私はJapanese Eveningであやとりの担当になりました。今まで私が作れるものと言えば「箒(ほうき)」くらいしかなかったのですが、これを機に、「橋」や「ゴム」が作れるようになりました。練習を重ねる毎に作るスピードが速くなったり、きれいな形が作れたりして、あやとりは思っていた以上に深いなぁと実感しました。
Japanese Evening当日、私は自分が作って英人に説明する技を何度も練習しました。そして時間になると私のところに1人の英人女性が来てくれました。その女性はとても親切に私の話を聞いてくれました。途中で私が英語で説明できなくなったときも、私の片言の英語に一生懸命耳をかたむけて聞いてくれました。私はそのとき自分の英語能力の無さに落ち込みましたが、真剣に聞いてくれる人も居るんだと知り、嬉しく思いました。
最後に来てくれた、私より少し小さいくらいの男の子はとてもあやとりを楽しんでくれました。特に喜んでくれたのは、相手の手首に糸を巻き付けてからスルッとほどくマジックのような技です。初めはその技をするのに男の子は苦戦していたのですが、慣れてくると1人で出来るようになりました。そして自分の友達を呼んできて、皆にそれを披露して楽しませてあげていました。その男の子の学校でも日本文化の1つであるあやとりが流行ったらいいなぁと思いました。
違う国同士の文化を知り合うことがこんなに興味深いことだというのをJapanese Eveningを通して知ることが出来ました。また、この地に住む地元の方々の優しさを感じることが出来ました。外部の人との交流はなかなか出来るものではないと思うので、こういった行事にこれからも積極的に取り組んでいけたらいいと思いました。
(高等部1年新入生 女子)

 

全校生徒が全力でプレーし、創り上げた球技大会。あっという間に過ぎていった球技大会はとても充実していて、何より楽しかった。一つのこと、スポーツに全力で取り組んでそれをぶつけ合う。皆で協力してきたからこそ、皆で喜び合えるし、励まし合える。その温かさがあるのが、球技大会だと思う。
今年の球技大会の色は赤と青。私は赤のドッヂボールだ。入学式が終わって間もなく、球技大会の練習は始まった。新しく出来た種目だったのでどの様に練習していいか分らなかったが、皆で相談し、少しずつ形になっていくドッヂボールは楽しかった。チームメイトとの絆も深まり、勝つ気満々で球技大会当日、試合に臨んだ。しかし、赤のドッヂボールは連戦連敗し、一回も勝てなかった。どうして一生懸命やっているのに勝てないの?そう思うだけで何も出来ない自分がとても悔しかった。涙が止まらなかった。でも他の種目を見に行くと、そんな気持ちは吹っ飛んでしまった。皆一緒になって全力で試合をしているのが伝わってくるのである。それを見て今の自分に出来るのは、皆で応援することしかないと思った。自分は小さな存在かもしれないけれど、応援することで頑張ろうと少しでも思う人がいれば、こんなにうれしいことはない。そう感じた瞬間から私は叫びまくっていた。
球技大会は赤が勝った。本当にうれしくて、隣にいた先輩と抱き合った。「勝利」という意味では貢献できなかったが、気持ちで貢献できたので、とてもうれしい。球技大会は互いに競って協力すること、そして励まし合って創り上げる最高の大会である。協力することを大切にこれからを過ごしていきたい。
(中等部3年生 女子)

昨年2011年度から始まった、中2以下を対象とした学期ごとの社会科フィールドワーク。今年度第一回のワークを5月9日(水)に実施しました。題して「クランレー村散策」です。
CRANLEIGH(クランレー)村は立教から一番近い集落。見えるものは見渡す限り緑の丘陵と草を食む羊と牛たち…というカントリーサイドにある立教ですから、家を出て歩けば店にぶつかる、という都市型の生活からだいぶかけ離れた環境です。その環境においていつもお世話になっているのが、クランレー村。「The Biggest village in the UK」と自称する村ですので、もはや「町」のカテゴリーに片足を突っ込んでいるような規模です。その村をじっくり観察しました。
クランレー村はHIGH STREET(メインストリートのこと)の両側に店が集中し、つくりが単純です。端から端までゆっくり歩いても10分程度。ですが、一つ一つのお店を楽しんで回ると、1時間ではきかないほど沢山の店が集中しています。
バス停のある広場でぐるりと四方を見渡すと、銀行、薬局、カフェ、チャリティーショップ、レンタルDVDショップ、スーパーマーケットが見えます。場所を移して村の中ほどで周囲を観察すると、靴屋、美容院、銀行、OPTICIAN(眼科とメガネ販売店が一緒になったもの)、パブ、文房具店、チャリティーショップ、軽食スタンドからピザ・レストランなど沢山の店がひしめいています。村のはずれでは、郵便局にレストラン、スーパーマーケット、教会、診療所、スポーツセンターなども発見できました。
今回のワークは、小さな村ですが「私達の生活に必要とされる店にはどのようなものがあるか?」を考える目的が隠されています。たくさんある店を種類ごとに分類しながら作業しました。村は教会を中心にHIGH STREETによって集落が形成され、郵便局・診療所・図書館といった公共施設がきちんと整備されています。一方で、様子を観察することでイギリス・日本の違いに気付き、考えるきっかけを与えるためでもありました。たとえば、イギリスでは自動販売機はありません。それが、チェーン店であっても古い建物を利用してつくられる景観を美しく守っています。逆に、日本には街中にゴミ箱を見かけることは今は難しいのではないでしょうか。こちらでは必ず設置されており、行政がきちんと管理を行っています。
生徒たちはというと…
「あっ、不動産やだ!」「また不動産やさんだ」「ここも不動産やだよ!」
家の写真と値段を示したカラー紙がウィンドーに貼られていれば、一目で分かる不動産屋。家を売る不動産業がいかに浸透しているかを気付かせてくれます。と同時に、豊かで落ち着いたクランレー村では家の売買がさかんなのかもしれません。
「これはチャリティーショップ。◇◇ホスピスと書いてあるでしょう。病院のためだったり、もっとたくさんの慈善を行うためだったりします。
使用済みだけれどもまだ使える衣類や食器や本といったものを、人々が寄付してお店がまた売ることで得られた利益を寄付に回すんだよ。」
「これもチャリティーショップだ~」
チャリティーショップはイギリス社会の特徴のひとつでもあります。小さな村に5軒もありました。
小さな村ではありますが、イギリス社会を凝縮したような村。丁寧に観察することで、人々の生活が何によって成り立っているのか、またどんなものが社会の根底に流れているのか、基本的なことから文化まで理解の糸口がたくさん転がっています。
実はワークの途中と最後に、英会話の課題がありました。
「ポストカードと切手を買うこと」。”Three eighty seven pence stamps, please.”
そしてカフェに入って「飲み物を注文すること」。”One coke and two elderflower juices, please.”
P5・M1の生徒のほとんどはこの4月に入学したばかりですが、きちんと頼んだものを手に入れることができました。そしてもらったら目を見てお礼を言うことも。
雨の中行ったワークの最後、カフェでゆっくり休憩し、ご両親やおばあちゃんなどに手紙を書いて投函して終わりました。

 

毎週金曜日、フライデースポーツで近くの乗馬場まで外出する生徒たちの発見です。
新学期はじめての乗馬は4月20日(金)。乗馬第1グループ(上級者クラス)はいつもどおり出発した。乗馬場への細い田舎道を車で30分揺られていく。
と、運転の先生が「おおおうっ!」と叫ぶ。昼食をたっぷり食べて午後のショートドライブを楽しむ生徒たちはネボケマナコ、先生の発見と驚きは伝わらない。もったいないので更に叫ぶ。
ピンク色のブルーベルが咲いているよ!
えっ、なになに。
ブルーベルがピンクだって。
ブルーベルって青(紫)じゃないの。
紫色だったんじゃない、本当は。
喜びの感じられない反応である。ややくやしい。
しかしうそではない。パッと通り過ぎただけだが、たしかにピンク色のブルーベルだった。そこで帰り道に道端でちょっと止まってみた。
ここだよ、そこ。木の根元。よく見よ。
あっ、本当だ、本当にピンクだ!
紫色が薄くみえるだけじゃないの。
ちがうよ、本当にピンクだよ。
ブルーベルって例外でも白じゃないの?ピンクってあるの?
見たことないね…はじめてだよ。
ピンクだとかわいいね~めずらしいね~。
よしよし。運転の先生は満足である。さりげないものを楽しむのは案外大きな喜びとなる。
以来、そこを通るたび、まだ咲いているね。今週も咲いているね。と小さな会話が交わされるようになった。
ピンクのブルーベル、1か月の間大木の根元にひっそりと一株咲いていた。

 

1学期の折り返し地点にあるハーフターム。学校は1週間の中休みに入り、生徒達は自宅に戻るか、あるいは学校が手配したイギリス人家庭に1週間のホームステイをします。
今年はイギリス女王即位60周年にあたり、通年よりハーフタームが1週間遅れました。4月に新しい学年、新しい学校という環境でスタートし、徐々に緊張もほぐれ、新しい仲間と元気に過ごして来た7週間。とは言え、全寮制の規則正しい生活と盛り沢山の学校行事に少々疲れも見えてきた頃でしたので、生徒達にとってはまさに待ちに待ったハーフタームの始まりでした。
昼食後、まず海外の自宅に戻る生徒たちを乗せた空港行きのコーチが出た後、今度は続々と地元のイギリス人の方々が車で学校に到着します。ハーフタームの間生徒達を預かって下さるホストファミリーの方々です。今年は全校生徒の約2/3がホームステイをします。各家庭1人から4人に分かれてイギリス人家庭での生活を体験!
何度もホームステイをしたことがある余裕たっぷりの高校3年生からイギリス人家庭での初めての生活にワクワクドキドキの小学生まで、90人以上の生徒達が、順番に迎えにくるホストファミリーの車をキャンパスのドライブウェイで待っていました。暖かな午後の光が休暇に入る前のゆったりとした雰囲気を演出し、生徒達の緊張を和らげてくれているようでした。
学校のセクレタリーとホームステイ担当の先生から、ステイ先のホストファミリーを紹介されると、まずは握手で挨拶。簡単な自己紹介をした後、車のトランクに荷物を積んでもらいながら照れくさそうに会話を始めます。車に乗り込む頃には少しは緊張も解けた面持で、見送る友達や先生方に車窓から手を振りながら、1台、また1台と車が出発して行きました。
この1週間はダイヤモンドジュビリー(女王即位60周年)関係のイベントがイギリス中で行われます。立教の生徒達もきっとホストファミリーの方々に連れられて一生に一度の貴重な体験をしてくることでしょう。
学期後半に向けての鋭気を養い、イギリス体験を思う存分満喫して元気な顔で帰寮するのを楽しみに待っています。

 

私達は、この立教英国学院にいて、国際人になろうということをよく耳にします。そのことを誤って解釈して、母国である日本に目を向けることを忘れてしまっているところがあると思います。
他国の人に日本のイメージはと聞いてみると「礼儀正しい」「真面目だ」という意見がある中、「遠慮がち過ぎる」「意見がはっきりしていない」という人が非常に多いです。しかし、それは見方を変えてみると日本独特の文化である「謙虚さ」であると思います。
日本人は、相手の気持ちや立場を察して、それも考慮に入れて発言したり行動したりする傾向があります。自分の意見や意思を直接相手にぶつけて強く自己主張をする欧米人とは対照的です。
このように日本人はどこの国の人と比べても、とても他人思いで相手を尊重するというとても素敵な国民性を持っていますが、外国人に「ただの臆病者」と思われてしまってはいけないはずです。だから、私達はこの日本の素晴らしい国民性を世界に伝えて、本当の意味の国際人になるべきだと思います。
この立教英国学院では、その他国に伝える為の英語を学べる場が沢山あります。その場を無駄にしない為に、これからの学校生活を一生懸命過ごしていきたいと思います。
(中学部3年新入生 女子)

 

毎週金曜日、フライデースポーツで近くの乗馬場まで外出する生徒たちの発見です。
春。
イギリスの春は豊かな丘陵の自然が美しい色で包まれる。
イギリスの春といえばブルーベルだが、ブルーベルが林の中でひっそりと高潔に咲きそろうのに対して、存在感を放って力強く咲き乱れるのがからし菜畑である。
からし菜はマスタードの原料として栽培されている。日本でも知られた「アブラナ」の仲間で、見かけは全く同じ。だが、日本とほぼ同じとはいえ、やや涼しい気候に影響されてか、からし菜は丈が高い。人と同じか、やや高いぐらいにまで育つ。
春先になると、なだらかな丘陵のあちこちで、イエローのカーペットが広がり、それはそれは綺麗である。
中世からの三圃制(欧州の土地利用法)が今も生きるイギリスでは、一般の私たちにとって、毎年どの土地がからし菜畑になるか分からない。去年はただの空き地だった所がからし菜のじゅうたんで包まれることもあれば、からし菜で美しかったフィールドが今年は羊の放牧地だったりする。毎年毎年見られる場所が異なるのも、ひとつの楽しみである。
明るい色のせいか、一面のからし菜は見る人の目を非常に楽しませる。春の喜びをいっぱいに表現するかのような光景である。

 

俳句はとっても短い。その短い文章にどんな思いを込めるか、どんな言葉を使うか。それを考える機会を与えてくれる『おーいお茶俳句コンクール』は私にとって1年に1回の楽しみであった。
特に賞品が欲しいと思ったことはなく、ただただ目を瞑った時に広がる情景・思いを必死に自分の持っている少ない単語で表すことに夢中になっていた私は、今回都道府県賞に選ばれたことに驚き、同時にとても嬉しく思っている。
『待ちぼうけ ふと見た道に ひめつばき』
これが私が今回賞を取ることのできた作品である。実際に、まだ私が日本に住んでいた時に体験し感じたことを、ありのままに俳句にしたものだ。
最初、どうしても冬に関連した言葉を入れたかった私は、電子辞書でそれを検索していた。機械的にボタンを押し続けていた私の前に、突然ある言葉がふと目に入ってきた。『ひめつばき』である。ひめつばきの写真を見ていると、私はある事を思い出した。
私が昔住んでいた日本のマンションの傍につばきが咲いていた。ひめつばきではないだろうが、その色は赤く鮮やかで、それなのにいつのまにかはらりと落ちているそのはかなさに、私はよく心を奪われた。
友人を外でぼおっとして待っている時、ふとそのつばきを見てしまうと、本当はこれを見るためだけにここへ来たのではないかと錯覚してしまうほど見惚れてしまったものだ。
その情景が脳裏にはっきりと映った私は、すぐさま筆を取ってこの俳句を書いた。この俳句から、あの美しくはかないつばきを思い描いてもらえたら幸いである。

 

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