦りは募り、精神的にも体力的にも一日一日疲労感が増す。時には喧嘩にもなったりするが、しかし結局は協力をしていかなければひとつのものは成し得ることはできない。そういう紆余曲折を繰り返しながら一つのものを作っていく。しかし、模造紙を、背景を、模型をうまく仕事したときの達成感は実にたまらない。「これでどうだ!」と他の班員に見せつける笑顔。それを見て、「負けてられない!」と頑張る気持ちにさせてくれる。そういういい雰囲気や刺激を与えながら、教師も加わりまさにクラスが一丸となって作り上げていくのがオープンデイなのである。

 

 またクラスの展示だけでなく、他学年と合同で行うフリープロジェクト(劇企画、ダンス企画、剣道企画、書道企画、チャリティー企画)も同様に1学期からもうすでに活動を始めており、このオープンデイ準備期間はクラスの活動の合間をぬって、フリープロジェクトにも精を出す。全速力で駆け抜けねばとても乗り切れないーそんな慌しい日々を送っている。

 

 さて、高等部3年生はというと受験を控え、オープンデイ活動には参加せず、90分×5コマの補習授業を受ける。わいわいと賑わう他学年とは隔離された場所で、静かに学習できる環境の中勉学に勤しんでいる。食事の席では後輩の苦労話を聞き、時にうらやましがり、時に先輩としてアドバイスをしたりという姿を見せている。彼らの参戦は最後の3日間、父母の会のお手伝いだ。
 

 

霧の町ロンドン。どこか幻想的な雰囲気を漂わすフレーズではあるものの、5年間何度も行ってしまうと現実の世界を受け止めざるをえない。イギリスの経済、政治の中心地であり、繁華街が集中するロンドンでは、18世紀半ば頃、つまり産業革命を起源に工業が発達するにつれて世界の貿易、金融の中心地として繁栄してきた。霧の町と言われるものの、要するにその霧は、霧でもミスト、もやのように自然に発生した美しいものではなく、空気をむしばみ、観光客、住民に害を与えるスモッグにちかい霧が充満しているのである。

 

 スモッグの町ロンドンとはいえ、繁華街である事は、事実に変わりない。国会議事堂、ビッグベンを案内してくれたガイドのおじさんは、国の最高機関を案内することもあり正統で勤勉な趣を持ちながらも、気さくでユーモアのある表情を浮かべていた。ロンドンアイからのロンドン市内の眺望は、お洒落な町並みと陽気な雰囲気を感じさせてくれて、その裏側にある黒い影など想像すらできない。

 

 夜のロンドンは、盛り上がる。日中は英国紳士であったに違いない白髪のおじさんが、りんごのように真っ赤になった顔でパブから出てくる。市内のそこら中で大きな看板をはっているシアターには、開演を待ちきれずに大勢の人が興奮した様子で集まってくる。ロンドンのミュージカルは、国民にも観光客にも愛される超一流舞台芸術だ。

 

 実は僕は、ロンドンが大好きだ。いくら汚い空気であろうとも、裏道に恐ろしい影が潜んでいようとも、国際化の進んだ、世界中の人々の笑顔と出会える、明るく陽気なおしゃれな町。そんな大好きな町に大好きなメンバーで訪れることが出来た。最高の思い出を本当にありがとう。感謝の気持ちでいっぱいです。
(高等部3年生 男子)

 

「ケンブリッジは何もないよ。」
先輩達に聞くと必ず同じ答が返ってきた。そのため僕はあまり期待をせず、何を食べようかということしか頭になかった。丁度お腹がすいてきて、ただ座っているのに飽きてきた頃、バスの窓からまるでお城のようなケンブリッジ大学群のひとつが、今後数時間の活動を予想しているかのように、太陽の光に照らされて現れた。多くのヨーロッパの国を旅してきた僕は、懐かしいような温かい気持ちになった。どんな発見があるのだろうかと初めての町への期待を募らせた。

 

「なんだ、何にもなくないじゃないか。前回のアウティングよりも楽しいぞ。」
自由時間で班行動をしていて僕はそう感じた。釘一本使わず、今もなお堂々とそこに佇んでいる「数学橋」。本物ではないが、その木の前にニュートンが立っているのをつい想像してしまう「リンゴの木」。小説「モモ」の灰色の男達と同じようなものかな、と想像したくなる「タイムイーター」。寒かったが、ヴェネチアのゴンドラを思い起こさせる「パンティング」。みんなでお揃いで買ったパーカー。カメラの枠に収められ、立教に帰って暫く経った今でも僕の印象に強く残っているケンブリッジの街並。

 

しかし、その中でも特別印象に残っているのは、ガイドツアーで入れてもらったトリニティ・カレッジの中庭だ。1歩足を踏み入れたとたん、
「すごい!」と、バルセロナの「サグラダ・ファミリア」を見た時と同じ声が漏れた。
外側から眺めても見えなかったものが見えてきた。きれいに整備された芝と道の真ん中にある建物が太陽の光に照らされて僕の中でグッとくるものがあった。また、有名な学者達が昔、僕と同じこの道を歩いたのだと思うと、感動と共に想像することが出来て楽しかった。
もし僕にケンブリッジ大学に入れるだけの頭とお金があったら絶対に行きたいと思える程ぼくの心に訴えかけてきた。

 

ケンブリッジはもっと時間が欲しいと思った。もっといろいろな小道を歩いてみたかった。今度は家族とゆっくりと見てまわる機会があればいいと思った。

 

アウティングに行く前、僕はケンブリッジについて何も知らなかった。せいぜい知っていることといえば世界の一位、二位を争う名門大学であるということぐらいだった。でもケンブリッジを知るにつれて、一つの興味深いことを知った。それは「進化論」や「種の起源」で有名なダーウィンがケンブリッジ大学出身だということ、そして彼のコレクションが飾られている博物館があるということである。僕は半ば強引に班員を引き連れてセジウィック地球科学博物館へと足を運んだ。

 

 博物館で僕らを最初に迎えてくれたのは巨大なイグアノドンの化石だった。いきなりこんなものを見せられてはたまらない。僕の興味心はうずき、胸は期待で膨らむばかりだった。中へ入っていくと、肉食恐竜や象、鹿の頭部の化石やアンモナイトや草木の化石などとても豊富な種類の化石があった。首長竜の化石は形が復元されていて、これが海を泳いでいたと思うとゾクゾクした。中でも、クモの化石には驚いた。五十センチメートルもの巨大な化石だったのである。立教の森にもひょっこり出てきそうな迫力だった。この他にも沢山の貴重な展示物をこの目でしっかりと見ることができた。まるで古代にタイムスリップしたような、そんな感覚を味わえた。

 

 今回見た化石の中にダーウィンのコレクションはあった。きっと僕がこの博物館で最初に感じた興味心と同じような気持から、彼は研究をスタートしたのではないかと思う。それはダーウィンだけでなく、ケンブリッジや世界の科学者たちも同じであろう。この少しの興味心を忘れずにこれから過ごしていきたい。そんなことを思った、ケンブリッジのアウティングだった。
(高等部1年 男子)

 

 

 

オープンデイ。生徒たちにとっては1年の中で一番大きな行事。日本の「文化祭」にあたる行事です。

各クラスで1学期から準備を始める「クラス企画」、興味を共有する有志が集まって毎週日曜日準備を続けて完成させる「フリープロジェクト」、父母の会の方々と高校3年生が協力して運営するレストラン、和菓子、ラッフル、焼き鳥、古本販売等、盛り沢山の内容です。
当日は地元のイギリス人はもとより、ロンドンやヨーロッパの保護者の方々もたくさんいらっしゃいます。

 

地元の町や村にクラスで交代で出掛けて「オープンデイのビラ配り」をしました。1軒ずつ家々をまわって配っていきます。

 

10月25日、イギリスと日本を拠点にソリストとして精力的な活動を展開するヴァイオリニスト、川畠成道氏を本校にお迎えしてコンサートとワークショップが開かれました。一昨年、去年に続いて3回目の来校です。今回のワークショップには、11月にロンドンで行われる創立40周年記念コンサートでヴァイオリン演奏をすることになっている中学校3年生と高校1年生の女子2人が参加。それぞれ30分ずつ川畠さんからマンツーマンでヴァイオリンの手ほどきを受けました。

 

世界を舞台に活躍するヴァイオリニストに直に指導してもらえるとあって最初は緊張の面持ちでしたが、ロンドン記念コンサートでの演奏に抜擢されたこの2人ですから、練習が始まって曲を弾き始めるとすっかり落ち着きを取り戻し、疑問に思っていた技術や曲想作りについても積極的に質問をするなど、時間の許す限り熱心に川畠さんのアドバイスに耳を傾けていました。
「かなり良い感じで仕上がりつつありますね。」
最後に嬉しい感想を頂いてニッコリ。ロンドンコンサートに向けてまた1つ自信がついたようで、2人にとってはとても貴重な経験になりました。

 

毎回精力的にワークショップをして下さる川畠さん。その後はそのままステージの上で1時間のリハーサルを終え、夕食は生徒たちと一緒にホールで召し上がりました。そしてコンサート本番…

 

7時を過ぎた頃から地元イギリス人の方々が続々と到着。本校での川畠さんのコンサートも今年で3回目とあって、楽しみにして来る方も大勢いらっしゃったようです。高校1年生と2年生が夕食後にテキパキと動いて作り上げた約300席の会場がほぼ一杯になるといよいよステージ上に川畠さんとピアノアカンパニストの今井氏が現れ盛大な拍手がおこりました。
まずはモーツアルトのヴァイオリンソナタ、そしてブラームスのソナタと続いた後、10分のブレイクを挟んでSzymanowski、Wieniawskiと現代的な曲を披露。最後は皆に馴染みのあるカルメンのテーマを使ったWaxmanのCarmen Fantazyで終わりました。
艶やかでしかも限りなく透き通ったその魅力的なヴァイオリンの調べは、時に優しく、そして時に力強くホールに響き渡り、この夜ここに集まった人たちを不思議な魔力で魅了してくれました。

 

「どんな曲でもクライマックスは1つだと思って下さい。いろいろなところに盛り上がりを作ってしまうと曲がよく分からなくなってしまいますからね。この1つのクライマックスに向けて曲を作り上げていくことが大切ですよ。」

 

ワークショップで生徒にして下さっていたアドバイスの意味がはっきりとわかったような気がする素晴らしいコンサートでした。

 

アウティングで行く場所を先生から聞いた時の歓声と、実際に行って見た時の感動が忘れられない。私達M3とM3以下一同はワーナー・ブラザーズ・メイキング・オブ・ハリーポッターに行った。ここにはハリー・ポッターの映画を撮影した時に使われたセットや衣装などが展示してある。新聞でその記事を読み、いつか行ってみたいと思っていた矢先、アウティングで行くことになり、行く前日は嬉しすぎて他の事が考えられなかった程である。

 

 アウティング当日。朝、バスに乗り込み、10時過ぎにはスタジオに到着。スタジオの前でその雰囲気に感動し、中に入ってハリー・ポッターの世界に再び感動した。でも、その感動はまだ序の口。スタジオ・ツアーで通されたシネマ。その先には展示室。展示には衣装、セット、小道具、何から何まですべてハリー・ポッター。その世界にどっぷり漬かって見ることができる。校長、ダンブルドアの部屋、学校の絵画、とにかく全てがハリー・ポッターの為だけにスタッフによって、一枚一枚描かれ、造られ、そこにあった。私はハリー・ポッターの世界が本当にある様に思えてならなかった。この映画に携わった一人一人が全身全霊をかけて造り上げている物一つ一つが力強く、繊細で美しく、映画の為に造られた物として、どうしても見れないのである。

 

 映画の世界の裏には、綿密な設計と、技術があることも知った。ホグワーツ魔法学校の内装図、外装図、そして模型。全てが精密で、出てくるのは感嘆の声だけだった。
 現実の世界に引き戻されるはずのショップでも、感動は絶えなかった。魔法の杖、制服、箒。見て回るだけで楽しかった。いるだけでわくわくして、幸せだった。もっといたい。そう思える楽しさがあった。

 

 今回、ワーナー・ブラザーズに行って、私は初めて映画を、「世界」として見た。その世界を創るには、スタッフ一人一人のパッションと、団結力が必要なこと、そしてそこに、スタッフのやりがいを見出しているんだ、と感じた。ハリー・ポッターという世界に魅せられたからこそ、ワーナー・ブラザーズはハリー・ポッターを映画にし、私達に見せてくれた。それに魅せられた私達は、ハリー・ポッターという世界に魔法をかけられた、といえるかもしれない。その魔法は気付かない内に消えてしまう。この魔法、感動をずっととっておきたい、そして、分かち合いたい、そう思う。

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